あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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保守すべきものは言葉

2006-03-25 02:07:28 | 言葉・国語
嘗て、福田恆存さんは「私の保守主義觀」でかう述べられました。


私の生き方ないし考へ方は保守的であるが、自分を保守主義者であるとは考へない。
革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。
私の言ひたいことはそれに盡きる。



私も自身の生き方や考へ方はおよそ保守的でありますが、
「保守主義者」ではないと思つております。
そもそも「主義」を貫き通す程、わたしが思想的に真摯であるとは思ひません。
政治思想においても保守主義に基づいて意見を述べてゐるといふより、
己が正しいと信ずるところに沿つて小文を綴つてゐるにすぎません。
が、最近、些か政治主義に淫しすぎたきらひがあります。

私は本来、政治はあまり好きではありません。
イデオロギーは宗教に似てをります。
宗教に似てゐるからこそ多くの人は政治主義に淫するのでせう。

かくいふ私もそのひとりなのですが、私が本當に保守したいものは何か。
それは言葉であります。
もちろん吾が國の自然・伝統・文化・習慣なども保守したい。
しかし、最近、私が殊に思ひますのは言葉です。
云い換へるならば國語です。
と申しますのは所謂、保守派と呼ばれる人たちでも言葉や文字にこだはりを持つてゐる人が少ない氣がしてならないからです。
自分たちの言語を保守せずして保守派を自稱するのはをかしい。
かといつて、「正字正假名遣ひで文章を綴らない者は保守派にあらず」と申したいわけではありません。
本來ならばそれが理想なのでせうがなかなか難しいこともありませう。
ですから假名遣ひの問題はとりあへずおいておきまして、
ここでは私が「言葉」を大切にしてゆきたいといふ旨だけ述べておきます。

自然は目に見える形で破壊されますが、
國語は目に附きにくいかたちで破壊されます。
單に若い人たちの言葉の乱れを憂ひてゐるのではありません。
それ以上に問題なのはマスコミや出版界に於ける國語の問題であります。
今後、さういふことも縷々述べてゆきたいと考へてをります。

渡部恒三議員禮讃

2006-03-17 01:36:37 | 政治・経済
最近、報道番組で必ずと言ってよいほど話題になっている議員といえば渡部恒三議員です。

先日、某局の朝の生放送に出演した渡部さんが、
「私は日本のために命を捨てる覚悟がある!」
と発言していました。
私は渡部議員に政治家のあるべき姿を見ました。

渡部さんの細かい政治理念や政策理念は存じあげません。
しかし、自国の為に命を捨てる覚悟があると断言しただけでこれはもう禮讃に値すると思います。
口からでまかせでそういうことを云う政治家も居ますが
渡部さんに限ってそんなことは無いと確信しています。
渡部さんにはそれを確信させるものがある。

渡部さんは失礼ながら政治家としては一流であるとはいえない。
ですが、永田某議員や前原某代表より余程立派な人物です。なにより人間としての魅力があります。
会津魂とでも申しましょうか、渡部さんにはサムライの精神が備わっているように思えます。
またあの会津辯というか会津訛りがとても良い(笑)
方言が大好きな私としては
他の政治家も真似をして、せめて国会以外では自分の出身地の方言で話して欲しいものです。
(河村たかし議員あたりは実践していますね(笑))

さて、今朝もスーパーモーニングにゲストとして出演されていました。
そして独特の会津訛りで
「今回のメール問題で一番得をしたのは小泉くんと武部くんだ。
この二人にはむしろ感謝状を送ってもらいたいぐらいです。」
と仰っていました。
これにはコメンテーターのやくみつるも
「これは爆弾発言ですねぇ(笑)」
と苦笑い。
スタジオの人たちも同じく苦笑いしていました。
続けて渡部さんは
「武部くんは立派な人ですよ。私の息子も武部くんの息子と仲がいいですし。」
とフォローも忘れていませんでした。

さすが黄門様。
そんじょそこらのペーペー議員には出来ない芸当です。
感謝状の発言も渡部さんだから言えることだと思います。
他の議員が言ったのならそれこそ大問題でしょう(笑)
でも渡部さんが云うとちっとも厭味じゃない。

