あび卯月☆ぶろぐ

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小泉純一郎、政界引退

2008-09-26 00:21:40 | 政治・経済
小泉純一郎元首相が次期衆院選に出馬しないことを表明した。
つまり、今度の選挙で国会議員を引退するということだが、私はホッと肩をなでおろした。

というのも、小泉政権の末期に一部で小泉首相続投説が流れたとき、
私は方々で「小泉さんは首相を続ける気は無い。それどころか、議員を辞める気でいる。直ぐ辞めないにしても次の選挙には絶対に出ない」と断言していたからだ。
首相の続投はなかったものの議員を辞職する気配はなく、次の選挙が近づいた。
あれだけ言いふらしたのに結果的に嘘をついてしまったかなと案じていたら今日の引退表明があったわけだ。

小泉純一郎という人物はわかりにくいようで実はわかりやすい。
彼には政治思想らしい政治思想なんてなく、己の良いと思ったことを信じてそれに突き進む。
他人に左右されたくないから、派閥なんて何処吹く風。
森派に属していたがほとんど勝手に行動していた。
そして、未練なんてものを持たない。
だから、念願だった郵政民営化を達成したのだから政界から去って余生を愉しむだろうと予想していた次第だ。
永田町でこんな人物まづ居ない。
田中眞紀子が彼に変人とあだ名を附けたのは今更ながら言いえて妙だと思う。

彼が総理になる前、変人は変人にすぎず、党からも殆んど相手にされていなかった。
まぁ、ああいう変人がいるけれど、影響力無いし放って置こう、と。
当時、郵政民営化なんて誰も出来るなんて思っていなかった。
郵政民営化を唱え、衆議院勤続二十五年の表彰を拒否して、百万円の肖像画代の受け取りを拒否したときも、他の議員は鼻で笑っていた。

そんな変人が総理になれたのは森内閣の末期、変人を担ぎ出さねばならぬほど、自民党が困り果てていたからだ。
森総理の政権末期の支持率は5%そこそこ。
次期総裁に国民から人気のある人物を据えないと自民党の明日は無いという危機感ががあった。
彼が総理になったとき、もっとも高いもので90%以上の支持率を叩き出した。
自民党は肩をなでおろしたが、彼がしきりに叫ぶ構造改革とやらに心中おだやかでなかった。
当時、構造改革を望んでいたのはむしろ、民主党など野党の方で自民党は郵政民営化を含めて止めて欲しいことだった。
が、彼は本気だった。
自民党をぶっ壊すという言葉にも偽りは無かった。
じじつ、郵政選挙以後、自民党はぶっこわれたのだ。
真性保守議員はその時ほとんど放逐された。
そして、小泉改革のツケがじわりじわりと効いていた。
いまの自民党の不人気は小泉首相の「御蔭」なのである。

肖像画代を受け取らなかったことからもわかるように小泉純一郎は合理主義で生きているような人でとにかく、無駄が嫌いな人だった。
彼に一つ思想があるとすればそれは合理主義だったように思う。
そういう意味において彼は本質的には左翼だったわけだ。
総理になったあと、皇室の儀式について「天皇の儀式って何をやっているんだろうねー。何もわからない。こりゃ、皇室も改革が必要だな」なんて嘯いたのはやはり彼が合理主義者だったからだろう。

靖国神社に参拝したのも他の保守系議員が参拝する理由とはちょっと異なる。
鹿児島の知覧で戦死した特攻隊員の遺書を読み感動したからと言った方がいい。
だから彼にとって大東亜戦争の意義なんてどうでもよいことだった。
合理主義者に歴史も伝統も必要ないからだ。
女系の天皇で何が悪いの?と皇室典範の改正に着手したのもこれらのことを踏まえれば誰もが頷けるだろう。

