せっかく終着駅の若松駅まで来たので、この界隈を散策してみた。 実は、若松駅から洞海湾に面する海岸通りは、他の街ではなかなか触れることができない独特の趣きがある地区で、「若松バンド(bund)」と呼ばれている。
駅前から少し歩くと商店街にぶつかるのだが、ご多分に洩れず閑散としている。
ここ北九州に限らず、ほとんどの地方都市の典型的な情景になっている。 このような場所を歩くと、世界3位の経済大国の姿も感じられず、押し寄せる人口減少、高齢化の大波を乗り切れるのか、非常に不安ではある。
商店街から海岸に抜けると、「ごんぞう小屋」にぶつかる。 「ごんぞう」は、まだ機械化される前、石炭を船から陸への荷揚げ荷下ろしを行う労働者のことであり、当時の過酷な労働が偲ばれる。
また、そばには荷揚げ等に使用したと思われる雁木が残っている。
少し歩くと、石炭会館という古い建物が見えてくるが、明治38年(1905年)の建造で、今も使われている。
さらに海沿いに進むと、非常に華やか建物が目に入る。 旧古河鉱業若松ビルで、大正8年(1919年)に建てられたものである。 レンガ造り二階建てのルネサンス様式の建造物である。
そして、時を遡ったかのような雰囲気の建物がある。 この上野ビルは、三菱合資会社の若松支店として大正2年(1913年)に完成し、ドイツ製の煉瓦で建造されているとのことである。
隣接して建っている切妻造の煉瓦倉庫には、よく見ると三菱の社章が残っていた。
さらに若戸大橋を仰ぎ見る場所にあるのが、これまた歴史を感じさせる栃木ビル、このビルは大正9年(1920年)に建設された鉄筋コンクリート造である。
このそばには、出入船舶見張り所跡もある。
そして、少し歩くとわかちく資料館がある。 これは民間会社の若築建設(株)の3階にあるにある資料館であるが、この地域の石炭産業の歴史を非常に詳しく解説されており、非常に見応えのある素晴らしい内容になっている。 入場無料である。
最後は、この時代、良く存続しているなあ、と感心させられるのと同時に、まだ動いている姿を見ると嬉しくなってしまう若戸渡船である。 約130年の歴史のある渡船で、ここ若松から本学がある戸畑まで、約3分で結んでいる。
運賃100円、冷たい風に吹かれながらのわずか数分の船旅であるが楽しいひと時であった。
戸畑渡し場から戸畑駅まで歩き、再び折尾駅に向かった。 電車、船の運賃、そして昼のうどん代を合計しても1000円程度であったが、私にとっては、紛れもなく“旅”である。 何も、遠くの知らない場所にお金をかけて行くことだけが、“旅”ではない。 ふだん使っている道でも、いつもとちょっと違う角で曲がって欲しい。 そこには、きっと新鮮な光景が目に飛び込むだろう。 さらに、いつも歩いている道を逆に歩くだけでも、随分と違う感覚があるものである。 それもまた、小さな“旅”である。
From Face Book: I was just walking around Wakamatsu bund.