あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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ザ・クロマニヨンズのライブに行って来た

2006-11-26 15:58:45 | 音楽・藝術
もう、先週のことになるが、ザ・クロマニヨンズのライブに行って来た。

ライブはライヴと表記すべきか?
でも、「ヴ」はなんとなく気取った感じがして私には似合わないからライブと書く。
「高木ブー」が「高木ヴー」だと妙にカッコ良くなって(?)変だもんね。

のっけから脱線してしまった。
でも、今回の記事は脱線しまくりで書きたい。

さて、ライブに行って来た。
それも福岡のドラムロゴス。いわゆるハコだ。
え?あのあび卯月がライブに!?と驚く方があるかもしれない。
普段、若者を憎悪して年寄りじみたことばかり云っている私もライブに行くことがあるのだ。

クロマニヨンズについて御存知ない方の為に簡単に説明しておくと、
ハイロウズをやっていた甲本ヒロトと真島昌利が小林勝(ベース)と桐田勝治(ドラム)を迎え入れ、今年の夏に結成したバンド。
ちなみにヒロトとマーシー(真島)がハイロウズの前にやっていたバンドがブルーハーツ。
で、私はブルーハーツとハイロウズがたまらなく好きなのだ。
言い換えれば、ヒロトとマーシーが大好きなのである。

それにしても、ハイロウズの突然の活動停止には戸惑ったし、
再び“突然の”クロマニヨンズの結成にも戸惑った。
え?ハイロウズはどうなっちゃったの?と思った。
ヒロトとマーシーからは何の説明も無い。
本人たちは「別に何も考えてないです」と言う。
あぁ、本当になんにも考えていないんだろうな。

今回のライブには友人二人と私を合わせて三人で行って来た。
この友人二人はいづれも私が布教活動をしてブルーハーツとハイロウズのファンに仕立て上げた。
しかし、クロマニヨンズに対する熱は私より熱いと思う。
布教を施した相手が布教した者より熱心な信者になることはよくあることだ。
福田恆存先生も「私の教え子は皆、私より右にいつてしまふ」という旨のことを仰っていた。
私はまだハイロウズの思い出に引き摺られているので、頭が完全に切り替わっていないのだ。

だから、今回のライブもどちらかというと他のファンの人たちよりも冷静な視線で鑑賞した。
いや、冷静に鑑賞したかったのだけれど、ライブハウスでのライブはそれを許してくれない。
満員電車以上の過密空間で人がピョンピョン飛び跳ねまわり、
頭を振り、手を挙げて、ヒロトの歌声に合わせて熱唱する。
ハコ内の酸素が足りなくなるし、たちまち、床は汗で水浸しになる。
足も何百回踏まれたろうか。
嫌がっていると思うなかれ。
これぞ、ライブの醍醐味なのである。

また、当然ながら同じ歌でもCDで聴くのとライブで聴くのではまったく違う。
CDではスルーしていたような歌でもライブを聴いて以来好きになった、とはよく聞く話だが、じじつそういうことはある。

MCでヒロトが云っていたことを紹介しよう。

ヒロト「新人バンドなんでいじめてください。あと、ロックを教えて。」
客「俺が教えてやるー!」
ヒロト「(笑)」


「いじめないで」ではなくて「いじめて」というのがヒロトらしい。

ヒロト「みんな良い顔だよ。とっても、良い顔してるよー!」
客「イェーイ!!」
ヒロト「でも、カッコイイって勘違いするなよ?(笑)ここから一歩外に出たらモテない(笑)。」
客「(笑)」
ヒロト「ロックが好きな人が見たら良い顔。でも、外に出たら大半の人がロックに興味が無いから。」


一言一句正確ではないが大体このようなことを言っていた。
他にもなにか云っていた気がするが忘れた。
ところで、2ちゃんねるにあった書き込みのまる写しじゃないかと思われた方。
あの書き込みは私がしたのだ(笑)

ライブを終えて今後、クロマニヨンズがどのような進化を遂げるのか楽しみになった。
そして“僕”はブルーハーツを聴きたくなった。

皇室祭祀を破壊した入江相政

2006-11-24 00:55:19 | 歴史・人物
今、雑誌『正論』を講読している。
遠藤浩一さんの「福田恆存と三島由紀夫の「戦後」」が連載されているからだ。
また、ウチの大学の図書館はどういうわけか『諸君!』は置いてあるのに『正論』は置いていないのでどうしても読みたい論文がある時は講読せざるをえない。
しかし、遠藤論文以外はあまり読む気になれないので、その為だけに毎号『正論』を買うのは割に合わないように感じていた。
そう思っていた矢先、今号はなかなか興味深い論文が掲載されていた。

