あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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漢検協会の罪

2009-02-25 15:58:45 | 社会・世相
漢検というと懐かしい思い出がある。
高校のとき、漢検(漢字検定)を取っておけば入試で有利になるからと学校を挙げて生徒に漢検を受けさせていた時期があった。
ならば、と私も乗り漢検二級を受けることにした。
不良学生だった私は授業中に内職して漢字を覚えたものだ。
数学の時間に教師に見つかって怒られたのも今となってはいい思い出だ。
(結果についてはギリギリ合格だった)

その漢検を実施している財団法人・日本漢字能力検定協会がその利益を理事長一族の関連企業に業務委託費として多額の資金が流れていたことや無駄な資料館(という名の邸宅)や石碑を建てていたとして批判にさらされている。

漢検はもともと漢検協会の現理事長・大久保昇が自身の経営する株式会社の一業務としてやっていた全くの民間事業だった。
それが、1992年に旧文部省から財団法人としての認可を受け、公益法人としての事業をスタートさせる。
協会としては文部省のお墨付きが得られ、文部省としては将来の天下り先が確保できるとの思惑があった。
でも長い間、漢検の受験者はそれほど増えず、利益も大して出なかった。
だから、天下り先としては不合格。
じじつ、この協会は天下りを受け入れてこなかった。

ところが、ネット上では「文部省の天下り法人だ!」なんて的外れな批判をしている人もいる。
その根拠はというと「理事に元文化庁長官がいる」とかなんとか。
しかし、理事の実態は名前を連ねているだけで無給の非常勤。
こんなの天下りとは云わない。
普通、天下りといえば官僚一人あたり秘書と車をつけて五千万の費用がかかる。
漢検協会の財力では到底無理な散財だ。
だいたい、本当の天下り先は官庁が公益法人やらを自ら作り上げる。
漢検協会はそのまったく逆の手順を踏んでいるわけで、実態は今でも民間事業のようなものだ。
だから、役人が役人のためにつくる法人とは違って、漢検ブームに乗って利益をあげることもできた。
文科省の官僚としてはそろそろ天下りをと思っていたことだろう。
が、漢検協会は天下りを受け入れなかった。
起業家としては役人に無駄な金を払いたくないという思いもあったのだろう。
それで、目をつけられたのか、協会は文科省から「指導」を受け、とうとう四度目に立ち入り調査を受けるハメになる。
それが、マスコミに一斉に報じられて「漢検協会理事長、公益法人たる協会を私物化」「年間二十億の利益」「ファミリー企業に資金の移転」などとさも極悪組織のような印象が植え付けられた。

漢検協会は確かに無駄遣いしたし、理事長は協会を私物化していた。
が、官僚が作った法人のように国民の税金を無駄遣いしたわけではないし、もともと民間事業なのだから私物化という批判も的外れのように聴こえる。
結局、官僚に甘い汁を吸わせなかったからいまのような事態になったようなものだ。
官僚に楯突いた中悪の漢検協会は叩かれて、官僚の天下り先になって漢検協会の何倍も悪いことをしている団体は叩かれない。
世の中で起こっている事はことは大抵こうで、中悪は世間にさらされ叩かれるが、その後ろに隠れている極悪は叩かれずにのうのうとしている。
国民はマスコミに巧く操られているというか、今回はマスコミも誰かさんに巧く操られているかの印象を受ける。
一連の漢検協会バッシングをほくそ笑みながら眺めているのはさて誰だろうか。

ユニコーン活動再開

2009-02-23 23:10:16 | 音楽・藝術
80年代後半から93年の解散まで日本のバンドブームの一翼を担ったユニコーンがこのほど活動を再開した。
実に十六年ぶりとなる新アルバムも発表され、話題を呼んでいる。

ユニコーンは奥田民生が率いたロックバンド。
80年代後半のバンドブームの中心にいながら、他のバンドとは異質なものがあった。
「独特だった」なんて単純なことではなく、バンドブームの中心に居ながら当時のバンドの雰囲気ともっともかけ離れたところに居た気がするのだ。
80年代のバンドブームは前半はパンク、後半はロックやポップが中心となった。
後半になるにつれ、パンクにあったまがまがしさや毒々しさはどんどん薄くなっていったが、それでも肩を張った感じはあった。
その中にあって、ユニコーンは意図的に肩の力を抜いたようなバンドで、バンドブームの中にあった一定の価値観にとらわれない感じがバンドブームに対するちょっとしたアンチテーゼのようでもあった。
それゆえに、通から一般人まで幅広く支持されていたバンドでもあった。
と、これ以上の評論は当時を知る人に任せよう。

