あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
お気軽にコメントなさってください☆

2005年国内10大ニュース

2005-12-31 11:38:02 | 社会・世相
http://headlines.yahoo.co.jp/specialfeature/yearend2005/

時事通信が選んだ国内10大ニュースを自分なりに論じてみたいと思います。


1位:衆院選で自民圧勝、郵政民営化法成立

自民が圧勝したことは民主党がダメダメだったことに加え、
ある意味で民主主義が成就してきたことの証拠。
民主主義なんてものが成就するからこんなことになるんです。
ヒトラーは当時、世界でもっとも民主的と言われたワイマール憲法下に登場した。
民主主義なんてそんなものです。
別に、小泉さんがヒトラーだとは言いません。
彼のやっている事は良い面もあるし悪い面もある。
民主主義にしろ「聖域無き構造改革」にしろ常に二面性を持っているということです。
ところで、「若者よ選挙に行け」としきりに唱えてきた人たちは
若者が選挙に興味を持つと野党が勝つと思っていた。
でも、実際にはこういう事になる。
なんと先見の目の無い事か。
そして自民党は保守を棄てた。
小泉チルドレンに日本の将来を任せることは出来ない。


2位:JR福知山線で脱線事故、107人死亡

JR西日本の体質は一言で言えばお役所的。
今年はJR西日本に限らず、JALなどでも安全管理に関する不祥事が相次いだ。
これは世代交代が進んでいることと無関係ではないと思う。
立派だった世代はもうみんな会社を辞めた。
改革というよりも前の世代に学ぶ事が大切だと思う。
あと、日勤教育なんてものはやめるべき。
精神論も大切だけど精神だけでは戦にも勝てない。


3位:マンションなどの耐震偽装発覚

第二第三の姉歯や小嶋が出てくることは確実。
国の対応は今のところはこれでいいのかもしれないけど、
今後、一つ一つを保障していくことは出来ないだろう。
この事件の問題は建築の全てをを民間に委託したことではなく、
チェック機能の不備であって一概に「官から民は悪」だという事にはならない。


4位:ライブドア、楽天がTV局株大量取得

誰が何と言おうと堀江は嫌い。
金儲けは悪では無い。
金儲けの為に金より大切なものを見失うことが悪なのである。
ライブドアにしろ、楽天にしろ株を使った錬金術で金儲けをする人たちを私は逆立ちしても尊敬できない。


5位:全国でアスベスト禍

ちょっとやらしい話になるけども、
私は6年前にアスベストの危険性を知って、
当時、中学生だった私は音楽室にの天井に剥き出しのアスベストが使用されている危険性を教師達に訴えた。
しかし、ほとんど無視されてしまった。
今になって全国中でアスベストアスベストと騒がれている様が「今になってようやく騒いでるのか」という感じで可笑しくってしょうがない。
さて、あの中学の教師達は今、何を思う?


6位:東証出来高バブル時上回る、システム・誤発注で混乱も

景気が良くなる事に文句は無い。
ただ、システムの誤作動って東証に限らず頻発している。
例えば、今年のM-1グランプリでも前の人の得点が表示されるミスがあった。
人が万能ではないのと同時に機械も万能ではない。
これは肝に銘じておくべき事柄だろう。
そして、人が機械を使うのであって機械に人が使われてはならない。


7位:愛知万博開催、目標上回る入場者数

意外に好評でよかったね。
モリゾーとキッコローはカワユスだったし、良かったよ愛知。
今後、日本を引っ張っていくのは愛知かもしれない。
(トヨタもあるし)


8位:小泉首相の靖国参拝で中韓とあつれき

これは何度もここで論じているけど、
一言で言えば靖國問題は中国の対日カードというだけ。
この問題が解決してもまた新たなカードで日本に圧力を掛けてくる事は歴史が証明している。
A級戦犯の問題にしろ、歴史や法学を学べば解る事である。
こういう問題を耳にするたび、結局みんな歴史を知らないのだなと思う。
いい加減、中国人はもとより日本人も歴史を学ぶがいい。


