あび卯月☆ぶろぐ

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「NYタイムズ」にみる日本に対する無知と不理解

2006-09-29 00:53:15 | 政治・経済
 安倍氏はまず靖国参拝の自粛を~NYタイムズ、社説で注文


 27日付のニューヨーク・タイムズは「安倍晋三のアジアのチャレンジ」と題した社説を掲載し、新首相が最初にすべきことは「小泉前首相がとった靖国神社参拝という挑発的行動を続けないと宣言することだ」と指摘した。
 「日本の繁栄と安全保障のため、巨大な隣国との正常な関係ほど大切なものはない」と前置きして、首相が、悪化した日中関係の立て直しに努めるべきだと強調した。

 全文は次の通り。

 日本の安倍晋三新首相が小泉前首相と同様の人気と成功を獲得したいのであれば、過去の誤った政策と別れを告げる大胆さも必要になる。最優先課題が悪化した中国との関係の修復であることは明らかだ。
 日本の繁栄と安全保障において、巨大な隣国との正常な関係ほど重要なものはない。醜い、しかし遠い過去のものである日本の侵略と戦争犯罪の歴史が、それを邪魔している。小泉政権の最大の失敗の1つは、こうした歴史を故意に美化する行為が、政府の不正や弾圧行為から国民の目をそらすためにナショナリズムをあおりがちな中国の指導者たちを利してしまったことだ。
 安倍首相は、こうした破壊的な原動力から日本を救い出す必要がある。その第1歩として、戦犯の霊がまつられた靖国神社の参拝という小泉氏の挑発的行為を継承しないと宣言するべきだ。靖国問題、そして日本軍の侵略行為を正直に取り上げない歴史教科書の問題は、第2次大戦後に米国が押し付けた平和憲法の改正をめぐる議論とともに、現代の軍事問題への対処を困難にしている。日本が憲法を改正すべきでない理由はない。しかし、最初に歴史問題と隣国との関係改善に着手しない限り、改憲はアジア各国に好意を持たれないだろう。
 日本には、活気ある民主主義や回復した経済をはじめ、小泉前首相が着手し、安倍首相がさらに進める必要がある困難だが不可欠な経済改革など、誇るべきことが多い。そんな国が、近代では最も暗い時代、そして逸脱行為の責任を負う戦犯たちを美化する必要はない。(ニューヨーク・タイムズ特約)
更新2006年09月27日 18:53米国東部時間



前回の記事で特定アジアや日本の反日勢力の歴史認識を批判した。
特定アジアや反日勢力の日本や歴史に対する態度は、
無知、無理解の他に意図的に歪曲、捏造、改竄しようとする意思が感じられる。
が、圧倒的に無知と無理解に基づいて日本を批難する勢力がある。
この「ニューヨーク・タイムズ」などはその代表的な例だ。

彼らは日本に対して無知で無理解であると同時に、
日本の歴史や文化について知ろうともしていない。
この記事では「日本の侵略と戦争犯罪の歴史が」という一文がそれを如実に表している。
彼らは支那事変が起きた詳しい経緯などおよそ知りもしないで書いているのだ。
そうでなければ、上のような知的に怠惰な言い方はしないはずである。

日本文化や社会情勢についての無知、無理解は地下鉄サリン事件の時、
NYタイムズがこの事件をどう報じたかを知るといい。

ここにソースを掲示出来ないのが残念だが、
地下鉄サリン事件が起きたとき、NYタイムズは
「日本の神道の過激派が起した事件」と書いた。
日本人が読めば誰しもが噴飯するであろうが、彼らは本気だった。
が、しばらくして、流石に誤りに気づいたのか(あるいはクレームがついた?)、
「日本の仏教の過激派が起した事件」と訂正した。
しかし、これも変な認識である。

日本人の多くは「オウム真理教」を正当な仏教団体とは思っていないし、
そもそも、日本に仏教や神道の過激派など存在しない。
「いや、ホラ、あの団体があるではないか」と言う方も居られようが、
あれは仏教やキリスト教の仮面を被った新興宗教団体に他ならない。

NYタイムズに限らない。
欧米人の日本に対する認識などおよそこのようなものである。
そんな欧米のマスコミが例えば今回のように靖国参拝を批判した記事を書くと、
日本のマスコミは鬼の首を取ったの如く「アメリカ様がこう仰っている」と
彼らの尻馬に乗って日本を批難する。
しかも、普段、反米を謳っているマスコミに限ってこういう記事を最大限に利用しようとするからお笑い草だ。

日本の文化歴史をろくに知りもしない手合が書いた日本評論など
およそ価値の無いものであることは小学生でもわかる道理ではないか。
少々言葉が過ぎたが、日本人は保革を問わず欧米からの言葉に弱い。
特に親米保守などはアメリカが本気で靖国神社に文句を附けてきたら
今日からでも反靖国派になりかねないと思うが勘ぐりすぎだろうか。

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蛇足:
「オウム真理教」は一般に仏教を基礎とした宗教団体だと言われているが、
正確には仏教ではなくイスラム教とヒンドゥー教が融合したインドのシク教を基礎として様々な宗教の技法を取り入れている。
例えば、「グル」や「ポア」などの用語はすべてシク教の用語である。

特定アジアと歴史認識

2006-09-29 00:52:27 | 政治・経済
支那や韓国のマスコミは日本に対して常に批判的である。
いや、マスコミに限らず、かの二国は(北朝鮮を含めると三カ国)いづれも強固な反日国家である。
反日であることは彼らのアイデンティティであると言ってよいし、
中国共産党にとっては反日は支那を纏める重要な道具であると同時に党の存在理由に他ならない。
が、その反日の論理のほとんどが歴史や日本文化の無知と無理解の上に成り立っている。
(中国共産党は知っていてやっている感が否めないが)

ところで、今、ネット上ではこの反日三カ国を「特定アジア」という言い方が流行っている。
私は徒にかの三カ国を刺戟、ないし侮蔑する類の言葉を使うことは潔しとしないが、
この「特定アジア」という言葉は非常に便利な言葉であるし、
別段、差別的な意図はなく、親日国が多いその他のアジア諸国と区別する意味で、今後、使いたいと思う。

