自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

ジョン万次郎と福沢諭吉

2018-06-08 18:51:10 | 自然と人為

 人それぞれの人生は、生きた時代がどんな状況であっても、素直で美しい心と好奇心、そして頑張れる能力があれば、その心と能力が人生を豊かにしてくれる。それが人類に求められる常識とすべき理想のはずだ。しかし、その理想を破壊する人類の様々な欲望と他者のために自己の欲望を抑えようとしない利己主義が、世界で闊歩している現実もある。なかでも戦争という現実だけは絶対悪であり、人類に許されることでは絶対にない。戦争は人を殺し、生活を壊し、自然までも破壊する。自然の覇者のつもりで思い上がり、自然を自分の都合で変えることを進歩だと信じている人類だが、その人類に戦争を許す理由など、この世にあるはずがない。この世の決定権は人類しか持たないかのごとき、人類同士のエゴと理屈による戦争を指図する者は、自然界から追放されるべきだ。人類は自然界に生かされていることを、決して忘れてはいけない。

 ジョン万次郎こと中浜万次郎は、文政10年(1827年)1月1日に今の高知県土佐清水市中浜で貧しい漁師の次男として生まれた。9歳の時に父親を亡くし、14歳だった万次郎は仲間5人で漁に出て遭難。数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着し、過酷な無人島生活を生き延びた。漂着から143日後、万次郎は仲間と共にアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号によって助けられ、船長の誘いに応えて、一人だけアメリカに渡る。遭難して生き延びたことは運も大きいだろうが、アメリカに渡ることができたのは、英語も分からなかった万次郎の心と能力が外国人にも認められたからだと思う。少年期の5か月間の運と心と能力が、万次郎の人生を大きく変えることになる。
 
            捕鯨船ジョン・ホーランド号の船長
 
 元船長宅が老朽化し、売りに出されたのを聞いた聖路加国際病院の日野原重明理事長が発起人となり、寄付金を募り、修復がなされ『ホイットフィールド=万次郎友好記念館』として、2009年5月7日に開館。
 
        16歳 小学校 19~21.5歳 捕鯨船の船乗り

 捕鯨船で世界を廻っていた万次郎は、日本の鎖国が遭難した船乗りを助けないことを知り、「私は船乗り達が保護されるよう、日本を開港させるつもりです」と船長に手紙を出している。その志を持って22歳に帰国を決意した万次郎は、カリフォルニアの金鉱で現在の日本円にして600万円の帰国資金を稼ぎ、1851年1月に琉球着(24歳)、1852年7月に土佐に帰る(25.5歳)。日本に着いて1年半も土佐に帰れなかったのは、取り調べがきつかったというより、方言が通じなかったことがあろう。行きも帰りも言葉には苦労したが、素直な心は通じたのではないかと思う。万次郎が土佐に帰国した翌年(1853年6月3日)に黒船来航(2)。日本の、万次郎の、福沢諭吉の将来を大きく変えることになる。
 
 参考: その時歴史が動いた「ジョン万次郎 漂流民の挑戦/鎖国の扉を開け」(動画)
     <ペリー来航>が運命を変えた」ジョン万次郎の挑戦(下)
     ジョン万次郎の生涯(2)(3)(4)(5)
     歴史秘話ヒストリア「ジョン万次郎」(1)(2)(3)
     ジョン万次郎(坂本龍馬人物伝)
     ジョン万次郎に影響を受けた幕末の志士
     「福沢諭吉」と「ジョン万次郎」
     日米交流 2、和親条約と開国
     黒船はどうやって日本に来たの?~捕鯨の街と日本との意外な関係
     ペリー提督、5代目の子孫に感動。涙が出ました。

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」で有名な福沢諭吉は、万次郎が生まれた8年後の1835年1月10日、大阪玉江橋北詰中津藩蔵屋敷に下級武士の次男(末子)として生まれた。数え歳で3歳の時、父が病死したために母子6人(2男3女)は中津に帰り、長男の三之助(万次郎と同じ年)が家督を相続した。
 福沢諭吉が漢学の勉強を始めたのは人より遅く14,5歳からというから、万次郎が漁師として海に出て遭難したころから勉強を始めたことになる。諭吉は漢学で頭角を現し、万次郎は捕鯨船とアメリカで英語とアメリカを実地に学んだことになる。

