あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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本屋めぐり日記 其のニ

2008-05-25 02:53:41 | 書評・雑誌
其のニと書いたけれど、其の一を書いたのは平成十八年の十月だ。
約一年半振りの日記。
嗚呼、その間に私は一体何冊の本を買い、何円浪費したのだろう。

さて、今日は八幡で散髪した帰りに三軒の本屋に寄った。
まず、黒崎のクエストで
高山正之『モンスター新聞が日本を滅ぼす』を購入。

高山正之さんは週刊新潮で「変見自在」を連載している元産経新聞記者。
マスコミが教えない情報のウラを書いてくれる貴重な方。


次に八幡のブックマーケットで
清水正『阿部定を読む』現代書館
日垣隆『偽善系 やつらはヘンだ!』文藝春秋
立花隆『中核VS核マル』講談社文庫
ロナルド・ハーウッド『戦場のピアニスト』新潮文庫。
を購入。

現代書館は云わずと知れた左翼出版社。
阿部定の本なんか出してたんだね。
『天皇制』とか『日本の権力』とかいう本も持っているけれど、左翼の思考回路が知れてとても楽しい作品。
日垣隆は月刊「WILL」などの連載で知っていたけれど、本を買うのはこの度が初めて。
共感出来るところは多いのだけど、軽薄なイメージがあって倦厭していた。
『戦場のピアニスト』は同名の映画の脚本のようなもの。

次に三ケ森のブックオフで
毎日ムック『戦後50年』毎日新聞社
半藤一利『昭和史探索 1』ちくま文庫
河原敏明『昭和天皇とっておきの話』文春文庫
吉田実『日中報道 回想の三十年』ライブラリー潮出版社
『世界のニッポン人 信じられない常識・非常識』二見書房
宮台真司、宮崎哲弥『われらの時代に』朝日新聞社
柳沢きみお『THE大市民 2』講談社
『日本の歴史 14 民主主義のめばえ』学研
『天皇ご在位六十年』朝日新聞社
小林よしのり『ゴー宣 暫』二巻、小学館
山本マサユキ『妹あいどる』講談社
五木寛之・著、いわしげ孝・画『青春の門 筑豊篇』
あずまきよひこ『あずまんが大王 2』メディアワークス
日本文学全集『夏目漱石 二』筑摩書房、
(同)『三島由紀夫』(同)『小林秀雄』(同)『現代詩集』
「ダ・カーポ」509号 を購入。

毎日ムック『戦後50年』は大判の本。
戦後五十年を貴重な写真とともに振り返るもの。
図書館で必ず見かける本で高校の頃から愛読していた。
この度、千円で売っていたので思い切って購入。
読んでいて大変楽しい。

『日本の歴史 14 民主主義のめばえ』は所謂、小中学生向けの漫画歴史本。
漫画版の日本歴史本は様々な出版社から発行されているが、この「旧学研版」は監修がうめぼし博士こと学習院大学の故・樋口清之教授ということもあり最も偏向なく書かれているように思う。
漫画版の歴史本は小学生の頃、よく読んでいて懐かしさも手伝っていまだに読んで楽しめる。

『天皇ご在位六十年』は昭和天皇の写真集。
朝日新聞は反皇室だけど、商売にはしっかり利用している。

小林よしのり『ゴー宣 暫』二巻は「論座」の企画で雨宮処凛と対談したエピソードを収録。
この頃の「論座」と「ゴー宣」は大変良かった。
いま、「論座」はあまり面白くないし、小林さんも『パール判事』の中島岳志叩きばかりでツマラナイ。
(パール判事の問題は大切なのだろうけど、読んでいて面白くはないやね)
そういえば、少し前のゴー宣で東大准教授の加藤洋子が批判されていたけど、あの人の師匠は日本近代史の権威、伊藤隆先生。
全く不肖の弟子ですね。

山本マサユキ『妹あいどる』は偶然見つけて、タイトルが気になってパラパラめくってみると絵が気に入ったので購入。
なんというか、びみょーな本当にびみょ~な絵が大変気に入った。
作者が萌え絵を描こうとして技術が無くてデッサンが狂っている感じが最高。
ストーリーは借金を抱えた幼なじみの高校生の少女をアイドルにしたてて借金を返そうというもの。
タイトルに妹とあるが血が繋がっているわけではなく、妹的存在なだけ。
で、人気は出なかったようで一巻で終了しているのもなんかいい。
『あずまんが大王』はいまさら読んでいるけど、面白いね。
らき☆すたの原点。
ちよちゃんの声は金朋先生なので脳内で変換して読むのが吉。
いづれも百円だったので購入した。
最近、漫画はとんとよまなくなった。
私の嗜好が変わったのか漫画が変わったのか。