さて、この特定アジアだが、
国家レヴェルで反日をやっている間は日本と理解し合える日は来ないだろうし、
特定アジアが反日をやめる日など到底、来そうにない。

問題はむしろ、日本国内で特定アジアの主張に乗って反日をやっている勢力があるということだ。
誤解の無いように書いておくが、反権力・反政府であることは一向に構わないと思う。
最近の右翼は権力に擦り寄る者が多いが、
本来、政府のやり方に納得出来ないというのは左右(保革)の別はない。
しかし、反日勢力の問題点は日本国の歴史を歪曲、捏造、改竄してることだ。

歴史認識とは国ごとに異なるものであるし、主観を排した歴史などありえない。
が、史実は一つなのである。
もちろん、史実を確実に証明することは難しいことであるが、
少なくとも、あらかたの事実確認は出来る。
南京事件を例にとるならば
「支那人を三十万人虐殺した」というのであれば出鱈目である。
同時に「日本兵は南京で一切、支那人を殺していない」というのも出鱈目である。
私は小規模の虐殺はあったと思うし、そういう詳細を客観的に検証してゆくのが歴史学というものであろう。

いうまでもなく、特定アジアや日本国内の反日勢力は
歴史を客観的に検証しようとせず、歪曲し真実をゆがめている。
いや、これは反日勢力に限ったことではなく神がかった国粋主義者にも見られる傾向だが、
一般的にマスコミが垂れ流す歴史観というのは反日的であることは疑い様がない。

今後、特定アジアの歪んだ歴史観を訂正させることは無理であっても、
少なくとも日本国内において自国の誤った歴史観をしらみつぶしに質すことが必要だと思う。

・・・以上のような主張にナショナリスティックな匂いを嗅ぎ取り目を顰める向きもあろう。
が、最近、思うことは靖国問題にしろ国旗国家問題にしろ根底には近現代の歴史観、歴史認識問題が横たわっているということだ。
靖国問題や国旗国家問題の意見対立は結局のところ歴史認識の相違であると思う。
右派の歴史認識がすべて正しいと言うつもりは毛頭ないが、
かといって、今、一般的に流布されている歴史観が客観的で且つすべて史実に基づいたものかといえば、「そうではない」といわざるを得ない。
やはり、戦後、日本の歴史は明らかにゆがめられたと思う。

近年、歴史を見直そうという動きが活溌になってきた。
マスコミは最近、日本が右傾化していると喧伝しているが、
それは、歪められた歴史観から脱した人が増えている証拠ではないだろうか。
歴史の解釈は何通りあってもいい。
しかし、捏造、歪曲、でっち上げは許さないという態度が最も大切であろう。

そういえば、安倍首相に対し「歴史認識を示せ」という議論がある。
一見、もっともであるが、安倍首相に歴史認識の発表を求めるのは
初めから自分たちの歴史認識と異なることを知っていて、
「その歴史認識は誤りだ」と批判しようという魂胆からに他ならない。
ただ、私も安倍総理は歴史認識を発表するべきだと思う。
それでマスコミから叩かれようが特定アジアから批難されようが、
己が正しいと思うのであれば認識を曲げず、反論し、意思を貫くべきだ。

そして、国民も安倍総理が言ったからといって、それが正しい歴史認識だと思う必要はない。
政府の公式見解をすなわち正しい歴史だなどと思うことは愚の骨頂。
国民の歴史認識を時の権力者が決定するなど危険極まりないことだ。
そんな国は特定アジアだけで充分である。

丹波哲郎さん死去

2006-09-25 21:54:37 | 歴史・人物
「砂の器」「Gメン75」丹波哲郎さん死去

 映画「砂の器」やテレビドラマ「キイハンター」などで知られる俳優の丹波哲郎(たんば・てつろう、本名・正三郎=しょうざぶろう)さんが、24日午後11時27分、肺炎のため亡くなった。84歳だった。
 告別式は30日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。連絡先は杉並区西荻北4の6の2の丹波哲郎オフィス。喪主は長男で俳優の義隆(よしたか)氏。
 中央大学卒業後、新東宝に入社し、1952年にギャング映画「殺人容疑者」でデビュー。長身と彫りの深い顔で悪役として注目され、61年の今村昌平監督「豚と軍艦」のやくざ役で存在感を示した。
 その後も、篠田正浩監督「暗殺」、小林正樹監督「怪談」、佐藤純弥監督「組織暴力」など時代劇から現代劇まで幅広く活躍。中でも74年の野村芳太郎監督「砂の器」では、事件を解明していく人間味豊かな刑事役を好演した。最近では2000年の山田洋次監督「十五才・学校(4)」の老人役で演技派ぶりを発揮。豪快な中にもどこかとぼけた味のある演技が絶妙だった。

(読売新聞) - 9月25日20時8分更新



丹波哲郎さんが亡くなった。
去年頃、週刊誌のグラビアで丹波さんのかなり痩せた姿を観て、
体調を案じていたが、やはり随分悪かったのだろう。

私は「自己紹介」にも書いているが丹波哲郎は大好きだ。
あの独特な雰囲気と型にはまらない姿勢がたまらなく好きだった。
霊界の話や数々の奇特な伝説がますます私を丹波好きにさせた。
映画『ねじ式』でも「このセリフはアドリブなんだろうなぁ」と思わせる演技が何とも言えなかった。
丹波哲郎のような俳優はもう日本から出てこないだろう。

丹波さんは霊界について語るとき、
「行って来たんだから仕方がない」「見て来たんだから仕方がない」と言っていた。
曰く、霊界では皆、若返って二十歳前後になり、念じるだけで家も立つ夢のような世界なのだと。
そして、死んで霊界に昇ってゆく時の気持ちについては、誰もが「もう!ウキウキ気分!」になると説いていた。

きっと丹波さんはウキウキ気分で霊界に昇っていったに違いない。

国旗・国家強制は違憲?

