あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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ヤンデレとヤンキモ

2007-09-29 23:29:31 | 漫画・アニメ
妹が「あびさんはヤンキモやね」と云ってきた。
「ヤンキモ」とは何かと問うと、曰く「病んでいてキモイこと」と。

・・・
いま、ツンデレから派生した言葉に「ヤンデレ」という言葉がある。
(ツンデレについてはこちらを参照→http://blog.goo.ne.jp/tuneari/e/dce914c598adbeb51df565c51042428c
これは「病んでいる+デレ」ということなのだが、定義は難しい。
先月、出版された『ヤンデレ大全』に詳しく解説されているが、私もまだ完全に理解しきれないでいる。
代表的なヤンデレキャラに『SchoolDays』の桂言葉、『ひぐらしのなく頃に』の竜宮レナ、園崎詩音が挙げられていたが私には「つよきす」のよっぴー(佐藤良美)が解り易かった。
私なりに解釈すると好きな人と結ばれる為に病的な行動をとる、あるいは愛するがゆえに病的な行動をとる、また「恋愛によって精神を病んだ状態・人」ということになろうか。
実在の人物でいうと阿部定や戸川純あたりというと解りやすいかもしれない。
椎名林檎も多分に演技が含まれるとはいえヤンデレ的である。
ストーカー行為もヤンデレの一種であろう。
そう考えるとヤンデレとは厄介なものである。

例えば、つよきすのよっぴーは対馬レオ(主人公)が好きなのだが、レオはよっぴーの親友である霧夜エリカ(エリー)に恋心を抱いている。
よっぴーが下した決断は「・・・あ!そうだ、そうだよ。エリーが綺麗じゃなくなればいいんだ」というものであった。
あゝ、なんと恐ろしい!

ヤンデレも所謂「萌え」の一種なのだろうか。
日本人は古来からどこまでも萌えを追求してきた。
源氏物語、枕草子の昔から萌えはある。
岡田斗司夫さんは「いとをかし=萌え」説を唱えているが、私もその考えに同意するものである。
「萌え」はオタクが生み出したものではなく日本人が生み出したものだと考えている。
そして、開闢以来こんにちまで日本人は萌えを追求してきたのではないか。
とするならば、ヤンデレは日本における最新の萌えである。
いや、昔からヤンデレはあった。
あったが、最近になってそれをはじめて言葉にしたという方が適切であろう。

しかしながら、ヤンデレはツンデレと違い多くの人々から支持を得るのは難しいと思う。
なにせ、一歩間違えると猟奇殺人である。
近頃、親を鉈で殺す事件が続いた。
一部のマスコミが『ひぐらしのなく頃に』の影響であると騒いだので『ひぐらしのなく頃に』のアニメは放送中止になった。
あの事件が『ひぐらし~』の影響から起こったという解釈はかなり怪しいと思うし、それによって放送を中止するというのは如何なものかと思う。
(後藤和智さんはこの件について「マスコミのオタクに対する偏見だ!」という論調で是非とも批判していただきたい)
ともあれ、ヤンデレ作品はこのようにややもすれば危険視され、挙げ句放送中止になる。
一般人からみるとヤンデレはただの気違いか猟奇に見えるという良い例である。
事実、危険な面はあるし、危険だからこそヤンデレなのであるが。

さて、話を戻して「ヤンキモ」である。
グーグルで検索しても妹のいう意味での「ヤンキモ」は出てこないから、この言葉は妹の造語であろう。
病んでいてキモイ・・・最悪ではないか。
キモイはとりあえず置いておくとして、私の何処が病んでいるというのか。
再び問うてみたら「いやぁ・・・病んで・・・ないんじゃないの・・・?」と言葉を詰まらせながら返答してくれた。
なるほど、ブログにヤンデレがどうのとか日本はどうとか書いているのだから十分病んでいる。
しかし、キモイって・・・。
やっぱり酷い妹だなぁ。

「禁煙ファシズム論」について

2007-09-24 18:53:12 | 社会・世相
文藝春秋十月号の養老孟司さんと山崎正和さんの対談を読んだ。
タイトルは「変な国・日本の禁煙原理主義 ~官がおしつける健康増進。この国はおかしくなっている~」
内容は国家が国民の一人ひとりの健康のことまで口を出すな。
肺癌の原因は煙草であると科学的に証明されたわけではない云々。
あとは禁煙推進派についての悪口。

