あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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『孤独のグルメ』新作、読みたかった・・・

2008-01-27 03:35:59 | 漫画・アニメ
『孤独のグルメ』10年ぶりの新作が「SPA!」1月15日号に掲載されていたという。
知らなかった・・・。これは、読みたかった!
明日にでも本屋でバックナンバーを註文してみよう。

『孤独のグルメ』は原作・久住昌之、作画・谷口ジローの漫画。
貿易古物商を一人で営む主人公(見た目は普通の若いサラリーマン)が様々な処で食事をする場面を描いた作品。
グルメと題しているがありがちなグルメ漫画とはわけが違う。
ふつう、グルメ漫画やグルメ番組というと「料理」にこだわる。
素材がどうだとか、味付けがどうだとか、この店は創業何年で云々かんぬん。
そうではなくて、この作品では「食べること」にとことんこだわっているのだ。

例えば、知らない店に一人で入る時、我々は色々なことを考える。
店の雰囲気はどうだ、こんなメニューがあるのか、そして出てくる料理。
食べてみて、「これは意外に旨い!」と思ったり、「少し味が薄いな」「別のメニューを頼めばよかった」「え!?大盛り無料だったの?」・・・などなど一人で様々なことを考えながら食べるのではないだろうか。
そういう時、人は小さな哲学者になっている。
なんて、ちょっと大袈裟だけども私はこの主人公にとても共感を覚える。
まさにそういう食事の仕方が大好きだからだ。
この楽しみは大勢では無理だ。勿論、二人でも。
一人で孤独に食事をする時にしか味わえない楽しみ。
それこそが「孤独グルメ」である。

このような食に対するこだわりを書かせたら久住昌之先生の右に出るものはいないだろう。
古い作品では「夜行」(扶桑社文庫『かっこいいスキヤキ』所収)にその原型を見ることが出来る。
「夜行」は夜汽車の中で独り駅弁を食べる男の話だ。
このときの御飯とおかずのせめぎ合いが本当に楽しい。
のちに「世にも奇妙な物語」で映像化もされている。

ところで、ふだん久住先生は泉晴紀先生と組んで「泉昌之」名義で漫画活動をやっている。(「夜行」もその作品の一つ。)
本作では谷口先生が作画をつとめたが、本作の作品観にはギャグっぽさが無く、書き込みも細かい谷口先生の作画がぴったりだったといえる。
『孤独グルメ』は今、扶桑社文庫にも入っている。
何度でも読み返したくなる名作である。


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お薦めサイト:

孤独グルメ
http://masan.sakura.ne.jp/htm/kodoku.htm

『孤独グルメ』に登場する店を実際にまわってらっしゃいます。
写真もあってとても楽しい。

「笑いのデモクラシー」は不在か

2008-01-23 18:58:52 | 政治・経済
「論座」二月号で吉田徹氏が「「笑いのデモクラシー」の不在」と題したコラムの中で日本のお笑いには政治権力をネタにするものが少ないと書いていた。
それで、政治ネタを扱う芸人としてザ・ニュースペーパーが居るが彼等はテレビからお呼びが掛からない、と。
本当にそうだろうか。
彼ら年末年始の番組に出ていたし、年末年始に限らず松下アキラは以前からものまね番組などにでている。
ワイドショーなんかでもよく見かける。
吉田さん、北海道大学准教授らしいから研究に忙しくてあまりテレビを御覧になっていないのではないか。
「いや出ているかもしれないが、あまりにも少ない」と仰るならそれは単に日本のテレビが政治ネタを嫌うのではなくて、単にザ・ニュースペーパーが面白くないだけだ。

ザ・ニュースペーパーのツマラナさは並じゃない。
政治をネタにしたお笑いが大好きな私でさえそう思う。
ザ・ニュースペーパーは基本的に総理をはじめとして政治家を小馬鹿にしたネタが多いのだけども、まったくひねりがないというか深みがないというか、云ってしまえば芸がない。
政治家や権力者を馬鹿にするのは大いに結構なのだけども巧くやらないと下品になったり白けたりする。
朝日新聞の社説や天声人語の方がまだ質が高い。
過激なんて言われているけど全然過激じゃないし。
本当に過激ならあの団体とかあの宗教法人とかあの団体とかをネタにしみろってんだ。
それにモノマネも似ていないし、あんなので笑える人は普段どんなお笑いで笑っているのかと疑いたくなる。

