あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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2007年国内十大ニュース

2007-12-27 01:43:07 | 政治・経済
毎年恒例。
今年一年の締めくくりに、「讀賣新聞」読者が選んだ国内の十大ニュースについて、感想を述べたいと思います。


▼10位 民営郵政スタート

今日、ルミエールに行ってみたら「官製はがき発売中」とあった。
郵便局は民営化したのだから「官製」はおかしいよなあ、と思った次第。
それにしても郵政事業は民営化して本当に良かったのかねぇ。
「官製はがき」という言葉が消えるのかと思うと少し寂しい気持がする。
まぁ、小泉改革の弊害については小林よしのりさんに任せるといたしましょう。


▼9位 横綱朝青龍に2場所出場停止

最近は一部の雑誌で強姦未遂がどうのと報じられていますね。
それが本当かはさておいて朝青龍が道徳もへったくれも無い奴ということははじめからわかっていたはず。
それでいて、相撲協会は横綱にしてしまったのだから、協会にも責任があると思う。
相撲に興味無いからこれ以上は語らない。


▼8位 宮崎知事にそのまんま東氏

私は当選直後このブログで「あまり期待していない」と書いたが、東国原知事は期待以上の仕事をしてくれた。
徴兵発言は御愛嬌といったところ。あの人はもともとそういう人だし。
たけし軍団の人たちはだいたいそういうことを言う。
ところで、当初本人は「東氏とか東知事と呼んでください」と云っていたが、
「東国原知事」という言い方が定着したようだ。


▼7位 松岡農相自殺、「政治とカネ」後絶たず

松岡大臣の自殺については陰謀説も流れているようだけど、真相はどうなのだろう。
それはさておき「政治とカネ」の問題なんてあって当然。
何度も云うが有能な政治家であればいくら金に汚くても一向に構わない。
日本の不幸はカネに汚い政治家が居ることではなく、カネに汚くてもなお我が国にとって必要だと思える政治家が居ないことだ。
そして、何より国民が政治家に能力ではなくクリーンさを求めることにある。


▼6位 新潟県中越沖地震、死者15人

被害に遭われた方々に衷心からお見舞い申し上げます。
また、この地震では原子力発電所の有事に対する備えの甘さが露見された。
「安全安全」と唱えるだけでは安全が維持できないこと、「平和平和」と唱えるだけで平和が維持できにないことに似る。
反原発派の人も原発を全部廃止するというような非現実的な主張ではなく、如何にすればより原発は安全かというようなより現実的な提案をしてくれないものか。
原発問題には全肯定か全否定かで、現実的な提言をしてくれる人が少ないように思う。


▼5位 守屋前防衛次官逮捕、ゴルフ接待389万円収賄容疑

人間って悪いことをすると顔まで悪人面になるのだなぁ改めて実感した。
この守屋のせいで防衛省の評判が悪くなり、
ひいては現場の自衛官の方々まで肩身の狭い思いをしなけらばならないとしたら(朝日なんかはそういう論にもってゆきそうだ)まことに腹立たしい思いがする。


▼4位 参院選で自民歴史的惨敗、民主第1党に、与党は過半数割れ

早く衆院を解散して民主党に政権を執ってもらいたい。
おそらく大してかわらない。
変わることは外国人に地方参選権が与えられたり、人権委員会が設置されたり・・・。
わくわくするなぁ。


▼3位 「年金記録漏れ」5000万件判明

社会保険庁は、労働組合は必要だが強すぎると無いより悪いということを実証してくれた。
でも、年金記録漏れの背後に労組の存在があることをテレビ・新聞はあまり報じてくれない。


▼2位 「不二家」が洋菓子販売休止、老舗「赤福」など偽装相次ぐ

「偽り」の一年であったという。今年の漢字にも「偽」が選ばれた。
食品の偽装をケシカランと正義面して叩いていた報道ステーションと言う名の「報道番組」まで偽装をやっていたのだから笑えた。
日本国中偽装だらけだったわけだ。
しかし、そんな偽装はいまに始まったことではなく、昔からみーんなやっていた。
近年、昭和三十年代を懐かしむ声が高いが、食品に限っていうとあの頃は、今よりもずっと食品の衛生管理はアバウトだった。
賞味期限という言葉さえなかった。
「『三丁目の夕日』を見て感動しました。あの頃は本当によかった」などと言っている人が同じ口で食品の偽装に憤っている光景はなんとなく滑稽である。
ちなみに私は食品の偽装に怒りを覚えたことは一度も無い。


