あび卯月☆ぶろぐ

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『七つの海よりキミの海』のニューウェーブっぽさの正体

2014-04-16 21:22:58 | 音楽・藝術
一年くらい前、『波打際のむろみさん』というアニメが放映されていた。
『週刊少年マガジン』(講談社)に連載されている名島啓二による漫画が原作だ。

人魚が大勢登場するギャグコメディなのだが、登場人(魚)物の名前が「むろみ」をはじめとして、「ひい」や大湊、大橋、春吉、住吉、冷泉、川端、宝満・・・と福岡の地名や川の名前が由来になっているものが多い。

『エクセル・サーガ』の六道神士もそうだったが、福岡出身の漫画家は郷土愛の強さからか、地元の地名などをキャラクターの名前につける人がいる。
名島啓二氏もそういう郷土愛を発揮したのだろう。
ちなみに、著者の「名島」という名前も福岡の地名にある。これもペンネームだろうか。

私も郷土愛が強い方なので、東京に住む友人から、「博多弁を話す人魚が主人公のアニメがある。あびさんは福岡県人でしょ?」と勧められ、
ほう、どれほどきちんとした博多弁を話しているのかと、早速、視聴してみた。

アニメでむろみさんの話す博多弁を聴いてみると意外や違和感がなかった。
それもそのはずで、むろみさんを演じる声優の田村ゆかりは福岡県福岡市出身。まさに博多弁を遣う地域に生まれた声優だ。
他にも、リヴァイアさんという北九州弁を話す人魚も登場するが、こちらも、福岡県北九州市戸畑区出身の中原麻衣が演じる。
制作スタッフのこだわりか。

さて、この作品を見て一番気になったのは、キャラクターの名前や方言も去ることながら、主題歌だった。
声優の上坂すみれが歌うこのアニメの主題歌『七つの海よりキミの海』を初めて聞いたとき、心に引っかかるものがあった。

「ニューウェーヴっぽいな・・・」

そういう想いに駆られた。
ニューウェーヴとは人によって微妙に定義が異なり、説明が難しいのだが、はてなキーワードがなかなか的を得た解説をしていた。
曰く、
「1970年代のパンク・ムーヴメントに対して、1970年代末から1980年代初頭にかけて発生したアーティスティック、革新的、実験的な側面を重きにおいた音楽の総称。総じてアンダーグラウンド志向であり」云々。
実に簡潔で的を得た説明だと思うが、実際にニューウェーヴをお聴きになったことのない方はそれでもわかりにくいと思う。
言い換えれば、アングラっぽくてサブカルっぽくて変わったパンクロックとでもなろうか。
曲の途中でやたらと、曲調が変化するものが多いのもニューウェーヴの特徴だ。
また、一般にテクノ系と呼ばれるバンドが多い。
代表的なバンドではハルメンズ、ゲルニカ、プラスチックス、ヒカシュー、P-MODELあたりがそうか。

では、なぜこの曲はニューウェーヴっぽいのか。

実は、上坂すみれが大のサブカル好きで、そして、この『七つの海よりキミの海』は上坂すみれが好きな戸川純が在籍していたバンド、ゲルニカの曲調を意識して作られている。
作曲者の神前暁もツイッターで公表しているが、Bメロ後半のD-Eb-F-Db-E-Aというコード進行は上野耕路の曲調をリスペクトしたものだという。
ゲルニカの曲でいうと『銀輪は唄う』や『工場見学』をお聴きただければ、その類似性を理解できると思う。 
上野耕路はサエキけんぞうと少年ホームランズ、8 1/2(ハッカニブンノイチ)、ハルメンズなどのニューウェーヴバンドで共に活動していた人で、これらの追っかけをしていた戸川純と、高校時代から交流のあった太田螢一とでゲルニカを結成し、ジャパン・ニューウェーヴ界の一角を担った。

ところで、ツイッター上で、この曲は「上野耕路というより伊福部先生を彷彿させる」という感想を見かけたが、それもそのはずで、学生時代の上野耕路は記譜法を中心に伊福部昭から指導を受けている。
上野自身は
「ゲルニカのファースト・アルバムの発売の次の年に、某雑誌のインタビューワーとしてお宅にお邪魔して以来、日本音楽界の重鎮的作曲家伊福部昭師からは、創作上の土台となる貴重な教えと幾つかの技術を授かった」(『ゲルニカ20周年記念完全盤』の謝辞より)
と述べている。

つまり、伊福部昭→上野耕路→神前暁という影響の流れ。それを上坂すみれが歌う。
音楽って面白い。

なお、ゲルニカは歌詞カードに正仮名遣いと正字を多用しているが、仮名遣いは「見てゐやう」「無ひ」「浮かべてみやふ」等々、出鱈目。
正仮名遣い界隈の人は、校正したい気持ちに駆られるに違いない。

ユニコーン活動再開

2009-02-23 23:10:16 | 音楽・藝術
80年代後半から93年の解散まで日本のバンドブームの一翼を担ったユニコーンがこのほど活動を再開した。
実に十六年ぶりとなる新アルバムも発表され、話題を呼んでいる。

ユニコーンは奥田民生が率いたロックバンド。
80年代後半のバンドブームの中心にいながら、他のバンドとは異質なものがあった。
「独特だった」なんて単純なことではなく、バンドブームの中心に居ながら当時のバンドの雰囲気ともっともかけ離れたところに居た気がするのだ。
80年代のバンドブームは前半はパンク、後半はロックやポップが中心となった。
後半になるにつれ、パンクにあったまがまがしさや毒々しさはどんどん薄くなっていったが、それでも肩を張った感じはあった。
その中にあって、ユニコーンは意図的に肩の力を抜いたようなバンドで、バンドブームの中にあった一定の価値観にとらわれない感じがバンドブームに対するちょっとしたアンチテーゼのようでもあった。
それゆえに、通から一般人まで幅広く支持されていたバンドでもあった。
と、これ以上の評論は当時を知る人に任せよう。

奥田は解散後もソロのシンガソングライターとして活躍した。
若い人にとっては奥田民生の方が有名だと思う。
昭和六十年生まれの私もそのくちで、ユニコーンは奥田民生を知った後で知った。
民生の作る音楽はどれも自由というか、ゆるいというか、肩の力を抜いた感じでどれも好きだ。
PUFFY(パフィー)の楽曲の大半も奥田民生が提供したもの。
だから、PUFFYの人気の一つだった独特のゆるい感じはそのまま奥田から引き継いだゆるさと言える。

ユニコーン活動再開を報じた讀賣新聞の記事で「「大迷惑」「働く男」などをヒットさせ」というくだりがあった。
私としては「働く男」はあまり名曲とは思わない。
ユニコーンで一番好きな曲はベタだけど「素晴らしい日々」だ。

このユニコーンの雰囲気とよく似ていると話題のバンドがある。
それは、いま『銀魂』のエンディング曲「アナタMAGIC」を歌っているmonobrightというバンドだ。
「アナタMAGIC」が発表された直後からネット上では「ユニコーンのパクリだ」なんて声が多く聴かれた。
なるほど、確かに曲調などよく似ている。
特に「アナタMAGIC」は「働く男」とサビの部分が酷似する。
しかし、それをパクリと言うのは酷だろう。
だいたい、ここが似ているといちいち見つけては鬼の首を獲ったかのようにパクリだ!と騒いで、それゆえ全面的に評価しないなんて態度は器が狭いというか子供じみている。
ちょっとぐらい似ていて何が悪い。
ついでにいうと、「働く男」より「アナタMAGIC」の方がずっと好きだ。