この合理主義は官僚機構改革においては抜群の威力を発揮する。
私も当初小泉内閣を支持したくちだが、それは日本の癌におもえた官僚機構の無駄を一気に解消してくれるかもとの期待があったからだ。
ところが、そちらは中途半端に終り、むしろ、手をつけてはいけない領域が改革の美名の下につぎつぎと破壊されていった。
皇室典範は悠仁様の御誕生でなんとか改悪を免れたが、モラトリアムを与えられたにすぎない。
皇室をはじめ日本国をかたちづくるものには不合理なものが多い。
しかし、それは無駄とイコールではないのだ。
無駄に思われても日本おおび日本人にとって必要なことが沢山ある。
それが小泉首相にはよく理解できなかったのだろう。
彼はしばしばアメリカのポチ(犬)なんて云われていたが、いや、犬ではなく彼はアメリカ人そのものであったのだ。

縷々批判めいたことを書いたが私が小泉元首相をいまでも評価している点が一つある。
それは金正日に拉致を認めさせたことだ。
御蔭で日本人がやっと北朝鮮のいかがわしさに気づいた。
そして、社民党やその支持団体のそれにも。
これは大きかった。
少し前まで、北朝鮮が日本人を拉致したなんて言おうものなら軍国主義者や右翼のレッテルが貼られた。
国会で拉致問題を取り上げた議員の質問は社民党と自民党の中にもいた北朝鮮シンパの野次にかき消された。
戦前は言論の自由がなかったなんて良く言われるが、云えない内容が変わっただけで戦後も言論の自由がないこと戦前と似たようなものだった。

が、小泉訪朝は輿論をがらっと変えた。(少なくとも北朝鮮に対するものは)
いま社民党が消滅寸前なのも北朝鮮の正体がばれたことが大きい。
日本人が戦後初めて、日本の周りは危険な国だらけだということに気づいた。
近年では中国のそれにも本当にやっと気づいてくれたようだ。
私は高校の頃、中国も北朝鮮も韓国もロシヤもそしてアメリカも凄く危険な国ですよなんて云っていたら当然の如く「右翼」なんて言われたものだ。
いまや、それも常識となった。
やっと日本人の目が醒めて来たという具合だが、あまりにも長い眠りだった。
近ごろ、日本は右傾化しているなんて云う人があるが、日本人の国防意識がやっと世界基準に近づいただけだ。
私の師事する教授が朝日カルチャーセンターで講演をしたとき、同様の質問が出た。
「いま、日本は右傾化していますがどう思いますか」と。
教授は「私は中国やロシヤの帝国化のほうがよほど怖い。それらの国と比べても日本が右傾化しているとは到底思えない」と答えたとのこと。
ま、いまのところ、日本政府がどこかの国を侵掠する気配はないし、他国の領土を不法に占拠して、近づいた他国民に銃を発砲することもないし、他国の国民を拉致していることもないし、自衛隊が日本国内で国民を虐殺するなんてことも起こっていないし、政府の悪口を云っても監獄に入れられて内蔵を摘出されることもないのでバカ右翼が増えたのは事実だとしても日本の右傾化なんてものはだれかが言い出したフィクションだと思っている。

おっと、小泉さんのことを書いていたはずなのに案の定話がずれてしまった。

小泉元首相は引退するが、彼の遺伝子は自民党内にばら撒かれた。
小泉の劣化コピーがうじゃうじゃいる自民党はある意味じゃ大量の不良債権を抱えているようなものだ。
麻生内閣でその小泉の不良債権ならぬ、上げ潮派の議員が一人も入閣していないことは特筆にあたいする。
麻生新総理は小泉首相が残した不良債権をうまく処理することができるか注目したいところだ。

経済政策にみる麻生太郎への期待

2008-09-17 01:18:47 | 政治・経済
今度の自民党総裁選で小泉元首相が小池百合子への支持を表明したのは実にわかりやすかった。
小池議員は中川秀直を中心とする上げ潮派に属する。
上げ潮派は、まづ日本の景気を回復させ、経済成長を促しそれにより税収入を増やそういう考えをもつ。
與謝野馨が主張する消費税の引き上げにも反対の立場だ。
ただ、この景気を回復させる方法というのが新自由主義的な経済思想に基づくもので反自由主義派からは評判が悪い。
おおかた構造改革やら規制緩和やらで平たくいうと小泉改革路線の継承・続行である。
小泉元首相が小池氏を支持したのもそういう理由からだ。
この上げ潮派は緊縮財政を敷いて、小さな政府を目指す。
言い換えれば、弱者切り捨て。
「福祉って何ですか?」ってなことにもなりかねない。