それは千葉展正氏の「入江相政と富田朝彦 ~゛宮中のラスプーチン"に翻弄された宮内庁長官~」というものだ。
富田朝彦氏は今年、昭和天皇が靖国神社に対する不快感を示されていたことを記述した(とされる)富田メモで一躍有名になった富田宮内庁長官(当時)。
入江相政氏は長年、昭和天皇の侍従を務めた人だ。

入江氏は昭和天皇の関連書籍によく登場し、インタビュー記事なども読んでいたので、私はその人柄に好感を抱いていた。
その入江氏を「宮中のラスプーチン」という。
どういうことだろうと思って記事を読んでみて驚いた。
入江氏は天皇の宮中祭祀を破壊してきたというのだ。
これは入江氏自身の『入江日記』にも「新嘗とお取り止めの工作は」との記述があり、本人も「破壊工作」と思ってやっていたことが伺える。
無論、当時からこれを問題視する声があり、
内廷職員の永田忠興氏が「昭和五十年ごろから宮中の祭祀の本質にかかわる重大な変化が起こっている」として神道宗教学会で警鐘を鳴らした。
そのことを週刊文春が取り上げ、入江氏が激怒するという事件が起こっている。
また、入江氏の祭祀破壊工作に対して(当時の)皇后陛下は強く不快感を示されていた。
このことも『入江日記』にも記載がある。

また、『入江日記』には氏が皇室祭祀憎悪、神道憎悪思想の持ち主であったことを物語る記述に事欠かないという。
例えば、皇室の伝統を守ろうとする永田忠興氏のことを「ウルトラシントイズム」と呼んで罵倒している。
入江氏がこんな人だったとは知らなかった。
私は今まで多くの昭和天皇関連書籍に目を通してきたつもりだったが『入江日記』は読んでいなかった。
恥じ入るばかりである。
ただ、入江氏がクリスチャンだということは知っていた。
今回の千葉氏の論文ではその事については述べられていないが、
入江氏の皇室祭祀憎悪の理由はそこにあると思う。
恐らく、氏の宗教観と皇室祭祀は相容れないものだったのだろう。
(なんといってもキリスト教と神道なのだから相容れないのも頷ける)

そして、じじつ、入江氏は皇室祭祀の削減・改変に成功している。
例えば、今日は新嘗祭だったが、新嘗祭といえば天皇が神々と対座してその年の新穀を召し上がる皇室の最重要祭儀である。
その新嘗祭についても『入江日記』に「さ来年にはおとり止め願うこと」という記述があるように最終目的は全面停止だったようである。

この論文を読んで、入江氏に対し一種の怒りが湧いてきた。
私は天皇は祭祀を行うために存在するのだと思っている。
言い換えれば、最も重要で且つ天皇でなければ行うことの出来ない行いが宮中祭祀である。
挑発的な言い方をするが、祭祀を行わない天皇など必要ないし、そんな者は天皇ではない。
これも少し極端な表現かもしれないが、入江氏は正に「君側の奸」ではなかったのか。
もしくは皇室を破壊する為に送り込まれた「異教徒の工作員」であるとも云える。

少々筆が滑りすぎた。
しかし、それほど入江氏の行ったことは罪が重い。
福田恆存さんも皇室祭祀の改変・削減について週刊文春(昭和五十八年一月某日号)に、
「もし、こんなことを宮内庁が続けるとしたら、陛下を救出する落下傘部隊がいりますねえ」というコメントを寄せている。

異教徒を天皇の侍従に据えてはならない、と深く痛感した。

ジェネリック医薬品は安全か

2006-11-23 00:17:30 | 社会・世相
「ジェネリック医薬品」という言葉をテレビなどでよく聴くようになった。
ジェネリック医薬品とは同じ成分、同じ効果で価格の安い薬のことだ。
新薬に比べて、開発時間や研究費などが少なくて済むので安い価格が設定できるのだという。(エーザイ株式会社のサイトを参照)

古人は「安物は高物」と言った。
安い物は品質が劣るから結局は高くつくという意味だ。
このジェネリック医薬品も安いがリスクはないのだろうか。
品質は本当に同じなのだろうか。
とある医師に尋ねると「当然、まったく同質ということはありません」という答えが返ってきた。
当然といえば当然である。
もう少し詳しく説明すると
例えば薬の成分には薬の形を整える際に添加物を用いるが、
その成分は新薬とジェネリック医薬品では異なるという。
添加物だけ違うのであればそれほど差し支えはないが、
安価にする為に薬の材料に異なる物を使えば、予期せぬ副作用が起こる可能性も否定できない。
その辺の事情は詳しく知らないのでこれ以上書かない。
が、少なくともジェネリック医薬品のリスクはゼロでは無いということは言える。