2006-09-22 22:39:19 | 政治・経済
・東京都立高校などの教職員が都と都教育委員会を相手に、入学式や卒業式で国旗に
 向かって起立し、国歌を斉唱する義務がないことの確認などを求めた訴訟の判決で、
 東京地裁は21日、国旗国歌の強制は許されないとして請求を認め、斉唱しないことなどを
 理由とした処分を禁じた。
 職務命令による精神的苦痛の損害賠償として、原告全員に対する1人当たり3万円の支払いを
 都に命じ、原告のうち音楽科教諭には、国歌のピアノ伴奏義務がないことも確認した。
 国旗国歌法の制定後、国歌斉唱などの強制を違法と認定した司法判断は初めてとみられる。
 原告と弁護団は「極めて画期的な判決。教育基本法改悪にも歯止めをかける」との声明を
 発表した。(一部略)
 http://www.shikoku-np.co.jp/national/main/article.aspx?id=20060921000343

・難波裁判長はまず「日の丸、君が代は第2次大戦終了まで皇国思想や軍国主義思想の精神的
 支柱で、現在も宗教的、政治的にその価値が中立的なものと認められるまでには至っていない。
 信仰に準じた世界観、主義、主張から国旗掲揚や国歌斉唱に反対する人は少なからずいる」と指摘。
 また「国旗国歌は強制するのではなく、自然のうちに国民に定着させるというのが国旗国歌法の
 趣旨であり、学習指導要領の理念」との解釈を示し、国旗国歌を強制する通達や職務命令は
 「教育基本法が禁じた教育への不当な支配に該当する」と認定した。(抜粋)
 http://www.ehime-np.co.jp/news/kyodo/20060921/ky2006092101000557.html



なんだかなぁ、という感じです。
都立高校というのは公立高校ですよね。
そこで働く教師は公務員でしょうから、いわば国家の公僕なわけです。
その人たちが国の象徴である国旗や国歌を否定するというのがどうも解せない。
私が国旗国歌を否定する立場だとしたら決して公務員になりません。
国歌は嫌いだけど、国から金は貰うってどういう自己矛盾なんだか。
親離れ出来ない子供が親の悪口を言っているようなものです。
「いや、教師になりたいのだ」というのなら私立学校にゆけばいい。
私立高校なら国旗国歌を都から強制された場合、違憲の可能性もありうる。
しかし、公立高校なら国旗国歌を強制するのは当り前のことでしょう。
こういう当り前のことを当り前に出来ないのは日本ぐらいのものです。

それに、「特定の思想を押し付けている」とか言っているようですが、
特定の思想を押し付けているのはあなた方左翼教師だ、と言いたい。
階級闘争史観と日本悪玉史観に基づいて日本および日本の歴史・文化を否定し、
反日反米親中親朝鮮のイデオロギーを押し附けているのではないですか?
いや、今時そこまでの左翼教師は珍しいのかもしれませんが(笑)、
それにしても国旗国歌を否定するのは明らかに特定の思想を押し付けている。
自国の国旗国歌を肯定するのと否定するのでどちらが偏った思想かよく考えてみて欲しい。

日教組のせいで戦後の教育と教育現場は惨憺たるありさまになりました。
話によると、この都立高校は授業がまともに出来ないくらい風紀が乱れているそうです。
左翼教師が多い学校ほど生徒が荒れているという話はやはり本当なんですね。
人権とか個人とか権利とかばかり言って子供がマトモになる道理はないんです。
なぜ、そういう当り前の道理が左翼教師にはわからないのか。
そういえば、私が中学の頃も左翼教師が担任をしていたクラスほど荒れていました。
左翼教師はマトモに授業が出来るようになってから国旗や国歌に文句附けたらどうか。
まずは職責を果たしてから文句を言うべきです。

はっきりいって国旗国歌の問題は憲法問題ではなくて、常識の問題だと思います。
少なくとも普通の国では。

そういえば、報道ステーションで興味深い映像が流れていました。
インタビュアーが都立高校の生徒に「今回の件についてどう思うか?」という質問をしていたのですが、
その生徒の答え・・・

「日本国民なんで国旗国歌は普通にやればいいと思う。」

なんだ、生徒の方が大人じゃない(笑)
それにしても思う。
「左翼教師は幼稚だなぁ」と。

「昭和天皇の大喪の礼」の裏話

2006-09-21 17:27:55 | 歴史・人物
私が受講している「政治学特講」の講師の先生が元外務官僚の方であることは今までに何度も述べましたが、
今日、久々にその講義を受けてまた興味深い話をうかがいました。

今回は昭和天皇の大喪の礼について。

当時、先生は外務省の役人として大喪の礼を担当、補佐したのだそうです。
外務省ですから、世界各国から弔問に訪れた各国の要人を迎え入れる仕事を担当されたのですが、
その時、一番大変だったことは何だったでしょう。
勿論、各国から元首級の来賓を迎えるわけですから、それだけでも色々と大変そうですが、

一番大変だったこと・・・それは「トイレ」でした。

「なぁんだそんなことか、仮設トイレを沢山用意しなければならないから大変だったんだろうな」と思った方。
それは間違い。仮設のトイレを沢山用意することが大変だったのではありません。
では、何が大変だったのか。

実は元首級の方々には当然、王様も沢山いらっしゃいます。
で、その王様というのは体の大きな方が多い。
特にトンガの王様などは本当に体が大きい。
尾篭な話でありますが、そういう方は普通のトイレだと用を足せないのです。

そういう次第で、体の大きい方用のトイレを用意しなければならなかったのだそうです。
そこで、体の大きい人のサンプルが必要だったので当時現役力士だった小錦関を呼びトイレを設計したということでした。
外務省の役人はこんな仕事もするんですね。


さて、もう一つ裏話を。

大喪の礼の際に各国の要人がみぞれの降りしきる中参列している映像や写真を御覧になった方は多いと思います。
テントの中で皆、寒そうでありました。
さて、あの要人方の並び方にはきちんとした基準があります。
一番前の列は国家元首。二列目は首相。三列目には外相やそれに準じる地位の方。
元首というのは一般に王様や大統領がそれにあたります。
さらに列ごとの並び方は在位(在任)期間が長い順に右から並ぶというしくみ。
つまり、最前列の右端が「上座」というわけですね。

ところが、当時、アメリカのブッシュ大統領は在任して一ヶ月たらずだったので、
最前列の最も左に位置することになりました。
同盟国であるアメリカの元首を下座に迎えるというのは如何なものかということになり、
最も右とは言わないまでも右の方に坐らせることになりました。
そして、そのあたりに位置する元首に頼みにゆくと、
「ここは私の席だ!」となかなか譲ってくれない。
それでもなんとか頼み込んでブッシュ大統領を右方に坐らせることに成功したそうです。