奥田は解散後もソロのシンガソングライターとして活躍した。
若い人にとっては奥田民生の方が有名だと思う。
昭和六十年生まれの私もそのくちで、ユニコーンは奥田民生を知った後で知った。
民生の作る音楽はどれも自由というか、ゆるいというか、肩の力を抜いた感じでどれも好きだ。
PUFFY(パフィー)の楽曲の大半も奥田民生が提供したもの。
だから、PUFFYの人気の一つだった独特のゆるい感じはそのまま奥田から引き継いだゆるさと言える。

ユニコーン活動再開を報じた讀賣新聞の記事で「「大迷惑」「働く男」などをヒットさせ」というくだりがあった。
私としては「働く男」はあまり名曲とは思わない。
ユニコーンで一番好きな曲はベタだけど「素晴らしい日々」だ。

このユニコーンの雰囲気とよく似ていると話題のバンドがある。
それは、いま『銀魂』のエンディング曲「アナタMAGIC」を歌っているmonobrightというバンドだ。
「アナタMAGIC」が発表された直後からネット上では「ユニコーンのパクリだ」なんて声が多く聴かれた。
なるほど、確かに曲調などよく似ている。
特に「アナタMAGIC」は「働く男」とサビの部分が酷似する。
しかし、それをパクリと言うのは酷だろう。
だいたい、ここが似ているといちいち見つけては鬼の首を獲ったかのようにパクリだ!と騒いで、それゆえ全面的に評価しないなんて態度は器が狭いというか子供じみている。
ちょっとぐらい似ていて何が悪い。
ついでにいうと、「働く男」より「アナタMAGIC」の方がずっと好きだ。

奥田調の楽曲が好きな私としては同じくmonobrightも応援したい。
彼らをテレビで見かけたが、どのバンドも無駄にカッコつける今の時代にあって、野暮ったいというかダサいというか、そういう感じがまさにユニコーンとは違った意味であれ、昨今の邦楽シーンに対するアンチテーゼのようにも思えて好感を持った。
ユニコーンと同じく肩の力を抜いた感じの歌い方もいい。(当人たちのその自覚があるのかどうかは知らないが)

ユニコーンの雰囲気を持ったmonobrightが色々な意味で話題を呼んでいる中、本物のユニコーンが復活したことは偶然だろうか。
そうでないとすれば、いま邦楽が求めているのはユニコーン的なものなのかもしれない。

R-1ぐらんぷり2009感想

2009-02-21 00:38:04 | テレビ・芸能
今年からR-1ぐらんぷりがゴールデンに放送されるようになって驚いた。
R-1は毎年見ているけど、今まで感想は書かずじまいだった。
別にゴールデンに進出したからってわけじゃないが、今年から感想のやうなものを書いてみようと思ふ。


▼夙川アトム

この人を初めて見たのはぐるナイの「おもしろ荘」だったろうか。
まだ、見慣れていないせいもあるのだろうが、すごく楽しかった。
大笑いというか終始苦笑い。
いえ、褒めているんです。大好きです。
石橋貴明曰くこういうベタな業界人は今だ少数ながら生存しているという。
点数は最低だったけど、それはちょっとあんまりだと思った。
私なら92点くらいはつける。


▼岸学

いままで何度もこのネタを見てしまったからなのかあまり笑えなかった。
そもそも『24』のジャック・バウアーのものまねがあまり好きではない。
私は外国映画のモノマネが大好きで、友近、EE男、中川家、ぐっさんあたりがやってくれる同ネタではいつも大笑いすると同時にその技術力にほとほと感心し、嫉妬を覚えるほどなのだが、岸さんの場合はどうも技術が追いついていないように思う。
他にもいろいろな映画のネタをやって技を磨けばもっと良くなるはず。