この対談に対して禁煙派その他から批判が相次いでいるという。
日本禁煙学会は激怒して養老、山崎両氏に公開質問状を提出した。

私は煙草を呑まないし、煙草の煙も大嫌いだ。
外食をしている時、隣でプカプカやられようものならエスカリボルグで撲殺したくなるくらい腹が立つ。
であるからして、私は日本がブータンのように完全禁煙国家になっても一向に困らないし、むしろ慶賀したいくらいだ。
個人的にはそう思う。
しかし、やはり煙草を愛する人たちのことを考えると素直に喜べないし、なにより日本の煙草文化が滅びることがしのびない。

この件に限らず、私の判断基準は単純明快で、いつも文化的にどうかを問題にしている。
煙草については日本には煙草文化が根附いているし、風景としてあった方がよいと思う。
前に和服を着た芥川龍之介が煙草を吹かしながら木登りをする映像を観たことがあるが、なかなか燻し銀で絵になっていた。
早い話こういう光景を滅ぼしたくないのだ。
(あ、こういう光景はもう滅びているかな。)

いま、煙草のパッケージの三分の一くらいのスペースに健康を害する恐れがあるなどと注意書きがされているが、これなど文化的な意味から言うととんでもないことだ。
煙草のパッケージは一つの藝術作品だと思っている。
少なくとも昔は素晴らしいデザインのものが多かった。
最近のものはそれに比べると少し落ちるがそれでもなお一つの作品である。
にもかかわらず、デカデカと注意書きを挿入して作品をぶち壊している。
煙草が体に悪いなんぞそんなところに書かなくても解っている。
第一、注意書きを見て「あぁ、そうか煙草って体に悪いんだな。じゃあ、吸わないようにしておこ」などと考える人がどれほどいるか。
みんな体に悪いのを承知でなお吸っているのだ。
無意味な注意書きでパッケージを台無しにするのは洵に愚かしいことだと思う。

極端な話、このまま禁煙運動が推進されたら言葉狩りと同じように古い映画などの煙草を呑むシーンがカットされかねない。
じじつ、アメリカでは禁煙推進団体がビートルズのレコード『アビィ・ロード』のジャケットに写っているポールが手に持っている煙草を修整させた。
恐るべき文化破壊である。
また、日本でも漫画『NANA』に対して主人公が未成年にも拘わらず煙草を呑んでいてケシカラン、規制せよという声があがっていた。
後述するように私も未成年の喫煙はケシカラン(というか不快)と思うが、かといって漫画作品まで取り締まれとは狂気の沙汰である。
漫画作品においては全て合法的な行いであることの方が珍しい。
エヴァンゲリオンあたりも未成年に命がけの戦闘をさせて、様々な法に触れるのではないか。
いや、シャレじゃなく本当にエヴァも取り締まられる日が来るかもしれない。
ともあれ、そういう自体だけは避けたい。
私は安易にファシズムという言葉を使うことは好まない。
しかしながら、映画や文学作品、漫画などに対しても喫煙表現を取り締まる自体がくれば私とて「禁煙ファシズムだ」と言いたくなる。
ゆえに私は煙草自体を滅ぼそうとするような過剰な禁煙運動には反対する。
ただし、公共の場における一定の禁煙措置はなされるべきだと思っているし、
なにより喫煙者のマナー向上にはいくらでも力を注いでよいと思う。

ついでにいうと未成年の喫煙ももっと厳しく取り締まって欲しい。
ガキは分際を知るべきで、中高生が煙草を呑む姿ほど汚らしく幼稚に見え、不快なものはない。
あれは品性の欠片も無いような女が高級ブランド品を身につけている姿と重なる。
煙草を呑むことによってカッコいいとか大人の気分になっているガキ、高級ブランを身につける事によって「セレブ」になった気でいる女。
どちらも見ていてこれほど片腹痛いものはない。