與謝野馨は財政再建化。
つまり、日本の財政赤字を少しでも立て直そうとしている。
そんなわけで手っ取り早く歳入増が見込める消費税の引き上げを主張しているが、この時期の消費税の引き上げは悪い景気をさらに悪化させる危険性をはらんでいる。
だた、與謝野氏は根本理念は福祉重視で反市場原理主義。
自身の著書『堂々たる政治』では安倍内閣に入閣したときの思いを
「内閣の基本的な方針は総理大臣が決めるものだが、個人的には永田町を含め巷にはびこる「市場原理主義」的な考えと戦うということを密かに心に決めていた」と書いている。
むしろ、その為に巨額の財源が必要になるから消費税を上げなければいけませんと言っているわけだ。
上げ潮派からは「財政タカ派」なんて呼ばれているが、福祉の点から見れば全候補の中でもっともハト派といえる。

麻生太郎は積極財政派。
つまり、減税と公共事業で消費と雇用の拡大をはかるという考え。
與謝野氏と同じく緊縮財政を実行しようとする上げ潮派とは距離がある。
だから上げ潮派からは「ばら撒き政策」などと非難されることしばしばである。
反対に反上げ潮派、つまり経済格差や構造改革、規制緩和に反対する人々からは評判が良い。
麻生氏は自身のサイトで小泉路線の尖兵で竹中平蔵を「経済現場の解っていない人」とまで云って、反小泉路線の森永卓郎を「自民党の大物政治家でこういうことをはっきりと言う人を、わたしは初めて見た」と感動させている。
この前、NHKのある番組で森永氏と竹中氏が一緒に出演していて、竹中氏が森永氏を「社会主義者」と批判する場面があってなかなか興味深かった。
この対立構造はそのまま小池氏と麻生氏の対立とみることができる。

ちなみに、同じ総裁選候補の石原氏は小池氏、石破氏は麻生氏の考えに近い。
もっとも、石破氏の口から出る言葉は国防に関することがほとんどで私も国防の重要性は十分認めるところだが、いまそれをアピールしても国民の支持を得られるのは難しいだろう。

歴史を紐解けばデフレの時に緊縮財政をやって景気が回復した試しはない。
戦前で云うと濱口内閣。
濱口雄幸首相は昭和恐慌に対して緊縮財政を敷いた。
不景気の時に質素倹約をして景気が良くなる道理は無く、日本経済は余計ズタボロになった。
この危機を救ったのは高橋是清で彼は積極財政による巨額の赤字国債を発行した。
これによって、国の債務は激増したがGNPも激増、景気は回復し結果的に国の債務は減少した。
平たく言えば、麻生氏はこの高橋是清と同じことをやろうとしている。


さて、平成の御世では橋本、小泉両首相が緊縮財政を敷いて失敗している。

バブル崩壊以後の日本経済について失われた十年という呼び方がなされるが、これには少し嘘が含まれている。
実は公共支出によって1994年から景気は回復の兆しをみせ、96年には経済成長率が3.5%となり当時の先進国中で最高の数字となった。
この時期の輸出寄与度は決して高くないので日本経済は内需主導で回復基調に乗りかけていた。
ところが、橋本内閣は「構造改革」を唱え、緊縮財政政策、行政改革、そして規制緩和、金融自由化を中心とする経済改革に着手する。
直後、景気は急激に悪化し、98年には実質経済成長率はマイナス1%にまで落ち込んだ。
のちに橋本首相は自身の経済政策を失政として認めることになる。
いわば、上向きつつあった日本の景気をぶち壊した張本人だが、橋本首相だけに責任を押し付けるわけにはいかない。
橋本氏の政策は輿論の圧倒的な後押しがあってからこそのことだった。
メディアもエコノミストも財界も「構造改革」に大賛成していた。
この構図はそのまま小泉首相の時に受け継がれる。
小泉構造改革で日本がどのようになったかは御存知の通り。
財政は緊縮化し、市場競争のもとで弱体企業は倒産。
失業者を生み出し、消費の低迷をもたらした。

