あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
お気軽にコメントなさってください☆

2006年国内十大ニュース

2006-12-31 23:25:40 | 社会・世相
今年一年の締めくくりということで、讀賣新聞の読者が選んだ国内の十大ニュースについて、去年もやったように感想を述べたいと思います。


▼10位 福岡市職員の飲酒事故で3児死亡、自治体で飲酒運転への懲戒免職広がる

飲酒運転による死亡事故が多発したから、飲酒運転が途端に重罪の如くなった。
マスコミや世間が騒いだからそうなっただけで、国民が主体的に飲酒運転が悪だと気づいたわけではない。
その証拠に、飲酒運転撲滅の特輯を担当していた朝日新聞の記者が飲酒運転で捕まるという珍事が発生した。
飲酒運転が悪だと音頭をとっている当人でさえこれなのだから他は察して知るべしである。


▼9位 秋田の小1男児が殺害され発見、子供が犠牲の犯罪相次ぐ

子供が加害者になるのが流行りなら被害者になるのも流行りということか。
秋田の事件も考えてみればワイドショーが騒ぎやすいネタだったから騒いだのであって、親が子を殺す事件に限らず、これより悲惨な事件は相次いでいる。
秋田の事件ばかりを騒ぐのはマスコミばかりが悪いのではなく、それを欲する受け手が居るからだ。


▼8位 日本ハム、44年ぶり日本一

日本ハムファンの皆様おめでとうございます。
私の知っている日本ハムファンの芸能人といえば伊集院光だけれど、
伊集院さんは素直に喜ぶのではなくなんだか複雑な気持ちだと語っていた。
その気持ちなんだかわかる気がする。
自分だけが応援していると思っていたものが優勝したら自分だけのものではなくなる気がしたのだろう。
こういう感じ方が出来る伊集院さんが私は好きだ。


▼7位 福岡で中2が遺書残し自殺、「いじめ苦」自殺相次ぐ

いじめと一口にいっても様々なケースがあり、一括りに論じることは出来ない。
しかし、いじめというより悪質な暴行、窃盗などのケースは加害者を学校だけでなく警察を含めきちんと制裁できるような仕組みが作りが必要だと思う。
(学校に公権力を介入させるわけにはゆかないと云うのであれば学校できちんと対処しろ。それが出来ずに公権力云々と云うな。)
ところで、いじめ自殺は途中からブームになった感が否めない。
日本人はまことに流行りものが好きな民族である。


▼6位 ライブドア事件で堀江貴文社長ら逮捕

経営の神様・松下幸之助は嘗て、「良い経営は社会に貢献し、悪い経営は社会に害悪をもたらす」と云った。
堀江某の経営がどちらに属すか、私が云うに及ばない。


▼5位 夏の甲子園決勝、37年ぶり引き分け再試合で早実が初優勝

私はふつう野球を観ない。したがって、甲子園も観なかった。
観なかった者がとやかく感想を述べることは他人の畑を荒らすことになるので何も云わない。


▼4位 安倍内閣が発足

安倍内閣の誕生は安産だったけれども、生れた途端、保育器に入れられたようだ。
村山談話と河野談話を踏襲した安倍内閣に果たして存在意義はあるのだろうか。
閣僚の不祥事も止まらない。
安倍総理は森派の呪縛から解き放たれることはないだろう。
森喜朗にとって安倍晋三は赤子の如くである。
麻生太郎はすでに次期内閣の準備を進めている。
今度の参院選が楽しみだ。


▼3位 WBC、王ジャパンが初代王者

普段、野球を観ない者でも感動するものがあった。
オリンピックやワールドカップなど国を挙げてのイベントにほとんど興味の無い私もWBCは興味を持って試合の結果が気になった。
それもこれも、あの審判の誤審が原因だろう。
果たして、あの誤審がなければ日本が優勝したかも定かではない。
審判ありがとう(笑)