▼1位 安倍首相が突然の退陣、後継に福田首相

福田首相になってマスコミはちっとも叩かない。
いかに安倍首相がマスコミ(主に朝日系だが)に嫌われていたかがわかる。
この件については特にこれ以上書くことがない。
今年はすっかり政治に興味がなくなった一年だった。


今年もろくなことが無かった。
秋以降には原油高の高騰で物価も軒並み高騰した。
物価が軒並み上がるなんて支那事変が始まった昭和十二年を思い出して嫌である。
八年後、大日本帝国は滅びるが、日本国の八年後はどうなっていることやら。
スーパーから食品が消えてなくならないことを祈るばかりである。

M-1グランプリ2007

2007-12-25 01:23:59 | テレビ・芸能
今年は序盤ほとんんど声を出して笑うところが無く、「今年のM-1はハズレかな」とも思ったのですが、後半から本領発揮。
決勝戦はかなりハイレヴェルな闘いになったと思います。
それでは例年の如く順番通りに感想などを。


▼笑い飯
毎年のように笑い飯は100%の力を出せていないと思う。
なぜ、ロボットネタを最後まで引っ張ってしまったのだろう。
少々しつこく感じた。


▼POISON GIRL BAND
大竹まことも指摘していたけど、ポイガはM-1向きのコンビではない。
決して面白くないわけではないけれど、M-1で優勝するような路線ではないのだ。
つまり、大爆笑するようなネタではない。で、そこが彼らの良さ。
だから、気を落とさずに頑張って欲しい。


▼ザブングル
顔芸はそんなに面白いか?
大声や顔に頼らずに正攻法でゆけばもっと面白くなると思った。


▼千鳥
私は千鳥が大好きだ。
大悟の狡猾なキャラやあの岡山弁がツボ。
「わしらが和民行ってみぃ、金取れりゃせんじゃろう?」が最高だった。
オチが弱かったのは残念だけど、点数はもっと高くてよかったと思う。


▼トータルテンボス
ほとんど笑いっぱなしで観た。
去年も指摘したことだが、トータルテンボスはつっこみの言葉の選び方が絶妙だ。
「しのびねぇな」「かまわんよ」「遊牧民御用達か!」「もてあますわ!」「施工主の馬鹿!」・・・どれをとっても面白い。
ネタのクオリティも高くスピード感もあった。最早ベテランの域だ。
優勝してもおかしくなかった。


▼キングコング
以前、キンコン漫才を見たとき、ちっとも笑えなくて、私の中ではキンコン=面白くないという図式が出来ていた。
が、このたびそれ覆してくれた。なんという、スピード感。
まことに素晴らしかった。
ボケ自体はベタなものが多いのにそれを面白く見せられるのは技術があるからである。
優勝できなくて随分気を落としているらしいがむしろ自信を持っていい。
ところで、梶原の動きにはナイナイの岡村の影響を見て取れた。


▼ハリセンボン
やはり、勢いで他のコンビに劣ってしまった。
云うまでも無く、スピード感は面白さの必須条件ではない。
ただ、今回のハリセンボンのネタは爆笑の連続とはいかなかった。
ネタにムラがあったのも敗因か。


▼ダイアン
面白かった。
けれど、爆笑はしなかった。
シュールな雰囲気は好きなんだけどなぁ。何かが足りない。


▼サンドウィッチマン
恥ずかしながらこんな面白いコンビが居たとは今日まで知らなかった。
見た目から面白いというのは反則だよなあ。
つっこみ方のリアルな感じが妙な可笑しさを生んでいる。
また、サンドウィッチマンは時折、変化球を投げてくる。
「ぴんから兄弟」のくだりとか「焼きたてのメロンパン売り切れるだろ!」とか。
それが抜群に面白い。
今年のM-1は変化球が直球を制した闘いであった。
今年もこのコンビの優勝に文句ナシ。