テレビでやる政治家諷刺ネタでクオリティが高かったのはかつてラスタとんねるず内でやっていた「スピッティング・イメージジャパン」というコーナーくらいか。
以前このブログでも紹介したが「スピッティング・イメージジャパン」は政治家の人形を使って政治パロディ劇をやるコーナーで私は小四ながら腹を抱えて笑っていた。
「小沢についてきゃ間違いない!」とか今でも通用するネタだ。
吉田徹氏もこのコーナーについて「唯一の例外」として取り上げていた。
確かにあれほど面白いのは唯一だったかと思う。

吉田氏は「笑いのデモクラシー」の不在の原因について、芸人やテレビの側だけに問題があるのではなく、笑いにするに値する権力の不在も原因に挙げていた。
確かに福田じゃネタにならん。
安倍前首相もネタにするには弱すぎた。
小泉首相がネタにしやすかったのはある程度強い権力と個性とを持っていたからだろう。
同じように金正日のような強烈な個性と権力を持つ者はいつの時代もよくネタに使われる。
しかし、「笑いのデモクラシー」の不在の原因を権力の側に求めることに私は与しない。
いま、日本に「笑いのデモクラシー」が不在であるならば、むしろ私は芸人の質の方に原因を求めたい。

例えば、かつて爆笑問題は政治ネタをふんだんにやっていたが、最近じゃ自らが政治家のようになってしまった。
諷刺する側が諷刺される側になってどうする。
爆笑問題の太田は正論に対して暴論を吐いて世間から目を顰められる芸人だったはずだ。
それがいまや政治問題においては世間から支持されるような発言ばかりするようになり、挙げ句、総理になって欲しい芸人にランクインする始末。
これを(芸人としての)堕落と言わずしてなんと言おう。

これとは反対に芸人ではないけれど漫画家の業田良家さんはいつの時代もどのような権力相手にも一流の政治ネタをやってくれる。
太田をはじめ政治ネタをやる芸人に業田さんの爪の垢を煎じて呑ませたい。

吉田氏の論点とは本質的にずれるかもしれないが、「笑いのデモクラシー」の不在という命題について、結果的に同意したい。

羊を殺すのとフグを殺すのと

2008-01-18 01:56:34 | 雑記
先日、久し振りに「世界ウルルン滞在記」を見た。
もう驚いたのなんのって。
司会の渡辺満里奈が消えていたり、ナレーションの下条アトムが松尾スズキになっていたりして、番組の雰囲気ががらっと変わっていた。
渡辺満里奈が居なくなったのは別にどうでもよいが、下条アトムさんが降板したのは一大事だ。
私にとって下条アトムさんといえばウルルンであるし、ウルルンといえば下条アトムなのである。
ナレーションが変わるだけであそこまで番組の雰囲気が変わるとは。
音楽や演出が変わったことを差し引いても、ナレーターの変更は大きい。
松尾スズキさんも嫌いではないのだけどもウルルンって感じがしない。
はじめ何気なく見ているとNHKのドキュメンタリー番組かなんかと勘違いしたくらいだ。

いま調べてみるとウルルンは去年の四月にリニューアルされていたらしい。
これまで知らなかったとは随分長い間ウルルンを見ていなかったんだな。

さて、私が見た回は再会スペシャルということで、かつて訪れたホームステイ先に再び赴いたり、逆にホームステイ先でお世話になった家族が日本に来たりするあのパターン。
なかでも興味深かったのは山口もえがお世話になったモンゴル人夫婦とのエピソード。

もえさん(私は普段山口もえのことをこう呼んでいる)はモンゴルに行った時、あの独特のほや~んとしたノリで周囲を困惑させたり和ませたりしていたのだが、モンゴル人お父さんが羊(だったと思う)を殺して解体する場面でもえさんは「かわいそう」と言いながら泣き崩れてしまう。
その時、お母さんは「あなたも日本でお肉を食べるでしょう?」あなたが日本で食べている肉もこうやって殺している。それと同じことなのよ、と優しく諭してくれる。

モンゴル人のお母さんの言う通りだ。
我々は普段、肉を食べている。
そのくせ、牛や豚が殺される場面をみると残酷だなどと思ってしまう。
しかし、食肉はスーパーやお肉屋に綺麗に並んでいる状態になるまでにかならず・解体という過程を経なければならない。
残酷だなどと思うことは理論の上からはあってはならないことなのだ。