▼2位 トリノ五輪、フィギュア荒川静香選手が「金」

これのせいでフィギアの番組が増えて困っている。
などと書いたら、石を投げられるだろうか。
ところで、浅田真央が安倍晋三に似ていると思っているのは私だけではないはずだ。


▼1位 紀子さまが男子ご出産

讀賣読者が選んだ一位は悠仁様の御誕生でした。
私も今年の国内ニュースで一番嬉しかった。
未来の天皇・悠仁様の御将来が今から楽しみ。
今の皇太子殿下が御誕生したときも時の国民もこんな気持ちだったのだろうか。

ジャパン・アヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター展

2006-12-31 04:18:18 | 音楽・藝術
気づいたら大晦日だった。
私は普段生活していて、ほとんど毎日、記事に書こうと思うことがある。
が、実際に記事にするのはその半分の半分もない。
私は記事を書くのに思いの外時間が掛かる。
それゆえ、毎日記事を書くのはなかなか難しい。
単に私が怠惰だからとも云える。
ブログの記事になるような話題は殆どがナマモノで、時間が経てば書くに及ばない内容になるので、そのままお蔵入りになる。

しかし、今年の内に是非書いておきたいことがあったので書く。


十一月の下旬頃、妹が大学の美術部の友人に「好きだろうから」と、あるポスター展のチラシを渡された。
果たして、そのポスター展は妹が大好きな内容だった。
そのポスター展の名称は「ジャパン・アヴァンギャルド~アングラ演劇傑作ポスター展」。
寺山修司生誕七十年記念として横尾忠則をはじめ、宇野亜喜良、赤瀬川源平、林静一、花輪和一、粟津潔、篠原勝之、合田佐和子、戸田ツトム、他が手がけたアングラ演劇のポスターを100点以上展示されたポスター展だった。
無論、私も興味が無いはずなく、妹と共に勇んで展示会が開催されていた天神のイムズに向かった。

そこで観たポスターの美しさはなんとも形容しがたい。
私の貧弱な語彙を以ってその美しさを表すのは不可能に近い。
本来、これらのポスターはアングラ劇の公演告知の為のものであるが、
それらはポスターの粋を超え、もはや藝術作品としか呼べないもので、
じじつ、これらのポスターは美術的評価も大変高いのだという。
そういえば、美術の教科書によっては横尾忠則さんの作品が掲載されている。
しかし、世間一般の評価や専門家の評価などはどうでも良い。
私はそこで確実に美しいものに出逢った。
それだけは確かな答えだ。

私はこの1960年代から70年代にかけてのアングラ界の藝術作品が好きでたまらない。
またあび卯月お得意の懐古趣味が始まったと言われるかもしれないが、あの頃の日本は本当に熱かった。
今、当時作られたような藝術作品を目にする機会はない。
似た物はあっても到底本物には及ばない。
しかし、それは仕方の無いことだと思っている。
日本人が悪くなったから今の藝術作品はツマラナイのだと言う積もりは無い。
今は今の時代にあった良い物がありましょう。
つまり、あの時代の藝術作品はあの時代が生み出したものであり、あの時代の空気を吸って生きていた物なのだ。
だから、今の時代にあの頃と同じような藝術作品を生み出すことを試みても無理なのである。
そして、今の時代では生み出せないからこそ餘計に儚く美しく感じるのだと思っている。
少なくとも私がそう感じるのは以上のような理由からだろう。

今、横尾忠則さんの画集を探しているが良い物はほとんど絶版になっている。
中古で買おうと思っても十倍以上の値がついているものもあった。
私には到底手が出せない値段がついている。
私が欲するものは大抵なかなか手に入りにくいものばかりでいつも歯痒い思いをしているが、今回も例外ではないようだ。
いつか復刻乃至はもっと良い内容の画集が出ることを祈り、その日が来るまで待とう。
信じていればきっとその日はやってくるだろう。
そう、「つげ義春初期傑作集」が刊行された時のように。



