あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
お気軽にコメントなさってください☆

ブログ凍結の辞

2019-04-28 22:41:36 | 雑記
あと二日ほどで平成が終る。
これまでの人生のほとんどを平成に生きた私としては、やはり感慨深いものがある。

十代の頃から、平成が終るそのとき、どのような気持ちでそれを受け入れるのだろうかと想像していた。
当然、天皇陛下の崩御と共に御代がわりを迎えるのだろうと思っていた。
つまり、改元は悲しみと共に迎えるものだろうと。

が、今度の改元は生前退位によるものだ。これは発表されるまで予想だにしなかった。
はじめ、生前退位のことを聴いたとき、やはり違和感があった。
崩御によらない改元なんてあり得るのか。まさか。でもあり得たのだ。

考えてみれば、崩御ではなく生前退位による改元はめでたさしかない。
新しい時代を悲しみを伴わず、慶祝の気持ちだけで迎えることが出来る。
昭和の終りにあったような自粛ムードもなければ、経済の停滞もない。
うん、悪くない。

いうまでもなく、生前退位は天皇陛下の御意志によるものだ。
不敬な云い方であるが、このような雰囲気のもと新しい時代を迎えることができるよう御意志を表明してくださった陛下に感謝している。

新しい時代はどんな時代になるだろう。
一つ云えることは、人間はいつの時代も変わらないので、人間のやることも変わらないだろうということ。
私自身も平成と同じように喜び、悲しみ、そしていつもと変わらぬ歩幅で道を歩くだろう。

さて、平成の半ばを過ぎた頃―平成十七年に開設し、駄文を発してきたこのブログも今年で十五年目を迎える。
といっても、平成二十二年ごろから記事の投稿数は激減し、いまやすっかり過疎化してしまった。
その原因は二つあって、一つは社会人になって学生時代に比べ暇な時間が少なくなったこと。
もう一つはツイッターを始めたことにあると思う。
特にツイッターがブログ界に及ぼした影響は少なからざるものがあると思う。
何か書きたいこと(発信したいこと)があるとき、かつてはブログに書いていたが、いまはツイッターでつぶやけばそれでコトが済んでしまう。
私に限らない。盛んにブログを更新していた人がツイッターに流れ、ブログの更新を止める又は閉鎖するという現象を多く見てきた。
ツイッターは個人運営のブログを殺したのである。

いま、このブログの記事を読み返してみると、恥づかしく思うものの方が多い。
いわば、学生時代の恥を曝け出しているようなものだが、過疎化がすすんでもこれまで閉鎖せずにいた。
平成が終ると同時にこのブログも終りにしようかと思ったが、青春時代(?)の記録として、それなりに愛着もある。
そこで、ブログを「凍結」するという恰好で一旦区切りをつけたい。

では、令和の時代にまたお逢いしましょう。
それまで、しばしの別れ。

母に感謝する日はいつか

2013-06-16 20:33:13 | 雑記
前回、靖国神社のことを書いて反省していた。
イデオロギーにかかわることはイデオロギーな人の琴線に触れさせてオカシナ人を誘発するので、あまり書きたくなかったのだが、このブログは一定期間投稿しないとレイアウトが変わってしまうので、仕方なく書いたらああなった次第。

今回はどーでもいいことを書いてお茶を濁したい。

もう一つの方のブログにも書いたけども、今日は父の日であった。
母の日にくらべてどうも存在感の薄い父の日。
何度も確認しても忘れて、今日になってまた思い出したので事なきを得た。

さて、「父に感謝する日は?」と問うと、間違いなく今日の「父の日」と多くの人が答えると思う。
では、母に感謝する日はいつでしょう?

