あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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宮崎駿はクソジジイだ

2008-11-29 00:12:33 | 漫画・アニメ
首相のマンガ好き「恥ずかしいこと」 宮崎駿監督発言でネット大混乱(見出し)

(略)
宮崎監督は現在の子供達の環境がアニメ、ゲーム、携帯、マンガなどバーチャルなものばかり。そんなバーチャルなものが子供達から力を奪い取っている、と指摘した。そして、「自分達のアニメの仕事も同様で、それが自分達の抱える大きな矛盾。その矛盾の中で、何を創ればいいのか、いつも自分たちに問い続けながら、映画を作っている」と語った。
麻生氏がはアニメ好きだと大々的に公言していることについてどう考えるかと聞かれた
宮崎氏は、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」
と答えた。(以下略)


J-CASTニュース 2008年11月21日 20時07分
http://www.excite.co.jp/News/it/20081121/JCast_30823.html



いつものように少し古い話題だが、宮崎駿発言が話題を呼んでいる。
記事によるとネット上では「宮崎監督の発言の真意を巡って大混乱している」という。
この記事を読んで、宮崎発言を聴いて混乱をおこしている人はよほど宮崎駿という人物を知らないのだなと思った。
駿(私は愛着をこめていつもこう呼んでいる)がオタク批判をするのは今に始ったことではない。

スタジオジブリ関係者は
「麻生首相はマンガ好きであることを、若者に対する自らの政治アピールとして使っている。アキバに行って『オタクのみなさん』などと演説したりなど、見るからに、マンガを強引で露骨に全面に出しているのは、行き過ぎではないか、と批判しているのだと思います」(同記事)
と釈明しているが、駿は昔からアニメや漫画ばかり見ているオタクが嫌いで有名だ。

たとえば、『千と千尋の神隠し』がベルリン国際映画祭で金熊賞を授賞した時の記者会見で以下のような発言をしている。


・・・日本のアニメーションが世界いっぱいに広がっていったら、恥をかくだけの道具でもあることを忘れないでほしいと思います。
(略)
事あるごとに、「(アニメビデオを)あまり観せないで下さい」と言っているつもりなんですが、「うちの子は1日に3度は必ず『トトロ』を観ます」という母親の方などに会うわけです。

(トトロを観ている間に)この子は、本当ならどれだけの体験ができたのかってね。
トトロに抱きついて、ブラウン管にキスしたって何も生まれることはないんですよ。
『トトロ』のパッケージに「誕生日にだけ観せて下さい」と書けば良いのかもしれませんけども。
そんなことをやってて、まともな子供が育ったことはないんでね。それは人も殺すし、バットで人を殴りもしますよ!
そんなあたりまえの事を、なんで大新聞は指摘しないんだろうと思うんです。

※括弧内、あび卯月註。 (『アニメージュ』2002年4月号、13-14頁より抜粋)



これ、知らない人には結構衝撃的な発言だと思う。
まづ、日本のアニメが世界に広がってゆくのは恥だなんて云って、アニメばかり観ているとまともな子が育たないと説く。
いや、まともな子どころか、人を殺したりバットで殴ったりするらしい。
あまつさへ、そういうことをもっと新聞は指摘するべしと言っているのだから恐れ入る。
この言、「俗流若者論」の批判で有名な後藤智和さん(註)あたりが聞いたらなんと仰るか、伺ってみたいものだ。

さらに携帯電話、ゲームやパソコンについても厳しい。


お母さんは携帯をかけていて、子供は横でゲームをやっている。
こんなだらしない国になるなんて、いったいどうなちゃったんだろうと思うんです。

ナイフも使えないのにパソコンのキーだけ押すようになって・・・・・・こんな民族が健康に生きていくはずないじゃないですか、そんなの分かりきったことじゃないか!

(前掲書、14頁より抜粋)


やたらと「!」が多いが、駿が本気で怒っていることの表れだろう。
これらの発言の方が記事になっている発言よりもよほど問題だと思うが如何か。
逆に云うと、これらの駿の発言をしっていれば、今回の発言など驚くに足らないのである。

一応、私の意見を書いておくと、日本のアニメや漫画が世界に広がっていくのは日本のオタク文化が世界を侵蝕しているようでなんだかとても愉快な気がする。
世界中が汚染されてゆく感じがすごく楽しいわけだ。
アニメばかりみているとろくな大人にならないというのも条件附きで同意。
人殺しはいいすぎだけど、ファンタジーばかりでマトモな人間は育たない。
あと、ケータイやゲームも程度の差こそあれ、年寄りがそういう現状を嘆きたい心情は理解できる。


さて、以上のような発言からもわかるように宮崎駿は思想傾向にかなりクセのある人物だ。
『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』などの作風から駿をやさしいおじいさんと思っている方もおられようが、はっきりいってかなりクセのあるクソジジイだ。
知らない人のためについでに書いておくと、『千と千尋の神隠し』なんかもあれ、実は性風俗のお話なのだ。
あの映画を観て勘のいい人は直ぐに気づいたと思うが、だらしない親(まぁ、借金でも背負ったのでしょう。作中では食べちゃいけないものをたべて豚になる)のために「人とちゃんと挨拶ができないような女の子」が頑張って性風俗産業で働いて成長するという隠喩になっている。
湯屋とはつまり娼館(いまの言葉ではソープランド)で、千尋が千になるのも源氏名だから。
お客が男の神様ばかりだったことについても、もはや説明の必要はないだろう。
宮崎駿自身はなぜ風俗産業をモチーフにしたかについて
「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」(日本版『プレミア』の2001年6月21日号)
と語っている。

やはり、宮崎駿はクソジジと云わねばならない。
そして、そういうクソジジイだからこそ多くの人を惹きつける作品を作り出すことができるのだと私は思っている。


*****
註:後藤和智とは平たく言えば若者に対するあらゆる悪口を批判している学生さん。
ウィキペディアには「日本の評論家」とある。
学生の分際で「評論家」だなんて、この稿を編輯した人はよほどいぢわるな人とみた。


少し長い補足:(語り口調で)

念のために書いておきますが、私は宮崎駿監督が嫌いなのではありません。
まして、悪口を書いたつもりもありませんし、クソジジイというのも愛情表現のようなものです。
かといって好きかというと、それは「べっ、別にあんなじーさんのこと好きじゃないんだからっ!」と云わざるを得ないのです。
アンビヴァレンスと云う言葉がありますが(同一の対象に対して相反する感情を同時に抱くことを云うのですが)、私にとって駿はそういう存在なのです。
作品をみてもわかりますとおり、彼は天才です。
アニメーターとしての才能もおそらく日本で一番なんじゃないでしょうか。
ジブリ作品も最近のものは観ていませんが、ほとんどが好きな作品です。
特に『カリオストロの城』『ラピュタ』『トトロ』『魔女の宅急便』あたりは何度見ても面白い。
ところが、一方で、宮崎駿個人が好きかというとやはり、私の思想とは相容れない箇所が多々あるのです。
彼は根が左翼ですから、そういうところもちょっと合わないのかも知れません。
左翼といっても古い左翼ですから、今のサヨクよりもよほど共感できる部分は多いのですが、ちょっと極端なところがあるんです。(私にも言えることですが)
例えば、彼は「いまはプロが力を無くしている時代なんです」と云って、基本的にプロの声優を使いません。
私は「プロが力を無くしている」というのは一面的には事実だとしても、それゆえに声優を使わないというのはちょっと極端と言うか、論理の飛躍があるように思えてならないのです。
上のアニメばかり見ていると人殺しになるというのもそうですが、そういう極端なところがちょっと私の肌とは合わないなというのが確かにあります。
つまるところ、尊敬はするけども肌が合わないというところでしょうか。
だから、決して嫌いでも好きでもない。
「クソジジイ」という表現もそういうクソあび卯月の心情を踏まえた上で御理解していただければ幸いに存じます。

