今日は昭和の日でありました。(既に昨日になってしましましたが)
やはり、昭和天皇の天長節だったからには「みどりの日」よりは「昭和の日」の方がしっくりきます。
一部には昭和の日なんて復古調だという意見もあるようですが、なにも、昭和の日は昭和天皇を偲ぶというだけの日ではありません。
もっと広く昭和という時代に思いを馳せる日だと思います。
もっとも、私が昭和天皇を敬愛していることはじじつです。
昭和天皇は、知れば知るほど好きになる。
色々な意味で昭和天皇には敵わないという思いがあります。
幼い頃、昭和天皇の悪口を聞いた事の反動なのかもしれませんが、やはり、昭和天皇には並々ならぬ思いがあります。
それは、単純に天皇だからということではありません。
むしろ、天皇という立場でありながら人間としても洵に立派な方であられた。
どうも、昭和天皇の事になると厳正中立でいられない自分がいます。
(今の陛下に対してはそうでもないのですが(笑))
こんなことを書くとまた右翼などと呼ばれそうですが、自分では単純に昭和天皇のファンだと思っています。
ミーハーなだけかもしれません。
天皇の話はこのくらいにしておきます。
昭和という時代は様々なことが起こりました。
日本の歴史を語る上で最も重要な時代かもしれません。
最近、昭和時代を良い意味でも悪い意味でも見直す動きがさかんです。
それは、昭和が終わり二十年近く経ち、日本人自身が昭和という時代を客観的に捉えることが出来るようになってきたからではないでしょうか。
私は洵に歓迎すべきことだと思いますし、そういう意味でも今年から四月二十九日がみどりの日から昭和の日になったことは大変意義のあることだと思います。
繰り返しますが、昭和期に日本人は多くのことを経験しました。
恐慌、満洲事変、支那事変、大東亜戦争、敗戦・占領、経済復興・・・。
どの出来事にも光と闇が存在します。
そして、我々日本人は歴史を知り反省するべきだと思います。
反省と云っても、侵掠戦争をして諸外国に迷惑を掛けたから反省・謝罪するべきだとか、そういうことではありません。
むしろ、光と闇の部分を明らかにし、それを教訓とし未来に活かすべきという考えです。
そういう意味の反省です。
昭和をひたすら美化したり、或いは醜化してもおそらく未来に活かす事はできないでしょう。
むしろ、普通の意味で反省すべきは昭和時代を詳しく理解しようとしてこなかった今の我々なのかもわかりません。
私は今、某大学院で昭和前期を研究していますが、左右どちらの史観にも与さず、なるだけ、客観的に歴史を見つめなおそうと努めています。
このことが、今後の日本の為になるなら、これ程嬉しいことはありません。
とはいえ、あまり大仰に構えず自分なりに研究を進めたいと思います。
そんな感じで「昭和」に思いを馳せた一日でありました。
やはり、昭和天皇の天長節だったからには「みどりの日」よりは「昭和の日」の方がしっくりきます。
一部には昭和の日なんて復古調だという意見もあるようですが、なにも、昭和の日は昭和天皇を偲ぶというだけの日ではありません。
もっと広く昭和という時代に思いを馳せる日だと思います。
もっとも、私が昭和天皇を敬愛していることはじじつです。
昭和天皇は、知れば知るほど好きになる。
色々な意味で昭和天皇には敵わないという思いがあります。
幼い頃、昭和天皇の悪口を聞いた事の反動なのかもしれませんが、やはり、昭和天皇には並々ならぬ思いがあります。
それは、単純に天皇だからということではありません。
むしろ、天皇という立場でありながら人間としても洵に立派な方であられた。
どうも、昭和天皇の事になると厳正中立でいられない自分がいます。
(今の陛下に対してはそうでもないのですが(笑))
こんなことを書くとまた右翼などと呼ばれそうですが、自分では単純に昭和天皇のファンだと思っています。
ミーハーなだけかもしれません。
天皇の話はこのくらいにしておきます。
昭和という時代は様々なことが起こりました。
日本の歴史を語る上で最も重要な時代かもしれません。
最近、昭和時代を良い意味でも悪い意味でも見直す動きがさかんです。
それは、昭和が終わり二十年近く経ち、日本人自身が昭和という時代を客観的に捉えることが出来るようになってきたからではないでしょうか。
私は洵に歓迎すべきことだと思いますし、そういう意味でも今年から四月二十九日がみどりの日から昭和の日になったことは大変意義のあることだと思います。
繰り返しますが、昭和期に日本人は多くのことを経験しました。
恐慌、満洲事変、支那事変、大東亜戦争、敗戦・占領、経済復興・・・。
どの出来事にも光と闇が存在します。
そして、我々日本人は歴史を知り反省するべきだと思います。
反省と云っても、侵掠戦争をして諸外国に迷惑を掛けたから反省・謝罪するべきだとか、そういうことではありません。
むしろ、光と闇の部分を明らかにし、それを教訓とし未来に活かすべきという考えです。
そういう意味の反省です。
昭和をひたすら美化したり、或いは醜化してもおそらく未来に活かす事はできないでしょう。
むしろ、普通の意味で反省すべきは昭和時代を詳しく理解しようとしてこなかった今の我々なのかもわかりません。
私は今、某大学院で昭和前期を研究していますが、左右どちらの史観にも与さず、なるだけ、客観的に歴史を見つめなおそうと努めています。
このことが、今後の日本の為になるなら、これ程嬉しいことはありません。
とはいえ、あまり大仰に構えず自分なりに研究を進めたいと思います。
そんな感じで「昭和」に思いを馳せた一日でありました。