ところで、ジェネリック医薬品は最近になって急に持て囃されるようになった。
テレビCMも多量に流れるようになった。
無論、今までジェネリック医薬品が無かったわけではない。
少し前までは「後発医薬品」という名前であるにはあった。
ただ、広く知られていなかっただけだ。
政府もジェネリック医薬品をしきりに推奨している。
何故か。
ある医師は近年の医療費高騰に伴う消費者の不満を少しでも解消する為ではないかと指摘する。
これは好意的な解釈とその逆の解釈が出来る。
恐らく後者の方だろう。
国が推奨するものは疑ってかかった方がいい。

ビートたけし『たけしの20世紀日本史』

2006-11-18 01:42:44 | 書評・雑誌
ビートたけしの『たけしの20世紀日本史』(文庫版)を読んだ。
内容は、本書にもあるように「たけし流・20世紀日本史の教科書」という趣。
ビートたけしはやはり面白い。
何度も大笑いさせてもらった。
二十世紀の日本の歴史を面白おかしく評論しながら、時折、するどい指摘をしている。
例えば、乃木希典について書いた後の文。


「もう一人の神様、バルチック艦隊を敗った東郷元帥は、晩節を汚したというのがおいらの見方だね。(中略)
大艦巨砲主義に固執して、戦艦大和まで造っちゃうことになったのは東郷元帥の負の遺産だろうね。」



東郷平八郎は偉大な軍人だった。(最近の教科書には載っていないという。どういう料簡だ。)
日本海海戦で奇跡的な大勝利を収め、日露戦争で日本を勝利に導いた。
それゆえ、日本では東郷平八郎は軍神になった。
北欧やトルコなどでも尊敬を集め、トルコでは今だに「トーゴー」という名前の人が多いという。
トーゴービールについてはどうもマユツバらしいのだか、この名前の話は本当だ。(トルコに滞在した外交官の方からも直接聴いた。)
しかし、その勝ち方があまりにも強烈すぎた為、東郷をはじめ昭和期になっても多くの軍人は巨大軍艦に拘っていた。勿論、国民もそうだった。
時代は既に航空戦力が主力になりつつあったのに、そこを見誤ってしまった。
だが、そんな空気の中、山本五十六は今後航空戦力が主力になると確信していた。
山本が東郷平八郎に否定的な感情をもっていたとされるのもそう言った意見の食い違いもあったのだろう。

さて、もう一つ紹介。


呆れるのは、昨日まで「鬼畜米英」と叫んでいた人たちが、マッカーサーが来ると英雄か何かのように大歓迎したことだよ。
 うちの親父なんかも、「アメ公のやろうは大嫌いだ」とか「アメ公を見たら一発ぶん殴ってやる」とかいつも言ってた。
 おいらが小学校に上がる頃、親父に葉山へ海水浴に連れてってもらったことがある。
電車は満員でアメリカ兵がいっぱい座ってた。
おいらがまだちっちゃいものだから、アメリカ兵は席を譲ってくれて、おまけにチョコレートまでくれた。
 びっくりした親父は、バッカみたいに跳び上がって、それから電車の中だというのに土下座して、
「ありがとうございました。サンキュー」だって。普段はあんなに毒づいていたのに。
それ見たとき、だめだこの人はって思ったよ。
 帰る途中もずっと、「アメリカさんはいねえ」なんて「さん」付けで褒めまくる。
近所の人にも、「アメリカさんは何がすごいって、こいつにチョコレートくれるんだぜ」って威張ったりして。
日本は勝てないわけだ。チョコレート一つで、「鬼畜米英」が「アメリカさん」になっちゃうんだもの。さすが日本人だよ。



笑い話の中にも、日本人の性質を鋭く揶揄している。
あれだけの大戦争をやって全国の都市を焼け野原にされたのに、チョコレートに象徴されるように食べ物や自由、民主主義を貰った途端、「鬼畜米英」が「アメリカさん」になってしまう。
どこぞの国の人々にはけっして真似の出来ないメンタリティだ。
無論、アメリカの巧みな占領政策が効を奏したことは否定できないが、
やはり、日本人は恨みを持ちつづけることが出来ない民族らしい。

