いよいよ12月を迎え、この時期の風物詩となっているイルミネーションをあちらこちらで目にする。 3月に開業した博多駅もその一つであり、福岡市の玄関口として華やかである。
ただ、節電の冬という側面もあることも事実である。
博多かるたを購入した。 これは博多を語る会が編集したもので、絵と文字は地元では著名な金太夫氏である。
博多(福岡)は、今も独特な文化が生きており、若い人達にも受け継がれている。 将来も大事にしたい日本の文化である。
ついでに御船山楽園にも寄ってみた。 ここは第28代武雄領主の鍋島茂義が約3年をかけ1845年に完成した庭園で、ここも紅葉の名所なのだが、やはりいま一つであった。
ただ、池の水面に映る紅葉は素晴らしかった。
来年の紅葉に期待しよう。 もう冬も近い。
1年の中で、紅葉の時期9日間だけ一般公開される佐賀県神崎の「九年庵」に行ってみた。
とにかく有名な場所なので物凄い人であったが、今年は秋口が温暖だったせいか、紅葉は今一つだった。
色づく前に枯れてしまいそうである。
ただ、抜けるような青空とのコントラストは見応えがあった。
推薦入試が行われた。 一人約30分の面接試験を行い、その結果で合否を決めるのだが、このようなやり方は、そろそろ限界に来ているようだ。
私が所属している博多祇園山笠西流奈良屋町二区の忘年会が行われた。 私にとっては、最も大事な忘年会である。 来年は5年に一度の西流の当番町なので、いろいろな意味で重要な年となる。
山笠の仲間と飲む酒は、いつもそうであるが、非常に美味しい。
最後には、祝いめでたと手一本
十割そばが食べられるということで、太宰府天満宮の裏手にあるそば屋に行ってみた。
ちょうど九州自然歩道の宝満山登山口の近くにある店であるが、中に入ってみると、何だか田舎の親戚のおじさんの家に行ったかのような感じで、生活感一杯で、とても飲食店とは思えない。 ユニークなそば屋である。
味は、十割そば特有の歯ごたえがあって美味しかった。
宝満山は数回登ったが、こちらからは登ったことがないので、次回、挑戦してみたい。
地元ソフトバンクスホークスが日本シリーズを制して日本一になった。 今年は、他の11球団すべてに勝ち越しての完全優勝である。 こんな時、やはり地元球団の存在は有難い、知らない人どうしが一緒になって応援し、喜びを分かち合えるのは、こんな時ぐらいである。 それにしても、今回、孫オーナーの言動には好感が持てた、野球に関してど素人のじじいが、選手やコーチの人事に口出すどこかの球団とは大違いである、衰退する活字媒体の会社と伸びていくIT産業の違いを象徴しているようで面白かった。
現在、同じ会社に勤務している林田君(平成18年3月 修士修了)と坂井君(平成19年3月 修士修了)の二人が来室してくれた。 二人とも研究職で頑張っているようである。 来年度の新規採用の時期には、またお世話になるであろう。
九大百年という写真展も覗いてみた。
今の学生諸君には想像もできないだろうが、全学連のデモ隊により封鎖された福岡市中心部の天神交差点 今の学生を見ていると、良い悪いは別として、政治や社会に対して意思を示すエネルギーなど持ち合わせていない。
教養部前を走っていた路面電車、今では地下鉄に置き換わっている
教養部時代のサークル棟、戦前の建物であった。
研究室配属後、毎晩のように通ったスナック
母校のホームカミングデーが行われるということで行ってみた。 既に6回目だそうであるが初めての参加である。 九大も新キャンパスへの移転が進み、我々が過ごした箱崎キャンパスも近いうちに消え去る運命であることから、30年前、まさに青春を謳歌した地を訪れた。
その中で興味あるニュースを見つけた。 教養部地区にあった亭々舎が復活するプロジェクトがあるそうである。
この亭々舎は教養部六本松地区の学内にあった、まあ端的に言うとコンパができる古い建物である。 ほとんどの学生が未成年である教養部キャンパス内にこのような施設があることなんて、今だと非難の嵐だろう。 旧帝大のばんから気質とともに、社会もおおらかな時代であった。 ほとんどの新入生は、ここで、酒の洗礼を受けた。 私も例外ではなく、最初のコンパでは、完全に撃沈され、気づいたら、近くの大濠公園の一角で寝ていた。 靴も片方がなかった。 とにかく、最後は鍋の残飯が飛びかい、多くの学生が庭の池に落とされ、ずぶ濡れになることが日常茶飯事であった。 今、思うとよく死人が出なかったものである。 そんな由緒ある建物も教養部閉鎖とともに取り壊されたが、それが、新キャンパスに復活するらしい。
大正、昭和と日本の激動の時代を見てきた建物群
昔と全く変わらずキャンパス真上を飛ぶ航空機
今週末は学園祭ということで、学生諸君は何やら忙しそうである。 このようなイベントを廃止している大学もあるそうだが、内容の是非はともかく私の経験からも、学生時代の一つの思い出となるであろう。
最近、このような集団行動に参加できない学生も増えてきている、そちらのほうが問題である。
北朝鮮で行われたサッカーの試合で見られた、国歌「君が代」に対する無礼行為、動員されたであろう「観客」による威嚇的行動、また選手やサポーターに対する卑劣な扱い、どれをとっても、日本に対する敵対行動丸出しである。 こんな軍事独裁国家がすぐそばにあり、日本の平和憲法など、何とも思っていないどころか、自分達にとって、こんな都合の良いものはないとほくそ笑んでいるように思えるのは私だけだろうか。
中学時代のクラブの顧問の先生が亡くなられていたことを、久しぶりの同窓会の案内で知った。 男子バスケット部に所属していたが、夏休み、午前中は体育館で練習、夕方からシュートの練習で、またグランドに出かけていっていた頃のことが思い出された。 九州大会まで残ったが1回戦で負けてしまい、あっけなくバスケット生活が終わってしまった日のことは、今でも覚えている。 もう40年も前のあつい日であった。
博多駅のホームから改札へ降りる場所に本学の大きな電光掲示板がある。 どの大学も受験生獲得にしのぎを削っており、このような宣伝もその一環である。 確かに、受験生の倍率は、大学間で一番比較しやすいものだろうが、18歳人口が減少していく中で、このような国内の競争には、おのずと限界があることは間違いない。 大学も、世界に開かないと生き残ることはできない。
その反対側には、県立である福岡女子大の広告である。 やはり違和感を感じる。