いやはや、あの大喪の礼の際にも国際間のさまざまな駆け引きがあったのですね。

「外務省の裏話が聴けるのはこの講義だけ!」ということで、来週も楽しみです。
また、面白い話が聴けたら御報告いたします。

安倍新総裁誕生

2006-09-21 00:40:40 | 政治・経済
今日、安倍晋三さんが自民党の総裁に選任されました。
同時に次期総理も安倍さんに決まったわけです。

いろいろ言われていますが、私は岸信介のDNAに期待したいと思います。
岸信介の素晴らしかった点は大衆迎合せず、本質を見極め、
日本の将来のことを考えた政策を行ったということです。
細かな実績については以前、述べたとおりです。

小泉政治はポピュリズム政治と云われました。
じじつ、そうだったと思います。
国民の多くが政治に感心を持ったのは小泉以後です。
それ以前は「日本の首相は?」と問われても答えられない国民が多くいたほどです。
それが、小泉以後はそうではなくなった。
日本の首相が小泉純一郎であると知らない国民は居なかったでしょう。
そして、小泉政権は常に四十パーセント以上の支持率を維持し、政策を進めてきました。
左派マスコミはそんな小泉政治を常に批判してきましたが、
この批判は考えてみれば民主主義の否定ではなかったのでしょうか。
民主主義政治における政策の決定が多数決によって決まるのであるとすれば、
年金問題など一部の政策を除いては国民の多くの支持の元になされたものでした。
だとすればそれが国民の意思なのですから、小泉政治の批判は即ち、
国民に対する批判でひいては民主主義に対する批判となるわけですが、
本来、民主主義を擁護する立場の左派マスコミが小泉政治をしきりに批判して、
民主主義に批判的な保守系マスコミは小泉政治に好意的でした。
イラク戦争の時もそうでしたがここに革新派と保守派のねじれ現象が起きていました。

私は無論、民主主義が万能だとは思っていませんし、輿論が常に正しいとも思っていません。
むしろ、輿論のとおりに政治を進めたならば国は簡単に滅びます。

小泉首相はよく「ヒトラーだ」などと批判されていました。
この批判は半分は当たっていると思います。
何故なら、ヒトラーは当時もっとも民主的だと言われたワイマール憲法下において、民主的な手続きを経て首相に選任されたのでした。
つまり、ヒトラーを作り出したのは民主主義であり、言い換えれば国民の圧倒的な支持という輿論でありました。
独裁者を作り出すのは、なにも共産主義国家だけでなく民主主義国家に於いても十分ありえるわけです。
(日本では皇室があるかぎり本当の意味の独裁者は誕生しないでしょうが)

私が何を述べたいかというと、
安倍新総理には輿論に迎合することだけはやめていただきたいということです。
安倍さんと岸信介の決定的な違いは、安倍さんには圧倒的な国民の支持があるということです。
この高い人気こそが実は安倍さんの最大の弱点だと思っています。
輿論の後押しなくして政策を実行することは困難であると同時に、
輿論の動向ばかりに気を取られていては真に日本の将来を見据えた政策は実行出来ません。
安倍新総理には支持率がどうなろうとも百年後を見据えた政治を行って欲しいと思います。

とりあえずは、お手並み拝見とまいりましょう。

支那人留学生との会話

2006-09-15 22:56:21 | 政治・経済
私の在籍している学部は支那人が多く留学していて、
そんな支那人留学生とも会話をする機会が結構があります。
個人的に附き合いは無いけれども、講義やゼミの中で話す機会があるわけです。
今回は私が今まで出会った支那人留学生との会話を紹介したいと思います。


一人目は李くん(男性)。
この人はゼミで会った人。
李くんは支那の現状に危機感というか不満を持っていて
「中国は中国共産党の一党独裁国家」
「中国も日本のように民主化しなければならない」と言っていました。
大体、私の支那観と一致していてこういう支那人もいるんだなぁと思った次第。
靖国神社参拝問題についても
「日本人が自国の為に戦った兵士に対して哀悼の意を示すことに何の問題もないと思う」
との意見。
ただ、「最近、日本が右傾化している気はする」とチクリ。


二人目はMさん(女性)。
講義で「リーダーとはなにか?」というディスカッションをした方。
私が胡錦濤についての評価を伺うと、
「サーズ問題の時の対応が早かった。」という事と、
「農村部の経済改革に成功した。」との二つの良政策の例を挙げ、
「少なくとも現時点での胡錦濤の評価は良い。」と述べていました。

共産党の一党独裁についてどう思うか?という質問には
「中国は13億に人口があり、国土もとても広い。さらに日本のような単一民族国家と違い54の異なる民族が住む。
 東西南北の地方で全く異なる考え方がある。さらにチベットや内モンゴルの問題もある。
 仮に選挙でもしようものなら地方同士で戦争が起こるだろう」
との答え。
自国を客観的にみた立派な答えだと思いました。
つまり、支那の地を一国にまとめるには独裁しかありえないということでしょう。
確かに、支那の地には今だかつて民主的な選挙が行われたことはありません。
前述の李くんとは意見が異なっていますね。
私は李くんを応援したいですが。

小泉首相をどう思うか?という質問には
「以前までの日本の首相とは違い、比較的リーダーシップを発揮して、郵政事業などの改革にも意欲的なので私は支持しています。」
という答え。
支那人でも小泉首相を支持している人がいるということに驚きました。


三人目は情報化社会論という講義で議論した男性。
名前は不明。
支那の言論統制についての話になり、その留学生は
「中国には言論の自由はある」と主張したので、
私が「では、中国共産党を批判する自由もあるのですか?」と質問したら、
「あります」と答える。
私はさらに「でも、グーグルは政府の規制が掛けられてチベットなどの単語は検索できませんよね?」と云うと、
留学生は黙ってしまい答えは返って来ませんでした。
やっぱり都合の悪い事実なのでしょうか。
なんだか、中国共産党の幹部のような方でありました。


四人目は家族について議論した男性と女性。
いつのまにか食べ物の話になって、
私が「中国にわさびはあるんですか?」
と訊くと
「ありますよ!」と急にムキになって反論されました。
何か気に障ったのでしょうか。
いやぁ、支那人にはワサビ食べないと思っていたので。
それが失礼にあたったのですかね。
(政治の話はしませんでした)