養老・山崎両氏の対談では煙草の害について科学的にどうかという視点で話していたが、私は煙草が科学的に悪いとか良いとかそういう議論にはあまり興味がない。
私が煙草嫌いなのは健康に悪いからという理由からではなく、けむたいから嫌いであるに過ぎない。
公共の場で喫煙を取り締まる理由もそれだけで十分だ。
医学的にどうとか科学的にどうとかいいだすから泥試合になる。

そして、国が一個人の健康まで口出しするのはある面では理解できるが、その多くは余計なお世話だと思う。
私的な場所で煙草をいくら呑もうがそれは個人の自由である。
それで肺癌やら喉頭癌で死のうがその人の勝手だ。
国は健康で文化的な最低限度の生活を保証するなら、同時に不健康で非文化的な生活を送る権利も保証してあげるべきだろう。
国が口出しをするのは公的な問題である公教育だとかそういったことだけで十分だ。
私的かつ文化的な問題については口を出さないで欲しい。
そういえば著作権侵害罪が非親告罪化されるそうだが、これはまた別の話。

朝顔咲きました。

2007-09-22 00:07:22 | 雑記
九月も下旬だというのに福岡では連日三十度越え。
昨日は最高気温三十五度。
地球温暖化は確実に進んでいますね。
暑さ寒さも彼岸までという言葉もいづれ消えてしまうかもしれません。

そんなに暑いものだから、八月中旬に駄目もとで植えていた朝顔が咲きました。

朝顔は私の大好きな花の一つです。
本当に好きだ。朝顔。
あさがお可愛いよあさがお。

私の邦楽史 第二回「日本パンク黎明期とINU」

2007-09-19 02:07:29 | 音楽・藝術
1979年2月、元・セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスが死去した。
そのひと月あまり前、日本にひとつのバンドが誕生していた。
そのバンドの名を“INU(イヌ)”という。
当時、十七歳の高校生だった町田町蔵をヴォーカルとして結成されたパンクバンドである。
INUは80年代J-PUNKのひとつの原点であった。
少なくとも私は80年代J-PUNKを象徴するバンドは?と問われればまづINUを挙げる。
INUをもってJ-PUNKの元祖だとみなす声もあるが、勿論それ以前にも日本にパンクバンドはいたし、同時代にも多くパンクバンドは存在する。

日本のパンクの淵源は70年代前半に求めることができる。
それは村八分、頭脳警察、外道といったバンドたちだ。
これらのバンドは当時パンクと名乗っていたわけではないが、十二分にパンク要素の強いバンドであった。
なにより、反体制であり過激だった。
思想の面でいうならば特に頭脳警察は左翼過激派と言ってもよく、高らかに共産主義革命、世界同時革命を叫んでいた。
それゆえ、ファーストアルバムが発売禁止になったり、曲目が放送禁止曲に指定されたりした。
ただ、音楽面では村八分や外道の方がより強烈な演奏だったと個人的には思う。
これらのパンクは純和製パンクと言ってよく、海外のパンクの影響は後のパンクほど受けていない。

ピストルズが生み出したパンクムーヴメントの影響を受けたバンドが現れるのは70年代も後半に入ってからだ。
所謂、東京ロッカーズと言われるバンドたちがそれである。
具体名を挙げるならばS-KEN、リザード(元・紅蜥蜴)、フリクション、ミラーズ、ミスターカイトあたりであろう。
私はこの中ではフリクションが好きだ。
特に『軋轢』というアルバムが白眉であるが、坂本龍一が携わったせいか音楽的にはやはり洗練されている。
これら東京ロッカーズに対抗するようなかたちで生れたのが関西ノーウェーブと言われるバンド群である。
その代表的なバンドが正にINUなのだ。
それ以外にはアーント・サリーや非常階段などが居る。
70年代後半から80年代初頭にかけて生れたこれらのパンクは反体制や過激さよりもアングラやサブカルの趣が強いものであった。
また、東京ロッカーズはパンクにしては洗練されていて、いわばオシャレな感じがした。
リザードあたりはむしろそれを確信的にやってたきらいがある。
それに真っ向から反対したのがINUのボーカル、町田町蔵だった。
かれはガセネタという曲で次のように叫んだ。
(少し長くなるが重要な曲なので全文掲載する)


