あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
お気軽にコメントなさってください☆

社保庁に言いたいことは数々ある

2007-06-30 01:56:38 | 政治・経済
マスコミの尻馬に乗って云うわけではないが、私も社保庁に言いたいことがある。
二年前、二十歳になったので年金を払う手続きをしに社会保険事務局に行った。
本当は私は学校があったので母親が行った。
以下、母親の代わりに私が語る。

社保庁職員に私の名前を言うと、「もう、払われている方ですね」と云う。
こちらは今から払うと言っているのにもう払っているとは解せない話だ。
結局、同姓同名がいた関係で勘違いしたらしいのだが、
つまり、私の場合は払っているのに未納と言われたのではなく、未納なのに払っていると言われたのだ。
そのままにしてやってもよかったが、そういうわけにはゆかないのできちんと年払の手続きをしてもらった。

払った後、領収書を送ってくれと頼んだのに待てど暮らせど届かない。
電話で問いただすと「すでに送付したはずだ」といって取り合わない。
しかも、「あなた何か勘違いしてるんじゃないですか?」という横柄な対応でそれだけでも腹が立った。
この件、このあと第三者を交えて一悶着あったのだが、詳細は省く。
結局、向こうの勘違いだったようだ。

送ってきた領収書を見ると、名前がすべて片仮名表記になっていた。
再び尋ねると「苗字の漢字が難しかったから」などと小学生のような答えが返ってきた。
今年、妹も年金を払うようになって領収書を見てみたらきちんと漢字表記になっていた。
あの言い訳は嘘だったと知れた。

私は社保庁も年金制度も信用していないが年金を払うは国民の義務だと思うので払っている。
しかも自弁しているので年間のバイト代はこれに消える。
考えれば考えるほど悲しくなるのでこのことを考えないようにしている。
はやく社会人になりたいものだ。

確認できない年金が五千万件あるという。
社保庁職員は国民年金と厚生年金は他人事と思って蔑ろにしたから、年金が消えたのだが、共済年金は自分たちのことだからミスはほとんどなかった。
そもそも、扱い方(処理の仕方)がまったく異なっていた。
なぜ、このような事態になってしまったのか。
これは社保庁の自治労の問題抜きには語れない。
社保庁の労組は他の労組に比べて抜きん出て強く、仕事をしない、愛想が無いで有名だった。
労組の酷さは国鉄の国労を上回っていたという。
仔細に明るくないのでこれ以上は書かないが、あの対応を見ると頷ける話である。

ところで、なぜ今になってこのような年金問題が噴出したのか。
風の噂によると、社保庁が解体されるからだという。
それでは話が逆ではないかと思われるかもしれないが、そうではなくて、社保庁の解体が決定されたのは今の消えた年金問題が出る前だ。
解体されるならなるべく自分たちの意向を反映した形で解体再編して欲しい。
年金問題が明るみに出て批判の矢面に立たされるのは政権政党つまり自民党だ。
自民党が選挙で不利になれば自治労とつながりのある民主党が勝つかもしれない。
勝たなくても発言力が増す。
つまり、いまの年金問題が明るみにでたのは社保庁の自爆テロだったというのである。
真偽は御覧になった方々に御任せするがなかなか面白い話ではある。

そうそう、社保庁は職員のボーナスを返納するという。
でも、騙されてはいけない。返納されるのは一部で、二分の一から二十分の一まで幅がある。
二十分の一返納して何が返納か。

マスコミが一斉に叩くものは本当に叩かれるべきか怪しむ必要があるが、社保庁はもっと叩かれてよい。

一国の人々を抹殺するためは

2007-06-28 23:12:12 | 政治・経済
宮澤喜一・元総理が死去した。
私が小学一二年頃の総理だ。
宮澤氏は自民党の鳩派だったと言われている。
宮澤氏の母方祖父は小川平吉という政友会の大物で、
鉄道大臣時代、全国の駅名をすべて右横書に改めさせ、
書き添えれれていたローマ字を削除させるほどの国粋主義者だったが、
孫の代になると随分左旋回したようだ。
いや、宮澤氏のことを書きたいのではない。
河野洋平のことだ。

さきほど、報道ステーションで政治家たちの宮澤氏への哀悼のコメントが紹介されていたが、
その中で河野洋平が「最近では歴史観に欠ける政治家が増えて」云々と言っていた。
冗談じゃない。歴史観に欠ける政治家とはあなたのことだろう。
河野洋平が「政治的配慮」の為にどれほど歴史を歪曲し改竄してきたか。
慰安婦が官憲や日本軍によって強制連行されたなどというありもしない物語を認めてしまった。
国賊、売国奴と言われてもしかたない。(日本の多くの政治家がそれに似たようなものだが)
日本人は本気でこの嘘を覆さなければ今後とも、ずっと日本人は冤罪を背負う事になろう。
歴史に平気で嘘をついて、我々の御先祖様と子々孫々に申し訳が立たないと思わないのか。
思わないから平気な顔をして上のようなことが言えるのだろうが、
そもそも歴史を知らないから嘘を本気で信じているのかもしれない。
知っていてやっているなら、今すぐ割腹したほうがいい。
割腹などと言うと批判を受けようが、そのくらいの覚悟が無い政治家は政治家になるべきではないと最近つとに感じる。