 福沢諭吉の『天は人の上に人を造らず』は、「門閥制度は親のかたき」と叫んだ福澤の生涯をある意味で象徴した言葉と言われ、「アメリカ独立宣言」に由来している。福沢諭吉がアメリカ独立を紹介した『西洋事情』は慶応2年(1866年)で、明治改元(1868年)の前に出版されている。『西洋事情』初編二p6左(コマ番号5/54)には次の言葉がある。「天の人を生ずるは億兆皆同一轍にして、之に附与するに動かす可らざる通義を以てす。即ち共通義とは人の自から生命を保し自由を求め幸福を祈るの類にて、他より之を如何ともす可らざるものなり」と。この現代語訳は幸福雑記 福沢諭吉に紹介されているが、日本国憲法13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」にも通じている。憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」


 参考:福澤諭吉の生涯
    西洋事情
    福沢諭吉の儒教批判(1)(2),(3)(4)
    哲学の私情は立国の公道
    「知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男」の品格(1)(2)(3)
    福沢諭吉「天は人の上に人を造らず」で門閥制度を嫌った啓蒙思想家
    孔子は働く人の水先案内人
    福沢の思想には儒教的な所がかなりある
    福沢諭吉の家族愛
    福翁自伝
    福沢諭吉の生涯

 日本国憲法は国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄の「三つの基本原理」を持つ。明治憲法のもとでは天皇が国の主人公(主権者)だったが、国民が自ら主人公となった。また、戦争が国内外に多くの犠牲者を出したことへの反省から、戦争の放棄をうたった。

 しかし、その憲法は戦後の占領下に総司令部(特にマッカーサー)に押し付けられた「押し付け憲法」なので自主憲法を制定すべきを党是とする自民党議員たちがいる。彼らの自主憲法とは日本の伝統の明治憲法に帰れというものと、日本の独立のために自衛隊を軍隊として認めよというものだが、自衛隊は朝鮮戦争の1950年,日本の治安維持と防衛のためマッカーサーの指示により設置した「警察予備隊」を起源としている。日米同盟で自衛隊をアメリカのために戦わせたい意図と日本の独立とは矛盾する。戦争を前提にした考えと戦争放棄も矛盾する。戦争犯罪のA級戦犯から解放され日本の首相になった岸信介が「安保条約改定」「自主憲法制定国民会議」(2)を創設したのも、「アメリカのためになることが日本のためになる」ということだろうか。
 NHK番組「憲法・70年の潮流」(動画)があるが、NHKは憲法を守ってきた歴史を称賛しないで、何を根拠に改正させたいのか? と私は思った。本当の国民のための政治がされているだろうか。福沢諭吉が怒っていた門閥政治が、現代でも日本を危うくしている。今、日本の政治は国民支配に向かっていて危ない。
 参考:自由なき自主憲法か、自由ある占領憲法か

 ドイツのヒットラー政権は戦後の賠償とインフレに対する不満から、個人の自由と責任から逃れたドイツ国民が求めたという。エーリッヒ・フロムによって1941年に発表された『自由からの逃走』は、「ナチズムに傾いていくドイツ国民とそれを先導した独裁者の心理状態を詳細に説明」している。「天は人の上に人は造らない」が、強欲な政治家や国民という集団は「人の下に人を造る」。集団の動きに個人は弱い。現代の日本は国民の不安からというより、国民を支配したい強欲な政治家が官僚やメディアを支配している。どうか日本では個人の自由と責任と美しい心を忘れないでいただきたい。このことはいずれ書き残さねばならないと思っているが、ここでは話題がそれ重い問題になるので資料だけを紹介させていただく。
 参考:民主主義は独裁者を生み 独裁者は民主主義を破壊する
      ~ヒトラー・トランプ・安倍政権に共通する思考~
    戦後日本のコントロール
    「憲法と安保法制」2015.6.15(動画)
    安保法案「憲法違反」:安倍政権「独裁の始まり」「バカ殿を許すな!」
    安倍首相の祖父・A級戦犯岸信介の正体(前)(後)
    【妖怪・岸信介の子孫】安倍 × 加計の蝕害/加計孝太郎も岸の孫
      2010年(平成22年)2月2日
       ①「頑張れ日本 全国行動委員会」結成集会
       15:17~ 安倍晋三の基調講演(動画)
    日本国憲法の誕生
    (教えて 憲法)GHQに押しつけられたの?

 現在の憲法がアメリカに押し付けられたものであろうとどうであろうと、国民にとって良いものは良い。嘘を嘘で誤魔化そうとする政治問題から大学問題まで、今のこの国の支配者の堕落は目を覆うばかりだ。美しい心のない者に、国民のための美しい憲法は作れない。


初稿 2018.6.8


最新の画像もっと見る

コメントを投稿