奥田調の楽曲が好きな私としては同じくmonobrightも応援したい。
彼らをテレビで見かけたが、どのバンドも無駄にカッコつける今の時代にあって、野暮ったいというかダサいというか、そういう感じがまさにユニコーンとは違った意味であれ、昨今の邦楽シーンに対するアンチテーゼのようにも思えて好感を持った。
ユニコーンと同じく肩の力を抜いた感じの歌い方もいい。(当人たちのその自覚があるのかどうかは知らないが)

ユニコーンの雰囲気を持ったmonobrightが色々な意味で話題を呼んでいる中、本物のユニコーンが復活したことは偶然だろうか。
そうでないとすれば、いま邦楽が求めているのはユニコーン的なものなのかもしれない。

初音ミクの実用性

2007-12-15 02:26:22 | 音楽・藝術
初音ミクが話題である。

「初音ミク」は音声合成ソフトで、音階と歌詞を入力すると歌をうたってくれるという画期的なソフトだ。
初音ミクはそのソフトの名前と同時にそのソフトを擬人化したキャラクターの名前でもある。
つまり、初音ミクという萌えキャラが歌ってくれるという設定。声は声優の藤田咲が担当している。

以前にも似たソフトはあったが、以前のものに比べより自然な発音を伴った歌声が合成できる。
そして、なんといっても初音ミクのキャラクター性が人気を得て、今年の八月末に発売され以来、一大ブームとなった。
オリジナル曲の「みくみくにしてあげる♪」もヒットしている。
同人誌やイラストも随分描かれているようだ。
これらのことが象徴するように初音ミクの話題の中心は主にそのアイドル性であって、ソフト自体の技術や実用性が前面に取り上げられることは少ない。

しかし、このソフト実用面でもかなり画期的なものではないのだろうか。
アメリカの世界的ヘヴィメタバンド、メガデスの元・ギタリストでJ-POP&演歌マニアのマーティー・フリードマンは2007年12月号の「サイゾー」紙面で
「初音ミクはそても素晴らしいね!その上、近いうちに、まずレコーディング業界のなかで、ProToolsと同じような゛使って当然"の物になると思う。仮ボーカルやコーラス、歌詞を試しに・・・・・・などなど、みんな使うと思うよ」
と言って、その実用性を絶賛している。
私は音楽業界や音楽ソフトのことについて明るくないが、初音ミクはマーティの言うようにもっと実用面も評価されてしかるべきソフトであると思う。

私の邦楽史 第四回「KENZI & THE TRIPSの魅力」

2007-11-17 00:55:12 | 音楽・藝術
銭形金太郎を見ていたらテーマ曲に「BRAVO!JOHNNYは今夜もHAPPY」が使われていて驚いた。
まさか、テレビでKENZI & THE TRIPS(以下、ケントリ)の曲を耳にするとは思わなかった。
今も昔もケントリの名を知っている人はごくわずかだろう。
ケントリは数々の名曲を生み出しているバンドだが不出世でほとんど世に知られていない。
もちろんパンク好きの間では有名だが、オリコンやテレビとは無縁である。
だから、私は自分だけの宝箱にそっとしまって密かに楽しむような心持ちで聴いていた。
そこに突如としてゴールデン番組のテーマ曲として抜擢である。
なにやら、隠していたものを天下に晒された思いがして少々気恥ずかしくもある。
とはいえ、ほんの十数秒流れるくらいでテロップにもケントリの名は書かれていなかったように思う。
今後も特に話題にはならないだろうが、ケントリは金銭的に全く恵まれていないので、少しくらいはCDの売上げに繋がればファンとしては嬉しい限りだ。

ケントリは1984年頃、結成された。
ヴォーカルのケンヂ(ふつうKENZIと表記される)率いるパンクバンドで以後、メンバーチェンジや活動休止を経て現在も精力的に活動している。
ケントリに限らず80年代パンクバンドはアーティストとして息が長い人が多い。
スターリンの遠藤ミチロウもいまだにアコギ一本抱えて全国を行脚しているし、町田町蔵も町田康と名を変えいまも活躍している。
後に紹介する予定のあぶあらだこやP-MODELの平沢進など挙げるときりがない。

ケントリはそれまでのパンクとは少々性質がちがっていた。
前に述べたように80年代J-PUNKの特色としてサブカル、アングラ、知的などが挙げられるが、ケントリはそのどの特徴も持ち得なかった。
元々、不良だったケンヂは落ちこぼれとして学校や社会に対してのルサンチマンを抱いていた。
そのルサンチマンこそが彼の音楽活動における動機の要因であったことは想像に難くない。
そういう意味ではそれまでのJ-PUNKに比べ、欧米のPUNKに近い。

KENZIは学校を「そこは死神住み着いたもう一つの世界」(DEAD SCHOOL)と定義し、「学び舎とは仮の名のふざけた空間」(同)と言い、教師に対しては「未来将来明日の為とアンタは言うけど俺の昨日は未だ未だ終わっちゃないのさ」(同)と嘯いた。
社会に対しては「歪んでる何もかも 真っ暗闇だ世の中」(裏切りのうた)と叫び、「心が片端の奴がこんなにも世の中氾濫して」いると嘆いた。
しかし、KENZIのうたう歌は決して暗くなかった。
常に希望を忘れていなかったし、曲の根底にはたしかに愛があった。
「BRAVO!JOHNNYは今夜もHAPPY」がまさにその典型で底抜けに明るいこの曲は、KENZI自身も公式サイトで「全ての理不尽・不条理をテーマにした曲。言ってみりゃ正義の味方の曲だ」と書いている。

学校批判、社会批判、愛・・・こう書くと尾崎豊のようだがケントリが尾崎と決定的に違ったのは笑いと遊びがあったことである。
尾崎にも笑いや遊びがないとは言わないが、尾崎の歌には歌を聴いていてアハハと笑うことを許してくれない。
もともと真面目な生徒だった尾崎は歌に対する姿勢も真面目で真摯で本気だ。
ところが、KENZIの歌にはどこかおどけた感じがある。
彼自身ちょっと天然の気があることもあり、全篇通して真面目な曲というのはあまり見当たらない。
本人も「俺は無意識の間にバランスをとるのが得意だ」と言っていてその点、自覚しているようだ。

随分後に流行る青春パンクとも違うのは青春パンクは愛、というより恋愛が前面に出すぎて私などは鼻につくことしばしばだが、ケントリの曲にあらわれる恋愛はおよそ抽象的である。
青春パンクバンドのほとんどはその思いをストレートに表現する。
いわば露骨なのだが、ケントリはその点バランスがとれていると思う。
別れた女性への思いをストレートに表現した「OK! ALL RIGHT」なんて曲もあるがあれもどこかおどけた感じがして良い。
だから、それまでのJ-PUNKと比べればそうでもないが、青春パンクと比べたらケントリの歌詞はずっと文学的だ。(裏を返せば意味不明な歌詞も多いが)

ところで、ケントリには「BAILEY」という反戦歌があるが、これなどは珍しく全篇に亙り真面目に歌っている曲で、私は80年代J-PUNKにおける反戦歌の中で一位二位を争う名曲ではないかと思っている。


教えて欲しいのさ 世界の国の中で
一番偉い民族は一体 何人(なにじん)だい!
生き残らなければならない 人間は誰なんだい
教えて欲しいのサ その人の名前を



ケントリの最大の武器は歌詞もさることながらその音楽性の高さだろう。
ケンヂは全くこの音楽の才能に恵まれていた。
1986年前後、ケントリの全盛期で当時結成して間もないブルーハーツよりもずっと人気があった。
こんなエピソードもある。
ある時、ケントリとブルーハーツと対バンした。
ブルーハーツのヒロトはケンヂの破れたジーパンを見て、「ケンヂ、お前そんな破けたジーンズを履いて・・・」と言った。
もちろん、破けたジーンズを履くのはオシャレのためで、ヒロトにはそれが理解できなかったらしい。
が、一週間後、ヒロトはケンヂの真似をして破れたジーンズを履いてきたという。
いわば、ブルーハーツはファッションにおいてケントリをお手本にしたのだ。
ある雑誌のインタビューでケンヂは「(当時は)向こうの方がダサかったね(笑)」と懐かしそうに回顧していた。