ともあれ、歴史を知らない事がいかに恐ろしい事か。
ミラン・クンデラは「笑いと忘却の書」のなかでこう述べた。

一国の人々を抹殺するための最初の段階は、その記憶を失わせることである。
その国民の図書、その文化、その歴史を消し去った上で、誰かに新しい本を書かせ、新しい文化を作らせて、新しい歴史を発明させることだ。
そうすれば間もなくその国民は、国の現状についても、その過去についても、忘れ始めることになるだろう。


これを読むと、まさに戦後の日本にピタリと当てはまっていてゾッとする。
いまこそ、右にも左にも与さない史実に基づいた国民の歴史を構築させる時だと思う。

支那人留学生への質問

2007-06-27 23:43:24 | 政治・経済
いま、週に一度英語の授業を受けている。
私は英語が苦手且つ嫌いだが、必須だから仕方が無い。
大学院の授業なので学生は九人。
内、日本人は私を含めて三人。あとは支那人留学生だ。

この英語の教授、合間に留学生に質問することがある。
しかし、その質問内容が当り障りのあるものだから面白い。

例えば、こんなやり取りがあった。

教授「最近、福岡の空がよどんでいるんですが、あれ、中国からの黄砂の影響じゃないですか?」
留学生「かもしれません・・・」
教授「しかも、あれ、有害物質含んでいるでしょ?」
私も思わず「その影響で先月、北九州では光化学スモッグ警報が出ていました」と発言してしまった。
教授「君たち、国に帰ったら有害物質出すなって云ってよ。困るから。」
私も調子に乗って前に坐っていた留学生に「お願いします(笑)」と続けた。
留学生は一斉に苦笑いを見せた。

そのあとも、
教授「上海はいま、発展が凄まじいでしょ?」
留学生「そうですね。ビルが沢山建っています」
教授「上海は資本主義が徹底していますからね」
留学生「・・・・。」

資本主義といった途端、皆の顔がこわばった。
資本主義はまだまだ中国共産党下の支那では禁句なのだと知れる。

以前にも、台湾の話題になったとき、
教授「台湾は中国の云う事聞いてくれませんか?」
留学生「あまり、良い関係ではないですね。」
教授「台湾をあまりいじめちゃ駄目だよ」
留学生「いじめてませんよ!(笑)」

このやり取りはなかなか愉快だった。
親台派の私としても中共には台湾をいじめないことを願う。

断わっておくが、この教授まったくのノンポリなのである。
ノンポリだからこそ怖いもの知らずで何でもいえるのだろう。
私はその反対だから逆に気を遣ってしまって、中共批判を留学生のまえでする事は無い。
上の黄砂の件は例外で少しばかり勇気がいった。

とはいえ、ひと口に支那人といっても様々な考えの人が居て、中国共産党に懐疑的な人も多く居る。
他の講義では留学生と中国に言論の自由が無い事について話したりしたし、
私がなぜ支那という言葉を遣うかについても話をしたこともある。
(今の中国共産党下の支那は便宜上、中国と言うが)
それらのことについてはいづれまた書きたい。

誰が「看護婦」を殺したか

2007-06-15 13:45:47 | 言葉・国語
小田嶋隆さんのブログから引用。


たとえば、オダジマの著作からも「看護婦」という言葉が削除されている。おどろくべきことだ。単行本を文庫化する際に、チェックがはいったのだ。
「あのー、校閲の方から、この《看護婦》は、《看護師》に言い換えてくれという要望がはいっているんですが」
「……っていうか、これ、とあるご老人が、《看護婦さんに子供扱いにされた》ことについて述べた言葉を引用した文章ですよ。その文章の中の《看護婦》を《看護師》に変えたら、引用が成立しなくなるじゃありませんか。だって、昭和の時代に《看護師》なんていう言葉を使う爺さんが存在したはずないんですから」
「ええ、おっしゃることはよくわかるんですが、これは会社の方の方針ということで、どうしても《看護婦》はマズいらしいんで」
「……本当に《看護婦》という言葉そのものが丸ごとNGなんですか?」
「ええ、……すみませんが」
「……じゃあ、いくらなんでも《看護師》なんていう薄気味の悪い言葉を使うことはできないんで、《病院の女性スタッフ……》ぐらいにしますか?」
「ええ、申し訳ありませんがそう直してください」
 と、おおよそ以上のようなやりとりがあって、オレの「看護婦」は抹殺されたわけだ。