筑摩書房の日本文学全集は漱石も三島由紀夫もきちんと正假名だからうれしい。
残念ながら漢字は新字だが、百円だったし十分満足。
文庫版は新字どころか、勝手に漢字を平仮名になおしたりしてほとんど改編版。
萩野貞樹さんに言わせると「ただただ醜い模造品であり偽装文」というわけだ。
ところで、『現代詩集』はかなり前衛的な作品が多く収録されていて、文字の並びや位置、変な記号や線などで表現されている詩がある。
写植屋さんとか印刷屋さんとか大変だったろうなあ。。


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本屋めぐり日記(其の一)
http://blog.goo.ne.jp/tuneari/e/bd710362ed69086802c8a41538eb41b3

毒餃子事件、今だ解決せず

2008-05-24 02:20:45 | 政治・経済
毒餃子事件は未解決のまま忘れ去られようとしている。
日本が労を費やして科学的に毒は中国国内で混入されたと言っても知らん顔だった。
一部では「日本人が中国を陥れるための陰謀」という言さえ聞こえた。
日本は中国と違い、警察当局が物品の鑑定をする場合第三者機関に依頼する。
それはそれであの下山事件のように問題が発生することもあるが、警察が恣意的に検査結果をどうこうすることは出来ない。
支那人はそれが理解できないらしく、同時に日本人の食品衛生意識も理解できないようだ。

中国では食品による中毒はざらで、野菜の農薬を落とす洗剤まで売っている。
中毒しても回復すればいい方でそのまま死に至るケースもままある。
野中広務が「中国じゃ食品で何万人と死んでいる。毒餃子事件で死亡した日本人は居ないじゃないか」と云ったらしいが、これこそ支那人の感情を代弁している。
早い話が、ちょっとやそっと毒が入っていたぐらいでがたがた言うんじゃない、というわけだ。

毒餃子事件は深刻な問題を残したが、日本人が自分たち日本人と支那人とで考え方、殊に衛生観念が如何に異なるか勉強する良い材料にはなった。
いや、衛生観念だけじゃない、その他の考え方、文化、政治、価値観これらすべてが大きく異なる。
日中友好は結構だが、それを掲げる人たちはこのような思想観念の相違を度外視しているように思う。
真の友好が相手を理解することから始まるとするならば、まず中国と支那人とを理解することから始めなければならない。
その上で附き合わなければ、真の友好を築けないどころか痛い目をみるだけだ。

もう一つ勉強になったのは、左派のダブルスタンダード。
米国産牛肉に狂牛病の疑いが掛かった時はここぞとばかりに、米国産牛肉輸入中止キャンペーンを始め、ひいては反米に利用していた。
(もっとも私はこれに同意見だが)
ところが、今度の毒餃子について左派の方からは一言も中国からの食品の輸入を中止すべしという意見が聞こえてこなかった。
狂牛病と違って実際に被害者が出ているにも関わらず、むしろ中国食品なしに日本の食卓は成立しないといわんばかりだった。
右派にもそういう人は沢山いるが、毒餃子事件では左派の一貫性の無さが目についた。

ある教授から聞いたのだけど、支那人留学生が「日本人は偉いですねぇ。きちんと本物のDVDを買うんだから」と感心していたそうだ。
中国では海賊版のDVDを買うことが当り前になっていることが知れる。
中国を近代国家の仲間に入れるのは今のところ不可能だし、これからもしばらくは不可能だろう。
そもそも、あの広大な支那大陸で近代的な統一国家を建設することが不可能なのかも知れない。

萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』

2008-05-23 00:36:05 | 言葉・国語
以前から何度か述べてゐるやうに私は私的文書はすべて正字正假名で書くやうにしてゐる。
大学ノートなんかもさうで、本来、私的文書は正假名で綴つても、漢字は略字(新字体)を用ゐればよいのだらうけど、忘れない為に面倒でも画数の多い、正字を書くやうにしてゐる。
だから、友人が私のノートを借りた時など、随分閉口するやうで、「これはなんと書いてあるの?」と困つた顔で訊ねられることしばしばである。
たゞ、残念ながらパソコンでは殆んど新字新仮名で打つてゐる。
パソコンで正字正假名を打たうとすると煩が並でないからだ。
(今回の記事では假名遣ひのみ正假名にした)