実力がありながらケントリは不遇のバンドであった。
インディーズ時代に出した1stアルバムはケントリの最高傑作との評判が高いが、長く廃盤になっている。
権利関係の問題で再発は難しいという。
これだけとっても不遇感が否めないが決して売れないバンドではなかったはずだ。
ケントリに缺けていたのは「戦略」の一言に尽きる。
ケンヂのキャンペーン嫌いは有名でインタビューなどもインタビュアー泣かせだったと聞く。
宣伝はもっぱらスタッフまかせだった。
良く言えば商売っ気がなかったともいえるが、売れるためには商売っ気はどうしても必要である。
そういう意味において、ブルーハーツの方がずっと巧かった。

近年、ケントリの過去の音源の再発が続いている。
いわばケントリ再興といったところだが、売上げはかんばしくないと見る。
ただ、ケンヂはいまではキャンペーンなどに積極的になり、公式サイトをつくりインターネットでの取り組みにも力を入れている。
上で1stは廃盤と書いたがいまファンクラブに入ると特典という名目で手に入れることが出来る。(なるほど、販売しなければ権利関係がクリアできるのか)

ゴールデン進出(?)を一つの契機として、ケントリの音楽が多くの人に知られることを願いたい。

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なお、ケントリの曲の歌詞はほぼすべて公式サイトで確認できるので参考とされたい。
http://www.kentori.net/pc/index.html


私の邦楽史 第三回「ザ・スターリンの登場」
私の邦楽史 第二回「日本パンク黎明期とINU」
私の邦楽史 第一回「パンクの起源」

九州共立大学学園祭ライブレポ

2007-11-05 23:43:45 | 音楽・藝術
柄にも無く学園祭ライブのレポなんてものを書いてみようと思ふ。

昨日(四日)、ガガガSPとSTANCE PUNKSの学園祭ライブがあるというので、
委員長と折尾にある九州共立大に行ってきた。
私は学園祭のノリが苦手で自分の大学の学園祭にも四年間で一度だけしか行ったことがない。
どうも若者というか学生が大勢居るところは嫌いなのである。
今回も敵地に侵入する心持ちで行ってきた。

敷地内に入ってみると、テニスの練習(壁打ち)をしている娘がいる。
「ほう学園祭なのにサークルの練習か」と思っていると後で委員長に「さっきのは高校生だよ」と教えてもらい驚いた。
共立大は自由ヶ丘高校と同じ敷地にあるのだという。
知らなかった。

ライブ会場を探しながら歩るくが一向に解らない。
甚だ広い敷地に看板が不案内である。
それにしても人が少ない。
私はもっと大勢人が居て人間をかき分けるように敷地内を移動するだろうと踏んでいたので拍子抜けした恰好だ。
人が居ないと居ないで不安になるものである。
結局、委員長が執行委員に尋ねて会場が判明した。
ライブ会場にはそれなりに人が居て安心した。

17時になって、まづ中間市出身のコンバンドというバンドが演奏を始めた。
まだまだ、人は少なくぐだくだ感が漂う。
コンバンドのボーカルはあのぐだぐだの中でよく勤めを果たしたと思う。
曲は印象に残らなかったが、その点は評価したい。
ところで、コンバンドのバンド名の由来を述べて曰く、
「コンバンドって繰り返し言うと、別の言葉に聴こえてきますよね。コンバンド、コンバンド・・・今晩どう?これは別に下ネタで附けたわけじゃなくてですね・・・」
で、話によると、ある日路地を歩いているとガタイの良い見知らぬ男に肩を叩かれ、振り向いてみると「今晩どう?」と言われて、それが由来だという。
・・・いや、結局下ネタじゃん。

次に登場したバンドは長崎は佐世保からやってきたURBANフェチ。
ボーカルの野田耕平氏は佐世保からガソリンをたっぷり入れた車でやって来ましたと言っていた。
このURBANフェチ、あまり知られていないがプロバンドである。(もちろん私も知らなかった)
今年の三月にはミニアルバムも発売している。
しかし、前出の野田氏によると今までに入ってきた印税は三千五百円で、改めて世の中の世知辛さを実感したという。
一曲目(たしか)はその世知辛いなぁという気持ちを歌にした曲。
タイトルは長くて忘れた。
つづけて「NANISAMAや」という曲を演奏してくれたが、この曲には秘密があって、“ある人”に対して「何様や!」と言っている曲なのである。
ある人が誰であるかここに書いてしまうといろいろと問題(URBANフェチの今後とか)が起こりそうなので知りたい方は私に直接訊いてください(笑)
URBANフェチはパンクバンドであるらしく、どの曲もかなり激しい音をかき鳴らしてくれた。
また、バラードも一曲演奏していたが、これが音楽的には最もクオリティが高かった。
いま、URBANフェチイチオシの曲は「左折するとラブホ」であるという。
この曲ではプロモも作られている。
他にも、「FUDEOROSHI(筆おろし)」、「SM天国」とか・・・。
うーむ、このバンド、シモで売るのは難しいのではかろうか。
仮にシモ路線でやるならやるで徹底的にやる方が良い。
決して才能が無いわけではないと思うので戦略を巧くやれば売れると思う。

さて、とうとうSTANCE PUNKSの登場である。
STANCE PUNKSは委員長から教えられて知った。
ブルーハーツの亜種といったバンドで、初めてCDを聴いたとき、ヒロトが歌っているのかと思った程だ。
今回のライブのMCもブルーハーツ時代のヒロトの言葉運びと似ていて愉快だった。
ところで、チューニングの段階でドラムの音を聴いたがやはりプロバンドは違うと委員長共々感嘆した。
このあたりから俄然聴衆が増えてきた。
一曲目はやはり、「すべての若きクソ野郎」。
演奏が始まると一段と盛り上がってきた。
何故か音がやけに大きかったのには閉口したが、なかなか熱い演奏だった。

最後はガガガSP。
六月につづいて、ガガガに会うのは二回目だ。
こんなに早く再会できるとは。
私は後方につけて眺めるように聴いた。
曲目は「国道二号線」「弱男」「My First Kiss」「晩秋」「線香花火」など。
「My First Kiss」は「はじめてのチュウ」のカヴァーで日産セレナのCMソングにも使用されている。
当り前のことながら、あのCMのまんまの歌声だったのでちょっぴり感動した。
コザック前田さんは予定より一曲多く歌ってくれた。
客のノリが良かったからだろう。(ブログ記事を検索してみるとマナーが悪かったとの指摘もあったが)
全演奏終了後、アンコールも連呼されたが執行部の釘宮理恵の声に似た方の「本日の演奏は全て終了いたしました」との旨を告げる放送と共にライブは終了した。