あび放言 その八(厚生次官刺殺、台湾、美人市議)

2008-11-23 21:15:50 | 時事放言
・元厚生事務次官刺殺事件

昨日、犯人とみられる男が自首して、事件は一段落ついた形だ。
ただ、本当にこの男が犯人なのか、また動機や背後関係が気になるところだ。
さて、この事件について政治家やマスコミはさかんに「民主主義の危機」という言い方をしている。
例えば、社民党の福島瑞穂党首は会見で「年金や医療の実務に携わっていたことが理由になっていたなら、政治と民主主義の危機だ。政治は社会保障の不安をなくす方向で全力を挙げないといけない」と語った。(11月19日18時45分配信 時事通信)
果たして本当にそうだろうか。
いままで、官僚は民主主義を阻む元凶のように云われてきた。
日本は民主主義国家ではなく官僚国家だという風に。
私もこの意見に概ね賛成で、官僚機構の安寧と民主主義の問題は別問題だと思う。
じじつ日本は官僚が政治家よりも実際に国を動かしている現状があり、選挙を経ずにその職にある官僚が国を動かすことは本来、民主主義の精神とは相容れないはずである。
すなわち、官僚に対するテロで危機にさらされるのは、民主主義ではない。
官僚に対するテロで危機にさられるのは行政機構であり、もっとえいば国家秩序だ。
あえて書く必要もないと思うが、このようなテロは到底赦されるものではない。
しかし、繰り返すがそれは民主主義の危機を招くからではなく国家秩序を乱すものだからである。


・台湾情勢

台湾は親日国家だとよく謂われる。
私もその認識に間違い無いと思うが、註釈がいる。
正しくは台湾の内省人は親日的だというべきだろう。
内省人というのは日本統治時代以前から台湾に住んでいた人たちとその子孫を指す。
つまり、日本統治時代は日本人だった人たちだ。(その子孫は違うけども)
内省人と反対の人たちに外省人がいる。
これは戦後、つまり日本統治が終焉を迎えた後に支那大陸から渡って来た支那人を指す。
だから、外省人は漢民族になる。
その多くは日本と戦っていた国民党側の人間だから当然反日だ。
戦後の台湾はこの国民党が国を支配した。
だから、庶民レヴェルでは親日の人が多かったが、政府、マスコミなどは反日勢力に握られていた。
これに変化が見られたのが李登輝が総統に就任してから。
その後に総統になった民進党の陳水扁も親日だった。
ところが、今度の選挙で反日の馬英九(国民党)が総統に就任した。
その途端に、尖閣諸島は「中華民国の領土」とする総統府声明を発表し、日本が抗議すると劉兆玄行政院長(にほんの首相にあたる)が「開戦も排除しない」と発言。
さらには台湾の在日代表機関、台北駐日経済文化代表処の許世楷代表の召還と、外交部内に対日関係強化部門として設置された「日本事務会」の廃止を決めた。(2008年6月15日 産経新聞)
そして、先日、前総統陳水扁が逮捕された。
表向きは機密費横領容疑だが、親日勢力の掃討という意思が見え隠れする。
反日派が政権に返り咲いて、検察と司法も勢いづいた恰好だ。
台湾独立派(これは内省人が多い)も黙ってない。
昨夜、民進党の支持者ら台湾独立派の住民約一万人が台北市内の公園で陳水扁前台湾総統の逮捕に抗議する集会を開いた。(11月22日 時事通信社)
独立派と親中派の対立はますます深刻の度合いを増しそうだ。
いづれにしても、親中派が台湾を侵蝕している現状に憂鬱な思いがする。


・青森県八戸の「美人」市議、DVD発売

青森県八戸市の藤川優里市議がDVDを発売していろいろ話題になっている。
八戸をPRするDVDという名目だそうだが、遊泳禁止の場所で水着になっていて、「遊泳禁止の場所だから」とか「そもそも水着というのがケシカラン」など批判を浴びている。
そのDVDの内容、テレビで一部見たが、八戸のPRというより藤川優里のPVという感じだった。
あの人、本当は議員なんかよりタレントになりたいんじゃないだろうか。
議員をタレントへの踏み台と思っていなければ幸い。

田母神論文の誤りを正す

2008-11-20 23:54:33 | 歴史・人物
先日の記事で「田母神論文の誤りを正す小文を書いてもいいくらいだ」なんて書いたので、歴史書や史料を洗っていたら、先週の『週刊新潮』に現代史家の秦郁彦先生が要点を突いた指摘をされていた。
なんだ、私ごときの出る幕ではないかも。
まづは、秦先生の言葉を紹介したい。


一.張作霖爆殺事件は関東軍河本大作大佐によるものという史実が確定している。

二.盧溝橋事件について田母神論文には劉少奇が外国人記者との会見で
「現地指揮官は自分だった」と証言しているとあるがそんな会見は存在しない。
東京裁判で旧陸軍関係者が会見があったと聞いたと語ったことがある程度の単なる噂にすぎない。

三.論文には私(秦郁彦)の著書『盧溝橋事件の研究』も引用されているが、
そこでは事件の首謀者=中共説をはっきり否定している。
私は軍閥宗哲元率いる第二十九軍の兵士が偶発的に撃った銃弾と結論付けている。

四.太平洋戦争がルーズベルトの罠だったとする説は学問的には誰も認めていない。
ルーズベルトが対日開戦の名分を得るため、真珠湾の太平洋艦隊を日本軍に叩かせて“リメンバー・パールハーバー”を演出したという説は俗説中の俗説。

五.ハリー・ホワイトはハル・ノート当時は次官ではなく財務省の一部長に過ぎない。
ホワイトがハル・ノートを決めたなんて言いすぎ。

(『週刊新潮』208年11月13日号、25頁より)


さすが、実証主義の歴史家だけあって簡潔に史実との相違を指摘されている。
せっかくなので、私なりに二、三付け加えておきたい。

一について。
田母神論文で張作霖爆殺事件の主謀者をコミュンテルンとする根拠となっている文献にユン・チアン『マオ ―誰も知らなかった毛沢東』が挙げられている。
『マオ』には確かに「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」(301頁)との記述がある。
しかし、この箇所、脚注扱いだし、原文には

This assassination is generally attributed to the Japanese, but Russian intelligence sources have recently claimed that it was in fact organized, on Stalin’s orders, by the man later responsible for the death of Trotsky, Naum Etingon, and dressed up as the work of the Japanese.(アメリカ版、175頁)。

