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ビアンカの  GOING MY WAY ♪

昨日・・今日・・そして明日
   人生は ・・・ダバダバダ・・・

パウル・クレー展

2006-02-25 | art/exhibit/museum

《芸術とは目に見えるものの再現ではなく 見えるようにすることである》  パウル・クレー

   
  「ピラミッド」1932年 

友人に誘われて大丸ミュージアムまで、パウル・クレー展を観に行ってきました。
今回の展覧会は、昨年6月に完成したパウル・クレーセンターの開館を記念しての特別展。このセンターは、大雑把に言えばベルンの外科医ミュラー博士が建物を提供し、クレーの孫の代になる遺族が作品を提供、更に国民投票によって、今後、センターの運営への多額の公費の使用も承認されたというのです。
ミュラー博士はこの設計をイタリア人のレンゾ・ピアノに指名。場所も、クレーの住んでいたベルン郊外を指定しました。ベルン市民の情熱に支持されてこのようなセンターが出来上がるとは、なんてステキな国なんでしょう。
(レンゾ・ピアノは、ポンピドーセンターや関西国際空港の設計を手掛けた方です)
また、昨年はアインシュタインが1905年にベルン市に移住して相対性理論を完成させてから
ちょうど100年目にあたり、同市では大規模なイベントが同時に2つも開催されたということになります。それにしてもこの2人、1879年という同じ年に生まれ、同時代にベルンの街中を歩いていたのだと想像すると、なんだかゾクゾクして来ます。

  
  
「情熱の庭」

彼の持つ独特の色合いとシンプルな抽象画は、学生の頃、シャガールの絵と共に、一度見ただけで心の中に残り、K書店の横浜営業所でちょっとばかり営業アシスタントをしていたとき、2割引で購入できる特典があったので、大判の美術全集の中からシャガールとモネ、そしてクレーの3冊を選んで購入したものです。一見、子供でも描けそうな、線と色彩で作り上げ た絵画は濃厚な油彩と違い、グラフィックデザインの要素を多く持っているように見受けられました。 色彩はどれも押さえ気味の、どちらかといえば日本人好みかもしれません。

    
 「目に見えるものをそのまま画面に写しとるのではなく、
        内面にあるイメージと、 どのように折り合いをつけるべきか」 

クレーは生来、研究心旺盛で、あらゆる素材や画材、技法を駆使して自己の表現力を探り続け、 その芸術性を高めていきました。彼の作品の中には何を使ってどのように描いたものか、長い間不明のものも沢山あったといいます。あるプロセスを越えて、目標に達してしまうと、さらに次への創造への探求が始まり、彼の創造への探究心は留まることを知りません。

     「重要なのは〈存在する〉ことではなくて 〈存在へ至る〉過程の方である。」

と言っているように、作品そのものよりも、プロセスに身も心も熱中したようです。

しかし、画家としてのクレーしか知らなかった私は、彼が、高校を卒業する頃に、音楽家になるべきか、画家の道を選ぶべきか相当迷ったということを知り、 吃驚しました。というのも彼の父親は音楽教師、母はオペラ歌手ということで、家庭は常に音楽に溢れていたのだそうです。幼少の頃から習っていたヴァイオリンで頭角を現し、11才の時にすでに、ベルンのオーケストラに籍を置くまでになったのです。

そうなんだ。彼の絵を見ていると、それはあるときは音楽のようで、また、ある時は詩そのもの。

神奈川県立近代美術館の水沢 勉氏が、“恥ずかしがり屋の「謎」” というタイトルで、私が何となく感じた思いに似たようなことを実に上手く表現しています。

   「
・・・・・・・展覧会会場で観るクレーは、いつでも余所行きの顔をしている。
   遠くからみえてしまうことは、 クレーの作品の場合、余りアドヴァンテージには
   ならない。それが立派な美術館であればあるほど、この繊細敏捷な小動物は、
   ますます身を強張らせ、小さくなってしまうのだ。パリのポンピドゥーセンターや、
   ニューヨークのメトロポリタン美術館に並んでいるクレーは、まさに「借りてきた猫
   であったに違いないと思う。 小さな美術館での予期せぬ出会い、不意打ち、
   こそが、クレーとの出会いにはうってつけではなかろうか。
   ・・・・・・・
   若き日の「クレーの日記」を読んでもわかるように、クレーはまれにみる読書家で
   あり、またヴァイオリンの 名手でもあり、いつも書物と楽譜とともに暮らすひとであった。
   ・・・・・・・
   クレーの絵画は、あたかも 書物のようではなかろうか。それは手に取り、
   その温もりのなかで、暖められるべき性質のものなのでは なかろうか。
   ・・・・・・・・
   クレーの恥かしがり屋の「謎」も、書物のように受けとめるとき、そのヴェールを
   少しだけわたしたちにそっと脱いでくれるのである。」

クレーの作品の横には彼の日記よりの抜粋文や詩が紹介されています。読んでは観て、観ては読んでいるうちに、彼が画家であり、そして音楽家でもあり、さらには詩人であったのだ、と確信してきます。