その後、上げられた花火は大変美しうございました。

私の邦楽史 第三回「ザ・スターリンの登場」

2007-10-26 23:05:11 | 音楽・藝術
私がTHE STALIN(以下、スターリンと記す)を知ったのは高校二年生の頃だったと思う。
友人からスターリンのツインベストアルバムを借りて聴いてみた。
当時、それほど衝撃を受けた覚えは無い。
「ロマンチスト」と「コルホーズのたまねぎ畑」が印象に残ったくらいである。
過激過激と前評判が高かったので少々拍子抜けした恰好だった。
しかし、スターリンについてもう少し深く知るようになると次第に遠藤ミチロウ(スターリンのボーカル)の虜になっていた。
何よりスターリンの初期の音源を聴いたことが大きい。
友人が貸してくれたツインベストはスターリンの中期以後の作品で占められていて、初期の名曲である「肉」「豚に真珠」「猟奇ハンター」「スターリニスト」などが収められていなかったのだ。
(但し、印象に残った「ロマンチスト」と「コルホーズのたまねぎ畑」は初期から歌われていた歌だった。)
また、インディーズ時代のファーストアルバム『トラッシュ』を聴いて更にハマった。
この『トラッシュ』、いまではほとんど幻の名盤と謂われている。
私は運良く耳にすることができたが、斯くも歴史的名盤が現在多くの人の耳に入らない状況は嘆かわしいばかりである。
80年代J-PUNKの音源はこのような例が多い。
後に紹介する予定のケンヂ&ザ・トリップスのファーストもその一例である。

スターリンの初期が素晴らしいのはその過激な歌詞も去ることながら音楽的にしっかりしたつくりであることだ。
中期以降は歌詞も音も甚だ荒削りになる。
それはそれで良い曲もあるのだけれど、初期の文学的表現は影をひそめ些か単純な歌詞になっているのは残念である。

スターリンといえば一般にライブで過激なパフォーマンスをしていたことで知られている。
確かに、ライブ中に客に向かって豚の頭や贓物をぶちまけたり、糞尿を撒き散らしたり、全裸になってあんなことやこんなことをしたりと伝説には事缺かない。
この過激なパフォーマンスがマスコミで報じられるようになり、世間一般に「パンク=過激なパフォーマンス」という意識を浸透させた。
そういう意味でもスターリンは80年代J-PUNKを語る上で無視できない存在である。
言い換えれば、スターリンが結成された1980年を以って日本パンク元年ということもできよう。

ところで、ボーカルの遠藤ミチロウは福島県出身で東京でスターリンを結成したとき、三十歳を越えていた。
三十代から本格的にバンド活動を始め、あれだけ精力的に活動していたのだから頭が下がる。
また、ミチロウはマルクスや共産主義に傾倒していて、今でも吉本隆明を愛していると言って憚らない。
言わばインテリ左翼である。(出身大学は山形大)
であるから、スターリンの曲には階級闘争や共産主義をテーマにしたものも少なくない。
バンド名のスターリンも勿論あのソヴィエト連邦のスターリンに由来する。
そういえば、ミチロウが出演した映画『爆裂都市』でも「どけどけどけどけ!この反革命ども!」と叫んでいた。
いやはや、痛快である。

このように日本パンクの担い手にはミチロウのような亜インテリが多く関わっている。
亜インテリという表現が不適当なら文学青年といってもよい。
英米のパンクの担い手は労働者階級であったり、下層階級に位置する人々が多かったことに対して日本のパンクは中産階級以上の比較的裕福だったり、知的レヴェルが高い人々によって担われた。
むしろ、労働歌などはフォーク(特にアングラ系の)がその役割を担っていたように思う。
それもそのはずで英国などと違い階級社会ではない日本において、パンクが生れる土壌はなく、生れるとしたら英米とは違ったアプローチがなされたはずなのである。
少し乱暴な表現をすると日本パンクのリスナーは「不良」や「ヤンキー」ではなく文学青少年であったり、サブカルやアングラを愛好する人たちであった。
日本において不良やヤンキーに人気がある歌手といえば尾崎豊あたりだろう。
(尾崎豊を批判しているわけではないですよ、ファンの方々怒らないように)
尾崎豊の歌詞はヤンキーが聴いても理解できる。
尾崎はそういう学校や勉強の出来る人たちに反撥する人向けの音楽だ。
だから、落ちこぼれや不良(またはそれになることに憧れる真面目な少年)は自分たちの気持ちを代弁してくれていると感じる。
ところが、スターリンや前回紹介したINUの歌詞を見てもサッパリだろう。
それは日本のパンクは所謂「下流」を相手にしているのではなく、サブカル人、アングラ人を対象にしているからである。
少なくとも80年代前半のJ-PUNKはそうであった。

<つづく>


私の邦楽史 第二回「日本パンク黎明期とINU」
私の邦楽史 第一回「パンクの起源」

私の邦楽史 第二回「日本パンク黎明期とINU」

2007-09-19 02:07:29 | 音楽・藝術
1979年2月、元・セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスが死去した。
そのひと月あまり前、日本にひとつのバンドが誕生していた。
そのバンドの名を“INU(イヌ)”という。
当時、十七歳の高校生だった町田町蔵をヴォーカルとして結成されたパンクバンドである。
INUは80年代J-PUNKのひとつの原点であった。
少なくとも私は80年代J-PUNKを象徴するバンドは?と問われればまづINUを挙げる。
INUをもってJ-PUNKの元祖だとみなす声もあるが、勿論それ以前にも日本にパンクバンドはいたし、同時代にも多くパンクバンドは存在する。

日本のパンクの淵源は70年代前半に求めることができる。
それは村八分、頭脳警察、外道といったバンドたちだ。
これらのバンドは当時パンクと名乗っていたわけではないが、十二分にパンク要素の強いバンドであった。
なにより、反体制であり過激だった。
思想の面でいうならば特に頭脳警察は左翼過激派と言ってもよく、高らかに共産主義革命、世界同時革命を叫んでいた。
それゆえ、ファーストアルバムが発売禁止になったり、曲目が放送禁止曲に指定されたりした。
ただ、音楽面では村八分や外道の方がより強烈な演奏だったと個人的には思う。
これらのパンクは純和製パンクと言ってよく、海外のパンクの影響は後のパンクほど受けていない。

ピストルズが生み出したパンクムーヴメントの影響を受けたバンドが現れるのは70年代も後半に入ってからだ。
所謂、東京ロッカーズと言われるバンドたちがそれである。
具体名を挙げるならばS-KEN、リザード(元・紅蜥蜴)、フリクション、ミラーズ、ミスターカイトあたりであろう。
私はこの中ではフリクションが好きだ。
特に『軋轢』というアルバムが白眉であるが、坂本龍一が携わったせいか音楽的にはやはり洗練されている。
これら東京ロッカーズに対抗するようなかたちで生れたのが関西ノーウェーブと言われるバンド群である。
その代表的なバンドが正にINUなのだ。
それ以外にはアーント・サリーや非常階段などが居る。
70年代後半から80年代初頭にかけて生れたこれらのパンクは反体制や過激さよりもアングラやサブカルの趣が強いものであった。
また、東京ロッカーズはパンクにしては洗練されていて、いわばオシャレな感じがした。
リザードあたりはむしろそれを確信的にやってたきらいがある。
それに真っ向から反対したのがINUのボーカル、町田町蔵だった。
かれはガセネタという曲で次のように叫んだ。
(少し長くなるが重要な曲なので全文掲載する)


俺はお前らを・・・ 俺はお前らを 俺はお前らを楽しますだけに
大阪からわざわざ東京まで出て来たんちゃうんじゃ!!
何が屋根裏じゃ ふざけやがって!
リザード?S-KEN? あんなもん何にもおもろないんじゃ アホ!
お前ら分かってんのかー!しょーもないんじゃ アホ!
リザードなんか聴くな! 東京ロッカーズなんかおもろない
まだ聴けんの XXXX(聴き取り不能)だけじゃ
Mr.カイトはまだ聴けるけど 東京ロッカーズなんかおもんないんじゃ!
俺はリザードと共演した モモヨ?あんなもんただの女好きのアホやないか!
「君、灰皿どこ?」
なめてんのか アホ!お前らな!なめとったら承知せーへんぞ!
俺お前ら楽します為にわざわざ大阪から来たんちゃんうじゃ
こらー!ボーとした顔しやがって!
ほっとけや!しょーもない思うたらどつけ!
アホんだら!アホんだら!えぇ!?えー!!
リザードなんかしょーもない ストラングラーズしょーもない
ヤメロ!ヤメロ!・・・ヤメロ!ヤメロ!ヤメロ!ヤメロ!ヤメロー・・・
わはははははははは・・・・!!・・・
日本人の正常な音楽感覚!?日本人の正常な音楽感覚!?
パンク!?パンクやとー!?
しょーもないんじゃ あんなもん 何がおもろい?
まともなん ジョニー・ロットンだけやないか!
オー 消えろ!消えろ!消えろ!消えろ!
ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘヘイヘイ!ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘヘイヘイ!
ウルトラビデなんか 身内で楽しんでるだけやないか!
何が真剣に音楽やっとるじゃ!
「お父さん働いて下さい」?
アホか!ええかげんさらせ!ボケー!なめとったらな!
オイ ハードロック!ハードロック消えろ!ハードロック消えろ アホ!
金の為にハードロックバンド入る? アホかお前は ええかげんせーよ
牛若丸なめとったらどつきまわすぞ!エー!?
俺はお前らを 楽します為に来たん・・・
俺はお前らを楽します為に来たんじゃない!



