大学院入試の第二回募集の試験が行われた。 特に修士課程の学生募集をこの時期に行う必然性はないような気がする、これも日本のシステムの硬直性の表れであろう。 1名でも応募があれば、試験を行う必要があり、ほんとうに無駄な労力である。
卒論発表の練習を行った、この時期、なにかと行事が多いので、練習を見る時間の捻出も大変である。 長いようで短い1年間の研究成果のまとめである。 もちろん結果も大事であるが、いつも言っているが、研究にはストーリーが重要である。 それにしても月日が流れるのはほんとうに速い、明日から3月である、日暮れも遅くなり随分と暖かくなった。
我々の行っている構造有機化学の分野は、基礎的な研究が主体である。 個人的には、大学は、やはり基礎的研究の場と認識しているが、昨今の短期的な成果を求められる風潮の中では、そればかりではやっていけないのも事実である。 よく、「この研究は、私たちの生活にどのように役だつのでしょうか?」と聞かれるが、なかなか具体的な事例を説明できないのも事実である。
そんな時、現在、背振山系に計画されている国際リニアコライダー(ILC)の説明会で、以下のような質疑応答が行われた。 答えられたのは、KEK(つくば高エネ研)の藤本先生である。
Q:ILCという素晴らしい設備を使って得られるものが私たちの生活にどう役だってくれるのでしょうか?
A:はい、私がお答えします。今ここで具体的な例を挙げてお答えすることはできません。でも、私は楽観しています。
なぜなら、人間は法則を発見すれば、必ず工夫を凝らして、課題を解決したり新しい発明をするからです。
人類が生まれきてずっとそうでした。人は重力の法則を知れば直ぐにどのようにしたら空を飛べるかを考えます。
その証拠にCERN(欧州原子核研究機構)ではWorld Wide Webやグリッドコンピューティングやタッチパネルや抗体医薬など数々のイノベーションが生まれました。
だから今、ILCがどんな夢の技術を生み出すかを私はあなたに具体例にお話しすることはできませんが、少しも心配はしていないのです。
答えになったでしょうか?
A:よくわかりました。ありがとうございました。
そう、まさに我々は、有機分子の特性(法則)を探索しているのである。 素晴らしいお答えである。
これまでにこのブログにアップした写真の数が、ちょうど6000枚になった。 まさに写真日記である。 紙に書いた日記は、時間とともに消えてなくなるが、このようなネット上のブログは、将来、一体どうなるのだろうか。 私がもうアップできなくなっても、ずっと残っていくことになるとは思うが、不思議な世界である。
前期日程の入学試験が行われている。 今日は、学内の工事等が中止されているため、静かなキャンパスである。
今後、18歳人口の減少が増々進み、留学生増も全く期待できない現状を考えると、現在のような選抜方式がいつまで続けられるだろうか? 何となく先が見えているような気がする。
私の実家があった近くに、普段は閑散とした小さな神社「猿田彦神社」があるが、ここが年に一度、とんでもない行列ができる日がある。 これは、福岡市内の住宅の玄関などでよく見かける猿のお面を購入するための長蛇の列である。
このお面の由来は、サルは“去る”に通じ、「災いが去る」「幸福が訪れる」として、このお面を戸口に掛けて縁起をかつぐ風習のようである。
また、その年の最初の庚申(かのえさる)の日に買い求めることができる。 “庚申”とは「十干」、「十二支」の組み合わせのひとつで、 「十干」の“庚(かのえ)”と 「十二支」の“申(さる)”の組み合わせで、2013年の初庚申は、2月23日であった。
毎年、購入しているが、今年は用事があって昼過ぎに並んだが、約2時間待ちだった。 これだけ科学が進んだ時代なのに、私も含めてだが、こういうものを求めようとする人間や日本人とは何なんだろうかと考えてしまう日でもある。
3月23日から交通系ICカード10種類の相互利用を始まる。すなわち、10種類のカードのどれかを持っていれば、全国どこの鉄道でも乗れるようになる。 共通化する交通系ICカードは、Kitaca(JR北海道)、PASMO(東京メトロや関東私鉄系)、Suica(JR東日本)、manaca(名古屋交通開発機構とエムアイシー)、TOICA(JR東海)、PiTaPa(関西私鉄系)、ICOCA(JR西日本)、はやかけん(福岡市交通局)、nimoca(西日本鉄道)、SUGOCA(JR九州)で、福岡関連が3種も入っている。 これまでも、相互使用できたが非常に複雑だった。 例えば、SUGOCAでJR東日本の路線は乗れるが、東京メトロの路線は乗れなかった。 ところがSuica(JR東日本)では、もちろん東京メトロや関東私鉄系の路線に乗れる。 結局、東京出張では、Suica、大阪出張では、ICOCAを持参していた。