                  
ぼくたちが形あるものを観察するのは
              芸術の表現のためであり
           
そこに、ぼくたちは自身の魂をも
        のぞき込むことが出来る。
    哲学と人はいうが、たしかに哲学には
        芸術に似通ったものがある。
            はじめは哲学がどれほど魂を
                観察できるかを知って
                    ぼくは驚いたものだ。
                                                                                                                                                                                                             
                   ▲   
   ▲   

                  
ぼくは
             手を休める。ぼくのなかで
          奥深く、優しくわきおこる思いがある。
     ぼくはそれを感じる。苦労もなく自信に満ちあふれた何かを。
 色彩がぼくをとらえたのだ。ぼくの方から追いかける必要もない。色彩がいつ
      でもぼくをとらえるだろう。これが幸福というものだ。色彩と
          ぼくはひとつになった。ぼくは絵描きなのだ。

                  ▲      ▲ 
           
     創造とは、作品の目に見える表情の陰で作用する生成のことである。
         知的な人間はみな、それが起こった後になって知るが、
              創造的な者は前もって知っている。



    
彼が総合工芸学校バウハウスで教鞭を執っていた頃に書かれたというクレーの日記文を読みながら、ミュージアムの中を行きつ戻りつしていましたが、そんな中で わたしの興味を引いたものの一つに、「文字絵」がありました。 これは一つの試みとして、文字を描き込み、それに彩色したもので、言葉と絵画を直接結びつけた作品です。下の文字絵は、中国の王僧孺の詩のドイツ語訳をテキストにした絵です。小さな絵ですが、素敵だと思いませんか?

     
       ・・・ああ、私の苦悩をさらに苦くするもの、それは君が私の心を予感だにしないこと・・・

彼について、ちょっと触れて知り得たことだけでも書きたいことが頭の中いっぱいに広がってしまいました。
健忘がちな頭の中を整理するのにブログは打って付けなので、読んでくださる側の大変さも考えずに(ご免なさい!)つい打ちまくってしまいますが、まだまだ書きたりない気分。パソコンの不調もあり遅れた分、早くアップをしないと新鮮さが失われるようなのでこの辺りで・・。ふぅ。。

★この展覧会の最終日は2月28日です。また、佐倉市にある川村記念美術館でも6月24日からパウル・クレー「創造の物語」展を開催するようです。ちょっと遠いけど私の好きな美術館の一つです。

      ■                    ■

いつものように、展覧会の後のお楽しみは友人とのランチタイム。
今回は友人の娘さんの勤め先のある東京ビル(TOKIA)に、娘さんお勧めのお店があるとの事でそこに決まり。
TOKIAは東京中央郵便局と東京国際フォーラムの間にあり、線路を行き来する電車を眺めながら、3階にある自然食彩ビュッフェ「食彩健美 野の葡萄」で、野菜たっぷりの食材の数々を頂きました。ランチが一律1600円で、時間制限1時間半です。

2階には線路側に向けて、休憩のできるゆったりした赤いイスが5ツほど置いてあります。
ずべてふさがっていたので、3階のベンチで様子を見ていましたが皆イスにへばりついて、ちっとも空きができませんでした。


 
                    
                         うわ~欲張ってるゥ~!きもワリィ~! 
  
     

 

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世田谷美術館へ

2006-02-11 | art/exhibit/museum


 《絵画探求60年の足跡とその未来 1945ー2005》

堂本尚郎展に行って来ました。
用賀駅から歩いて行くつもりが、「美術館行き」のバスを見つけてしまい、
まぁ、行きだけは・・と、乗り込んでしまいました。
ぐるりと回っては戻るようなルートで、もしかしたら歩きのが早そうです。

世田谷美術館は約40万平米もの広さの砧(きぬた)公園の中にあります。
是非一度行ってみようと思っていた所、偶然、Kimiちゃんから招待券を
いただいちゃったのです。 うれしかったぁ~ 
                 

1928年生まれの堂本尚郎氏は、23才の時に日展特選を受賞するなど、
日本画家として華々しくデビュー。学生時代に敗戦を迎え、価値観が
すっかり逆転してしまった事と、新しいフランス絵画の魅力、
既存の権威
を疑い、グローバルな視野の上に立ってアートに取りくむという姿勢が、
その後の彼の画業のベーッシックな部分を形作るようになったといいます。

 1953
年「街」 顔料・和紙

24才の時に、日本画家である伯父、堂本印象と共に半年間にわたって旅した
ヨーロッパは、彼にとって強烈な刺激となり、帰国後すぐにフランス留学を決意。
1955年からの留学は表向き、日本画との訣別を意味しましたが、学生時代に
学んだ日本画は今日までの彼の画業に様々な影響を与えたようです。
1967年にパリのアトリエを閉鎖して帰国するまでの間、パリのスタドラー画廊では
3回の個展をし大好評。
NY に長期滞在中に個展を行った時は、イサム・ノグチが文章を寄せたそうです。
68年には世田谷深沢に住居とアトリエを構え、大阪万博ではワコール・リッカー
ミシンの室内構成を担当。私もその昔、大阪万博には行きましたが全然思い
出せません。なにせ35年も前のことになってしまいましたものね。