ついでに云っておけば、橋本内閣の後の小渕内閣では宮澤蔵相が積極財政を敷き、総額24兆円の財政支出を含む「緊急経済対策」を発表し内需拡大を行って景気を支えた。
これにより2000年に実質成長率は2.4%にまで回復した。
宮澤喜一が平成の高橋是清と呼ばれた所以だ。
で、その後の森内閣が再び緊縮財政へと転換し、2000年後期から再び経済は悪化。
そして小泉内閣の登場となったわけだ。

いま、日本は恐慌の入り口に来ていると指摘する経済学者もいる。
私はそこまで云うつもりはないが、いま日本は積極財政に転じないと本当に危ないのではないかと危惧している。
次期総裁最有力候補が積極財政派の麻生氏というのは悪くない。


******

なお、なにゆえデフレ下における緊縮財政が誤った政策であるかについてはsaratomaさんのブログ「のんきな日本人」における記事を参照されてください。
大変詳しくそして解り易く書かれており、本稿作成にあたって大いに参考にさせていただきました。

http://search.nifty.com/websearch/search?cflg=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&select=2&q=%E7%B7%8A%E7%B8%AE%E8%B2%A1%E6%94%BF+site%3Ahttp%3A%2F%2Fnonki-nihonjin.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F&ck=&ss=up

他、参考にした文献として佐伯啓思・著『成長経済の終焉』(ダイヤモンド社)を挙げておく。

『正論』十月号感想、佐伯啓思篇

2008-09-10 02:55:19 | 書評・雑誌
続いて、佐伯啓思論文の感想。

×××

佐伯啓思先生は京都大学の経済学者。
思想的立場としては反米保守といったところ。
経済的には修正資本主義を支持する立場(だろうと思う)。
つまり、米国型の新自由主義(あるいは市場原理主義)に反対する立場。
目下のところ、保守派の言論人の中で私がもっとも信頼を置いている方だ。
今号では「マルクスの亡霊に安らかな眠りを」という論文を発表されている。
論旨はこうだ。


冷戦下において、新自由主義者と保守主義者は社会主義勢力に対抗するという意味で混同されがちであり、当の保守主義者でさえ、左翼との対決こそが保守の本分であるとみなしていたきらいがあった。
1990年代、社会主義が崩壊し、資本主義は「勝利」した。
ここから新自由主義者の奢り、つまり「資本主義の暴走」が始まった。
それゆえ、ポスト冷戦時代において保守主義の役割は「資本主義革命」が推し進める、各国の伝統や文化への攻撃、歴史性の無視、組織の解体、社会秩序の不安定化をいかに回避するかにこそ向けられるべきであったのに保守は自らの本質を見失っていた。
その結果、90年代半ばから「構造改革」「市場中心主義」が推し進められ、現在、格差、フリーター、派遣などの問題が続出している。
これこそ、マルクスが預言した資本主義の「不安定化」ではないのか。
いわば、新自由主義はマルクスの亡霊を目覚めさせてしまったのである。
このマルクスの亡霊を安らかに眠らせることが保守派の仕事である。


と、およそ以上のようなものだ。
一言で云うと、保守派は新自由主義(これは、「構造改革」「市場原理主義」「規制緩和」と言い換えることが出来よう)に対抗し、格差などの社会問題解消に力を注ぐべきであるというものだ。
私はこの意見に全く同意だ。

