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いつでも君のこと好きだったよ

ふらんす堂通信141、うた新聞8月号

2014-08-09 20:31:45 | 日記

  台風のため、買い物もお墓参りも延期になりました。

 

  今週届いたふらんす堂通信141号と、うた新聞8月号をゆっくり読みました。

 

  ふらんす堂通信は第5回田中裕明賞受賞特集で、読み応えがありました。なかでも、榮猿丸さん、長嶋有さん、野口る理さんのトークイベントレポートが特に面白かったです。俳句もいろんな俳句があって、お互いの俳句のよかったのと悪かったのを出し合ったりしています。短歌ではあんまり悪い歌について取り上げたりしないので、なんだか新鮮に感じました。添削コーナーなどでは見かけますが、トークイベントで「逆選」をやるっていうのは俳句ではよくあるのかなぁ、おもしろいなぁと思いました。

 

 ひとつの作品から広がる話題の方向が自在で、爆発するストーブとか、モジブリボンとか、チャーリーブラウンとか、カストロの説教とか。わけがわからなくても、くすっと笑ってしまうような場面が何度かありました。 榮猿丸さんの句集『点滅』評(『俳句』2014年5月号堀江敏幸評)を読んで、買おうかなと思いつつ次の頁をめくると、『白へ』の評(『短歌』5月号永田典子評)が転載されていました。ゆったりと広いスペースを取っていただいて、ふらんす堂さん、ありがとうございます。

 

  うた新聞8月号には内山晶太さんが「受け身の放棄」というタイトルで『白へ』の評を書いてくださいました。

 

  ・踏切の音が顔を跨いでゆく私は眠っているはずなのに   藤田千鶴

  

  この歌について「音が、顔を跨ぐ。その把握の、大胆さと適切さに、虚を衝かれたような気持ちになるのである」と読んでくださっています。ああ、この歌を載せてよかったなぁと思いました。この歌は歌会に出したときに、「こんなことがあるはずがない、私は踏切近くに長く暮らしたことがあるが、こんなことは経験していない」と、評されたことがあって、うーん、自分が経験したことのないことを知るのが歌や芸術のおもしろさなんじゃないのかなぁとびっくりしたのでしたが、自分では気に入っていた作品だったので、誰にもわかってもらえなくてもいいや、と思いながら残した歌だったのでした。

 

  きのう、息子にその話をすると、「踏切の近くのひとはかえってうるさいと思うだけで、こんな余裕をもったことは思わんやろう」と言われて、なるほど、私は踏切から遠くに暮らしているから、たまに風に乗って聞こえてくる音を呑気に歌にしたりできるのかもしれない、と思いました。

 

  私は、なんか「鷲掴みする」歌が作りたいなと思ったときは、前川佐美雄の全歌集を読みます。

 

  実際に会ったことはもちろん、人柄とか生い立ちとかよく知らないけれど、歌が面白いと思うのです。歌を読んでいると、「おもしろい人だなぁ」と興味がわいてきて、「こんなことを考えていたんだな」とか「こんなふうなこと思いながら道を歩いていたんだな」と想像するだけで、とても近い人のような気がしてきます。枠をはみでるような、歌を私も作りたいと思うのです。

 

 

 

 

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