今回の展覧会は堂本氏の60年の画家としての歴史を振り返るべく、あらゆる
年代の作品約100点を集結させた見応えのあるものでした。

作品は、6つのセクションに分かれて展示されていました。
①初期の日本画から、
②パリで旋風を巻き起こしていた抽象絵画「アンフォルメル」
の時代へ。絵具をカンヴァスに叩きつけるような描き方で、過激なイメージなのですが、

その力強さには目を見張るだけのものがあります。
③二元的なアンサンブルから、「連続の溶解」へ。この頃からモチーフである円が背景
として登場します。円の組合せから成る模様の連なりと色使いが鮮やかでとても美しい。
④「惑星」から「蝕」へ。この頃のタイトルには「百輪」「流星」「宇宙」「自蝕」など、
天体に関連する言葉が多く用いられています。
⑤「連鎖反応」から「臨界」へ、
⑥そして、2004年からは、「無意識と意識の間」というテーマ。これは、カンバスの上に
油絵具を垂らしてオートマティズムの手法で制作。私から見れば、ただポタ~ッと絵具を
垂らしただけにしか見えなかったのですが、きっとテーマに沿った深い意味があるのでしょう。

アブストラクト絵画は解り難いものですが、解ると思ってみている絵でも、作者の意図と
外れた見方をしているかもしれません。そう考えると素人の私は、楽しめて想像力を
膨らませるだけでもいいかな、と、気楽に鑑賞します。堂本さんの絵は、現代アートなの
ですが、モダンジャズを今、懐かしく聴くような感じに似た、一種の懐かしさを感じました。

1957年「アンスタンタネイテ」

 1978年「宇宙1」

 彼の作品はフランスの高級ワイン〈シャトー・ムートン・ロスチャイルド〉のラベルにもなりました。
これには過去に、ピカソ、ブラック、ミロ、ダリ、カンディンスキー、ウォーホールなど、著名な画家たちが名を連ねていますが、1979年に日本人画家として初めて依頼されて制作したのですって。こんな事を知ってしまうと、ワイン通でなくてもなんだかコレクションしたくなりますね。ワインショップに立ち寄った時など、ちょっとまてよ・・・と、キョロキョロしそうです。

 佐藤助雄 「桃源」 1983年

展覧会を見終わった後も、美術館の庭を歩いていて、あちこちで素敵な彫刻に出会いました。 下の右側の彫刻は船越保武氏の「杏」といいます。これを見つけた時の驚き。大好きな 「EVE」に表情がとても似ていたんですもの。
この彫刻はレストラン「ル ジャルダン」の窓越しに見えます。芝生の中は立ち入り禁止となっていましたが、無視してそーっと近寄り、数枚写してすぐに引き返しました。
 あとでレストランに入ったら、お客さんから丸見えの場所だとわかり、どっと冷汗

    

  

帰りは公園内を散策し、久しぶりに、都内なのに郊外に
足をのばした時のようなすがすがしい気分で時を過ごす
事が出来、明日への活力さえ感じました。
公園~用賀までのご報告は近日中に。

 

 

 



 

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ミヒャエル・ゾーヴァ展

2006-01-23 | art/exhibit/museum



シティーギャルは・・エヘン、オホン・・雪の日には絶対に外に出たくなります。
というか、この展覧会、知ったのが木曜日のマリオンで、なので遅すぎィ~!

最終日が月曜日、と言う事は、土日のどちらかに行くしかない。
日曜日はちょっと用事があるし・・・
で、土曜日に行ってきました、銀座松屋の「ミヒャエル・ゾーヴァ展」。

 ・。・  。・。・  。・。・  。・。・  。・。・  。・。

 どこかただならぬ気配を内包し、一見現実とかけ離れた光景
 に見えるミヒャエル・ゾーヴァの世界。それは我々の世界の
 一部分を別のピースに差し替えただけの、もう一つのリアルな
 現実なのかもしれません。
 1945年ドイツ・ベルリンに生まれた画家ゾーヴァは、1994年に出版
  された『ちいさなちいさな王様』の挿絵で一躍世界に注目され、
 物語や絵本の挿絵の中でも、その独自の世界を築き続けて来ました。
 そして、大ヒットしたフランス映画「アメリ」やイギリスのクレイアニメ
 「ウォレスとグルミット」の劇場公開最新作での美術、オペラ『魔笛』
 の舞台美術など、ますますその世界を広げています。
 
 
・。・  。・。・  。・。・  。・。・  。・。・  。・。

この解説を読みながら、でも会場は雪の日にもかかわらず、満員御礼。
「立ち止まらずに前へ進んでください」のアナウンスを何度耳にしたでしょう。

ヨアヒム・リンゲルナッツの詩集「あそびうた」

  ★
僕が二羽の鳥で、四枚の翼があったなら、
    半分はきみの所へ飛んでいく。
    もう半分はベッドで眠るけど

        ★
明をするー おそれを知らない子どもたちに。
          まず、魚を象牙の上に乗せるんだ。
          象牙というのは、ピアノの白い鍵盤のこと。