と書かれている。
これを訳すと「しかしロシア諜報機関の資料は、実際にはスターリンの命令で組織され、トロツキー暗殺に責任を負うナウム・エイティンゴンによって実行され、日本軍の仕業に見せかけた、と最近主張している」(註)となり、邦訳で「明らかになった」とされているのは誤訳というべきだろう。
また、邦訳にある「ソ連情報機関の資料」とは、2000年にモスクワで出版された『GRU帝国第一巻』(コルパキヂ、プロホロフ共著)で紹介されている話を指すのだろうが、ここには情報の出所が明示されていない。
出版から八年も経っているが追加の裏付け情報もなく、張作霖爆殺事件の主謀者をコミュンテルンとするにはあまりにも根拠に乏しい。
反対に通説である河本大作(関東軍参謀)が主謀者であるということを証明する史料は数多ある。
最新のものでは2006年に発見された東宮鉄男大尉の日記だろうか。
東宮大尉は爆殺の実行者とされているが、その日記昭和四年七月二日の段には「(田中)内閣総辞職。事件の最大責任者はもとより余一人にあり」と記されている。

次に二と三について。
田母神論文で一番引っ掛かったところは秦郁彦先生の『盧溝橋事件の研究』を参考文献として挙げているのに劉少奇の証言を借りて盧溝橋事件の仕掛け人を中国共産党軍としている箇所だった。
秦先生も指摘しているように、『盧溝橋事件の研究』では仕掛け人(日本軍に向けて発砲した者)を国民党第二十九軍と結論付けている。
おそらく、田母神氏は『盧溝橋事件の研究』を孫引き、あるいはつまみ食いしたのではあるまいか。

他にも田母神論文では「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」という主張がなされている。
これにも疑問がある。

盧溝橋事件が起きた当初、日本陸軍参謀本部の中では石原莞爾を中心とする不拡大派と武藤章を中心とする拡大派が存在し、陸軍省の杉山元陸軍大臣も拡大派だった。
なお、近衛文麿首相を中心とする政府は、はじめ不拡大方針を打ち出したが、南京陥落後、陸軍参謀よりも強硬派になるなど態度が一定ではなかった。
支那側は中国共産党は積極派、国民党は不拡大派。
中共としては国民党が日本軍と戦うことになれば、国民党の力が削がれ有利になる。
国民党としてはいまは日本軍と戦争なんてしたくない、むしろ中共軍と戦いたかった。
だから、国民党の第二十九軍が蘆溝橋で発砲したのはまさに偶発的なことだった。
引きずり込んだのは蒋介石というより中共と言った方が近い。
確かに後の歴史をみれば戦争によって得をしたのが中共であるので、中共やコミュンテルン陰謀説が幅を利かすのはある意味では理解できる。
事実、国民党内には中共の工作員が潜入していたし、コミュンテルンのスパイだった尾崎秀実は日本国内で盛んに事変の拡大を煽っていた。
ただし、日本にも拡大派がいたし、戦場となったのは支那大陸である以上、「被害者」という理解には与しかねる。

それにしても、支那事変(日中戦争)はまったく無意味な戦争であった。
いや、無意味どころか後の日中間に大きな禍根を残すことになる悲劇であった。
この悲劇が起きたのは日本側に明確な侵掠の意図があったからというより、むしろ日本側に国家としての明確な意思が不在だったことによると思う。
無論、あの戦争を収拾することができなかった当時の指導者の責任は重い。

以下、四、五については省く。
田母神論文はいわゆる陰謀論の類を多く採用している。
これが「学問研究の成果」と言うなら失礼ながらお粗末極まりない。
いづれにしても、私は田母神論文について各論反対、総論賛成と言ったところだ。
言い換えれば、結論部分は同感するがそれまでの論の進め方に大きな誤りがあり同意しかねる。
自身が書かれているように日本人として誇りを持つためには「嘘や捏造は全く必要がない」。
これまで日本では右も左も日本を誇るためにあるいは貶めるために歴史を捏造してきた。
私は今後も歴史の嘘や捏造だけは排撃してゆきたいと思う。


*****

註:訳は矢吹晋(横浜市大名誉教授)に拠った。(「『マオ』の真贋を読む」、東方書店『東方』2006年5月号、28-31頁)

参考文献:
伊藤隆『日本の歴史30 十五年戦争』小学館(1976年)
北岡伸一『日本の近代5 政党から軍部へ』中央公論新社(1999年)
有馬学『日本の歴史23 帝国の昭和』講談社(2002年)
秦郁彦『現代史の虚実』文藝春秋(2008年)
秦郁彦『昭和史の謎を追う』文春文庫(1999年)
加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』岩波新書(2007年)
三代史研究会『明治・大正・昭和30の「真実」』文春新書(2003年)
伊藤隆、北村稔、櫻井よしこ、瀧澤一郎、中西輝政(対談)「あの戦争の仕掛人は誰だったのか!?」『諸君!』2006年6月号
ほか

お門違いのテロ

2008-11-19 23:07:18 | 社会・世相
旧厚生省の元事務次官とその妻がテロに斃れた。
山口剛彦さんは妻美和子さんと共に何者かによって刺殺され、
吉原健二さんは自身は無事だったが妻の靖子さんが重症を負った。

山口、吉原両氏は厚生省の事務方のトップである事務次官を務めた人物。
その前は年金局長、山口氏は年金課長を務めており、いわば年金畑を歩んだ。
特に山口さんは現職時代「年金のスペシャリスト」として知られる能吏だったという。
吉原さんと山口さんは上司と部下の関係で、さらにその下にのちに宮城県知事を務める浅野史郎氏がいた。

年金問題が連日のごとく騒がれる昨今である。
年金制度に関して怒りを燃やす者の犯行と考えるのが自然だ。
だとしたら、これほど不可解なテロは無い。

山口、吉原両氏は1985年頃、タッグを組んで年金改革に取り組んだ。
この年金改革は

一、国民年金と厚生年金の一部を統合し基礎年金制度がつくり、年金制度をより安定的なものにした。
二、任意加入だった専業主婦を国民年金に加入させ、離婚しても年金が受給されるようにした。
三、障害福祉年金を基礎年金にすることにより、受給額を大幅に引上げた。

などなど、画期的な改革であり、両氏は年金制度の改善に尽くした貢献者とみるべきだろう。
確かに、吉原氏が事務次官のときに年金記録管理のオンライン化が導入され、山口氏が事務次官のときには基礎年金番号の導入が行われ、これらのシステム下で年金記録ミスが多数発生している。
が、これはあくまでも運用の問題であって、両氏の責任を問うのは酷な話だ。
だから、犯人が年金問題に憤りを感じ凶行に走ったとするならば、お門違いも甚だしいのである。

