あび卯月☆ぶろぐ

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護衛艦と韓国船の衝突事故

2009-10-29 01:25:08 | 社会・世相
関門海峡は下関と門司の間の海峡で、福岡と山口の境であると同時に九州と本州の境でもある。
かつては馬間海峡といわれていたが、これは下関の旧称が馬間だったことによる。

関門海峡にはよく行く。
門司側の関門橋附近には地元で有名な若松屋という旨いおでん屋があって、門司に行くときは必ずといっていいほどここで昼食をとる。
以前は二階建ての店舗だったが、数年前の台風で倒潰してしまい今では平屋のこじんまりとした店舗になっている。
ここのおでんはだしが甘辛く、一般に出回っているおでんとは異なった何ともいえない旨さがある。
サイドメニューのちゃんぽん、カツ丼、親子丼などもどれも旨い。
店舗縮小に伴い、焼きめしが廃止されたのは残念だが、いまでも人気のある店だ。

この店で食事をすると窓から関門海峡がよく見える。
関門海峡は壇ノ浦の戦いの舞台で、安徳天皇が入水されたことでも有名だが、波が荒いことでも知られる。
潮の流れが速い上に、一日に何度も潮流が東西に変わる難所で平家物語にも潮の流れが変わる記述がある。
加えて、この海峡は極めて狭い海峡で最も狭い関門橋附近の幅は約500メートルしかない。
殆んど川の下流程度の広さだ。
この狭い海峡を一日に大小あわせて七百隻近い船舶が行き来する。
若松屋の窓から眺めていても常に多くの船が行ったり来たりしていて、よくぶつからないなあと感心していた。

そんな海峡で護衛艦と韓国籍の貨物船が衝突する事故が起こった。
貨物船が前の船を追い越そうとして左舷に舵をきったところ、前から来た護衛艦にぶつかった恰好だ。
護衛艦の方は航海のルールである右側航行を遵守していた。
護衛艦からしたら、追い越し禁止車線を走っていたら対向車が突っ込んできたようなものだ。
だいたい、難所中の難所とも謂われるあの狭い海峡で前の船を追い越そうだなんて狂気の沙汰に近い。
この海域を良く知る人物も「無謀としか言えない」(西部海難防止協会専務理事)と話す。

どう考えても貨物船の方が悪いが、昨日の報道ステーションでは古舘が「あたごの事故を思い出す」とか「気の緩みがあったのでは」などと云って、自衛隊批判に持っていこうとしていた。
相変らずの歪曲ぶりに頭の下がる思いだが、ついでにいうとあたごのケースも2:8くらいで漁船の方が悪い。
日教組で自衛隊嫌いの私の父でさえ、「常識で考えて漁船と護衛艦が衝突するなんてあり得ない」と言っていた。
父は太公望でよくモーターボートを操り海釣りに行く。
起きて運転している限り、あんな大きな船にぶつかるはずはない、と。
早い話あの漁船の船乗りは居眠りしていた。
被害者側とされた漁民の方が補償補償とあまり騒がなかったのはそういう事情による。
ところが、マスコミにとっては自衛隊批判の格好の材料で、イージス艦が絶対悪にされ、自殺者まで出した。

今回、事故の二日目の今日にはすっかり報道が沈静化してしまったのは、貨物船の方が悪いとわかり、自衛隊批判に使えないからか、あるいは政権担当政党が民主党だからか。
日頃のマスコミの姿勢をみればそんな風に穿ってみたくもなる。

アグネス・チャン「児童買春の加害者は日本人」

2009-10-16 23:05:11 | 歴史・人物
アグネス・チャンが毎日新聞のインタビューに
「児童買春は、日本ユニセフ協会大使に就任した98年にタイで現実を見て以来ずっと関心があります。日本は加害者でした」
(毎日新聞 2009年10月14日東京朝刊)http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20091014ddm004070096000c.html
と答えている。

こういう言を聞くと、いかにも日本人が東南アジアで買春を行っているようにみえるが、冗談じゃない。
東南アジア、とりわけタイで児童を売春しているの多くは白人だ。
なぜ、「とりわけタイ」なのかというとこの国は他の東南アジア諸国に比べ極端に白人に弱い。
白人が犯罪を犯してもタイでは捕まらないことが多い。
児童買春もそう。
タイでは買った児童を白昼堂々と連れまわしてもお咎めなしで済む。