俺はお前らを・・・ 俺はお前らを 俺はお前らを楽しますだけに
大阪からわざわざ東京まで出て来たんちゃうんじゃ!!
何が屋根裏じゃ ふざけやがって!
リザード?S-KEN? あんなもん何にもおもろないんじゃ アホ!
お前ら分かってんのかー!しょーもないんじゃ アホ!
リザードなんか聴くな! 東京ロッカーズなんかおもろない
まだ聴けんの XXXX(聴き取り不能)だけじゃ
Mr.カイトはまだ聴けるけど 東京ロッカーズなんかおもんないんじゃ!
俺はリザードと共演した モモヨ?あんなもんただの女好きのアホやないか!
「君、灰皿どこ?」
なめてんのか アホ!お前らな!なめとったら承知せーへんぞ!
俺お前ら楽します為にわざわざ大阪から来たんちゃんうじゃ
こらー!ボーとした顔しやがって!
ほっとけや!しょーもない思うたらどつけ!
アホんだら!アホんだら!えぇ!?えー!!
リザードなんかしょーもない ストラングラーズしょーもない
ヤメロ!ヤメロ!・・・ヤメロ!ヤメロ!ヤメロ!ヤメロ!ヤメロー・・・
わはははははははは・・・・!!・・・
日本人の正常な音楽感覚!?日本人の正常な音楽感覚!?
パンク!?パンクやとー!?
しょーもないんじゃ あんなもん 何がおもろい?
まともなん ジョニー・ロットンだけやないか!
オー 消えろ!消えろ!消えろ!消えろ!
ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘヘイヘイ!ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘヘイヘイ!
ウルトラビデなんか 身内で楽しんでるだけやないか!
何が真剣に音楽やっとるじゃ!
「お父さん働いて下さい」?
アホか!ええかげんさらせ!ボケー!なめとったらな!
オイ ハードロック!ハードロック消えろ!ハードロック消えろ アホ!
金の為にハードロックバンド入る? アホかお前は ええかげんせーよ
牛若丸なめとったらどつきまわすぞ!エー!?
俺はお前らを 楽します為に来たん・・・
俺はお前らを楽します為に来たんじゃない!



これはほとんど歌と言うより叫びである。
とりわけ、東京ロッカーズへの罵詈雑言が目立つ。
あんな気取った奴等はパンクじゃない、というわけだ。
町蔵がいかに東京ロッカーズを嫌っていたかがよくわかると同時に関西と関東のパンクの違いを如実にあらわしている。
(東京ロッカーズは基本的にこのような罵詈雑言は吐かない)
町蔵はライヴでも客を怒鳴ったり、時には殴ったり、警備員と喧嘩をしたりしていた。
いまでは町田康と名前を変え、芥川賞作家などと呼ばれ文化人のようになっているが町蔵時代はかなりの荒くれ者だったのだ。
しかも、INU結成当時は十七歳だったのだから恐れ入る。
ところで、このガセネタは1984年に発売された『牛若丸なめとったらどついたるぞ!』(音源は1979年のもの)というライヴアルバムに納められているが、このレコードには歌詞カードは附いていないので耳で聴いたままを引用した。
既に廃盤になっていてCD化もされていないので、某音楽著作権団体もこの曲は管理下に置いていないと思われる。

INUは1981年に初のアルバムを発表する。
それこそが、日本パンクの古典『メシ喰うな!』である。
この作品は演奏や歌い方にUKパンク殊にピスルズの影響が見てとれる。
また、このアルバムではガセネタにみられるような過激な叫びは影をひそめ、町蔵独特の世界観が広がっている。
後に小説やエッセイの中でも遺憾なく発揮される町蔵のあのなんともいえぬ世界観はすでにこの頃からあったのだ。


写真屋のおっさんの石で刻み込まれたようなしわ
俺はあなたが愛おしい糞まみれにしてくれ
(略)
どいつもこいつもヤバイ状態するするすんすん

(「つるつるの壺」より)



