あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
お気軽にコメントなさってください☆

「萌え」を教科書に載せてはならない

2008-03-27 02:03:58 | 漫画・アニメ
大修館書店(東京)の現代文で四方田犬彦氏の評論「『かわいい』現象」を採用。文中の「萌(も)え」には「アニメやゲームなどのキャラクターに対する深い思い入れ、興味を表す語」と注釈をつけた。人気キャラクターに扮(ふん)するコスプレ(コスチュームプレー)の写真も掲載。編集者は「ある種の冒険だが、現代を考える上では必要な視点」と話す。

【2008年3月26日附 「毎日新聞」より】



この記事を読んで私はほとんど怒りに近いものを覚えた。
順を追って説明すると、私はかつて(そうオタクブームという奇妙な現象が起こる前)「萌え」という言葉を解説・称賛する小文を書いた事がある。
長くなるが、重要な箇所を引用する。


・・・
「萌え」とは本来、二次元のキャラクターを愛でる際に用ゐられてきた。
それも、どちらかと言ふと「熱烈に愛する」といふやうなニュアンスが強かつたと思ひます。
ところが、次第に意味が広がり二次元でなくとも萌えは使へるようになり、
強い愛情というよりも「好き」と「愛する」の中間的な意味で用ゐられてゐるのが現状だと思ひます。
具体的な解釈を求められますと、私は
「ある対象を愛でる感情。主に二次元人や美少女に対して向けられる。
 好きといふ感情とは微妙に違ひ、一種の幽玄さを伴ふ。好きよりも更に深みのある感情。」

などと答へます。つまり、萌えは日本人がもつ特有の感性に由来してゐると考へます。

何故、日本のアニメや漫画が世界中でヒットするのか。これは、萌えとふ感情を持つてしてのことです。
この繊細な感性があるからこそディティールのしつかりした作品が作れるのだと思ひます。
日本のアニメが世界のアニメ市場を席捲してゐることも頷けませう。(漫画も同様)
確かに外国にも良作のアニメや漫画は存在する。ですが、萌えをテーマにしたものは無い。
日本人が外国の作品を観るとどれも大味に感じてしまふのです。
云ひかへると、アクション系の作品を観るなら外国作品が良いと云へませうか。
とはいへ、やはり日本の作品にはかなはないと思ふ。誤解の無いように書いておきますが、
日本のアニメや漫画が全て萌えをテーマにしたものだといふわけでありません。
むしろ、萌えのみをテーマにしたやうな作品はどうかと思ひます。
つまり、”萌え”という感性があるからこそ良い作品が作れるのだといふことであります。
萌えを生み出した感受性の豊かさこそが日本のアニメ・漫画の強さなのであります。

”萌え”は”わび”、”さび”を生み出した日本人だからこそ生み出せた言葉なのです。
ですから今後、萌えを理解できる方々は胸を張つて「私は繊細な感性を持つてゐる。」
と思つていただきたい。平安時代の貴族と同様、風流心を持つてゐる優雅な方なのです。
むしろ、「萌えなどわからぬ」とか「キモイ」などと言ふ輩は風流心のない感受性の低い野暮なやつだといふことです。
別に萌えといふ言葉を他人から「キモイ」とか云はれた覚えはないですが、云はれる前に書いておきました。
今後、「萌え」は「moe」といふ国際語になつてゆくのではないでせうか。
また一つ、日本が世界に発信できるものが増えましたね。
世界の中心で愛を叫ぶのも良いですが、これからの時代
世界の中心で萌えを叫ぶのもなかなか良いかと思ひます(笑)。

平成16年10月6日(水)



正仮名遣ひを使用していて何箇所か間違っているところは御愛嬌。当時勉強中だったのだ。
さて、後半は平安貴族がどうとか怪しいことも書いているが(当然、当時としても本気でそんなことは思っていない)、前半部分のなぜ日本アニメは強いのかについてまでは今でも同じ考えを持っている。

