きのうから私の実家へ。目的は、このあいだ母が受けた検査の結果をききにいくため。きょうの朝9時の予約だというので、前日からいくことになったのです。
前の日に妹から注意事項をいくつかきいていました。
1.父は電動自転車を友人に譲った後、また小さい自転車を買いたがっている
2.カラオケセットの追加カートリッジの使い方がわからないといっている
自転車は絶対買わないように言ってよ!といわれていたのでよし!という気持ちで臨む。
高速を使ってきのうの10時半くらいに実家へ到着するなり、父が「頼みたいことがあるんやけど」(を、きた!!)「なに?」「カラオケの追加カートリッジの使い方がわからんのや」「そう・・・・」(自分で使えないものを注文しないでほしいなぁ)父「それから、お母さんが銀行にいっしょにいってほしいって」私「銀行ね」
父「銀行の帰りにホームセンター寄って、556を買ってきてほしいんや。2本」
私「556てなに」
父「油や」
私「油・・・ 見本あったらみせて」
母「ホームセンターいくなら花買いたいなぁ、そのかえりに食材も」
私「花と食材ね」
そこから始まって、どんだけ人を使うのよ、と思うくらいつぎつぎに「やってほしいこと」を言われ。洗濯物をとりこむ手伝いをしていたら、洗濯物はとりこむ順番があるから(そんなのあるの?)ここはいいから植木に水を遣ってを言われ。はいはい、ってやっているとついでに買ってきた花も植えてほしいなぁということで、まず鉢を探し(7鉢必要だった)、タワシで鉢を洗い、赤玉と腐葉土を運び、花を植えているうちに左腕だけで7つも蚊にさされたので。
私「虫さされの薬ない?」
母「ああ、それはお父さんしかわからないわ」
私「なんで」
母「知らないもん、もうちょっとしたら帰って来るから」
しかたなく痒い腕をたたいてごまかして父を待つ。なんで薬のありかが父しかわからないのよーもう。ふたりは協力しながら暮らしているというけれど、協力と依存は違うんじゃなかろうか。
きょうのお昼ごはんのワンシーン。母がコロッケのお皿を父の前に置いたら、
父「これはなにかかけるんかな」
私「かけたいものをかければいいのよ、お醤油でもソースでも」
母「はいはい、お醤油ね」 とすぐさまお醤油を出す。そういう自主性をそぐ行為が父の老化をすすめているような・・・・
だめだ、優しくしようと思っても、すぐにだめだしみたいになってくる。これは実の親だからなのでしょうか。診察が9時の予約で急いでいるのに、母は長時間ブラウスにつけるブローチを選んでいるし・・・・ 診察うけるときにはずさないといけないでしょう、そういうのなしのほうがいいよ、といっても、「いいのよ、下から服をめくるから」
母が暑いから二階の扇風機をおろして、というので運んでいると、父が「危ないから俺が運ぶ」とかいう。いや、私のほうがマシですよぉ。
はやく扇風機まわしてよ、と母の命令がおりて、コードをみたら、ペンチできらないといけないような堅さで3か所コードは縛られていて。「お父さん、こんなの私はずせないから切ってよ」
という感じで、あのふたりはわざわざ「自分しかできない」ようにしている気がします。もっとお互いができることや情報を共有してふたりともできることを増やしてほしいものです。それを「協力」というのではないのかなぁ、といろいろ考えた2日間でした。