9位:小学女児殺害や高1の凶行で衝撃

小学生の女児殺害に関して「地域社会にも問題がある」という人が居る。
今まで散々個人主義を喧伝してきて何が地域社会だ。
そんなものはとっくに崩壊している。
悔しかったらいち早く地域社会の復興を唱えるがいい。
どうせ無理だろうけど。
あと、この高1の犯行は事件の裏側を詳しく調べてみると一概にこの少年が悪いとは言えない。
少年法で保護してあげたいと思う珍しいケース。


10位:紀宮さま、ご結婚

おめでとうございます。
ところで、紀宮さまに関して今月号のサイゾーに辛酸なめ子の漫画が載っている。
戦前なら不敬罪で捕まる内容だけど、面白かったから興味のある人はどうぞ(笑)


こうやってみてみるとあまりいいことが無かったですね。今年。
来年もきっとそんなに良い事は起こらないでしょう(笑)
でも、希望は棄てません。
「ひょっとしたらいいことが起こるかも」と思うからこそ人は生きていくのであります。

M-1グランプリ2005

2005-12-25 22:14:01 | テレビ・芸能
今年のM-1グランプリは南海キャンディースのネタ後から見ました。
(実は、忘れていて序盤を見逃したんです(つдT))

私は笑い飯を応援していたのですが、
ブラックマヨネーズ・・・面白かった!!
やはり一番勢いもあったし、ブラマヨの優勝に文句はありません。
関西にはまだまだ隠し玉があるようです。

決勝戦のネタは笑い飯にしては不足気味だったかも。
麒麟のネタは初めからさして面白くなかった。

お笑いブームはもう限界かなと思っていましたが、今日のM-1を見て、そうではないと確信しました。
ブームは去ったけど(去っていいけど)、まだまだお笑いは進化しますね。

ところで、来年のM-1にはとろサーモンやジャリズムが出て欲しいです(笑)

ロバートと北九州弁

2005-12-14 21:53:27 | テレビ・芸能
お笑い芸人のロバートの秋山さんと馬場くんは北九州出身だそうで、
殊に秋山さんの方はテレビでも頻繁に北九州弁を披露してくれます。

今日も『はねるのトびら』内の「哲哉とお父さん」というコーナーで生粋の北九州弁を喋っていました。

私は筑豊の人間なのでこの北九州弁に非常に親近感が沸くわけです。(筑豊弁と北九州弁はとてもよく似ている。)
そして、なにより自分の住んでいる地域の方言がテレビで聴ける機会が殆ど無い為、その嬉しさも一入で、
「うわー、テレビで北九州弁喋りよーばい!w」
と、こういう具合に思うわけです(笑)

テレビで北九州弁を喋るのはロバートだけ!!(?)

今度は誰か筑豊弁を喋って欲しーなぁー(笑)

山本五十六~その時歴史が動いた~(後編)

2005-12-08 00:13:48 | 歴史・人物
先週に引き続き、「その時歴史が動いた」は山本五十六の特集を放送していました。
後編の概要は・・・

太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃。
この作戦を立案・指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六(やまもと・いそろく)の生涯を描く2回シリーズ。
後編は、真珠湾攻撃の全貌を克明に描く。
航空隊で米軍の拠点・ハワイ真珠湾を撃破するという前代未聞の作戦。
緒戦で敵に大打撃を与え、戦争を早期に終息させることが日本が生き残る道と信じ、山本は作戦遂行に邁進する。
しかし、そこには多くの困難があった。ハワイまで米軍に知られず接近できるか。
水深12m程の浅い湾で既存の魚雷が使えるか。
その難問を克服するため、山本は技術開発と極秘訓練を繰り返す。
一方、開戦回避に向けた外交交渉はギリギリまで続けられていた。
山本は交渉妥結の見込みがあれば、作戦を中止するよう指示していた。
しかし、交渉は決裂。12月8日(現地時間7日)、ついに真珠湾攻撃が開始される。
百機を超える航空隊による攻撃は予想を超える大戦果に。
しかし、実際は空母を逃がすなど、山本は作戦を全うできなかった。
真珠湾攻撃は「だまし討ち」と米世論を激昂させ、アメリカは総力を挙げて逆襲に転じる。
当初の山本の狙いは外れ、戦争は長期化。日本に三百万人を超える犠牲者を出す悲劇をもたらした。
番組では、関係者の証言や山本五十六にまつわる史料から、真珠湾攻撃と山本の無念の生涯を描く。