もし、同じことを他国、いわんや日本でやってみたらとんでもないことになるだろうが、タイは少々事情が違う。
なぜ、タイがこれほど白人に媚びへつらうのか、それはタイの歴史に秘密がありそうだ。
20世紀半ばまでアジアで植民地にならなかった国は日本とタイといわれるが、日本は自力で独立を守ったのに対し、タイ(当時はシャム)はイギリスとフランスの植民地の間に設けられた緩衝地帯の役割として植民地化されなかったという違いがある。
むろん、タイの巧みな外交戦術が効を奏した側面もあるが、それでも自力というより運が良かったと言った方が実情に近い。
それで、植民地化されないため常に白人の顔色を伺うようになったのではないか。

タイといえば先日もミッテラン大統領の甥であるフランス文化相がバンコクでの男児買春をしたと報じられているが、白人が有色人種を買春したところで大した罪ではないという意識があるのか、欧米諸国ではそれほど騒がれてない。

世界の歴史は20世紀半ばころまで白人が有色人種を虐殺、強姦し、土地を奪い尽くし奴隷にしてきた歴史ともいえる。
南米はスペインとポルトガルが侵入して男を皆殺しして、女は慰みものにした。
そうして白人と現地人の間に出来た子供たちがメスチソでいま、南米に住む人々の大半がこれにあたる。

実は豊臣秀吉がバテレン追放令を出したのは九州にいたポルトガル人宣教師とキリシタン大名が人身売買をやっていたからだ。
追放令が出る五年前に日本を出た天正遣欧少年使節の一行が欧州の地で「み目よき日本の娘たちが秘所丸出しでつながれ、弄ばれ、売られていく」のを目撃している。
それに激怒した秀吉がバテレン追放令を出したわけだが、教科書によっては善良なキリシタンを弾圧した秀吉という構図で書かれているものもある。

カリブ海のハイチやジャマイカはそれぞれフランスとイギリスが侵掠し、現地人を皆殺ししたあとに黒人奴隷を入れた。
アメリカ大陸のすぐ近くに浮かぶ島々になぜか黒人が住んでいるのはそういった理由からだ。
フランスはハイチを植民地経営の行き詰まりから早々に手放したが、そのあとアメリカの小児性愛者がこの国で少女を買い漁り、エイズの輸出国という不名誉なレッテルを貼られる国にした。
ちなみに白人と黒人の混血はムラートといい、メスチソと同じく白人の血が一適でも入っていればその国のエリート層となる。

こういう光景は日本を除く非白人地域ではどこも似たようなもので、例えば、先日書いたようにオーストラリアでも、イギリスからの入植者は休日ごとにアボリジニ狩りに出かけ、女のアボリジニなら強姦した。

南洋もそう。
ゴーギャンはタヒチの自然や人々を描いた画家として芸術的にも評価が高いが、ゴーギャンが南洋を愛した理由は絵を書くためより未開の地で少女を漁るためだった。
ブログ「白人のいる風景」子は
「ゴーギャンの美術は、今に至る白人のセックスツーリズム、児童買春ツーリズムの文化と一体のものであるり、ゴーギャンこそは、セックスツーリズムおよび児童性愛ツーリズムのパイオニアなのである」
と断じているがまさに言いえて妙。

そういう構図が現在でも見られるのがタイなのだがお人好し日本人は知るよしもない。
そういう日本人の無知に漬け込んでアグネス・チャンはタイの児童買春の加害者は日本人だと宣伝する。
日本を非難する暇があるなら、まづ母国の人身売買やチベットやウイグルの虐殺を非難してはどうかとも思うが、母国の犯罪はこの人の純粋な瞳には映らないらしい。
白人が世界中の有色人種地域の植民地化を達成しようとしたとき、それに反旗を翻したのが日本だったが、中国は白人と一緒になって日本潰しに加わった。
この構図も変わってない。


***********
参考サイト:
「白人のいる風景」
http://ibrahim.blog49.fc2.com/
「日付のある紙片」
http://iscariot.cocolog-nifty.com/

天皇を政治利用する鳩山

2009-10-12 20:07:30 | 政治・経済
鳩山首相が日韓首脳共同会見で天皇の訪韓について
「天皇陛下御自身もその思いを強く持っておられると理解している」
と云った。