「母の日にきまってんじゃん」という声が聞こえてきそうだが、半分正解。
実は、もう一日ある。
しかも、法律で定められているのだ。

昭和二十三年に定められた「国民の祝日に関する法律」(昭和二十三年七月二十日法律第百七十八号)という法律がある。
戦前にあった祭日を民主的に改めなさいとGHQが日本政府に圧力をかけて出来た法律だ。

この法律によって紀元節は廃止され(のちに建国記念の日として復活)、明治節は文化の日となり、新嘗祭は勤労感謝の日となるなど、「民主的」な呼称に改めさせられた。
新しく出来た祝日もある。
こどもの日もその一つで、国民の祝日に関する法律によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」とある。
そう、こどもの日は母に感謝する日として法律で定められているのだ。
なぜ、父母ではなく母だけなのかはよくわからない。
このことについて、普段、男女平等を叫んでいる団体が「男女差別だ!」だと批判してもよさそうなものだが、そういう声は寡聞にしてきかない。
いや、別に私は男女差別だとも思いませんが。

ところで、こどもの日の五月五日は古来より日本では「端午の節句」として病気や災厄をはらう行事が行われてきた。
江戸時代以降、男児の誕生や成長を祝う日となり、いわば、五月五日は男の子の日となっていた。
女の子の日は三月三日の雛祭りですね。

それで、五月五日をこどもの日としたことについて、「なぜ、男の子の日をこどもの日にしたのか、男女差別だ」という声はあった。
そこで、そのバーターとして「母に感謝する」という文言を入れたのではないか。
完全なる邪推ですけどね。

ともあれ、こどもの日は母に感謝する日とはあまり知られていない。
誕生日も入れると母に感謝する日がやたらと多くなるので、あまり浸透しなくていいですけどね。

国の仕組み

2011-06-30 22:52:12 | 雑記
月に一度くらいはブログを更新しようとひそかに心に決めていたのだけども、なかなか筆は進まない。
しかし、なんとか更新しておきたい。
ということで、今回はネットで見つけた愉快なジョークを紹介。


216 名前:名無しさん@十一周年 投稿日:2011/02/11(金) 14:28:50 LjtidJk50

息子:「父さん。ひとつ聞いてもいい?」
父親:「なんだい」
息子:「国の仕組みってどうなってるの?」
父親:「いい質問だ。よし。うちの家族を例にとってみよう。
    父さんはお金を稼ぐから”経営者”だ。
    母さんは家計を管理してるから”政府”だ。
    そして、父さんと母さんに面倒を見てもらっているお前は”国民”だね。
    ウチに住み込みで働いている家政婦さんは”労働者”だ。
    赤ちゃんは・・・そう、”未来”だね。
    国の仕組みってこんな感じだよ」
息子:「うーん。よく分からないや。今夜、よく考えてみるよ」


その夜、赤ん坊がおもらしをして、ひどく泣いていた。
息子は両親に知らせようと寝室に行ったが、 母親が熟睡していただけだった。
そこで、家政婦の部屋に行った彼は、ドアの隙間から父さんと家政婦がベッドの上で夢中になっているのを見た。
「父さん!」と何度も声をかけたがまったく気づいてもらえない。
しかたなく、息子は自分の部屋に戻って寝てしまった。


次の朝・・・。
息子:「やっと国の仕組みって分かったんだ」
父親: 「ほう。えらいな。どれ、説明してごらん」
息子:「ええとね。”経営者”が”労働者”をいいように使っている間、”政府”は眠りこけているんだ。
     そして、”国民”の声は無視されて、”未来”はクソまみれなんだよ」


また共に笑いあえる日々

2011-03-28 01:17:32 | 雑記
http://www.youtube.com/watch?v=blLca7QaeKE&feature=player_embedded#at=54

ビートたけしさんが「被災地に笑いを」なんて戯れ言だと週刊ポストに書いていた。
(私は普段、この手の雑誌を買わないのだけども、今回の震災の特集を組んでいる雑誌はあらかた買い漁った)


よく「被災地にも笑いを」なんていうヤツがいるけれど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは戯れ言でしかない。
しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。
悲しいけど、目の前に死がチラついている時には、芸術や演劇なんてのはどうだってもいいんだよ。



実際、たけしさんは「こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよ」として『世界まる見え!テレビ特捜部』の収録を直前に取り止めている。
普段は見せないたけしさんの繊細さと真面目さが伺い知れる話だ。

たしかに、テレビ番組によっては被災地の人に笑いをと言いながらバラエティ番組を放送している。
勿論、それで少しは気が紛れる人がいるかもしれないが、一方で戯れ言としか聞こえない人もいるかもしれない。