今年のM-1で感じたことは島田紳介と松本人志の判定が(不本意ながら)およそ自分と似ていたということ。
逆に私と合わないのが大竹まことの評価。
また、先ほど、伊集院光さんがラジオで「今年のM-1でこの人出るんだ!と驚いたのは審査員席の一番左の人」と云っていたのには爆笑した。
いや、そのことには触れまい。
今年は非吉本の非アイドル芸人が優勝したという意味で大変意義深いものとなった。
こういう大会は年を追って質が低下しがちであるが、M-1はその弊を逃れている。
その証拠に私は毎年新たなる発見をしている。来年のM-1も楽しみだ。

スパルタ教育と障害者

2007-12-22 01:55:43 | 言葉・国語
「スパルタ教育」という名前のお笑い芸人がいる。
つい先日、スパルタ教育は障害者を馬鹿にするネタをやっていたことが明るみに出て、公式サイトおよびブログが閉鎖され、活動も休止した。
ネタの内容はあまりにも下劣なのでここで紹介はしない。
私はブラック・ユーモアが大好きであるし、かなりきわどいネタというのもあってよいと思う。
しかし、ただ単純になんのひねりも諧謔もなく社会的弱者を貶めるようなものは芸でもなんでもない。
人を不快にさせるだけである。

スパルタ教育はかつて「爆笑問題のバク天!」の「テレビに出てはいけない芸人」というコーナーに出演していたことがある。
実はこのコーナー、あのアンガールズを一躍有名にしたコーナーなのだが、アンガールズは実際のところテレビに出てよい芸人だった一方、スパルタ教育はその名の通りテレビに出てはいけない芸人だったようだ。


さて、私は平素、障害者を「障がい者」と表記することに反対したり、差別語とされている言葉を抹殺することに異を唱えているのでとんでもない差別主義者だと思われている方も少なからず居られるかと思われるが、そんなことはない。
不条理な差別には徹底的に反対するものである。
ここでポイントとなるのは差別の定義であって、その点において所謂「良識派」とズレがあるようだ。

たとえば少し前にこのようなことがあった。
ゼミの時、ある女性が提出した文章の中に「障がい者」という表記があった。
「なぜ「害」を「がい」と表記するのか」と問うと、
「障碍者は決して害になる存在ではない。「害」と書くととまるで存在が害であるかのような印象を受ける。福岡市はすでにこの表記に統一している・・・云々」という答えが返ってきた。
ならば「障」という漢字も問題ではないか、しかも「がい」と平仮名表記にしたところで意味するところは一緒だし、そもそも障害者の障害というのは体に障害があるという意味で存在自体が害だなんて誰が云ったんだ。
と、このように反論すると先方は口ごもったままだった。

先日も、教職の授業の時、ある学生の学習指導案を校閲していると、やはり「障がい者」という表記があった。
例の如く問うてみるとやはり先ほどの女性と同じような答えをしたのち、驚くべきことに「(障がい者と表記することは)モラルの問題です」と云った。
この学生の言い分に従うと「障害者」と表記している私は大変モラルの低い不道徳漢ということになる。
今ならまだ笑い話にもなるが時が進めば笑えなくなるかもしれない。

結局、みなそういう表記にしているから従うべきだというのが本音というか本質といったところだろうか。
それにしてもまったく馬鹿らしく愚かしいことだと思う。
「障害者と書くと存在自体が障害みたいだから」という発想からして理解しがたいが、「障がい者」と表記することによって差別問題に取り組んでいると思っているならば、偽善以外の何ものであろう。
偽善でなかったら、勘違いか何も考えていないかのどちらかだ。
「障害者」を「障がい者」と表記することで障害者差別が少しでも改善されるのだろうか。障害者福祉がより良いものになるのだろうか。
本気でそう思っている人が居るとすれば一刻も早くその頭を冷やすべきだ。
第一、「障がい者」など見苦しいまぜ書きをするくらいなら全く新しい名称を作った方がマシである。