*附記*

この記事に掲げている画像は横尾忠則さんのポスター。
ネット上で随分探したがこのサイズのものしか手に入らなかった。
嘆いていると、下記のサイトを発見。
横尾さん以外にも多くのアングラポスターを観ることが出来る。
なんと、素晴らしいサイトだろう。
http://www.musabi.ac.jp/library/muse/cybermuse/ctj/tenji/tenji.html

「ケントリ(KENZI & THE TRIPS)」のこと

2006-12-26 03:04:56 | 音楽・藝術
 イキツクトコロまで行き着いた憂鬱な現代社会
 コンピューター TV で隠れん坊
 金が全てを代弁する


上に挙げた文はKENZI & THE TRIPSというバンドの歌詞。
今の世の中を巧みに諷刺している。
しかし、これが二十年以上前に作られた歌だと言ったら驚かれるだろうか。
でも、本当に二十年以上前に作られた歌だ。

さて、最近KENZI & THE TRIPS(以下、ケントリ)にハマっている。
私が初めてケントリを知ったのは高校三年生の頃だったと思うので、今から五年くらい前のことになる。
ケントリは1984年くらいに結成されたロックバンドだ。
ロックというよりはどちらかというとパンクに近い。
タワーレコードの分類でもパンクの範疇に入れられている。
ヴォーカルのKENZIの独特の歌声と歌い方は当時多くのファンを魅了した。
活動休止やメンバーチェンジを経てデビューから二十年以上経った現在でも活動しているが、今ではほとんど知られていない。
私がケントリを知ったきっかけはロリータ18号(というバンドの名前です)のカバー曲ばかりを集めた『ヤリタミン』というCDを聴いたこと。

ついでに、ロリータ18号について少し解説しておくと、
ロリータ18号はパンクな姉さん四人組のバンド。
メンバーの変遷があって、結成当時から居る人はヴォーカルの石坂マサヨのみ。
日本における女性のパンクバンドでは日本で少年ナイフに次いで最も有名なバンドではないだろうか。
ところで、バンド名のロリータ18号は戸川純の「ロリータ108号」という歌からきていると思うが、詳しくは知らない。
で、戸川純という人は・・・と一々説明しているとキリがないので止めておきます。

その『ヤリタミン』のなかにケントリの「HONEY DANCE Ⅱ」という曲がカバーされていた。
そして小生そのパンクでビートな曲調にやられてケントリに興味を持った次第。
しかし、ケントリのCDはその当時ほとんど廃盤になっていた。
そこで、中古レコード屋やその他様々なルートを使って、ケントリの音源を手に入れた。
聴くと良曲が多くて、いっぺんにファンになった。
しかし、まだまだ多くの貴重な音源は聴けずじまいだった。

そうしていたら、近年、ケントリのCDの多くが再発されたり、ベスト盤が出たりした。
特に、初期の貴重な音源の多くが再発されたことはファンにとっては嬉しいことだった。
が、残念なことにケントリの中で一番の名盤であると謂われる(私もそう思う)ファーストアルバムの『BRAVO JOHNNY は今夜もハッピーエンド』は権利関係の問題から今だに復刻されていない。
大人の事情で素晴らしい藝術作品が日の目を見ないことはなんとも哀しいことだし愚かなことだ。
しがらみや権利は本当に嫌なものである。

しかし、それでもやはり、多くの音源が復刻されたことは事実で私は大変喜んでいる。
といっても、喜んでいるのはやはり私のようにごく一部のファンだけで、知名度は皆無に等しい。
ケントリが有名だったのはほんの短い期間だ。
ケントリは良い曲が多いのに本当に不遇のバンドだと思う。
やはり、デビュー当時から戦略がなかったからだろうか。
でも、本当に良いものと売れるか売れないかは別問題だと思うので、ケントリには今の位置が丁度いいのかもしれない。
(と云ったらKENZIは怒るだろうか。)
最後に私が好きなケントリの歌詞を引く。


