あび卯月☆ぶろぐ

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歴史学者・加藤陽子のこと

2009-11-09 22:28:40 | 歴史・人物
加藤陽子は東大教授の歴史学者。
日本近現代史の大家でかつて高校の山川歴史教科書を執筆した伊藤隆の弟子にあたる。

ただ、この弟子は伊藤隆に似ない。
まづ、思想性向が異なる。
同じく伊藤隆の弟子である私の師は加藤陽子を「サヨク」と呼んで憚らない。
その表現が妥当かどうかはおくとして、彼女は日中戦争以降の日本史を軍部が暴走したというお定まりの構図で捉える。
このあたり、「日本ファシズム」という表現を嫌い、自身の著書では決して使わなかった師匠との色の違いが際立つ。

加藤陽子は伊藤隆の後を継ぎ、山川の歴史教科書の執筆を担当したが、完璧な記述と云われた伊藤隆の文章をずたずたに改竄してしまった。
その記述の杜撰さは秦郁彦の「欠陥だらけの山川教科書『詳細日本史』執筆者の正体」(『現代史の対決』所収)に詳しい。
一例を挙げると、南京事件の死者を日本の大虐殺派も採らない「四十万人」としているなど、なぜそのような改悪をしたのか首を傾げたくなるものが多い。
単純な用語の間違いや恣意的な表現など、これまでになかった不適切な記述も多く、以前の教科書に戻してくれと云いたくなるほどだ。
この教科書が使われ始めたのが2003年4月から。
その年以降に日本史を選択した高校生は気の毒としか言いようがない。

加藤氏はいわば不肖の弟子だが師匠から受け継いでいるものもある。
それは、あらゆる史料を丹念に読み、論を組み立てていくという点だ。
だから、自身の思想は別として政治主義が入りにくい。
一般に政治的に偏った人物が歴史を記述すると自身にとって都合の良い史料ばかりを取り上げて恣意的に記述することが少なくない。
これは、戦後の日本では特に左翼学者に多かったが、最近は右も似たようなものだ。

それら政治主義学者に比べ、伊藤氏も加藤氏も恣意的な記述は少ない。
その意味で伊藤隆も加藤陽子も史料主義者と言えるが、師匠がマクロな視点も加味したのに対し、加藤はそのような視点が抜け落ち気味だ。
それゆえ、全体の流れが掴みにくい。
そして、詳細な記述にこだわるあまり、却ってミスが増える。
山川教科書の記述ミスの多さもそれが原因だろう。
ついでにいうと、文章が非常に読みにくいのも師匠のそれを受け継いでいる。

その加藤陽子が新刊『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を出したことをホリデーさんのボイスメッセージで知った。
アマゾンを覗いてみると、やたら評価が高いが、読まずとも内容がわかるところが少し哀しい。


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追記:南京事件の死者の数については、見本本では「犠牲者数ついては、数万人~40万人に及ぶ説がある」と記述されていたが、多くの批判を受け、使用本では「南京陥落の前後、日本軍は市内外で略奪・暴行をくり返したうえ、多数の中国人一般住民(婦女子をふくむ)および捕虜を殺害した(南京事件)」との記述に変更されている。
(平成二十二年五月十二日)

日清食品の落日

2009-11-09 00:00:22 | 雑記
日清食品の創業者、安藤百福さんは私が尊敬する日本人の一人。
云わずと知れたチキンラーメン、カップヌードルの生みの親だ。

いま、「日本人」と書いたが出自は台湾人になる。
日本統治時代の台湾に生まれ、戦後に中華民国国籍を選択したのち日本に帰化した。

戦後の焼け野原の中、一杯のラーメンで幸せそうな人々の顔を見たことがのちのインスタントラーメン開発のきっかけになったという。
チキンラーメンの開発は自宅の庭に掘っ立て小屋を立て、家族総出で行われた。
ラーメンのスープの素は鶏がらにしようということで、息子が飼っていた鶏が使われたりもした。
このとき、息子は複雑そうな顔をしたが、開発のためだと納得してくれたようだったと安藤さんは振り返っている。
この息子が現日清社長の安藤宏基になる。

日清食品のインスタント食品はどれも外れがない。
チキンラーメン、カップヌードルにはじまり、焼きそばUFO、どん兵衛、スパ王と抜群の安定感を誇る。
車がガソリンで走るように私はラーメンを食べて生きている。
と、そのくらいラーメンが好きな私は日清食品には幼少の頃からお世話になってる。
他社製品にもいいものがあるが、やはり日清には敵わない。
知らない麺製品を買うかの選択に迫られた時は、迷わず日清食品のものを選ぶ。
それほど、日清食品への信頼は大きい。
が、ここに来てその信用が揺らぎつつある。

創業者で会長だった安藤百福さんが亡くなった後くらいだったろうか。
息子の宏基が実権を握るようになり、日清に少なからず変化が訪れた。
まづ、2008年の春に小麦の高騰に伴い、カップヌードルの希望小売価格が155円から170円に値上げされ、店頭価格も80円台から110円台になった。
しかも小麦の値段が戻っても、値下げしないまま。
カップヌードルは庶民に優しい安い食べ物という原則を忘れた結果だ。
それで、カップヌードルの売上げは半減した。

ここで、元の値段に戻せばいいものの、何を血迷ったか、日清は具の肉をこれまでのミンチ肉からコロチャーに変え、シーフードヌードルはホタテを追加した。
これで、少々高くても納得するだろうという考えだったのだろうが、コロチャーは往年のファンからは却って不評だった。
かくいう、私もその一人でかつてのジャンク感ただよう肉の方が良かった。
コロチャーになってカップヌードルの魅力は三割ほど落ちた。

さらに、どん兵衛シリーズは誰も頼みもしないのに麺がまっすぐのピンそば・ピンうどんに変えた。
これも、従来のちぢれ麺の方がスープの絡みも歯ごたえも良かった。

最近食べたグータの紅叉焼横浜タンメンは340円もするくせにひどく不味かった。
これが日清食品の商品かと嘆きたくもなったが、最近の日清の勘違いぶりを顧みれば、むべなるかな。
これら日清の変化の原因を社の実権が次男の宏基氏に移ったことに求めてよいのかわからないが、この新社長は悪名高い「サバイバル研修」をはじめたことで知られる。
「サバイバル研修」とは管理職向けの過酷な研修で「初日は埼玉県内の標高2000メートル級の山を4時間かけて登る。食料は「チキンラーメン」と水だけで、自ら火をおこして調理し、山中、簡易テントで一夜を過ごす。翌日は禅寺に移動し、全員ふんどし姿で滝に打たれるほか、座禅や写経などのメニューも」(読売新聞2006年9月13日)あるというものだ。
こういうズレっぷりが今の日清のズレっぷりにつながっているかどうか。

これまで、インスタントラーメンが大好きで小腹が減っては食べてきたが、私も今年で二十四になりそろそろ健康を気遣う年頃になった。
日清の凋落を目にして、このあたりがインスタントラーメンと距離を置く潮時だろうか。