▼バカリズム

バカリズムの出身校が飯塚高校だと知って驚いた。
私の実家の近所だ。
この高校は偏差値が低く不良の多い学校として有名。
私が中学の時分には殺人事件(生徒が生徒をリンチして殺した)まで起きている。
そんな高校からバカリズムのような知的な笑いを提供してくれる芸人が出るとは。
知的というのに語弊があるなら芸術的、アヴァンギャルドなどと言い換えてもいい。
いづれにしても筑豊の地には不似合いだ。(筑豊出身の芸人として有名なのはロバート)
バカリズムのネタで好きなのは爽快昔話や総合刑事あたり。
今回の県を掴むというネタは初見。
どれも大笑いしてしまった。
出身地福岡県はやさしく抱き上げていたね(笑)
小ネタごとに同じオチの繰り返しというのはある意味冒険だが、バカリズムの場合案外最後まで見せてくれる。


▼エハラマサヒロ

とても面白かった。
歌をウザくアレンジする技術は凄いの一言。
みなさんのおかげでしたの「細かすぎて伝わらないモノマネ」では原曲をアレンジしすぎる矢野顕子の真似をやっていたがこちらも一押し。
バカリズムより点数が良かったことについて賛否が分かれているようだが、私としては同点くらい。
エハラさんの損な点はそのウザ芸がそのまま本人もウザく感じてしまうことだろう。
そのことでバッシングを受けているように思えてならない。


▼サイクロンZ

悪くはないのだがイマイチ笑えない。
というのも、私は動きだけで笑わせるという芸があまり好きではない。
同じ動きを二度目は歌附きでやって、実はこの歌詞とシンクロしているって芸は長井秀和も似たようなのをやっていた。


▼鳥居みゆき

この人を見ていると戸川純を思い出す、とは以前にも書いた。
今回はあるいみ戸川純を超えていた。
いや、ほとんどテレビの限界を超えていた。
笑ってしまうのだけど、片一方で笑っていいのだろうかという気持ちが頭をよぎる。
しかし、今回の鳥居みゆきはいつも以上に鳥居みゆきを演じている感があった。
セリフきちんと覚えてきました、みたいな。
江川達也が指摘していたことだが、構成は一番しっかりしていた。
ただ、ギャグが力技で煮詰められていないのは残念。


▼鬼頭真也

「疾風怒濤の図書委員」と紹介されていたが、確かに図書委員っぽい。
しょっぱな『源氏物語』を「とにかく、いっぱいエッチなことします」と紹介したのは笑った。
確かにそんな内容で、このように簡単に内容を紹介してしまったら元も子もない。
『人間失格』も「いっぱい死のうとします」。
以下、様々な本(主に漫画)の紹介をしていたがなかなか要点を突いていて面白かった。


▼山田與志

後半に行けばいくほど笑えなかった。
ゴルゴネタを押したのが私としては減点。
ハマれば面白いと思うのだが、私の好みじゃないということだろう。
COWCOW自体は好きな芸人なんだけどね。


▼あべこうじ

人柄や芸人としての姿勢は凄く好き。
ある意味、今回の出場芸人の中で一番応援したくなる人。
しゃべくり一本で笑わせようとするひたむきな姿勢には共感するし、敬意すら抱く。
噛まずに早口でまくしたてる技術も凄い。
ただ、惜しむらくはネタが爆笑に結びつかないということ。
にやりと終始笑顔で見るのだけど、声をあげて笑うほどじゃない。
でもそれって、名人芸ゆえのことなのかも知れない。


▼中山功太

誰がなんと言おうと一番笑えた。
もう、一つひとつのネタに私は声を挙げて笑った。
中山功太の芸風が大好きなのだから仕方がない。
巷に溢れる人々に対するシニカルな視点という中山功太の芸風はそのまま私の生き方に通ずるものがある。
なんて書くと大業だが、中山功太の価値観や物の見方に全く共感するのだ。
だから、笑えない方がおかしい。
余談だが、他の芸人のネタではそんなに笑っていなかった祖母が中山功太の最後のネタ、地球最後の日に誰かが言うであろう一言「みんな、笑おう?」に爆笑していた。
喜寿の老人を笑わせたのだから功太は凄い!(?)
中山功太はこれまでR-1に出ていていて、私はいつも応援していたけど、毎回優勝を逃していた。
そんなわけで、今回優勝できて本当に嬉しかった。
これからも独自の視点を磨いて欲しい。