注目したいのは「今後、「萌え」は「moe」といふ国際語になつてゆくのではないでせうか」と半ば冗談で書いていたことが本当になってしまったこと。
いまや欧米人のオタクで「萌え」という単語を知らない人はいない。
先日もフジの報道番組で見たのだが、
最近、中国ではメイド喫茶が流行り始めていて、そこでは日本語が使われている。
入店した客はみな支那語訛りで「モエー!」と言っていた。
台湾やタイでも似たような現象が起きている。
「また一つ、日本が世界に発信できるものが増えましたね」もギャグで書いていたのだ。
それほどに、当時は「萌え」なんて言葉を知っている人はオタクに限られていたのに日本ではすっかり知らない人の方が少数派というほどの一般名詞になってしまった。

私はテレビや一般人が「萌え」を使うようになって我が意を得たりと喜んだか。
実情はまったく逆で自分の浅はかさというか読みの甘さを恥じている。
というのも、テレビや一般人が「萌え」を使うようになって「萌え」という言葉の定義が壊れはじめた。
みな萌えを本当に理解して使っていないし、酷いのになると萌えをエロと同義で使う馬鹿が表れたことだ。

いや、「萌え」が使われ始めたこと自体は大した問題ではない。
「萌え」が一般に知れわたったのはあくまでも象徴的な一例でしかない。
本当の問題はここ数年でメイド喫茶(これが一番マスコミで取り上げられる)をはじめとしたオタク文化が一般に知れ渡るようになってしまったことだ。
最近では「ツンデレ」なんかも取り上げられていて憂鬱になった。
「あび卯月の憂鬱」だよまったく。
オタク文化は一般に晒されてはいけない。
オタク文化はサブカルチャーであり、サブカルチャーであるからこそオタク文化なのであるし、そのサブカルチャー性にこそ良さがある。
したがって、オタク文化が天下に晒されることはオタク文化の興隆ではなく、衰退を意味する。
個人的な愚痴を言えば、声優業界も一般人を取り込むためか、女性声優のアイドル化、メディア露出が以前にも増して顕著である。
オタク業界も商売の為に一般人に積極的にすりよりはじめた。
なんと嘆かわしいことか。

そして極めつけが、今度の「萌え」の教科書掲載である。
コスプレ写真なども掲載しているようで、もはや狂気の沙汰としか思えない。
官までもがオタク文化を「理解」(あくまでも括弧附きの)しようとしているのだ!
いまから予言しておくが、オタク文化は近いうち目に見える形で衰退してゆく。
官から認められたら終わりである。
この「萌え」教科書掲載がオタク文化衰退の記念碑になるだろう。

チベット問題早わかり

2008-03-24 02:56:00 | 政治・経済
マスコミが報じるチベット問題はわかりにくいし、真実の半分も伝えていない。
かといってネットは情報が多岐にわたりかつ玉石混交でわかりにくい。
自分の頭の中を整理する意味でもチベット問題の概要を書いておく。

チベットはインドから伝わった大乗仏教を基にしたチベット仏教を信仰する仏教国家で、古代より独自の文化を形成してきた。
モンゴルや清の時代に何度か干渉を受けてきたものの独立を保ってきた。
中華民国成立後も軍事的緊張関係が続いたが、大東亜戦争の時は中立を保ち、戦後にニューデリーで行われたアジア諸国会議にも独立国として参加している。

チベットの独立が確実に壊れ始めたのが1949年。
この年の10月1日、中華人民共和国が成立した。
まもなく北京放送は
「人民解放軍は、中国全土を解放せねばならない。チベット、新彊、海南島、台湾も例外ではない」
と放送した。
チベット侵掠の始まりである。

翌1950年10月7日、四万人もの人民解放軍(中共の軍隊)が東チベットの州都チャムド攻撃を加え国軍と義勇兵からなる八千人のチベット軍は敗退し、チャムドは二日で陥落した。
この時、チベット軍は半数の四千人が戦死したが、これはほんの悲劇の序章にすぎなかった。

チベット政府は国連に
「チベットを共産中国に編入するために、強大な武力を用いてチベットに軍事侵攻したことは、明らかな侵略事件である。チベット人民が自らの意志と希望に反し、無理矢理中国の1部に組みこまれるというこの事態がこのまま進行するならば、この侵略行為は強者による弱者征服の最悪の実例となるであろう」
と訴えたが、かつてチベット政府発行のパスポートを承認していたイギリス、アメリカを含めて各国とも知らん顔だった。
国連はもともと第二次大戦戦勝国の軍事同盟で今も昔も常任理事国の利益にならないことには動かない。
国益になるときだけ、綺麗な大義名分を掲げて動く。
このときもまったくそうだった。
国連に見捨てられたチベットは中共から「中共・チベット17ヶ条協定」を押し付けられ、中国に併合された。