 腐った理想はいかがです 狂った哲学いかがです
 見えない所でいやらしく 何度も何度も誘うのさ

 焦る俺はバタクソで 奴らのペースに嵌まってく
 分っているけどダメなのさ 今日も俺は落ちてゆく
 今、綺麗なものは何? 今、必要なものは何?
 自分を見失う前に 確かめたいことがあるのさ

(『LEO STAR 8』より抜粋)

M-1グランプリ2006

2006-12-25 01:17:39 | テレビ・芸能
今年はM-1を最初から見逃すことなくすべて見ることが出来ました。
(意味がわからない人は去年の記事を見てみてね)
さて、出演順に感想を書きます。


▼POISON GIRL BAND
ポイガはいつものことながら好き嫌いの分かれるネタですね。
私は結構好きな方だけど、今日のネタは少し不発気味だったかな?

▼フットボールアワー
最終決勝戦のネタの方が面白かった。
あと、岩尾の声の大きさで笑わせようという傾向があったがやめた方が良いと思う。
それにしても、一度優勝した人はもう出さない方がいいのでは?

▼ザ・プラン9
以前、見た時はつまらない人たちだなぁ、と思っていたけど、
今日のネタはそれなにり面白かった。
今後の成長に期待。

▼麒麟
私は麒麟をみんなが言うほど面白いと思わない。
完成度は高いんだろうけど、ネタ自体にツボと云えるものが無い。
でも、ケロロ軍曹のエンディングテーマは好きです。
あ、これは関係無いや(笑)

▼トータルテンボス
トータルテンボスはどちらかというと嫌いな芸人だった。
でも、今日のネタを見て好きになった。
以前は、言葉の遣い方がワンパターンだったけど、
語彙が飛躍的に豊かになって明らかに成長していると感じた。
「うつけ者か!」「あつかったろうに」など言葉の選択も巧み。
私の中の順位はチュートリアルに次いで二位。

▼チュートリアル
抜群に面白かった。
一回目の冷蔵庫のネタは一度見たことのあるものだったので新鮮味は無かったけど、やはり面白かった。
二回目のネタは初見。
自転車のベル(彼らが言うところの「チリンチリン」)だけであれだけ話を広げることが出来るとは脱帽。
途中、「結局、見つからなかったよ。ははははは・・・!」と笑い出すところは圧巻だった。
文句ナシの一位。

▼変ホ長調
唯一、アマチュアからの参戦。
あの喋り方は計算なのか素なのかよくわからなかった。
でも、その後の様子からして恐らく素であんな感じなのでしょう。
ネタの内容自体は決して悪くなかったと思うけども、
評価が低かったのは勢いが足りなかったせいだろう。

▼笑い飯
笑い飯はもっと力を持っているはずなんだけどなぁ。
毎回、M-1では力を出し切れてない気がする。
ネタ序盤の「以下、箸太郎を箸Aとし・・・」のくだりは爆笑したんだけど、
後半までその面白さが続かなかった。
来年こそ優勝してください。

▼ライセンス
思いの外面白かった。
特に、アキバ系向けのドラえもんの
「のび氏、のび氏」「なんですかドラ氏」とか、
「しずかたんのフィギュアは最高でありますなぁ~」「萌え~!」
とかが面白かった。
って、そこにウケたのは私がアキバ系だから?(笑)
でも、私は口語で人を呼ぶ時「氏」を附けて呼んだりしませんよ(笑)


はい。以上です。
毎年云う事ですが、ジャリズムやとろサーモンが決勝戦に出場する日が来ることを願っています。
そして、今年新たに附け加えるとするならば、天津というコンビ。
天津は敗者復活戦の中継の時にも映っていました。
天津がどんな芸風なのかは秘密(笑)

あび的時事放言 其の壱(イルミネーション、政府税制調査会長辞任)