いま、経済問題に関しては右派と左派の意見が一致することが多い。
これは不思議でもなんでもないことで、戦前からそうなのだ。
日本の社会主義政党であった社会党の前身、社会大衆党が陸軍の統制派と接近して右傾化していたのも経済政策が一致したことによる。
また、右翼と呼ばれている北一輝も、なるほど天皇を中心とした国家改造を唱えていたが、彼に皇室を尊崇する心なんてほとんどなかったと見てよい。
(昭和天皇を「クラゲの研究者」と呼んで揶揄したのは有名な話)
結局、北一輝は天皇を担いで経済的な意味での日本の社会主義革命を目指していたわけだ。
この目論みは北の死後、近衞内閣において一歩一歩実現してゆき、戦後日本の経済体制の基礎を形作ったがこの話は長くなるのでまた別の機会に。

つまり、右翼にも二パターンあって、天皇主義者と国家社会主義者の二つ。
保守派でいうと親米保守と反米保守に分かれる。
この辺の区分けは非常にややこしいので、詳細は省くがいま左派と経済思想において一致するのは国家社会主義者と反米保守だろう。
そもそも、親米保守というのは日本の伝統文化を称賛し、皇室を尊崇すると言う点で反米保守とも思想の一致を見るが、経済政策においてはまったく別の主張をなす。(天皇主義者についてはここではおく)
経済思想だけとってみれば親米保守は新自由主義者と言っても差し支えないだろう。
反対に反米保守は佐伯教授が指摘するところの保守主義者とみてよい。
ちなみに私の考えもこの反米保守=保守主義者に近い。
(私は自分を保守主義者とは思っていないが)
また、反米保守と経済思想の一致をみる左派は共産主義、社会主義革命を目指す左翼を意味するのではなく、せいぜいベルンシュタイン型の社会民主主義者だろう。

少々、乱暴な色分けだが、
社会民主主義者は政治的にも経済的にも左。
新自由主義は政治的にも経済的にも右。
そして、保守主義は政治的には右、経済的には左。
と、このようにみれば解り易いかもしれない。
社会民主主義者と保守主義者は経済的にどちらも左なわけだ。
ただし、こういう構図は日本にしか通用しない見方であることに注意。

さて、この構図を参考にして、今度の自民党総裁選候補を見てみるとなかなか興味深いものが見えてきそうだ。
これについては、また今度。

『正論』十月号感想、松原正篇

2008-09-09 22:39:21 | 書評・雑誌
前回の記事で書いたとおり、今月号の『正論』は松原正さんや佐伯啓思さんの論文が載っていたので購入した。
それぞれ、別のことを論じているが、簡単に感想を書いておく。

×××

松原正さんは福田恆存先生のお弟子さんで一応、保守派言論人だがいつも保守派の批判ばかりするので論壇で村八分にされている。(と、御本人とその周囲の人々は云っている)

今月号の正論に載った記事は『WILL』に掲載された一連の西尾幹二さんの皇太子への「御忠言論文」に対する批判記事だ。
いつも切れ味鋭い松原先生のこと、どんな内容だろうと思い勇んで読んでみたが、どうも煮えきらぬ気持ちだけが残った。
というのも、西尾氏の危惧は平たくいうと「皇太子夫妻は将来、天皇・皇后として皇室の伝統を背負ってゆく覚悟が出来ているのか?」ということであり、天皇としての自覚のない皇族が皇位につけば、国民は皇室を見離し、最悪の場合「天皇制」の廃止に繋がりかねない、というものだ。

これに対して松原氏は明確な回答なり反論を提示せず、「日本人が日本人である限り、「天皇制」を止めてしまふやうな事態には決してならない」とか「日本が日本である限り「天皇制」は決してなくならない」など、根拠の無い断言が目立った。

確かに、西尾氏の危惧も一種、根拠の無い部分があり、杞憂とみる向きもあるだろうが、皇太子夫妻に対して疑念なり、疑問を抱いている国民が増えていることは事実だ。
果たして多くの国民から尊敬を受けない天皇は天皇たりうるのだろうか。
私は今ひとつ、楽天的になり得ないでいる。