総評:
どの芸人さんも本当に良かったと思う。
キツイことも書いたが嫌いな芸人は一人もいなかった。
なにより、私の贔屓の芸人中山功太が優勝したことが嬉しい。
ただ一つ、批判したいことがある。
それは、今回から採点の方法が変わっていて、そのつど審査員の合計点数を発表するかたちになっていた。
以前は、審査員の一人のみ点数を公開していて、最後に合計点を発表していた。
つまり、以前は最後の最後まで視聴者を含め芸人は自分たちが今何位であるかすらわからなかった。
それゆえ、最後まで結果がわからないゆえのドキドキ感と期待感があったのだが、今回は毎回、一位以外の人は脱落者扱いになり、おのおのの芸人とそのファンである視聴者の期待感は皆無になってしまった。
こんな点数発表法に変更した馬鹿は一体どいつだ。
全篇を通して、どの芸人さんのネタも面白く満足な内容だっただけに、この採点方式の劣悪さが際立った。(そういえば、C-1の採点方法も変だったなあ・・・)
来年は是非とも改善して欲しい。

自民党が選挙で勝つ方法

2009-02-15 22:46:24 | 政治・経済
今度の選挙で自民党が大敗するのは最早必至だ。
前も書いたが、私は自民党がどうなろうと知ったこっちゃないが、麻生内閣が消えてなくなるのは残念。
麻生首相は新自由主義が蔓延した自民党にあって、珍しくそれに抵抗した政治家。
発言は二転三転しているが、彼は確かに小泉路線(構造改革路線)に反対している。
竹中平蔵に対しては「経済がわかっていない人」と酷評したくらいだ。
色々問題があるにしても、麻生太郎は経済、外交、歴史観、国家観が私と一致する稀有な政治家で、それゆえ私はマスコミや輿論が何と云おうとも麻生太郎を支持する。

一方、それ以外の自民党の政治家といえば、小泉路線を盲信しあるいは抵抗せず日本の国力を著しく減退させた。
新自由主義から転向した中谷巖も指摘しているように、我が国の貧困率(中位所得者の所得の半分以下しか稼げない貧困層の比率)はアメリカに次いでワースト二位となった。
年収二百万以下の給与所得者数は橋本政権当時八百万人ほどだったが、2006年の時点で一千万人を超えた。
日本はもはや平等社会ではなくなったのだ。

そんな自民党が国民からそっぽを向かれるのは仕方がないことだ。
・・・と思ったら、いまだ小泉純一郎は総理になって欲しい政治家ランクの一位になったりしている。
じゃあ、いまの自民が不人気なのは単にマスコミが麻生内閣ネガティブキャンペーンをやっているからなのだろうか。
この国の民は返す返す何も見えていないようだ。

民主党が政権を獲ったら、人権擁護法が通過し、在日外国人に参政権が与えられ、外交も今以上に駄目になるだろう。
根が売国政党だから仕方がない。
そういう内政や外交面は一切、期待していないし、いちいち批判するのもメンドクサイ。
問題は経済だ。
民主党は果たしてどのような経済政策を実施するのだろうか。
小沢一郎の政策は自民党以上にバラマキだと批判されることがあるが、バラマキならそれはそれで結構。
危惧するのはまたぞろ構造改革路線に戻らないかということだ。
民主党の経済の基本政策を読む限り、ほとんど構造改革路線なのが気になる。
ならば、内政、外交、経済のどれも駄目ということで、本当にこの政党の価値がわからなくなる。

最後に自民党が選挙に勝つ妙案を。
まず、麻生内閣が総辞職して再び小泉純一郎を総理の座に就かせる。
そして、「新自由主義は失敗だった。格差や派遣切りの問題は私の望むところではなかった。いまこそ責任を持って私が行った改革の歪みをただす!」
とかなんとかうまい事を言って「民主党は抵抗勢力だ!」とかテキトーなことを云えば多分勝てる。
だって、あれほど小泉純一郎にころっと騙された国民なんだもの。
中味じゃなくて見た目や言い方、雰囲気で支持してしまう国民なんだもの。
これやればきっと勝てますよ、自民党さん。

自民党をぶっ潰せ!