いふまでもなく、私が正字正假名派になつたのは福田恆存先生の影響だ。
『私の國語室』を読んだからといふより、福田先生の著書に親しんで自分も先生と同じ假名遣ひをしようと思つたからだ。
『私の國語室』を読んだのはその後になる。
私が大学に入学した年だから、だいたい五年程前の話だ。

さて先月、本屋で萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』といふ本を目にした。
はじめ、正假名遣ひを覚える為のハウツー本かなと思つて訝しげに手に取つた。
パラパラめくつてみるとなかなかどうしてしつかりした内容の本だつたので即購入。
著者の萩野貞樹さんは『私の國語室』文庫化に際し、福田先生から校正を依頼された程の人で、勿論それよりずつと前から正字正假名派であつたとのこと。
本書で『私の國語室』を「戦後一連の国語改革に対する、徹底的、全面的な批判の大論文」で、それまで国語問題に関心の無かつた人も「一気に目覚めさせてしまふ強烈な印象」を与へた正字正假名派の基本文献と評してゐる。

本書(『旧かなづかひで書く日本語』)はおよそ二部構成になつてゐて前半が正假名習得法、後半が戦後国語改革に対する批判論文になつてゐる。

前半は大変丁寧に正假名の綴り方を解説してあり、正假名初心者でもすぐに習得できるやるに書かれてゐる。
興味深いことは萩野貞樹さんは正假名で綴る理由について、理窟ではなく「なつかしく慕はしい」感じがするからと云ふ。
さらに、正字についても第一に「カッコいい」からだとしてゐる。
勿論、正字正假名が如何に論理的・合理的かといふ事実も論じてゐるし、新字新仮名が文化に及ぼす悪影響についても多くの紙面を費やして論じてゐる。
しかし、同時に感情面の理由も併せて述べてゐる点に私は好感を持つた。
福田先生やその支持者は決して「慕はしいから、カッコいいから正字正假名なんだ」とは云はないやうに思ふ。
むしろ、さういふ感情面の理由を表に出すことを恥てゐるきらいがある。
私も多分に理窟ではなく、福田先生の假名遣ひに愛着と云はうか、やはり慕はしさを持つたから正字正假名で綴り始めたクチだ。

そして、溜飲を下げたのは後半。
著者はまるで福田先生が乗り移つたかのやうに戦後の国語改革を痛烈に批判する。
まづ、新字新仮名にされ、さらに漢字制限のため多くの漢字が平仮名に改められた中島敦の『山月記』について「ただただ醜い模造品であり偽装文にすぎません」と述べた上で、それが教科書に掲載されてゐる事実を踏まへ、「これほど露骨な偽造文書を、ホンモノであるかに偽つて若者に売りつけ、しかも授業料を徴収したりするのは、非教育的であるのみならず、「未成年者ノ知慮浅薄ニ乗ジテ」利益を謀るものであつて、まさに刑法二百四十条(準詐欺罪)にも該当しようかといふ犯罪です」と斬る。
後半の刑法のくだりは福田先生といふより呉智英先生のやうですね(笑)
ともあれ、中島作品に限らずこの類の改編(改竄)は「文藝の出版社としては見るに耐へない恥であり、作者への最大の侮辱」であると喝破してゐる。
そして、国語改革派については古くは新井白石にはじまり、森有礼(この人は日本語を廃止してフランス語にすべしと云つた初代文部大臣!)、戦後国語改革の一級戦犯カナモジカイの松阪忠則に至るまで「国語を壊さうとした人たち」として名前を挙げてゐる。

本書は全篇を通して平易な文章で読者に語りかけるやうに書かれてゐて大変読みやすい。
だから、正字正假名初心者の方には是非お薦めしたい。
そして、この本を読んで興味を持つた方は前述の福田恆存『私の國語室』や高島俊男『漢字と日本人』などをお薦めいたします。

四川省大地震は「天罰」?

