活気のあるフランクフルト中央駅である。
列車運転本数も多く、日本と同じくらい正確なダイヤで運行しているようである。
ICEとTGV
ICEも在来線も同じ軌道なので、どこにでも基本的には運行可能である。 さてドイツでは、ほんとうに英語が通じる、こちらも当たり前のように英語で話しているが、よく考えると外国語である。
中央駅地下のSバーンのホーム、ここは主に近郊電車が発着している。 通勤時間帯なのに、自転車を積めるようで、これまた、日本では考えられない。
ルクセンブルグは、人口44万人の小国である。 ドイツ、フランス等の大国にはさまれ、覇権主義に翻弄された歴史を持つが、現在では、欧州の金融センターとして機能しており、国民の平均所得は非常に高いそうである。
ノートルダム大聖堂
パリで作られたステンドグラス
アドルフ橋
大公宮
憲法広場の女神像
ルクセンブルグで開催されたISNA-13に参加した。 International Symposium on Novel Aromatic Compounds の略である。 カナダで行われた第7回大会から、毎回参加している。
講演風景
ポスター発表
コブレンツからIC336に乗り換えて、モーゼル川沿いにルクセンブルグへ向かった。
今回は、ヨーロッパ特有のコンパートメント型の車両であったが、これも非常に空いていた。
田園風景を眺めながらのビールは最高である。 シェンゲン協定により、ヨーロッパ内では、旅行者にとっては国境という概念はなくなった。
約2時間でルクセンブルグ中央駅に到着した。
フランクフルト空港駅9時57分発のICE1126でコブレンツへ向かった。 この駅の造りはドイツ的で機能的である。 構内放送が全くなく、非常に静かなホームで日本の新幹線ホームの喧騒とは随分違う。
次から次とドイツ版新幹線が入線してくる。
速度は日本の新幹線より遅いが、車内のゆとりは雲泥の差である。 シートもゆったりしているが、それ以上に、とにかく車内が空いている。
このような点が、表には現れないゆとりというものだろうか。 また、頼めば、サービスでビールや食事も運んでくれる。
駅弁と缶ビール片手に満員の新幹線に駆け込むのとは、これまた大違いである。
ライン川沿いを走る風光明媚な路線であった。 電線のない町は美しい。
コブレンツ駅
次のフライトが深夜なので出国できないこともなかったが、噂の広大なトランジットスペースを探索することにした。
とにかく凄い、三つのターミナルがスカイトレインという無人電車でつながっており、とても制限エリアとは思えない。
数えきれないショップ、レストランはもちろん、ホテル、プール、スポーツジム、サボテン庭園と何でもありである。
さらに、深夜まで大勢の人で賑わっている。 成田空港など全く比較にならない。
日本には絶対ない施設。
福岡空港からシンガポール航空665便でシンガポールに向かった。 機材はB777-200である、777シリーズでは比較的古いものである。 6時間弱のフライトでチャンギ空港である、土用の丑の日にちなんで機内食として鰻が出された。
いよいよ15日である。 山笠行事最後の追い山が行なわれた。 午前2時に詰所集合なので、ほとんど徹夜状態であった。 櫛田神社に向かい、その後本番の始まる午前4時59分まで待った、幸い風もあり爽やかな夜であった。
行事内容は、12日の追い山ならしとほぼ同様であるが、距離が長くなっており、廻り止めは須崎町というところになっている。 我々の町内(奈良屋二区)の分担舁き場所で待機する必要があり、残念ながら西流の櫛田入りを見ることはできなかった。
早朝の博多の街を、約30分で廻り止めまで駆け抜けた。 その後当番町町内まで山笠台を運び、「祝いめでた」を唄い、手一本が入った後、西流恒例の山崩しが行われた。
詰所に戻り、今年最後の直会が行なわれた。 今年の山笠の話題で盛り上がり、ここでも、「祝いめでた」と手一本で締めくくられた。
全ての行事が終わった後は、詰所の後片付けである。 ここでも、皆、ほんとうに協力しあって最後の仕事が終わった。
睡眠不足と疲労はあるが、心地良い疲れとともに、今年も山笠が終わった。 素晴らしい仲間と共に、毎日過ごした1週間、私にとっては、ほんとうに心の糧となっている。 今の社会、こんな時間を過ごせる場所など他には見つからない。 また明日からいつもの忙しい日々が始まるが、また彼らと再会できる日まで、頑張っていこう。 いよいよ、博多の街にも夏がやってくる。 オッショイ。