あび卯月☆ぶろぐ

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エヴァンゲリオンの新作はいらない

2006-09-11 02:50:11 | 漫画・アニメ
新世紀エヴァンゲリオン10年ぶり新作

 社会現象にもなった90年代を代表するアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の新作映画が10年ぶりに製作されることが8日、分かった。「エヴァンゲリオン 新劇場版 前編」(07年7月公開)「-中編」(08年1月公開)「-後編+完結編」(08年6月公開)の全4部作。
 前、中、後編はテレビシリーズ26話を描き直すもので原画を一部再使用するが、音や背景を撮り直し、ほぼ新作に近い形になる。当時、ラスト2話は「終わり方が納得できない」と物議を醸した。劇場版も2作製作されたが、ファンの間で議論になっていた。そんな声に応えるため「-後編+完結編」は完全な新作で、ラスト2話を中心にきちんと最後まで描くという。「-前編」は既に映画監督の樋口真嗣氏(40)が新作絵コンテを完成。3DCGなど最新技術を駆使して製作される予定だ。
 「エヴァ」は侵略を試みるエイリアンに、巨大ロボット兵器を操って立ち向かう若者の苦悩と成長を描く作品。その経済効果は1000億円以上といわれる。関係者は、このタイミングでの新作製作の理由について「庵野(秀明)監督がエヴァブームのほとぼりが冷めるのを待っていたため」と説明している。
(日刊スポーツ) - 9月9日10時2分更新


記事を目にして仰天すると同時に「冗談じゃない」と思った。
庵野は何を考えているのだろう。
はっきり云ってエヴァの新作など観たくない。
というより、作って欲しくない。

今回は良い機会なので『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、エヴァ)について書いてみたいと思う。


私にとってエヴァとは事件であった。
私がエヴァを初めて見たのは平成十五年。
既にブームから七年余りの月日が流れてからだった。
古本屋でビデオを安売りしていて、「あれだけ話題になった作品だから試しに観てみよう」と思い購入したのがきっかけ。
八話くらいまで観て何が面白いのかさっぱりわからなかった。
元来、私はロボットアニメや戦闘系のアニメに興味がない。
故にガンダムも観たことがないし、今後も見ようとは思わない。
それはさておき、エヴァ八話目を見終えて続きを見たいとは思わなかった。
ただ、最終回のオチだけ知りたくなって再び古本屋に赴き、
一冊五十円で売っていたエヴァの「フィルムブック」を買って最終回を読んでみた。
その時の衝撃たるやなんとも云いようがない。
まったく意味がわからなかった。
今考えればただの洗脳フィルムとでも云えようが、
当時、私はある種の不安感に襲われる程の衝撃であった。
そしてその時初めてエヴァはただごとではないと悟り、
その後、ビデオも手に入れ、TV版の最終回に衝撃を受け、劇場版の最終回では虚脱感に襲われた。
あの「終わり方」こそエヴァのエヴァたる所以だし、現在に至っても根強いファンがいて、
今だ作品の内容について牛の涎の如くだらだらと不毛な議論が交わされるのである。

さて、エヴァは既に過去のものである。
そして、死んだ過去ではなく生ける過去なのである。
何故そうなのかというと先述した通りあの救いようの無いラストにある。
私はあのラストが好きだ。
ほとんどのアニメがハッピーエンドで終わるというお約束を打ち破り、
しかも難解な用語や設定の謎を謎のまま一切明かさないまま、という離れ業をやってのけた。
エヴァは既存のアニメに対するアンチテーゼという見方もできる。
言わば一般アニメファンを悉く打ちのめしたのだった。
私にはその態度が非常に痛快だった。

それが、今度、「きちんと最後まで描く」という。
プロデューサーの大月氏はイタビューで
「わざわざ難解な語句を撒き散らすようなテクニックはもうつかわない。」
と述べている。
要は、ラストをわかりやすいスッキリしたものにするということだろう。
これはエヴァにとって自殺行為だ。

何度も云う。
エヴァはあの「スッキリしない」終わり方をしたからこそエヴァであるのだ。

勿論、エヴァに人気の理由があのラストだけにあるとは云わない。
作品の質そのものが高いということは云うまでも無く、
作画や映像技術など、どれもハイクオリティなものだ。
なにより、エヴァの登場人物(殊二に綾波レイ)が魅力的であることは
エヴァ人気の支柱を支えている。
これは、エヴァ後に所謂「綾波キャラ」が乱出し、
今ではキャラの性格の一種としてパターン化されていることからも明らかだ。

つまり、エヴァはあのラスト無しでも十分ハイクオリティなのだ。
しかしながら、いや、だからこそ、あのラストを作り直すのはいただけない。
作画技術も構成もキャラもしっかりしている上にあのラストだったからこそやはりエヴァは「すごい」のである。

ところでエヴァのような作品はパロディが多く作られる。
所謂「アンソロジー本」と呼ばれるものである。(所謂「同人誌」とは少し違う)
なぜなら、エヴァのようにキャラが魅力的かつ特徴的で、
内容が複雑で謎が多くさまざまな解釈が出来る作品はパロディのし甲斐があるからだ。
そして救い様のないエヴァだからこそギャグ化すると余計に楽しい。
私などはエヴァの本編よりもパロディの方が好きなくらいだ。
(特にムービックから出版されたアンソロ本は大変質が高い)

私は以前、庵野監督のことを「嫌い」だと書いた。
この認識は今でも変わらないどころかますます強くなっている。
まさか、エヴァを作り直す愚行に出るとまでは思わなかった。

さて、恐らく多くのエヴァファンならぬエヴァヲタクも私と同じような感想を抱いているのではないだろうか。
エヴァには私のようなひねくれたヲタが附きやすいのだ。
みな自分の中に自分だけのエヴァンゲリオンを持っている。
そしてこのようなくだらぬ駄文を綴るのである。