じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

内野さんメモ

9/24 読売新聞夕刊(東京本社版)インタビュー掲載
9/26 週刊文春CINEMA!2024秋号(文春ムック)
9/27 男の隠れ家11月号(三栄)
9/28 LDK11月号(晋遊舎)
9/30 13:05~ NHKラジオ第一「まんまる」出演
10/3 八犬伝ジャパンプレミア
   映画『八犬伝』オフィシャルBOOK(KADOKAWA)
10/7 週刊ポスト10/18・25号(小学館)
10/11 8:15~ NHK総合「あさイチ プレミアムトーク」出演
10/13 7:30~10:25 日本テレビ「シューイチ」出演

10/14~26 芭蕉通夜舟 東京公演
 ≪地方公演≫
  10/29 群馬 11/2 宮城 11/12 岩手 11/16 兵庫 11/17 丹波篠山 11/23~24 名古屋 11/30 大阪

10/16 モノマガジン11/2号(ワールド・フォト・プレス)
    DIME12月号(小学館)
10/19 Cut11月号(ロッキングオン)
10/21 FLIX12月号(ビジネス社)
10/24 STEPPIN' OUT! WINTER 2024(幻冬舎)
10/25  映画「八犬伝」公開
10/26 八犬伝 公開記念舞台挨拶(全国中継あり)
11/22 映画「アングリースクワッド」公開

にもかかわらずドン・キホーテ

2011-07-08 21:36:18 | 観劇記
6月8日マチネの観劇記です。

~あらすじ~

その朝ドン・キホーテは、呼ばれて目を覚ました。自分がドン・キホーテらしいということは、起こしに来たサンチョ・パンサがそう呼んだので、そうなんだろうと思ったのだ。ただサンチョ・パンサの方も、前の晩ドン・キホーテに、「明日の朝早く起こしてくれ」と頼まれた時そう呼ばれたので、自分はサンチョ・パンサなのだと思い込んでいるだけなのだが・・・。かくてドン・キホーテらしきものと、サンチョ・パンサらしきものは、身支度をして旅に立つ。何故なら、朝早く起こしてくれと前の晩にわざわざ頼んだのは、旅立つ予定があったからに違いないからだ。しかし、どこへ、何をしに・・・・・・?そうなのだ、この旅は、どこへ、何をしに行くのかを確かめるための、誰とも知れないものの旅日記なのである。(文学座HPより)

去年の秋以来のアトリエ観劇。去年の公演は全て舞台が真ん中で両ブロックに客席という感じだったのですが今回は普通の配置。久しぶりだな~~相変わらずのパイプ椅子は腰に堪えましたが、まぁ休憩なしの1時間40分なのでギリギリってところかな~

基本的にはあの有名なドン・キホーテ じいは子供の頃に読んで以来ですね~~今だと別のドンキの方を先に思い出してしまうのですが(笑)ただ、狂気と正気の設定が逆転していて、今回のお話では「その朝、突如としてドン・キホーテは正気をとりもどした」ことになっています。登場人物に役名は存在してなくて、男1・2や女1・2という感じの抽象的な設定になっていましたが(別役作品ではお馴染みらしいですね~)そこは演じる力がきちんと備わっている役者陣!むしろ変な色づけしていないことで様々な想像や思考を掻き立ててくれるので凄く凄~~く楽しめました 役者さんたちの間合い、ボケとツッコミが良い意味で昭和のコントみたいで芳醇な味や空気を醸し出していたし。それにドン・キホーテという作品の性質に合ってたんじゃないかな~と思いました。「お前が俺をドン・キホーテと呼ぶから俺はそうなんだろう」「皆がサンチョ・パンサだというから俺はサンチョ・パンサなんだ」……何だかアイデンティティに纏わる哲学的な話にもなりそうな設定ですが、後から外付けで名前を付けるところが面白味を出していて良かったです 身近なところでもありがちなことではないかと。。。周りがイメージする自分、そうなってほしいと期待される自分、なりたいと思う自分、そして本当の自分。劇中でドン・キホーテがサンチョ・パンサに鏡を持ってこさせて自分の顔を映す場面があるのですが、そこに映っているのは自分の顔……「多分」そう。真実がどこにあるのか、永遠の課題なのかも~と終始感じながら観ていました。

ドン・キホーテ&サンチョ・パンサ「ということになって」不正を正す旅に出る二人。途中で檻に入れられた男に遭遇。きゅうり畑の持ち主と名乗ったこの男を檻から救出してやるものの、この男は空腹のあまりきゅうりを盗んだドン・キホーテとサンチョ・パンサを糾弾。でも、実はこの男がきゅうり泥棒で檻に捕えられていたのを二人が助けたことになってしまった。自分たちを責められないと言う二人に、この男は「きゅうりを盗んだ自分を逃がしたことは罪だ」と反論されてしまう。結局不正を正した?のはコレだけで旅立つ前に居候していた宿屋に戻ってきてしまい、宿屋の主人とおかみさん、その周りの人たちは困ってしまう。実はドン・キホーテとサンチョ・パンサに仕立てて追い出したのが彼らだったから。しかも、この宿屋の主人とおかみさんは宿泊客を殺して金品を奪う悪巧みを考えていて、客に毒を盛って殺しちゃうし、そのことに薄々感づいている牧師さんや宿屋の使用人の女性は気づかないことにしているし、その悪巧みがあらわになるきっかけになるのは、きゅうり泥棒の男の妻が犯していた枕荒らしだし、更には宿泊客に盛った毒を準備した風車小屋の主人は不倫の恨みがあってあわよくばその宿泊客を殺せたらと狙っていたり……もうぅ~~何が何なのか分かんなくなるほどのハチャメチャな状況なんだけど、その一つ一つに深いものがあるような気がしたんですよね~~しかも、みんな罪深すぎじゃ~~ん と思う中で事態が飲み込めなくて右往左往しつつも的確なボケとツッコミを入れるドン・キホーテとサンチョ・パンサ……何げに一番純粋なのでは?と思いつつ何とも滑稽というか(笑)他の人たちは“薄々”感づいていたのに気づかないふり、それどころかあわよくばおこぼれに与ろうとしているのも人間の真実を映し出しているようで滑稽。

本当に悪いのは誰なのか 不正を正すこととは何ぞや 最後は騎士道精神に目覚め貫くために(この作品では狂気を帯びてしまったことになる)、悪魔に見立てた風車小屋に突っ込むドン・キホーテとサンチョ・パンサ。周りの人たちにとっては狂気染みた行動だけど実はまともに見えたり…… 狂気染みたことが真実であるなら、ドン・キホーテとサンチョ・パンサが騎士道精神に目覚めて風車に突っ込んだことも、犯罪を見て見ぬふりをして器用に生きる他の人たちも真実ということになる。どちらが正解なのかは分からない。分かるようで分かりにくい、分かりにくいようで分かりやすい、人生や世の中ってそんなものかもしれないな~と。。。
コメント
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