2009-02-13 23:49:59 | 政治・経済
小泉元首相が反麻生の烽火を上げたとマスコミは騒いでいる。
何を騒いでいるんだろうと思う。
小泉が反麻生なのではなくて、そもそも麻生首相が反小泉だったわけだ。
小泉が反麻生になることになんの不思議も無い。
以前から、小泉派の中川秀直(私はこの人を自民党きっての国賊だと思っている)らが反麻生的言説を垂れ流していたし。

私は麻生内閣の政策姿勢を基本的に支持している。
それは積極財政を掲げた内閣だからだ。
こういう不景気(恐慌)の時、政府は積極財政を掲げ、バラマキとかなんとか言われようと公共事業でもなんでもやって国内の金の周りを良くすることが景気好転の鉄則であることは私のような経済の素人でもわかる常識だ。
昨年の総裁戦のとき、仮に構造改革派の小池百合子あたりが首相になっていたらと思うとちょっとぞっとする。

麻生首相の発言がしばしば二転三転することや迂闊な発言が多いことは確かに批判されていもいい。
が、しかし彼のやろうとしている経済政策は基本的に間違ったものではなく、これについて批判する人たちの心情をはかりかねる。
今回、小泉が批判した郵政民営化の見直しも当然のことだろう。
マスコミは小泉とぐるになって構造改革に賛成したので、正面切って小泉を批判しない。
郵政民営化も批判しない。
どころか、それを批判した麻生首相を小泉と一緒になって批判するほど。

郵便局は民営化されて愛想だけ良くなってあとは全部悪くなった。
一番きついのは手数料が値上げされたこと。
例えば定額小為替の手数料は十円から百円と十倍も値上がりした。
だから、900円の小為替を発行してもらうと、400円の小為替と500円の小為替を買って手数料がそれぞれ100円かかって計200円。
つまり、1100円の出費になる。
これなら、1000円の小為替を発行した方がお得というわけのわからない状況になっている。

これはミクロな問題点。
マクロの問題点はもっとあるが今は書かない。

小泉内閣が標榜した構造改革路線、言い換えれば新自由主義政策は本家本元のアメリカでひっくり返った。
もちろん、日本でも様々なゆがみを生み出したことあえて説明するまでもない。
その路線を変更するのは至極当然なことで麻生内閣が反小泉内閣であることはその意味において正しい。
日本国民の多くも小泉路線では駄目だと気づいているはずだ。
格差社会はみな反対だろうし、弱肉強食の新自由主義も嫌なはず。
新自由主義下においては当然の「派遣切り」があれだけ批判されるんだもの。
(無論、私は新自由主義には大反対なので派遣切りにも反対です)
それなのに麻生内閣の支持率があまりにも低いのはどうも解せないのだ。
麻生内閣を批判する人たちは小泉路線を継承すればいいとでも思っているのだろうか。
それとも別の理由があって反対なのか、単にマスコミに踊らされているのかどちらだろう。

麻生首相の不人気の一つに「解散しないから」という理由が挙げられる。
いま衆議院を解散させたら確実に民主党が勝つ。
「いや、自民党も善戦する」なんて極楽蜻蛉な発言をする人もあるが、歴史的な大敗をきすに決まっている。賭けてもいい。
私は自民党が負けようが一向に構わないのだけど、では民主党が政権を獲ったら景気は快復するのだろうか。

みなさんお忘れか、民主党はもともと新自由主義を掲げた政党で、小沢一郎もそう。
公式ホームページの基本政策の項を見ても、いまでも「自己責任と自由意思を前提とした市場原理を貫徹することにより、経済構造改革を行う」なんて小泉純一郎が書いたのかと思わせる文言がたっぷり書かれている。
早い話、民主党が政権を獲ったらまたぞろ構造改革路線に戻りはしないかと危惧している。
(外交政策や国防政策、国家観、歴史観についてはお話にならないこと言うまでもない)
このあたりのことを「解散しないから麻生内閣を支持しない」という人に問うてみたい。