たけしさんとは少し違った視点で被災者への思いを語ったのは伊集院光さんだ。
先々週、「伊集院光深夜の馬鹿力」が番組中止になったときに以下のようなメッセージを発した。


次回の放送までにより面白く、よりくだらなく、より馬鹿馬鹿しい話が出来るように備えたいと思っています。(略)
僕の個人の考え方を一つ言わせて貰います。
明日のために真面目に色んなことを考えるのすごく大事です。
すごく大事なんですが、考えて考えて考え疲れちゃって悲しいこととか怖いこととか真っ黒いこととかしか思いつかなくなっちゃった時には、本当にくだらないことを考えてください。
びっくりするぐらいくだらないことを考えて、全部過ぎ去った後に「伊集院、あの時、おれこんなこと考えちゃったんだよ」みたいな話を聞かせてください。
そういうくだらないことで心から笑える日が来ることを祈っています。



そして翌週、伊集院さんは面白く、くだらなく、馬鹿馬鹿しい話をしてくれた。
たけしさんが云うように被災地の人はまだ心から笑えないかもしれない。
でも、伊集院さんは多分それを承知でやっていた。
そう、心から笑ってもらうためではなくて、心から笑える日が来るためにやっているんだと思う。
そう考えるとなんだか胸が熱くなった。

たけしさんも昨日の「情報7Days」でやはりくだらないことをやっていた。
たけしさんと伊集院さん、云っている事は違うように聞こえるが実は同じだ。
きっと、その他の芸人の思いも同じだと思う。
いや、あるいは日本国民全員が。

私は被災地の人に贈る言葉を持ち合わせていない。
テレビで見聞きするメッセージを聞いていてもさほど心に響く言葉は無いように思う。
しかし、同じく先週の「伊集院光深夜の馬鹿力」で電気グルーヴのピエール瀧さんから被災地に贈る曲と言葉が紹介された。

私がこれまで聞いたメッセージの中でもっとも力が湧く言葉だった。
下記に紹介して、この稿を終えたい。

************


今回の地震で被災された皆さん心からお見舞い申し上げます。
そして、現場で命を懸けて闘ってくれている皆さん。
本当にありがとうございます。

昨日は満月でした。

この曲はソウルフラワーユニオンが1995年の阪神大震災の直後、歌で現地の人を勇気づけようと神戸入りし、現地を周っていた時に作った曲です。
震災直後の状況を訥々と綴る歌なのですが、生きる勇気、命の強さを感じさせてくれるとても強い歌です。

どうにもならない時がある。
深い悲しみの底にある時がある。

しかし我々は強い。
そして必ずもう一度立ち上がる。
必ずです。

そう遠くない未来、また共に笑いあえる日々を約束して。


ピエール瀧

謹賀新年

2010-01-01 00:55:00 | 雑記
謹んで新年のお慶びを申し上げます。

年頭にあたり、皆様の御健康と御多幸を御祈りいたします。
舊年中はひとかたならぬ御厚情を賜りまことにありがたうございました。
本年も変はらぬ御交誼のほど何卒宜しくお願ひ申し上げます。


平成二十二年元旦  あび卯月

日清食品の落日

2009-11-09 00:00:22 | 雑記
日清食品の創業者、安藤百福さんは私が尊敬する日本人の一人。
云わずと知れたチキンラーメン、カップヌードルの生みの親だ。

いま、「日本人」と書いたが出自は台湾人になる。
日本統治時代の台湾に生まれ、戦後に中華民国国籍を選択したのち日本に帰化した。

戦後の焼け野原の中、一杯のラーメンで幸せそうな人々の顔を見たことがのちのインスタントラーメン開発のきっかけになったという。
チキンラーメンの開発は自宅の庭に掘っ立て小屋を立て、家族総出で行われた。
ラーメンのスープの素は鶏がらにしようということで、息子が飼っていた鶏が使われたりもした。
このとき、息子は複雑そうな顔をしたが、開発のためだと納得してくれたようだったと安藤さんは振り返っている。
この息子が現日清社長の安藤宏基になる。