理解しているというのはどういうことか。
鳩山が勝手に陛下のお気持ちを忖度してそう云ったのか、あるいは本当に陛下がそう思われているのを知って云ったのか。
いづれにせよ、天皇の意思が政治に反映されていいものなのか。
これは明らかに天皇の政治利用だろう。

かつて、昭和天皇から「国の守りは大事なので、しっかりやってほしい」とのお言葉があったと公言した増原防衛庁長官が「天皇を政治利用するものだ」と野党やマスコミから糾弾されて更迭されたことがあった。
これは国防という極めて政治的な問題について天皇を政治利用しようとした例であり、今考えても更迭されてしかるべき事案だった。

今回の鳩山発言も外交に天皇を利用した「事件」であり、鳩山が辞任する自体に陥ってもおかしくないはずだ。
ところが、野党もマスコミも騒がない。

何故か。
野党は別として基本的に親韓のマスコミは天皇が訪韓することを望んでいる。
自分たちの目的が達成されるための天皇利用はそれを問題にすることなく、むしろ心の中では歓迎するというわけだ。

増原発言のとき朝日新聞は社説で
「増原長官の発言は(略)天皇のお言葉を政治的に利用しようとするもの」であり、「『国民統合の象徴』たる地位に傷をつけることになりかねない」(昭和48年5月30日付)と厳しく批判し、日本経済新聞も「防衛力増強に関し天皇の内々のご発言を政治的に利用したととられてもしようのない"増原発言"」(同5月31日付)と書いた。
ところが、今回はダンマリを決め込んでいる。

思えば、富田メモの時もそうだった。
昭和天皇の首相の靖国参拝を批判した富田メモは自分たちにとって都合のいい事実だったから朝日新聞は「昭和天皇の重い言葉」、日経は「昭和天皇の思いを大事にしたい」(いづれも平成18年7月21日付)と題する社説を掲げて天皇発言を大いに利用した。

別に左派に限ったことではない。
右も左も口では天皇を政治利用するなと云って、天皇が自分たちにとり都合のいい御発言をされたときは大いに利用する。
こういうダブルスタンダードは政治主義者に多く見られるもので、朝日だろうが産経だろうがどちらも似たようなものだ。

富田メモ騒動のとき、私は「つくづく日本人は天皇の民草だと思う」と書いたが、右も左も天皇という存在から決して自由ではない。
鳩山はそういう事情をよく理解しているのだろう。
天皇をしっかりと政治利用する。
それで、今回は自分たちに都合がいいので、マスコミも騒がない。
鳩山にもマスコミにも反吐が出る。

国産ジェットは国産か

2009-10-08 02:43:11 | 歴史・人物
■国産ジェット海外初受注、三菱が100機
(読売新聞 - 10月02日 14:34)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20091002-OYT8T00726.htm


先日の話だが、これは久々のいいニュースだった。
三菱航空機が作っている国産ジェット機の受注が米の航空会社から百件近く来たという。
戦後、「翼をもがれた日本」が翼を取り戻す大きな契機としたいが、この国産ジェットのエンジンはアメリカ製で純粋な国産機と云えないのが残念なところだ。

なぜ戦後六十年以上経っても日本が自前の飛行機を作れないのか、この理由は少しばかり歴史を遡る。

日本人が初めて飛行機を飛ばしたのはライト兄弟が飛んだわずか七年後の明治四十三年(1910年)。
徳川家の血を引く陸軍の徳川好敏大尉が代々木錬兵場(現・代々木公園)でおこなった飛行実験がそれだ。
その四年後の第一次世界大戦では青島のドイツ軍要塞を日本軍の航空機が攻撃し、翌月にはドイツ軍機と空中戦もやった。

その十年後には民間航空が東京-大阪間に定期便を飛ばし、昭和六年(1931年)には日本初のスチュワーデス(いま客室乗務員という)が誕生している。
スチュワーデスは前年にボーイング航空が初めて採用していたが、「旅客の健康維持」を名目として看護婦を乗せており、普通の女性のスチュワーデスを乗せた例では日本が世界で初となる。

昭和十二年(1937年)には朝日新聞の社機だった「神風」が東京-ロンドン間を飛び世界記録を樹立し、さらにその二年後には96式陸攻機を改修した「ニッポン号」が世界一周を果たした。
これらの機は製造も設計も日本人の手で行われた純国産製で、日本人が世界記録を達成する程の高性能な飛行機を造ったことに世界は驚愕した。