今の民主党に必要な人物は正に渡部さんのような方です。

翻って今の日本に必要なものは若い風よりも、
古き良き風であると思っています。

「三国人」も差別語にあらず

2006-03-16 21:41:10 | 言葉・国語
さて、今回も「差別語」ネタです(笑)

平成十二年四月、東京都知事の石原慎太郎氏が
「不法入国した多くの三国人、外国人が兇悪な犯罪を繰り返している」
と発言し大きな問題となりました。
マスコミが「三国人は差別語だ!」と騒いだからです。
実はこの石原発言には差別語問題とは別の多きな誤りがあるのですが、
それは後述いたします。

さて、この「第三国人」も差別語ではありません。
「三国人」正しくは「第三国人」です。
略して「三国人」。

「第三国人」については『日本国語大辞典』がもっとも正確な語釈をおこなっています。

「第二次世界大戦後の占領時代に、かつてわが国の統治下にあった諸国の国民(朝鮮人・台湾人)に与えられた名称。
一般の外国人(連合国人・中立国人)とは異なる法律上の扱いを受けた」


つまり、戦争当事国(戦勝国・敗戦国)以外の第三の国だから「第三国」なのです。
補足いたしますと、
戦後、GHQが朝鮮人・台湾人を「Third Nationals(サード・ナショナルズ)」と規定し、
それを日本語に訳したのが「第三国人」です。
いわゆる行政用語で差別語でもなんでもありません。
しかも、GHQとしては第三国人を準戦勝国として扱ったそうですから、
差別どころか敗戦国である日本よりも立場は上です。

これで前述した石原知事の「大きな誤り」もおわかりいただけたかと思います。
周知の如く「不法入国して兇悪な犯罪を繰り返している」のは主に支那人です。
北朝鮮は別として、
台湾は豊かな国ですからそういう人はまずいないでしょうし、
韓国もしかりです(不法入国だけをする人の数は結構いますが)。
三国人が朝鮮人・台湾人のみを指す言葉である以上、
石原さんの発言は妥当ではありません。

マスコミも石原知事も「第三国人」という言葉を正確に理解していなかったというお話でした。


追記:
新明解国語辞典(第五版)の「第三国人」の語釈には
「敗戦後の一時期、在日朝鮮人・同中国人を指して言った語。三国人。」
と記述されていました。
繰り返しますが中国人は三国人ではありません。
第六版では訂正されているのでしょうか?

「支那」は差別語にあらず

2006-03-16 02:13:48 | 言葉・国語
前回に引き続き『ダ・カーポ』より。

ダ・カーポには毎回、私の尊敬する国語学者である金田一春彦先生の御子息であられる金田一秀穂さんのコラムが掲載されています。
金田一秀穂さんといえば最近では「タモリのジャポニカロゴス」や「マシューTV」でお馴染みの国語学者さんです。

その金田一秀穂さんのコラム「言葉のことばっかし」に気になる一文がありました。
テーマは「中華そば」という言葉について。

以下、引用。

―中華ソバという。私にとっては、子供の頃からこれが一番馴染んだ言葉なのだ。
祖母たちはシナソバと言った。
支那というのが差別語であることは後年知った。
祖母に差別意識があったとは思えない。
しかし、差別意識は使う側になくても、使われる側がその存在を決定できるのだから、使わないに越したことはない。


記事のタイトルにありますように「支那」とは決して差別語ではありません。
国語学者さんが「支那」という言葉の語源も御存知ないのでしょうか。
別段、秀穂さんを批判する事が今回の趣旨ではないのでそれは置いておくとして、

支那(しな)の語源は最初の統一王朝「秦(しん)」に由来しており、
以後、政権・王朝が代わってもその基底にある自然・民族・文化を意味する名称として「支那」は使われてきました。
西洋でもそれは同じで「China」の語源は云うまでも無く「秦」ですし、オランダ語では「Sina」と表記しています。
ローマ字読みすれば正に「シナ」ですね。