それにしても凄い時代になったものである。 券売機の前で路線図とにらめっこしながら、切符を購入していたことなど過去のものになってしまった。 間違いなく、世界最大の規模であろう。
修士論文の発表会が行われた。 修士2年間のまとめであるが、やはり発表にはストーリーが必要である。 これがないと聞いている人は、なかなか理解できないし興味を持てない。 また専門外の人にわかるようなプレゼンテーションができないと、社会に出てからも苦労するだろう。
江上君
岸君
焼谷君
横尾君
恒例の3年生向けの研究室紹介が行われた。 これは、3月に行われる卒業研究配属のために、応用化学関係16研究室の先生方が、研究内容や研究方針について説明する機会である。 応用化学科内でも研究内容が広範囲に亘るので、 どの研究室を選ぶかは今後の専門にも影響してくる。 それにしても、随分と親切な時代になったものである。 我々の学生の頃の教授の先生方は、「配属などそんなこと勝手に自分で判断しろ」ということだった。
修士論文発表会の練習を行った。 2年間のまとめであるが、スライドを見ながら、まだまだやるべきことがたくさんあるな、と感じるのはいつものことである。
北海道周遊券で、まず思いだしたのが、オンネトー、オコタンペ、東雲である。 特に、オンネトーは訪れる前から、その響きに魅せられていた。 あの頃は、もちろん計画などなく、気に入った場所には長く、また、知り合った友達からの噂で、あちらこちら気ままに移動したものである。 オンネトーは、阿寒国立公園内にあるのだが、雌阿寒岳と阿寒富士を背景に湖面の色の移り変わりがあまりも美しく、4,5日は滞在したような気がする。 冬場は凍結する湖である。 ちなみに、オンネトーとは、アイヌ語で、「年老いた沼」という意味らしい。 もう一度、あんな旅に出たいものである。
この3月でJRの周遊券が全廃されるらしい。 もう利用者がいなくなってきたのだろうか。 学生時代、特にお世話になったのが北海道周遊券である。 有効期間が20日から1ヶ月くらいで、値段も3万円程度だったろうか、とにかく、これさえあれば、急行を利用する限り、福岡から北海道一周して戻って来られた。 何度か利用したのが、急行「きたぐに」で、定かではないが、大阪を夜の10時頃発車して、次の日の夕方の5時頃青森に着いたような記憶がある。 今の学生諸君には考えられないだろうが、約19時間、それも周遊券利用なので普通自由席であった。 特に辛かったということもなく、今では経験できないようなことばかりであった。 また、北海道内には、確か「まりも」、「大雪」、「利尻」という夜行急行があり、これに乗ると、宿代は浮くし、移動ができるということで意味もなく利用していた。 まさに青春だった。 ふと思い出したが、忘れもしない「桃岩荘ユース」や「岩尾別ユース」は、今はどうなってしまったのだろうか。 遠い、遠い青春のひと時であった。 時間を作って、青春18きっぷで北海道まで行ってみよう!
JR博多シティ9階にあるすき焼、しゃぶしゃぶ、日本料理の専門店「人形町今半」に行ってみた。
このは、「人形町今半」は明治28年(1895年)本所に創業者半太郎が牛鍋屋として創業したそうで、何と100年以上の歴史がある店である。
一番有名なすき焼きを食べてみたが、肉の柔らかさ、味、食感、どれをとっても、非の打ちどころがなかった。 もちろん、安くはないが、たまには、普段と違うすき焼きも良いものである。 ただ、隣りの中国人観光客が食べ散らかしていたのには、正直言って呆れ返った。 やはり民度の違いだろうか。
アメリカン航空とUSエアウェイズとの合併計画が発表された、成功すれば世界最大規模の航空会社となる。 USエアウェイズは、日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、あのニューヨークハドソン川への不時着したのが、このエアラインで、保有機材360機、就航都市250都市という大航空会社である。 ちなみに日本航空の保有機材は200機強である。 しかしながら、何と言っても大きなインパクトは、アライアンスの変更であろう。 現在、USエアウェイズは全日本空と同じ「スターアライアンス」に加盟しているが、合併後は脱退し、アメリカン航空や日本航空と同じ「ワンワールド」のメンバーで加わるということである。 個人的には、日本航空が所属している「ワンワールド」でマイルを貯めているので、アメリカ国内線の利用範囲が広がるのは嬉しい。
箱崎界隈は、学生時代ほんとうにお世話になったが、九大箱崎キャンパスも工学部が移転し、また鹿児島本線の高架化、箱崎駅の移転、大規模な区画整理のため、昔の面影はほとんどなくなった。
そんな場所に、ふと懐かしい作りの店(古いというわけではないのだが)を見つけたので、さっそく入ってみた。
木枠の窓越しに狭い大学通りを見下ろすと、30年の月日が逆戻りしたような気分で落ち着く場所である。
店は多くの人で込み合っていた。
これまた懐かしい4本脚のテレビ