先日、スマステ(スマップステーション)で三島由紀夫特集をやっていました。
私としては貴重な映像も観られてとても満足いく内容でした。
その中で三島さんと当時深い仲にあった美輪明宏さんがインタビューされていたのですが、
美輪さんのお言葉は実に光っていました。
ということで、以下に紹介いたします。
「日本のやっぱり美意識でしょうね。日本の美意識の高さ、レベルの高さ。
三島さん自身がね、仰ってたことは
『あらゆる芸術作品は例格が高くければいけない』と仰ってたんですよ。
スピリチュアルのね。例格が高いものでないと本物の芸術とは言えない、と。
しかも、オリジナリティですね。だからそういう純日本的な。
その美学というのの基本が出来た上での表現だから。で、ゆるぎないものですから。」
「(三島は)『いまに日本はとんでもない時代になるよ』って言っていたんですね。
親が子を殺し、子が親を殺し、ゆきずりの人を刺し殺してみたりとか、そういう時代になるよ、と。
三十数年前に言ってたわけじゃないですか。その通りになりましたよね。」
近年、三島由紀夫が再評価されてきていることについて。
「なぜ三島さんなのかって、つまり、三島さんだけではなくてね、本物を求める時代になったんですよ。
終戦後、とにかく六十六箇所も絨毯爆撃でやられて、私も長崎で原爆。で、広島も原爆。
とにかく、みんな着る物も食べる物も住む所も無い。
そしたら、礼節とか教養とか知性とかそんなこと言ってられなかったんです。みんなケダモノだったんですよ。
で、そして、やっと戦後60年になって、フッと気がついてきたら、大切なもの忘れていた。
何か。つまり謙譲の美徳であるとか礼儀作法とか躾(しつけ)とかね、ロマンティシズムとか叙情性とか。
そういうものが何処にも無かったわけですよ。
で、文学や何かも思いつきのね、つまり与太小説であるとかね、新しければいい、驚かせてやろう、という。
そういう卑しい魂胆で作られた文学美術音楽・・・そういうものばかりになりましたでしょ。
ところが、一般大衆はそうじゃない、と。そんなものは、まがい物はいらない、と。
代用品は要らないんだ、と。本物が欲しいのよ、と。
で、そしたら振り返ってみたら、日本には素晴らしいものがあるわけじゃないですか。
「これなんだよ」っていうのが、ぼつぼつ始まってきたんですね。
日本が世界に誇る本物。かつてね、ジャポニズムっていって世界に尊敬されてた時代ですよね。
明治大正、昭和初期までの。それが日本にあるんですよ、と。
それが、取りも直さず三島由紀夫であり、寺山修二であるとかね。・・・そういった人がブームになってきているんですよ。」
VTR後の(ゲストに来ていた)中井貴一さんのコメント。
「四十五歳でしょ。割腹自殺。僕は来年四十五なんですよ。
そうすると同じ歳になるじゃないですか。
でも僕は、こうVTR観てて、結局、その、ナショナリズムってことになると思うのね。
要するに国民意識っていう。
俺なんか非常にその凡人だから海外に行って仕事をして、例えばその海外旅行とかじゃなくて、
海外でお金を稼ぐっていうことをしてみると、もの凄くナショナリズムが大事だってことが凄くわかるのね。
で、日本人って、その僕たちもそうなんだけど、
日本人であることに誇りを持たない教育っていうのをされてきてる部分があって、
でも本当は海外で勝負をする為には自分が日本人である誇りっていうのは持たなきゃいけないのよ。
で、やっぱりその、文化だったり日本の歴史だったりを、もの凄く勉強していないと、
やっぱり海外に出て恥ずかしい思いをするんだよね。
(中略)
やっぱり俺らがこれから考えていかなけりゃ・・・
そのナショナリズムってすごく変な意味に捉えられるけども、
そうじゃなくって、自分が日本人であることに誇りを持って仕事をしていくっていうことは凄く大切なような気がするのね。
俺はまぁここまで究極ではないけど、なんとなく日本に・・・
祖国に対する思いみたいなのは「あぁそうなのかなぁ」って思うところはあるけどねぇ。」
なるほど。