テロリストがテロの標的を見誤ることはままあることだ。
歴史を紐解くと、五・一五事件がそうだろうか。

暗殺実行犯の青年将校らの標的は本来、ロンドン軍縮会議をやった民政党だった。
ところが、五・一五事件で暗殺された犬養毅は政友会だし、そもそも犬養は軍部と対立していた政治家ではなかった。
陸軍の有力者だった荒木貞夫と良好な関係であったし(荒木は犬養内閣に陸軍大臣として入閣)、犬養毅の所属する政友会は「行けよ働けよアジアの盟主、広い満蒙が待つてゐる」(註)と訴えて選挙で圧勝した。
つまり、満洲事変も容認、贔屓目に言っても黙認していたわけだ。
だから、陸軍にとっては犬養は都合の良い人物で、海軍青年将校らの暗殺計画を知った陸軍の安藤輝三(のちに二・二六事件を起こした人)は計画の中止を求めている。

もちろん、犬養自身は満洲事変の収拾に尽力したし、軍縮論者であったが、海軍将校がテロの標的にするにはあまりにもお門違いだった。
犬養が銃弾に斃れる直前に「話せばわかる」と云ったのは「おいおい、私を撃つのは違うだろう」という意味ではなかったのだろうか。
山口夫妻も泉下でこう思われているのではないか。
「私たちを刺すのは違うだろう」と。


*****
註:『政友』377号(1932年2月)2、4頁。
参考文献:坂野潤治『改訂版 日本政治史』

田母神騒動で言い足りないこと

2008-11-19 02:19:05 | 政治・経済
天木直人氏が自身のブログで

「田母神問題で明らかになった事のひとつは、わが国ではその文民統制という制度的保障が、いつの間にか完全に有名無実化しているという恐るべき実態であった。」(2008年11月07日)

なんて書いていた。
この人、ちょっとおかしいんじゃないか。
「日本は侵掠国家じゃない」という論文を書いて首を飛ばされたんだからこれこそ文民統制が正常に機能している証拠だ。

他にも
「もうひとつは、そしてこちらがより重要な事であるのだが、田母神氏の歴史認識の誤りを国民の前で糾す事である。(中略)正しい歴史認識とは何か。それは全体としての史実の客観性を認める事である。」(同)

という箇所。

正しい歴史認識なんてあるものか。史実は一つだが歴史認識はそれこそ十人いれば十人とも違うのが「認識」だろう。
「正しい歴史認識」なんて言葉を平気で使う氏の見識を疑う。

私は田母神氏のような歴史認識はあってよいと思う。
史実の点であぶなっかしい記述があるのは多くの識者が指摘する通りで、私も一応、歴史を研究している者の一人として「これは違う」と思う箇所がある。
これをまとめて田母神論文の誤りを正す小文を書いてもいいくらいだ。
それを踏まえた上で大まかな歴史認識、すなわち「日本は侵掠国家ではない」という主張に同意するものだ。
これが政府見解と違うから問題だというなら、政府見解と異なる思想をもつ官僚をすべて首にせよ。

あのような要職にある者が発表するものとして不適切だったという意見は確かに頷ける。
今の日本では反撥が予想されたのだから、言うべきではなかったのかもしれない。
ただ、そうであればそういった現状を批判する意見が見られてもいいようなものだが、マスコミ報道では皆無だった。

結論を言えば、歴史認識を政府が握っているというのがおかしな話なのだ。
なんでそんなことまで国家に制約されなければならないのだろう。
これこそ、国家権力の横暴じゃないか。
反権力、反体制の人たちが批判するどころか、国家権力と一緒に田母神氏を叩き挙げ句、退職金まで返還すべしなんて云っている。

結局、政府が歴史認識を統一するのは国家として「あれは侵掠戦争でした」「うちは侵掠国家でした」と言っておけば、中国、韓国さんは大人しくしてくれるでしょうという事なかれ主義の産物で、村山談話なんかも本当に反省しているのかはなはだ疑わしい。
後ろにはなんだかショーバイだとか都合の匂いしかしないのである。
試しに、本気で侵掠戦争を反省して
「アジアの各国に賠償をしたいと思います。つきましては、消費税を二十パーセントに上げて賠償金にあてます」
なんていってごらんよ、国民が一気にウヨクになると思うよ(笑)

冗談はさておき、反対に政府が「あれは侵掠戦争じゃない」なんてわざわざ言う必要もない。
そんな宣言は無駄な波を立てるだけで一利もない。
反対に「うちは侵掠国家でした」なんていっても一利もあるものか。
いや、一見利があるように見えて差し引きマイナスになるだろう。
田母神氏の論文について中韓が文句を言ってきたところで、
一言、「我が国は自由な国ですから公務員と言えど、歴史認識は様々です。政府として思想統一はしておりません」と言えば済むことなのだ。
それにあの程度のことで、国交に深刻な傷がはいるとも思えない。
むしろ、騒いでいるのは国内のマスコミやそれに付随する者達だ。

無論、公務員は法を遵守し、政府の政策にしたがうべきだ。
その上で思想信条はある程度、保証してやるべきだろう。
だから、そういう意味において田母神論文の内容で問題にすべきは日米安保や集団的自衛権に触れた箇所で、ああいう政策に関ることは幕僚長という立場で発言すべきではない。
軍人は政府の政策に口出しはしない、というのが文民統制下における正しい軍人のあり方だ。
実は大日本帝国憲法下でも議論されていて、統帥権はあくまでも作戦事項に関する軍部の独立であり、外交権や軍の編成大権は内閣に属していた。
統帥権として独立していたのは作戦と用兵で、いわば戦場の作戦行動においてのみは軍部は独立して行動できたわけだ。
だからこそ、石原莞爾は満洲事変を起こしたとき、わざわざ敵を作った。
ついでにいえば、満洲事変は侵掠行為とみなされても仕方のない行動だったと思う。
と、まぁ、こういう歴史のお話はまた別の機会にするとして、私の言いたいことはもう少し言論の風通しがよくすべしということに尽きる。

戦後民主主義の体現者、筑紫哲也逝く

2008-11-09 02:43:39 | 政治・経済
筑紫哲也は言うなれば戦後民主主義の体現者だった。
戦後民主主義下の日本においては彼の云うことは正にジャスティス(正義)であり、基本であった。
いわば戦後民主主義の教科書。
もっといえば、戦後民主主義が服を着て歩いているような人物だった。
そういう意味において彼は体制にべったりの人間だったと思う。
彼のことを反体制と思っている人は多いし、彼自身もそう思っていたに違いないが、彼は正しく戦後民主主義下の日本においては体制側だったのだ。

戦後の日本において、体制は国家や政府自民党ではない。
それらは否定されてしかるべきの存在だった。
つまり、「体制側」であるところの国家や政府自民党に反対の姿勢をとることこそがまさに体制だったのだ。
マスメディアにおいて特にそれが顕著であった。
だから、彼が戦後民主主義の申し子というべき朝日新聞を中心とするメディアにおいて寵児のような扱いを受けたのは、なんら不思議なことではない。

戦後民主主義下では新聞は政府批判と自民党批判をしていたら大丈夫だったし、テレビニュースのコメンテーターも同じ。
とにかく、政府や自民党を批判して、日本および日本人に対してはシニカルで冷笑的な態度をとっていれば安全だった。
反対に新聞やテレビで少しでも国家を肯定するようなことをいえば即座に右翼、軍国主義者のレッテルが貼られ、人の扱いを受けた。
メディア全体の空気がそうであるなら国民の空気もそうなる。
政治的意見を求められれば、みな筑紫哲也の言説を真似た。
「国が悪い」「日本人は情けない」とか。