ただ、ハードコアパンクを聴き慣れた現代人が『メシ喰うな!』を聴くと面食らうかもしれない。
人によってはこれがパンク?と問うかもしれない。
なるほど、確かに音圧は決してハードとは言えない。
音楽的にパンクなINUは『牛若丸~』を聴かなくてはならない。
私は『牛若丸~』を聴いた時に初めてINUの本当の凄さを知った。
INUは『メシ喰うな!』のみによって評価されるべきでない。
その為にも『牛若丸~』の一日も早い復刻を願うばかりである。
さて、INUが結成された翌年、1980年にはこれまた80年代J-PUNKを象徴するもう一つのバンドが生れている。
その話は次回以降。


<つづく>

吉野家の牛丼

2007-09-16 22:30:06 | 日記
所用で博多に行ってきた。
夕食を摂って帰ろうと、駅ビル内をうろついていると吉野家が目に入った。
いつの間にか牛丼が復活している。
旗に描かれた牛丼が美味しそうだったので思わず店内に吸い込まれた。

私は五年以上前に一度だけ吉野家に入ったことがある。
その時、旨いと思った記憶がない。
塩味で私にとってしょっぱく感じたのだ。
が、今度はそんなことあるまいと根拠のない確信を抱いていた。

勇んで牛丼の並と半熟卵を註文し、食してみたが果たしてしょっぱかった。
つとめて旨いと思おうとしたが徒労に終わった。
牛丼とはふつうこんな味なのか。
間食したのち、皆口々にこれを旨いと云い食すのを怪しんだ。

これまで私が食べてきた牛丼は肉が甘かった。
すき焼きの肉を飯の上に乗せたものだから甘かろう。
それこそが私にとっての牛丼である。

牛丼の起こりは牛鍋の餘りを御飯にかけたものだという。
牛鍋はのちすき焼きとの呼び名に統一されてゆくが、元来、牛鍋もすき焼きも甘くなかったと聞く。
すき焼きが甘くなるのは日本が台湾を統治下に置いた後であるらしい。
製糖業が大規模化され砂糖が安価になったからだ。
だとすると吉野家が乗せている牛肉は台湾統治以前のすき焼きの具か。

牛丼は甘いものと信じていた私にとって、牛丼屋の代名詞である吉野家の牛丼がしょっぱいことは驚きである。
それとも私の舌がおかしいのだろうか。
もしくは九州と関東の味の違いか。
この疑問解けないでいる。

私の邦楽史 第一回「パンクの起源」

2007-09-14 23:55:54 | 音楽・藝術
以前、じゅ~すさんから「「私の声優史」の次にはあびさんの「私のロック(好きな音楽)史」みたいなものも聞いてみたいのですが」という御要望をいただき、快諾したものの書かずじまいで失礼しました。
遅ればせながら「私の邦楽史」と題して駄文を連ねたいと思います。

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私の邦楽史などという大仰なタイトルにしてしまった。
もっとも、邦楽を包括的に語れるほど私は詳しくない。
そこで、本稿では主に日本の80年代パンク・ニューウェーブについて取り上げたい。
あくまで「私の」ということでどうか御寛恕願いたい。

ではまづ、パンクとは何か。ニューウェーブとは何かについて述べたい。
パンクとはいうまでもパンク・ロックの略であるがパンク・ロックの起こりは1960年代のアメリカだった。
このアメリカのパンクはニューヨーク・パンクと呼ばれている。
この時期、旧来のロックミュージックが保守化、商業化したことを受けてそのアンチテーゼとしてパンクが生れた。
一般的にパンクの特徴はその反社会性、過激な歌詞・ファッション・パフォーマンスである。
また、音楽的な特徴としては3コードのシンプルなものが多く、ロックに比べ技巧的なものは少ないということが挙げられる。
ニューヨーク・パンクの代表的なものとしてイギーポップとラモーンズを挙げたい。イギー・ポップは演奏中にナイフや鉛筆などで自らの体を傷つける過激なパフォーマンスで話題となった。
一方、ラモーンズはそれほど過激でなく反社会性も低く、音楽的にも技巧に飛んでおりそれゆえ今なお幅広い層の支持を得ている。