これはほとんど歌と言うより叫びである。
とりわけ、東京ロッカーズへの罵詈雑言が目立つ。
あんな気取った奴等はパンクじゃない、というわけだ。
町蔵がいかに東京ロッカーズを嫌っていたかがよくわかると同時に関西と関東のパンクの違いを如実にあらわしている。
(東京ロッカーズは基本的にこのような罵詈雑言は吐かない)
町蔵はライヴでも客を怒鳴ったり、時には殴ったり、警備員と喧嘩をしたりしていた。
いまでは町田康と名前を変え、芥川賞作家などと呼ばれ文化人のようになっているが町蔵時代はかなりの荒くれ者だったのだ。
しかも、INU結成当時は十七歳だったのだから恐れ入る。
ところで、このガセネタは1984年に発売された『牛若丸なめとったらどついたるぞ!』(音源は1979年のもの)というライヴアルバムに納められているが、このレコードには歌詞カードは附いていないので耳で聴いたままを引用した。
既に廃盤になっていてCD化もされていないので、某音楽著作権団体もこの曲は管理下に置いていないと思われる。

INUは1981年に初のアルバムを発表する。
それこそが、日本パンクの古典『メシ喰うな!』である。
この作品は演奏や歌い方にUKパンク殊にピスルズの影響が見てとれる。
また、このアルバムではガセネタにみられるような過激な叫びは影をひそめ、町蔵独特の世界観が広がっている。
後に小説やエッセイの中でも遺憾なく発揮される町蔵のあのなんともいえぬ世界観はすでにこの頃からあったのだ。


写真屋のおっさんの石で刻み込まれたようなしわ
俺はあなたが愛おしい糞まみれにしてくれ
(略)
どいつもこいつもヤバイ状態するするすんすん

(「つるつるの壺」より)



ただ、ハードコアパンクを聴き慣れた現代人が『メシ喰うな!』を聴くと面食らうかもしれない。
人によってはこれがパンク?と問うかもしれない。
なるほど、確かに音圧は決してハードとは言えない。
音楽的にパンクなINUは『牛若丸~』を聴かなくてはならない。
私は『牛若丸~』を聴いた時に初めてINUの本当の凄さを知った。
INUは『メシ喰うな!』のみによって評価されるべきでない。
その為にも『牛若丸~』の一日も早い復刻を願うばかりである。
さて、INUが結成された翌年、1980年にはこれまた80年代J-PUNKを象徴するもう一つのバンドが生れている。
その話は次回以降。


<つづく>

私の邦楽史 第一回「パンクの起源」

2007-09-14 23:55:54 | 音楽・藝術
以前、じゅ~すさんから「「私の声優史」の次にはあびさんの「私のロック(好きな音楽)史」みたいなものも聞いてみたいのですが」という御要望をいただき、快諾したものの書かずじまいで失礼しました。
遅ればせながら「私の邦楽史」と題して駄文を連ねたいと思います。

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私の邦楽史などという大仰なタイトルにしてしまった。
もっとも、邦楽を包括的に語れるほど私は詳しくない。
そこで、本稿では主に日本の80年代パンク・ニューウェーブについて取り上げたい。
あくまで「私の」ということでどうか御寛恕願いたい。

ではまづ、パンクとは何か。ニューウェーブとは何かについて述べたい。
パンクとはいうまでもパンク・ロックの略であるがパンク・ロックの起こりは1960年代のアメリカだった。
このアメリカのパンクはニューヨーク・パンクと呼ばれている。
この時期、旧来のロックミュージックが保守化、商業化したことを受けてそのアンチテーゼとしてパンクが生れた。
一般的にパンクの特徴はその反社会性、過激な歌詞・ファッション・パフォーマンスである。
また、音楽的な特徴としては3コードのシンプルなものが多く、ロックに比べ技巧的なものは少ないということが挙げられる。
ニューヨーク・パンクの代表的なものとしてイギーポップとラモーンズを挙げたい。イギー・ポップは演奏中にナイフや鉛筆などで自らの体を傷つける過激なパフォーマンスで話題となった。
一方、ラモーンズはそれほど過激でなく反社会性も低く、音楽的にも技巧に飛んでおりそれゆえ今なお幅広い層の支持を得ている。

この潮流はイギリスに飛び火し、1975年にはパンクバンドの古典的存在セックス・ピストルズが誕生する。
翌年にはクラッシュとダムドも誕生している。
これらイギリスのパンクをロンドン・パンクと云ったりUKパンクと云ったりするが、
上記三バンドは三大UKパンクと呼ばれている。
ニューヨークパンクとUKパンクのおもだった違いは後者は前者に比べ、社会運動的側面が強かったことであろう。
階級社会であるイギリスではその社会的矛盾に根ざしたパンクが多いことが特徴だ。
言い換えればUKパンクの方が政治色が強い。
ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」はエリザベス女王に対する褒め殺しの歌だし、クラッシュもファーストアルバム『白い暴動』で反体制・反権力の炎を燃え上がらせた。
クラッシュは反イギリスと同時に反アメリカの姿勢も顕著である。
ダムドは音楽的によりスピード感や過激さを求めた。


女王様 萬歳!
本気でそう思ってる
愛しの俺たちの女王様 神が味方してくれるぜ(略)
女王様 萬歳!
本気でそう思ってる
お先真っ暗だぜ夢見る英国は
お前はお先真っ暗、未来なんて無い
俺もお先真っ暗、未来なんて無い
ノー・フューチャーだぜ

(セックス・ピストルズ「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」)


ヤンキーの兵隊
ヤツはカンボジアで出会ったクズどもを撃ち殺したがっている
だけど今は女を買う金もない(略)
USAにはウンザリだ

(ザ・クラッシュ「反アメリカ」)



アメリカで生れたパンクはピストルズが完成させたと言ってよい。
ピストルズが完成させたパンクの潮流は欧州に流れ込み、アメリカに逆輸入され、日本にも影響を与えた。
では、日本のパンクはどのようにして生れたのだろうか。


<つづく>

ガガガSP、メジャーデビュー秘話

2007-08-05 01:53:33 | 音楽・藝術
六月にガガガSPのライブに行って来た。
そのことについて書こうと思ってすっかり忘れていた。
今更だが、書く。

ガガガSPは日本のバンド。
一般に青春パンクにジャンル分けされる。
本人たちは当初この呼び名に不満があったらしいが、最近では自ら青春パンクバンドと名乗っている。
これに対して反撥を覚えるファンも居るそうだが、私はここにガガガSPの円熟をみる。
私がガガガをはじめて聴いたのは高校二年の頃だったろうか。
歌詞や音よりも何より、ボーカルのコザック前田の歌い方が気に入って聴くようになった。
のち、しばらく離れていてこの度、ライブに行くことになった次第。

今回も委員長と行った。
というより、委員長からチケットを戴いたのである。
本当にありがとう。
ライブが始まる前、箱内に音楽が掛かっていたのだが、それが吉田拓郎だった。
委員長曰く、選曲はガガガSP自身によるものらしい。
ははん。やはり吉田拓郎が好きなのだな。
私は初めて「晩秋」を聴いたとき、吉田拓郎のカバー曲かと思ったくらいだ。
ガガガの楽曲には拓郎を思わせるものがある。
いや、拓郎に限らずガガガがフォークから受けた影響は計り知れない。
そういえば、高田渡の『自衛隊に入ろう』をカバーしている。
今度のライブでも演奏された。
このように青春パンクながらフォークの流れをくんでいる点が、私がガガガが好きな所以であろうと思う。
(いや、それこそが青春パンクが“青春”パンクである所以か?)