ただ、最近ではネットの普及もあってか、戦後民主主義の化けの皮が剥がれて来た。
というより、戦後民主主義の欺瞞が国民に知れ渡るようになってきた。
筑紫哲也たち戦後民主主義者の方々が言っていたことはちょっと違うんじゃないの?と疑問を呈する本当の意味での「反体制」が出現してきたわけだ。
私がこれまで、「~だった」と過去形で書いたのはそういう理由からだ。
だが、まだまだ現在形で書くべきかもしれない。

厳密にいえば、筑紫さんたちがいう体制であるところの国家にしても政府自民党にしても、所詮、戦後民主主義の枠を超えておらず、私に言わせればマスコミと政府の対立構造なんてものはコップの中の争いでしかない。
その証拠に「日本は侵掠国家ではない」と言った空自幕僚長を仲良く一緒に叩いている。
これは、幕僚長の論文が戦後民主主義の枠組みを越えるものであった為だ。
共に戦後民主主義を奉じているという点でマスコミも国も大差はない。

筑紫氏死去に伴ってネットでは私が予想していた以上に筑紫氏に対する批判、というより罵倒が溢れかえっている。
曰く「ざまあ」だの「めでたい」だの「死んで良かった」だの、ちょっとあんまりな言葉が並んでいる。
私も氏の政治思想にはまったく相容れるものが無く、氏がテレビで垂れ流す言葉を聴くたび嫌悪感しか抱かなかったクチだが、今更、故人となった筑紫哲也個人を批判ないし罵倒する気にはなれない。
考えてみれば彼に抱いた違和感はすなわち戦後民主主義そのものに対する違和感であったし、その先導役であったマスコミに対してのものだったように思う。
筑紫氏が批判されるのは筑紫氏個人にその要素があったというより、戦後民主主義そのものに批判されるべき要素があったのだ。

近年、戦後民主主義の見直しが進んでいる。
筑紫氏の死は戦後民主主義体制の瓦解の始まりを意味することになろうか。
ただ一つ言えることは戦後民主主義の体現者であった筑紫氏はそれゆえにこれからもその象徴として反体制派から叩かれつづけるだろう。
これ、誰かと似ているが、書かないでおく。

オバマ大統領で悪夢再来か

2008-11-08 02:59:38 | 政治・経済
オバマ氏勝利、影響は限定的
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-081106X246.html

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米国の大統領選は民主党のオバマ氏が勝利した。
黒人大統領(註1)の誕生は米国の一種の変化の表れだろう。
かつては黒人が大統領になるなんて考えられなかった。
ちょっと前まで白人と黒人で乗るバスさえ別々だった国だ。
この変化については歓迎したい。
ただ、朝日新聞が社説で
「米国という国のありようが変わるだけではない。世界との関係も新しい時代に入っていくのだろう」(2008年11月6日)
というほどアメリカが変わるはずがない。
だいたい、あの新聞が云うことをすべて逆にすれば、日本にとっては良いことになる。
ということは、あれほどオバマを褒めるのだから、やはりオバマ大統領は日本にとっては悪夢になりかねないのではないか、という思いを一段と強くしてしまった。

オバマ氏の所属する民主党は伝統的に日本嫌いの政党(註2)で、民主党のクリントン政権下、日本はとにかく痛い目を見た。
日米貿易摩擦という言葉ガ流行ったのも民主党のクリントン政権のときだ。
あの時「ジャパン・バッシング」と言われるほど、アメリカは日本に不利な要求を突きつけてきた。
そして、日本企業は理不尽極まりない訴訟をふっかけられ、大金をむしりとられたものだ。

例えば、旭光学は米司法省から「カメラの裏に香港で組み立てとあるが一部は深圳でも組み立てている。これは虚偽表示だ!」とインネンをつけられて、和解金三千万ドルを支払った。
これ、実は裏でクリントンが司法省を操ってやっていた。

東芝は一般ユーザーから「ノート型パソコンが使い方によってはフロッピードライブの破壊が起こり得る」として訴訟を起こされた。
当時、東芝のノート型パソコンは全世界で一千五百万台が使われていたが、そういった欠陥は報告されていなかったし、実際にそのような致命的な欠陥はなかった。
しかし、最終的に東芝は十一億ドルの和解金を支払うはめになる。
日本円にして、一千百億円。
これは東芝がその年まで四年間、全米でノート型パソコンの売上げでトップを占めていた、その売上げをすべて投じても足りない額だった。(高山正之『情報鎖国・日本 新聞の犯罪』33頁)

三菱自動車もありもしないセクハラ問題でEEOC(雇用機会均等委員会)から訴訟を起こされた。
当の三菱に勤務する女性従業員も否定したのに、米メディアは反三菱キャンペーンを張る。
これに民主党のシュローダー議員も便乗して、三菱に抗議声明を出し、何の関係もない日本大使館にも抗議の書翰を送りつけた。
三菱自動車は孤軍奮闘も虚しく、無条件降伏し和解金三千四百万ドルを支払った。

これらはほとんどでっちあげの罪を着せられたかたちで、訴訟というよりカツアゲか恐喝に近い。
アメリカ人同士だったら裁判所もデタラメだとして絶対に訴訟にならないような内容なのに相手が日本だから金を取るだけ取れということか。
こういう事実を日本のマスコミはほとんど報じてこなかった。
米国に居た日本の特派員たちは「アメリカに居るんだからアメリカの嫌がることは書かない」という空気が支配的だった。
日本のマスコミにはジャーナリストが居ないということがこれでもわかる。

こういう理不尽な対日企業訴訟は共和党のブッシュ政権になってピタリと止んだ。
あれほど悪口を言われていたブッシュ政権だけども日本にとっていいこともあったのだ。
オバマ民主党政権が誕生して再びあの悪夢がよみがえらないことを祈りたい。

最後に、、
「オバマ氏勝利、影響は限定的」という記事をみて呆れた。
日本の外交戦略、内政、はたまた日本企業への影響かと思ったら、「衆院選挙への影響」のことだった。
こういう議員ばかり居る日本は本当に大丈夫なのだろうか。


*****
註1:正確にはケニア人とアメリカ人のハーフ。
註2:過去、民主党議員がやったこと・・・
・民主党ルーズベルト大統領、ハルノートを突き付け東京大空襲を命令。
・民主党トルーマン大統領、広島・長崎に原爆投下。
・民主党クリントン大統領、スーパー301条をちらつかせ一方的に難題を推しつけ日本バッシング(いじめ)および日本パッシング(無視)。
・民主党マイク・ホンダ議員、従軍慰安婦決議案を米国下院議会に提出し可決。
などなど。

「田母神幕僚長更迭」小論争

2008-11-06 01:41:01 | 政治・経済
先日、掲載した「「侵掠国家はぬれぎぬ」航空幕僚長、更迭」という記事を某コミュニティサイトでも発表したところ、以下のような反論をいただいた。
せっかくなので、それに対する私の反駁と以下のやり取りをここに転載しておきたい。