これは日本人の古くからの性質なのかもしれないが、都合の悪いことは何でも隠したり曖昧にしたりと表面上だけを改善して ・・・いや、改善したつもりになって満足している。
これが近年特に言葉の表記において顕著だ。
「障害者」だけでなく看護婦を看護師に変えたり、スチュワーデスをキャビンアテンダントや客室乗務員に変えたりし、またそれに従った人たちの意識の根底に流れているものもまさにこの「改善したつもり病」である。
しかも本来変えるべきでない表記を自分自身で勝手に問題にして変えているのだから笑えない冗談だ。


註:私は普段、「障害者」を「障碍者」ないし「障礙者」と表記しているが本稿では便宜上「障害者」に統一した。

なんと読むか「思惟」「有論」

2007-12-19 11:43:36 | 言葉・国語
哲学の講義のときに「思惟」を「しゆい」と読んだら教授から「いま、しゆいと読みましたが、誰からその読み方を教わりました?」と訊かれた。
私はもともと歴史畑の人間なので「「半跏思惟像」を「はんかしゆいぞう」と読むのでしゆいと読みました」と答えた。

教授曰く、日本哲学界において「思惟」を「しゆい」と読むのは京都学派で「しい」と読むのは東京学派なのだ、と。
なるほど、教授は私が京都学派のなんという教授からその読みを教えられたのか?と思われたのだろう。
無論、そうではなくて歴史用語(?)としての読み方をしたまでである。
ちなみにその教授は「しい」と読まれている。

他にも哲学の言葉で「有論」という言葉がある。
有論とは存在論の別名であるがこれも読み方が二通りある。
もともと、「ゆうろん」という読み方が大勢を占めていたが、あるとき、さる高名な京都学派の哲学博士が「これは「うろん」と読むべきである」と主張して以後、その弟子たちは「うろん」という呼び方をするようになった。
この読み方の違いによって学会で京都学派と東京学派の喧嘩が起こったことがある。
とある学会の研究発表において、京都学派の某教授が有論を「うろん」と読んだところ東京学派からクレームがついた。
そのあとは泥仕合。

「「うろん」なんて「うどん」みたいで変だ!」
「なにを!?」

・・・などというやり取りも実際にされたという。


こういう学派や大学によって読み方が違うという例は数多く存在する。
教育学界においてもペスタロッチなんかがその顕著な例だ。
ペスタロッチは近代教育の祖とされているスイスの教育者で、表記も一般に「ペスタロッチ」である。
ところが、旧広島師範学校の流れをくむ人たちは「ー」を追加して「ペスタロッチー」と伸ばす。
私が教職の授業でお世話になった教授は広島大学で研究されていた方で、広島大学時代に「ペスタロッチ」などと言おうものなら師匠から「なぜ伸ばさんか!」と糾弾されたという。

半分笑い話のような話だけども、大学関係者にとってはあるあるネタだろう。
学術用語の読みの違いは、学派や大学ごとの対立がその背景にあってなかなか興味深い。
教授の話を聴いて学派同士は仲が悪いのだなと改めて実感した。

初音ミクの実用性

2007-12-15 02:26:22 | 音楽・藝術
初音ミクが話題である。

「初音ミク」は音声合成ソフトで、音階と歌詞を入力すると歌をうたってくれるという画期的なソフトだ。
初音ミクはそのソフトの名前と同時にそのソフトを擬人化したキャラクターの名前でもある。
つまり、初音ミクという萌えキャラが歌ってくれるという設定。声は声優の藤田咲が担当している。

以前にも似たソフトはあったが、以前のものに比べより自然な発音を伴った歌声が合成できる。
そして、なんといっても初音ミクのキャラクター性が人気を得て、今年の八月末に発売され以来、一大ブームとなった。
オリジナル曲の「みくみくにしてあげる♪」もヒットしている。
同人誌やイラストも随分描かれているようだ。
これらのことが象徴するように初音ミクの話題の中心は主にそのアイドル性であって、ソフト自体の技術や実用性が前面に取り上げられることは少ない。

