暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

犯罪予告の顛末は、、、、

2013年04月25日 03時16分07秒 | 日常

犯罪予告と題して自分の周りで起こっていることを書いた。 その後の展開がありライデン市長が市の警戒警報を解除してこの事件も収束に向かっているとの報道があり、それに続いて自分のメールボックスに日本大使館から同様の情報とこれからも同様のことが起こる可能性も否定されないから様々な情報に注意を向け続けることを要請するメールが入っていた。

この容疑で逮捕された青年が釈放されたという報道があったもののその後のフォローもなく、容疑者が釈放されたからと行っても容疑が完全に晴れたということも言えないは周知の事、まだ不安が残っていると噂されていた中、市長がその後各関係部門の情報を総合して事件が収束に向かっていることをその後判明した事実を発表したことでこの騒動は一応の収束に向かっているようだ。

これによってもう誰かが襲撃されたりすることはなさそうであり、真犯人も確定されたようだ。 犯人と言っても刑が確定するまでは容疑者であるけれど本人が自白しているようだから一応の犯人としてもいいのだろう。 それは18歳の青年でライデン市の中高一貫校を中退した後、世界旅行をすると出かけた旅行先のコスタリカからその英語サイトに犯罪予告を投稿したものがスイスの警察のネットワークにかかり、オランダ警察に転送されその結果が前に書いた騒動となった、ということだ。 同時期にカナダでテロ未遂犯が逮捕されたとの報もあったこともありこの種の動きにはアレルギー的反応をみせるのだろうか。

世界中で銃による殺傷事件が日常に起こっていてその最大のものが国をめぐる抗争、紛争、戦争であるのは言うまでも無いが、それらに関して西欧世界ではどこも幾つもの国の文化背景をもつ市民を抱えた町がありそこでの暴力、テロ事件は世界的な連携も考えられる事から、たとえ馬鹿な人間のジョークといえどもそれが確認されるまではその言葉どおり受け取り対処するのが官憲の務めであるのだから今回の措置にしても馬鹿な男の単独行動であるようだし本人も外国にいてそこから組織的なテロを企てるということもなさそうでそれによって警戒警報の解除ということになり2,3日中にオランダに送還され一般的な犯罪事件として扱われることになるのが予想されていてもこれで終わりとするには後に残るものが多い。 

本人の意図がこれから徐々に明らかになるのだろうが想像するに本人もこのようなことになるとは考えてもいなかったのではないか。 例えば悪評があるそのような与太サイトにそのような文言を載せてもただの憂さ晴らしとして済ませられる、自分を隠しとおせると考えるほどの甘さと幼児性が垣間見られる。 世界中がある種の緊張状態にあるときに雑情報という藁の山からたった針一本でも探し出せる力を持つ組織のネットワークを甘くみたこと、たとえその気がなかったと言い張っても学校教師との確執があったと言われる中でこれが犯罪の構成要件に妥当するのかどうか、それが妥当しなくともこれだけの騒動を起こし、それにかかった被害、人件費などの膨大な費用にたいする賠償責任の可能性が示唆報道されてこれが続く犯行に対する警告となっていることも見逃せない。 口は災いのもと、というのが少なく見積もってもここでの教訓なのだろう。 弁護士が付くのは当然の事してここではもしもその意図があったとしても脅迫の意図はなかった、これはジョークなのだと抗弁するのが当然のこととして予想される。

この事を敷衍して、これが日本で起こった場合どうなるのだろうかと考えてみる。 家庭内暴力、ストーカーなどに対する警察の対処の例からして多分事件が起こるまでは何も動きださず、警察、公安当局にしても外部からの示唆がなければ国境を越えた、特にこのようなインターネットを利用した事件にはなすすべもないのではないかと想像する。 その例としてはすでに過去の事として現在の状況とは比較出来ないかもしれないけれど少しは見聞きした事として思い出す事がある。 何年も前にサルマン・ラシュディーの著作がイランのイスラム教を冒涜するものとしてアヤトラの指示で著者、及びその関係者に対する暗殺指令が出た事があった。 著者も地下に潜伏して誰もが安全であったなか、世界の中でただ一人日本人の翻訳者のみが暗殺された事実がある。 知人の仕事場の真上がその翻訳者の仕事場であったことからこの事件が強く印象に残っているのだが、これを例外的なものと見るのか、さもあらん、とみるのか、テロに対する防犯体制が問われるところだ。 また、オウム真理教サリン事件当時、警察庁長官が狙撃された事件の例も宗教、もしくは組織的な犯行として考えられていた事から日本だけがその例外的位置にあると考える能天気的態度にはないことを期待する。  

それに気になった事がもう一つ。 今回の事件で犯人が投稿した英語サイト、4Chan のことだ。 日本語サイトで 2チャンネル というのがあり、何年も前から覗いたり時々はそこでチャットをしたりしているのだがそのなかでの言動にときには暴力的で胡散臭いものを感じる事があった。 そこに 4Chan との類似を感じるのだ。 今回その英文サイトを見ると文科省や外務省が海外に向けて日本文化として売り出しているアニメ、マンガなどの萌え、エロ画像がかなりのスペースをとり、ヘンタイ、ブッカケなどのアルファベットが散見され、更にサイトに入ろうとすれば怪しげにクッキーを要請されるようなサイトである。 そのようなことが胡散臭いとネット専門家から評される所以でもあるのだが、そんなところでの言動がなかなか起訴要件として取り入れなれない事情があるから 2ch に代表されるような言動が跋扈するのだろう。 言論の自由、表現の自由としてそれを擁護する向きもあるのは理解できるとしても、広域暴力団に対する事例、ノウハウがあるならそれを適用できないのだろうか。 それを言葉狩りというのであればそうとでも取れるのかもしれない一方、自分の書いた事、言った事に対する責任を問う姿勢のことをここに対照する。 ネットサイトに名指しでシネと書き入れたものをどのように受け取るかという姿勢が問われているように思う。

もう10年か15年以上前に体験した事を思い出す。 射撃クラブでもう20年以上知り合っている仲間があるとき急にスーツ姿で見も知らぬ男と自宅に来た。 日本語の手紙を読んで欲しいというのだ。 その時初めて自分のクラブの仲間が公安部に勤めていると知ったのだが見せられた日本文の手紙はベアトリクス女王宛てだという。 封書の表はアルファベットで書かれていたのだろう。 便箋に二枚ほど縦書きされた漢字かな混じり文に目を通してもそれは外国人が書いたものとは見えずちゃんとした書体で書かれているけれど、その内容、脈絡がまるで体をなさず無茶苦茶なもので翻訳不可能だと伝え、直訳、意訳を試みたものを伝えたら彼らはいちいちこちらに意味を尋ねそれをメモして帰って行った。 誰がどう解釈してもどうも辻褄の合わない分裂体であることが理解できて納得したようだ。 自分には封筒の表も裏も見せられなかったしその後書面はどのように処理されたかこちらには知る由もない。 ただ、そのときそれがある種の脅迫、犯行声明などであったとしたらそこで自分が翻訳する文のもつ重みを想って身が震えるような思いをしたことを思い出す。

そんなことを中途半端に考えながら深夜、裏庭に出て散歩に出た猫を呼びいれようと廻っているとつい2、3日前までは一輪しか開いていなかった小さな椿の木が闇の中で赤い点をたくさんつけているのがぼやっと見えたのでフラッシュを焚いて一枚カメラに収めたらそこには緑の葉が妙にギラギラ反射した木と幾つもの赤い花が写っていた。