と、まぁ、支那人と一口に言っても
中共の公式見解を述べるような人もいればそうでない人も居るということです。
特に留学生は実際に日本を見ることが出来、客観的に自国を見ること出来るでしょうから
案外、支那の現状に批判的になる人が多いのかもしれません。
そういう方が増えれば支那も良くなるでしょうに。
が、Mさんの意見を聞いてもなるほどと思います。
やはり、独裁でないとあの国はまとまれないのかもしれません。

私といたしましては独裁でも何でも結構なので、
他国を悪魔に仕立て上げその憎悪と敵対心をもって国をまとめる事だけは止して欲しいと思う次第です。

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ところで、何度も云うように「支那」は差別語ではありません。
こんな単純な事実にも一々断りを入れないとならない厄介な時代です。
詳細は以下を御覧ください。

「支那」は差別語にあらず http://blog.goo.ne.jp/tuneari/e/586f7bf94aafe99b56564a5449daeed1

エヴァンゲリオンの新作はいらない

2006-09-11 02:50:11 | 漫画・アニメ
新世紀エヴァンゲリオン10年ぶり新作

 社会現象にもなった90年代を代表するアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の新作映画が10年ぶりに製作されることが8日、分かった。「エヴァンゲリオン 新劇場版 前編」(07年7月公開)「-中編」(08年1月公開)「-後編+完結編」(08年6月公開)の全4部作。
 前、中、後編はテレビシリーズ26話を描き直すもので原画を一部再使用するが、音や背景を撮り直し、ほぼ新作に近い形になる。当時、ラスト2話は「終わり方が納得できない」と物議を醸した。劇場版も2作製作されたが、ファンの間で議論になっていた。そんな声に応えるため「-後編+完結編」は完全な新作で、ラスト2話を中心にきちんと最後まで描くという。「-前編」は既に映画監督の樋口真嗣氏(40)が新作絵コンテを完成。3DCGなど最新技術を駆使して製作される予定だ。
 「エヴァ」は侵略を試みるエイリアンに、巨大ロボット兵器を操って立ち向かう若者の苦悩と成長を描く作品。その経済効果は1000億円以上といわれる。関係者は、このタイミングでの新作製作の理由について「庵野(秀明)監督がエヴァブームのほとぼりが冷めるのを待っていたため」と説明している。
(日刊スポーツ) - 9月9日10時2分更新


記事を目にして仰天すると同時に「冗談じゃない」と思った。
庵野は何を考えているのだろう。
はっきり云ってエヴァの新作など観たくない。
というより、作って欲しくない。

今回は良い機会なので『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、エヴァ)について書いてみたいと思う。


私にとってエヴァとは事件であった。
私がエヴァを初めて見たのは平成十五年。
既にブームから七年余りの月日が流れてからだった。
古本屋でビデオを安売りしていて、「あれだけ話題になった作品だから試しに観てみよう」と思い購入したのがきっかけ。
八話くらいまで観て何が面白いのかさっぱりわからなかった。
元来、私はロボットアニメや戦闘系のアニメに興味がない。
故にガンダムも観たことがないし、今後も見ようとは思わない。
それはさておき、エヴァ八話目を見終えて続きを見たいとは思わなかった。
ただ、最終回のオチだけ知りたくなって再び古本屋に赴き、
一冊五十円で売っていたエヴァの「フィルムブック」を買って最終回を読んでみた。
その時の衝撃たるやなんとも云いようがない。
まったく意味がわからなかった。
今考えればただの洗脳フィルムとでも云えようが、
当時、私はある種の不安感に襲われる程の衝撃であった。
そしてその時初めてエヴァはただごとではないと悟り、
その後、ビデオも手に入れ、TV版の最終回に衝撃を受け、劇場版の最終回では虚脱感に襲われた。
あの「終わり方」こそエヴァのエヴァたる所以だし、現在に至っても根強いファンがいて、
今だ作品の内容について牛の涎の如くだらだらと不毛な議論が交わされるのである。

さて、エヴァは既に過去のものである。
そして、死んだ過去ではなく生ける過去なのである。
何故そうなのかというと先述した通りあの救いようの無いラストにある。
私はあのラストが好きだ。
ほとんどのアニメがハッピーエンドで終わるというお約束を打ち破り、
しかも難解な用語や設定の謎を謎のまま一切明かさないまま、という離れ業をやってのけた。
エヴァは既存のアニメに対するアンチテーゼという見方もできる。
言わば一般アニメファンを悉く打ちのめしたのだった。
私にはその態度が非常に痛快だった。

それが、今度、「きちんと最後まで描く」という。
プロデューサーの大月氏はイタビューで
「わざわざ難解な語句を撒き散らすようなテクニックはもうつかわない。」
と述べている。
要は、ラストをわかりやすいスッキリしたものにするということだろう。
これはエヴァにとって自殺行為だ。

何度も云う。
エヴァはあの「スッキリしない」終わり方をしたからこそエヴァであるのだ。

勿論、エヴァに人気の理由があのラストだけにあるとは云わない。
作品の質そのものが高いということは云うまでも無く、
作画や映像技術など、どれもハイクオリティなものだ。
なにより、エヴァの登場人物(殊二に綾波レイ)が魅力的であることは
エヴァ人気の支柱を支えている。
これは、エヴァ後に所謂「綾波キャラ」が乱出し、
今ではキャラの性格の一種としてパターン化されていることからも明らかだ。

つまり、エヴァはあのラスト無しでも十分ハイクオリティなのだ。
しかしながら、いや、だからこそ、あのラストを作り直すのはいただけない。
作画技術も構成もキャラもしっかりしている上にあのラストだったからこそやはりエヴァは「すごい」のである。

ところでエヴァのような作品はパロディが多く作られる。
所謂「アンソロジー本」と呼ばれるものである。(所謂「同人誌」とは少し違う)
なぜなら、エヴァのようにキャラが魅力的かつ特徴的で、
内容が複雑で謎が多くさまざまな解釈が出来る作品はパロディのし甲斐があるからだ。
そして救い様のないエヴァだからこそギャグ化すると余計に楽しい。
私などはエヴァの本編よりもパロディの方が好きなくらいだ。
(特にムービックから出版されたアンソロ本は大変質が高い)

私は以前、庵野監督のことを「嫌い」だと書いた。
この認識は今でも変わらないどころかますます強くなっている。
まさか、エヴァを作り直す愚行に出るとまでは思わなかった。