2008-05-14 02:13:15 | 社会・世相
四川省で大地震が起こった。
死者の数は一万二千人を越え、なお九万人が生き埋めになっているという。
犠牲者の方々に衷心より哀悼の意を捧げたい。
私の知人の支那人留学生のRさんの故郷もこの四川で、震源地から離れていた為、実家は難を逃れたらしい。
Rさんの話によると震源地附近は古い建物が密集している地帯でゆえに地震が来たらひとたまりもないという。

この地震に関して某所で「コキントウによる再びのチベット人大虐殺と大獄に大地のカミがいたく憤怒した」(原文ママ)と言う人があった。
そんな韓国人みたいなこと言うもんじゃない。
阪神大震災の時、韓国では「日本人はいい気味だ」「天誅だ」という発言が公然となされていた。(伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』洋泉社2001年10月)
新潟中越地震の時もそう。
「もっと死ね。今回は台風十二個と地震。奴らの過去の過ちに自然が怒ったんだ。無念にも死んでいった人たちがお前らに怒ったのだ」
「天罰が下ったんだ。世界で一番卑怯な民族、チョッパリ(豚の足=日本人の蔑称)」(いづれも「週刊文春」2006年11月11日号より)
などという書き込みがネット上で多くなされた。

こういう発言を読んで我々はどう感じるだろうか。
私は怒りではなくただただ哀しい気持になる。
そして斯かる心の貧しい人たちに憐憫の情を抱く。

なるほど私は中共が大嫌いだし、チベット虐殺問題についてはかねてより憤りを感じている者であるが、その嫌悪や怒りを支那人民にまで向けてはいないし、況や地震が起きたら「天罰だ」なんていう神経は持ち合わせては無い。
そんなこと言うのは前述の心の貧しい人たちだけで十分だ。

いづれにせよ、チベット問題と地震は峻別すべきで、
敢えて言うならば、本当に天罰が下るなら胡錦濤や江沢民の頭上に雷が落ちてしかるべしである。

ところで、この地震の原因が三峡ダムにあるという説がある。
三峡ダムは貯水を始めて、記録されただけで二百回以上の地震を起こしているという。
かつてアメリカにも似た例があって、地中深く掘った穴に排水を流して地震を引き起こした事例がある。
三峡ダムはその水が地層深くの洞窟や鍾乳洞に浸透し土砂崩れ、地盤の崩落を誘発したというわけだ。
だが、震度七以上の地震がダムによって引き起こされたとは考えにくい。
いや、でも仮にダムのせいだとするとちょっとぞっとする話ではある。

ミャンマーってどんな国?

2008-05-11 19:25:04 | 歴史・人物
サイクロン被害以後、テレビや新聞でミャンマーのことが報じられている。
その多くが軍事政権を批判するものであるが、軍事政権批判は結構なこととしてもその裏にある複雑な国内事情が報じられることは少ない。
ミャンマーはかつてビルマと呼ばれていて、ミャンマーはあまり馴染みがないが、ビルマなら日本では映画にもなった『ビルマの竪琴』(註1)でお馴染みの国名だ。
それが、1989年6月に当時の政権が国名をビルマ連邦からミャンマー連邦に変更した。
その理由も含めて以下、ミャンマーの歴史と内情を概説したい。

ミャンマーはかつて上座部仏教を信仰するビルマ人が住む単一民族国家だった。
ところが、19世紀に英国の植民地にされてからビルマ人の悲劇が始まる。
ビルマを征服した英国は単一民族、単一宗教国家だったビルマを他民族他宗教国家へ改造することを始める。
まず、大量の支那人とインド人を入植させ商売と金融をやらせた。
さらに、周辺の山岳民族であるモンやカチンをキリスト教に改宗させたのち、警察と軍隊に就かせた。
国の主だったビルマ人はというと支那、インド人より下層の農奴の身分に落とされ国の実権をすべて奪われ、植民地以前、五、六歳で仏門に入っていたビルマ人の識字率は70%ほどあったが、植民地化後は数%にまで低下した。
極めつけに国王とその家族をインドの果てのラトナギリに島流しにして国民の求心力を奪った。
王女ファヤは英国兵士の愛人にされて貧困のうちに死に、その娘ツツは「最貧困層に身を落とし、造花を売って生計を立ている」とインドのヒンドスタン・タイムズ紙は伝えている(2001年)。
戦後、英国が奪った玉座が国連を通じて返還させられたが、玉座にはめ込まれていたルビーやダイヤの宝石はすべてくりぬかれていた。
おとなしいビルマ人がこの王家の悲劇を語るとき、本当に怒りで唇を震わせるという。(高山正之『世界は腹黒い』345頁)