ただ、民主党は自民党以上に意見がバラバラ。
誰がキャスティングボードを握るかによって政策はがらっと変わるだろう。
これ、自民党も同じ。
だから、いま構造改革派と反構造改革派の争いになっているわけだけども、どうも自民党内では構造改革派が大勢を占めているようだ。
ここで、やっと表題にたどりつく。

自民党は本来、保守政党であったはずだ。
すなわち、古きよきものを大切にし、伝統的な家族や共同体、社会秩序の保持を唱える政党だった。(これも本当はアヤシイですけどね)
実はそれに社会民主主義がくっついて同時に平等を重視し、福祉や弱者の権利保護を進めた。
戦後日本の安寧はそれによって得られたと言っても過言ではない。
むろん、そこには旧社会党の存在も大きかったわけで、日本型の社会民主主義の実現に寄与した功績はもっと評価されていい。

ところが、80年代頃からアメリカやイギリスで新自由主義が擡頭し、なんでも英米の猿真似をする日本もこれからは新自由主義だとなった。
気づけば自民党は保守政党から新自由主義を掲げる革新政党になっていたのだ。
その過程で咲いた仇花といおうか、やはり新自由主義を掲げた政党が新進党(のち自由党)であったり、民主党であったりしたわけだ。

いま現在、唯一の保守政党は国民新党だろうか。
この党が私の目には一番マトモに映る。
もちろん、本来の保守政治家も自民党に残っていて、それが麻生太郎の周辺。
民主党にも実はいるだろう。
だから、革新政党に堕した自民党なんぞ、早く潰れてしまうがいい。
民主党も潰して、とりあえずは経済政策の近い者同士で集まって新しく党を作るべきだ。
もちろん、その時は構造改革路線の党とその反対の党。
いや、国民新党がいるから反構造改革派はそれとくっつけばいいのかな。

それと、もう一つ確実につぶした方がいい政党があるが、えーっと、なんて党だったっけ・・・。

町田康と津村記久子の芥川賞対談

2009-02-11 21:31:18 | 書評・雑誌
今年も芥川賞受賞者が発表された。
受賞者は『ポストスライムの舟』を書いた津村記久子さん(三十一歳)。
といっても私は文学に興味が無いので芥川賞にも興味が無い。
それが今回はちょっと読んでみようと思った。

今日の読売新聞に「芥川賞対談」と題して町田康と津村記久子さんの対談が載っていた。
ああ、お互い芥川賞作家だからね、と思ったらそれだけじゃなかった。
なんとこの二人、高校の同窓生だという。
対談を読んで驚いた。いや、大笑いした。

町田康の文章を読んだことのある人は解ると思うが、あの人の文章は抜き差しならぬ面白さがある。
この二人の対談もまさにそのような面白さがあった。

津村:高校時代はコギャルブームの出始めでした。でもテレビに映る「女子高生」と自分が同じに思えなかった。軽音部の活動で演奏していたら外でホームレスのおっちゃんが踊ってたり、美術部にも入っていて絵をリヤカーに積んで通天閣の近くを歩くと「しんどいな」と声を掛けられたり。
町田:渋いな。リヤカー。


ホームレスのおっちゃんが踊っていたり、「しんどいな」と声を掛けられたという光景がまざまざと目に浮かんだ。
なにより、町田康の「渋いな。リヤカー」という受け答えが妙に面白く炬燵で一人肩をゆすって笑ってしまった。

他にも、町田康がうどん好きなのは有名な話だが、津村さんも同じようで、うどんの値段がやたら気になり、家の近くのスーパーでは一玉25円なのに京都で一玉60円のうどんを見かけると物価が高いと感じて凄く落ち込むとか。
もう、可笑しくて可笑しくて。
このあとの「世界の基軸通貨がうどん」という町田の言葉もやはり秀逸だ。

笑える話ばかりじゃない。
町田康の
「駄目人間ばかり書いているって言われます。でも自分としては、普通の人間しか書いているつもりはない。駄目じゃない人間が果たしているのか」
には目からウロコが落ちた。
町田康の書く小説にはなるほど一般に「駄目人間」と呼ばれる人物ばかり出てくる。
そもそも主人公がその中で一番の駄目人間だったりする。
しかし、人間って誰しも本質的には駄目人間なのかも。
私なんかがいい例ですね。