1951年9月9日、王基梅指令官率いる何千もの中国共産党軍がラサに到着し、中共による本格的な圧制が始まった。
中国は軍隊用の駐屯用地と兵士のための莫大な食糧を支給するよう、チベット政府に強要し、これによってチベット経済は破綻。
食糧は枯渇し、チベットに歴史上はじまって以来初の飢餓が襲った。

以後、チベット人が受けた傷は酸鼻を極めるものがある。
チベットの宮殿や寺院は破壊され、仏像は宝石類を剥がされた上で破壊され、あるいは僧侶たちの首を締めるための重りに使われた。
女性は強姦され、虐殺は男女共に行われた。
漢民族というのは山縣有朋が「古より極めて残忍の性あり」と指摘したように日本人には想像もつかないような残酷な殺し方をする。
人の皮を剥いだり、目に釘を打ったりくりぬいたり、腕をもいだり、腹を裂いて腸を引きずり出したり・・・
こうした虐殺行為は公衆の面前でなされ、人々はそれを見学するよう強要された。
両親を射殺するように命じられた子供もいる。
民衆の尊敬を集める僧侶にはその尊厳を傷つけるために民衆の前で糞尿を食らわせたりとともかく中共はありとあらゆることをやった。
書いていても気分が悪くなる。
中共のやることなすことおよそ同じ人間とは思えない。

この他にも様々な虐殺拷問を行っているが、あまりにも酷い内容なので文末に参考サイトのURLだけ掲げておくとして、
このような書くのも憚られるような方法で何十万ものチベット人は殺されていったのである。
これまでに飢餓なども含め百二十万人以上のチベット人が死亡している。
これはチベット全人口の五分の一にあたる数だ。
今では四千あった寺院の99%が破壊され現在では四十五しか残っていない。
十五万人いた僧侶も千四百人になっている。
反対に中国人は七百五十万人が住みつきチベット人は少数派になっている。
また、当然教育も中共に支配された為、チベット語や伝統的行事、衣服などの禁止政策がとられチベット文化も危機に瀕している。

生き残ったチベット人の多くは断種手術や不妊手術が強制された。
中国はチベットを侵掠するとともにチベット民族そのものをチベット仏教、チベット文化と共にこの世界から消し去ろうとしている。
これを民族浄化=ホロコースト、ショアーなどと呼ぶ。
そうナチスドイツがユダヤ人に行ったこととまったく一緒。
いや、残酷な殺し方をする分、中共の方が悪質かもしれない。
そしてこの中共によるホロコーストは現在進行形で行われているのである。

最近では青海チベット鉄道が開通したが、
これはチベットの全民族、宗教の絶滅計画の総仕上げの始まりとも言われていて、鉄道建設の裏の目的は軍事利用にある。
鉄道開通によって中国はさらに多くの軍隊を動かし、広大なチベット高原全体に即座に配置できるようになるというわけだ。
また、チベットは中国にとって重要な核兵器配置用地となっており、自国や他国の核廃棄物投棄場としても使用されていると言われている。
NHKはそういう事実は一切報道せず、青海チベット鉄道の開通を嬉しそうに伝えドキュメンタリービデオまで作成していた。
一体どこの国のテレビ局なのだろう。

ついでにいうと、いまの中国国家主席・胡錦濤は1988年から始まったチベット大虐殺(もちろん何度目かの)を指揮した張本人である。
このとき十万から二十万人ものチベット人が虐殺されている。
胡錦濤はその手腕を江沢民に認められて出世したというのだから、チャップリンの「一人殺せば殺人者だが百人殺せば英雄だ」という言葉も空しく響いてくる。
胡錦濤はさしずめ「一人殺せば殺人者だが十万人殺せば大出世」か。

チベットで蜂起が起こった理由がわからなかった日本人は多いだろう。
これまで日本のマスコミはこのチベット問題、中共によるチベット民族浄化政策をほとんど報じてこなかったからだ。
それどころか、朝日新聞はチベットで続発していた蜂起を「反乱」と書いてきた。
正義の中国に対して悪党チベット人が反乱を起こしたという書き方だ。
これだけであの新聞の正体がわかる。
いまでもまだチベット蜂起に関してチベット人が悪で中国が善という風に言う人があるが、いいかげん目を覚まして欲しい。