さて、恐らく多くのエヴァファンならぬエヴァヲタクも私と同じような感想を抱いているのではないだろうか。
エヴァには私のようなひねくれたヲタが附きやすいのだ。
みな自分の中に自分だけのエヴァンゲリオンを持っている。
そしてこのようなくだらぬ駄文を綴るのである。

親王御誕生を祝ふ

2006-09-06 18:48:06 | 社会・世相
秋篠宮妃紀子さまが本日、男児を御出産されました。
一国民として心よりお慶び申し上げます。

親王(男子)が御誕生したということは今の皇室典範の規定からいえば、
将来、天皇になられる方がお生まれになったということです。
私は今回、親王がお生まれになって本当に「良かった」と思います。
一番の理由は、愛子さまが天皇になる可能性が遠ざかったからです。
女性の天皇がよくないということではありません。
(女系の天皇は絶対によくありませんが)
雅子さまのことを考えると愛子さまは天皇にならない方が良いと思うからです。

というのも、
天皇になるのであれば言うまでもなく帝王学を学ばなければなりません。
これは雅子さまにとって新たなる精神的負担となるでしょう。
そして、雅子さまは本当に愛子さまを天皇にさせたいと思っていらっしゃるのか。
私には愛子さまをのびのびと育てたいというお考えのように映ります。
いづれにせよ、雅子さまの諸々の精神的負担を考慮すると愛子さまを天皇にすべきではないと思うのです。
これは、小姑の邪推かもしれませんが、いや、このような小姑がいるからこそ雅子さまは精神を病まれたのでしょう。
そうであるならば、ますます、愛子さまを天皇にすべきではないと思うのです。
繰り返しますが、愛子さまが天皇に向いていないとか、
女性の天皇がけしからんという意味で言っているのではありません。
ひとえに雅子さまの御心情を考慮した由です。

さて、
今回、親王が誕生したからといって皇室消滅の危機が去ったわけではありません。
これは強調しておきたいのですが、このままでは五十年後には皇族は今日お生まれになった親王のご一家のみとなってしまうでしょう。
(親王が多く男子をもうけられたら話は別ですが)
ですから、皇室典範は改訂する必要はありませんが、
臣籍降下された旧宮家の方々を皇族に復帰させることは急務です。

「祝ふ」と題しながら縷々、野暮なことを述べてしまいましたが、
皇室の御繁栄を考えるならば真剣に考えなければならない事柄だと思います。

最後に紀子さまの御両親である川嶋辰彦、和代夫妻が宮内庁を通じて述べられたお言葉を紹介いたします。

「誠におめでとう存じます。『清流に臨みて詩を賦(ふ)す』心に重なる感懐を覚えます。お健やかな御成長を謹んでお祈り申し上げます」

「清流に臨みて詩を賦す」という一説は古代中国の詩人・陶淵明の「帰去来辞」から。
中国文学者の守屋洋さんによると、陶淵明が官職を辞めて故郷に帰る際に詠んだ詩で、引用した部分は、晴れ晴れと澄み切った心を表現しているとのことです。
(参考:讀賣新聞)

私もそのような心持ちの一日でありました。

安倍晋三と岸信介

2006-09-05 00:05:20 | 歴史・人物
次期総理は安倍晋三さんでほぼ決まりのようです。

安倍さんは政策の最重要課題として「教育基本法改正」を挙げていました。
同時に憲法改正も政権構想の重要な柱になるようです。
「教育」や「改憲」が政策の最重要課題になるとは時代も変わったものです。

左派陣営はこの「教育基本法改正」と「憲法改正」という構想を以って
日本が「戦前のような愛国教育が行なわれる」とか「軍国主義になる」などと言っていますが、
いちいち反論する気も起きないので今回は保留。

ただ、私は「教育」と「改憲」も結構ですが、
その前に年金や健康保険など社会保障制度の是正に取り組んで欲しいと思います。
そして、新自由主義に傾きつつある自民党を元の日本社会主義の自民党に戻して欲しいと思う次第です。

さて、安倍さんを語る上でどうしても切り離せないのが岸信介の存在です。

岸信介は安倍さんの母方の祖父であり、新安保条約の批准を成し遂げたことで有名。
所謂、六十年安保の時の総理大臣です。
また、戦中には東條内閣で商工大臣を務めた事もあり、
終戦後、A級戦犯に指定されています。(結果は不起訴)

そういう次第で岸信介と言えば軍国主義者だとか、
保守反動の権化などという見方がされていますが、実際はそうではありません。
岸は保守反動や新自由主義者ではなく、むしろ、社会主義者だといえます。
あまり知られていないことですが、
「最低賃金制」や「国民年金制度」といった社会保障制度の導入を実施したのは岸信介でした。
そして、官僚主導の統制経済、所謂「日本的経営システム」の確立に重要な役割を果たしました。
その後、日本は高度経済成長を迎え、社会保障制度も充実し、
世界で唯一「社会主義が成功した国」とまで言われるのです。
少々、乱暴な言い方になりますが、
この日本型社会主義を作り上げたのは岸信介であったといっても過言ではありません。

岸が何故このような政策をとり且つ成功したかは
彼が満洲国で産業部次長として満洲国の経済政策を指導した経験が深く関わっています。
岸は満洲で官民共同で重工業化を成功させました。
この成功体験を元に本国に帰ってからも、この経済システムを実践するわけですが、
このことは小林英夫さんの『満州と自民党』(新潮社新潮新書)という本に詳しいので興味のある方はそちらを参照されてください。

繰り返しますが、
岸信介は反自由主義者で統制経済や社会保障制度を推進した日本的社会主義者でありました。
新安保条約を強行採決したことが全面にでてタカ派のイメージばかり付きまといますが、必ずしもそうでないことがおわかりいただけると思います。
それに、新安保条約締結も今にして思えば正しい選択だったことは歴史が証明しています。

もう、お気づきだと思いますが、
この岸の作り上げた経済システムをぶっ壊そうとしたのが(実際にぶっ壊れたのかな?)、
構造改革を掲げた小泉純一郎首相でありました。
小泉首相は官民共同ではなく、民間主導の言わば市場原理主義に基づく経済システムの導入を推進しました。
乱暴に言えば社会主義から資本主義への転換です。
やはり語弊があるので言い換えますと、
日本型社会主義から新自由主義への転換と言えましょう。
そのせいで今、戦後日本が築き上げてきた社会保障制度も危機に立たされています。