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▼たっつん 2008年11月01日 03:31

>ふつう自国を「侵掠国家だ」などと言われたらなら「違う」というのが健康な姿だ。

本当にそう思いますか?
あなたの娘さんがレイプされて犯人が起訴されて有罪が確定しても
犯人に対して「この性犯罪者!」などと責めても犯人からしてみれば「違う」というのが健康な姿ですね。 犯人は裁判がインチキで性行為は同意の上だったと思っているので。

この幕僚長もある程度、同意の上だったと思っているわけですよ。
でも東京裁判自体を日本政府の立場としてやはり受け入れないという事態にならない限りは確定しているのですよ。戦争犯罪は。

だからこの幕僚長はもっと言葉を選びながら、「国際環境の中で翻弄され、圧力をかけられことによる行動の部分があった可能性も否定できない」くらいにしておかなきゃいけなかった。アジアから侵略国家といわれていないと主張するなら統計学上優位性のある調査を出さなきゃいけない。この人の論文も結論ありきの右翼論文になってるのが問題だろう。


***

▼あび卯月 2008年11月01日 10:36
>たっつんさん

>本当にそう思いますか?

世界を見渡せば、それが健康な姿だと思います。
それゆえ、健康とは嫌なものです。

>あなたの娘さんがレイプされて犯人が起訴されて有罪が確定しても犯人に対して「この性犯罪者!」などと責めても犯人からしてみれば「違う」というのが健康な姿ですね。犯人は裁判がインチキで性行為は同意の上だったと思っているので。

戦争をレイプに例えるのはいかがなものでしょうか。
戦争とレイプを一緒にするのは乱暴ですし、なにより品性を疑われます。
レイプという譬えを出されたので、申し上げますが、強姦をしたかどうかであれば、それは事実関係の有無の問題です。
事実関係の有無ならそれはある程度、検証によって証明することが可能です。
たとえば、「南京大虐殺はまぼろしだった」と主張されれば、それは事実関係の問題ですから100%ではありませんが白黒つけることは出来ます。
ちなみに私は小規模の虐殺はあったと思っています。(数については確定するのは困難でしょう)

が、日本は侵掠国家であったかどうかは価値判断の問題です。
ですから、たっつんさんが「日本は侵掠国家であった」と云うのであればその意見は尊重いたします。
反対に「日本は侵掠国家ではない」という意見があってもいいだろうというのが私の考えです。
しかし、日本政府は「日本は侵掠国家であった」という見解しか認めていません。
これはいささか一面的すぎます。

>でも東京裁判自体を日本政府の立場としてやはり受け入れないという事態にならない限りは確定しているのですよ。戦争犯罪は。

東京裁判を受け入れた当時の日本は主権を有する国家ではありませんでした。
いわば、あの裁判を受け入れられなければ、独立を回復することが出来なかったという事情があります。
それに、「東京裁判を受け入れた」といっても、あれは諸判決を受け入れたのであって、東京裁判の価値観まで受け入れたと解するのはミスリードというべきでしょう。
つまり、独立回復後、裁判の不当性を主張することまで禁じているわけではありません。
また、東京裁判の規定する「戦争犯罪」が事後法で規定されたものであることは恐らく御存知でしょうから詳細は省きます。

>だからこの幕僚長はもっと言葉を選びながら、「国際環境の中で翻弄され、圧力をかけられことによる行動の部分があった可能性も否定できない」くらいにしておかなきゃいけなかった。

まぁ、それだと特に問題にならなかったでしょうね。
いや、なりますかね。


***

▼たっつん 2008年11月02日 13:37

仮にどこかで行われたとされるレイプと太平洋戦争、そのレイプを裁くために行われたある裁判所の判断と東京裁判の関係は同じです。ちなみに個人の犯罪と法人の犯罪あるいは国家の犯罪、いずれも法律行為(国家間の紛争はその時点の国際法における法律行為)としてとらえることが出来ますので、本質的に違うというのは感情的な理屈だと思います。

レイプの有無の真実があいまいな可能性もあるように、東京裁判で裁かれた事実もまたあいまいです。

中国側の一方的な証言で有罪とされた件も多々あるでしょう。レイプも同じ、被害者がうそをついている可能性もある。ただしどちらのばあにもある国のある時期には合法的に裁判権を持った裁判が行われたということが出来る。ということです。

あび卯月さんが日本は侵略国家ではないと否定するほうが健康だというのは、自分の誇りの問題として捉えているように感じますが、別に過去に日本がどのようなことをやっていたとしてもそれを自分の誇りの問題として否定する必要はないのではないかと私は思います。例えるならば兄がレイプで有罪となった妹がいたとしても兄とは別人格であることを気持ちの上で整理しつつも被害者に対して有罪が確定したことを否定する必要はないかと思います。
政府が侵略国家と認めているにも関わらず、個人が侵略ではないとするためには事実関係をもう国際法廷の場で一度争うことではじめて説得力を持ちえます。兄は被害者をレイプしていない、だっていい兄だし、被害者も実は兄のことが好きだったはずだものと妹が裁判が終了してから主張しているだけでは、裁判所の見解を覆す力はないように思います。

あび卯月さんにとっては残念ながら、日本政府は東京裁判を否定する見解は一度も出しておらず、これについて政府や個人が事実関係を争うことはおそらく難しいでしょう。国際協調を完全に無視したファシズム政権にならない限り。(今後なる可能性は十分にありえますけど。。。個人的にそれが国益にかなうとはとても思えませんが。)  

ちなみにアメリカ政府がインディアンに対してやっぱり俺達白人は侵略したりしなかったというように手のひらを返すことはほぼないでしょう。ただし白人はインディアンを懐柔はできています。

日本が国益のために次に打たなければいけない外交政策は、日本が誇りを取り戻したとしても結局孤立してしまうナショナリズムやファシズムではな く、侵略したという事実に立脚しながらもそこからアジア諸国を上手く懐柔していく、飴と鞭政策であるべきかと思います。大東亜共栄圏的発想をまじめに語る には「侵略していない」とするよりは「侵略は悪かったけど、俺達はアジアのことを真剣に考えていたしこれからも考えたい」としたほうが日本がアジアにおけ るリーダーシップを発揮する可能性における実効性は高く、国益にかなっていると思います。


***

▼あび卯月 2008年11月02日 18:08
>たっつんさん

>仮にどこかで行われたとされるレイプと太平洋戦争、そのレイプを裁くために行われたある裁判所の判断と東京裁判の関係は同じです。ちなみに個人の犯罪と法人の犯罪あるいは国家の犯罪、いずれも法律行為(国家間の紛争はその時点の国際法における法律行為)としてとらえることが出来ますので、本質的に違うというのは感情的な理屈だと思います。

たっつんさんのお言葉ですと、東京裁判が一般の裁判と本質的に変わらないという風に読めますが、事後法で裁き、被告側に十分な弁護が許されなかった裁判が普通の裁判と一緒だとはとても思えません。
BC級戦犯は仰るように一般の裁判と同じく裁くことも可能だったでしょうが、これも不十分なものとなってしまいました。

