翌日の帰りの便は夕方だったので、海軍司令部壕跡に向かった。 ここは、沖縄戦での組織的戦闘が、事実上終結した場所である。
450mほどの司令部壕で、米軍の猛烈な艦砲射撃の中、持久戦を続けるための陣地でもあった。
また、海軍司令官であった有名な大田海軍少将が、幹部6名とともに昭和20年6月13日に自決した場所である。
彼らが自決した幕僚室も復元されて手榴弾の破片も残っており、戦後65年の歳月が逆戻りしたような場所である。 この場所にたって何か心に響くものを感じるのは、私だけだろうか?
国立大学法人機器・分析センター会議は、全国の国立大学法人の分析センター関係の先生方が集まり、現状の問題点等を議論する場である。 予算が削られる中、最先端の機器の導入がだんだんと難しくなってきている。 と同時に、少数の大学に過剰に集中してしまっているのも問題である。
懇親会
懇親会での余興 来年は岡山大学で開催される。
ランチは、繁華街の適当な店に入って大好きな沖縄そばを食べた。
メニュー内容もこちらとは随分と違い面白い、写真がなかったら内容がほとんどわからないであろう。
たまたま沖縄地方の方言を紹介していたが、間違いなく方言の域を越えている。
第14回国立大学法人機器・分析センター会議に出席するために、沖縄に向かった。 実は本会議は昨年の11月に予定されていたものであるが、季節はずれの台風の影響で延期されていたものである。 数年ぶりの沖縄である。 機材はJTAのB737-400で福岡から1時間40分ほどで那覇空港に到着した。 あいにくの雨であったが、春の暖かい雨で、非常に寒い福岡から来ると、一気に3月後半になったようであった。
応用化学自由研究の発表会が行われた、これは1年生に自由にテーマを選んでもらい、それについて調べ、まとめたものを発表するものである。 企画自体は悪くないのだが、ネットからそのまま引用したものが多すぎるような気がする。 ネット上の情報は間違いも多いので、その点の見極めが大事である。
福岡地方は、ほんとうに寒い日が続いている。 昼間も温度が上がらずに底冷えがする。 ちょうど、ロサンジェルスの友人から連絡が入り、気温は28度とのこと。 ほんとうに羨ましい。 そう言えば、2月に半袖でBBQを楽しんでいたことを思い出した。 やはり、老後は南カルフォルニアで過ごしたいものである。
私が1年生だったある日の早朝、機動隊が教養部の学生会館に突入し、占拠していた学生を排除したことがあったが、今の大学の平和なキャンパスを眺めていると、同じ大学で起きたこととは想像もできない。 キャンパスの一角に学生に不法占拠された場所があったが、それも、日常の光景であり、特に違和感は感じなかった。 学生運動自体は下火であったが、三里塚闘争の真っただ中であった。 彼らの主義主張は、ある意味、発展し続ける豊かな日本という枠内のものではあったが、全く政治の話ができない昨今の学生を見ていると、不安になってしまうのは私だけだろうか。
35年という月日の流れは予想以上で、教養部周りにたくさんあった下宿屋もほとんどなくなり、ワンルームマンションになってしまったようである。 構内に亭々舎(?)というコンパができる古い木造家屋があり、言葉では表現できないような無茶な飲み会を繰り返したものである。 しかしながら、よく考えるとほとんどの学生が未成年の教養部で、よくあんなことが許されていたものだと不思議に思ってしまう。 今では、学園祭から酒も消え、ちょっとした飲み会でもやりにくくなってしまい、某大学では、許可制になっているらしい。 確かに、褒められたことではないが、社会全体に、何か余裕やゆとり、寛大さがあったような気もする。
九州大学の教養部跡地の解体工事が始まった。 今では懐かしい響きとなってしまった教養課程、入学後の数年を、学部にほぼ関係なく同じ場所で学べる機会でもあった。 とにかく厳しい受験が終わり、突然、自由な時間と大学生という肩書、そして18禁からの解放が得られ、大人の仲間入りでありながら、社会的責任の少ないという、まさにモラトリウムであった。 青春という言葉がもっとも相応しい時間でもあった、まあ、学生は勉強はしない、教官も仕事をしないという理由で、全国、ほとんどの大学で解体されていった教養部であるが、今、思うと、単に懐かしいということ以外にも、所謂、教養すなわちレベラルアーツを学べる時でもあったような気もする。
福岡県議会ではいまだに喫煙が認められているらしい、新聞によると、「副流煙による健康被害といっても医学的根拠がない」などとアホなことを言っている県議がまだいるそうである。 まあ、自分が吸いたいためだけの屁理屈であろうが救いようのないオヤジである。 ちなみに、ハワイの学会で宿泊したホテルは、バーも含めすべての場所が完全禁煙であった。 ハワイのリゾートホテルより、福岡県議会のほうが文化的レベルが低いことは、恥ずかしいことである。
工学部の建設社会工学科のI先生の研究室と、ひょんなことから共同研究を始めることになった。 これまでとは、全く縁のなかった景観という分野との共同研究であり、目新しいいことも多く、非常に勉強になるのと同時に、今後の展開が楽しみである。
正月中のほんとうにくだらない多くのテレビ番組の中で、唯一輝いていたのは、NHKが放送した南米大陸を陸路で旅するするツアーを紹介したものであった。 Kumuka Worldwideというツアー会社のものであるが、114日間、大型トラックを改造したものを利用して、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ベルー、エクアドルを回る。 費用は、約1万ドルなので、85万円くらいだろうか。 期間を考えると高くはない、約4割がキャンプである。 真に旅の醍醐味を味わえることは間違いないだろう、何とか参加したいものである。 一応、18-55歳という制限もあるようだが、テレビでは、退職後に参加したニュージーランド人男性もいたので、まあ、融通はきくのであろう。 いずれにしても、これまた、体力と英語力のアップが必要である。
応用化学科の新年会である。 どうも最近、年末はなかなか日程の調整がつかず、忘年会の機会がない。 どの先生も随分と多忙になったような気がするが、それに比例して、本来の仕事がはかどっているかというと、これまた疑問である。
大学が法人化されて7年になるが、法人化以来、中期目標・中期計画の作成が義務づけられ、膨大な量の書類作成になっている。 確かに、ある程度の目標を設定すること自体は悪くはないが、とにかく、事項が細かすぎる。 すなわち、目標、計画作成に、あまりにも多くの労力が注がれ、評価されるべき本体に関わる時間がとれないという本末転倒な事態も生じつつあるようである。 さらに、問題は、学内の各種委員会が主体となって、中期目標・中期計画を作成しているが、この委員会のメンバーが、ほぼ毎年交代するということである。 つまり、計画した人は、多くの場合、評価される時には、部外者となっている。 言いかえると、結果に対して何ら責任をとる必要がないということである。 これでは、美辞麗句的な計画が並びかねない。