あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
お気軽にコメントなさってください☆

西尾幹二さんの歴史観

2009-04-27 20:11:09 | 歴史・人物
『諸君!』も次号で休刊だという。
保守系オピニオン誌の中でもっとも多様性があった雑誌なので非常に残念。
あと、残るは『正論』、『WILL』。
中道では『中央公論』、左派系は『世界』あたりか。
あ、『Voice』なんてものあった。
どうも心もとない。

その『諸君!』四月号に歴史家の秦郁彦先生と評論家の西尾幹二さんの対談が載っていた。
これは、田母神論文を軸にお二方の歴史観を戦わせた内容。
所謂、和やかな対談ではなく、本当の意味での討論になっていた。
いや、討論というより、ほとんど喧嘩だった。

私は以前、歴史研究の観点から田母神論文の歴史記述について誤りを指摘した。
田母神さんの国家観、歴史観について共感するところは多々あるが、論文の記述内容について多少の事実誤認があったからだ。
いわば、「総論賛成、各論疑問」といったところか。

秦さんの立場は田母神論文は全体的な提言や主旨に違和感は無いが歴史的事実について誤認がある為、支持しないというもの。
およそ、私の立場に近い。
一方、西尾さんは、確かに田母神論文には不備があるもののそれは取るに足らぬことで、絶対的に支持するという立場。

西尾さんは陰謀史観にも肯定的でルーズベルトが工作して日米戦に持ち込んだという「ルーズベルト陰謀説」もすっかり信じておられる様子。
これについて、秦さんが歴史研究家の立場から「証拠がないでしょう」と反論すると、西尾さんは「証拠なんかないですよ」と開き直ったような態度をとる。
もう、ほとんど話が噛み合っていなかった。
なんというか、秦さんは資料(史料)をもとに史実を積み上げてゆく歴史家で、西尾さんは資料をもとに推測と想像で歴史物語を作り上げていく文学者という感じがした。
「彼(田母神さん)の論文は一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね」という西尾さんの言葉も氏が文学者であることを象徴している。
そういえば、西尾さんの大著『国民の歴史』も「民族の物語として著述した」なんて云っていたような。

私は歴史を物語として捉えるのはそれはそれで良いと思う。
民族や立場によって、それぞれの物語があろう。
しかし、歴史研究の立場からはそれは相容れないことだ。
歴史家の立場としては史実は一つ。
その上での歴史解釈や歴史観はいくらでもできるが、これも史実を著しく逸脱することは許されない。
私は歴史畑の人間だからこういった考えに近い。

西尾さんは「秦さんの文章は腹が立つ」「歴史の専門家を信用していないのでね。ことに日本史の専門家と聞いただけで眉に唾する」と発言していて、歴史側に居る私はかなり違和感を持ったが、やはりこれも文学と歴史との深い溝なのだと思った。
無論、秦さんもちょっと頑ななところがあって、それゆえ、西尾さんをイラつかせるのだろうけど。

私は『WILL』に載った西尾さんの皇室についての論文には大変共感した。
なにより、歴史を語る西尾さんのそれとは違い説得力があった。
これは、皇室の問題はきわめて文学的だからだと思う。
皇室の問題は歴史も深く関ってくるが、政治思想や感情論を抜きにしては語れない。
思想の問題となるとつまるところ文学だ。
歴史論争は史料があれば案外簡単に決着がつくが、思想の問題は絶対と云っていいほど決着がつかない。
それは、つきつめれば人それぞれの感情の問題になるからだ。

文学者としての西尾さんは皇室の問題は専門分野だが、歴史となるとまったく専門外というわけになる。
西尾さんの歴史観が史実性を無視して推測や想像、そして感情論に拠ることも頷ける。

草剛、逮捕

2009-04-25 20:12:25 | テレビ・芸能
かつて、ある講義で教授が「芸能人なんて昔は河原乞食と呼ばれていたんですよ」と語りだしたことがある。
室町の時代から、芸人は人の扱いを受けていて、いわば賎民だった。
ところが、今では随分高いところに祭り上げられてしまった、と。
教授は「今ではみんな芸能人になりたいでしょ?」と意地悪そうに笑った。