日清食品のインスタント食品はどれも外れがない。
チキンラーメン、カップヌードルにはじまり、焼きそばUFO、どん兵衛、スパ王と抜群の安定感を誇る。
車がガソリンで走るように私はラーメンを食べて生きている。
と、そのくらいラーメンが好きな私は日清食品には幼少の頃からお世話になってる。
他社製品にもいいものがあるが、やはり日清には敵わない。
知らない麺製品を買うかの選択に迫られた時は、迷わず日清食品のものを選ぶ。
それほど、日清食品への信頼は大きい。
が、ここに来てその信用が揺らぎつつある。

創業者で会長だった安藤百福さんが亡くなった後くらいだったろうか。
息子の宏基が実権を握るようになり、日清に少なからず変化が訪れた。
まづ、2008年の春に小麦の高騰に伴い、カップヌードルの希望小売価格が155円から170円に値上げされ、店頭価格も80円台から110円台になった。
しかも小麦の値段が戻っても、値下げしないまま。
カップヌードルは庶民に優しい安い食べ物という原則を忘れた結果だ。
それで、カップヌードルの売上げは半減した。

ここで、元の値段に戻せばいいものの、何を血迷ったか、日清は具の肉をこれまでのミンチ肉からコロチャーに変え、シーフードヌードルはホタテを追加した。
これで、少々高くても納得するだろうという考えだったのだろうが、コロチャーは往年のファンからは却って不評だった。
かくいう、私もその一人でかつてのジャンク感ただよう肉の方が良かった。
コロチャーになってカップヌードルの魅力は三割ほど落ちた。

さらに、どん兵衛シリーズは誰も頼みもしないのに麺がまっすぐのピンそば・ピンうどんに変えた。
これも、従来のちぢれ麺の方がスープの絡みも歯ごたえも良かった。

最近食べたグータの紅叉焼横浜タンメンは340円もするくせにひどく不味かった。
これが日清食品の商品かと嘆きたくもなったが、最近の日清の勘違いぶりを顧みれば、むべなるかな。
これら日清の変化の原因を社の実権が次男の宏基氏に移ったことに求めてよいのかわからないが、この新社長は悪名高い「サバイバル研修」をはじめたことで知られる。
「サバイバル研修」とは管理職向けの過酷な研修で「初日は埼玉県内の標高2000メートル級の山を4時間かけて登る。食料は「チキンラーメン」と水だけで、自ら火をおこして調理し、山中、簡易テントで一夜を過ごす。翌日は禅寺に移動し、全員ふんどし姿で滝に打たれるほか、座禅や写経などのメニューも」(読売新聞2006年9月13日)あるというものだ。
こういうズレっぷりが今の日清のズレっぷりにつながっているかどうか。

これまで、インスタントラーメンが大好きで小腹が減っては食べてきたが、私も今年で二十四になりそろそろ健康を気遣う年頃になった。
日清の凋落を目にして、このあたりがインスタントラーメンと距離を置く潮時だろうか。

北京五輪雑感

2008-08-22 03:19:00 | 雑記
巷じゃどうも五輪五輪と騒いでいるらしい。
新聞を見てもテレビニュースを見ても五輪のことばっかり。
だから、ここ数日新聞もニュースもあまり観ていない。

中共政府が嫌いだから観ていないないんじゃない。
私はこう見えて結構非国民で国レヴェルで盛り上がる行事が嫌いなのだ。
それにスポーツに興味無いことも相俟って五輪は北京五輪に限らず、とんと見たことがない。
だから、「日本人選手が金メダルを獲りましたよ!」なんて云われても「あ、そうですか」という感じ。
周囲が殊のほか盛り上がっている様子をみて、なんだみんな私よりよほどナショナリストだよなんて思いつつほくそ笑んでいる。

そう言えば、開会式の花火がCGだったとか、少女の歌が口パクだったとか報道されていた。
でも、あの中国のこと。別に驚くことじゃない。
それに、口パクなら日本の歌手もやっているよ。呵々。

そんな中、あまり笑えないニュースが入ってきた。
ダライ・ラマが「今月18日に中国軍がチベット人の群衆に発砲し、およそ140人が死亡した可能性がある」と発表した、というものだ。

中国は五輪の成功と金メダル獲得に励みつつ、同時にチベット人を殺すことにも励んでいるらしい。
「五輪は平和の祭典」なんて云ってた人たちもこれで少しは目がさめるだろうか。