『論座』の休刊を惜しむ

2008-09-08 23:02:47 | 書評・雑誌
久々に『正論』を買った。
ここのところ、オピニオン誌は『WILL』を惰性で講読しているのだが、それ意外のオピニオン誌は気になる記事が載った時に買う程度。
で、今月号の『正論』は熱かった。
熱かったと言っても、ナショナリズムを煽るような見出しが躍っていたわけではない。
例えば、『正論』と同じ保守系オピニオン誌『WILL』には毎月、「やむなし、竹島砲爆撃」「毒殺国家、中国」「福田は死に体、いや集中治療室だ」などの見出しが躍る。
内容を読んでみるとなるほど同意するところは多いのだがあまり過激な言葉ばかり弄されるといささか胸焼けしそうになる。
そういう意味で見出しの過激さは『WILL』が一番酷い。
『正論』もそれに近いものがあったが、最近では随分落ち着いているようだ。

今月号の『正論』を買ったのは表紙から「松原正」「佐伯啓思」の文字が飛び込んできたからだ。
他にも興味深い記事が満載で『正論』ってこんなに面白い雑誌だったけ?なんて思った。
詳しい内容については別の記事に譲る。

さて、『正論』や『WILL』など保守系オピニオン誌が好調のなか、朝日新聞社が発行する左派系オピニオン誌『論座』が休刊するそうである。
私は朝日新聞の社説・論説にはなにも何も学ぶところなく、むしろ国民にとって害悪しかもたらさないと思っているが、その朝日新聞のオピニオン誌『論座』は数あるオピニオン誌の中で最も評価していた。
というのも、『論座』の立場は明らかに朝日新聞と同じく、戦後民主主義を基調とするものであるが、多彩な言論を掲載し、バランス感覚もあり、たまに愚にもつかない論文も載るが(林香里の連載コラムはあまりにも酷かった)、多くは傾聴に値するものだった。
一部でセンセーショナルを巻き起こした赤木智弘氏の「丸山眞男をひっぱたきたい」を載ったのも読売新聞会長・渡邉恒雄氏の靖国否定対談が載ったのもこの『論座』だ。
そうそう、去年の十二月号には白田秀彰先生の「権利を強化しても誰も幸福にはならない」(インターネット時代の著作権のあり方)も掲載されている。

特に、さまざまな立場の論文を載せるなど、保守系オピニオン誌が陥りがちな蛸壺式の言論に堕することなかった点をもっとも評価したい。
(連載ものとしては宮崎哲弥と川端幹人の週刊誌時評がとても面白かった)
なにより、自分と立場が異なる人の言論を読むのが楽しかった。

その『論座』が休刊である。
休刊といえばまた復活しそうだが、大抵の場合、休刊は廃刊を意味する。
もう、残っている左派系オピニオン誌といえば岩波書店の『世界』くらいか。
『世界』ははっきりいって、完全に左翼の傷の舐めあいのような雑誌になっていて読むのも痛々しく、論座のような楽しさもバランス感覚も期待出来ない。
『論座』の休刊は返す返すも残念である。

編輯部のみなさん、いままでお疲れ様でした。

読売の編集手帳が面白い

2008-09-02 21:31:13 | マスコミ・新聞
読売新聞の朝刊コラム、編集手帳が熱い。

ふつう、新聞のコラムというものはあまり面白いものじゃない。
大抵どの新聞も豆知識からはじまり時事に絡めて最後にオチをつけるというスタイルだ。
一応、社内一流の記者が書いているのだろうから、まとめ方はどれもそれなりに巧い。
しかし、その中に面白み、あるいは一匙の毒を入れようと思うとこれがなかなか難しい。

朝日の素粒子のように毒の盛り方を間違えると「鳩山法相は死に神」なんてことになる。
そもそも、朝日のコラムは素粒子も天声人語も文章が悪い。その上、嘘も混ぜるのだから始末が悪い。
反対に読売の編集手帳は文章も面白みも毒のきかせ方も抜群に巧い。
例えば、先月二十九日の編集手帳。
太田農相の事務所費問題について書かれたものだが、冒頭で

