55人の老人と、ひとりの青年と、”百年の水”の物語 |
本橋成一 |
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それはもう、遠い昔のことだ。14年の歳月がながれた。 |
(web上の平凡社発行の写真集より拝借しました。)
日曜日、最初に受け取った電話は母からのもの。
「アレクセイと泉」の話を昨日していて、どうしようか・・見に行ってみる?とのことだった。
東京国際女子マラソンも気になるけど、母がこう言い出すことはめったにない。
午後2時開演の〈財団法人○○市施設利用振興公社〉主催のビデオ上映会に行く事にした。
始まってすぐに、その映像の美しさに感動してしまった。
それは、誰もがご存知、1986年4月26日に、ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故。
その被災地となったプジシチェ村と、避難勧告が発令されてもそこに居残った55人の老人と
一人の青年アレクセイ、そして、そこに昔からある〈泉〉のお話である。
アレクセイの朴訥な語り口で゛始まり、そして終わるこのドキュメンタリー映画を、
私たちはその字幕と、素晴らしいカメラワーク、そして坂本龍一の、映像を決して邪魔しない、
控えめだがピカイチな音楽で存分に堪能した。
こんな映画を私はずうっと見たいと思っていたんだ。
人間本来の持つ生命賛歌。
アレクセイは語る。・・・運命からも、自分からも決して逃げられない。だから自分はここに残った・・と。
大地から、あらゆる作物から高濃度の放射能が検出されたこの村で、
唯一、泉の水からだけはそれが検出されなかった。
そんな不思議な事ってあるのだろうか?
「この水は100年も前の聖なる水なんだ!そんな昔の水に放射能なんかあるわけ無いさ!」
と彼らは笑って言った。
働くことが生きること。
自給自足。
お金は意味をなくし、貯金するものはいない。
農繁期には、都市部に出て行った若者たちが応援にやってくる。
全員が力を合わせて親や祖父母に協力する。
農閑期にはかご作りや刺繍をし、遠く離れた村まで売りにいく。
売って得たお金はすぐに品物を買って使い果たす。
流通紙幣が異なるからだ。
水汲みが出来なければこの村では生きていけなくなる。
この唯一の〈泉〉から、水を汲み、2つの桶を肩に担いで運んでいく。
あわせると30キロの重さだ。
村に来るバスは週2回。
お祭りでは歌い、踊り、男たちは早々と酔いつぶれる。
シンプルだが、これが生きるということだ!とハッとさせられる。
2002年に出来たこの映画を今まで、知ってはいても見なかった。
物事との出会いって、こんなもんなんだな。
人間の為したことで人間が窮地に追いやられ、地球はくたびれてしまっている。
それでもめげずに、プジシチェ村の老人たちは、今でも昔と変わらぬ生活を淡々と続けている。
トゥラッタッタ♪トゥラッタッタ♪と踊りながら。
家に着き、高橋尚子の優勝を知る。
Qちゃん、やったね!お め で と う !!
+++++++++++++ 次回のビデオ上映会は +++++++++++++
★平成17年12月18日(日) 「ディア・ハンター」
★平成18年01月22日(日) 「ナージャの村」
★平成18年03月19日(日) 「容疑者」
市民プラザ多目的小ホールにて、PM2:00より。
各回先着60名。
母に似ていたら、きっとお料理などが中心の家庭的なブログになっていたと思いますよ。