中国人留学生と呑む

2008-08-12 03:46:37 | 雑記
大学院の友人と呑んだ。
メンバーは武王さん(日本人男性、弊ブログリンク欄の「ご飯とから揚げ」管理人)、Hさん(日本人女性)、Gくん(中国人男性)、Lさん(中国人女性)、そして私の計五名。

はじめに私が半ば冗談で「北京五輪開催を祝して乾杯!」なんて勝手に音頭をとると、Lさんから「ありがとうございます(笑)」というお言葉。
そんな和やかな雰囲気で始まった。

途中、HさんとGくんが他愛も無い口喧嘩をはじめて
「そこ、日中戦争は止め止め!」なんていう場面があったりと、終始笑いながら楽しい酒が呑めた。

前回、散々オリンピックに水を指す記事を書いたが、私はオリンピックや中共政府が嫌いというだけで、一般の中国人とは友好的に附き合ってる。
政冷経熱ならぬ、政冷人熱というわけだ。

話の中でLさんに
「五輪の開会式で少女が『祖国を讃える歌』なんてのを唄ってましたが、あれれは、中国ではみんなが知っている歌なんですか?日本でも戦前は『愛国行進曲』なんて歌がありました。見よ東海の~空あけて~旭日高く輝けば~♪ってやつ」
なんて質問をすると、
「いや、聴いたことないですね。オリンピック用に作られた歌じゃないですか?」
とのお答え。

いま、少し調べてみたらあの歌の正式名称は「歌唱祖国」というもので、文革の頃に作られた歌らしい。
歌詞は当時と若干異なり、あるサイトには「第二の国歌」なんて書かれていた。
しかし、「第二の国歌」の割にはLさん、知らなかったぜ(笑)
私の訊き方が悪かったのか、あるいは文革世代以外には馴染みの無い曲なのかも。

他にも五輪全体の感想を訊いてみると
「自分の国をというより、強い選手を応援しています」という意外な返答が。
中国人というと国家意識が強いイメージがあったけれど、色々な方がいるようです。

ところで、このLさん研究分野が昭和初期ということもあってか、日本の古い歌をよく御存知だ。
「蘇州夜曲」あたりは若い日本人でも知っている人は多いが、「東京ラプソディ」まで御存知とは驚いた。
私が藤山一郎ばりに
「花咲き花散る宵も~ 銀座の柳の下で~♪ (略)楽し都 恋の都 夢のパラダイスよ 花の東京~♪」
と諳んじると、頷きながら「そうそうそう」なんて云ってくれて、
日本人である武王さんとHさんの方が「え、なにその曲」というようなお顔。
そりゃそうだ、二十代で知っている方がオカシイ(笑)

そんなこんなで武王さんを含めマニアックな歌の話題で盛り上がったりもした。
「じゃ、今度は是非カラオケに行きましょう」ということで今日の呑み会はお開き。
次回は秋口あたりに「日中親善歌会」(?)が開かれる予定であります。


*******
補足:

そうそう、GくんとHさんの喧嘩というのは、フライドポテトを食べるHさんにGくんが「あんまり食べると太るよ」とか「そんなにムキになって大声出さなくてもいいのに(笑)」とか本当に他愛の無いもの。
喧嘩というよりじゃれ合っていた感じだった。
それにしても、Gくんは今日は無口だったなぁ。

あと、「中国」を「支那」という表記にしようかと思ったけれど、いちいち説明が面倒なので今回は中国に統一。
支那ってちっとも悪い言葉でなく、むしろ良い言葉だと思うのだけれどなぁ。
中国というとどうしても中共政府のイメージがつきまうけど、支那というと悠久の支那大陸の長い歴史と文化的な香りがする。
それに、「中華そば」より「支那そば」の方が旨そうじゃない?(笑)

未来小説の予言は当たるか

2008-06-09 00:03:52 | 雑記
少し前、2ちゃんねるのオカルト板にこんな書き込みがあったらしい。
私は普段そんな板に行かないので、某ブログでこの書き込みを知った。
興味深い書き込みなので長くなるけど転載。
(改行等は原文ママ)