次に紹介するのは私が最も笑った箇所。
村山政権が誕生したことについて。


それにしても、どうしてあのジイサン首相になったんだろう。
 ようするに、息子たちがみんな集まっている時に、まんじゅうが一つしかない。
みんなに欲しいかと聞くと、おれが食う、おれが食うって、喧嘩してしょうがない。
 そんなにもめるならおじいさんにあげちゃおうって、おじいちゃん、これ食べなと言ったら、ありがとうよって。
食べないと思ってたら、意外に食われちゃった。あら、食いやがったって。その程度のもんだからね。



「あら、食いやがった」というセリフと当時の自民党幹部の顔が重なって可笑しくて仕方が無かった。
それにしても、芸人の中で政治や歴史を語っても野暮にならないのはビートたけしや立川談志くらいのものだ。
私は爆笑問題の太田は好きな芸人の一人なのだけれど、政治を語る太田ほど嫌いなものはない。
日本原論や日本史原論などの著作はちっとも野暮じゃないのに、
どうしてテレビだとああなってしまうのだろう。
太田がテレビで政治を語るとき、そこに一匙の諧謔も含まれていない。
顔を真っ赤にして青筋を立て大声で政治を語っている時の太田の醜さといったらない。
時折、取って附けたようにギャグを挟むこともあるが、
それは、熱く語ってしまった自分に気づき、その気恥ずかしさを誤魔化すためにやっているに過ぎない。
そんな太田が総理になって欲しい人の上位にランクされているというのだから、日本の政治が良くなる道理は無い。
今の政治家が悪いのは国民が悪いからだ。
私は政治家のレヴェルは国民のレヴェルを象徴すると思っている。

閑話休題。
さて、せっかくなので(というより、もう言い尽くしたので)あと二つ面白かった箇所を紹介したい。


(昭和十五年に)洋風芸名禁止というやつがある。ディック・ミネとかは全部ダメ。
その頃、デビューしてたら、おいらも「拍子たけし」か、「脈拍たけし」にされてたとこだったよ。



「銀輪部隊、マレー半島南下に成功」って言ったって、自転車ですうっと通り過ぎて行っただけ。
きちんとした占領政策があって、ポイントポイントを抑えていったわけじゃない。
 現地の農民から見たら、「あっ、日本人が来た。あっ、行っちゃった」という感じじゃないの。
勝ったというより通過だよ。通り抜けただけ。それで日本軍は強いと勘違いしてるんだから、世話ないね。



実際は、通り過ぎただけではないのだけれど、
「あっ、日本人が来た。あっ、行っちゃった」と感じた農民も居たことだろう。
日本軍のマレー半島快進撃もビートたけしにかかれば、ただの通過になってしまう。
かくも、ビートたけしの本は面白いのである。

「物売るっていうレベルじゃねーぞ!」

2006-11-15 01:37:39 | 雑記
チキソさんのブログの記事で知ったのだけど、
今、ネット上で話題になっている動画。

【物売るっていうレベルじゃねーぞ!】
http://www.youtube.com/watch?v=Cjx6MlWZ2LE

プレイステーション3(以下、「PS3」)の発売日当日の混乱を報道したニュース映像。
その中で、列の先頭附近に並んでいた男性の一人が「物売るっていうレベルじゃねーぞ!」と叫ぶ。
私は始め、動画を通して見てちっとも笑えなかった。
「関係ねーよ、列なんてよぉ!!」と言ったり、転売目的で多く買ったりする者がいて、
日本人の公衆道徳はここまで低下しかのか、と、いつものように嘆いてみた。
しかし、考えようによっては日本人って集団になると昔からこんな感じなのかもしれないとも思った。
いやいや、昔はもっと品格があったはずだ、などと不毛な思いを巡らしながら何度が見ていると、だんだん可笑しくなってきた。
やはり、男性のあの一言は面白い。

「物売るっていうレベルじゃねーぞ!」

動画を御覧になればおわかりと思うが、
威勢が良いようで実はかなり挙動不審に叫んでいる。
それで充分に面白い。(笑ってはいけないのかもしれないけれど)
しかし、可笑しさの核はなんと言ってもそのセリフにある。
「物売るっていうレベルじゃねーぞ!」・・・やっぱり笑える。

そもそも、「物を売るレベル」とはどんなレベルなのか。
そして、この時のレベルはどんなレベルなのだろう。
暴動レベルだろうか。いや、騒擾レベルかもしれない。
他にどんなレベルがあるのだろう。
「レベル」という単語を使うこと自体、ゲームおたくという感じがする。
考えれば考えるほど笑いがこみ上げてくる。
昨日など、この動画で十回は思い出し笑いをしてしまった。
始め、私に憂鬱な思いをさせたのち、笑いを提供するとは、この動画あなどりがたし。