シナに「支那」という漢字を当てるのはサンスクリット語の仏典を漢訳した時に出来たものです。
「支那」という字を当てたのは当時の支那人です。
(「支」も「那」もとても良い意味を持つ漢字)
日本では江戸時代以後「中国」を指す語として蘭学者などの間で幅広く使用されてきました。

ですから、「支那」というのは歴代王朝から含めて「中国」を指す言葉です。
だから「清」も支那ですし、「隋」や「唐」も支那と言う事です。
例えば、グレートブリテン及び北部アイルランド王国を「英国」と呼ぶことと同じようなものです。
「オランダ」だってオランダ人は「ホーランド」と呼びますし、
「支那」だけなぜ差別語になってしまうのでしょうね。

さて、金田一秀穂さんは
「支那というのが差別語であることは後年知った」
と書いていますが、一体どう「知った」のでしょう?
また、「祖母に差別意識があったとは思えない。」
とも書いていますが、
そもそも「支那」が差別語ではないのですから、
差別意識がなかったのは当り前のことですね(笑)


附記:平成十八年九月十七日加筆

たかじん委員会に藤原正彦さん

2006-03-14 00:36:20 | テレビ・芸能
先日のたかじん委員会に『国家の品格』の著者・藤原正彦さんがVTRで御出演されていました。
生憎、VTRの途中から慌てて録画した為、途中からではありますが、
素晴らしいお言葉でしたので此処に書き起こししたいと思います。


―マネーゲームとしての合併や買収を卑怯とも下品とも思わなくなってしまった
と語る藤原さんは論理と合理性だのみの改革では社会の荒廃を食い止めることが出来ないと断言しています。

「論理や合理はすごく重要ですよ。
 これ否定したらもう、文明を否定することと同じで事すからね。
 しかしそれだけでは人間はやっていけないっていうことですね。
 例えばですね、今、会社は株主のものなんてふざけたことになってるでしょ。
 会社は従業員のものに決まってるわけですよね。
 株主のものっていうのは一冊二冊、厚い本が書けるような論理がビチッと通ってるわけですね。
 共産主義だって世にも美しい理論がビチッっと通ってますね。論理が。
 しかし、共産主義は七十四年間ソ連が実験して大失敗に帰したわけですね。
 要するに美しい論理がビチッっと通っているっていうことと人間という生物に適しているかどうかはまったく別問題なんですね。」

―では国際社会の中で今日本に必要なのは何なのでしょう。

「特に今一番日本が問題にしないといけないのはアメリカですね。
 アメリカと日本はまったく違う国なんですね。
 アメリカっていうのは人種の坩堝(るつぼ)ですね。
 この三百年間ぐらい各国からのアジア、アフリカ、ヨーロッパ、あちこちから来た人・・・。
 で、みんな異なる言語、異なる宗教、異なる風習、その他を持ってる。
 この人達を集めて統一しなきゃいけない。
 そのためにはですね、各国の各民族の共通な何かで統一しないといけない。
 それが論理なんですね。したがってですね、人間の心とか情で統一することは不可能ですね。
 しかし、日本やイギリスとかドイツとかですね、歴史の深い国々っていうは
 昔からの慣習とか情緒とか道徳・・・。行動基準っていうのがあるわけですね。
 例えば日本は武士道精神から来る卑怯はイカンとか、
 惻隠・・・惻隠っていうのは他人の不幸に対する敏感さ。
 あるいは弱者や敗者への涙、共感。
 こういうものをですね、盛り立てていく、と。
 これで国を満たす、と。それでさらには世界をいつかそういう心で満たす、と。
 そうするとですね、あのようなですね、
 なんともいえない美辞麗句に惑わされないでね、
 もっと素晴らしい社会が出来るっていうことを強調したかったんですね。」

―世界を均一にしようというグローバリズムの波の中、
日本は国家の品格を取り戻し孤高の日本にならなければいけない。
と藤原さんは力説しています・・・



私も藤原さんの意見にまったく同意です。
今の日本が何よりも取り戻さなければならないのは品格だと思います。
そういう私は「品格」という名に程遠い人間ではありますが(笑)

