旅はまだ終わらない(旧構造有機化学研究室)

構造有機化学研究室(1992-2023)のホームページを引き継いだものです。

横川駅と鉄道文化むら

2019-11-25 12:10:17 | 鉄道と航空機

     

横川駅に隣接して「碓氷峠鉄道文化むら」がある。 ここは、信越線の旧横川運転区があった場所で、横川から先が廃線になったため空き地となった場所である。 

     

     
以前は、ここから軽井沢方面に鉄路が伸びていた。

この横川駅は、1997年の北陸新幹線開業に伴い、ここから軽井沢方面が廃止されたため、規模の大幅縮小とともに終着駅となっている。 

     

今では、1日の運転本数も非常に少ないローカル駅になってしまった。 

     

     

構内にも、アプト式線路も展示してあった。 

     

     

     

鉄道文化むらは、1999年にオープンした施設で、何と言っても、あの「アプト式鉄道」の歴史を知ることができる場所である。 

     

     

碓氷峠を挟む11.2キロに、26のトンネルと18の橋梁を建設し、鉄道が開通したのは1892年である。 最初は、ラック式の蒸気機関車が導入されたが、26のもトンネルを通過するため、現実的ではなかった。 そのため、1912年に日本初で電化区間が完成し、それに伴いアプト方式の電気機関車が使用され始めた。 

     

     

     

     

     

     

     

その後、1963年に新線が建設され、この年に、アプト式を用いた登坂は終わっている。 この時期には電車や電気機関車の性能は急速に向上したが、それでも66.7%の勾配には対応できず、そのため、全国でもここだけにしか見ることができなかった補助電気機関車を連結しての運転であった。 

     

主にEF63型が使用されていたこの連結運転、私も学生の頃、見に行ったことがある。 特に、通常で電車特急を2両のEF63型の姿は圧巻であった。 ちなみに、下り勾配でも、ブレーキの関係で連結は必要であった。 

     

     

北陸新幹線は、この峠部分を、碓氷峠トンネルを用いて越えているが、それでも勾配30%ある。 あの最新の新幹線でさえ、この勾配を登るためには、E2系の特別車両が必要で、九州新幹線で使用されている車両では対応できない。 いろいろ学ぶことができた資料館であった。 その一角に国鉄時代の鉄道網地図を見つけた。 改めて、廃線になってしまった路線の多さに驚かされた。

     

From Face Book: Railway heritage park and Yokokawa station.

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