津村さんも負けていない。
「コンビニエンスストアで世間に流布する音楽を聴くと、たまに死にたくなる気分になるときがあります。言葉に無頓着だったり、何か整った価値観を押しつけられたりするようで」

まったく同意。
最近の音楽が聴くに堪えないのは、陳腐な言葉でみな同じこと(同じ価値観)を歌っているだけにしか聴こえないからだ。
町田康はこの対談の中で「パンクとは疑うことです」と言っているが、いま日本の音楽にパンクはあるのか。
私が昨今の音楽に耳をそむけ80年代J-PUNKばかり好んで聴くことがその答えになっているように思えてならない。

しかし、こういう感覚をもった人が芥川賞作家なのか。
なら、芥川賞は大した賞だ。
それにこの津村さんからは多分に町田康に似た匂いを感じる。
津村作品を読まない手は無い。

永田寿康議員の御冥福を祈る

2009-02-09 21:14:20 | 歴史・人物
気がつけば二月。年が明けてもう一ヶ月過ぎた。
年明け一番はじめに驚いたニュースは永田寿康元議員の飛降り自殺だったろうか。
飛降りた場所が私の住む場所からも近い北九州市八幡西区ということもあり、この事件は身近な出来事でもあった。

永田議員といえば、東大を卒業して大蔵省に入省。
のち衆議院議員に転じ民主党若手のホープとして名をはせた。
いわば、絵に描いたようなエリートコースを突き進んだ人だった。
自身もそれを自覚していたのか、「総理を目指しているんでしょ?」という問いに「目指すというか総理の椅子の方がやってくる」と押尾学ばりの自惚れ発言をしてみせた。
出自もいい。
彼の父親は福岡の大病院を束ねる「池友会」の会長で、福岡市にある某大病院の総院長。
永田議員の選挙区だった千葉県八千代市八千代台に同会の病院や学院を建てるなど、息子の応援にも力をそそいだ。

そのエリート意識から来るのかしばしば過激な発言を行い「平成の爆弾男」と呼ばれることもあった。
一番酷かったのは「阪神大震災では激甚災害指定欲しさに被災者が火をつけてまわった」という発言か。
また、国会でのヤジも有名だった。
2000年に保守党の松浪健四郎議員が水をぶちまけた事件があったが、これは永田議員の「党首と何発ヤッたんだ!?」というヤジによるものだという。
これについて本当に永田議員の発言だったのかはっきりしないが、そういう噂を立てられてもおかしくない人物ではあった。
普段からの発言やつねに人を上から見たような態度も相俟って私としては大嫌いな議員の一人だった。
だから、偽メール問題で辞職した時はこれで永田議員を目にしなくてすむと、せいせいした気がした。

しかし、自殺の報を聞いたときはさすがに切ない気持ちになった。
議員を辞職したとはいえ、あれだけ恵まれた環境に生まれながらなにも死ななくてもと思った。

彼は生前、ある箴言を残している。
それは以下のようなものだ。


人間はどうして判断を間違うのか。
それは正しい情報がはいってこないからだ。
なぜ正しい情報がはいってこないか。
それは、人間は自分の聴きたいことしか聴かないからだ。
人間は真実を信じる生き物ではなく、自分の信じたいと思うことを信じてしまう生き物なのだ。



これは、かつて辛坊治郎さんの講演で聴いたもの。
辛坊さんは、はじめに三十代の民主党議員の言葉ですとだけ説明し、「どうです?なかなか含蓄のある言葉でしょう?」と同意を求めた上で、実はこれ偽メールに引っ掛かった永田議員の言葉なんですと明かし「あんた、あれほど俺にゆーてたやんか!」というオチに繋がる。
そのときは場内大笑いだったが、いまはもう笑えない。
やはり切なさだけが残る。

永田議員といえばもう一つ、創価学会と対立した政治家でもあった。
「(都議選の際に)公明党の支持団体の住民票が東京都に移されている疑念がある」
と発言した時は民主党が公明党に謝罪する事態にまで至った。
また、「創価学会は宗教団体として認められておらず、都の認可をもらうために学会系の都議を増やして圧力をかけなければならない」
と発言したときは刑事訴訟にまで発展した。
そんな因縁があって、永田議員の訃報に接し、一部の創価学会員は「仏罰がああたった」と喜んだ。

