自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

情報システムの統合としての意識と幻覚

2015-11-04 14:52:07 | 自然と人為
 主義主張の違い、意見の対立を統合情報理論(動画)で説明したら面白いと思う。このブログを書く際にも、今、何に関心を持っているか、何を語りたいかで頭に浮かぶ構想が揺らぎ、精緻になっていくこともあれば、無知な部分を調べたり、まとまらず方向が変わっていくことも多い。意識とは脳の情報のネットワークをその時の関心で自己システム化することで、松岡正剛氏はこれを編集と言われている。

 この情報の自己システム化作業、編集にあたって自己の情報を補填するために、博物学 (博物誌)があり、辞書があり、百科事典があり、本草学があり、今ではインターネットでの情報検索がある。

 自己の情報は自己の経験により形成されるので、その時代の文明と生い立ちによって大きく影響される。”すべてが一つの世界”に住む森の哲学者達、文明は人を自己家畜化し自己孤立化するのでこれを遠ざける農の哲学者アーミッシュの人々、文明の進化を目標としている我々、キリスト教やイスラム教、仏教の影響下にある人々、生きている環境によって世間で常識とされるものの見方は違っているだろう。

 前置きが長くなったが、ここでは「人は目だけではなく、脳でも見ている」ことを教えてくれたオリバー・サックス氏のことを紹介しながら「意識」について考えたい。もちろん私の専門は「生きること」で、素人として考える材料を提供しながら皆さんと一緒に考えていきたいと思っている。

NHKスーパープレゼンテーション 「TED:オリバー・サックスの解説部分」
TED:オリバー・サックス「幻覚が解き明かす人間のマインド」 英文字幕

 著名な神経科医で作家のオリバー・サックス氏が、今年の8月30日にがんで82歳の生涯を閉じた。医者であり、科学者であり、小説家でもあったオリバー・サックス氏は、両親が医者であることから医者の道を歩んだが、研究テーマと向き合うというよりも人間と向き合うことで、脳科学の前進にとってもノーベル賞級の研究成果をあげている。

 「松岡正剛の千夜千冊」ではオリヴァー・サックス著『タングステンおじさん』を紹介し、彼の子供時代は何にでも興味を持つ「モーラの子」であったという。そして松岡氏自身の子供時代を懐かしみ、冒頭で「ぼくの子供時代は、家のなかの部品のほぼすべてが見えていたのである。そしてこれに、『あっ、電球が切れたみたい』とか『あっ、停電だ!』とかが加わって、一家の夜の出来事が突如としていっそう濃密な神秘の予兆になっていたのだ。」と家電の部品が目に見えた時代を懐かしんでいる。

 今や家電は電子回路が組み込まれて便利にはなったが仕組みは分からなくなった。インターネットの普及で私の子供時代には想像もつかなかった世界が拡がっているが、マイコンをプログラムで動かしていた時代には仕組みが少しは分かり、プログラミングが論理的思考の教育に役立つと思っていた世界は遠くなってしまった。

 しかし、全てが見える世界から見えない世界になる一方で、見えない世界が見える時代も近づいている。脳科学の発達により意識の仕組みが見えるようになってきた。意識しても無意識でも脳は心臓のように働いている。意識下で想像する場合もあれば、無意識下で夢も見る。脳が勝手に働く幻覚もある。意識下で人が優劣を競争したり猿よりは偉いと思っていても、脳の神経ネットワークは猿も人間も同じ脳からそれぞれの時代に適合し進化 (2)してきているだけであり、優劣を競うこと自体がナンセンスである。

 自分の主張が正しいと信じていても、それは神経ネットワークの統合の際に、どこかの回路が集団の共鳴現象で強く反応しているだけで、全体をモーラ(網羅)して見ると、誤った情報のネットワークの回路ができてしまっているかも知れない。聞く耳を持たずに他者を非難する前に、他者の言葉に耳を傾け自己の情報ネットワークを点検してみる謙虚さが必要であろう。

 競争で心身ともに鍛えられるという日本の精神論は間違っているのではないか。優れた仕事をしている人は、他者に勝つのではなく自己に勝とうと努力している。他者がいて自己も生きられる。競争よりも共創の素晴らしさを子供時代から身に着けさせたいものだ。

参考:
オリヴァー・サックス「音楽嗜好症 (ミュージコフィリア) ―脳神経科医と音楽に憑かれた人々」
世界的な神経学者「死への恐怖を隠すことはできない…」

初稿 2015.11.4

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