ズタズタにされたビルマに光を当てたのがアウンサンスーチー(註2)の父親であるアウンサンだ。
アウンサンはビルマ独立運動の闘士で1940年に英国から逮捕状が出されると、中国に亡命する。
その時、中国共産党と接触しようとしていが、それを知った日本軍がアウンサンを日本に連れて来て「ビルマ独立構想」を持ちかけた。
日本軍としては援蒋ルートを遮断するためになんとしてもビルマに親日政権を樹立させたかったのだ。
同意したアウンサンは一度ビルマに帰国して二十九人の仲間を連れて再び来日。
アウンサンを含めたビルマ人三十人は日本軍から軍事訓練を受けた。
このビルマの青年たちがのちに「三十人の志士」と呼ばれる人たちで、現ミャンマー国軍は元をたどればこの三十人から始まっている。
だから、今でも「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」「愛馬行進曲」「歩兵の本領」などはミャンマー国軍の軍歌として歌われている。

1941年、日米戦が勃発し、三十人の志士と日本軍はビルマに進撃し英国を追い出すことに成功した。
そして、1943年日本の後押しでビルマ国内で独立運動をしていたバー・モウを元首とするビルマが建国され、アウンサンはビルマ国軍の将軍(国軍相)となった。
ところが、日本がインパール作戦で失敗を期し、さらに敗戦の色が濃くなるとアウンサンらは寝返って英国につく。
それには日本軍政への反感もあったとされている。

戦後、再び英国軍がミャンマーに進入したが、その後の交渉でなんとか独立にこぎつけることができた。
しかし、アウンサンはその独立の直前に暗殺されている(註3)。
結局、初代首相にはアウンサンの後を次いでウー・ヌが就任した。
その後内乱もあったが、やれやれ、やっと英国人が出て行ってくれた。
ビルマ人は独立するとすぐに英国の匂いのするものは全て排斥した。
ヤンゴンの外語大から英語を外し日本語を入れ、道路は左側通行から右側通行に変えた。
それほど、ビルマ人は英国のことを嫌っている。

英国人は去ったが支那人、インド人は居座りつづけ経済の実権を握ったままだった。
なんとか、出て行って欲しい。
同じく華僑(支那人)の経済支配に悩んでいたヴィエトナムは華僑を強制的に追い出す方策をとったが、それにより中越戦争に巻き込まれた。
ビルマはそういう教訓から鎖国政策をとった。
つまり、ビルマ経済を停滞させ、商売のうまみを消すことで彼ら華僑とインド人が去ってくれるこのを待つという方法だ。
軍事政権のトップ、ネ・ウィン(註4)がとった鎖国政策により国民は貧困にあえいだが、それも華僑やインド人を追い出し国を自分たちの手に取り戻すためと必死に耐えた。
ネ・ウィンはさらにデノミと徳政令を何度もやった。
貿易を止められた上に徳政令とあっては金融と経済を握っていた華僑たちのうまみはすっかり消えて、しぶしぶビルマを去っていった。

中国はこの間、何度もビルマを手中に収める為、共産党ゲリラを侵入させている。
70年代には首都ラングーン(註5)の北近くペグーにまで進出したが、今の政権を担当するタンシュエがこれを掃討した。
タイの華僑もモン、カチンなどの山岳民族をけしかけ、ビルマ政府と対立させ、武器弾薬を売ってはチーク材を手に入れていた。
だから「中国」と云うだけでビルマ人は顔を顰めるほどだった。
ちなみに、戦後すぐの頃は中国国民党軍の残党ゲリラにも悩まされてる。
こういう事情があったからこそビルマが軍事政権にならざるをえなかったとみることができる。

さて、華僑とインド人は去った。
残るは警察と軍隊を握る山岳民族である。
ビルマ人は彼らに「山に帰れ」とも言えず、共存を訴えた。
その証としてビルマ人の国を意味する「ビルマ」という国号を「ミャンマー」に変えた。
「植民地支配の残した負の遺産をだれのせいにするでもなし、国名も変え、貧しさに耐えつつ平和的に解決した例を他に知らない」とは前述の高山正之さんの弁だ。(註6)
朝日新聞や週刊金曜日は軍事政権が勝手に決めたものだとして、いまだ括弧附きで「ビルマ」と表記しているが、それなら、他の軍事政権の主張も否定して欲しい。

そういうビルマ人の努力をぶち壊そうとしているのが、アウンサンスーチーである。
スーチーは建国の父とも謳われるアウンサン将軍の娘であるが、戦後英国が引き取って育ててきた。
1988年スーチーは母の病気の見舞いにビルマに帰国していた。
ちょうどそのころ、ネ・ウィン政権に民主化を求める動きが活発化しており、アウンサンの娘ということもあってスーチーは民主化運動の「希望の星」に祭り上げられた。
そういう運動もあって同年にネ・ウィンは辞任し新たな軍事政権が誕生した。
1990年に総選挙が行われ、スーチーが大勝したが、憲法の規定で配偶者に外国人を持つ者は政権に就けないという規定がある。
スーチーの夫は英国人でこれでは政権に就けない。
現政権はスーチーに夫の帰化を説得したが、夫はそれを拒否し、結果的に選挙を無視して軍事政権が引き続き政権を担当することになった。
この頃、確かにビルマ人の間ではスーチーは「民主化希望の星」と映っていた。