というのも、それまで飛行機は「白人の力と叡智の象徴」といわれており、有色人種である日本人には「優秀な飛行機を作ることも、それを巧みに操縦することも出来ない」(米国の軍事評論家、フレッシャー・プラット)と広く信じられていたからだ。
1937年4月9日付けの『ディリー・ヘラルド』は、
「生理学的に日本人は優れたパイロットにはなり得ないと信じられて来た。ある高度に達すると方向感覚を失い、眩暈を覚える。これは何世紀にも及ぶ米食と魚嗜好による適応異常なのだ・・・」
と記述した後で、そのような迷信が打破された、と結んでいる。

また、神風号について英航空誌『フライト』は
「日本で設計した飛行機を日本人が操縦し、亜欧二大陸にまたがる長遠な飛行を敢行し大成功をもたらすとは誰が想像したであろうか・・・」
「神風号は飯沼1人によって操縦され副操縦士はいなかった。また単発機であるから1基の発動機が故障すれば万事休すであった、しかるにこの発動機は94時間好調を続けた。この一事を以ってしても、設計者・製作者の技術はもちろん、全航程の間取り扱いに当たった塚越機関士の非凡な技倆は賞賛さるべきである・・・」
「三菱製単葉機および中島製発動機は外国の特許によるものでは無く、日本独自の設計による・・・」

と驚いている。
ニッポン号についてもある米国人識者は
「この優秀な飛行機を日本人が独力でビス(螺子)1本から創ったとは信じ難いが、事実ならば恐るべき民族だ」
と述べている。

ところが、太平洋戦争がはじまった昭和十六年の段階でもマッカーサーは人種偏見が抜けなかったらしく、真珠湾当日、日本軍機からフィリピンへの渡洋攻撃を受けた際、台湾から飛んでくるような燃費のいい飛行機を日本人が持って<いるはずはないと「日本機は空母から発進した」といい、周辺海域で空母を探し、操縦はドイツ人が行ったものだと信じて疑わなかった。

イギリスの最新最良戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパレスが日本軍機によって沈められたときもチャーチルはにわかに信じようとしなかったし、戦後も「戦争の全期間を通じて、私はそれ以上の衝撃を受けたことがなかった」と回顧している。

高性能な飛行機を巧みに操る日本人に衝撃を受けたのは白人だけではなく同じ有色人種の間でも同じだった。
白人の植民地にされていた東南アジア各国は「白人の叡智の象徴」である飛行機を操る日本人と逃げ惑う白人を見て、独立の気運を高めた。

そして、終戦。
日本軍の緒戦の活躍がよほど衝撃と恐怖を与えたのだろう。
連合軍の日本占領政策の主眼は平たくいえば日本を二度と白人国家に楯突く事がないように徹底的に弱体化させることだった。

なかでも、白人国家に恐怖を与えた日本の航空産業は目の敵にされた。
マッカーサーは日本弱体化計画の一環として、覚書覚書301号を発令して、模型も含め日本の航空産業・研究の一切を禁止した。
ルーズベルトの「(日独伊には)いかなる航空工業、航空事業も将来にわたって許されない。これら三国がゼンマイ仕掛けの玩具より大きい飛行機を飛ばすことも欲しない」という遺言を受け継いだ格好だ。

覚書では第一項で「昭和二十年十二月三十一日をもって民間航空に関する政府機構を廃止する」とあり、以下「いかなる航空企業、団体、及び乗員養成、航空機製造、設計、整備に関る法人も同期日までに解散すること」と続く。
これにより、零戦を開発した三菱重工や「隼」の中島飛行機(註)など航空機工廠はすべて潰され、飛行場に残っていた国産飛行機も破壊された。

以後、いわゆる「翼をもがれた七年間」がはじまる。
科学技術の中でも最も高度な研究と知識の蓄積が必要とされる航空分野において、このブランクはあまりにも大きいものであり、ある専門家は「航空禁止の七年間によって、実質五十年は遅れてしまった」と指摘する。

占領期間が終り、再び飛行機を飛ばせるようになった日本だったが民間航空の国際機関への登録記号は戦前の「J」の一文字ではなく二文字の「JA」になった。
一文字記号は「飛行機を開発し、飛ばした」国の特権とされ、戦前では欧米航空先進国の他は日本にのみ認められたもので二文字なら航空二等国扱いになる。
これは、運輸省の役人が民間航空を復活させる際、「ウチは二文字で結構です」といらぬ卑下をしたためだといわれている。(航空関係者)