ところで、また余計なことを書いて一部の人を怒らせてしまうと思うが、
私はいまのソニーのゲーム戦略が大嫌いなので、PS3なんかコケてしまえと思っているし、
私がそう願わなくてもあんなものは大コケすると踏んでいる。
以前、ソニーの悪口を書いた時は「任天堂信者」という称号と、荒らしのアスキーアートを頂戴した。
今度は何をもらえるのか密かに期待している。

何の為の核武装議論か

2006-11-12 02:20:46 | 政治・経済
ふみさんのブログに書き込んだ私の意見です。
なんだかここにも掲載したくなったので転載いたします(笑)

「非核と国民の安全  一番守りたいのはどっち?」
http://ameblo.jp/niryu-u/entry-10019738989.html#c10032038717

※上の記事に対する私の書き込みです。

------------------

核武装の議論すら封じようとする野党やマスコミの人々に問い質したいことは、
あなた方は民主主義の基本を何と心得る、ということです。
言うわずもがな、「話し合い」でしょう。
私はあまり「民主主義」も「話し合い」という言葉も好きではないのですが(笑)、
少なくとも、核武装に反対している人々は「民主主義」も「話し合い」もどちらも大好きな言葉であるはずです。
そう言う人々が、核武装という一つの意見を議論のテーブルから抹殺しようとしているのだからこれほど滑稽な図はありません。
結局、普段、民主主義や話し合いが大切だと言っている人たちも自分に都合の悪い「話し合い」は認めないんですね。
これでは、どこぞの国と変わりありません。
さて、皮肉はこれくらいにして、核武装についてですが、
私は今、早急に日本が核武装すべしとは思いませんが、
少なくともそういう議論はした方が良いと思います。
安全保障の議論はあらゆる事態を想定して行わなければならない以上、
日本の核武装も議論してしかるべきです。
すべては平和のためです。
この平和国家・日本で誰が核を持って他国を侵掠したいなどといいますか。
そんな人一人もいやしません。
そんなこと考える国は北朝鮮や中国だけで充分です。
仮に他国から核が飛んでくれば国敗れて山河無しです。
しかし、国や山は残らなくても日本国憲法だけは残るかもしれません。
そんな事態にならない為に核武装の議論をすべきなのに、感情的に絶対駄目だとか仰る人がある。
戦前は神国日本を盲目的に信じて国が滅びました。
戦後は憲法と非核三原則を盲目的に信じて国が滅びるやもしれません。

「溜める」は病の始めなり

2006-11-08 00:40:18 | 日記
丸一日寝込んでいた。
月曜日は文化祭の類で学校が休みだったので昼に起きたのだけれど、胃が気持ち悪い。
昨晩、スナック菓子をつまみながらビールを呑んだのがいけなかったと反省したが後の祭りで、吐き気が収まらない。
しかし、二日酔いにしては頭痛はしない。
ビールを呑んだといっても缶一本だけだし、いくら酒に弱い私とて、缶ビール一本で二日酔いになるほど弱くない。

とりあえず、お茶漬けをすすってエビオス錠を飲み胃腸の正常化を図る。
しばらく本を読んでいたが寒気がして床に入る。
今度は体の節々が痛くなってきた。
夕方になると今度は歩行も困難になるくらい体がだるくなった。
風呂に入ると幾分よくなるかと思ったがやはり駄目で熱を測ってみたら三十七度を越えていた。
私はインフルエンザに罹ったと思った。
風邪にしては鼻水や咳、喉の痛みは無く、節々が痛いだけで熱が出たからだ。
いや、しかし、インフルエンザなら喉くらいは痛くなっても良いはずだ。
この熱の正体は一体なんなのだ。
解っていることは普段、どんなことがあっても食欲だけはある私の食欲が無いということだけだ。
胃のむかつきはやはり続いている。
結局、私は一晩中、発熱に伴う体のだるさと胃のむかつきにうなされることとなった。
比喩ではなく私は本当にもがき苦しんだ。

翌日、病院へ行き、病名が判った。
先生によると「嘔吐下痢症」だという。
しかし、嘔吐下痢というくらいなのだから嘔吐や下痢があってしかるべきなのだがそれはなかった。
むしろ、便意を催してもちっとも出なかった。
先生が仰るには、今、嘔吐下痢症が流行っていて、幼児が罹ると激しい嘔吐や下痢を伴うが大人は胃のむかつきだけで納まるケースが多い、という。
発熱したのもこの胃が原因らしい。
私はやっと納得して病院を後にした。