2006-12-23 00:23:47 | 時事放言
あび的時事放言と称して、時事について記事にするまでもないニュースについてつらつら書き連ねたいと思います。
まぁ、あび卯月の独り言だと思ってください。


・イルミネーション

クリスマスが近づいて、街にはイルミネーションが輝いている。
イルミネーションとは日本語でなんというのだろう?
辞書を引いてみる。
「イルミネーション:多数の電灯をつけて飾ること。電光飾。電飾。」
なるほど、「電光飾」あるいは「電飾」というのか。
二文字熟語を好む日本人には電飾という訳の方が良いでしょうね。
また、イルミネーションと英語いうよりも電飾と云った方がわかりやすい。
意味を知らなくても漢字を見れば小学生にもイルミネーションがどんなものか想像がつくだろう。
漢字はこういう点で素晴らしいですね。
もっとも、若い人にいわせればイルミネーションと云った方がカッコイイということなのでしょうが。
いえ、外来のものをありがたがるのは若者に限ったことではなく、
日本人の宿痾と呼ぶべきものですが、それについてはまた別の機会にして、
電飾についての話に戻します。
先日、友人二人と夜の街を歩いていると、駅舎に電飾が附けられていた。
一人の友人が「綺麗やね」と言い、もう一人の友人が「そうやね」と同意した。
私は「そうやねぇ。ホント、とても・・・」と少し間を開けて、「・・・電気の無駄遣い」と続けた。
友人二人はずっこけながら「そんなことを云うなよ」と私をたしなめた。
小生つくづくへそ曲がりだと感じました。
それにしても、あれほどの電気の無駄遣いはない。
家に電飾を飾っている人は決して原発に反対してはならないし、
環境破壊を嘆いたり、環境保護を訴えてはならない。
それと、テレビで電飾についての悪口を聞かないのは彼らも電気の無駄遣いを好む人たちだからでありましょう。


・政府税制調査会長辞任

政府税制調査会の本間正明会長が知人女性と官舎に同居していたとされる問題で辞任したことについて安倍首相は辞任の理由について「一身上の都合」という説明を繰り返したそうであります。
「一身上の都合」って。
もっと、うまい言い方がないものですかね。
この人(安倍首相)、マスコミから叩かれようと思ってわざとやっているのだろうか。
勿論、そんなことは無いわけで、本人それにお気づきでない。
あるいは、気づいてて仕方なくやっている。
まぁ、おおかた森喜朗をはじめとした森派の人々から細かい指示があるのでしょう。
安倍さんが首相になった途端、フニャフニャになってしまったのはそういうことだろうと察している。
そもそも、幹事長に中川秀直を据えた時にすでに安倍内閣は安倍さんのものではないと感じた。
小泉さんと安倍さんは決定的に違う。
それは“しがらみ”があるかないかだ。
安倍晋三とはまさに「しがらみの人」である。

訃報相次ぐ

2006-12-22 23:50:16 | テレビ・芸能
一昨日から昨日にかけて訃報が相次いだ。
最初に聞いたのが青島幸男。次に岸田今日子。
翌日にカンニング中島さんが亡くなったことを知った。

青島幸男といえば、私にとっては東京都の前知事のイメージで、
都知事としての青島さんにはあまり良いイメージが無かった。
しかし、タレントとしての青島幸男は好きだった。
スーダラ節を作詞したのも青島さんだったが、スーダラ節は昭和を代表する迷曲だと思う。
都知事を辞めた後、いじわるばあさんの恰好をしてポンキッキーズに出演した時、
「(都知事をつとめて)こっちが今までさんざんいじめられたのよ」と話していた。
その時の青島さんの笑顔を今でもよく覚えている。

岸田今日子さんも亡くなったと知ったときは、青島さんの訃報以上に驚いた。
つい先ごろまでテレビに出ていたように思ったからだ。
じじつ、今年の一月にはドラマに出演していたそうだ。
朝の報道番組でテリー伊藤が「岸田さんの代わりが出来る女優は居ない」と云っていたが、まったく同意。