しかし、このソフト実用面でもかなり画期的なものではないのだろうか。
アメリカの世界的ヘヴィメタバンド、メガデスの元・ギタリストでJ-POP&演歌マニアのマーティー・フリードマンは2007年12月号の「サイゾー」紙面で
「初音ミクはそても素晴らしいね!その上、近いうちに、まずレコーディング業界のなかで、ProToolsと同じような゛使って当然"の物になると思う。仮ボーカルやコーラス、歌詞を試しに・・・・・・などなど、みんな使うと思うよ」
と言って、その実用性を絶賛している。
私は音楽業界や音楽ソフトのことについて明るくないが、初音ミクはマーティの言うようにもっと実用面も評価されてしかるべきソフトであると思う。

煙草が似合うルパン三世

2007-12-09 00:32:05 | 漫画・アニメ
アニメ『ルパン三世』の1stを見た。
ルパン三世の1stは旧ルパンとも呼ばれる。ルパンの服が緑だった頃だ。
のちのルパン三世(つまり服が紅いヤツ)と比べ、ハードボイルドで渋く大人の作品だ。

ルパンは私が小学生の低学年くらい(90年代前半)に再放送をやっていて毎日楽しみに見ていた覚えがある。
幼いながらにルパンの独特の魅力に魅せられていた。
旧ルパンの本放送は1971年だからもうかれこれ三十七年ほど前の作品だ。
今見てもじゅうぶん面白いどころか、今のアニメにはない面白さがある。
エンターテイメント作品でここまで面白く大人を感じさせる作品が今あるだろうか。

次元もルパンも全く煙草が良く似合う大人だ。
いま、煙草が似合う大人はあまりいない。若者に至っては皆無である。
私は煙草を呑む若者が大嫌いなのだが、何故かというと似合っていないからだ。
煙草は子供の呑むものではない。それなりに資格が要る。
幼稚で知性も品格も無いような学生が煙草を呑んでいる場面に出くわすと、「ガキが大人の振りをするな!」と叫びたくなる。
しかも、煙を出して臭いのだから、あんなもの取り締まってしまえ!とさへ思う。

話がそれた。ルパンの話だ。
最近の子供たちは旧ルパンを見たことの無い子が殆んどだろう。
私は幸いにして子供の時分に旧ルパンに出逢うことが出来た。
まったく幸運なことであった。
ルパン以後それを越えるアニメに出逢っていない。
ギャグとかそういうジャンルを別にしたら当然、ルパンに匹敵する良い作品は沢山あるのだけども「大人が見ても面白い」という観点を入れるならばやはりルパンの右に出るものはない。

いま、世界中で日本のアニメがブームである。
アニメと漫画こそが日本が唯一といってよいほど世界に発信してる文化ではないだろうか。
あの反日中国でさえ、日本製アニメは別らしく、みな嬉嬉としてみている。
日本のアニメキャラをテーマにしたコスプレイヤーも中国はもとより世界中にいる。
イラク支援に派遣された自衛隊の給水車には「キャプテン翼」の絵が描れた。
アメリカでもオタクはギークと呼ばれてカッコいいものとされている。
フランスで若者に一番人気の番組は「kawaii」(カワイイ)という名の日本文化(主に漫画、アニメ、音楽、ファッションなど)を紹介する番組だという。
とにもかくにも、日本のアニメ、漫画は世界を席捲しているのである。

では、日本のアニメは本当に面白いのだろうか。
なるほど、確かに面白いと思う。
特に素晴らしい点は様々なジャンルがあることだ。
あるアメリカ人が言っていたが、アメリカのアニメは子供向けのものしかない。
したがって、アニメは子供しか見ないが、日本は子供向けから大人向けのものまであり、
ジャンルが多く、また深いテーマを扱ったものが多い。
これこそが日本アニメの強さである、と。
なるほど、その通りだろう。
私も日本アニメは世界一だと思う。