この潮流はイギリスに飛び火し、1975年にはパンクバンドの古典的存在セックス・ピストルズが誕生する。
翌年にはクラッシュとダムドも誕生している。
これらイギリスのパンクをロンドン・パンクと云ったりUKパンクと云ったりするが、
上記三バンドは三大UKパンクと呼ばれている。
ニューヨークパンクとUKパンクのおもだった違いは後者は前者に比べ、社会運動的側面が強かったことであろう。
階級社会であるイギリスではその社会的矛盾に根ざしたパンクが多いことが特徴だ。
言い換えればUKパンクの方が政治色が強い。
ピストルズの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」はエリザベス女王に対する褒め殺しの歌だし、クラッシュもファーストアルバム『白い暴動』で反体制・反権力の炎を燃え上がらせた。
クラッシュは反イギリスと同時に反アメリカの姿勢も顕著である。
ダムドは音楽的によりスピード感や過激さを求めた。


女王様 萬歳!
本気でそう思ってる
愛しの俺たちの女王様 神が味方してくれるぜ(略)
女王様 萬歳!
本気でそう思ってる
お先真っ暗だぜ夢見る英国は
お前はお先真っ暗、未来なんて無い
俺もお先真っ暗、未来なんて無い
ノー・フューチャーだぜ

(セックス・ピストルズ「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」)


ヤンキーの兵隊
ヤツはカンボジアで出会ったクズどもを撃ち殺したがっている
だけど今は女を買う金もない(略)
USAにはウンザリだ

(ザ・クラッシュ「反アメリカ」)



アメリカで生れたパンクはピストルズが完成させたと言ってよい。
ピストルズが完成させたパンクの潮流は欧州に流れ込み、アメリカに逆輸入され、日本にも影響を与えた。
では、日本のパンクはどのようにして生れたのだろうか。


<つづく>

バイバイ安倍ちゃん

2007-09-13 02:32:53 | 政治・経済
安倍ちゃんが辞めましたね。
あの人、総理としては失格だったのかもしれないけど、人間的には好きだったなぁ。
どのへんが好きだったかというと、人間的に弱いところ。
いかにもお坊っちゃんでタカ派のようで実はへなちょこで。
なんだか、自分を見ているようで好感が持てました。
勿論、総理としては駄目駄目なんだろけど。
この辺、近衛文麿と似てますね。
私は強い人よりも人間的にどこか弱い部分がある人が好きなようです。
自ら弱さを前面に出して他人の気を惹こうとするメンヘラ系の人は大嫌いですが。

記者会見での安倍さんの表情をみているとなんだか今にも泣き出しそうで、「あぁ可哀相に」と思ってしまいました。
国民は小泉純一郎のように政策の中身は怪しくてもリーダーシップがあって解り易くてクリーンは人が大好きですからね。
早い話、政策なんて誰も見てやしなくて、見ているのは見た目だけです。
「見た目が九割」とはよく言ったものです。
日本にヒトラーくらいの天才が出てくれば右にも左にも自由自在でしょうね。
憲法改正なんかちょろいもんです。
大日本帝国憲法だってすぐに復活するでしょう。

閑話休題。

さてさて、これで教育問題はどうなるのでしょうか。
せっかく戦後教育と訣別が出来るかもと期待したのですが残念な結果に終わりそうです。
これは本当に残念です。
私は教育に関しては左派と同じく制度をいじるとある程度効果が顕われると思っています。
ところで、「教育勅語」を復活させても意味はないという人の多くは嘘を附いています。
意味がないなら復活させてもいいでしょう。
復活させると効果が顕われるから反対しているにすぎません。
もう一ついうと、右派も左派も教育理念と政治理念が一緒になっていますね。

あと、インド洋への給油の問題はどうなるのでしょうか。
私はこのまま給油しないで、アメリカを怒らせるのも面白いかなと思っています。
国際社会からそっぽ向かれるというのも愉快だね。
よく、日本はアジアで孤立しているなんて書く新聞があるけど、大嘘で本当に孤立しているならこんなに国民が呑気にしてるはずありません。
日本は孤立してるんじゃなくて空気が読めていないだけです。
それこそ「KY」です。(大嫌いな言葉ですが)
この際、一度思いっきり国際社会から孤立してみるのも一興です。
輸入もすべて止められるといい。
すると食べ物を捨てるという馬鹿なこともしなくなるでしょうし、少しは国際社会の空気が読める国になるのではないでしょうか。
あはは。