だが、スーチーがアメリカから資金的、物質的な援助を受け、政治的な支持まで仰いでいることが国民に広く知れわたるようになり、希望は失望に変わる。
ビルマ人は植民地時代の苦い経験から外国勢力との結託を心の底から嫌うのだ。
以前、アメリカからスーチー宛に違法に運ばれてきた通信機器が国境で差し押さえられたことがあったが、国外では殆んど報じられることはなかった。
スーチーは植民地時代の支配者階級であった山岳民族らと糾合し、政権奪取を狙っている。後ろには英国もついている。
だから、スーチーは英国人のような狡猾さを持っている。
「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府がたまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一前ミャンマー大使)
ちなみに、デモを行っているのはいわゆる一般市民ではなく、その多くは無頼漢や与太者、失業者などで、NLD(スーチーの政党)から金銭の提供を受け、動員されている人々であるらしい(同、山口氏)。

スーチーの活動は功を奏し欧米はスーチー問題を口実にミャンマーに経済制裁を課した。
そこに漬け込んだのが中国で、経済援助を申し出た。
英国も同様だろうが、裏にはミャンマーの豊富な天然資源(特に天然ガス)を手中に収めたいという意図があるのだろう。
結局、ビルマ人は“英国人"スーチーに屈するより中国を選択した。
そして、あれだけ苦労して追い出した中国人(註7)がわんさかと戻って来た。
ここにミャンマーのジレンマがある。

そんなスーチーに反撥するビルマ人も当然居て、1996年にはスーチーが乗った自動車が暴徒に包囲される事件が起こった。
このとき、警官が暴徒を排除し事なきを得たが、怯えた彼女は政府に自分の保護を要請した。
スーチーが軟禁されている理由は閉じ込めると当時に守る意味も含まれているのだ。
そもそも、北朝鮮のような軍事政権だったら軟禁どころかとっくに殺しているはずである。

日本のマスコミはミャンマーの軍事政権をやたらに非難するが、北朝鮮や中国の軍事政権と同等に見るべきでない。
例えば、ミャンマーでは年間に五、六人の死刑判決が下されるが現政権が誕生してから死刑が執行された例はない。
山口洋一前ミャンマー大使によると政府高官の暮らし振りも概ね質素で、汚職や腐敗も無いとは言えないが軍事政権としては稀なくらい少ないという。
また、刑務所の視察をした時も政府が取り繕っていることを勘定にいれても刑務所とは思えないくらいんんびりした雰囲気であったと述べている。
昨年起こったデモでは不幸にも日本人ジャーナリストの長井健司さんが治安部隊の兵士に発砲され死亡したが、「ミャンマーの軍事政権が一般市民、まして外国人のジャーナリストに向けて、無差別に発砲を命じることなどありえず、恐らく不幸な偶然が重なった結果」であるとも。

随分、軍事政権を擁護するようなことを書いたが、もとより私は現ミャンマー軍事政権を支持する立場ではない。
やはり、腐っても(?)軍事政権。
経済困窮や言論の自由が保障されていないなど、様々な問題を抱えている。
今日、十一日附けの讀賣新聞にも新憲法案の是非を問う国民投票で賛成が義務になっているとか、タイからの救援物資が軍幹部名義に書き換えられていたとか国民の「軍政には反対です」という声を伝えている。
しかしながら、植民地化や独裁といった複雑な歴史を背負ったビルマにすぐに民主主義が根付くとは考えにくい。
それゆえ、段階的に民主化に移行してゆく必要がある。
事実、現政権は七段階のロードマップに従って民主化を進めているところである。
日本政府はマスコミの非難に屈せず、ミャンマー支援を続けるべきだと考える。
ミャンマーが中国や英国のものになるよりはずっとマシだから。