しかし、しかしだ。
その事実にあぐらをあきてよいものだろうか。
というのも、最近のアニメは子供向けとオタク向けに二極化しているように感じるからだ。
確かに萌えは素晴らしい。私も「萌え」は大好きだ。
(とはいえ、最近「萌え」をちっとも解っていない「萌えモドキ」が氾濫しているのでこの言葉も使用する場合、注意が必要)
が、それを追及するあまりオタク向け作品ばかり氾濫し、『ルパン三世』のような渋いアニメが世に出なくなった。

近頃、煙草に対する風当たりが強いことからアニメでも喫煙シーンは排除されつつある。
それは同時に煙草が似合う大人が出てくるアニメを排除しようとしていまいかと、一抹の不安を覚えるのである。
第一、煙草が健康に悪いからと煙草そのものを滅ぼしてしまおうという発想が幼稚である。
アメリカはその発想のようで(さすが清教徒が作った国だ)、アニメから一切の喫煙シーンが削除ないしは改編されている。
例えばワンピースのサンジが呑んでいる煙草は飴玉に変えられている。
ルパン三世は今の基準で言えば煙草は呑むわ、暴力シーンはあるわでほとんど規制の対象だろう。

やはり、もうルパン三世のような名作は生れないのかもしれない。
絵はやたらと小奇麗になったが、演出や構成の面では殆んど進化していないし、むしろ退化しているようにも思う。
そう考えれば、いまアニメの黄金時代のように言われているけど、
実はアニメの黄金時代はとうの昔に過ぎているのではないだろうか。
それとも私が知らないだけか。
すくなくとも今わたしの心を揺さぶってやまないアニメは『銀魂』のみである。
そうそう、『銀魂』には煙草の似合う大人が出てくる。

『らき☆すた』ファン禮讃

2007-12-03 15:04:12 | 漫画・アニメ
3万4000人の町に「らき☆すた」ファン3500人集結 埼玉・鷲宮

 人気アニメ「らき☆すた」の舞台のモデルになり、アニメファンの“聖地”となっている埼玉県
鷲宮(わしのみや)町で2日、声優らを招いてイベント「『らき☆すた』のブランチ&公式参拝
in鷲宮」が開催され、人口3万4000人の静かな町が、詰めかけた約3500人のファンらの
熱気に包まれた。
(中略)
 熱狂的なアニメファンが多数集まることに対して、近隣住民の反発も予想されたが、事前に
「徹夜禁止」を呼びかけた商工会のメンバーが前夜から警備にあたり、イベント運営では地元の
学生など約20人のボランティアスタッフが協力するなど万全の態勢で臨んだこともあり「トラブルや
マナーの面での問題は特にありませんでした」
「(町の)歳末売出スクラッチカードを(近隣の商店を利用してもらえるよう)あえて『茶屋』以外の
店舗で配布しましたが、『在庫が空になっちゃったよ』と話す酒屋さんもいたほど。今回のイベントに
合わせて用意した特製桐絵馬ストラップについても、きょう用意した2000個がすぐに売り切れました。
あすの一般発売分についても予約が入っています」と、商工会の“狙い”である町おこしにもかなりの
手応えを感じた様子。今後も「地域の活性化につながるのであれば、(同様のイベントを)またやって
いきたい」と話していた。
 また、鷲宮神社の担当者も「多くの方々にお参り頂いた。参加者のマナーが素晴らしく、近所からの
苦情もなかった。神社側からの要望などもよく聞いてくれて助かった」と話しており、前代未聞の
“アニメと神社と地域商店のコラボレーション”はひとまず成功のうちに幕を閉じたようだ。

産経新聞 2007.12.2 18:27



私はオタクのくせに平素オタクの悪口を言っているので味方を撃つこともしばしばである。
最近はハルヒヲタがキモイだのなんだのと、自分のことは棚にあげて妹(私以上にオタク嫌い)と一緒に言いたい放題言っている。
なんてことを書くと誤解を受けそうだが、『かってに改蔵』を描いていた久米田康治先生と同じスタンスといえば理解していただけようか。
つまり、自虐ギャグのようなもので自分のことも含めて悪口をいっているのだ。
ゲーマーズのスタンスとも同じ。