>あび卯月さんが日本は侵略国家ではないと否定するほうが健康だというのは、自分の誇りの問題として捉えているように感じますが、

自分の誇りの問題とは思っていません。
私が申し上げたいのは多様な歴史観を認めるべきだということです。
むしろ、私は近代史を研究している立場ですので自国の誇りのためだとか、あるいは日本を貶めるためにという理由で歴史を捏造・歪曲することに対してもっとも強い怒りを覚えるものです。

>別に過去に日本がどのようなことをやっていたとしてもそれを自分の誇りの問題として否定する必要はないのではないかと私は思います。

まったく同意です。
自分の国が立派な国ではなかったら自分も誇りを持てないのか、と。
現実にはそういう人が多くいるようですが。
これ、じつは右も左も大差ありません。

>あび卯月さんにとっては残念ながら、日本政府は東京裁判を否定する見解は一度も出しておらず、これについて政府や個人が事実関係を争うことはおそらく難しいでしょう。国際協調を完全に無視したファシズム政権にならない限り。(今後なる可能性は十分にありえますけど。。。個人的にそれが国益にかなうとはとても思えませんが。)

一面的な価値観しか認めていないという点では、現政府もちょっとファッショ的だと思います。
戦前と言ってはいけない内容が異なっただけであまり変わっていないと感じます。

>ちなみにアメリカ政府がインディアンに対してやっぱり俺達白人は侵略したりしなかったというように手のひらを返すことはほぼないでしょう。ただし白人はインディアンを懐柔はできています。

インディアンを懐柔もなにもアメリカはインディアンを殆んど滅ぼしているんですし、特別配慮する相手ではないからでしょう。
米国の近くにインディアンの大国があるわけではありません。

>日本が国益のために次に打たなければいけない外交政策は、日本が誇りを取り戻したとしても結局孤立してしまうナショナリズムやファシズムではな く、侵略したという事実に立脚しながらもそこからアジア諸国を上手く懐柔していく、飴と鞭政策であるべきかと思います。大東亜共栄圏的発想をまじめに語る には「侵略していない」とするよりは「侵略は悪かったけど、俺達はアジアのことを真剣に考えていたしこれからも考えたい」としたほうが日本がアジアにおけ るリーダーシップを発揮する可能性における実効性は高く、国益にかなっていると思います。

仰ることよくわかります。
私も日本政府がそれくらい戦略的に外交を考えてくれたら文句ないのですが、現状はやっかいごとを避けているだけです。

----------------

以下、返信無し。
繰り返すが、私が言いたいことは戦後六十年も経っているのだから、「日本は侵掠戦争を行った侵掠国家であった」という政府の統一見解を改めるべしということに尽きる。
論文の内容については決して上質のものとは思わないが、論文の大意には同意だし、国防をあずかる者の態度としてはまっとうなものだと思う。
無論、ああいう論文を公にしてしまったことに問題があるというのはわかる。
しかし、その考え方自体許されないというのはどう考えてもおかしい。
だいたい、自国を防衛する軍隊の幹部が「自分の国は侵略国家だった」なんて思っていてどうするんだ。
どこの国にそんなこと思っている軍人があるのか、と。
と、こういう風に思っているのですが、今の日本人にはなかなか理解が得られないのが実情でしょうね。
私はこれからもずっと反体制でやってゆくことにします。

マッカーサーの高笑い~日本占領政策の後遺症~

2008-11-02 03:29:54 | 歴史・人物
「日本を四つの島に閉じ込めて滅ぼす」

ルーズベルトが英国公使キャンベルに語った言葉だ。
また、彼は1937年に「好戦分子(日独伊)は、伝染病患者のごとく隔離されなければならない」という「隔離演説」も行っている。

大東亜戦争後、GHQの最高司令官マッカーサーはこのルーズベルトの遺言通りに日本を占領統治した。
そのために、まづ海外に居た日本人をすべて引き上げさせた。
六百万人とも言われる引揚者の中には国際法で居住権を保障されているアイルランドなど中立国に住む日本人も含まれていた。
明らかな国際法違反だが、アメリカの国際法無視は今も昔もお家芸だ。

占領軍の目的は「日本が再び米国の脅威とならざることを確実にすること」(降伏後における米国の初期の対日方針)。
つまり、日本を弱体化させ二度と白人国家に刃向かうことがないようにすることが目的だった。
そのためにマッカッサーは日本のいいところをすべて解体した。

まづ、産業分野では日本を非工業国家にするため、財閥を解体し重工業を潰しにかかる。
航空工業では覚書301号を出して、模型も含め日本の航空産業・研究の一切を禁止した。
これもルーズベルトの「(日独伊には)いかなる航空工業、航空事業も将来にわたって許されない。これら三国がゼンマイ仕掛けの玩具より大きい飛行機を飛ばすことも欲しない」という言葉による。
ここから、いわゆる翼をもがれた七年が始り、今に至っても日本は自前の飛行機を造れないでいる。
また、共産党員を解放して労働組合も強くした。
ゴルジュ・スイス大使から「日本の安くて良質な時計が再び世界を席巻しないか」との問いにマッカーサーは「労組を強力にしたからやがて競争力を失っていく」と答えている。

次に精神の解体。
コーデル・ハルが危惧したように日本は敗れてもアジアを解放した戦士としてアジア影響を残しかねない。
日本人自身もそれを自覚すれば民族としての自信を持たせてしまう。
そこで、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を実施する。
WGIPは平たく言えば、日本は侵掠戦争を行った国家であり、日本人はそれに荷担した戦争犯罪の責任があるという自虐意識を植え付けさせるための洗脳プログラムだ。
WGIPの達成のため、新聞雑誌映画などあらゆる媒体を活用した。
例えば、朝日新聞には「太平洋戦争史」が掲載された。
これはアメリカから見た戦史で日本の残酷行為が強調されていた。
ラジオでは『真相はかうだ』が流された。
内容は、日本を極悪非道の侵掠国家としている点でどれも同じ。
大東亜戦争という呼称も太平洋戦争に改めさせられ、以後、日本がやった戦争は侵掠戦争だったという歴史観が公式のものとなった。
いわば、日本は歴史を奪われた形になる。

ミラン・クンデラは 『笑いと忘却の書』に
「一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化を作らせて、新しい歴史を発明させることだ。
そうすれば間もなくその国民は、国の現状についても、その過去についても、忘れ始めることになるだろう」

と書いているが、アメリカはまさにこれをやったわけだ。

WGIPのためには自分たちが押し付けた憲法で禁止していたはずの検閲もしっかりやったし、焚書もやっていた。
新聞はアメリカ批判を一切禁止された。
米兵が日本人婦女子を強姦しても米兵と書けず、「大きな男」と書いた。
ところで、朝日新聞は戦前は今の右翼よりも右翼的な論調で知られ、敗戦後もアメリカの原爆投下を批判する記事を掲載した。
GHQは激怒して、朝日を発行停止に追いやる。
以後、朝日新聞はもっともGHQに忠実な新聞へと変貌をとげ、未だにそれは続いている。