耳から血が出るくらい驚いた。
いくらなんでも無茶苦茶だ。
言葉はこのようにして殺されてゆくのか。
私はこういう事実に何よりも強い怒りを覚える。
看護婦は差別語になったのか。
いや、絶対に違う。
「看護婦」という言葉に微塵の差別もありはしない。
どころか、「看護婦さん」という響きは多くの人にとって温かいものであるはずだ。
「看護婦さん」には親しみや安心、優しさなど多くのニュアンスが内包されている。(少なくとも私にとっては)
それゆえ、国が「看護婦」を「看護師(←一発変換すらできなかったではないか)」に言い換えよと強制して来ても私は今まで「看護婦」という呼びで通してきたし、今後もそうする。
実際、今でも「看護婦」を使っている人は多いと思うが、絶滅するのは時間の問題だろう。
この件だけに限らない、今、日本は「良心的」な人たちによって言葉がどんどん殺されている。
言葉を変えるということは前の言葉を殺すことである。
無論、言い換えてしかるべき言葉もあるかもしれない。
しかし、多くの場合その必要がなかったり全く無意味であったりする。

ついでに言っておくと、
昭和時代の人が「看護師」なんて言葉を使うはずがないわけで、
極端な話、これは言葉の抹殺と同時に歴史の歪曲・捏造まで行っているわけだ。
「看護婦」には否定的なニュアンスはないが、
否定的なニュアンスが含まれるいわゆる差別語でも歴史的な文脈で使用する場合は別の言葉にしてはならない。
これは以前にもなんども言ったことだからくり返さない。

そういえば最近、福岡県では「障害者」という言葉を「障がい者」に改めたという。
なんという片手落ちだろう。
「害」という漢字の印象が悪いというのなら「障」は良いのか。
それに、「がい」と平仮名にしたところで元の意味は変わらない。
そもそも、昔は「障害」を「障碍」ないし「障礙」と書いていた。
「害」が嫌なら昔の漢字に戻しては如何だろう。
いづれにしても、「障がい者」という漢字と平仮名のごちゃ混ぜ字はヘンテコだし、なんとも偽善的な臭いがして嫌だ。
いや、「障害者」という言葉は変えたければ変えればいい。
「障害者」という言葉自体が「片輪」や「不倶者」の言い換えなのだし。

しかし、「看護婦」を「看護師」にするのは本当に許せない。
第一、「看護師」だとその人が男性なのか女性なのか聞いただけでは区別がつかない。
かつて「カンゴシ」といえば「看護士」ですなわち男性だった。
それが、看護婦もカンゴシと呼ぶようになって区別がつかなくなった。
医療現場においてはカンゴシが男性か女性かは重要な場面がある。
なのにごっちゃになってしまって大変わずらわしい。
なので、最近の医療現場では看護師を男性と女性とに区別する為に
女性の看護師をナースと呼んでいたりする。
おい、それじゃあ、看護婦と一緒だろうが!

看護婦という言葉を殺したのはジャンダフリー論者とその周辺の連中だろう。
看護婦さん達が自ら「看護婦という言葉は差別的で嫌だ」と主張したという話は聞いた事がない。
私はああいう連中(教条的なジェンダーフリー論者)をほとんど気違いだと思っているが、自分たちにしてみればそれが正義なのだろう。
無論、それにのった国や行政、それに屈した出版社も同罪である。
この国はなんとも気持ちが悪い。
それは言葉が気持ち悪くなっているからである。
「平等」「人権」「反差別」「正義」という美名の下に
なんでもかんでも幼稚な言葉に変えたり、「良心的」な言葉に変えている。
極端な正義は悪よりも悪であり、良心的は良心に近いもので良心ではない。
政治主義の確信犯ならなおのこと悪い。
特に最近では「看護婦」の例にあるようにジェンダフリー論者の横暴が目に余る。
連中の横暴を看過し続けるならじきに「婦」という漢字が含まれる言葉は一掃されるだろう。
私にはそれが遠い未来のことではないように思われて暗澹たる気持ちになるのである。

「著作権法の非親告罪化」大反対

2007-06-08 02:12:38 | 漫画・アニメ
http://news.ameba.jp/2007/05/4871.php
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_b72f.html

とんでもない法案が審議されている。
著作権法が非親告罪化されるかもしれないかもしれないのだ。
竹熊健太郎氏は「パロディ同人誌などにも深刻なダメージが加わる可能性があります。」と述べているが私もそれを危惧している。
先日の「ドラえもん最終話」事件のように他の同人作品も同様にかたっぱしから規制されたら堪ったものではない。