天皇陛下「全然、無事だったんですね。」

2006-03-08 00:32:30 | 言葉・国語
先程、ニュースJAPANを見ていると天皇皇后両陛下が三宅島を訪問されている映像が流れていて、
その中で、天皇陛下が島民に「全然、無事だったんですね。」とお声を掛けられるシーンがありました。

陛下が仰った「全然無事」という言葉。
これは日本語として正しいのかそうでないのか。
良い機会ですので書いておこうと思います。

結論から、先に申しますと「全然無事」という日本語はまったくもって正しい。
別の言い方をすれば“全然正しい”(笑)

何故か近年では「全然」という言葉の後には否定や打ち消しを伴うものという認識が多くの人にあるようです。
調べたわけでは無いですが、おそらく多くの人が
「全然大丈夫」や「全然良い」という言い回しは誤用だと思っている。
じじつ、高校生の時分に友人が
「最近はNHKのアナウンサーも『全然大丈夫』などと言っている」と日本語の乱れを憂えていました。

しかし、「全然」は本来、肯定的な言い回しをする時にも用いるのです。
例えば、明治大正期の文学作品をみるとそういう用法を多く目にする事ができます。
例を挙げましょう。


小栗風葉『青春』
「過去は一切に葬つて、是から全然新生涯に入りたいと思ふ」

森鴎外『灰燼』
「好色家が女がうるさいと云ふと、全然同じ事である」

芥川龍之介『羅生門』
「これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されてゐると云ふことを意識した」

夏目漱石『坊つちやん』
「一体生徒が全然悪いです。どうしても詫まらせなくつちやあ、癖になります。」


昭和期の例も挙げておきます。


和辻哲郎『孔子』(昭和十三年)
「印度は中世以後モハメダンの蹂躙に逢ひ、仏教は地を払つた。仏教の印度は全然の過去である」

金田一京介『国語の変遷』(昭和十六年)
「その一は、全然機械的な、純然たる生理的な変化で・・・」

山本周五郎『青べか物語』(昭和三十五年)
「三人とも全然まるはだかであった」



このように文学作品以外でも「全然」は肯定の意味でも使われていたわけであります。
しかし、最近ではどうやら事情が違っていまして
国語学者の中にも「全然」の後に肯定がくるのは誤用だと主張する方がいる。
また、やはり多くの人もその通りだと思っているようです。
広辞苑でも「(俗な用法で、肯定的にも使う)全く。非常に。「―同感です。」」とありました。
どういうわけか、「俗な用法」になってしまっている。
これは些か由々しき問題ですね。

このことを『日本国語大辞典』の編纂者である松井栄一さんも
「どういうわけか、打ち消しや『だめ』などの否定的な語とセットで使うという常識が出来上がってしまった」
と仰っています。

言葉とは常に変化するものであるということでしょうか。

(参考文献:高島俊男『お言葉ですが・・・』)

久世光彦さん逝く

2006-03-03 23:58:27 | 歴史・人物
「時間ですよ」演出家・作家の久世光彦さんが死去

 「時間ですよ」をはじめとするユニークなテレビドラマを数多く手がけた演出家で作家の久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが、2日午前7時32分、虚血性心不全のため東京都世田谷区内の自宅で亡くなった。70歳だった。

 告別式は7日午前11時、文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は妻、朋子さん。連絡先は、港区赤坂4の3の14辰村赤坂ビル、カノックス。

 親しい編集者によると、久世さんは前日も、普段と変わらない様子で仕事の打ち合わせをしていたという。

 東京都出身。東大卒業後の1960年にKRテレビ(現TBS)に入社。62年のドラマ「パパだまってて」で演出家デビューした。70年代に入って、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」などのホームドラマを次々と生みだし、時代を代表するヒットメーカーに。コント的な要素を導入したり、食事の献立を字幕で紹介したり、従来のドラマ作りの常識を覆す演出で異才の名をほしいままにした。

 79年にTBSを退社し、製作会社「カノックス」を設立。軽快な作品の一方で「向田邦子シリーズ」のような繊細でしみじみとした人間ドラマも手がけ、92年には「女正月」で芸術選奨文部大臣賞を受けた。

