嘗て、福田恆存さんは「私の保守主義觀」でかう述べられました。
私の生き方ないし考へ方は保守的であるが、自分を保守主義者であるとは考へない。
革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。
私の言ひたいことはそれに盡きる。
私も自身の生き方や考へ方はおよそ保守的でありますが、
「保守主義者」ではないと思つております。
そもそも「主義」を貫き通す程、わたしが思想的に真摯であるとは思ひません。
政治思想においても保守主義に基づいて意見を述べてゐるといふより、
己が正しいと信ずるところに沿つて小文を綴つてゐるにすぎません。
が、最近、些か政治主義に淫しすぎたきらひがあります。
私は本来、政治はあまり好きではありません。
イデオロギーは宗教に似てをります。
宗教に似てゐるからこそ多くの人は政治主義に淫するのでせう。
かくいふ私もそのひとりなのですが、私が本當に保守したいものは何か。
それは言葉であります。
もちろん吾が國の自然・伝統・文化・習慣なども保守したい。
しかし、最近、私が殊に思ひますのは言葉です。
云い換へるならば國語です。
と申しますのは所謂、保守派と呼ばれる人たちでも言葉や文字にこだはりを持つてゐる人が少ない氣がしてならないからです。
自分たちの言語を保守せずして保守派を自稱するのはをかしい。
かといつて、「正字正假名遣ひで文章を綴らない者は保守派にあらず」と申したいわけではありません。
本來ならばそれが理想なのでせうがなかなか難しいこともありませう。
ですから假名遣ひの問題はとりあへずおいておきまして、
ここでは私が「言葉」を大切にしてゆきたいといふ旨だけ述べておきます。
自然は目に見える形で破壊されますが、
國語は目に附きにくいかたちで破壊されます。
單に若い人たちの言葉の乱れを憂ひてゐるのではありません。
それ以上に問題なのはマスコミや出版界に於ける國語の問題であります。
今後、さういふことも縷々述べてゆきたいと考へてをります。
私の生き方ないし考へ方は保守的であるが、自分を保守主義者であるとは考へない。
革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。
私の言ひたいことはそれに盡きる。
私も自身の生き方や考へ方はおよそ保守的でありますが、
「保守主義者」ではないと思つております。
そもそも「主義」を貫き通す程、わたしが思想的に真摯であるとは思ひません。
政治思想においても保守主義に基づいて意見を述べてゐるといふより、
己が正しいと信ずるところに沿つて小文を綴つてゐるにすぎません。
が、最近、些か政治主義に淫しすぎたきらひがあります。
私は本来、政治はあまり好きではありません。
イデオロギーは宗教に似てをります。
宗教に似てゐるからこそ多くの人は政治主義に淫するのでせう。
かくいふ私もそのひとりなのですが、私が本當に保守したいものは何か。
それは言葉であります。
もちろん吾が國の自然・伝統・文化・習慣なども保守したい。
しかし、最近、私が殊に思ひますのは言葉です。
云い換へるならば國語です。
と申しますのは所謂、保守派と呼ばれる人たちでも言葉や文字にこだはりを持つてゐる人が少ない氣がしてならないからです。
自分たちの言語を保守せずして保守派を自稱するのはをかしい。
かといつて、「正字正假名遣ひで文章を綴らない者は保守派にあらず」と申したいわけではありません。
本來ならばそれが理想なのでせうがなかなか難しいこともありませう。
ですから假名遣ひの問題はとりあへずおいておきまして、
ここでは私が「言葉」を大切にしてゆきたいといふ旨だけ述べておきます。
自然は目に見える形で破壊されますが、
國語は目に附きにくいかたちで破壊されます。
單に若い人たちの言葉の乱れを憂ひてゐるのではありません。
それ以上に問題なのはマスコミや出版界に於ける國語の問題であります。
今後、さういふことも縷々述べてゆきたいと考へてをります。