そこで、話は元に戻りますが、
安倍さんには是非ともこの点を改善して欲しいと思うわけです。
岸信介が築いた日本型社会主義と社会保障をなんとしても守っていただきたい。
もちろん、今までとまったく同じではなく時代に即した形にしてゆくことも必要でしょう。
教育も憲法も重要なのは言うまでもありません。
実はこの二つの課題は岸信介がやりたくても出来なかった、
言わば、岸信介がやり残したものでもあるのです。

そういうわけで、
安倍晋三総理には是非とも「平成の岸信介」になっていただきたいのです。
そして、後年「平成の妖怪」として語る継がれることを願っています。

マンホールの下に閉じ込められたら・・・

2006-09-04 21:01:54 | 雑記
今回はまったくの雑記・・・というか「お願い」です。

以前、何かの本でこういう話を読みました。


ある作業員がマンホールの下に閉じ込められてしまった。
マンホールの蓋はかなり重くて下からの力では開けられない。
大声をだしても助けは来そうにない。
このままでは死んでしまうと思ったその人は
持っていた千円札(あるいは一万円札)を長細く折り曲げてマンホールの蓋の穴から地上に出してヒラヒラさせた。
道を歩いている人がヒラヒラしているお札に気付いてなんとか助けを呼んでもらえたという。


細かい部分で間違いがあるかもしれないけれど、大筋は間違っていないと思います。
この話は果たして実話だったのか都市伝説なのか・・・。
私が読んだ本では事実として書かれていた気がします。
しかし、その本のタイトル(もちろん著者も)が思い出せない。
インターネットで調べてみても一向にわからない。

ということで、お願いです。
どうか、御存知の方いらっしゃいましたら御教示ください。
お願いします。m(__)m

堀江貴文は蘇るか

2006-09-04 00:59:42 | 社会・世相
今日(四日)、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載など)の罪に問われたライブドアの元社長・堀江貴文被告の初公判が、東京地裁で開かれるそうです。

私は彼が近鉄買収騒動の時、初めてテレビに登場した時から一貫して反堀江の立場で、
日記やブログでもしばしば「悪口」を書いてきました。
何故、私が堀江氏が嫌いかというと経営の方法以前に彼の人間性が大嫌いだからです。
彼の発言記録を一部紹介いたしましょう。

「選挙にはほとんど行ったことがありません。面倒くさいからです」
「女は金にもれなくついてくる」「人の心は金で買えます」
「カネがあれば何でもできる」「サラリーマンは現代の奴隷階級」
「起業家は現代の貴族階級」
「女は25歳超えたら無価値で有害なだけの産業廃棄物」
「世の中、金だ、愛情だって金で買える」
「年寄りは合法的に社会的に抹殺するしかない」
「人間はお金を見ると豹変します。豹変する瞬間が面白いのです」
「経済的に貧しくなると人間は狂気に走ります」
「新しい教科書を作っても世の中は変わらない」
「ずるい手でも法律に触れなければ勝ち」
「ライバルはヤンキースの松井ぐらいしか想像できない、でも収入は僕の方が上」
「人間を動かすのはお金です」
「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけないじゃないですか」
「なんでも金で買えるなんていってない」


金で人の心が買えるのは哀しいかな事実である面もあるので勝手にのたまえば結構ですが、
サラリーマンが奴隷だとか、女は二十五を越えたら産業廃物だとか、
年寄りを社会的に抹殺すべきだとか、ちょっと看過できる発言ではありません。
また、どこの馬の骨かわからぬような馬鹿が勝手に言って居るなら一々目くじらを立てませんが、
当時、あれだけ影響力のあった人物の発言です。
しかも、一部に批判の声もありましたが、この馬鹿野郎を多くの国民が支持をしたのでした。
堀江氏のような人物が時代の寵児として持て囃されていた期間、
私は暗澹とした思いを抱きテレビの画面に彼が登場するたびに不快でしかたありませんでした。
三宅久之さんが述べたように「ああ嫌だ、嫌だ、すべて嫌である」という心持ちでした。

さて、堀江氏の「悪口」はこの辺で已めにして、本題に入りましょう。


日本人は昔から「現状を打破してくれる者」が大好きです。
革新的なことや目新しいものにすぐに飛びつく。
保守的なようで実は変わりやすいのです。
例えば、日本史の人物で誰が好きかというアンケートをとったらかならず上位に来る人に織田信長がいますが、
これは彼が既存の価値観に囚われず、正に革新的な行動によって活躍したからに他なりません。

つまり、堀江貴文氏も多くの日本人の目には「閉塞した現状を打破してくれるヒーロー」のように映ったに違いありません。
じじつ、ニッポン放送の買収騒動の時も、
フジテレビ側は「革新的な」ライブドア側の「素晴らしい」アイデアを捻り潰す「守旧派」のレッテルを貼られ、
ライブドアはそんな悪しき守旧派を倒してくれるヒーローという構図が作られていました。
マスコミが意図的にそう見せたこともあるでしょうが、
国民の多くは自然にそう見えたのではないでしょうか。

結局、我々日本人は中身を吟味せず新しいもの革新的なものに飛びつく国民性を持っている。
小泉首相があれだけの支持率を得たこともそういうことです。
今でこそ誰もそんなことは言いませんが、小泉首相が総理の座についた当初、
皆、彼を守旧派を一掃し、現状を打破する革新者(改革者)と思っていました。
いや、今でも思っている人は居るでしょうし、じじつ小泉首相は良い意味でも悪い意味でも革新者でありました。

それにしても、以前だったら堀江氏のような「非常識人」があれほどまでに支持を得ただろうか、という疑問は残ります。
上に挙げたような発言を平気でする者は昔はもっと批難されたように思います。
ホリエモンブームは日本人の国民性に深く依拠するものであったと同時に、
日本人の道徳的荒廃を象徴するものではなかったか、と今でも邪推しています。

今、堀江氏を支持するものはあまり居なくなりました。
それでも、今年の五月に立教大学の学生に取った
「尊敬する企業家は?」というアンケートにおいて、
本田宗一郎をおさえて、堀江貴文は四位にランクインされていました。
(因みに、一位は松下幸之助、ついで孫正義、ビル・ゲイツと続く)