ミクシィで見つけた日記では


正月早々になんともぶざまな醜態を…。
それほどまでに、仏法の因果は厳しい、ということである。
根拠なきデマで仏意仏勅の民衆組織に弓を引く輩に仏罰は厳然と現れる。
末法の御本仏、日蓮大聖人も「理屈理論や経文も大事だが、現証が最も重要である」と仰せである。
この、あまりにも厳しい現証を目の当たりにして、我々は襟を正さずにはいられない。


というものがあった。
この非人間的な言葉には戦慄が走る。

私は生前のわだかまりを棄て心から御冥福をお祈りしたい。

悪魔の爪の垢

2009-02-08 01:19:26 | マスコミ・新聞
些か旧聞に属すが、先月末、タレントのデーモン小暮閣下がブログで謝罪するというちょっとした騒動があった。

これは、小暮さんが自身のブログで
「大相撲初場所の表彰式で、麻生太郎首相が土足で土俵に上がった。作法を知らないなら確認すべきだし、周りの者も注意すべきだった」
と麻生首相と相撲協会を批判する内容の記事を書いたが、実際には首相は土足ではなくスリッパを履いていた。

ネット住民の指摘を受けて小暮さんはブログ上で
「吾輩の見当違いの発言であったことが判明した」「この場を借りて、麻生総理大臣と日本相撲協会に謝罪いたす」
ときちんと謝罪した上で
「麻生総理大臣には何の否もなく件の文章はとんだ言いがかりであった」
「今後は、この場もマスメディアであるという自覚のもと、ちゃんと事象の確認をおこなって発言をしてゆく所存である」
などと述べた。

自分の間違いを素直に認め謝罪する態度に好感を覚えた。
失敗した後の処理によってはむしろ評価を高くする良い例だ。

一方で間違いをいつまでも認めない人たちもいる。
例えば、朝日新聞。
この新聞は旧日本軍が中国戦線でこんなに残酷なことをしていたんですよと天に昇る煙幕の写真を「これが毒ガス作戦」と書いて一面に掲載したことがあった。
この嘘を産経新聞の石川水穂記者が見破った。
だいたい、毒ガスが天に昇ったら鳥は殺せても人は殺せない。
石川記者は検証の結果、やはり煙幕との結論に達し産経の社会面トップで「あれは煙幕」との記事を掲載した。
朝日は素直に謝るかと思ったら、毒ガス記事を書いた佐竹学芸部長が産経新聞編集局に抗議に訪れ、対応した高山正之記者に「朝日に楯突くとはいい度胸だ」とすごんでみせた。
高山記者が「有難うございます」というと「馬鹿野郎、褒めたんじゃない。産経など潰してしまうぞ」と恫喝する始末。
結局、朝日は訂正記事をだしたがその内容は「場所が違っていました」というもの。
毒ガスではありませんでしたとの訂正や謝罪はしないままだった。

また、日本の歴史教科書が中国に対する「侵掠」を「進出」と書き換えたという誤報もやった。
それで、中国や韓国などから批判の声が相次いで国際問題にまで発展した。
朝日は誤報を認めたが、徹底的に批判した文部省や国に対する謝罪はなかった。

最大の誤報といおうか虚報は旧日本軍による「従軍慰安婦」の強制連行報道だろう。
これは吉田清治の嘘の証言を元に報じられた。
この嘘もすぐばれた。秦郁彦さんの調査によって吉田が証言した地域で強制連行の事実はなく、吉田自身も嘘を認めた。
すると朝日新聞は広義の強制はあったと議論をすり替えた。

ヒトラーは「嘘も百回言えば真実になる」と云ったが、朝日が報じた「侵掠」→「進出」の書き換えはももの本ではいまだ真実として扱われているし、従軍慰安婦もそう。
他愛もない嘘ならいいが、これらは国際問題に発展する嘘だ。
しかも間違いとわかって時点で訂正し謝罪すればいいのにそれもしない。
朝日には悪魔の爪の垢を飲ませたい。