そして、私にとって最もショックだったのがカンニング中島さんの訃報。
カンニングが全国的に有名になったきっかけは「めちゃイケ!」の「笑わず嫌い王決定戦」というコーナーだった。
私がカンニングをはじめて知ったのもこの番組。
彼らのネタを見ていっぺんに好きになった。
竹山の「絶対売れてやるか!!」という叫びは新鮮だった。
それからカンニングは竹山の叫びとは裏腹にうなぎ昇りに売れっ子になった。
そして、売れっ子になった途端に中島さんが白血病に倒れた。
結婚してお子さんも生れた直後だった。
以来、竹山はピンでテレビに出演したが、その出演料の半分は毎回、中島さんに送っていたという。
竹山や残された御家族の心中を察すると涙を禁じえない。
人は誰しも必ず死ぬが時として納得のゆかない死がある。
しかし、それも世の常なのだろうか。

御三名の御冥福を御祈りいたします。

『大市民日記』二巻

2006-12-19 01:29:10 | 漫画・アニメ
『大市民日記』の二巻を読んだ。
実は『大市民日記』一巻は読んだことが無くて、
私が読んだことのあるのは『THE大市民』の一巻と『en-taxi』に掲載されていたものだけ。
この『大市民日記』の二巻には『en-taxi』に掲載された分も収録されていた。

『大市民』という作品の内容をどのように説明すればよいだろう。
『大市民日記』の二巻の帯には「鬼才・柳沢きみおが贈る、人生指南の書」とある。
漫画で人生を教わるのもどうかと思うが、確かにそういう側面も持った本だろう。
しかし、私はもっぱら社会批評の本だと思っている。
譬えるなら、初期のゴー宣のようなものかもしれない。
(ゴー宣は初期の頃が一番面白かった。今は政治絵解き漫画になっている)
『大市民』はなにも高尚な話題を扱っているわけではない。
普段の生活を通して感じたことが描かれているだけだ。
というより、ほとんど世の中に対する愚痴で、居酒屋でおっさんがくだをまいているような内容と云えば解り易いと思う。
私は思想態度が若者のそれではなくオヤジであって今の世の中に対して愚痴ばかりこぼしているし、
譬えるならば、愚痴が服を着て歩いているようなもので、口を開けば世の中と若者の悪口ばかり云っている。
そういうわけで、この大市民シリーズは私にとってピッタリの本なのだ。 

特に共感した箇所(言葉)を列挙したい。

みんなも感じていると思いますが、
新札の安っぽさにどうしてこんなのにOKだしたんだろうと
(野口英世について)なんだこの髪は 
(樋口一葉の絵について)なんだこの顔は
とにかく全体が薄っぺらで安っぽい(略)
旧札のなんと重々しくて美しいことか


私も最近、やっと馴れて来たがどうも新札のデザインは好きになれない。
あの薄っぺらさは今の日本を象徴しているようだ。

んで、ライブドアの株主がライブドアを訴えた件だ
コレってメチャクチャ変だ
いつも言っているが株ってのは正体はバクチ打ちの世界なんだぞ
丁半の賭博場なんだよ
だから負けたから金返せは無いでしょーっ


個人で株をやっている者は金儲けが目的なのに
投資だとか何とかいって言葉を飾ること、売春を援助交際と云う如しである。
株の本質はバクチなのだから、相応の覚悟を必要とする。
それで損したら金を返せと云うなど噴飯ものである。
私は借金はするな、株には手を出すな、と云われて育った。
今は親子そろって株の勉強をする家庭があるらしい。
私からみれば異様を通り越して、狂ってるように映る。