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652 :本当にあった怖い名無し:2007/12/12(水) 22:16:47 ID:UNHvfv9pO
予知夢とは違うんだけど今から10数年前に小説を書いていたんだ
コミケに出したりするつもりもなく友達に見せるだけの作品で
内容もファンタジーのラノベっぽいやつ
なんかその時って神懸かっていたというか勝手に手が動いて
自動速記みたいに考えも無しに文章が出来上がっていったんだけど
その内容通りに時代が動き始めているような気がするんだよね
当時はPCなんて持ってなくてインターネットという物も普及してなかったのに
中国のやばさについて触れていたり
アメリカが思い上がってキリスト原理主義を翳して
正義の名の元に世界大戦を起こそうとして世界から総スカンをくらい
空振りすることなんかも書いてた
アラブの情勢にも触れていてユダヤが影で世界の資本を牛耳っているとかも書いてた
当時の自分にそんな知識は全く無しで新聞すらも取ってなかったのに
その小説に書いたことで今実現しかけているのがゴミから作るバイオ燃料と
世界の天候がおかしくなり日本でも食糧難の時代がくる
あと細胞からのクローン技術発展で体の部位取り替え手術が出来るようになる
まだ起きてなくて気配もないのが資本主義の崩壊と世界の通貨が変わることとサッカーワールドカップの終了
小説は20世紀末から2039年くらいまでの世界を書いてる
ワールドカップ終了は最後の章に書いてた
2040年以降のことを書きたかったけど筆が止まってしまったので続きは書いてない
小説の通りに進むなら中国は益々やばくなってくよ

654 :本当にあった怖い名無し:2007/12/13(木) 00:24:01 ID:9wtodEEtO
>>653
残念ながら自分女で既に奥さんになってる
小説は友達が持って行ったまま消息を断ったので一部行方知れず

他には多機能な携帯出来る電話が登場して一人一台持ってるのが当たり前の世の中になってた

当時携帯と言えば肩から下げるごついのや車についてるのくらいで一般普及はしてなかったしネットやメールも出来なかったのに
物語の中では携帯でメールやチャットもしてた
テレビも壁に掛けられる薄型になっててテレビでメール使ったりや新聞読んだりもしてた
車はナビ付きが標準装備の丸っこいデザインのが増えていってた
自動操縦に近い装備もついていく
食糧難の時代の年代まではハッキリ覚えてない
数回米不足になる年があって一度目のはあのタイ米騒ぎの時が該当していると思う
二度目はもっと深刻な米不足になるから備蓄米を増やしておかないと乗り切れないという話しだった
他の国も援助が出来る余裕はないようだ
小説の舞台が日本ではないので日本についての記述で出てくるのは食糧難と皇室存続問題と
雇用問題からの外国人流入くらいしかない
天皇家は存続する
今の皇太子が即位するがその後のことは分からない

資本主義が崩壊する前に朝鮮半島は統一されている
中国当局は締め付けが厳しくなっていくがその後政府が倒され崩壊する
バチカンについても触れていたが詳しくは覚えていない
アメリカの暴走は暫く止まらない
その後衰退していく
アメリカの代わりに台頭してくるのが中国


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私はジョセリーノだとかノストラなんちゃらだとかそういうたぐいの予言はちっとも信じないクチだけど、
この予言ばかりはやけにリアルで信じる信じないは別としてなんだか気味悪いものを感じた。
少なくとも、これまでなされてきた予言ことごとく的中しているわけで
この予言を書いたノートが実在するなら、ちょっと凄い。

例えば、移民について昨日、自民党議連が
「日本の総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を今後50年間で目指す」
と明記された提案書を作成したことが報じられたし、
食糧危機も昨今の食料品高騰を顧みればこのままあれよあれよと食糧難の時代に突入するかもしれない。

で、資本主義が崩壊したら次はどんな世界が出現するんだろう?
まさか共産主義ではあるまいし。
皇室も存続とあるが今の皇太子のあとがわからないのなら不安だ。
朝鮮半島は統一されて、中共政府は崩壊するという。
それでも支那(そのあと出来た政府は一つか?)はアメリカの代わりに擡頭するそうだ。
支那大陸に一朝一夕で民主的な政府が誕生するとは思えないからどの道、好ましいことではないだろう。