いま、芸能人を卑しんで言うなら、河原乞食ならぬ電波乞食とでもなろうか。
実際、売れない芸人は乞食に近い生活をして居る者も多い。
一方、トップアイドルともなれば、実態は乞食という言葉からおよそかけ離れている。
浮き沈みが激しく、当たれば大きいが、当たらなければ乞食同然で、バクチな稼業であることは間違いない。

きのう、草剛が公然猥褻罪で逮捕された。
はじめ、強制猥褻かと思って「すわ、婦女暴行でもはたらいたか」と思ったら公然猥褻。
強制と公然ではえらい違いだ。
聞くと公園で全裸になり咆哮していただけ。
それで、逮捕というのはどうも解せない。
全裸の酔っ払いなんて「兄ちゃん、こんなところで裸になったらあかんで」と保護されるのが普通だ。
しかも家宅捜査までされた。
警察の説明では「あくまで動機や背景を探るための一般的な理由。全裸癖などの嗜好性があるか物証を探しただけ」(「スポニチ」2009年4月24日)とのことだが、明らかにやりすぎ。
私なんか家宅捜査されたら色々ヤバイものが出てきて別件で逮捕されそうだ。
(こんな冗談も許されない時代になっていないか)

それとも何か家宅捜査をする特殊な事情があったのだろうか、と疑いたくもなるが、尾崎豊じゃあるまいし、そんなことも無いだろう。
とすれば、これは警察による芸能人に対する妬み嫉みなのかも。
あるいは、個人的にジャニーズ事務所が嫌いだったとか。

ジャニーズ事務所はテレビ業界では全盛期の平家のような振る舞いをやっている。
その横暴ぶりの仔細はサイゾーの報道にゆだねるが、テレビ関係者の中で公然とジャニーズ事務所に逆らえる者は居ない。
そんな事情もあってジャニーズを嫌う人は多い。
テレビは稲垣吾郎が捕まった時も、事務所に気兼ねして稲垣容疑者ではなく「稲垣メンバー」とやった。
今回はきちんと「草容疑者」になっていたが、ワイドショーはどこも擁護。
ある女性のコメンテーターは「愛すべき酔っ払い」だとかなんとか言っていた。
草は大の酒好きで酔うとコレクションのジーンズをビリビリ破いたりするそうなのだが、それについても「少年のようで可愛らしい」なんて気持ち悪いコメントをする。
こういうテレビの対応がますます反感を買う結果となる。

しかし、論ずべきは草の人柄云々ではなく、警察の逮捕や家宅捜査が妥当なものであるかどうかだろう。
草個人のことなど、どうでもいい。
第一、一般人と芸能人とでは逮捕の重みが違う。
早い話が、CM出演だけで二億五千万も稼いでいる芸能人にとって公然猥褻罪で逮捕なんて一時的にイメージが下がるだけで、それほど支障があることと思えない。
みんなすぐに忘れるさ。
過去にこれよりもっと重い罪で逮捕されている現役芸能人なんで大勢居るがみんな忘れている。

草を逮捕した赤坂署にはファンからの抗議が殺到しているらしく、「私はヤクザだ」という脅迫まがいの電話もあるとか。
警察に向かって「私はヤクザだ」なんてちょっと笑えるが、ジャニーズファンは怒らせると右翼よりタチが悪い。

かつて、伊集院光さんが大槻ケンヂとラジオをやったとき番組表に「光ケンヂ」と打ったら、当時、全盛だった光GENJIのファンが激怒して、カミソリレターを大量に送ってきたという。
当時としてもカミソリレターなんてベタすぎて無いと思っていたのに、あんなに大量に来るとは驚いたと伊集院さんは言っていた。

ともあれ、この件は人気タレントが逮捕されたから騒ぐべき問題ではなく、警察による逮捕や家宅捜索が不当である可能性が高いと騒ぐべきなのだ。
近年、逮捕の基準が下がっているようで、十徳ナイフを持ち歩いただけでも逮捕される。
ネット上で冗談を飛ばしても逮捕されるようになった。

草逮捕について公然猥褻罪に該当するので逮捕は正当との声が聞かれるが、他の刑法もこんな運用の仕方をされてはたまったもんじゃない。
強権を振りかざすのはジャニーズ事務所だけでいい。