思うに、嘔吐や下痢を伴っていたらもっと楽だったのではないかと思う。
出すものを出していたら、あんなにもがき苦しまずに済んだのではないか。
嘔吐や下痢の苦しみはあっただろうが、熱は出なかっただろう。
人間の体というものは悪いものを出すように作られていて、
殆どの場合、人間は体内からものを放出する時一種の快感を伴う。
クシャミも鼻水も唾も便も尿も出すと気持ち良いはずだ。
人によっては献血の時などに血を抜かれる時に心地よさを感じるという。
私は血を抜かれるのは嫌いで、それを気持ち良いなどと思ったことは無いが、
その感覚も実は理にかなっていて、医学的に見て人間は定期的に血を抜いた方が健康に良いらしい。
血を抜くとその分の溜まっていた老廃物が放出され新しい清潔な血が作られるからだ。
それゆえ、女性は定期的に血を流すので男性よりも平均寿命が長い。

やはり、どのようなものでも溜まって居るものは定期的に吐き出すのが良い。
お金だってそうだし不満だってそうだ。
特に心に溜まる不満は溜めていても良くないし、何より一気に噴き出した時が怖い。
最近、日本で中国韓国に対する批判が噴出しているのも
今まで溜めていた不満が一気に噴き出しているせいではないか。
その不満を今まで溜めさせていたのが誰であるかは野暮だから言わない。

昭和天皇とエレベーター

2006-11-06 01:57:43 | 歴史・人物
いつか紹介しようと思って忘れていた文章がありました。
昭和天皇について以前、『諸君!』の「紳士と淑女」に掲載されたものです。
以下、転載。

痛ましい事故とは全く関係ないが思い出したことがある。
エレベーターガールがハンドルを握り「五階。呉服売場でございます」と口上を述べながら手動で動かしていた時代の話である。
昭和三十年代のはじめ、昭和天皇が浅草のデパートで開催中の展覧会か何かにお出になった。
 行幸は社史に残る大事である。社長はじめ役員一同は、威儀を正して五階だか六階だかのエレベーターのドアの前に整列した。陛下ご到着。お出迎えの専務と侍従一人を従え、エレベーターにお乗りになった。
そこまでは無事だった。粗相があってはならない。エレベーターの運転には、社内トップのベテラン女子店員を当てた。
 ところがである。あまりの緊張からか彼女の手が震え、ハンドルに触れた。エレベーターは階と階の中間で止まり、ドアが開いた。
 何たることか、陛下の御姿は、畏れ多くも正しい位置より五十センチほど低かった。社長をはじめ全員が天皇を見下ろす角度である。彼らの背を冷や汗が流れた。
 ひとり昭和天皇は、顔色ひとつお変えにならなかった。グイと右足を上げて階段三段分はあったかと思う段差を一気に踏み越え、会場の床に立つや、何事もなかったかのように帽子を取って居並ぶ者どもに会釈された。地をはらう威厳、帝王にしかないものだった、と聞いたことがある。



昭和天皇のお人柄をよく示すエピソードですね。
それにしても、かつてエレベーターが手動で操作されていた事はこの文章を読むまで知りませんでした。

昭和天皇にはこのような逸話が沢山あって、
知れば知るほど私は昭和天皇に強く惹かれるものを感じます。
私は確かに保守的な人間で、人によっては右翼だとか天皇主義者だとか言う人がありますが、
実は政治的な意味での天皇にはあまり興味がないのです。
無論、日本に皇室は必要なものだと考えていますが、天皇を個人崇拝する気にはなれません。
(同時に天皇抜きのナショナリズムなんてものも信じる気にはなれませんが。)
が、昭和天皇は話が別で、掛け値無しに好きなのです。
結局、私は天皇主義者なのではなくて昭和天皇のミーハーはファンということになりましょう。

「文化の日」とは何ぞや

2006-11-04 02:30:14 | 雑記
今日(もう、昨日になってしまたが)は「文化の日」でした。
そもそも、文化の日とは何なのでしょう?
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としていそうです。
なるほど、詰まりはこの日は文化的な行いをしなさいということでしょうか。