ブタエモン(あび註:堀江貴文)が粉飾決算をやったから我々はだまされた
―と怒ってますがそれ以前にアイツを一目見たら変だとフツーの人なら分かるハズだ


私も同意したいところだが、残念ながらこの国の多くの人の感性は鈍っているので、堀江を変だと分からない人が大勢居た。
それどころか、持ち上げて称賛した。自民党すら応援した。
武部は自分の弟とまで云った。
政治家の質を見れば国民の質が解るとは以前にも書いた。
私は堀江が粉飾をやって捕まったから批判したいのではなく、
私が彼を蛇蠍の如く嫌うのはすべては彼の思考回路を下劣そのものだと感じるからである。

それにしても市町村大合併での「次から次のバカ市名」はいつまで続くのだろう
またひとつ「かすみがせき市」だよ
俺は自分の住む町がこんなひらがな名になったら逃げ出すよ


ある作家が「今の日本は女子供の国」と云っていたが私もそう思う。
(女子供とは直接、女性と子供という意味にあらず)
何故、市名をひらがなにするのか私には一向に理解できない。
さいたま市が誕生した時もなんと幼稚な市名だろうと、ひっくり返りそうになった。
国民が幼稚でも国は滅びないが、役人まで幼稚だと国は滅びる。
今、日本に必要なのは品格のある大人だとつとに感じる。

意外だったのが藤原正彦さんを批判していたこと。
曰く、「バーコードオヤジに品格を語る資格はない!!」と。
それはちょっと酷だと思った。
髪の薄さは個人の努力ではどうにもならない。
藤原さん、スキンヘッドにすれば品格を語る資格を有することが出来るのだろうか。
が、上に書いたように居酒屋でのオヤジの愚痴なので一々真剣に反論しない。
当ブログもオヤジの愚痴に相違ないのは承知しているところである。

インドカリー100年の夢 「ボースと頭山満」

2006-12-11 02:15:20 | 歴史・人物
大東亜戦争の目的は何か。私はつくづくこの点を考えました。
もちろん、大東亜の諸国を完全に独立国にしなければいけないのであります。
アジアが再び過去のように新しい美しい文化文明を生み出して全世界に与えて、
全人類を幸福にしなければならないのであります。



上の言葉はインド人の独立運動家ボースの言葉だ。

ボースについて少し説明すると、
1886年に大英帝国の植民地であったインドのベンガルの王族の家に生まれたボースは
大英帝国からの独立運動に身を投じ、インド総督に対するテロ未遂事件などを起こす。
その後、ラホール蜂起の首謀者とされ1914年に日本に亡命したが、日本政府は日英同盟を理由にボースに国外退去を通告。
激怒した頭山満や犬養毅、内田良平などは中村屋の創業者で、孫文らとも交流があった実業家、相馬愛蔵にボースをかくまうよう依頼する。
相馬愛蔵は敬虔なクリスチャンでロシアの無政府主義者エロシェンコやインドの詩人タゴールなども支援していた人物でボースをかくまうことも快く引き受けてくれた。
以後も玄洋社の頭山満たちから支援によって日本政府はボースは日本で独立運動を行うことを許可する。
インドカレーのレシピを中村屋に提供し日本にインドカレーを伝えたのもボースである。

このボースの生涯と頭山満との交流を追いかけたドキュメンタリー番組『インドカリー100年の夢 「ボースと頭山満」』が先ほどTNC(テレビ西日本)で放送されていた。(0:15~1:15)

この番組はボースの生涯を追いながら大東亜戦争はアジア解放の側面があったことを強調していて、
冒頭に挙げたボースの言葉も番組内で肉声のテープ音源として流れたものだ。
また、頭山満たち当時の国粋主義者が大アジア主義を掲げてアジア独立運動を支援してきた事実も解説されていた。
(中国革命の父・孫文を支援したのも頭山満ら玄洋社の人々。)
また、番組内では先の大戦の呼称を「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」に統一していた。
テレビで大東亜戦争という呼称を使うのは珍しい。
かといって、大東亜戦争を全面的に讃美する内容というわけではなく、
満洲事変に抗議するボースの言葉も紹介されていたし、
日本の軍部の中にはインド人に対して冷たい者も居たことも触れていた。