(「その時歴史が動いた」公式サイトより)

およそこのような内容でした。
個人的に驚いたことは当時真珠湾攻撃に参加していた帝国海軍の操縦士の方がまだご健在でいらして、
インタビューに答えられていたことです。

さて、それはさておき詳しい内容をレビューしたいと思います。

真珠湾攻撃は航空隊の飛行機を使って魚雷を落とし停泊中の米国艦隊に攻撃を加えるという作戦です。
当時は航空機を使って敵の戦艦を攻撃するという作戦は考えられなかったそうです。
なぜなら当時の海軍の闘い方というのは戦艦同士が海上で撃ち合って闘うという、
日本海海戦のような闘い方が一般的だったからです。
ゲストの半藤一利さんの言葉を借りるならば
「当時の海軍は誰も飛行機が艦を沈められるなんて誰も思っていなかった」
という感じだったようです。

しかし、山本は既に戦艦同士が撃ち合う闘い方よりも今後は航空機が主力となる闘いが一般的になると予測しており、
それ故に左遷されていた時期、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の開発に尽力していたのでした。
そして実際にその読みは的中したわけですが、当初、この作戦に軍令部は「あまりにもばくち的過ぎる」批判的でした。
実際に山本も
「桶狭間とひよどり越と川中島とを合せ行ふの已(やむ)を得ざる羽目に追込まるる次第」
と言っています。が、山本は
「作戦が認められなければ日米戦をやり通す見込みはない。そうなれば自分と連合艦隊全幕僚は辞職する覚悟でいる。」
と言い、軍令部も遂に山本の作戦を了承しました。

日本の国力とは比べものにならないアメリカと戦争をした場合、
長期戦になると日本に勝ち目は無く、短期決戦に持ち込む必要があります。
山本は短期で決着をつけるには今までの常識的な戦い方では勝てないという確信を持っており、
故にこの奇抜な真珠湾攻撃作戦を立案したのでした。

山本が近衛首相から日米戦での海軍の見通しを聞かれた時も
「初め半年や1年は暴れてご覧に入れます。しかし、2年3年となっては全く確信は持てません。
日米戦争回避に極力御努力を願います」

と答えています。

そして、同時に最後の最後まで戦争回避の希望を棄てませんでした。

連合艦隊最終打合せでの山本は指揮官たちに
「ワシントンで行われている対米 交渉が妥結したならば、ハワイ出動部隊はただちに反転して帰投せよ」
と言いました。
すると南雲忠一中将など何人かの指揮官が反論して
「それは無理な注文です。出しかけた小便は止められません」
と言うと、山本は珍しく声を荒げて、
「もしこの命令を受けて帰れないと思う指揮官があるなら即刻辞表を出せ。
百年兵を養うは、ただ平和を守るためである

と言ったそうです。

しかし、12月1日の御膳会議で日米戦開戦が決定されます。

開戦決定を受けた時の山本の言葉
「万事休すだ。もし交渉がまとまったら、出動部隊をすぐ引き返すだけの手は打っているが。どうもね・・・」

そして、12月7日ローズベルト大統領から昭和天皇へ親書が送信され、
ギリギリの段階での和平交渉が進められようとしていました。
開戦か和平か。
山本はもし和平への動きがみえれば即時に作戦を中止する手はずを整え、結果を待ち構えました。
その時の山本の様子を当時、司令長官付き士官だった佐藤嘉三さんはこう振り返っていました。
「長官(山本)は夜、甲板の上を歩きながら、なんかいろいろ考えてられるんでしょうね。
何か考えながら静かに静かに歩かれる。
ただ歩かれるという感じではなくて、コツ・・・コツ・・・コツ・・・という感じですね。」