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脚註

註1:竹山道雄が原作。但し、ビルマの僧は戒律により楽器演奏が禁止されているので、僧が竪琴を演奏するという設定はありえない。
註2:日本では「アウン・サン・スー・チー」と表記するが、ビルマには苗字がないため、繋げて「アウンサンスーチー」と表記するのが正しい。
註3:暗殺したのは政敵で元首相のウ・ソーだとされているが、アウンサン嫌いの英国がけしかけてウ・ソーに殺させたという説がビルマでは広く信じられている。真相は不明。
註4:ネ・ウィンは三十人の志士の一人。このとき高杉晋という日本名を名乗った。戦後にビルマ共産党や少数民族が反政府武力闘争を開始した際、これらを掃討し、1962年に軍事クーデターを起こし、政権を掌握した。口癖は「アウンサンは建国の父だが、自分は健軍の父だ」だった。2002年九十一歳で死去。
註5:現ヤンゴン。また首都は2006年にネピドーに移された。
註6:高山正之『スーチー女史は善人か』42頁
註7:私は支那人を歴史を通じて支那に存在した国の人々の意で、中国人を中華人民共和国人の意で使用している。よって、戦前と戦後で支那人と中国人と使い分けている。

船場吉兆の使い回し

2008-05-09 22:28:09 | 社会・世相
高級料亭「船場吉兆」が料理の使い回しをしていたことが発覚した。
私は吉兆などという高級店に足を運んだことは無いが、博多店でも行われていたと聞いて少々身近な思いがした。
(私は福岡出身でも筑豊人であって博多人ではないが)
讀賣新聞の報道によると博多店の使い回しは、「アユの塩焼き、刺し身、刺し身の付け合わせ、ワサビの4種類」
「はしを付けていないアユの塩焼きを焼き直したほか、食べ残した刺し身を別の皿に移し、出したこともあった」という。
吉兆が賞味期限を誤魔化したという報道の時は、そのくらいのことで大騒ぎしすぎだと思っていたが、今度の使い回しはやはりちょっと嫌な思いがする。

博多は屋台の街で食品の衛生管理という点ではアバウトなところがある。
普通の店ではそんなことないとは思うが、屋台などでは前の客が食べ終わったラーメンの丼をポリバケツの水でちょちょいと洗って次の客に出すことなんてザラだ。
客も勿論それを諒解の上で食べに来る。
キタナイなぁと思ってもまぁ屋台だから仕方ないか、で済む。だから、問題無い。
食中毒が発生したという話も聞かないので、屋台の不衛生はいわば暗黙の諒解なのだ。

ところが、吉兆の場合はわけが違う。
客はみな高級料亭と思って来ているし、当然衛生管理もきちんとなされていると思う。
ところが、前の客の食べ残しを使い回すということをやった。
こんなこと屋台でもやらない。(ラーメンなんかだとむしろ出来ないが)
低級料亭と銘打っているのならば、まぁ使い回ししても仕方ないかという暗黙の諒解もできたかもしれないが(いや、無理かな?)、やはり、高級料理店でこれをやったのはマズかった。
料理店なだけにマズイことをやってはいけない、というお話でした。
ゴメンナサイ。

胡錦濤、来日す

2008-05-09 01:57:27 | 政治・経済
胡錦濤が来日している。
一体なにしに来てるのか知らんが、軍事独裁国家のトップが我国に足を踏み入れることは愉快なことではない。
あまつさへ、天皇陛下に謁見してパンダを貸すとかどうとか言ったらしい。
陛下と現代のヒトラーたる胡錦濤を逢わせたくなかったというのが私の感想だ。
ただ、戦争責任がどうとか無礼を云わなかった分だけ江沢民よりマシだろうか。

それと、期待はしていなかったが福田首相もあいかわらずへなちょこで、
というよりチャイナスクール出身者だから当然といえば当然だが、
胡錦濤になんの註文をつけることが出来ずに会談は終わった。
この分だと、ガス田はそっくりそのまま中国の物になるだろうし、尖閣諸島も危うい。
毒入り食品の入国も後を絶えないだろう。
だいたい、似非コメンテーターなどはしたり顔で「今や中国産の食品無しでは我々の食生活は成り立たない」なんてことをいうけれど、これは大嘘でそんなことはない。
このことについていづれ詳しく書きたいと思う。
そんななか、「パンダなんかいらない」と云った鳥越俊太郎は珍しく偉かった。

政治家の中で偉かったのは安倍前首相だ。
胡錦濤と歴代首相四人との朝食会で中曽根、海部、森が穏便な発言に終始する中、安倍前首相は
「チベットの人権状況を憂慮している。五輪開催によって、チベットの人権状況がよくなるのだという結果を生み出さなければならない」(産経新聞)と云った。
あの雰囲気でよく言えたと思う。
私が同じ立場だったら空気に呑まれてやはり穏便な言葉しか出てこないだろう。
(こんなやつをゼッタイに政治家にしてはならないね)
安倍さんはよく弱い弱いと言われているが、私や他の元首相よりよほど骨太だと思った次第。

