あと二日ほどで平成が終る。
これまでの人生のほとんどを平成に生きた私としては、やはり感慨深いものがある。
十代の頃から、平成が終るそのとき、どのような気持ちでそれを受け入れるのだろうかと想像していた。
当然、天皇陛下の崩御と共に御代がわりを迎えるのだろうと思っていた。
つまり、改元は悲しみと共に迎えるものだろうと。
が、今度の改元は生前退位によるものだ。これは発表されるまで予想だにしなかった。
はじめ、生前退位のことを聴いたとき、やはり違和感があった。
崩御によらない改元なんてあり得るのか。まさか。でもあり得たのだ。
考えてみれば、崩御ではなく生前退位による改元はめでたさしかない。
新しい時代を悲しみを伴わず、慶祝の気持ちだけで迎えることが出来る。
昭和の終りにあったような自粛ムードもなければ、経済の停滞もない。
うん、悪くない。
いうまでもなく、生前退位は天皇陛下の御意志によるものだ。
不敬な云い方であるが、このような雰囲気のもと新しい時代を迎えることができるよう御意志を表明してくださった陛下に感謝している。
新しい時代はどんな時代になるだろう。
一つ云えることは、人間はいつの時代も変わらないので、人間のやることも変わらないだろうということ。
私自身も平成と同じように喜び、悲しみ、そしていつもと変わらぬ歩幅で道を歩くだろう。
さて、平成の半ばを過ぎた頃―平成十七年に開設し、駄文を発してきたこのブログも今年で十五年目を迎える。
といっても、平成二十二年ごろから記事の投稿数は激減し、いまやすっかり過疎化してしまった。
その原因は二つあって、一つは社会人になって学生時代に比べ暇な時間が少なくなったこと。
もう一つはツイッターを始めたことにあると思う。
特にツイッターがブログ界に及ぼした影響は少なからざるものがあると思う。
何か書きたいこと(発信したいこと)があるとき、かつてはブログに書いていたが、いまはツイッターでつぶやけばそれでコトが済んでしまう。
私に限らない。盛んにブログを更新していた人がツイッターに流れ、ブログの更新を止める又は閉鎖するという現象を多く見てきた。
ツイッターは個人運営のブログを殺したのである。
いま、このブログの記事を読み返してみると、恥づかしく思うものの方が多い。
いわば、学生時代の恥を曝け出しているようなものだが、過疎化がすすんでもこれまで閉鎖せずにいた。
平成が終ると同時にこのブログも終りにしようかと思ったが、青春時代(?)の記録として、それなりに愛着もある。
そこで、ブログを「凍結」するという恰好で一旦区切りをつけたい。
では、令和の時代にまたお逢いしましょう。
それまで、しばしの別れ。
これまでの人生のほとんどを平成に生きた私としては、やはり感慨深いものがある。
十代の頃から、平成が終るそのとき、どのような気持ちでそれを受け入れるのだろうかと想像していた。
当然、天皇陛下の崩御と共に御代がわりを迎えるのだろうと思っていた。
つまり、改元は悲しみと共に迎えるものだろうと。
が、今度の改元は生前退位によるものだ。これは発表されるまで予想だにしなかった。
はじめ、生前退位のことを聴いたとき、やはり違和感があった。
崩御によらない改元なんてあり得るのか。まさか。でもあり得たのだ。
考えてみれば、崩御ではなく生前退位による改元はめでたさしかない。
新しい時代を悲しみを伴わず、慶祝の気持ちだけで迎えることが出来る。
昭和の終りにあったような自粛ムードもなければ、経済の停滞もない。
うん、悪くない。
いうまでもなく、生前退位は天皇陛下の御意志によるものだ。
不敬な云い方であるが、このような雰囲気のもと新しい時代を迎えることができるよう御意志を表明してくださった陛下に感謝している。
新しい時代はどんな時代になるだろう。
一つ云えることは、人間はいつの時代も変わらないので、人間のやることも変わらないだろうということ。
私自身も平成と同じように喜び、悲しみ、そしていつもと変わらぬ歩幅で道を歩くだろう。
さて、平成の半ばを過ぎた頃―平成十七年に開設し、駄文を発してきたこのブログも今年で十五年目を迎える。
といっても、平成二十二年ごろから記事の投稿数は激減し、いまやすっかり過疎化してしまった。
その原因は二つあって、一つは社会人になって学生時代に比べ暇な時間が少なくなったこと。
もう一つはツイッターを始めたことにあると思う。
特にツイッターがブログ界に及ぼした影響は少なからざるものがあると思う。
何か書きたいこと(発信したいこと)があるとき、かつてはブログに書いていたが、いまはツイッターでつぶやけばそれでコトが済んでしまう。
私に限らない。盛んにブログを更新していた人がツイッターに流れ、ブログの更新を止める又は閉鎖するという現象を多く見てきた。
ツイッターは個人運営のブログを殺したのである。
いま、このブログの記事を読み返してみると、恥づかしく思うものの方が多い。
いわば、学生時代の恥を曝け出しているようなものだが、過疎化がすすんでもこれまで閉鎖せずにいた。
平成が終ると同時にこのブログも終りにしようかと思ったが、青春時代(?)の記録として、それなりに愛着もある。
そこで、ブログを「凍結」するという恰好で一旦区切りをつけたい。
では、令和の時代にまたお逢いしましょう。
それまで、しばしの別れ。