「釈迦の弟子、槃特(はんどく)はのちに悟りをひらいて高僧となったが、若いころは物覚えがわるく、自分の名前も覚えられなかったという。板切れに書き、背負って歩いた」

という故事を紹介し、最後に

「遅ればせながら高僧に倣い、政治資金でつまずいた閣僚リストを、まあ、板切れを背負うのも大変だから、紙に書いて背広の下あたりに留めてみるのもいいだろう。留める道具は安全ピンか、粘着テープか、そう、絆創膏もある。」

と締めていた。
最後に絆創膏を持ってきたセンスに思わず唸ってしまった。
いうまでもなく絆創膏とは赤木元農相の絆創膏事件(?)を皮肉ったものだ。
毒の盛り方も適量だし、文章も軽快で高段に構えてないのがいい。
同じ日の天声人語も同じテーマで書いているが

「釣れた釣れた、さあ帰ろうという時に、水の底から「置いてけ~置いてけ~」の声。江戸に伝わる「置いてけ堀」だ。霞が関村の農水堀にも、昨年来、通りすがりの政治家があれこれと置いていった。地位に名誉、将来まで。あの声がまた、聞こえてきた」
「事務所費にしても、多くの政治家が釈明に追われた因縁の費目だ。それを踏まえたはずの、改造内閣の身辺調査。ザルどころか真ん中に大穴である。残り少ない信頼の水が、音を立ててこぼれている」


という具合であまり巧くない。

ちなみに、元産経新聞記者の高山正之さんの評によると新聞コラムの文章の出来は
読売、毎日、産経、日経の順で朝日は在京新聞の中で最下位とのこと。
下手な文章の方が国語の試験には使い易い。
天声人語がセンター試験や入試問題に使われるのはそういうことなのかもしれない。


*****
訂正とお詫び:

当初、弊記事において「鳩山法相は死に神」と書いたコラムを天声人語のものと説明いたしましたが、該当コラムは天声人語ではなくて朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」でした。
朝日新聞社ならび関係者各位、読者の皆様にお詫びして訂正いたします。

福田首相、突如辞任

2008-09-02 02:12:08 | 政治・経済
一日午後、福田首相が突如辞任を表明した。
すると、友人から一通のメールが。

「さすが!あびの予想通りになったね!」
「なんのこと?」とボク。
「この前、「福田内閣はもう長くない」って云ってたよ」

ははあ、そんなこと云ってたか。すっかり忘れていた。
でも、あの内閣がもうもたないことはどんな政治素人でも予想できたことだ。
さすがでもアスカでもラングレーでもない(意味不明)

さて、与党が何をやっても叩くのが仕事のマスコミと野党は一斉に「無責任だ」と非難した。
あれ?あなたたちいままで散々「福田やめろ!」と云わんばかりに首相を批判してませんでしたか?
民主党も突然の辞任を批判していましたが問責決議を可決させたのはどこのどの党でした?

思えば、安倍首相の時もそうだった。
やめろやめろと云われて、本当にやめたらやめたで批判された。
(あの止め方は批判されても仕方ないと思うが)
結局、総理大臣って何をやっても批判されるのですね。
なかなか素敵な職業だ。

私は福田首相の辞任を歓迎する。
ずっと、やめろと思っていてやめてくれたのだから本当にせいせいした。
本人もこのところずっと辞めたそうな顔していたから良かったのではないか。

自民党としては福田じゃ衆院選は戦えないと判断したのだろう。
次には麻生太郎が控えている。
腹立たしいのは民主党とその応援団朝日新聞。
せっかく、福田で自民の人気が低下したのに麻生首相で巻き返す可能性が出てきた。
総理辞任の記者会見でも朝日の記者が一番イライラしているように見えたのは気のせいではないはずだ。
朝日新聞は今後、全社をあげて麻生太郎のネガティブキャンペーンに邁進することだろう。

ま、せいぜい頑張ってください。(by.福田康夫)