ところで、このライブ中、私はコザック前田さんと会話を交わした。
会話といっても、MCの時に前田さんが前方右側の集団に向かって「ライブ初めて!?」という質問をしたら、何故かみなしーんと静まり返って、
その時、前田さんと偶然目が合った私は思わず「ガガガは初めて!」と答え、前田さんが「おー」と反応したという感じのもの。
ちょっぴり嬉しかった。

さて、MCではガガガのメジャーデビュー秘話も語られた。
御存知の方もあるかもしれないが、紹介しておく。

インディーズ時代、『ガガガSP登場』というファーストアルバムを出したが、このアルバム売れ行きが芳しくなかった。
廃盤寸前になっていたところ、ソニー・ミュージックエンタテインメントの社長が偶然このアルバムを手にする。
なんでも、派手なジャケットが目に止まり、社長自らジャケ買いしたという。
アルバムを聴いた社長は「なかなか良い曲だ」と思い、何と社長からじきじきメジャーデビューの声が掛かる。
が、このアルバムには「尾崎豊」という尾崎豊を罵倒した内容の曲が収録されていたため、問題となる。(尾崎豊はソニー所属)
また、尾崎の事務所から「消すぞ」という脅され、ライブ等で二度と「尾崎豊」を歌わないことを約束させられる。
ところが、その日のライブの一曲目で「尾崎豊」を演奏してしまう。
ライブ後、大変後悔してガッタ山本さんが「俺たちこれからどうなってしまうんやろう・・・」と嘆いた。

およそ、以上のような内容だった。
後日談まで詳しく語られなかったが、無事メジャーデビューしているところをみるとなんとかなったのだろう。

ウィキによるとコザック前田さんは青春パンクバンドを九十歳まで続けると宣言しているそうだ。
これについてのウィキの記述は正しい。
前田さんは今回のライブでも同様の発言をしていた。
私もその時まで生きているかわからないが、是非とも九十歳で青春パンクを歌うバンドを見てみたいものである。

ジャパン・アヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター展

2006-12-31 04:18:18 | 音楽・藝術
気づいたら大晦日だった。
私は普段生活していて、ほとんど毎日、記事に書こうと思うことがある。
が、実際に記事にするのはその半分の半分もない。
私は記事を書くのに思いの外時間が掛かる。
それゆえ、毎日記事を書くのはなかなか難しい。
単に私が怠惰だからとも云える。
ブログの記事になるような話題は殆どがナマモノで、時間が経てば書くに及ばない内容になるので、そのままお蔵入りになる。

しかし、今年の内に是非書いておきたいことがあったので書く。


十一月の下旬頃、妹が大学の美術部の友人に「好きだろうから」と、あるポスター展のチラシを渡された。
果たして、そのポスター展は妹が大好きな内容だった。
そのポスター展の名称は「ジャパン・アヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター展」。
寺山修司生誕七十年記念として横尾忠則をはじめ、宇野亜喜良、赤瀬川源平、林静一、花輪和一、粟津潔、篠原勝之、合田佐和子、戸田ツトム、他が手がけたアングラ演劇のポスターを100点以上展示されたポスター展だった。
無論、私も興味が無いはずなく、妹と共に勇んで展示会が開催されていた天神のイムズに向かった。

そこで観たポスターの美しさはなんとも形容しがたい。
私の貧弱な語彙を以ってその美しさを表すのは不可能に近い。
本来、これらのポスターはアングラ劇の公演告知の為のものであるが、
それらはポスターの粋を超え、もはや藝術作品としか呼べないもので、
じじつ、これらのポスターは美術的評価も大変高いのだという。
そういえば、美術の教科書によっては横尾忠則さんの作品が掲載されている。
しかし、世間一般の評価や専門家の評価などはどうでも良い。
私はそこで確実に美しいものに出逢った。
それだけは確かな答えだ。

私はこの1960年代から70年代にかけてのアングラ界の藝術作品が好きでたまらない。
またあび卯月お得意の懐古趣味が始まったと言われるかもしれないが、あの頃の日本は本当に熱かった。
今、当時作られたような藝術作品を目にする機会はない。
似た物はあっても到底本物には及ばない。
しかし、それは仕方の無いことだと思っている。
日本人が悪くなったから今の藝術作品はツマラナイのだと言う積もりは無い。
今は今の時代にあった良い物がありましょう。
つまり、あの時代の藝術作品はあの時代が生み出したものであり、あの時代の空気を吸って生きていた物なのだ。
だから、今の時代にあの頃と同じような藝術作品を生み出すことを試みても無理なのである。
そして、今の時代では生み出せないからこそ餘計に儚く美しく感じるのだと思っている。
少なくとも私がそう感じるのは以上のような理由からだろう。

今、横尾忠則さんの画集を探しているが良い物はほとんど絶版になっている。
中古で買おうと思っても十倍以上の値がついているものもあった。
私には到底手が出せない値段がついている。
私が欲するものは大抵なかなか手に入りにくいものばかりでいつも歯痒い思いをしているが、今回も例外ではないようだ。
いつか復刻乃至はもっと良い内容の画集が出ることを祈り、その日が来るまで待とう。
信じていればきっとその日はやってくるだろう。
そう、「つげ義春初期傑作集」が刊行された時のように。



*附記*

この記事に掲げている画像は横尾忠則さんのポスター。
ネット上で随分探したがこのサイズのものしか手に入らなかった。
嘆いていると、下記のサイトを発見。
横尾さん以外にも多くのアングラポスターを観ることが出来る。
なんと、素晴らしいサイトだろう。
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/ctj/tenji/tenji.html

「ケントリ(KENZI & THE TRIPS)」のこと

2006-12-26 03:04:56 | 音楽・藝術
 イキツクトコロまで行き着いた憂鬱な現代社会
 コンピューター TV で隠れん坊
 金が全てを代弁する


上に挙げた文はKENZI & THE TRIPSというバンドの歌詞。
今の世の中を巧みに諷刺している。
しかし、これが二十年以上前に作られた歌だと言ったら驚かれるだろうか。
でも、本当に二十年以上前に作られた歌だ。

さて、最近KENZI & THE TRIPS(以下、ケントリ)にハマっている。
私が初めてケントリを知ったのは高校三年生の頃だったと思うので、今から五年くらい前のことになる。
ケントリは1984年くらいに結成されたロックバンドだ。
ロックというよりはどちらかというとパンクに近い。
タワーレコードの分類でもパンクの範疇に入れられている。
ヴォーカルのKENZIの独特の歌声と歌い方は当時多くのファンを魅了した。
活動休止やメンバーチェンジを経てデビューから二十年以上経った現在でも活動しているが、今ではほとんど知られていない。
私がケントリを知ったきっかけはロリータ18号(というバンドの名前です)のカバー曲ばかりを集めた『ヤリタミン』というCDを聴いたこと。