さて、世界がこの通りになったら私は予言というものを信じることにする。

羊を殺すのとフグを殺すのと

2008-01-18 01:56:34 | 雑記
先日、久し振りに「世界ウルルン滞在記」を見た。
もう驚いたのなんのって。
司会の渡辺満里奈が消えていたり、ナレーションの下条アトムが松尾スズキになっていたりして、番組の雰囲気ががらっと変わっていた。
渡辺満里奈が居なくなったのは別にどうでもよいが、下条アトムさんが降板したのは一大事だ。
私にとって下条アトムさんといえばウルルンであるし、ウルルンといえば下条アトムなのである。
ナレーションが変わるだけであそこまで番組の雰囲気が変わるとは。
音楽や演出が変わったことを差し引いても、ナレーターの変更は大きい。
松尾スズキさんも嫌いではないのだけどもウルルンって感じがしない。
はじめ何気なく見ているとNHKのドキュメンタリー番組かなんかと勘違いしたくらいだ。

いま調べてみるとウルルンは去年の四月にリニューアルされていたらしい。
これまで知らなかったとは随分長い間ウルルンを見ていなかったんだな。

さて、私が見た回は再会スペシャルということで、かつて訪れたホームステイ先に再び赴いたり、逆にホームステイ先でお世話になった家族が日本に来たりするあのパターン。
なかでも興味深かったのは山口もえがお世話になったモンゴル人夫婦とのエピソード。

もえさん(私は普段山口もえのことをこう呼んでいる)はモンゴルに行った時、あの独特のほや~んとしたノリで周囲を困惑させたり和ませたりしていたのだが、モンゴル人お父さんが羊(だったと思う)を殺して解体する場面でもえさんは「かわいそう」と言いながら泣き崩れてしまう。
その時、お母さんは「あなたも日本でお肉を食べるでしょう?」あなたが日本で食べている肉もこうやって殺している。それと同じことなのよ、と優しく諭してくれる。

モンゴル人のお母さんの言う通りだ。
我々は普段、肉を食べている。
そのくせ、牛や豚が殺される場面をみると残酷だなどと思ってしまう。
しかし、食肉はスーパーやお肉屋に綺麗に並んでいる状態になるまでにかならず・解体という過程を経なければならない。
残酷だなどと思うことは理論の上からはあってはならないことなのだ。

とはいえ、やはり一般の日本人にとって動物を殺す場面は見慣れていないし、抵抗を覚えることもまた自然なことであるし、の場面自体に強い抵抗を覚えること自体否定するものではない。
その点、狩猟民族や騎馬民族である西欧人やモンゴル人は平気で牛や豚を解体する。
ドイツあたりじゃ、牛一頭を解体出来るようになって一人前の主婦だとか。
ある大学講師の先生がドイツに行った時、妙齢の婦人が大きなハンマーを持って牛を殺して解体し始めたので驚いたとか言っていた。

さてさて、これからが本論。
動物を殺す場面にはとかく抵抗を覚える我々日本人だけども、魚をさばく場面は案外平気なのではあるまいか。
いや、案外どころかほとんどの人が平気なはずだ。
それどころか、マグロの面などを見ると「あぁ美味しそうだ」などと思ってしまうだろう。 (私がいやしいだけか?)
「だって、魚と哺乳類だもの全然勝手が違うよ」という意見が大半だと思う。

ところが、ところがである。
先ほど、もえさんを優しく諭したあのモンゴル人のお母さん、そして羊を解体していたお父さんがもえさんと一緒に日本でフグを食べることになった。
モンゴルでは生魚は食べないので初めての経験。
そのとき、フグをさばくシーンも見学することになったのだが、このとき、お父さんお母さんは悲鳴を挙げんばかりに驚いていた。
そして、お母さん曰く「殺されるフグをみているととてもかわいそうになって・・・あの時のもえの気持がよくわかったわ」と。
モンゴルでのもえさんよろしく、お母さんはちょっと泣きそうになっていた。
これには大笑いしたと同時に大変驚いた。
私には羊は平気なのにフグは駄目というのはまったく理解できない。
逆に、モンゴルの人々はなぜフグは平気なのに羊は駄目なのだろうと思うだろう。
ここに異文化理解の難しさと面白さを見た。
いやぁ、文化の違いって面白いですね。