そして、これらの詩にぴったりの、ユーモア溢れるゾーヴァの挿画。

アクセル・ハッケ作の「白いニガーのヴンババ」

これは、聞き間違えとか思い込みで覚えてしまった歌について、
南ドイツの某新聞にコラムを書いたら、大反響。
読者からの、実例付きの投書を基にして一冊の本にまとめたのだそうです。
子供たちは歌詞の意味もわからずに、耳で聞いた通りにうたを口ずさむ
ことが多いですが、その方が本当の歌詞よりずっと面白いと言ってます。

レバーソーセージ!レバーソーセージ!〉 
                   と歌いながら行進する兵隊たち。
実は、ロシア語で「勇んで進め!」と歌っていたんですって。

私も思い当たる歌詞があります。
  “ 湯煙那須原ハ~ンドッグー ”  ってなに?

エルビス プレスリーのロックンロール・・・「
ハウンド・ドッグ」の出だしですよ。
(1966年あたりの「PERFORMER→play single」をクリックで、試聴出来ます)

ユエン ナスバラ ハーンドッグ~♪
実は、
You ain't nothin' but a hound dog だったんですね。
でも、英語の歌詞を見ながらぎこちなく歌うより、耳で聴いた通りの
発音でのが英語っぽいと思いませんか。
ウヮハハハ・・・同じユーモアセンス。世界は一つだな~って感じます。

文章や詩、歌にぴったりの、挿画を見たとたんに思わず笑ってしまう、
ゾーヴァの極上のユーモアの世界。
会場内は静かな、とても穏やかな笑いで溢れていた気がします。
「ちいさなちいさな王様」が、癇癪を起こしてコーヒーカップの中に
角砂糖を投げ入れている絵・・私もいかった時にゼッタイ
真似したくなっちゃう。

130点近くもの絵の展示。混雑した会場の中を2回も往復して
楽しんできました。
皆さんにご紹介をもっと早く出来たらよかったのに、ご免なさい。



 トン汁? 熱トン?

 
電線の上までトンで行ってしまったトンでもない豚
下ではone-one・・・一度は飛びたいよ~と思っている犬が羨ましそうにしていますね
 

 

 

 

 

 

 

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二人展

2006-01-17 | art/exhibit/museum

姉妹2人展の案内状が届いた
彼女たちは、我が家と同じマンションの一階と三階だったが、
何年も前に近くに引っ越した。
Akoちゃんは美術を選択し、卒業後出版社へ。妹のRuiちゃんは
英語科を卒業して、パリに写真の勉強にいき、今は現地で
アシスタントをしていると言う。
流暢にフランス語を操って、すっかり魅力的なパリジェンヌの雰囲気。

お姉ちゃんのAkoちゃんが個展を開くのはこれで3回目。
去年の案内状には、なんとウチの娘が描かれていた。
今回は、初めての2人展。日曜日に姉を誘って行って来た。
フルタイムで仕事をしながら趣味で油彩を描いている頑張り屋のAkoちゃん。
個展に足を運ぶたびに
腕が上がっているのがわかるので、毎回楽しみだ。
といっても、見に行くだけのお客さんでご免なさ~い。
フレームを自分で作成したり、と、色々工夫をしながらの、銀座での個展。
いっぱしに、天下の銀座で個展をやってのける、というだけでもなかなかの行動派だ。
が、本人はそのイメージどは異なり、いたってクール。
今回は彼氏を紹介されてしまった。
ツーショットOK、ブログOKと快い返事で、デジカメで激写!?
「えっ、○○さん、ブログやっているんですかぁ?」って言われつつも、
「恥ずかしいから内緒でいいでしょ。」と流しておいた。

              

    
   

    

 

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ウィーンみやげ

2006-01-14 | art/exhibit/museum

                      

ウイーンに行ってきた友人から可愛い缶入りのチョコレートをいただいた。
「此処のはまだ日本に出店していないけど、あちらでは有名な“カフェ”なのよ。」との話。
OBERLAA という名前のお店だ。ちょうどスタバでカフェしていた時でもあり、友人から、「一つずつ食べようよ。」と。
・・・ で、チョコレートを口に入れてびっくり、甘さが実に控えめだ。こりゃイケル!
 