北朝鮮を支援すべし

2007-09-07 23:07:07 | 政治・経済
北朝鮮で大規模な水害が発生している。
特に穀倉地帯も被害に遭ったので、深刻な食糧不足も予測されている。
ただでさえ慢性的な食糧不足に悩まされている北朝鮮にとっては泣き面に蜂と云ったところだ。
私はいまこそ北朝鮮を支援するときだと思う。
これまでの私の北朝鮮に対する姿勢を御存知の方は何を血迷ったかと思われるかもしれない。
朝鮮総連から金でも貰ったのか、と。
もちろんそうではない。

私はいまこそ北朝鮮人民を味方につける良い機会だと思うのだ。

現に日本政府はこの度、北朝鮮への支援を検討しているらしい。
ただし、いまの支援のやり方ではまったく駄目だ。
例えば米を送るにしても本当に飢えている下層階級の人民にはゆきわたらない。
いま、下層階級と書いたが、北朝鮮には五十一の階級があるといわれている。
共産主義は階級を認めないはずなのに不思議なものだ。
それはさておき、いくら日本政府が北に支援をおこなってもその恩恵を受けるのは軍部などの上層階級だけである。
最悪の場合それらにもゆきわたらず、米は換金され金正日の巨大な墓やミサイルを作る資金にされかねない。
じじつ、いままで何度もそういうことをされてきた。

したがって、私は支援をするならば直接現地に赴き炊き出しをすべきだと思う。
米だけでなくいろいろ美味しい食べ物を持ってゆき、直接飢えている人民に手渡す。
休戦地域とはいえ、戦闘地域ではないから自衛隊でなく民間の支援団体でもいいだろう。
いや、自衛隊を出すと云ったら先方からノーと言われるだろうから民間の団体に限る。
渡航費用などは全て日本政府持ちにする。
炊き出しをすればそこで人民との交流も生れる。
なにより、「食べ物の恨みは恐ろしい」と云うが逆に食べ物の恩はいつまでも忘れないものである。
北朝鮮人民は「祖国である共和国は我々の腹を満たしてくれなかったが、日本人は我々の腹を満たしてくれた」と思うだろう。
これにより北朝鮮人民を日本の味方につけるのだ。
反日教育も食べ物の恩で吹き飛ぶのではなかろうか。
あれほど鬼畜米英と言っていた日本人が親米になった例もある。
このことは拉致問題とはまったく別に考える。
つまり、その先のことを想定してのことだ。
仮にいまの金正日体制が崩壊した時、人民が反日であるのと親日であることの違いは大きい。
朝鮮半島が統一した時にも影響を及ぼすだろう。

・・・なにやら、日下公人や爆笑問題の太田が主張しそうなポジティブで理想論的なことを書いてしまった。
「これで日本は平和になった」というヤツである。
こんなにうまくゆくはずがない。
ただし、支援をするなら炊き出しで行うべし、というのは本気で書いている。
米を送るだけなら支援しない方が良い。
これ以上、米を換金されてミサイルを作られるのは御免だからだ。

日本の世界ランキング

2007-09-02 21:43:09 | テレビ・芸能
あらゆることで日本は世界で何位かを検証するという番組をやっていた。
ゲストは日本人のタレントと日本に住む世界各国の人々。
ランキングで日本が上位にラインクインされると日本人ゲストは皆手を叩いて喜び、床が上がるというよくわからない仕組みになっていた。
それにしても動物園の数だとかにいちいち大喜びしていた。(世界二位)
みんな私なんかよりよほどナショナリストだね。

日本の子供の読書時間は主要三十ヶ国中、最下位だった。(一位はインド)
やはり日本人は本を読まなくなっている。
少し暗澹たる心持ちになった。

家の広さは意外にも世界九位。
かつて、日本の家はウサギ小屋だと揶揄されたことがあったが、
これにはちょっとしたカラクリがあった。
1960年代、日本は大都市を中心に団地が普及した。
その光景をみたEC視察団は報告書に「日本人はcages à lapainの家に住んでいる」と記した。
cages à lapainはフランスの慣用表現で「画一的なアパルトマンの多くからなる建物」という意味。
つまり、日本人は画一的な都市型住宅に住んでいると書き記したのだった。
ところはこれを見たある日本人記者がcageは小屋、lapainはウサギの意であることからcages à lapainをウサギ小屋と誤訳してしまった。
それを日本の大手新聞社に情報提供し、大々的に報じられてしまったとのこと。
ちなみに、この大手新聞社とは朝日新聞のことだ。

