じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

内野さんメモ

7/5 5:20~ TBS「THETIME,」
   10:25~ TBS「ひるおび」
   13:55~ TBS「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」
   15:50~ TBS「Nスタ」
   18:30~ TBS「『二宮孝太郎』✕『それSnow Manにやらせて下さい』合体SP」
7/6 9:30~ TBS「王様のブランチ」午前の部
7/7 13:30 TBS「今夜初回!日劇「ブラックペアン2」&明後日初回火ドラ「西園寺さん」開幕超直前SP」
   19:00 TBS 「バナナマンのせっかくグルメ」
   21:00 TBS「ブラックペアン」放送開始
10月 芭蕉通夜舟 東京公演
    映画「八犬伝」公開
    芭蕉通夜舟 地方公演(群馬)
11月 芭蕉通夜舟 地方公演(宮城・岩手・兵庫・愛知・大阪)
    映画「アングリースクワッド」公開

臨場 劇場版

2012-08-29 12:24:09 | 内野さん映像のお仕事(連ドラ)


夏の終わり~ なーんて思わず歌ってしまう今日この頃……ってか、まだまだ残暑が厳しくて、いや厳しすぎて生きているだけで精一杯というのが本当のところだったりするのですが(苦笑)まだきちんと書いていなかったのでね~~つらつらと書いておこうと思います、臨場劇場版の感想。

観たのは全部で5回、、、本当はあと1回倉石さんに会いに行きたかったのですがそれは機会があればまた 正直言って映画というのは何だかな~という気持ちが最初はあったのですが(やっぱり舞台みたく一期一会の思いのやり取りの方がいいので)今回の映画はちょっと違っていたんですよね~~観る度に感じるものが違ってて観劇しているような感じ。ある時は倉石さんが背負ったものの切なさや哀しさだったり、ある時は留美さんや永嶋君、一クンの中に根づこうとしている倉石さんの生き様だったり、またある時は大切な人を失った遺族の真の思いだったり「償う・贖う」ことの意味だったり……その時々の感情や置かれている環境によって少しずつ違う思いのやり取りができた作品だったと思います。おかげでテーマが重いからという理由以上の理由でヘトヘトになってしまいましたが

サスペンス的な部分のみで物語を捉えるなら“普通”だった……かな 2時間モノ、連ドラ、海外サスペンス、刑事物が好きで結構見てたのでね(笑)今どき流行りの展開で言えば、安永教授or仲根管理官、または仲根管理官経由で2年前の事件には波多野進以外に黒幕がいたとか、やっぱり浦部さんが真犯人でやむにやまれぬ事情があったとか……まぁ結局安永教授が犯人ということでキャスティング的にも最初から明らかじゃん!という流れだったわけで、見る側がひょえ~ となるような凝ったストーリーに比べると普通すぎて別にねぇ という感じだったのは本音デス。突っ込みどころも満載だったし~~クライマックスに向けて全キャスト大集合的な派手派手しい終盤とか、最後の最後でホラー映画みたく波多野が復活して襲ってくるところとか、倉石さんが不死身なところとか、何だかターミネーターというかヲイヲイだった252のラストが頭を過ったような

でもね、、、この作品の魅力は謎解きを楽しむ推理物という部分ではないと思うのよね~~見るべきはそこに描かれた人間ドラマ、それも決して気持ちの良いものではなく、そうかといって後味の悪いものでもなく、何とも言えない切なくて哀しくて、でも優しくて、だけど重い、そんな人間の真実をしっかり描き出していると思いました それぞれの登場人物の過去だったり、当時or現在の気持ちは詳しくは明らかにされないんですよね~~連ドラ登場人物に関してはある程度の下地があったりするので慮りやすいけど明確な気持ちを定義づけるような余計なセリフはないし、映画がお初の登場人物に関しては説明がないのでイマイチ不親切なところがあるとは思うんだけど、じいはそれで十分だと思いました。最近は何でも逐一説明しないとすまされない過保護な創作物が多すぎ!世の中がそうなっているところもあるんだろうけど、あーでもない、こーでもないと余白に悩むことを楽しまないと面白くないですからねぇ 決して100%理解することはできない人間の営みや心模様と向き合える素晴らしい作品だと思いました

人の思いや生き様の真実は当人にしか分からないことで、たとえ一番身近な家族であっても100%それを理解することはできない。浦部さん然り、直子さん然り。それはとてつもなく深く悲しいことであり、切なくも温かくもあると思うんですよね。直子さんが倉石さんに話したことは物凄~~く心に響きました……というかここまで残された者の心を表現するとは!!!決して良い子ではなかったこと、家庭崩壊の寸前だったこと、今もまだ残された家族は家族として存在していること、世の中は事件のことは忘れて進んでいるのに前に進めないこと、それでも生きていかなければならない現実、、、「最後の声を聞かせてください。私たちがこれからも生きていけるように」というのは“残された者”のきれいごとではない心の叫びだと思うんですよね。世間がよく口にする「乗り越える」「~の節目」なんてものは通用しないし、これほど無責任で冷たい言葉はないと思うんですよね~~って個人的な思いも含んでいるけれど。だからこそ 大切な人を理不尽に奪われた人の気持ちを一番よく分かっている倉石さんや永嶋君は何も言わなかったのではないかと思ったんです。どんなに言葉を重ねてもそれは全て嘘になってしまうこと、どんなに優しい言葉を投げかけても真に救われることはないこと……そのことを誰よりも分かっているからこそ言わなかった、、、言えなかったのではないかな~~と。「俺の仕事は死者の声を根こそぎ拾うだけだ」とだけ言った倉石さんの姿に彼の生き様と強さ、真の優しさを感じました。

以下、箇条書き。

・仲根管理官もまた刑事魂を持っていると思う。墓地で泣き崩れた直子を見る悔しそうな眼差し、立原が浦部に言った「その男にもまた家族がいる」というセリフが突き刺さる。

・終盤に留美さんたちが捜査一課にくってかかる場面、安永の検視場面で立原さんたちが倉石さんを見つめる視線は、すべてを知っていて検視官としての生き様を貫こうとする倉石さんを認めようとしているように感じる。途中に留美さんが倉石さんに休んでください云々を言うシーン、、、病気のことを知っていたのではないか?永嶋君が留美さんと言い争うところは倉石さんを尊敬しているゆえの焦りや葛藤、愛情の表れなのではないか。

・安永教授と倉石さんの共通点と道を違えたもの、、、人間は神になろうとしてはいけないという戒め、泥臭く生きることができるかどうか。倉石さんが直子に言った「俺は今まで多くの死者の声を聞いてきたが、それで救おうと思ったことは一度もない」というセリフに映し出されているのではないかと思う。

・市毛さん演じる山下医師、病院のあの異様な雰囲気、、、波多野は遺族への謝罪さえも快楽の対象にしているように見えた。それを知っていた上であのような振る舞いだったのか、本当に気づいていなかったのかは分からないが、山下医師たちの無意識の罪があるのではないかと感じた。

・倉石さんは人が背負わなくてもいいものまで背負ってしまうところがある。冒頭の雨のシーンはそれを表現しているように感じた

・償う/贖う……キリスト教的要素がある?劇中に出てくるステンドグラスの絵や羊を持つキリスト像でふと頭に過るものがある。「神は一人子を与えるほどに世人を愛した」(ヨハネ福音書3章)という言葉、、、決してきれいごとではないということ。
コメント
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