他にも、ザッハー(友人はこのホテルに泊まっただと!)
デーメル、モーツアルトなどなど、ウィーンには名高いカフェがひしめき合っている。

もう一つのお土産は、ALBERTINAでのエゴン・シーレ展(水彩画)のパンフレット。
「スゴイの見てきちゃった。知っているでしょ、この人。あなたが好きそうだから・・・」
と、言われたのだが、本当のこと、余り聞きなれない名前だった。
こういう絵、わけがわからない。ちょっとまってぇ・・。
だが、彼の生い立ちなどを聞いているうちに興味が湧いてきた。
クリムトを尊敬していたということで、親しみが湧き、ビルの上階のアトリエに、「彼女」と住んでいながら、
向かいのビルに住む女性に恋焦がれて、ついには結婚してしまったと言う話に、純粋さ、、というか、
昔、何かで読んだ事のあるロマンスを地で行く彼の少年のような魂のあり方が、我が心に揺さぶりをかける。
(オーイ!オイオイ!・・なんて言わないで~~ )

結局、二人ともスペイン風邪で、若くして亡くなってしまう。あの時の「彼女」も、それよりも前に亡くなっている。
壮絶な運命があちらこちらに、あたかも当然の成り行きのような顔をして語り継がれていってるのだ。
「彼女」に別れ話を切り出す時の絵が、ベルベデーレ美術館の上宮に展示されているという。
タイトルは「死と乙女」。クリムトの「接吻」を髣髴とさせる、が、そこにはクリムトのような装飾は施されていない。
クリムトが金なら、シーレは土だ。

エゴン・シーレは、1890年6月12日生まれ。
28歳でなくなるまでの間の活動時期がクリムトと重なっているのだが、
あのヒトラーとも同世代で、同じ美術学校を受験していたというのだ!
シーレは合格し、ヒトラーは落ちて独裁者への途を歩んだという話を聞き、
もし、ヒトラーが合格していて、シーレとも何らかの接点があったなら、もしかしたら・・・
歴史は塗り替えられていたかも知れないな・・・・・と想像を巡らせてしまった。

    


      エゴン・シーレの 「死と乙女」                           

もっと知りたい方はここをクリック。
ダイゴロウさんのHP、とてもよく出来ていて、私、即応援コメントを入れちゃった。
エゴン・シーレを好きな方は、私も含めて若い方たちが多い。ウゥゥ・・
・・って、もう好きになってしまった・・?
グロテスクだけど何かとっても引かれる~・・♪

最後に、「クンストハウス」に行って買ってきたという、フンデルト・ヴァッサーの卓上絵をいただき、
すっかり、ウィーンの街を歩き回って足を棒にしてしまった気分に。
こりゃあ安上がり!  でもやっぱり、私だって行ってみた~い!!


フンデルト・ヴァッサーのブルームーン

 

 

 

 


                 

 


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ミラノ展

2005-12-06 | art/exhibit/museum


レオナルド ダ ヴィンチ(およびロンバルディア地方の画家)のキリストの頭部、
ご覧のように、クリスチャンでなくても引き込まれてしまいそう・・・
紙にチョークとパステルで描かれていますが、1494年頃の作品が
よくぞ持ち堪えて、ミラノのブレラ美術館より海を渡って千葉市美術館まで
やってきたかと考えると感動モノです。
この絵の前に跪き、数々の愚行へのお許しを乞うべく懺悔をしたい・・・
そんな気持ちにさえなってしまいました。

娘が2日に見に行き、「とてもよかった」と、カタログを見せてくれました。
そのわずか30分後、“お教室ブログ”を覗いていたら<カメリア日記>にもこの事が!
ビックリしてしまいました。
4日までとの事で、翌3日の夕方に駆け足で行って来ました。
ダヴィンチの「レダの頭部」も、カタログやチケットに使われただけあり、
(実際はパンフの半分くらいの小さな絵でしたが)
その魅惑的な微笑みがなんとも意味ありげ・・というか、純真というか・・
人妻の女神のはずですが、人をいざなう魅力が存分にありました。
伯国の友だち、ナタナエルの奥さんの名が「レダ」。
ギリシャ神話からとったのか・・と、やっと納得。

千葉は東京へ行く倍の時間がかかるのでめったに行きませんが、
最終日の前日があんなに空いているとは!
名画とのご対面の時間をたっぷり戴いて来ました。千葉は穴場!

8階では「江戸絵画のたのしみ」展も開催されていました。
こちらでは、6つのテーマによるコーナーが設けられており、中でも
「月光に心研ぎ澄ます」のコーナーに展示されていた、円山応挙、伊藤若冲、
谷文晁3点の作品が、それぞれの月光を描き、
なかなか面白く鑑賞できました。

帰りは中央公園のイルミネーションのなかを突っ切り、急ぎ足で
お腹をすかして待っている子ら(?)のいる我が家へ直行!
とは行かず、デパートの中をちょっくら彷徨ってしまいました。


 




 

 

 

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再び、上野の森へ

2005-11-27 | art/exhibit/museum

母の所に、山形県のKさんから、「第33回サロン・デ・ボザール展」の
案内状が届きました。
何年も前から、この展覧会に応募され、入選を果たしていましたが、
今回は特別!初めての入賞のお知らせです。
Kさんご家族とは、伯国時代からの知り合い。というより、
親の仕事上で関係のあった方で、現地での住まいが
近かった事から、親しくさせていただいていました。
あの頃、日本人学校に通われていた小学生と、中学生の3人のお子さんが
いらっしゃいましたが、今は全員が結婚され10人ものお孫さんに
恵まれ(少子化のご時世に、快挙ですね!)、穏やかな日々を送って
いらっしゃいます。