文化の日について福田恆存さんは昭和二十九年十月、HNK移動講演会においてこう述べました。
少々長くなりますが引用します。

私は「文化の日」といふ言葉が大きらひであります。
その嫌ひな理由でも話せば、何か話になるだらうと、そのくらゐの考へで今日こゝへ參りました。(中略)
戦後、この日(文化の日(あび註))をはじめ、一年間の祝祭日がどういふふうにして出來あがつたか。(中略)
じつはばらばらで、統一がない。だれが決めたか知らぬが、私などはとても本氣でつきあふ氣がしないのであります。(中略)
戰前ですと、いふまでもなく全部統一があつた。それはなるほど、いちおうは皇室中心主義的な考へかたといへるかもしれません。祭日の據つて來たる理由は、全部、皇室の行事と關聯を保つてをりました。正月は四方拜、春季および秋季皇靈祭、嘗祭、新嘗祭、いづれも皇室の行事に、あるいは祖先をまつる道に關係がありました。しかし、もつと深く考へてみれば、なにも皇室中心主義のなんといふより以前に、それらは日本の農耕生活にもとづいてゐたのであります。むしろ皇室のはうが、それに據つたのです。
 ところが、戰後は、皇室中心主義も道もいけないといふことになつた。農耕生活も非合理的でばかばかしいといふことになつた。そこで過去の祭日は全部否定してしまつて、さつきのやうな奇妙な祭日をでつちあげたわけです。(中略)
「文化の日」といふと、もつとわけがわからない。戰後さかんに「文化國家」などといはれたことがありますから、たぶん武器を棄てて、やけになつた日本人が全世界に向かつて、「矢でも鐵砲でも」ではなく「文化で來い!」と意氣ごんだつけたものでせう。


つまり、戦前の祝日は日本の伝統文化に根附いていたが、
戦後はその統一性をすべて失ってしまったという事です。
確かに、文化の日と言われてもそこに伝統や文化の重みを感じることが出来ません。
「文化の日」は戦前は「明治節」という祝日でした。
明治節というのは明治天皇の誕生日(天長節)という意味です。

長々と引用してこう言うのは矛盾してるようですが、
私は「文化の日」がそれほど嫌いではありません。
むしろ、文化という言葉には親しみを覚えるし、文化の日の趣旨にも賛成です。
というより、私にとってこの日は「文化の日」というより「レコードの日」なのです。
あまり知られていないことですが、十一月三日は「レコードの日」でもあるのです。
こちらの方がしっくりくる。
それにレコードを聴く事はそれこそ文化的な行いでありましょう。
という次第でレコード(正確に言うとCDですが)を聴きました。
しかし、「○○の日だから○○をしよう!」という態度はどうなのでしょうね(笑)

私の女子アナ論

2006-11-03 23:35:26 | マスコミ・新聞
私はこれまでしばしば女子アナを批判する文章を書いてきた。
というもの、女子アナのアイドル化が目に余るからだ。
どの分野でもアイドル化するとろくなことが起こらない。
声優のアイドル化は演技の低下をもたらし、政治家のアイドル化は国政を誤らせ、
女子アナのアイドル化はアナウンス能力の低下をもたらした。
百歩譲って、アナウンス能力が備わっていれば文句は無いが、
アナウンス能力よりも、見た目やタレント性が優先されている。
特に八十年代の終わり頃から率先して女子アナのアイドル化を進めてきたフジテレビは罪が重い。
しかし、このことは一概に女子アナやテレビ局だけの責任ではなく、
女子アナのアイドル化を賞讃した視聴者にも問題がある。
視聴者がうけいれたからこそ、他局もそれに続いた。

さて、今年の10月5日号の週刊新潮に「人気女子アナ辛口実力診断」という特集記事が載った。
我が意を得たり。勇んで読んでみた。
そこに、フジテレビの高島彩(私の最も嫌いな女子アナの一人だ)を評論する文があった。

「女子アナ=タレントだと完全に勘違いしています。何かにつけて上目遣いで媚びを売る姿勢が鼻につきます。仕種のすべて、原稿の読み方にも媚態を含んでいて、ある意味、現代を象徴するアナウンサーです。70点」(南さん)

南さんは私より口が悪いようだが、概ね同意だ。(70点というのはよく分からないが)
特に「女子アナ=タレントだと完全に勘違いしています」という箇所。
しかし、繰り返すようだが、高島彩をそのように勘違いさせているのはテレビ局であり視聴者であるということを忘れてはならない。

この特集記事は私と同意見の文が載ったわけではない。
例えば滝川クリステルを評した以下の文章。

「私はあまり買っていません。ソツなくこなしていますが、面白みとか、個性といったものが見えてこない。内面から滲み出てくるものがないんです。65点をつけましょう」(志賀氏)

冗談じゃない。
この志賀氏のような者が女子アナに「面白み」とか「個性」を要求するから、
高島彩を初めとするろくに原稿も読めないタレントアナウンサーを誕生させてしまったのだ。
そもそも女子アナに限らず、アナウンサーに面白みや個性などいらない。
そんなものはあとからついてくるものであって、少なくとも重視されるべき事柄ではない。
アナウンサーに重視される能力はアナウンス力だけで充分なのである。
女子アナ嫌いの私が滝川クリステルを高く評価してるわけは、
滝川クリステルが「ソツなくこなす」ことと、いまの女子アナが失っている上品さがあるからだ。

