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いつでも君のこと好きだったよ

山城歌会

2014-10-03 20:06:00 | 日記

 きょうは山城歌会の日でした。

 

 参加者は11人。 ひとり2首なので22首。 山城歌会は毎月司会が変わります。 きょうは渡辺さんが1首にたっぷり時間をとってくださって、ゆっくりとした進行でした。

 

 誰かが「ここの助詞は「を」より「は」がいい」と言えば、「いや、絶対ここは「を」がいいです」と議論になります。 そして、なぜその助詞がいいかということをお互いきちんと述べるので、いったんは相手の意見を受け止めて、でもやはり、、というふうに進んでいくので、おもしろいです。 歌歴の長い人、短い人関係なく、自分の思ったことを言える雰囲気がとてもいいと思います。

 

 ・鳥の住む家に暮らしてときおりを鳥のことばで話していたり   山下裕美

 

 「ときおりは」がいいという人は、「ときおりをだったら自分で意識的にしているけれど、ときおりはは、自然発生的でいい」ということで、反対に「ときおりを」のほうがいいというひとは、「「は」は他と区別化するときに使う助詞。たとえば君はいかない、私は行く、といったようにそこに意思表明的なニュアンスが入ってしまう。ほかの言葉に溶け込んでしまうほどのめだたない「を」だからいいのだ」と展開。

 

  私も「ときおりを」派で、「ときおりを」「鳥」「ことば」というO音のつらなりが穏やかでこの歌にあっていると思いました。それから、鳥を飼っているという読みもでましたが、そういう主従関係(?)のようなものはこの歌からは感じられず、もっと広いところで鳥も私も同等に「暮らしている」、鳥がやってきてその声に包まれている空間、というものを感じさせる歌のように思うと言いました。

 

 ・どのボタン押しても今は泣きそうで花束受くる人を見つめる  黒住光

 

 作者名がわからないときは、これは結婚式で両親がもらう花束だろうか、とかこのあいだの全国大会の懇親会の永田さんだろうかとかいう読みがありました。いずれにしても、花束をもらっているひとを思ってこれほどまで感情があふれるのは、とても近い間柄でその人のいままでを見つめて来た人なんだろうということでした。「どのボタン押しても」や「泣きそう」という直截的な言い方に疑問が投げかけられましたが、私は「どのボタン押しても」はすごくいいと思いました。 いっぱいいっぱいになっていることがよく響いて来て。

 

 山城歌会は1首の批評が終わってすぐ作者が発表されます。 この歌の批評が終わって、光さんの歌で、全国大会で黒住嘉輝さんが名誉会員のお祝いの花束を受けられたときの歌だとわかったとき、光さんならこのままでいい、と誰かが言って、ほんとだなと思いました。 誰かひとりのために創る歌。 光さんが作者コメントをいうとき、きれいな涙が流れていました。

 

 歌会が終わって、黒住さんが大きな旅行用のコロコロケースに荷物をしまっておられるのを見て、「ご旅行ですか?」と訊くと、光さんが「水筒が大きいからこんなの引いてきてるのよ」と笑いながら仰り、ほんとうにいいご夫婦だなぁと思いました。

 

 山城歌会がほんわかするのは、光さんが来てくださるおかげだなぁと思いながら駅までの道を一緒に帰りました。

 

 

 

コメント
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