昨夜、私も結構遅くまで起きていたのだけれど、息子はまだそれより遅かったようで、朝起きたら姿がないので、ああ、また朝まで起きていたんだなと思いました。
なんでそんなに時間がかかるのか、よくわからないのですが、オケの会場の申し込みかなんか、書類を作っていたようでした。
私は6時52分になると、外へでて植物に水を遣り、7時4分には駅へ向かうので、そのまま家をでました。 15分の快速に乗り、しばらくすると、携帯に電話がかかってきました。 息子からです。朝の通勤ラッシュの中なので、出られません。
またしばらくするとメールがきて、「切手どこ?」
「二階のアイロン台の上」 と返信しました。 (きのうそこに切手帳を置いたことをたまたま覚えていました)
「80円でつくの? 82円?」
「82円!」
はー。 そんなことも知らないんだなぁ。 あんなに代理で手紙をポストに投函しているというのに。
そして、花山さんの歌を思い出していました。
・日本中八十円切手で行くのかと訊きて息子の電話切れたり 花山多佳子『木香薔薇』
この歌を読んだときは、あははは、男の子っていうのはおもしろいなぁと思っていたのですが、その数年後、自分の息子から同じようなことを訊かれたのでした。
考えてみると、日本中82円で手紙が届けてもらえるなんて、すごいシステムだなぁと思います。 昔読んだ小川洋子の小説に切手という便利なものがあった時代があってね、と母親が子供に教えているシーンがあって、あの物語のあのシーンだけとても印象に残っています。
いつか、ほんとうに切手や手紙がなくなる日がくるのでしょうか。
もし、そうだとしたら、切手や便箋を選ぶ楽しみも喜びもなくなってしまって、とても不幸だと思います。
切手や便箋というものよりも、郵便受けに手紙が入っていたときの嬉しさや、封を切るときのときめきや、紙を開いたり閉じたりするあの感覚を一度も味わうことのない人生は、味気ないような気がします。
大切なものだからこそ、破いたり燃やしたりして、自分の手で、目で、「終わり」を確かめることができるんじゃないかと思うのです。
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