私には堀江氏は企業家というより虚業家にしか見えませんが、
この結果を見ると、堀江氏が再び持て囃される時代が来るのはそう遠くないなと思えてきます。
立教大学だけでなく他の大学でも同じような結果が出るでしょう。
今度の法廷でも発言によっては
「やっぱりホリエモンは正しい!悪いのは守旧派の特捜部だ!」
という輿論が出来上がるかもしれません。

それにしても、
資源がないが故に「ものづくり」によって国が成り立っている日本において、
ライブドアのように金で金を生み出す虚業会社ばかりになると、確実に国は潰れますね。
そんな国ならいっそのこと潰れてしまった方がいいですが。

願わくばホリエモンが蘇る日が来ないことを。

南原繁は「曲学阿世の徒」だったか

2006-09-02 19:45:36 | 歴史・人物
NHKBS2のBSフォーラムという番組で元・東大総長、南原繁についての特集をやっていました。
南原繁といえばサンフランシスコ平和条約の時に全面講和を主張し、
吉田茂から「曲学阿世の徒」と呼ばれたことで有名。

番組の内容は特集と言うよりは今年の八月十五日に
東大の講堂で行われた南原繁をテーマとしたシンポジウムの録画という具合。
司会は立花隆。

シンポジウムという形なので多くの南原繁に関わる人たち(多くは東大関係者)が
出てきて様々な講演をしていました。


中でも興味深かったのは堤清二さんの話。

堤清二さんは西武グループの創業者堤康次郎氏の次男で、
辻井喬という名前で詩人・小説家としても有名。

昭和二十二年、東京帝国大学は東京大学に改称されました。
堤さんはこの年に東大に入学したのですが、入学してすぐに先輩学生から
「優秀な学生は共産党に入るものだ」と共産党への入党をすすめられたという。
堤さんが「そんな話は聴いたことないですが・・・」と言うと、
先輩は「いやいや、そんなもんなんだ」と答えるのみ。
堤さんは「そんなものなのかなぁ。」と思いつつ、共産党へ入党したのだそうです。

ここまでは、なんとも無い話なのですが、この入党を勧めた先輩こそが、
現・讀賣新聞社会長、渡邉恒雄氏と日本テレビの代表取締役取締役会議長、氏家齋一郎氏だったとのことでした。
渡邉さんが共産党員だったことは有名ですが、氏家氏と共に堤清二氏に入党を勧めたことは存じませんでした。

堤さんは後に、この二人(あるいはどちらかの人)にこの話をしたら、
「私はそんなこと覚えとらん」と答えたとか。
堤さんは「でも、被害者は忘れないもので・・・(笑)」と述べていました。


さて、その後の講演は姜尚中や高橋哲哉、挙げ句、大江健三郎が出てきて、
皆声を揃え、憲法九条が危ういという内容の講演を始める始末。
南原繁の話をすればいいのになんで自分達の主張をはじめちゃうのかねぇ。

気になったのは高橋哲哉が「南原さんは英霊という言葉を使っていて、やはり、明治の人だなぁと思いました」と述べていたこと。
高橋哲哉といえば『靖国問題』という中立を装って完全に左翼の視点から靖国神社を論じた本を書いていますが、
左翼の高橋氏にとっては「英霊」という言葉を使うこと自体「気に喰わぬ」ことなのでしょうか。
そもそも、明治人のみが英霊という言葉を使うわけではありませんし、
昭和生まれの私だって、靖国神社に祀られている方々のことを英霊と呼びます。
第一、「自分はノンポリだ」と言いつつピースボートの水先案内人をしたり、
左翼的言動を繰り返していて、なにがノンポリなのでしょう。
自分は中立だとかいう人に限って右翼だったり左翼だったりする良い例です。


さて、南原繁さんの話をいたしましょう。

南原さんは上に書いたように吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた人です。
南原さんが全面講和を主張した理由は、米国に追随していては真の平和は得られないという考えから。
他にも日本国憲法の擁護をうったえるなど一貫して、平和主義の立場をとっていたため、今でも左派から絶大な人気を得ています。
講演のメンバーが皆、左派の立場の人だったことも偶然ではありません。

が、私は南原繁さんは一概に左翼だったとは思いません。

例えば、「歴史は科学的に検証すべきものであるが、神話など民族の文化を否定すべきではない」という発言や、
紀元節の日には日の丸をかかげ、日本精神そのものの革命を通じての「新日本文化の創造」を説いていたという話からも
所謂、戦後進歩主義者と呼ばれた人たちとは一線を画していると思います。
憲法改正については
「憲法を変えるのであれば、日本が真に独立してからだ」と述べています。
つまり、独立国としての気概がないのに憲法を変えても意味がないということでしょう。
私も同意です。
また、「戦後日本の復興は教育によってなる」とも。
現在の日本教育の荒廃をみて泉下の南原さんは何を思うでしょうか。

全面講和などの主張は今から顧みれば、曲学阿世の主張に見えるでしょう。
が、南原さんの平和を願う気持ちに欺瞞は無かったと思う。
欺瞞にまみれた高橋哲哉や大江健三郎らは自己の主張をする前に、
南原さんの真摯な姿勢を見習って欲しいと思った次第でした。

徳山の事件と少年法

2006-09-01 02:04:12 | 社会・世相
徳山市の高専の女子学生殺害事件の容疑者とされる十九歳男子学生が
全国に「指名手配」されたそうです。

しかし、指名手配と言いながら氏名も顔写真も公開されていません。
これでは、一般人から犯人の情報が集まるはずがなく、容疑者の拘束にはまだまだ時間が掛かるでしょう。

名前の顔の公開されないのは言うまでも無く少年法があるからですが、
十九歳も少年法の元に保護されるとは考えてみれば変な話です。
人間、中学生ともなれば善悪の判断くらいつくはずです。

そもそも、現・少年法は終戦直後、戦災孤児や貧困に喘ぐ少年少女を保護するという精神の元に制定されました。
当時は食べ物に困りやむにやまれず犯罪に走る少年少女が多かったからです。
が、今はもうそんな時代ではありません。
今の日本の何処に貧困からやむにやまれず犯罪に走る少年少女が居るのでしょう。

現・少年法はすでにその役割を果たしたと言えます。
今後、保護しなければならないのは加害者の人権よりも被害者の人権です。
せめて、少年法の適応を十五歳くらいに下げるべきだと思います。

至って平凡な主張になってしまいましたが、
今度の事件の報道を見てどうも少年法はズレているなぁ、と思った次第でした。