ただ、実際にその後の日本航空史を見てもそれに見合った歩みをしている。
一応、国産旅客機の「YS-11」を造ったことになっているが、エンジンはロールスロイス製でプロペラはダウティーロートルという具合で主要部品はすべて外国製でまかなわれている。

そして、今回の国産ジェットもやはりエンジンが外国製。
今年で戦後六十四年、戦前のように純国産製を造るにはあと何年かかるのだろうか。


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註:中島飛行機は零戦のエンジンも作っていた。

中川昭一氏の功績

2009-10-06 01:51:09 | 政治・経済
中川昭一・元財務大臣が急逝した。
我が国の保守系政治家としてはトップレベルの議員だっただけにただただ残念という外ない。
中川氏のこれまでの実績等については以下の通り。


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・中川氏は、農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。

・中川氏は、財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。

・中川氏は、政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた。

・中川氏は、拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。

・中川氏は、経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。

・中川氏は、毎年靖国神社に参拝することも欠かさない。

・中川氏は、非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した。

・中川氏は、日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。

・中川氏は、官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。

・中川氏は、中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。

・中川の勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、扱いにくい大臣だったとのこと。

・中川氏は、郵政解散後の造反組リーダーであった平沼赳夫とは銀行員時代から兄弟のような間柄で、郵政民営化には賛成ながらも、造反組には半ば同情的だった。

・中川氏は、政界きっての親台派として知られている。農水大臣再登板の際には、中華民国総統であった李登輝から祝意が寄せられている。財務大臣辞任についても、台湾メディアは同情的だった。

・中川氏は、2007年に保守派の議員で集まる勉強会「真・保守政策研究会」を設立するにあたってのまとめ役となった。

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特に人権擁護法や外国人参政権に反対していたことは特筆に価しよう。
中川氏の死は民主党政権が推進するこれらの法案に真っ向から対抗できる人材を失ってしまったことを意味する。


さらにこの稿で私が強調したい中川氏の功績はIMFへ一千億ドルの融資を行いストロスカーン専務理事から
「人類の歴史上、最大の融資だ」
「この献身(commitment)はこれまでにIMF加盟国によってなされた中で抜きん出て大きな資金貢献であり、 世界経済と金融の苦境に対する日本による多国間協調路線の継続的な献身を明確に示すものである」 (拙訳)
との讃辞を送られたことだ。

これは別に讃辞を送られたこと自体を功績といいたいわけではない。
褒め言葉を貰っても国益に叶わないと意味が無い。

IMFの融資を私が高く評価するのはこれが日本にとって大きな利点があったからだ。
この融資について、よく「IMFに一千億ドルもの血税を使うべきではない」「そんなお金があるのなら国内にまわせ」というような批判が見られたが、これが如何に的外れな批判であったかを含め、以前、書いたことの繰り返しになるが、いま一度述べておきたい。


IMFに融資された一千億ドルは日本政府が保有する外国為替資金特別会計(以下、外為特別会計)から拠出された。
外為特別会計は我が国の外貨準備を管理している政府会計の一つで、これらの資金は日本政府が政府短期證券を民間金融機関に発行することで調達される。
つまり、元々の財源は民間からの借り入れであり、血税ではない。

また、外貨準備は主に米国債など眠っているマネーであり、米国債なのだから国内に廻すこともできない。
米国債を国内に流通されるには円に替える必要があり、そんなことをすれば10円以上の円高は避けられないし、ドル崩壊の危険性もあるからだ。

また、世界一の対外純債権国(つまり、世界で一番外国にお金を貸している国)の日本は各国がデフォルト(債務不履行)に陥れば最も被害をこうむることになる。
どういうことかというと、日本が金を貸している国がデフォルトして「お金が返せません」となると、日本はお金を回収する手立てがなくそのまま貸した分損をすることになる。
この意味で二国間融資は危険であり、上の箇条書きでも紹介したように中川大臣がアイスランドなどから申し込まれた二国間融資を全て断ったことは正しい判断と言えるのだ。

一方、IMFを通じて融資した場合、債務国(お金を借りている国)はIMFに融資を返済する義務を負う。
日本はIMFを通じて借金を返済してもらえるのだ。
さらに、為替リスクもIMFが負い、IMFが定めるSDR金利も支払われる。