--------------------------------------------

【チベットの人権問題/ダライ・ラマ法王日本代表部事務所】 
http://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html
http://www.tibethouse.jp/home.html

侵掠・虐殺大好き共産党

2008-03-23 23:07:45 | 政治・経済
今回のチベット暴動事件についてマスコミは正しく報道していないと書いたばかりだが、しんぶん赤旗の報道をみて驚いた。
あの朝日新聞でさえ中国よりであるものの一応はチベット側の主張も報道している。
ところが、しんぶん赤旗は一方的に中国共産党の主張を一度掲載したのみ。
それも小さな記事でまるでアリバイ作りのようである。

日本共産党にとってチベット問題は存在しないことが知れる。
日共は非共産国の侵掠・虐殺行為には過去に遡って極めて敏感であるが、共産国の侵掠・虐殺行為には鈍感を通り越して不感症だ。
結局、共産主義者が犯すあらゆる罪は善であると考えているのだろう。

日本共産党が平和を愛し、戦争に反対していると思ったら大間違いだ。
彼らは共産国が起こす戦争については一切反対しない。
人民解放軍がチベット人を百二十万人虐殺しても知らん顔である。
そしてこれからも知らん顔であろう。

私はあらゆる軍国主義、侵掠・虐殺行為に反対するものである。
だから、共産国の侵掠・虐殺行為なら支持あるいは黙殺する共産党とはやはり相容れない。
共産主義は今も昔も侵掠と虐殺が大好きだ。
共産主義の名の元に今まで何人の血が流れただろう。
恐らく一億は下らない。
中国共産党の侵掠・虐殺行為を批判しないかぎり日本共産党は同じ穴の狢といえる。

少し前に日本共産党を誉める記事を書いたが、結局のところ共産党は共産党でしかないようだ。


【追記】
上の小文を書いたのが三日前。
某コミュニティサイトに掲載してここでの掲載を控えていた。
昨日のしんぶん赤旗を見るとチベット暴動の記事が新しく掲載されていた。
今度は米国の見解もふまえて中立を装う記事。
よほど批判の投書でも来たのだろうか。

辛坊治郎さんの講演会に行ってきた

2008-03-20 21:17:47 | マスコミ・新聞
昨日、「たかじんのそこまで言って委員会」や「ズームイン!!SUPER」などでお馴染みの辛坊治郎さんの講演会に行ってきた。
場所は筑豊は田川市の青少年文化ホール。

よくもまあこんな田舎にいらしてくれたものだ。
それだけでもまことにありがたい。

私は運良く前から二列目に着席することができた。
小さなホールだったので眼前に辛坊さんが居る恰好。
立ち見も出て大盛況でありました。

演題は「政治・経済~情報のウラを読む~」。
その名のとおり、様々な裏話をしてくださった。
なかでも印象に残った話は、人はなぜ正しい情報を掴むことが困難であるか。
これには大きく二つの原因があるという。
一つは人間とは真実を信じる生き物ではなく、自分が信じたいと思うことを信じてしまう生き物であるから。

なるほどと思った。
事実は一つでもその事実の解釈は百人いれば百通りあろう。
そして、往々にして事実は自分の都合の良いように解釈されてしまう。
あるいは初めから都合の悪いことは耳に入って頭に入らない。

二つめは、一つめを踏まえてのことであるが、マスコミもまた真実を恣意的に伝えるから。
辛坊さんは、中越地震の際に安倍首相が取った行動に対する各新聞の報道の仕方を例として話してくださった。

事実は安倍首相は地震が起きてすぐ極めて迅速な対応を取った。
第一報が伝わってわずか一分後に首相官邸に対策本部を設置し、
地方遊説を中止し、自衛隊のヘリで現地に入った。
その時の演出も完璧だった。
自然災害で現地入りするとき、どんなに寒くとも防災服一つでスーツやコートなどは着用してはならない。
(もっともこのときは夏だったのでコートは必要なかったが)
そして、被災者と面会するときの目線は被災者よりも下。
握手をする時、右手で相手の手を握り、自分の左手は相手の腕に添える。
このテクニックはアメリカの元大統領、ビル・クリントンも使ったやり方で彼は左手一本で無名の州知事から大統領になった男なんて謂われている。
安倍首相はこれらをすべて完璧にこなした。