また、日本人夫婦が一日に交わすキスの数は平均0.56回で主要九ヶ国中九位だった。
そりゃあそうだろう、新婚ならともかく五年も十年も経ってそんなにキスするものか。
しかし、外国人からはこの態度を徹底的に糾弾されていた。
「愛しているなら何故キスをしない!?」と詰め寄られていたが、
「キスしないと愛情を表現できないのか、無粋だねぇ」と言い返してやりたかった。
なんでもアメリカのシアトルにはキスの作法を教えるキス学校があるという。
この学校に老夫婦なんかも通っていて、もう気持ち悪くて気持ち悪くて。
(同じことをゲストの梅宮辰夫も云っていた)
いや、これは文化の違いなのだから気持ち悪いなんて云っちゃいけませんね。
云わないから、あんたらも日本人夫婦のことに口出ししなさんな。

あと、不可解だったのが美人国として日本は百二ヶ国中、十三位というデータ。
美人の基準とは一体なんだろう。
あの森理世が日本を代表する美人の筆頭に挙げられていたが、私は御免蒙りたい。
いや、失礼。
しかし、美人とは森さんのような人のことをいうのか。知らなかったなぁ。

支那と呼べばいいものを

2007-09-02 01:33:01 | 言葉・国語
社名が中国を連想?岡山市の「中国食品工業」が自己破産

 岡山市の海産物加工販売会社「中国食品工業」(岡将男社長)が岡山地裁に自己破産を申請し、破産手続きの開始決定を受けたことが、1日わかった。
 同社などによると、負債総額は約8億7500万円。同社は「『中国地方で一番』という決意で付けた社名だったが、中国産食品問題のあおりを受けた」としている。
(以下略)

(讀賣新聞 9月1日20時34分配信)



おかはいさうに。
中国食品工業さんはとんだあおりをくってしまった。
戦後も戦前と同じく、チャイナを中国と呼ばず支那と呼べばこのような椿事は起きなかっただろうに。
近く中國新聞も潰れてしまうのではないか。
なんてのは冗談なので中國新聞の関係者の方、怒らないように。

支那が「差別語」になって久しい。
本当は差別語でもなんでもないのに一度、差別語の烙印を押されるとそれを剥がすことは至難である。
私は大学に支那人留学生の知人友人が十人ほど居るがその人たちの前で支那と云って怒られたことは一度も無い。
ある支那人曰く、「別に日本人が中国を支那と云うの構いません。だだ、片仮名でシナと書かれると馬鹿にされた感じがするのでそれはやめて欲しい」
この意見はなかなか面白いと思った。
広辞苑をお持ちの方は御存知かも知れないが、広辞苑には「支那」の項に何とあるか。
語釈の末尾に「戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く。」とある。
支那という表記はまづい。
しかし、東支那海の如くどうしても使わなければならないときがある。
そうだ、「支那」の印象を少しでも薄めるべく片仮名にしよう―。
このような算段なのだろうが、むしろ先方の機嫌損ねている。
確かに、「先生」と書くのと「センセイ」と書くのではえらい違いである。呵々。
地図張その他は東シナ海を東支那海と改めるがよろしい。

無論、支那にゃ四億の民があるどころか今じゃ十三億の民があるので、
各々「支那」に対する意見は異なるだろう。
しかし、日本人、いや日本のメディアが気にしている程ではないと思う。
なにをそんなに怯えているのだろう。
怖じけず支那と呼べばいいものを。
第一、秦を語源とした支那が駄目ならば世界の多くの国もいまの呼び方では駄目である。

ちかごろ、東支那海を東中国海にインドシナをインドチャイナ呼びかえる動きがあるという。
嘆かわしいことだ。
そして、もう一つ嘆かわしいことはチャイナを支那と呼ぶ人の中に差別的な文脈で使っている人があることだ。
その多くは反中主義者だが、この人たちも支那を差別語と思っているという点では言葉狩りをしたがる人たちと同じ穴の狢だといえる。