まとめてみると、IMFへの一千億円の融資は寝ていた資金をリスクゼロでIMFに提供し、多くの国のデフォルトを防ぎ、結果的に債権国である我が国の国益になる。
さらに「人類史上最大の融資」と謝辞まで送られるという完璧な施策になる。

しかし、マスコミはこのことを詳しく報じなかった。
国民に「中川大臣がIMFに一千億ドル資金融資したことを御存知ですか」と問うて「はい」という返事がどれほど返ってくるだろうか。
それどころか、時事通信はストロスカーン専務理事の謝辞をバッサリと削って報道した。
はじめから、中川昭一大臣が居た麻生内閣は潰されるよう仕向けられていたように思う。


中川氏や麻生元首相がマスコミに嫌われた原因として保守本流だったことに加え財政出動派だったことも大きい。
マスコミは概して緊縮財政派で過去の報道をみても財政出動派の政治家には厳しい態度で臨んでいる。

それで、麻生内閣嫌いの朝日新聞と組んで読売新聞までもが麻生内閣を潰しにかかった。
読売新聞は中川大臣の首を取るため美人記者の異名を持つ越前谷知子記者を使い、サミットで中川大臣に酒を呑ませた。
越前谷記者は記者会見の直前「記者会見は面白いことになるわよ」と云いふらし本当に面白いことになった。
これがあの泥酔会見の真相だといわれている。
真偽の程は定かではないが、あの会見が中川氏の首どころか命を奪った遠因になったことは確かだろう。

余談だが、中川大臣が泥酔会見をやったとき、各国のメディアが取り上げたが、中でも最も騒いだのがCNNをはじめとしたアメリカのメディアだった。
実はアメリカにも約十年前のダボス会議で泥酔して二階から落ち、会議を欠席したミッキー・カンターUSTR(米国通商代表部)代表がいる。
サミットではフランスのサルコジ大統領も泥酔したことがあるし、ロシヤのエリツィン大統領に至ってはいつも泥酔していた。
日本のメディアは気を使って当時この不祥事をほとんど報道しなかった。
欧米諸国もこれら白人仲間の不祥事は取り上げなかったが、黄色人種日本人の不祥事は嬉々として取り上げて叩いた。
日本も白人国家の恥は報道しなかったが自国の恥は白人と一緒になって叩いた。
白人国家がやるように自国の恥は隠すものだが、我が国は例外で親の敵を取ったように喜んで叩く。
つまり進歩的な国ということか。


中川昭一議員を失った自民党はますます厳しい再建を余儀なくされる。
私はもはや(というか、はじめから)自民党に期待していないので、真正保守派が集まって新しい党を作ってくれたらその支持に回ろうと思っていた。
平沼赳夫氏もそのつもりだったようだ。
中川氏を失ったことはこの可能性も失ったことになりはしないか。
返す返す残念だ。

はからずも親子二代にわたり不幸な最期を迎えてしまった中川氏だが、あなたの功績は忘れない。
いまはゆっくりと御父上と大好きな酒を傾けてください。


******
註:

冒頭の写真は「中川昭一のアルバム」より
http://waranote.blog76.fc2.com/blog-entry-1797.html

中川氏の実績についての箇条書きは以下のサイトから転載(一部加筆訂正)。
http://2chcopipe.com/archives/51287086.html

ストロスカーン専務理事の発言についてはAFPの記事を参考にした。
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5jROjJU...

自民党総裁選雑感

2009-10-03 01:31:02 | 政治・経済
気づいたら、自民党の新総裁が谷垣禎一に決まっていた。
自民党の総裁選は河野太郎、西村康稔、谷垣禎一の三氏で争われた。

河野太郎は河野洋平の子。
父・洋平の方は江(沢民)の傭兵という仇名がつくくらいの新中派で、台湾の元総統李登輝氏が日本へ入国しようとした際には「大臣を辞めても李登輝来日を阻止する」とまで云ったという。
いわゆる従軍慰安婦の日本軍による強制連行があったとする「河野談話」を発したのもこの人。
政治家が歴史を改竄ないし捏造した歴史的な談話だ。
憲法についても当然ながら護憲派だ。