とはいえ、やはり一般の日本人にとって動物を殺す場面は見慣れていないし、抵抗を覚えることもまた自然なことであるし、の場面自体に強い抵抗を覚えること自体否定するものではない。
その点、狩猟民族や騎馬民族である西欧人やモンゴル人は平気で牛や豚を解体する。
ドイツあたりじゃ、牛一頭を解体出来るようになって一人前の主婦だとか。
ある大学講師の先生がドイツに行った時、妙齢の婦人が大きなハンマーを持って牛を殺して解体し始めたので驚いたとか言っていた。

さてさて、これからが本論。
動物を殺す場面にはとかく抵抗を覚える我々日本人だけども、魚をさばく場面は案外平気なのではあるまいか。
いや、案外どころかほとんどの人が平気なはずだ。
それどころか、マグロの面などを見ると「あぁ美味しそうだ」などと思ってしまうだろう。 (私がいやしいだけか?)
「だって、魚と哺乳類だもの全然勝手が違うよ」という意見が大半だと思う。

ところが、ところがである。
先ほど、もえさんを優しく諭したあのモンゴル人のお母さん、そして羊を解体していたお父さんがもえさんと一緒に日本でフグを食べることになった。
モンゴルでは生魚は食べないので初めての経験。
そのとき、フグをさばくシーンも見学することになったのだが、このとき、お父さんお母さんは悲鳴を挙げんばかりに驚いていた。
そして、お母さん曰く「殺されるフグをみているととてもかわいそうになって・・・あの時のもえの気持がよくわかったわ」と。
モンゴルでのもえさんよろしく、お母さんはちょっと泣きそうになっていた。
これには大笑いしたと同時に大変驚いた。
私には羊は平気なのにフグは駄目というのはまったく理解できない。
逆に、モンゴルの人々はなぜフグは平気なのに羊は駄目なのだろうと思うだろう。
ここに異文化理解の難しさと面白さを見た。
いやぁ、文化の違いって面白いですね。

映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』

2008-01-13 21:03:09 | 映画・ドラマ
昨日の21時からテレビでやっていた映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』を見た。
広末涼子扮する田中真弓が1990年三月にタイムスリップする話。
しかし、田中真弓って同姓同名の声優さんがいてややこしいな。
(クリリンとかパズーとかルフィとかきり丸の声の人です)

それはさておき、
1990年にタイムスリップした理由は、
一、バブル崩壊の引き鉄となった大蔵省の通達「不動産融資総量規制」を阻止する。
ニ、先にタイムスリップして行方不明になった母を見つけ出す。
というもの。

まぁ、ストーリー云々よりも1990年、つまりバブルの光景が再現されていてなかなか楽しい映画だった。
1990年というと私は五歳。しかも、福岡に居たからバブルの思い出はほとんどない。
ただ、映画に出てきた「はちみつレモン」という缶ジュースが当時人気だったことは覚えている。
私もよく飲んでいたものだ。
その他のバブル期の社会風俗に関する知識はあとから得た。

あの髪型、服装、メイク、ノリなどなど、どれも今じゃありえない。
私が広末よろしくあの時代にタイムスリップしたらちょっと耐えれんと思う。
私が物心着いたのは九十年代初頭であり、バブルが崩壊した直後だ。
そののちの平成大不況と呼ばれる時期を青春時代として過ごした。
だから、私にとって九十年代がもっとも郷愁をそそられる時代であるし、不況の日本がデフォルトであり、もっとも落ち着く時代なのである。
それにプラスアルファして私は元来合コンだのパーティーだの浮かれたイベントが苦手な性質(たち)なので、あの時代に生きていても息苦しく感じたのではないかと思う。

映画を通してだけど、あの時代の日本人の浮かれっぷりをみていると、バブルは崩壊してよかったと思えてくる。
もちろん、あの総量規制はハードランディング過ぎたけれども、いづれバブルは崩壊する運命にあっただろう。
(また余談だが「総量規制=ハードランディング」というのは、『絶望先生』でもネタにされていて、笑ったと同時に久米田先生よく勉強されてらっしゃるなと感心した次第である。)
総量規制がなされなくともバブルはいづれ崩壊したと考えると、あのような狂った時代があれ以上に長続きしていたら、いまより悲惨な結果を生んでいたのではないかとも思う。
「歴史にifは無い」(この言葉大嫌いだ)と言われるように、実際どうなったかはワカランが。