サロン・デ・ボザール展は、我国最大のノンプロ絵画公募展。
今回も入選作千数百点の展示会です。
そんな訳で、昨日、母を連れて、又、上野の森に行ってきました。
先週より紅葉がきれいに色づき、特に黄金色のイチョウが見ごろでした。

受付で名前を言い、どの部屋に展示されているかを聞かないと、
とんでもない事になります。確か日展もそうでしたっけ。
Tさんの作品は、受付から一番遠い部屋にありました。

何の賞かと思ったら、なんと、県知事賞
ついにやりましたね~。おめでとう、Kさん!
山形の特産、ラ・フランス、とってもおいしそ~~。      

絵画の数の多さに圧倒されてしまい、ボザール大賞の作品をを
見損ねてしまいました。

帰りはパーキングを利用していた(母と一緒のときはいつもなんですョ。)
上野精養軒で、不忍池を見下ろしながらの遅いお昼となりました。

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秋も終盤

2005-11-26 | art/exhibit/museum

先週の事になってしまいますが、ブログというものが、                                   日記を書かない私の行動の記録の一部分に
なるとすれば、ここにも行ったよ、と、やっぱり記したくなりました。
プーシキン美術館展を見に上野の森の東京都美術館へ。

  ああ、どうしよう・・あちこち、よく行くな~・・っていわれそう 
    (先週の事です。。。でも、きょうも別の所に・・!)

平日ならさほど混まないだろうと、仕事のない水曜日の午前中に
出かけました。が、着いてみるとその美術展だけが長蛇の行列。
定年後くらいの方たちが圧倒的。不思議な雰囲気です。
館員が何やら言っているのをよく聞いてみて、納得。
その日は月に一度の《65才以上入場無料の日》だったのです。
ヤレヤレ、とんだ災難だわ!
そんな日があるだなんて知らなかったわ。
  
いまさら引き返すわけにも行かず、入場制限のため、のろのろとしか
進まない列の最後部につき、ひたすら待つこと20分。やっと入れた
と思ったら、絵の前が黒山の人だかり。
ここはもう開き直って忍耐の二文字しかありません。
やっとの思いで、名画のまん前に立てたときは嬉しさも一入でした。
でもこんな思いをして、素敵な絵との出会いに感動なんかできるのでしょうか?

美術史上にその名を残す伝説的コレクター、シチューキンとモロゾフ。
シチューキンは自分の感性を信じ、マティスやピカソなど、 
当時はまだ無名だった前衛的な作家を支えた事で良く知られていたといい、
一方のモロゾフはセザンヌやボナールなど、穏やかで、装飾的な作品に
ひかれていたと言います。
パンフレットなどに使われた、マティスの「金魚」は、
シチューキンの目にかなったもの。
あの「金魚」の絵を最初に新聞で見たとき、
〈ちょっとネェ・・別に見なくてもいいかぁ・・〉と思い、先に見てきた友達が、
「想像していたより断然、素敵だった」と、
の向こうで話していたにも拘らず、疑問視していました。
しかし、実際に、それを見てビックリしました。
素敵、というよりさすが!すごい迫力!やっぱりプロだ!

いい絵が続々・・私もわくわくの素晴らしいコレクションでした。
特に、初めてお目にかかったウジェーヌ・カリエールの
〈母の接吻〉と、〈指から棘を抜く女〉は、暗い色調の中にも
神秘的な輝きを感じ、すっかりファンになりました。

 ★来年の3月7日から、国立西洋美術館で〈ロダンとカリエール〉展が
  催されるそうで、今から楽しみ。            
 
                                                                
                                                                                                           

    
                                                                                        
石版画や木版画もあり、、ルグランの〈4人の踊り子〉、ルドンの〈光〉
もとても良かったです!
それにしても混み合い、押されながら、大変な思いをしました。
慣れてくると上手く見るコツが解ってきますが、腹が立つこともしばしば。
自分の足場を、白線の前に確保して、じっと見入っている、その前を
歩くおばさんたちが続いたのです。
それ、交通違反ですよ!路肩運転、じゃなく路肩歩きは罰金ものですよ~。
でも誰も何も言わないし、周りは人の山だから、館員も気がつかない。
で、言っちゃいました。小声でやさしく、
「ちょっと、失礼ですが、白線の中には入ってはいけないんですよ・・・
後ろにいる方たちが全く見えなくなりますから。」
効果抜群。
でも聞こえなかったのか、別のおばさんたちは、まだ白線内で、
絵にへばりつくようにして見ています。もう知らない!