そんなわけで右派の間では一般に売国奴で通っている河野洋平だが、息子の方は少々様子が違う。

例えば、不法滞在して国外退去処分になったフィリピン人のカルデロン一家について今年5月11日のTVタックルで大批判をおこなっている。
まづ「(両親は)パスポート偽造で旅券偽造で入ってきているので、単なる不法入国ではなく重過失、重罪」と一刀両断。
東海大学教授の金慶珠が「娘ののり子ちゃんについては親と一緒に住む権利、自分が生まれたところで教育を受ける権利がある」と主張したが、「生まれたところで教育を受ける権利なんてない」とバッサリ。

外国人参政権についても反対派で、前述の金教授が在日外国人の参政権付与について力説すると
「帰化すれば、日本人になればそれこそ、被選挙権までちゃんと持てる訳だし、地方選挙だけではなく、国政選挙まで、選挙権、被選挙権まで持てる訳だから、もし、日本で政治に参加して欲しいんだったら、どうぞ、帰化して下さい」
と反論。
特別永住権についても
「特別永住権って言うのを、一体?いつまで続けるんですか?と・・・22世紀までも特別永住者を残すんですか?30世紀にも特別永住者が残すんですか?昔の話ですと言って、それをじゃあ一体何代まで繰り返すんですか?」
と民団や総連関係者が聞いたら激怒しそうなことをさらりと云っていた。
このあたり父親との違いが際立っている。
憲法についても父親と違い九条の改定を主張していて、父と子の思想は往々にして似ないものだ(私と父もそう)と以前書いた所以だ。

ところで、よくネット上では河野太郎は改正国籍法を立法したA級戦犯だという言い方がなされることがあるが、これは間違い。
あの改正法は最高裁の違憲判決を受けて出された内閣提出法案だ。
実質的には官僚が作ったものになる。
だから、麻生太郎が国籍法を改正したという批判もあたらない。
いわば、A級戦犯は最高裁なのだが、河野一郎が槍玉に挙げられるのは父親のイメージのせいか。

なお、太郎はC型肝炎から肝硬変になった父・洋平に肝臓の約3分の1を移植しており、親子そろって顔色が悪く見えるのはそういう事情による。

自民党の新総裁としてこの河野太郎は悪くないと思った。
しかし、彼の最大の欠点といおうか、新総裁としてふさわしくない点はネオリベラリスト(新自由主義者)であることだ。
自民党がそっぽ向かれた一つの大きな原因は小泉構造改革によって新自由主義が推し進められ格差が生じたことだ。
河野太郎はしきりに「小さな政府」といって小泉改革の再現をやろうとしている。
これだと、次回の参院選に勝つのは難しい。
左の民主党に対抗する為に右でいくのはいいが、経済も右だと苦しいだろう。

そこで、西村康稔が適任と思われた。
彼は尊敬する歴代総理として吉田茂と並んで岸信介を挙げており、政治思想的には右。
経済については「小泉改革が地方経済の疲弊や格差を生んだ」と左で民主党に対抗するにはピッタリの人物だ。

ところが蓋を開けてみれば、政治も経済も左の谷垣が新総裁に納まった。
左に対抗するのに同じ左を持って来てどうする。
谷垣禎一は河野洋平に負けず劣らずの新中派売国奴の加藤紘一の子分のような人物で、中国人女性を買春して中国に弱みを握られているとも噂される。
谷垣はスパイ防止法制定を潰しにかかった経歴があり、この噂も真実味を帯びてくる。

やたら河野一郎の説明が長くなったが、今回の自民党総裁選は政治右派経済右派(河野)、政治右派経済左派(西村)、政治左派経済左派(谷垣)の戦いだったわけだ。
当然、政治左派経済左派の民主党に対抗するためには西村氏が良かったのだが、民主に似たりよったりの谷垣が新総裁となった。
これで、どうやって有権者の支持を得ようというのだろう。
自民党の復権がまた一つ遠ざかった。


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補足:

経済については便宜上「大きな政府派」を左、「小さな政府派」を左とした。
ただ、厳密にそういうわけ方は難しい。(政治思想も同じだが)
彼らの経済思想をより解りやすく分けると

A.市場原理主義派(従米)--中川≒河野(小さな政府)     →みんなの党
B.官僚政治依存派(親米)--町村≒(たてまえ小さな政府)西村 →受け皿なし
c.官僚政治改良派(対等)--谷垣(大きな政府)        →民主党
d.官僚政治改良派(反米)--小沢

というような分け方の方がより適切だろう。
なお、谷垣氏は 「外国人参政権や夫婦別姓については慎重な立場だ」(9月28日)という見解を示している。