『諸君!』も次号で休刊だという。
保守系オピニオン誌の中でもっとも多様性があった雑誌なので非常に残念。
あと、残るは『正論』、『WILL』。
中道では『中央公論』、左派系は『世界』あたりか。
あ、『Voice』なんてものあった。
どうも心もとない。
その『諸君!』四月号に歴史家の秦郁彦先生と評論家の西尾幹二さんの対談が載っていた。
これは、田母神論文を軸にお二方の歴史観を戦わせた内容。
所謂、和やかな対談ではなく、本当の意味での討論になっていた。
いや、討論というより、ほとんど喧嘩だった。
私は以前、歴史研究の観点から田母神論文の歴史記述について誤りを指摘した。
田母神さんの国家観、歴史観について共感するところは多々あるが、論文の記述内容について多少の事実誤認があったからだ。
いわば、「総論賛成、各論疑問」といったところか。
秦さんの立場は田母神論文は全体的な提言や主旨に違和感は無いが歴史的事実について誤認がある為、支持しないというもの。
およそ、私の立場に近い。
一方、西尾さんは、確かに田母神論文には不備があるもののそれは取るに足らぬことで、絶対的に支持するという立場。
西尾さんは陰謀史観にも肯定的でルーズベルトが工作して日米戦に持ち込んだという「ルーズベルト陰謀説」もすっかり信じておられる様子。
これについて、秦さんが歴史研究家の立場から「証拠がないでしょう」と反論すると、西尾さんは「証拠なんかないですよ」と開き直ったような態度をとる。
もう、ほとんど話が噛み合っていなかった。
なんというか、秦さんは資料(史料)をもとに史実を積み上げてゆく歴史家で、西尾さんは資料をもとに推測と想像で歴史物語を作り上げていく文学者という感じがした。
「彼(田母神さん)の論文は一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね」という西尾さんの言葉も氏が文学者であることを象徴している。
そういえば、西尾さんの大著『国民の歴史』も「民族の物語として著述した」なんて云っていたような。
私は歴史を物語として捉えるのはそれはそれで良いと思う。
民族や立場によって、それぞれの物語があろう。
しかし、歴史研究の立場からはそれは相容れないことだ。
歴史家の立場としては史実は一つ。
その上での歴史解釈や歴史観はいくらでもできるが、これも史実を著しく逸脱することは許されない。
私は歴史畑の人間だからこういった考えに近い。
西尾さんは「秦さんの文章は腹が立つ」「歴史の専門家を信用していないのでね。ことに日本史の専門家と聞いただけで眉に唾する」と発言していて、歴史側に居る私はかなり違和感を持ったが、やはりこれも文学と歴史との深い溝なのだと思った。
無論、秦さんもちょっと頑ななところがあって、それゆえ、西尾さんをイラつかせるのだろうけど。
私は『WILL』に載った西尾さんの皇室についての論文には大変共感した。
なにより、歴史を語る西尾さんのそれとは違い説得力があった。
これは、皇室の問題はきわめて文学的だからだと思う。
皇室の問題は歴史も深く関ってくるが、政治思想や感情論を抜きにしては語れない。
思想の問題となるとつまるところ文学だ。
歴史論争は史料があれば案外簡単に決着がつくが、思想の問題は絶対と云っていいほど決着がつかない。
それは、つきつめれば人それぞれの感情の問題になるからだ。
文学者としての西尾さんは皇室の問題は専門分野だが、歴史となるとまったく専門外というわけになる。
西尾さんの歴史観が史実性を無視して推測や想像、そして感情論に拠ることも頷ける。
保守系オピニオン誌の中でもっとも多様性があった雑誌なので非常に残念。
あと、残るは『正論』、『WILL』。
中道では『中央公論』、左派系は『世界』あたりか。
あ、『Voice』なんてものあった。
どうも心もとない。
その『諸君!』四月号に歴史家の秦郁彦先生と評論家の西尾幹二さんの対談が載っていた。
これは、田母神論文を軸にお二方の歴史観を戦わせた内容。
所謂、和やかな対談ではなく、本当の意味での討論になっていた。
いや、討論というより、ほとんど喧嘩だった。
私は以前、歴史研究の観点から田母神論文の歴史記述について誤りを指摘した。
田母神さんの国家観、歴史観について共感するところは多々あるが、論文の記述内容について多少の事実誤認があったからだ。
いわば、「総論賛成、各論疑問」といったところか。
秦さんの立場は田母神論文は全体的な提言や主旨に違和感は無いが歴史的事実について誤認がある為、支持しないというもの。
およそ、私の立場に近い。
一方、西尾さんは、確かに田母神論文には不備があるもののそれは取るに足らぬことで、絶対的に支持するという立場。
西尾さんは陰謀史観にも肯定的でルーズベルトが工作して日米戦に持ち込んだという「ルーズベルト陰謀説」もすっかり信じておられる様子。
これについて、秦さんが歴史研究家の立場から「証拠がないでしょう」と反論すると、西尾さんは「証拠なんかないですよ」と開き直ったような態度をとる。
もう、ほとんど話が噛み合っていなかった。
なんというか、秦さんは資料(史料)をもとに史実を積み上げてゆく歴史家で、西尾さんは資料をもとに推測と想像で歴史物語を作り上げていく文学者という感じがした。
「彼(田母神さん)の論文は一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね」という西尾さんの言葉も氏が文学者であることを象徴している。
そういえば、西尾さんの大著『国民の歴史』も「民族の物語として著述した」なんて云っていたような。
私は歴史を物語として捉えるのはそれはそれで良いと思う。
民族や立場によって、それぞれの物語があろう。
しかし、歴史研究の立場からはそれは相容れないことだ。
歴史家の立場としては史実は一つ。
その上での歴史解釈や歴史観はいくらでもできるが、これも史実を著しく逸脱することは許されない。
私は歴史畑の人間だからこういった考えに近い。
西尾さんは「秦さんの文章は腹が立つ」「歴史の専門家を信用していないのでね。ことに日本史の専門家と聞いただけで眉に唾する」と発言していて、歴史側に居る私はかなり違和感を持ったが、やはりこれも文学と歴史との深い溝なのだと思った。
無論、秦さんもちょっと頑ななところがあって、それゆえ、西尾さんをイラつかせるのだろうけど。
私は『WILL』に載った西尾さんの皇室についての論文には大変共感した。
なにより、歴史を語る西尾さんのそれとは違い説得力があった。
これは、皇室の問題はきわめて文学的だからだと思う。
皇室の問題は歴史も深く関ってくるが、政治思想や感情論を抜きにしては語れない。
思想の問題となるとつまるところ文学だ。
歴史論争は史料があれば案外簡単に決着がつくが、思想の問題は絶対と云っていいほど決着がつかない。
それは、つきつめれば人それぞれの感情の問題になるからだ。
文学者としての西尾さんは皇室の問題は専門分野だが、歴史となるとまったく専門外というわけになる。
西尾さんの歴史観が史実性を無視して推測や想像、そして感情論に拠ることも頷ける。