戦後60年経った今だからこそ三島由紀夫さんは評価されているのでしょうね。
私としては貴重な映像も観られてとても満足いく内容でした。
その中で三島さんと当時深い仲にあった美輪明宏さんがインタビューされていたのですが、
美輪さんのお言葉は実に光っていました。
ということで、以下に紹介いたします。
「日本のやっぱり美意識でしょうね。日本の美意識の高さ、レベルの高さ。
三島さん自身がね、仰ってたことは
『あらゆる芸術作品は例格が高くければいけない』と仰ってたんですよ。
スピリチュアルのね。例格が高いものでないと本物の芸術とは言えない、と。
しかも、オリジナリティですね。だからそういう純日本的な。
その美学というのの基本が出来た上での表現だから。で、ゆるぎないものですから。」
「(三島は)『いまに日本はとんでもない時代になるよ』って言っていたんですね。
親が子を殺し、子が親を殺し、ゆきずりの人を刺し殺してみたりとか、そういう時代になるよ、と。
三十数年前に言ってたわけじゃないですか。その通りになりましたよね。」
近年、三島由紀夫が再評価されてきていることについて。
「なぜ三島さんなのかって、つまり、三島さんだけではなくてね、本物を求める時代になったんですよ。
終戦後、とにかく六十六箇所も絨毯爆撃でやられて、私も長崎で原爆。で、広島も原爆。
とにかく、みんな着る物も食べる物も住む所も無い。
そしたら、礼節とか教養とか知性とかそんなこと言ってられなかったんです。みんなケダモノだったんですよ。
で、そして、やっと戦後60年になって、フッと気がついてきたら、大切なもの忘れていた。
何か。つまり謙譲の美徳であるとか礼儀作法とか躾(しつけ)とかね、ロマンティシズムとか叙情性とか。
そういうものが何処にも無かったわけですよ。
で、文学や何かも思いつきのね、つまり与太小説であるとかね、新しければいい、驚かせてやろう、という。
そういう卑しい魂胆で作られた文学美術音楽・・・そういうものばかりになりましたでしょ。
ところが、一般大衆はそうじゃない、と。そんなものは、まがい物はいらない、と。
代用品は要らないんだ、と。本物が欲しいのよ、と。
で、そしたら振り返ってみたら、日本には素晴らしいものがあるわけじゃないですか。
「これなんだよ」っていうのが、ぼつぼつ始まってきたんですね。
日本が世界に誇る本物。かつてね、ジャポニズムっていって世界に尊敬されてた時代ですよね。
明治大正、昭和初期までの。それが日本にあるんですよ、と。
それが、取りも直さず三島由紀夫であり、寺山修二であるとかね。・・・そういった人がブームになってきているんですよ。」
VTR後の(ゲストに来ていた)中井貴一さんのコメント。
「四十五歳でしょ。割腹自殺。僕は来年四十五なんですよ。
そうすると同じ歳になるじゃないですか。
でも僕は、こうVTR観てて、結局、その、ナショナリズムってことになると思うのね。
要するに国民意識っていう。
俺なんか非常にその凡人だから海外に行って仕事をして、例えばその海外旅行とかじゃなくて、
海外でお金を稼ぐっていうことをしてみると、もの凄くナショナリズムが大事だってことが凄くわかるのね。
で、日本人って、その僕たちもそうなんだけど、
日本人であることに誇りを持たない教育っていうのをされてきてる部分があって、
でも本当は海外で勝負をする為には自分が日本人である誇りっていうのは持たなきゃいけないのよ。
で、やっぱりその、文化だったり日本の歴史だったりを、もの凄く勉強していないと、
やっぱり海外に出て恥ずかしい思いをするんだよね。
(中略)
やっぱり俺らがこれから考えていかなけりゃ・・・
そのナショナリズムってすごく変な意味に捉えられるけども、
そうじゃなくって、自分が日本人であることに誇りを持って仕事をしていくっていうことは凄く大切なような気がするのね。
俺はまぁここまで究極ではないけど、なんとなく日本に・・・
祖国に対する思いみたいなのは「あぁそうなのかなぁ」って思うところはあるけどねぇ。」
なるほど。
戦後60年経った今だからこそ三島由紀夫さんは評価されているのでしょうね。