私も大東亜戦争を聖戦などと思っていない。
あれはやりたくない戦争をやらざるをえなくなり嫌々やった戦争だと思っている。
もちろん、負の側面も沢山あっただろう。
が、戦後の日本ではあの戦争は侵掠戦争だったとして、かつての日本を極悪国家に仕立て上げとにかく日本だけが悪くて気違いのようなってあんな愚かな戦争をやったということになってしまった。
しかし、それは一面的で偏った歴史観である。
少なくとも歴史を通して当時の世界情勢や事実関係を知ればそんな短絡的な答えは出ないはずだ。
私があの戦争を聖戦とも侵掠とも思わない所以である。

それにしても、こんな深夜にこんな良質な番組を放送するとは思わなかった。
後半部分しか録画できなかったことが悔やまれる。
ボースや頭山満を取り上げたり、大東亜戦争の光の部分に焦点を当てた番組が放送されるとは時代も変わったということか。
しかし、この番組、福岡だけのローカル放送だったようだ。
(それも深夜の放送だったし・・・)
願わくば、是非とも全国ネットで再放送してほしいものである。

映画 『ALWAYS 三丁目の夕日』

2006-12-02 02:00:29 | 映画・ドラマ
金曜ロードショーで『ALWAYS 三丁目の夕日』を観た。

不覚にもラストシーンで感動してしまった。
他にも色々感動的なシーンはあったのだけど、私は最後のシーンに最もグッと来た。

この映画について呉智英さんが「感動したけれど、登場人物が皆平成の顔だった」という旨のことをどこかに書いていた。
(たしか、『ダヴィンチ』だったと思う。)
確かに、皆、今の顔つきだった。
昭和三十年代の人々にしては洗練されている。
また、来ている服もやけにピカピカしていた。
建物やオート三輪は古ぼけているのだけど、人々はみんな新しかった。
どうも、人間だけがタイムスリップしてきたような印象を受けた。
しかし、中でも堀北真希が演じた六子(むつこ)は結構昭和の香りが漂っていたと思う。
はじめちっとも堀北真希と気づかなかったし。(それは私が年寄りなだけ?)
青森から集団就職で上京してきた娘ということで津軽辯を駆使した演技も中々上手かった。
小生、堀北真希を見直した次第。
白状すると六子は本当に可愛らしくて、今あんな娘がいたらいっぺんに好きになってしまうだろうと思う。
田舎臭くて純真で健気で・・・今、そんな娘は滅びてしまった。

この映画、原作は西岸良平さんの漫画『三丁目の夕日』なのだけど、茶川竜之介を始め登場人物が原作と随分印象が違った。
が、映画は映画として割り切ってみればそれもそれほど気にならない。
むしろ、CGの方が気になるくらい(笑)
西岸さんの良いところは安易にハッピーエンドにならないところだ。
最後までどこか物悲しさが残ることが多い。
最近、ちょっとした昭和ブームで昭和三十年代を古きよき時代として懐かしむ風潮があるが、
当時の人は当時の人なりにいろいろ大変だったのである。
西岸さんの作品にはそういったマイナスの部分もきちんと書いてあるから好きだ。

しかし、それでもなおあの時代が限りなく懐かしく愛しく感じるのは何故だろう。
昭和六十年生れの私でさへそう感じるのだ。
ラストシーンで鈴木一家が土手から夕日を眺めてこんな会話を交わす。

「綺麗な夕日だね」
「夕日はいつだって綺麗だよ」
「明日もあさっても五十年後も、ずっと夕日が綺麗だといいわね」

今、我々が見ている夕日は五十年前のそれと変わらず綺麗だろうか。
もし、そう感じないとすればそれは夕日が変わったのではなく、我々の心が変わったのだろう。