最後に、読売ウィークリー(2006年10月29号)に掲載されていた小田島隆氏の文章を紹介しよう。
今回、私が指摘しなかった男性アナウンサーについて辛口の指摘をしている。

久米、古舘以来、あるいはもっと以前からなのかもしれないが、わが国のアナウンサーは、横道にそれている。
 彼らの頭の中では「アナウンス技術」とは、技巧に走り奇をてらうことを意味している。
であるから彼らは、普通の言葉を普通にしゃべることをさほど重視していない、っていうか、バカにしており、それゆえ、当り前の放送原稿をまっとうに読むことができなくなっている。(中略)
 彼らはどうして普通にしゃべらないのだろう。「個性的であれ」という、戦後教育の迷妄だろうか?
 ともあれ、しゃべりでメシを喰っている芸人は別として報道番組のキャスターや、VTRのナレーターのしゃべりは無難で無個性なのが一番だと思う。
 個性は、ちらりと見せる程度で十分。そう核兵器と同じ(笑)。

京都市の同和行政問題

2006-11-02 21:28:15 | 社会・世相
今日、夕方のニュースで京都市の同和行政の問題点を糾弾する内容の特集がなされていた。
良い機会なので京都市役所の同和行政問題についてテレビで報道されていたことを踏まえて以下に概要を述べる。

京都市では昭和四十八年から出身者の「優先雇用」を行ってきた。
「優先雇用」は同和行政の柱として行われてきたものであり、
市職員の採用に出身者枠を設けて採用するというもの。
この出身者の採用にあたっては解放同盟や旧全国連盟など運動団体が作成した採用リストを市役所に提出し、それに基づいて市役所が職員を採用していた。
ここで、問題になるのはその採用リストに掲載される人選の基準なのだが、
この基準は公務員として適切な人物であるかどうかは二の次であり、
「(政治的な)運動をいかに熱心にやっているか」を基準に作成されてきたという。
また、地元に住んでるなどと関係なく団体幹部の親類や友人知人なども優先的にリストに載せていた。
それゆえ、「優先雇用」で採用された職員の中には自分は市から採用されたのではなく、運動団体員として採用されたという意識があり、
市役所の上司に対しても「俺はお前たちから採用されたんじゃない!」と言いながら暴言を浴びせたり、指示に従わないということがザラにあったという。
こうして市役所の風紀は乱れてゆき、今年には京都市職員が児童買春や傷害、窃盗未遂容疑、覚醒剤取締法違反などで十三人も逮捕されるという事態に陥った。
この不祥事に対し市長も「同和行政の柱として行った優先雇用での甘い採用が大きな要因の1つ」(同年七月二十七日臨時区局長会にて)と発言している。
この「優先雇用」は平成十三年に廃止されたが、今なおその影響は京都の行政に深い陰を落としている。

以上である。

結局、解放同盟や旧全解連などの運動団体が作成していた採用リストに問題の核があるように思う。
運動をどれほど活溌にやっているかや幹部の親類・知人を採用の基準にしたことが間違いだったとしか言い様がない。
注意しておくが、この逮捕された十三人全員が出身者であったわけではなく、
優先雇用された人全員に問題があったわけはないと思う。
しかし、不適切な人選によってなされた「優先雇用」が市役所の風紀を乱したことは否定できない。
この同和行政の失政で一般の出身者に対しても風当たりが強くなっているのだとしたら皮肉なものである。
出身者の為に行ったことが逆に出身者の人々の首をしめている。
農協が農民の為になっていないように解放同盟などの運動団体も「民」の為になっていないのではないか。
現代の同和問題は差別の実態と同時に運動団体の問題点も正確に把握してゆかねば
本当の意味での差別の解消には繋がらないだろう。

これまで、そういった運動団体に対する批判はタブーだった。
だが、こうやってテレビでも公に批判されるようになったのだから時代は変わったということだろうか。

誤解の無いように書いておくが、本稿は出身者を批判したいのではない。
また、「優先雇用」についてもそれ自体はそれほど問題でもないと思う。
出身者の職業差別という実態はあったのだから、優先枠を設けることはあっても良いことだと思う。
すべては、市役所の採用リストを運動団体に丸投げしていた怠慢と、不適切な採用リストの作成を行っていた運動団体を批判したいまでだ。
それに被差別者への批判はすべて許されないなどという態度は余計に差別を悪化させることになるだろう。
今後、マスコミにもタブーにとらわれず悪いものは悪いという姿勢を期待したい。