ついでに、ロリータ18号について少し解説しておくと、
ロリータ18号はパンクな姉さん四人組のバンド。
メンバーの変遷があって、結成当時から居る人はヴォーカルの石坂マサヨのみ。
日本における女性のパンクバンドでは日本で少年ナイフに次いで最も有名なバンドではないだろうか。
ところで、バンド名のロリータ18号は戸川純の「ロリータ108号」という歌からきていると思うが、詳しくは知らない。
で、戸川純という人は・・・と一々説明しているとキリがないので止めておきます。

その『ヤリタミン』のなかにケントリの「HONEY DANCE Ⅱ」という曲がカバーされていた。
そして小生そのパンクでビートな曲調にやられてケントリに興味を持った次第。
しかし、ケントリのCDはその当時ほとんど廃盤になっていた。
そこで、中古レコード屋やその他様々なルートを使って、ケントリの音源を手に入れた。
聴くと良曲が多くて、いっぺんにファンになった。
しかし、まだまだ多くの貴重な音源は聴けずじまいだった。

そうしていたら、近年、ケントリのCDの多くが再発されたり、ベスト盤が出たりした。
特に、初期の貴重な音源の多くが再発されたことはファンにとっては嬉しいことだった。
が、残念なことにケントリの中で一番の名盤であると謂われる(私もそう思う)ファーストアルバムの『BRAVO JOHNNY は今夜もハッピーエンド』は権利関係の問題から今だに復刻されていない。
大人の事情で素晴らしい藝術作品が日の目を見ないことはなんとも哀しいことだし愚かなことだ。
しがらみや権利は本当に嫌なものである。

しかし、それでもやはり、多くの音源が復刻されたことは事実で私は大変喜んでいる。
といっても、喜んでいるのはやはり私のようにごく一部のファンだけで、知名度は皆無に等しい。
ケントリが有名だったのはほんの短い期間だ。
ケントリは良い曲が多いのに本当に不遇のバンドだと思う。
やはり、デビュー当時から戦略がなかったからだろうか。
でも、本当に良いものと売れるか売れないかは別問題だと思うので、ケントリには今の位置が丁度いいのかもしれない。
(と云ったらKENZIは怒るだろうか。)
最後に私が好きなケントリの歌詞を引く。


 腐った理想はいかがです 狂った哲学いかがです
 見えない所でいやらしく 何度も何度も誘うのさ

 焦る俺はバタクソで 奴らのペースに嵌まってく
 分っているけどダメなのさ 今日も俺は落ちてゆく
 今、綺麗なものは何? 今、必要なものは何?
 自分を見失う前に 確かめたいことがあるのさ

(『LEO STAR 8』より抜粋)

ザ・クロマニヨンズのライブに行って来た

2006-11-26 15:58:45 | 音楽・藝術
もう、先週のことになるが、ザ・クロマニヨンズのライブに行って来た。

ライブはライヴと表記すべきか?
でも、「ヴ」はなんとなく気取った感じがして私には似合わないからライブと書く。
「高木ブー」が「高木ヴー」だと妙にカッコ良くなって(?)変だもんね。

のっけから脱線してしまった。
でも、今回の記事は脱線しまくりで書きたい。

さて、ライブに行って来た。
それも福岡のドラムロゴス。いわゆるハコだ。
え?あのあび卯月がライブに!?と驚く方があるかもしれない。
普段、若者を憎悪して年寄りじみたことばかり云っている私もライブに行くことがあるのだ。

クロマニヨンズについて御存知ない方の為に簡単に説明しておくと、
ハイロウズをやっていた甲本ヒロトと真島昌利が小林勝(ベース)と桐田勝治(ドラム)を迎え入れ、今年の夏に結成したバンド。
ちなみにヒロトとマーシー(真島)がハイロウズの前にやっていたバンドがブルーハーツ。
で、私はブルーハーツとハイロウズがたまらなく好きなのだ。
言い換えれば、ヒロトとマーシーが大好きなのである。

それにしても、ハイロウズの突然の活動停止には戸惑ったし、
再び“突然の”クロマニヨンズの結成にも戸惑った。
え?ハイロウズはどうなっちゃったの?と思った。
ヒロトとマーシーからは何の説明も無い。
本人たちは「別に何も考えてないです」と言う。
あぁ、本当になんにも考えていないんだろうな。

今回のライブには友人二人と私を合わせて三人で行って来た。
この友人二人はいづれも私が布教活動をしてブルーハーツとハイロウズのファンに仕立て上げた。
しかし、クロマニヨンズに対する熱は私より熱いと思う。
布教を施した相手が布教した者より熱心な信者になることはよくあることだ。
福田恆存先生も「私の教え子は皆、私より右にいつてしまふ」という旨のことを仰っていた。
私はまだハイロウズの思い出に引き摺られているので、頭が完全に切り替わっていないのだ。

だから、今回のライブもどちらかというと他のファンの人たちよりも冷静な視線で鑑賞した。
いや、冷静に鑑賞したかったのだけれど、ライブハウスでのライブはそれを許してくれない。
満員電車以上の過密空間で人がピョンピョン飛び跳ねまわり、
頭を振り、手を挙げて、ヒロトの歌声に合わせて熱唱する。
ハコ内の酸素が足りなくなるし、たちまち、床は汗で水浸しになる。
足も何百回踏まれたろうか。
嫌がっていると思うなかれ。
これぞ、ライブの醍醐味なのである。

また、当然ながら同じ歌でもCDで聴くのとライブで聴くのではまったく違う。
CDではスルーしていたような歌でもライブを聴いて以来好きになった、とはよく聞く話だが、じじつそういうことはある。

MCでヒロトが云っていたことを紹介しよう。

ヒロト「新人バンドなんでいじめてください。あと、ロックを教えて。」
客「俺が教えてやるー!」
ヒロト「(笑)」


「いじめないで」ではなくて「いじめて」というのがヒロトらしい。

ヒロト「みんな良い顔だよ。とっても、良い顔してるよー!」
客「イェーイ!!」
ヒロト「でも、カッコイイって勘違いするなよ?(笑)ここから一歩外に出たらモテない(笑)。」
客「(笑)」
ヒロト「ロックが好きな人が見たら良い顔。でも、外に出たら大半の人がロックに興味が無いから。」


一言一句正確ではないが大体このようなことを言っていた。
他にもなにか云っていた気がするが忘れた。
ところで、2ちゃんねるにあった書き込みのまる写しじゃないかと思われた方。
あの書き込みは私がしたのだ(笑)

ライブを終えて今後、クロマニヨンズがどのような進化を遂げるのか楽しみになった。
そして“僕”はブルーハーツを聴きたくなった。

平沢進が語るJASRACの利権支配

2006-06-23 01:57:48 | 音楽・藝術
先日、2ちゃんねるのニュース速報+板に平沢進さんの名前を眼にして驚きました。
平沢さんはあまり・・・というか、ほとんどメディアに顔をみせない。
まして、ニュース記事になることはまづありえません。
まぁ、今回もネット上で記事になっていたのですが、それにしても珍しい。

記事の冒頭にはこうあります。

録音・録画補償金やDRMのあり方などの議論の舞台に登場するのは、いつもJASRACを始めとする権利団体。だが本当の意味での著作権者であるプロの音楽家は、今日の状況をどう考えているのか。現役ミュージシャンで音楽配信の先駆者である平沢進氏に話を聞いた。

早い話がジャスラック批判記事といったところ。
私も音楽業界におけるジャスラックの利権の構造には些か疑問を抱いているくちなので大いに興味がある記事でありました。
(詳しい内容は以下のサイトを参照)
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0606/12/news005.html