とはいえ、最近は本心で痛罵したくなるようなマナーの悪いオタクが増えた。
周りが見えていないのは昔からだろうが、それでも他人に迷惑をかけたたり、非社会的行動をとるのはどういう料簡かと思う。
具体的な例をあげるならば、麻生太郎が秋葉原に演説に来たとき、ハルヒのコスプレをして軍艦マーチを歌いながら福田康夫の顔が印刷された紙を踏みつけていた男などである。
このような手合いは下品で下劣でどうしようもない馬鹿だ。
この馬鹿のせいで私のハルヒファンに対する印象は急激に悪くなった。
一般人が見たらなおのことだろう。
また、私の妹もわけのわからんオタクにストーカーまがいの行為をされ閉口しているし、 蒼華さんから伺った話では、某声優のイベントで一部、悪質な席取りをしていたオタクがあったそうだ。
いささか極端な例もあげたが、些事を挙げたらきりがない。
ともかくオタクに対して偏見を持ちつつあった私だが、今度の「らき☆すた」記事でその思いを改めた。

MSNの記事では写真も紹介されていて、なんとも和気藹々としていて思わず笑みがこぼれた。
いやはや、らき☆すたファンは立派である。
マナーはきちんとしているようだし、なにより地域の活性化に一役買っている(笑)
いざ、オタクの集まりを取材してすきあらば叩いてやろうと思っていたマスコミは拍子抜けしたことだろう。
特に産経新聞はオタクに対する偏見が強いようで、二日の記事では「関東最古の神社にアニヲタ殺到 地元困惑、キモい絵馬も」(すべて原文ママ)という題を掲げ、しきりにオタクへの偏見をあおっていたが、イベント終了後、冒頭に掲げたような記事を掲載し、悪口を書いた以前の記事は一日をへずして削除された。
いやはや、産経の変わり身の早さにもおどろいたものだが、ともかく、らき☆すたファンのお蔭でオタクへの印象が向上したことは確かだろう。
少なくとも私はすこぶる良くなった。
良く考えてみると、マナーの良し悪しを言うのなら野球ファンやサッカーファン(特にワールドカップの時期に生まれる俄かファン)、さらにはエコバックに行列していたセレブモドキなどの方がよほどマナーがなっていなかったりする。
ワールドカップの時には暴動まがいの行為を起こしていた輩もいた。
ストーカー行為や悪質な席取りをするのもオタクに限った事ではない。
オタクだけ叩くのは酷だろう。

さて、私は『らき☆すた』を見たことがないので(薦めてくださった方々ごめんなさい)、機会があったら見てみようかなと思っている。

呉智英「大江健三郎の“特権”」

2007-12-03 01:30:52 | 雑記
今月一日に更新されたコラム・断に「大江健三郎の“特権”」と題した呉智英先生の文が掲載されていた。

曰く、大江健三郎の『沖縄ノート』に 虐殺者を者になぞらえているくだりがあるのに一度も糾弾されていない。
解放同盟は「だれだれの作品だから差別はないと “神格化”したものの考え方を一掃したい」と言明したはずなのに何故大江だけ免責されているのか。
そしてこのような悪質な差別をなぜ放置しているのか、と。

呉さんらしい面白い皮肉である。
同コラムのなかで一九八二年には俳優座のブレヒト原作『場の聖ヨハンナ』は改題してもなお激しい糾弾に遭い上演は困難を極めたことや、 一九八九年には『沖縄ノート』と同じ岩波新書の『報道写真家』(桑原史成)の中の「戦場という異常な状況下では牛や豚など家畜のと同じような感覚になる」という記述が問題にされ、回収処分となったことも紹介されている。
他にも呉さんはその著書『危険な思想家』の中でも丸山眞男が鼎談集の中で「イデオロギー」という表現をしているのに糾弾されていないことを指摘している。

たしかに、ブレヒトや桑原史成は糾弾されて大江、丸山が糾弾されないのは不可解である。
左翼は糾弾しないという不文律もしくは規定があるのだろうか。
御存知の方おられたら教えて欲しい。