ところが、すでに安倍内閣のネガティブキャンペーンを行っていたマスコミはこの光景を報道しなかった。
いま各局を挙げて安倍政権をつぶそうとしているのに、安倍首相のプロモーション映像などを流してなるものか、というわけである。
翌日の新聞でも唯一、大きく報道したのが憲法改正の為にこの政権を潰すわけにはいかない産経新聞だった。
いかに素早い危機管理対応だったかを過去の歴代内閣と比べて、大きな特集記事を作り上げた。
讀賣新聞は安倍首相の対応を時系列で淡々と報じた。
安倍政権をなんとしても潰したかった朝日新聞は第二社会面でベタ記事扱い。
政治面では安倍首相の迅速な対応は一切報じられなかった。
それよりも大きく「美しい国意味わからん」というネガティブキャンペーンの記事を震災報道の次に大きく掲載していた。

ここで注目したいのはどの新聞も嘘をついているわけではない。
ところが、事実が十あるとしてその内のどの事実を報じるか、あるいは十のうち幾つ報じるかによって受け取る側の「事実」は異なってくる。
つまり、テレビ・新聞は事実を伝えるのではなく、信じさせたいものを伝えるということだ。
辛坊さんは「真実を知るためには多様なメディアに接することが必要」だと説かれていた。
そんな時間が無いという人は「ズームイン!!SUPER」を見ればよいというオチも付けて場内の爆笑を誘っていた。

ともあれ、辛坊さんの仰るとおりだ。
マスコミは信じさせたいものを伝え、人も信じたい情報を信じてしまう。
多く、正しい情報が掴めない所以である。

いましきりに報道されているチベットの暴動についてもそう。
ほとんどのマスコミが正しく十のある情報のうち十伝えているとは到底思えない。
チベット問題、すなわち中国によるチベット侵掠の事実すら無いものとされてきた時代に比べればいくらかマシになったが、
それでも、チベット人が中国の人民解放軍にどんな目に遭ったかを正しく報道しているマスコミは私が見る限り皆無である。
我々はいつまでも情報のウラを読む必要があるようだ。

「聾学校」という名前変えないで

2008-03-13 22:44:13 | 言葉・国語
「聾学校」という名称を残してくれ、と訴える聾唖者男性の投稿がこの間の朝日新聞に載っていた。(朝日新聞2008年2月27日「声」欄、および3月10日社会面)
投書したのは静岡市の会社員山本直樹さん(三十五歳)。
記事によると、山本さんは「聞こえなくてもありのままの自分で生きる。そんな私たちの誇りが『聾』という言葉にこもっている」と話し、
「特別支援」という言葉は、聾者を支援される低い側に位置づけてしまうと訴えておられる。

いま「聾学校」を「聴覚特別支援学校」と名称変更する動きがある。
このように言葉を言い換える愚はいままでさんざん書いて来たから繰り返さない。
全国聾唖連盟も改名に反対していて、多くの都道府県ではその声を尊重し改名しないという。
それなのに、静岡県教委は「一般に『聾』という字には差別的なニュアンスがあり、『聴覚障害』と言い換えが進んでいる」との理由から改名したがっている。
まったく意味がわからない、他でもない聾唖者自身が名前を変えてくれるなと訴えているのに行政側が勝手に変えようとしているのである。
しかも、差別的なニュアンスって一体だれが「聾」という言葉自体を差別的だと思っているのだろう。
思っているとしたらそれは静岡県教委側で、彼らに差別心があるからこそ「差別的」だなんて云えるのである。
人権擁護法が出来たならそういう手合からしょっぴくがいい。
(あんな法律ゼッタイに作ってはならないが)

大概、このような言葉の言い換えは当事者が不在のうちに行われる。
看護婦だってスチュワーデスだって、一体だれが変えてくれなんて云ったんだ。
前出の山本さんは「聞こえなくてもありのままの自分で生きる。そんな私たちの誇りが『聾』という言葉にこもっている」と話す。
この言葉の重さを言葉を大切にしない人たちに聞かせてあげたい。