 映画監督、作詞、舞台演出にも乗り出すとともに、作家としても活躍。94年に「一九三四年冬―乱歩」で山本周五郎賞、97年に「聖なる春」で2度目の芸術選奨文部大臣賞を受賞した。95~97年には本紙に小説「卑弥呼」を連載した。98年に紫綬褒章。
(読売新聞) - 3月2日20時57分更新


今日、朝刊を目にして驚きました。
こんな文字が飛び込んできたらからです。

「演出家・作家の久世光彦さんが死去」

久世さんといえば多くの方は「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」の演出家としてお馴染みだと思います。
私の中では「夏目家の食卓」という一昨年の正月に放映されたドラマの印象が最も強いです。

つい先ごろまで大変お元気でいらしたのに正に私にとっても晴天の霹靂でありました。
著名人が一人亡くなられていく毎に昭和が遠くなっていっている事と自分自身が年齢を重ねているということを実感いたします。

久世さんは『諸君!』に「マイ・ラスト・ソング」というエッセイを連載されていて「あなたは最後に何を聴きたいか」というテーマの元に毎回、久世さんの心に残っている歌を紹介・解説されていました。
久世さんの御冥福をお祈りしつつ、「マイ・ラスト・ソング」文から一文を紹介いたします。

 とんとん とんからりと 隣組
 あれこれ面倒 味噌醤油
 ご飯の炊き方 垣根越し
 教えられたり 教えたり
 
 とんんとん とんからりと 隣組
 地震やかみなり 火事泥棒
 お互い役立つ 用心棒
 助けられたり 助けたり

こうした<いい風景>が、日本の町からなくなって、どれくらいになるだろう。
合理精神から言えば、戦前や戦中の東京の町なんて、不用心そのもので、およそ物騒なものだった。
やぶれ垣根をヒョイと越えれば、家宅侵入など簡単だった。
(中略)
けれどそれは一つの<信頼関係>でもあった。
ちょっと大げさに言えば、<連帯>があった。
そのころあって、今ないのは、こうした隣り近所の連帯感、ひいては<国民>の連帯感である。
(中略)
あれから六十年、いまはマンションや、アパートの隣りの部屋に誰が棲んでいるのか知らないのが普通だ。
一階下に、爆弾を作っているテロリストが棲んでいるかもしれないのだ。
だから、隣人をはじめから猜疑の目で見る。
相手も相手で、胡散臭い顔でこっちを見ている。
<隣組>と<縁側>がなくなって、日本は寂しい国になった。
(中略)

 とんとん とんからりと 隣組
 何軒あろうと 一所帯
 こころは一つの 屋根の月
 纏められたり 纏めたり

「隣組」ほど懐かしく、これほど<喪われたもの>を思い出す歌はない。
私たちの世代で、この歌を思い出すのも嫌だという人はいないだろう。
あのころの歌の中には、辛さや不快感を呼び覚ますものも確かにあるだろう。
けれど、「隣組」だけは、そうではない。
日本の山河に降り注ぐ陽の光と、吹き過ぎる爽やかな風が蘇る。
口にすると、背筋が伸び、目が輝く。
もしかしたら<マイ・ラスト・ソング>の、ナンバー・ワンかもしれない。

戸川純関連CD再発

2006-03-01 01:48:36 | 音楽・藝術
昨晩、伊集院光深夜の馬鹿力を聴いていましたところ、
戸川純の「遅咲きガール」が流れてまいりました。
どうやら、伊集院さんがリクエストしたようなのですが、
それはさておき、これをきっかけにアマゾンで戸川純のCDを調べてみたところ、
今月の二十二日に戸川純関連CDが再発されていたことを知りました。

品目は・・・

玉姫様<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
裏玉姫<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
好き好き大好き<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
極東慰安唱歌<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
東京の野蛮<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>
改造への躍動<紙ジャケット仕様完全生産限定盤>


どれも廃盤になっていたりで今まで入手困難だった作品ばかりです。
しかも、すべて紙ジャケ仕様。
久し振りに音楽による興奮を覚えました。

また、全作品完全限定生産だそうですので、
戸川純ファンは今すぐレコード屋に走るべき!