教育分野では「日本の教育制度の管理政策に関する総司令部覚書」(昭和二十年十月二十二日)、「教員及び教育関係官の調査、除外、許可に関する総司令部覚書」(同十月三十日)、「修身、日本歴史及び地理の学科課程停止に関する覚書」(同十二月三十一日)などを矢継ぎ早に発し、日本精神・思想、国民教育の変革を迫った。
教育勅語も廃止され、戦前までの日本の教育制度は完全に解体された。
教科書からは「国家」「国民的」、そして「我が国」という言葉さえ消された。
いまだ、日本人が自国のことを「我が国」と云わずに「この国」などと云ってしまうのはこの時の名残なのかも知れない。
GHQに従順な日教組のアカイ教師たちは子供たちに盛んに日本は侵掠国家でした、悪い国でしたと教えた。

ちなみに、同じ敗戦国だったドイツでは「ドイツ国民がいかに教育されるべきかは、ドイツ自身の問題だ」として教育分野の解体を断乎拒否している。

占領軍は皇室に手をつけることも忘れなかった。
はじめ、天皇御一家を中国に遠流させ、皇位継承者を処分するという案があったが、英国王室の反対でかわりに宮家を取り潰した。
宮家を潰せば皇室は自然消滅するはずだ、と。
この目論みはしっかり現実のものとなっている。
つまり、いま問題になっている皇位継承問題も根はここにある。

同時に、神道の司祭である皇室家にクエーカー教徒の家庭教師ヴァイニング夫人を送り込んだ。
皇室を内部から崩壊させることを目論んだわけだ。
クエーカー教はキリスト教の一派で絶対的非暴力を謳う。
当然、軍隊も駄目。
このヴァイニング夫人から学んだのが皇太子。いまの天皇陛下だ。
ある自衛隊幹部が「陛下は我々を見ると目をそむける」とため息をついているという話を関係者から個人的に聴いたことがあるが、この話、あながちマユツバといえなくもない。

なお、マッカーサーが唯一といっていいほど手をつけなかったものがある。
それは官僚機構で、米国にある「役人白アリ論」を参考に官僚機構をそのままにした。
つまり、官僚をのさばらせれば国家の屋台骨を喰い尽くし、国家を衰退にみちびくだろう、と。
実際、国鉄は二十三兆円の赤字をせっせと作り出したし、
戦前、朝鮮や台湾、そして軍事予算につぎ込まれていた莫大な税金を戦後は官僚が好き放題使い果たした。

これら、占領政策の総仕上げが日本国憲法と教育基本法だが、マッカーサーは回顧録の中で
「続いて起こった日本人の精神革命は、二千年の歴史と伝統の上に築かれた生活の倫理と習慣を、ほとんど一夜のうちにぶち砕いた」
「日本人の間に起こったこの精神改革は、決して当座の用に立てるためだけの薄っぺらな上塗りだけではない。これは世界の社会史に比類のない大改革なのだ」

と書いて悦に入っている。

産業分野ではマッカーサーの目論み通りにいかず、日本は世界に名だたる工業国家となった。
が、精神は今だ占領期からあまりかわっていない。
自国の国旗を掲げることすらいまだに問題になったりするのだから、精神の分野では占領政策の後遺症が今もなお日本人の心を蝕んでいる。

政府も今だ「日本は侵掠国家だった」を公式見解にしている。
この政府見解に逆らった空自幕僚長が更迭された。
政府だけでなく、日本人にはまだまだ自国に侵掠国家の汚名を着させつづけたい人たちがいて、朝日新聞なんかがそう。
民主党の鳩山幹事長も「二度とこのような発言をする人が政府の中にいなくなるよう戦っていく」なんて云っている。

マッカーサーの高笑いが聴こえる。

「侵掠国家はぬれぎぬ」航空幕僚長、更迭

2008-11-01 03:18:32 | 歴史・人物
航空自衛隊トップの田母神俊雄・航空幕僚長が「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」と主張する論文を発表して更迭された。
論文のタイトルは「日本は侵略国家であったか」。
以下のURLから全文読める。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

早速、通読してみた。
論文としての完成度と事実関係について少々言いたいことはある。
例えば、論文と呼ぶには参考資料が少なく、また脚注もない。
(本人も学術論文のつもりで書いたのではないだろうから、この批判はあたらないかもしれないが)
事実関係について言えば、「東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が「蘆溝橋事件の仕掛人は中国共産党で、現地責任者はこの俺だった」と証言したことがわかっている」とあるが、これについてはまだ確証がなく断定は避けた方がいい。

とはいえ、論文の大意については全く同意だ。
満洲国や併合後の朝鮮、植民地としての台湾についてもなかなかいいところを突いている。
終盤の日米関係に疑問を呈す箇所も良かった。
むしろ、政府にとってはこの箇所の方が都合が悪いのでは、と思えるくらいだ。

さて、私は日本はすべて正しかったとか大東亜戦争は聖戦だったなどと云うつもりはないが、「日本は侵掠国家だった」と云われたらそれも違うだろうと思う。
特に大東亜戦争は様々な立場から様々な見方ができるわけで、単純に「侵掠戦争だった」とか「日本は侵掠国家だ」などというのは知的に怠惰な態度というべきだろう。
それにもっと世界的な視野で歴史を見るべきだ。
「十五年戦争」と云わず、五百年単位で見て欲しい。
その間、白人国家はなにをしてきたのか。
日本はなぜ日清、日露戦争を戦うようになったのか。
侵掠国家というのなら、なぜ、あれほど支那留学生を受け入れ、支那の近代化を援助しようとしたのか。
なぜ、赤字になってまで朝鮮、台湾のインフラを整備し近代化に尽くしたのか。
などなど、「侵掠国家」という人にいろいろ質問したいことがある。

それに、ふつう自国を「侵掠国家だ」などと言われたらなら「違う」というのが健康な姿だ。
どの国だって「侵掠国家だ」と云われたら否定する。
中国だって今やっているチベット侵掠を決して認めないし、英米仏蘭なども世界中に植民地を作って現地人に苛斂誅求の極みを尽くしたことを決して謝らない。
ひとり、日本だけ国を挙げて「我が国は侵掠国家でした」なんてやっている。
どうみても正常じゃない。
そりゃ、敗戦国だったからそう云わないと国際社会に受け入れてもらったという事情があるのはわかる。
が、いくら敗戦国だからといってももう六十年経つ。
そろそろ政府も公式見解を改めるべきだろう。

田母神俊雄幕僚長も書いていたが、日本はもっとアジアの声を聴くといい。
タイもミャンマーもインドネシアもマレーシアもインドも台湾も日本を侵掠国家なんて云っている国は無い。
人によってはいるにはいるが、ほとんどが華僑、つまり支那人だ。
たとえば、ミャンマーの小学校では日本軍は解放軍だったと教えられている。
教科書にはきちんと最近の日本人でも知らないような南機関の鈴木敬司陸軍大佐が写真つきで英雄として書かれている。
日本を侵掠国家として罵りつづけるのはアジアでは中国と南北朝鮮くらいのものだ。

「別に日本は侵掠国家ではないですよ」
航空自衛隊の幕僚長という立場を考慮してもこれしきのことが言えない国はやはりちょっとおかしい。