あと、早稲田に講演にきた胡錦濤に対して「フリーチベット」と叫んだ早大生もいた。
まだまだ早稲田も捨てたもんじゃない。

余談だが、昨日今日ミャンマーの軍事政権がサイクロン被害に遭った国民に冷たいという報道がなされていた。
ミャンマーは支那とは違った特殊事情があるので、一概にこの軍事政権を悪とは云えないが、これもまた別の機会に書くとして、朝日を始めとしたメディアはこのミャンマーの軍事政権に対して厳しい報道をする。
ならば、なぜ、同じ軍事政権の中共を批判しないか不思議である。
実は不思議でもなんでもなくて、報道協定があるから中国に不利な報道は出来ないのだ。
そんなことでよくもまあ「ジャーナリスト宣言」などと云えたものだ。
ジャーナリストとは軍国主義国家に媚びへつらうことなのだろうか。

パンクと右翼と左翼と

2008-05-06 02:27:25 | 政治・経済
雨宮処凛と佐高信の共著『貧困と愛国』を本屋で立ち読みした。
正確にいうと共著というより二人の対談本だ。

雨宮処凛はかつて右翼パンクバンドをやっていた人で一水会にも所属していた。
いまでは右翼を卒業してワーキングプアの問題に取り組んでいる。
佐高信は日本を代表する左翼評論家ですね。

本書の中で、驚くべきことに佐高は雨宮に「パンクってなんですか?」と訊ねている。
左翼なのにパンクという言葉を知らないなんて。
敢えて雨宮に説明をしてもらうために訊いたのではなく、本当に知らずに質問していた。
雨宮がパンクの概要を説明をしたあと、「日本ではスターリンが有名」と付け加えていたが、スターリン(勿論、バンドの方の)も佐高は知らない様子だった。
パンクとは元々、イギリスの労働者階級から興った音楽で、いわば、反体制の過激なロックだ。
英国パンクバンドのセックスピストルズはエリザベス女王に対して「女王陛下萬歳」と誉め殺したあとで「お前はお先真っ暗、未来なんて無い」と歌った。
日本のパンクバンド、スターリンの遠藤ミチロウは畏れ多くも天皇陛下(当時、昭和天皇)をサル呼ばわりして、「ヒロヒト、サル!!」以下、とてもとてもここには書けない過激で下品な内容の歌を歌った。
佐高センセイならそんなパンクをきっと知っていると思っていた。
でも、知らなかったなんて佐高センセイ、官僚を批判するわりには官僚的だなあ。
え、私ですか?
私は英国パンクも日本のパンクも大好きです。勿論、スターリンも。

もう一つ興味深かった箇所は、雨宮が今の日本には本当の右翼が居ないという文脈で、
本当の右翼なら「天皇陛下の赤子たる若者がワーキングプアやネットカフェ難民になっているのは安倍のせいだ」と云って安倍を殺しますよ、という旨の発言をしていたこと。
本当の右翼の定義を戦前の右翼とほぼ同一のものとするならばおそらく、その通りだと思う。
右翼も左翼も本来、反体制だ。
戦前の右翼は今よりずっと元気で首相を二人も暗殺しているし、政府要人財界人も随分と被害にあっている。(五・一五事件と二・二六事件の将校は右翼と定義してよいか微妙だから含めない)
明治の元勲、山縣有朋も右翼から攻撃を受けたことがある。
皇太子裕仁の外遊に反対した右翼は山縣の邸宅に乱入し、暗殺をほのめかす檄文を撒いた。
このとき、山縣はよほど腹に据えかねたのだろう。
警視庁に対して「こういうバカどもをお前たちが取り締まれぬというなら、陸軍を動かすぞ!」と叱責したという。
山縣らしい言葉だ。

そういう次第でとかく為政者に嫌われた右翼だが、戦後の右翼の多くは体制についてしまった。
というより、右翼の定義が曖昧になったというべきだろうか。
少なくとも右翼=体制側という印象を与えているならそれは右翼の堕落だろう。
左翼も反日の為にせっせと歴史を捏造したりいい加減にしてほしい。
これは私の幻想かもしれないが、戦前の右翼、左翼は真の愛国者であったように思う。