「先生」のこと

2008-03-04 01:15:25 | 歴史・人物
私はその人のことを「先生」と呼んでいる。
その人とは私が行き付けの美容室の美容師さんのことである。
美容室といってもそこは某市の寂れた商店街一角の二階にひっそりと営業しているサロンのような店である。
だから、一般的に想像される美容室とは違うので「あび卯月はお洒落ぶっている」などという勘違いはなされぬよう。
この店は一見さんお断りで、客層も変わった人が多い。
「一般人」の客は私くらいのものだろう。

先生は還暦を過ぎているが、風貌は海外の映画俳優のようで一見、日本人ばなれして恰好も若く、とても六十代に見えない。
所謂「チョイワルオヤジ」なんてものとは全く違ったカッコ良さを持っている。
私は幼い頃からこの美容室に通っていて、先生から様々なことを学んだ。
だから、先生と呼んでいる。
とりわけ、私がサブカルに興味をもったのは先生の影響が強い。

先生はかつて、左翼学生運動家だった。
今ではそれをあまり表に出さなくなっているが、転向とは無縁でその信念は変わっていないと思われる。
時折、ワインが入ると饒舌に昔話をしてくれることがある。
この話がとても面白い。

先生は某旧帝国大学生であった当時、全共闘、全学連、革マルなどどの派にも属さず、さまざまなセクトに顔を出しては議論したり共に運動したりしていた。
佐世保に米原子力空母「エンタープライズ」が入港したときの阻止闘争や、三里塚闘争、東大安田講堂事件にも参加している。
以下、先生の話をかいつまんで記す。


エンタープライズの時、国鉄の労組が支援してくれたので、列車はダタで乗れた。
当時の報道写真を見ると、学生は皆「角材」を持っているが、あれも労働者が用意してくれたものだ。

三里塚の時は百姓が案外ブルジョワだったから思わず笑ってしまった。
向こうに着いた時、左翼学生や百姓から九州からわざわざ学生が闘争の応援に来てくれたと歓迎されて銀シャリを腹一杯食べさせてくれたのは嬉しかった。
けれど、布団が粗末なもので閉口した。

安田講堂の時は何ヶ月前かにそこにいた。
機動隊の放水は水の中に催涙液が入っていて、掛けられると涙が出てきてしょうがなかった。
また、背中に当てられるとやけどしそうに熱かった。

お金がないとき、店先にあるコーラの空き瓶を盗んで金に代えた。

代々木派(共産党、民青など)は官僚主義で大嫌いだった。
僕たちはヒッピーやらそういう文化があったけど、彼ら(代々木派)はロックも聴かない。
髪型だってみんな七三で、見た目だけで代々木派だと判別できた。
いまでも共産党は嫌いだ。

ヴィエトナムに弾薬を運ぶ列車の線路を爆破しようとしたこともあるが、これは未遂に終わった。
列車を止めるために用意した発煙筒に火が着かなかったからだ。
もし、あのとき発煙筒に火が着いていたら僕はここに居ないかもしれない。

前科がつくと俗世との踏ん切りがつくと思っていた。
懲役を覚悟で本当に革命家を目指そうか迷ったが勇気がでなかった。
警官隊を目の前にするとやはり逃げてしまった。

こんな運動ばかりやっているから当然、警察や公安にマークされた。
だから、企業にも就職できなくて、美容師になった。
少し前まで喫茶店もやっていてその時、そこはヒッピーや学生の溜まり場だった。
運動家の支援もやっていたから、公安が店にやってくることもしばしばだった。


・・・以上、先生の昔話の断片である。

先生は当時巷に溢れていた時流に迎合したファッション左翼学生とはわけが違う。
ファッション左翼学生は就職活動の時期になると、長髪を切り、持っていた角材をカバンに代え、革命戦士から企業戦士となった。
それが一概に悪いことだとは言わない。
しかし、その思想における節操の無さは寸毫たりとも弁解の余地はないだろう。
また、いまだ数多く存在するバカ左翼とも違う。
支那だろうが朝鮮だろうが、筋の通っていないことには頑として異を唱えるし、
保守派の文章にも多く触れ共感するところには一目置くことやぶさかでない。
このあたりに私は先生のバランス感覚をみる。

そんな先生を私は心から尊敬している。