真珠湾攻撃の時、山本が一番気に掛けていた事は
宣戦布告前に攻撃しないことでした。

当時、真珠湾攻撃隊パイロットだった前田武さんの証言。
「その時一番しつこく言われたのはね、山本長官の命令だけれども、
午前八時よりも爆弾を落とした機銃を打ったりしてはいけないと。」


山本は国際法上、日本の正当性を守るため、攻撃前に事前通告を行なうよう
日本政府に約束させていました。
その刻限である7時30分より前には絶対に攻撃しないようにと全軍に厳命したのです。
(しかし、外務省の不手際で宣戦布告が真珠湾攻撃後になってしまいます。)

そして現地時間の7日7時55分、真珠湾攻撃は実行に移され、
アメリカ太平洋艦隊に壊滅的な打撃を与えました。
その戦果が司令部に次々と届いた時の佐藤嘉三さんの述懐。
「いろんな参謀その他が欣喜雀躍といいますか、躍り上がって喜ぶような雰囲気だったんですね。
ところが、長官(山本)は腕組をしてウーンと唸られて、表情があまり見えないんですよ。」


山本はその後の戦争でどんな大戦果が届いても一度も喜んだことは無かったそうです。

その後の日本のゆくへは皆さんご存知の通り。
日米戦は長期戦となり、日本は次第にアメリカの国力の前に苦戦を余儀なくされ、
特にミッドウェー海戦後、戦況は終戦まで悪化をたどる一方でした。

山本は手帳に帰らぬ部下の名前と故郷を一人づつ書き留めていて、
たびたびその手帳を見ながら呟いていたといいます。
「もうどのくらいになったかな、この手帳もいっぱいになって数えるのも難しくなった」

そして、最後に山本が戦死するの7ヶ月前にしるした手記の文章を紹介して終ります。
「ああ われ何の面目かありて見えむ大君に 将又逝きし戦友の父兄に告げむ言葉なし
 いざまてしばし若人ら死出の名残の一戦を 華々しくも戦ひてやがてあと追ふわれなるぞ」


防衛庁が「省」に格上げ?

2005-12-06 23:10:48 | 政治・経済
今日、毎日新聞の一面を見たら
「政府・与党は五日、防衛庁を「省」に昇格させる防衛省設置関連法案を来年の通常国会で成立させる方針を固めた。」
という旨の記事が載っていました。(註:引用文は産経新聞から)

防衛庁が防衛省に格上げされるのは一向に構いません。
むしろ、国防に関わる国家機関が「庁」単位でやっているという現状の方が異常だと思っているくらいです。

ただ、いくら庁が省になったところで所詮、日本軍が米軍の隷属下にある現状は変わらないでしょうし、
政府には変えようという気概も無いと思います。
ですから、ただ名前が変わるだけで現状からそんなに変化は無いでしょうし、あまり意味が無いように思えます。

いや、名前を変えるだけでも意味が無いとはいえません。
例えば、アメリカの真似をして防衛庁が「国防省」という名前になるのはゴメン被りたいですし、
もし、政府が昇格後の新名称を「国防省」にするというのなら、
私は先陣をきって昇格反対の論陣を張りたいと思います(笑)

テイエムプリキュア優勝!

2005-12-04 17:48:48 | テレビ・芸能
2歳女王はプリキュア 競馬の阪神JF

 第57回阪神ジュベナイルフィリーズ(4日・阪神11R1600メートル芝18頭、G1)2歳牝馬ナンバーワンを決めるレースは、8番人気のテイエムプリキュア(熊沢重文騎乗)が、ゴール前の追い比べで粘るシークレットコードを1馬身1/2差かわして1分37秒3で優勝、賞金6000万円を獲得した。1番人気のアルーリングボイスは馬群に沈んだ。
 払戻金は単勝が2260円、枠連は(3)-(6)で6520円、馬連は(5)-(12)で1万9200円、馬単は(12)-(5)で4万4990円、3連複は(5)-(12)-(16)で3万2830円、3連単は(12)-(5)-(16)の31万290円の大波乱だった。

2005年12月4日(日) 16時26分 共同通信



今日、競馬中継を観ていると「プリキュア」という単語が耳に入ってきたので、
「えっ!?」と思って耳を傾けているとどうやら馬の名前らしい。
「まさか名前の由来はあのプリキュア・・・?」などと考えながら、
中継を見ているとなんとテイエムプリキュアが優勝。

凄い、阪神3歳牝馬ステークス・・・じゃなかった今は「阪神ジュベナイルフィリーズ」か。
いやいや、いずれにせよプリキュアがG1を制した!