恭賀新年

2008-01-01 00:58:00 | 雑記
謹んで新年のお慶びを申し上げます。

年頭にあたり、皆様の御健康と御多幸を御祈り申し上げます。
旧年中はひとかたならぬ御厚情を賜り、厚く御礼申し上げます。
本年も変わらぬ御交誼のほど宜しくお願ひ申し上げます。


 平成二十年一月一日 あび卯月

呉智英「大江健三郎の“特権”」

2007-12-03 01:30:52 | 雑記
今月一日に更新されたコラム・断に「大江健三郎の“特権”」と題した呉智英先生の文が掲載されていた。

曰く、大江健三郎の『沖縄ノート』に 虐殺者を者になぞらえているくだりがあるのに一度も糾弾されていない。
解放同盟は「だれだれの作品だから差別はないと “神格化”したものの考え方を一掃したい」と言明したはずなのに何故大江だけ免責されているのか。
そしてこのような悪質な差別をなぜ放置しているのか、と。

呉さんらしい面白い皮肉である。
同コラムのなかで一九八二年には俳優座のブレヒト原作『場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾に遭い上演は困難を極めたことや、 一九八九年には『沖縄ノート』と同じ岩波新書の『報道写真家』(桑原史成)の中の「戦場という異常な状況下では牛や豚など家畜のと同じような感覚になる」という記述が問題にされ、回収処分となったことも紹介されている。
他にも呉さんはその著書『危険な思想家』の中でも丸山眞男が鼎談集の中で「イデオロギー」という表現をしているのに糾弾されていないことを指摘している。

たしかに、ブレヒトや桑原史成は糾弾されて大江、丸山が糾弾されないのは不可解である。
左翼は糾弾しないという不文律もしくは規定があるのだろうか。
御存知の方おられたら教えて欲しい。

ケータイを持ったサルというか、ケータイがサル

2007-11-01 23:43:40 | 雑記
正高信男の『ケータイを持ったサル』という新書がある。
以前、立ち読みで少し読んだ。
アマゾンのレビューなどで著者の言いたいことはおおよそ理解した。
一言でいうと街中や電車内で、しかも家に帰ってまでもケータイばかりいじっている若者が気に食わないということだろう。
で、そういう奴らは如何にサルかということを色々怪しげなデータを使って検証しているらしい。
いや、読んでないから間違っているかもしれん。
しかし、私に言わせれば若者ってケータイを持とうが持つまいが元来サルなんじゃないの?あはは(笑)

さて、若者叩きはこのくらいにして、最近のケータイはまことに悪い。
私は若者をサルという前にその若者が持っているケータイの方がサルだと思っている。
機械にサルも人間もないのだけども、とにかく昔のケータイよりも明らかに動作が遅くなっている。
私が使っているケータイはドコモのものだが、とにかく動作が遅く、使い勝手が悪くなっている。
動作が遅くなったのは余計な機能をつけているからだろう。
使い勝手が悪くなっているのはどういうわけかしらん。
だから、今のケータイはサルというよりも知識ばっかり詰めすぎて頭でっかちになって融通のきかない人間に近い。

私はPシリーズを使っている。
これでも以前より遅くなったと感じているのだが、妹が使っているSHシリーズはもっと酷い。
auやヤフーのケータイもこんなにもっさりしているのか、使っている人に尋ねてみたい。(註:動作が遅いことを「もっさりしてる」と言う)

兎にも角にも今のケータイは余計な機能を附けすぎである。
お財布機能なんぞいらん。デコメールなんざうざったいだけだ。
電話とメールと写真機能があればそれで十分である。
ドコモから鞍替えする気はないから、ドコモにお願いしたいのだが、もっとシンプルで動作が早いケータイを作っていただきたい。
また、ドコモは色やデザインの種類が圧倒的に少ない。
料金の面だけではなくこの点で、他者より劣っているため、ドコモは最も客を減らしているのではなかろうか。

とかなんとか思ってるとドコモが冬のケータイ商戦にむけて新シリーズを発表した。
色やデザインも豊富にしたという。
あとはあのもっさり感が解消されていらば文句はないのだが・・・。