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久しぶりに歌集のことを。 今回は虫武一俊さん『羽虫群』です。
私は歌集を読むときに、あとがきを最初に読んで、作品を読み、最後に解説という順番で読みます。 この歌集も最初にあとがきを読んだのですが、
「アピールできるほどの自己はいまもってないが、短歌においてはその「何も持っていなさ」が武器になることがあると思っている。」
という一文に深く共感しました。 「持っている」と思った時点で、終わりなんじゃないかと私はいつも思うから。
・いらないと言われて立ちつくすおれにひとつ、ふたつ、とかかるハンガー
・殴ることができずにおれは手の甲にただ山脈を作りつづける
歌集の最初のほうの作品より。 まず、「おれ」が飛び込んできて、とてもいいと思いました。 自然な「おれ」。 「俺」「僕」「ぼく」「私」「わたし」「我」「吾」と、自分のことをいうときいろいろ用いる言葉はありますが、そのなかから「おれ」が選ばれている。 「おれ」で行くぞ、と決めたわけではないと思うけれど、虫武さんに近い選びなんだろうなと思ったのです。
詠まれている内容は「いらない」と言われたり、殴ることができなかったり、とネガティブなように思えるのですが、ひとつ、ふたつとハンガーがかかったり、手の甲に山脈を作り続けたり、その展開の仕方が意外で冷静さに読む方は救われます。 殴ろうとする手。 握った手を客観的に見ると、そこに山脈ができている。浮き上がった青い血管が山から流れる川のようで、底を流れるマグマのようでもあります。 静かな怒りがそこにある。
・「負けたくはないやろ」と言うひとばかりいて負けたさをうまく言えない
・立ち直る必要はない 蠟燭のろうへし折れていくのを見てる
・本当のことを話せばどうしてもこの日陰からはみ出てしまう
負けたくないひとには、こういうことはわからないんだろうなぁと力をもらいました。 そもそも勝ち負けの基準があいまいなのに、そこにこだわることに意味を観る必要はないのです。 ぺしゃんこになりそうになったとき、立ち直ろう、立ち直らなくちゃと思いがち。 2首目の歌を読んだとき、ああ、立ち直らなくても別にいいんだなって、解放された気がしました。 この強さはなんなのでしょうね。 立ち直ろうとするから、立ち直れないとしんどくなる。 立ち直らなくていい、って言われたら、もう俯せたまま、しばらく倒れていたらいいんだと、思いました。
・記憶にも川は流れて橋脚に割れる姿を眺めてしまう
・たましいは水溶性と確信を深めてながく洗う浴槽
・草と風のもつれる秋の底にきて抱き起すこれは自転車なのか
・雨という命令形に濡れていく桜通りの待ち人として
それぞれのモチーフのイメージが鮮明で、そのうえに「記憶」「水溶性」「秋の底」「命令形」という個人の思いを重ねているところが巧いと思います。 雨ってそういえば、一方的だなぁ、ということに気づいたりするのです。
いちばん好きな歌は
・夜景にも質感のあるこの夜をこの夜を忘れるな手のひら
あとがきは石川美南さんが書いておられるのですが、この歌集をまとめるのにこれまで作った歌の数を虫武さんにきいたら、四千五百首もあったそうです。それを308首にまとめられたということは、この10倍以上の歌があったということになります。
虫武さんの歌をもっと読みたいと思いました。
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