先日もコメント欄に書いたが「海賊版」は明らかに著作者の権利を侵し、ひいては著作者に多大なる不利益をもたらす。
が、一方、同人誌に代表される二次的、三次的作品は厳密な著作権の問題はあるにしても、著作者に不利益をもたらすどころか有益に成り得る。
じじつ、私は同人作品やアンソロによって本編への興味が一段と湧いているクチで、「つよきす」に関して云えばアンソロ本を先に読んで後からゲームを買った。
同人作品と商業作品は上手く共存できると信じている。
どころか、同人作品の繁栄は漫画界全体の繁栄に繋がるとさえ思っている。

もっと深く云うならば、同人作品には当然ながら質が低い物が多い。
エロをテーマにしたものも多くあり、誰が見ても有害なものもある。
しかし、文化は多様性の上に成り立っている。
ピラミッドに譬えるならば底辺が広くて大きいほど、大きなピラミッドになる。
その底辺を構成する大きな要素が同人作品なのである。
つまり、同人作品を規制することは漫画文化全体の衰退に繋がる。
漫画が嫌いな人にとってはどうでもいいことかもしれないが、私のように漫画文化を愛する者にとっては一大事である。
考えてみれば、同人作品だけでなくパロディ漫画も滅びるではないか。
『銀魂』や『ハヤテのごとく』あたりも駄目になるだろう。
特にパロディが大好きな私にとっては余計に危機感を覚える。
この国の役人は何処まで文化を破壊すれば気が済むのか。
少し前に江川達也が云っていた。
「日本が漫画大国になったのは国が関与しなかったからだ」と。
至言である。
国が関わるとろくなことが無い。
日本は国が漫画を無視していたからこれほどまでに漫画文化が繁栄したのである。


この著作権法の非親告罪化は漫画だけの問題ではない。
音楽やその他著作権が絡む分野すべてに関係する。
乱暴に云えば官憲が「これは著作権違反だ」と判断すればしょっぴかれるのである。
これはかなり恐ろしい。
私は治安維持法より悪法だと思う。
何を以って著作権法違反であるかは実に曖昧な部分があり、主観によってかなり左右される。
例えば、これはあの漫画と絵柄が似ている、この曲はあの曲と曲調が似ていると官憲が判断すると著作権法違反になる可能性もある。
ジャスラックは今、それをやっている。
喫茶店でハーモニカでビートルズを演奏していた老店主が著作権法批判で逮捕されたのは記憶に新しい。
小田嶋隆さんも書いておられたが喫茶店で店長がビートルズを演奏するなんて本来、ほのぼのとした情景ではないか。
別にビートルズで商売をやっていたわけではないのに逮捕とは酷すぎる。
ジャスラックは戦前の特高警察か。
じきに鼻歌を歌っても逮捕される時代が来るだろう。
それは言い過ぎだと思われるだろうか、しかし、そういう時代が来てからでもう遅いのである。

李登輝前台湾総統来日

2007-06-06 02:26:36 | 政治・経済
五月三十日から台湾、前総統の李登輝さんが来日している。
マスコミは中国に阿ってか、或いはどうでもいいと思ってか、あまり報道していない。
しても、李登輝さんが靖国に参拝したいと述べた事ばかりを取り上げて中国政府が反撥するだろうなどと云う。
私が見ていないだけなら謝まるが、テレビでも李登輝さんの旅路を伝える報道はほとんどされていないように思う。
YouTubeで検索したら台湾のテレビの映像ばかり出てきたので台湾語の映像で李登輝さんの旅路を見た。
とても嬉しそうな表情をされており、見ていてこちらも心が温まった。

私は李登輝ファンであり、親台湾派である。
政治的なことを抜きにしても台湾が好きだ。
李登輝さんが漫画『男塾』に出てくる男塾塾長・江田島平八のコスプレをしたことを最近知りますます好きになった。(※写真参照)
台湾についての本や台湾人が書いた本も何冊か読んだが、どれも台湾人がいかに親日かが伝わってきてなんだか申し訳ないくらいだった。
昭和天皇が崩御された際、多くの台湾人が涙を流したという話は台湾がいかに親日かを物語っている。
今は世代交代が進んでそうでもないという意見もあるが、いやいや、いままででも充分である。
悲しいことに台湾が親日であることを知らない日本人が多い。
データは持っていないが過半数だと思う。
それだけでも大変申し訳ない心持ちがする。
向こうが好いてくれているのにこちらはちっとも振り向かないので、私は振り向く事にする。

李登輝萬歳!台湾萬歳!

台湾と日本の友情が末永く続きますように!