私も以前、友達と絵画展に行って言われた事があります。
「うるさいよ!黙りなさい。」って。
私じゃないですよ。友だちが絵画に詳しい人で、解説好きで、
私は内心ハラハラしていたんだから。
                            
                            
満ち足りた、でもやっと解放された~ってな気持ちで
都美術館をあとにして、こんどは、Kimiちゃんから頂いた招待券で
「キアロスクーロ展」を見に、国立西洋美術館へ。
ルネッサンス美術たけなわの16世紀のはじめにドイツで発明された
木版画の技法で、同系色の版を重ね合わせて刷る事で、
微妙な明暗や立体感を表現することに成功し、その技法は
ルネッサンス美術の中心地、イタリアにおいて発展。
技法そのものが、キアロスクーロと言う、イタリア語で「明暗」を意味する
言葉で呼ばれるようになったといいます。
同じ多色木版画である浮世絵版画の国でキアロスクーロ版画を
展示する事は、とても意義のあること、ということで、
今回特別に多くの作品を借りる事が出来たそうです。

ここは先ほどと打って変わってガラガラで、ホ~~ッとしました。
イスに腰掛けて図録を見たりし、バロック音楽がどこからか流れてきても
おかしくないイイ感じの空間。
少ないながらも、熱心に見入っている人、メモを取っている人が
多かったということは、それなりの人たちなのかナァ・・って気がしました。

あと4日で秋が終わるのか・・・。
芸術を堪能しまくったbiancaの、《2005年・秋》 でありました。







 

 

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アートな一日

2005-11-18 | art/exhibit/museum

友だちの友だちは・・・ (その2)                    


(オペラシティーの中の男性の裸像〉考え事しながら歩いてたらぶつかっちゃうよ!

どのように知り合ったのか・・忘れかかっているが、たぶんこうだ。
父の会社の方のお兄さんがたまに行くという食堂だかレストランだか、の板前さんで、ブラジル行きを決めている方がいて、ひょんなことから当座の居場所として、サンパウロにある、会社の寮の一室を使わせてもらえないかと頼まれた。
そしておそらく1ヶ月、あるいは自分の店の開業までの数ヶ月間、アパートに居候していた。
そのⅠさんが、なぜだか覚えていないが、我が家に連れて来たのがN氏夫妻だった。ⅠさんもN氏も、我が家とは何の関係もないのだが、ちょっとしたきっかけで知り合い行き来するようになった。
N氏は美術関係のお仕事をされているお話好きの感じのいい方。
奥さんは彼よりひと回りも若いかわいい美人。
ご夫妻の数年間の在伯中に親しくお付き合い頂き、私たちの結婚時の立会人も引き受けてくださった。とはいっても、よりによってエイプリルフールの日に(私が考案したが、誰も反対しなかった!)、普段着で、近所の教会に行き、誰もいない祭壇の前で安物の銀の指輪を交換し、立会人3人と共にお食事をしただけのことだったが。

こんな事から詳しく書いていたら時間がどれだけあっても足りないのであとは省略。

そのN氏から、東京都現代美術館で行われる
開館10周年記念 東京府美術館の時代 1926~1970と、
東京オペラシティー4階のNTTインターコミュニケーション・センターでの
アート&テクノロジーの過去と未来展の招待券が送られてきた。
1960年代、N氏が、〈時間派
〉に属して活躍していた頃の作品が評価され、この2つの展覧会に、展示される作品として選ばれたのだ。、同時期に、全く異なる組織からお呼びが掛かったという事で、N氏にとってどんなにか嬉しかった事だろう。
私たちも、彼の描いた簡単なものは年賀状などで拝見しているが、作品となると初めてで、とても楽しみだったが、先日曜日に待ち合わせて一年ぶりにお会いし、2箇所の会場を回る事が出来た。
現代美術館では、府美術館時代における、4つの展覧会が再現され、大作ぞろいの絵画には圧倒された。N氏の出品は日本アンデパンダン展での作品の再現だが、もともとは真っ白なビニールのような素材の、大判のシートのようなもの。人々がそれを踏む度に色付いていき、時間の経過と共に、カラフルに変化していく、という実験的なアートだ。
期間中、取替えをしないようなので、行った時にはほぼ全面カラー化していた。

 
★パンフレットに掲載の写真。これは以前のものだと思う。)

「こういうのって、作品として、売ったりする事は難しいのではないかしら?」と聞くと、
奥さんのH子さんは頷き、「1銭にもならないのよ。かえって出費ばかり。」と微笑む。
多くの作品が、その場かぎりの、何も残らない性格の為、制作記録のみを残していくようだが、駆け引きのないアートに対する尽きる事のない関心と情熱がなくては出来ないだろう。

オペラシティーのICCでの作品は、リンク先に簡単な説明があるが、真っ暗なウィンドーの中を見ようと近寄ると、センサーが人に反応して明るくなり、何層にも仕掛けられたたミラーに、手前にある沢山の羽根が空中を舞っている姿が写し出され、幻想的な作品が出来上がる。
しかしながら、アートな感覚で見なければテクノロジーを使った実験の数々の意味や意義を見つけ出すのは難しく感じる。私など、テクノ・・って耳にしただけでも引きたい気分になってしまう。N氏からのお誘いがなければ絶対に行き得ない展示会だったと思う。
が、今回のこのアート展はとても遊び気分で見ることが出来て面白かった。
別のかたの作品で、こちらが碁を打つと、それに反応して影の手が現われ、打ち返す、というのもすごいアイディアだなぁと思った。

