今春、東京ステーションギャラリーで、初めて「無言館」が収蔵しているたくさんの絵画と出会いました。戦場に散ってしまった画学生たちの遺作や書簡を見ていくうちに、私の心はすっかり彼らのおかれていた悲運に打ちのめされ、その絵は瞳の奥深くに焼きついてしまったのです。
この8月15日の終戦記念日に、上田市にある美術館「無言館」を訪れる機会に恵まれました。
館主の窪島誠一郎氏は語ります。
「彼らの描く絵はことごとく深い静寂につつまれている。
この静寂を無言と解釈する事は簡単です。」
「しかし、無言ということからいえば、
無言のままで立ちすくむしかないのは、
今を 生きる我々のほうなのではないでしょうか」
窪島氏とともにご遺族を訪ね、絵の収集をされたのが、戦死した
同級生とともに、東京美術学校(現・芸大)で芸術に没頭していた
画家の野見山曉冶氏でした。勉強中だった画学生の、
まだ未熟な絵を集めはじめてこんな事を思ったそうです。
「本当はこれが絵っていうものじゃないか。
彼らの絵には邪念がない。はったりもなければ、
ひけらかすこともない、真剣に真摯に描きたい
人間の一途さが、あの暗い時世の中に
あったんだ という印象を受けたのです。
あの時代「絵描きになりたい」といったら家族みんなに
反対され、非国民ともいわれました。
それでも彼らは絵描きにさせてくれと叫んでいました。
そんな状況の中で生まれた絵です。
私は、絵の原点がここにあるように思いはじめていました。
じっと彼らの絵を見つめていると何かが伝わってくる。
漂ってくる。彼らの“人”が見えてくる。そんな気がします。
青春の一途さは、何ものにも代えがたい大切なものを私たちに
語りかけてくるように私は思うのです。」
コンクリートを打ちっぱなしの、薄暗い小さな美術館で、
今はいないはずの沢山のいのちが ことのほか輝いて、雄弁に
私に語りかけてくれた・・・そんな一日でした。
この8月15日の終戦記念日に、上田市にある美術館「無言館」を訪れる機会に恵まれました。
館主の窪島誠一郎氏は語ります。
「彼らの描く絵はことごとく深い静寂につつまれている。
この静寂を無言と解釈する事は簡単です。」
「しかし、無言ということからいえば、
無言のままで立ちすくむしかないのは、
今を 生きる我々のほうなのではないでしょうか」
窪島氏とともにご遺族を訪ね、絵の収集をされたのが、戦死した
同級生とともに、東京美術学校(現・芸大)で芸術に没頭していた
画家の野見山曉冶氏でした。勉強中だった画学生の、
まだ未熟な絵を集めはじめてこんな事を思ったそうです。
「本当はこれが絵っていうものじゃないか。
彼らの絵には邪念がない。はったりもなければ、
ひけらかすこともない、真剣に真摯に描きたい
人間の一途さが、あの暗い時世の中に
あったんだ という印象を受けたのです。
あの時代「絵描きになりたい」といったら家族みんなに
反対され、非国民ともいわれました。
それでも彼らは絵描きにさせてくれと叫んでいました。
そんな状況の中で生まれた絵です。
私は、絵の原点がここにあるように思いはじめていました。
じっと彼らの絵を見つめていると何かが伝わってくる。
漂ってくる。彼らの“人”が見えてくる。そんな気がします。
青春の一途さは、何ものにも代えがたい大切なものを私たちに
語りかけてくるように私は思うのです。」
コンクリートを打ちっぱなしの、薄暗い小さな美術館で、
今はいないはずの沢山のいのちが ことのほか輝いて、雄弁に
私に語りかけてくれた・・・そんな一日でした。
真摯なもの
計算のないもの
そして・・・
ヤンチミキさんこんにちは
わすれていたものを
なみだのなかに
たくさん みつけて
こころが
あふれるおもいでしたね