と、なんだかとても嬉しい心持ちになっていたら、
アナウンサーが「『プリキュア』とは子供に大人気のアニメのキャラクターだそうです。」
という旨の事を言っているのを聴いて、
「やはりそうだったのか!」と膝を打つと同時に嬉しさが増した次第でした。
なんでも、馬主のお孫さん(写真参照)が付けた名前だとか。
なるほど(笑)

あび卯月はテイエムプリキュアを応援しています!!

相次ぐ女児殺人事件

2005-12-02 23:23:32 | 社会・世相
広島の女児殺人の容疑者が捕まって、事件が一段落した思っていた矢先、
今度は栃木県で女児が殺害されたという。

一体、日本はどうなってしまったのか。

歳を重ねるたびに母国の荒廃を見せつけられている気がする。
洵に近年は気分が暗くなる事件ばかり起きている。

今の日本には課題があまりにも多すぎる。

山本五十六 ~その時歴史が動いた~

2005-12-01 22:41:44 | 歴史・人物
昨日、HNKの「その時歴史が動いた」で山本五十六特集をやっていました。

山本五十六の経歴を簡単に紹介すると・・・

1884年(明治17年)4月4日生まれ。
1939年(昭和14年)、海軍次官の後連合艦隊司令長官(兼第一艦隊司令長官)に就任する。
次官当時からの懸案事項の日独伊三国軍事同盟に最後まで反対する。
航空機による時代の到来を予期し、大和の建造に反対し日米開戦にも反対していた。
1941年(昭和16年)、太平洋戦争勃発。真珠湾攻撃は山本の立案と言われている。
1943年(昭和18年)4月18日、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空で、
乗機一式陸上攻撃機をアメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され戦死した。(海軍甲事件)

明るく冗談好きで、部下・同僚からの信頼が非常に高かった事。当時の欧米事情に詳しく、日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していた事。航空機戦力に早期から着目し、海軍航空隊設立に尽力した事。日米開戦が開始されると『短期決戦・早期和平』という日米間に於ける国力の差を冷静に分析した現実的な作戦計画を実施しようとした事等、旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、敵であったアメリカ側からも山本五十六を賞賛する意見が多い。

以上、ウィキペディアより引用。

所謂、一般的な軍人像とはかけ離れた人物だったようで、以前、阿川弘之さんと半藤一利さんとの対談でもこのような逸話が紹介されていました。

昭和14年、生活刷新運動について大坂朝日新聞の記者に意見を訊かれて

あんなものは問題にならないよ。わしは面倒だから五分刈りにしているが、
丸刈りだろうが長髪だろうが、そんなことが生活刷新に何の影響があるのかね。
海軍の航空隊の軍人は大てい髪をわけている。
頭をぶつけたりした時に、毛のある方が怪我が少なくてすむからな。
だらしない奴は、丸刈りにしたってやっぱりだらしないよ。
要するにどっちでもいいじゃないか。パーマネントだって同じだ。
あれは、経済上の関係もあってやってることだろう。
パーマネントもいいし、日本髪もまたよかろうよ。問題にすることじゃない。


と答えたとか。

昨日の番組では日米戦争に反対していたのにも拘わらず、
連合艦隊司令長官という立場から真珠湾攻撃の作戦立案に携わる事になった
五十六の苦悩や皮肉について焦点が当てられていました。

最後に番組の最後で触れられていた昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し
将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでください。



※次週の12月7日9:15~に「山本五十六」の後編が放送されるので興味を持った方はご覧になられるとよいかと存じます。