以下、記事から要点(問題点)を列挙いたします。

・現在、音楽著作権には「演奏権等」「録音権等」「貸与権」「出版権等」があるが、このうち「録音権等」以外はJASRACが独占的に管理している。
・アーティストとJASRACの間に「音楽出版会社」というものが存在する。
アーティストはこの出版会社に、自分の権利を「譲渡」し、そしてその出版社が、JASRACに権利を委託する、という二重構造になっている。
・JASRACで集金されたお金は、この出版会社を通るだけで50%引かれて、アーティストへ戻るという構造がある。
・出版会社は“プロモーションに努める”と言うが、成果は保障せず、どんなプロモーションをするのか何度説明を求めても、回答しないことがほとんど。(大きなセールスが期待できるアーティストについては積極的に動く)
・補償金の分配方法が不明確。
・多くのミュージシャンが著作権を、出版会社に譲渡してしまっているので、ミュージシャンが著作権侵害を発見しても、作った本人には著作権がなくなっているので、どうすることもできない。
・さらに、アルバムをリリースする権利、逆にリリースしない権利を、ミュージシャン本人が自由にできない。

およそこんなところです。

平沢さんはこの利権構造に疑問を抱き、メジャーレーベルとの契約を打ち切り、
作品の版権を引き上げて自分で管理するという方法に切り替え、
現在ではインターネットを介して音楽配信を行なったり、プロモーション活動を行なっています。
記事にもあるように、日本で初めて本格的にネットで音楽配信を始めたのは平沢進さんです。
御本人曰く
「メジャーレーベルを辞めて自分で配信するようになってからは、作品の売れ行きは伸びて、マーケットも広がってます。」
とのこと。
平沢ファンの私としては大変嬉しいお言葉でありました。


ここまで、書いてきましたが、
平沢進さんを御存知ない方がほとんどだと思いますので、
以下、平沢進さんについて簡単に紹介をいたします。

平沢進さんはマンドレイクというプログレのバンドを経て、
1979年、テクノバンド「P-MODEL」のリーダー・ボーカリストとしてメジャーデビュー。
1989年以降はソロとしても活躍中。
記事によると
ライブパフォーマンスにおいては、会場のオーディエンスとネット上のファンによる「選択」で毎回違ったストーリーを展開していく、独特の「インタラクティブ・ライブ」を実践し、2001年には「デジタルコンテンツグランプリ」において最優秀賞である経済産業省大臣賞を受賞している。
とあります。

平沢さんの音楽は一言で言うと非俗。
特にソロの作品は壮大にして雄大。
日本の邦楽界の遥か上、天上から見下ろすかのごとき楽曲を生み出しています。
悪く言えばマイナー向けといいますか、一般向けではなく、
それゆえ、コアなファンを多く抱えている方です。
一般的にも知られている曲では長州力のテーマ曲「パワーホール」などがあります。
『千年女優』や『妄想代理人』『ベルセルク』などのアニメの曲を担当したことでも知られています。
さてさて、言葉で説明してもどのような音楽を作っているか伝わりませんね。
ということで、是非、下のサイトで平沢さんの曲をお聴きになってみてください。
一部の楽曲が無料で配信されているんです。

http://www.teslakite.com/freemp3s/

お薦めは下の方にある『RIDE THE BLUE LIMBO 』や『HALDYN HOTEL』。
まさに壮大なスケールの曲です。
テクノ系がお好きな方は三段目にある『Big Brother』をどうぞ。
これらを聴いてビビッっと来たアナタは、
いづれ、私と同じく平沢ファンになる方かもしれません。

ユニコーンの『素晴らしい日々』

2006-04-30 02:35:56 | 音楽・藝術
ソニーのハンディカムの最新CMの曲に「ユニコーン」の『素晴らしい日々』が使用されている。
ユニコーンは1986年から1993年に活躍した奥田民生がボーカルだったバンド。
『素晴らしい日々』はユニコーンの代表的な曲で、私も好きな曲なのだが、
何度か聴いているうちにやたら耳に残ってしまうので厄介な曲でもある。

さて、私はCMでこの曲を聴いてすぐにイエローモンキー(イエモン)の『楽園』だと勘違いしてしまった。
すぐにイエモンの『楽園』を聴きなおしてみて別の曲だと判明。
よくよく考えてみたらユニコーンだった。
恥ずかしい限り。

おそらく、多くの人が指摘していることなのかも知れないけれど、
ユニコーンの『素晴らしい日々』とイエモン『楽園』のサワリは非常に良く似ている。
・・・と思うのは私だけだろうか。
イエモンの楽園は知っているけれど、『素晴らしい日々』は聴いたこと無いという方、
下記のサイトでCMが視聴できますので是非とも聴いてみてください。
多分、御賛同していただけるはず(笑)

http://www.sony.jp/products/Consumer/handycam/INFO/CM/index.html

無論、どちらも名曲であることには変わり無い。


(附記:「サワリ」とは曲の一番盛り上がるところ。一般には「サビ」という言い方が普及しているが、本来、サビにそういう意味は無い。)

甲本ヒロトがソロデビュー

2006-04-23 23:15:39 | 音楽・藝術
「リンダリンダ」から20年…甲本ヒロトが“ひとりバンド”

 昨年11月に活動休止宣言したロックバンド、ザ・ハイロウズのボーカル、甲本ヒロト(43)がソロデビューすることが22日、分かった。7月5日に8カ月の沈黙を破り、両A面シングル「真夏のストレート/天国うまれ」を発売する。両曲ともに全パートを1人で演奏する力の入れようで、ザ・ブルーハーツで10年、ハイロウズで10年、音楽活動のすべてをバンドに捧げた甲本の、再出発に賭ける思いが詰まった1枚が完成した。
 激しいリズムとエネルギッシュなステージでファンを沸かせてきた甲本が、バンドに別れを告げて半年。デビュー20年目にして、初めて1人で活動することを決めた。
 ソロデビュー曲は、渾身の2曲を書き上げた。まずは「真夏のストレート」。太鼓やシンバルが鳴り響き、笛の音が軽快に踊る大道芸人の楽団を思わせる楽しい曲だ。もう1曲の「天国うまれ」は、ハーモニカーとフォークギターに乗せた三拍子の牧歌的な曲調で、一度聴くと忘れられないメロディーが印象的。両曲ともに、これまでのイメージを覆す楽曲に仕上がった。
 また、ギター、ベース、ドラムなど、ほぼすべての演奏を、2曲ともに甲本自身が担当。これはブルーハーツ、ハイロウズ時代を通じて初めての出来事で、バンドとの決別を如実に物語っている。
 さらに、サンケイスポーツに寄せた初出しのアーティスト写真にも、その思いがにじみ出ていた。甲本は横に大きく扁平して写る鏡の前に立ち、自ら携帯電話のカメラで撮影。1人ですべてを行い、強烈なインパクトを放つことで、再出発に賭ける意気込みを前面に押し出した。
 昭和60年にブルーハーツを結成し、62年に「リンダリンダ」で鮮烈デビュー。素朴でストレートな思いを分かりやすい日本語でぶつけた“日本語パンク”の先駆者として、「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」など数々の名曲を生んできた。
 平成7年にブルーハーツのギター、真島昌利(44)と結成したハイロウズでも、ストレートなロックで自らのスタイルを貫き通した甲本。名刺代わりの一発となるソロ第1弾で、いきなりファンを驚かせることは確実で、今後の活動がますます楽しみになってきた。
(サンケイスポーツ) - 4月23日8時2分更新



この記事を見つけたとき、「えーっ!!」と思わず声を上げてしまいました。
これは実質的にハイロウズの解散を意味するのでしょうか。
私としては少々複雑な心持ち。
まぁ、今後の展開を見守る事といたします。