映画の内容として面白かったのは、真弓(広末)を口説くことにやっきになっていた下川路功(阿部寛)が、実の娘とわかった途端、「キスくらいならいいよ」という真弓に対して「ふしだらな真似をするな!」と叱るシーン。
これには大笑いした。しかし、男って自分勝手な生き物だな(笑)
他人は構わんが身内にふしだらな真似はさせたくないという心理。
多くの人が共感するのではないか。

ところで、私は小学六年生の頃、広末が好きになって、中一の頃くらいまでファンだった。
広末の本性と言うか、まぁ、そんなのを知って急激に熱が醒めてしまった。
見た目と中身は両立しないものだと悟った次第。
しかし、今日、何年ぶりかに広末を見てみると、なるほど当時の自分が好きになったのも頷ける話だ。
もちろん、またファンになるなんて云わないが。

変わらない国、クウェート

2008-01-10 23:50:04 | 政治・経済
ハンドボール大会での中東の横暴が目に余る。
中東人の審判によって、中東の国々に対して有利な審判がなされている。
明らかに他の選手を突き飛ばしているのにペナルティにならなかったり、あるいはその逆のことが平然と行われている。
人呼んでこれを「中東の笛」という。
これは今に始まったことではなく十五年以上前から続いていることだそうだ。
スポーツに疎いのでちっとも知らなかった。

アジア・ハンドボール連盟はクウェートの王族に支配されているそうで、こいつらが諸悪の根源であるようだ。
再試合を求める動議がオーストラリア理事から出されると、2人のクウェート理事が「他にも(不可解判定の)試合はある」「オレたちは金を持っているんだぞ」と恫喝にも似た発言をしたという。
ほとんどヤクザと変わらない。

クウェートといえば、日本人にとっては湾岸戦争でイラクに侵掠された国として有名だ。
あの時、多国籍軍(実態は殆んど米軍)はクウェートを助けてやった。
日本も一応資金を提供するというかたちであの国を支援した。
ところが、戦争が終わったあと、クウェートは日本に一言も礼を言わなかった。
中国だってODAを「評価する」とは云ってくれる。
金だけとはいえそれも血税だ。一言礼があってもいい。

湾岸戦争が終結した時、イラクの実態も明らかになったが同時にクウェートも非民主的国家だということが広く知られるようになった。
この国は戦争前からこの国の周辺のイスラム教徒、特に出稼ぎに来るパレスチナ人には評判が悪かった。
王族らの暮らしぶりにくらべ、出稼ぎ労働者には驚くほど低賃金で粗末な対応をしていて、これが「富める者は貧しい者に分かち与えよ」というコーランの教えに反していた。
いまでもクウェート国民の七割は出稼ぎ労働者で二級市民として扱われ、一級市民たるクウェート人が搾取してる構造だ。
また、石油収入を投機に運用し、同額の利益を得ていたことも利息を禁じるコーランの教えに反している。
だから、「クウェート侵攻は天罰」という表現もパキスタンあたりでは聞かれたという。

もともと、クウェートは英国の「クウェート石油会社」のような国で、イラクが攻め込んだとき、在クウェート日本人が二百余人だったのに対し、英国人が三千三百人もいたのはそういった事情からだ。
いくら英国の息が掛かった国とはいえ、英国よりも尊大にならなくてもよいのに。
二十年近く前非民主的国家と謂われたこの国は今でも変わっていないようだ。

「フルハウス」五夜連続放送

2008-01-06 02:28:39 | テレビ・芸能
フルハウスが元日から五夜連続で四五話づつ、深夜に放送された。
残念ながら今夜で終了。
大谷育江病患者の私としては、ステファニー役の大谷さんの声が聴けて大変満足だった。

大谷ボイスを別としてもフルハウスは面白い。
アメリカ嫌いの私だけども、アメリカンコメディーは大好きである。
あのセンスは日本人には真似できない。
よく、日本人はギャグが下手であるとか、逆にアメリカンジョークはつならないなどと言われたりするが、
それはギャグの質が違うだけであって、どちらが上等だとかそういう問題ではないと思う。

私はお笑い好きなので日本のお笑いも、アメリカのお笑いも、欧州の難解なお笑いもどれも好きである。

恭賀新年

2008-01-01 00:58:00 | 雑記
謹んで新年のお慶びを申し上げます。

年頭にあたり、皆様の御健康と御多幸を御祈り申し上げます。
旧年中はひとかたならぬ御厚情を賜り、厚く御礼申し上げます。
本年も変わらぬ御交誼のほど宜しくお願ひ申し上げます。


 平成二十年一月一日 あび卯月