パンフレットには:

「新しい映像や音響のメディアを手にしたとき、
あるいはラジオやインターネットの接続に成功したときのわくわくする気持ちは、
今も昔もきっと変わりません。そこには、新しいものへの好奇心だけではなく、
それまでじっとしていた時間や空間が生き生きと動きはじめるような、
見慣れた世界を再発見する悦びがあります。・・・・」 
                                   そう、この私でもよくわかる。

ところで、N氏は一昨年、脳梗塞で倒れ、懸命のリハビリで、外出できるまでにこぎつけたのだ。
お話は一見普通の調子で話せるように感じるが、すぐに言葉に混乱をきたし、言うべき言葉が別の言葉になってしまう。最初は、自分の話す事を皆が理解できない事が理解できなかったそうだ。
今も、家で「作品が見つからない・・僕の作品はどこだ?」というので、何かと思ったら、メガネの事だったり、と、奥さんは常に頭をめぐらせて勘を働かせていなくては意思の疎通が難しいと言う。
今回の展覧会でも、ご本人の説明があればどんなにか良かっただろう。(企画側も望んでいた。)
トークセッションへの出演も出来た筈だ。

あれだけ面白い、お話好きの魅力的な方が、・・・。
どれだけ内心悔しい気持ちでいっぱいか、と考えると、私も悔しくなる。
少しでも以前のように、その豊富な知識を惜しげなく与えてくださるN氏に戻って欲しいと祈らずにはいられない。
人ごととは思えず、いつだれが同じようになるかわからない。そんな年齢にきている。
そのとき、そばに、自分の分身として誰かがいてくれるだろうか?
あ~あぁ、私、もう手遅れかナァ~。

やさしい奥さんで本当によかったですね、Nさん。

 

 

 

 

 

 

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リトリロのおばかさん

2005-10-04 | art/exhibit/museum

今日は息子は夜勤、娘は夕食はいらないとのことで、夜は2人分を用意するだけ。ちょっと気が楽になり、仕事の後に「モーリス・ユトリロ展」を見に島屋まで行くことにした。
お洋服も、バッグも靴も、ずっと買っていないので、こっちのほうも見たいのは山々だが、両方は無理。
6時近くだと会場は空いていて、仕事帰りや画学生風の人たちが多い気がする。
今回は没後50年にあたり、〈白の時代〉の作品を中心に80数点が展観されている。どんよりした空と、抑えた色彩のモンマルトルの風景画は、誰もが見覚えがあると思う。この憂愁感はどうも日本人好みのようだ。父親は不明、母親は恋多き奔放な女性で、ドガ、ルノアール、ロートレックなどのモデルとしても名高かった画家シュザンヌ・ヴァラドン。貧しい洗濯女の私生児として生まれている。
すいているので人に押されることなく、説明文もきちんと読みながら見ていくと、その絵画よりも、彼の生き様に呆気にとられた。中学生のときから、寂しさゆえかアルコールに手を出し、アル中となっていく。(リットル単位でお酒を飲むのでリトリロとも言われたそうだ。)精神病院へ何回も入退院を繰り返し、泥酔すると暴れるので、監禁状態で風景写真の絵葉書を見ながら、全くの独学で絵を描き始めた。絵が評価されてきても、アルコール代のために、二束三文で手放してしまう。
それを見かねた義父(なんと、ユトリロよりも若いのだ!)がマネジャーを買って出て、ユトリロを金蔓とし、絵画製造機械の如くに数多く描かせ、自分達は贅沢三昧の生活をしていたのだ。50代でリュシーと結婚したが、彼女にまで操られてしまっている。
「パリの思い出として、何か一つを持って行かなければならないとしたら何にするか」と聞かれた時、ユトリロは即座に「漆喰」と答えた。
それは、孤独な少年は学校の帰り道に、漆喰の壁にいたずら書きをしたり、落ちた漆喰の断片で遊び、漆喰が唯一の心の通う友達のような物だったから。
建物の漆喰の壁を描出するためには、様々な材料を使用しこだわった。
女性観では、母親のヴァラドンとジャンヌ・ダルク以外の女性には嫌悪感を持っていたともいう。
知れば知るほど古いフランス映画をみているようで、もし、彼がアルコール依存症でなければ、又別のドラマが展開されていただろうと想像してしまう。
解説にはこう書かれている。

彼は本当に風景画家なのだろうか?
自らの孤独を紛らわすもの、自らの孤独を慰めるもの、自らの魂が息づく場所。
ユトリロの絵画、それは風景画ではなく、魂の肖像画である。

リトリロのおばかさん!

         

映画は幕を下ろし、私は現実の世界へ・・・。
デパ地下で2人分のお惣菜を買い、彼へ「今から帰るメール」をし、屋上駐車場にいくと小雨が降っていた。
 ― 姉上様、タダ券を有難うございました。 ―
(☆モーリス・ユトリロ展は10月10日まで日本橋高島屋で開催されています。)

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