あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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2008年十大ニュース

2008-12-30 02:08:17 | 社会・世相
今年も一年の締めくくりに、「讀賣新聞」読者が選んだ十大ニュースについて振り返ってみたりしてみる。
今年は日本編だけでなく海外編にも触れてみる。

まづは日本編から。


▼10位 洞爺湖サミット、温室効果ガス排出量半減の長期目標

洞爺湖サミットといえば、銀魂の銀さんの持っている木刀が売れたことが一番のサプライズだったろうか。
あとはどうでもいいことばかりだった。
各国首脳が植林した苗木も別の場所に移されたりとなにからなにまでお粗末な印象。
CO2の削減目標が決まったらしいがこれもどこも守らないって。


▼9位 岩手・宮城で震度6強、13人死亡

被災され方に衷心より御見舞い申し上げます。
自然災害がおこるたび人間の無力さを感じぜざるをえない。


▼8位 東京株、バブル後最安値を記録

世界恐慌の余波ですね。
この度の不景気は日本は何も悪いことしてないのにね。
米国を中心としたバクチ打ちのせいで庶民は痛い目をみる。


▼7位 元厚生次官宅襲撃事件で3人死傷、出頭の無職男を逮捕

これ、結局一人の狂人が起こした突発的な事件だった。
政治的な意図も薄い。
この事件を以って時代の変化を感じ取るのはいささか誤謬があるように思う。


▼6位 後期高齢者医療制度スタート、保険料の年金天引きなどに批判

「後期高齢者医療制度」という名称は批判が出て「長寿医療制度」という通称を使うことになったが、結局定着していない。
それはさておき、後期高齢者のための医療制度を整備すること自体本来間違っていないし、年金の天引きも便利なシステムなはずで、この点がなぜ批判されるのか今ひとつ理解出来ない。
問題は制度の中味で特に低所得者の負担が増大するというのが一番の問題だ。
この辺の不備を改めると理念は間違っていないと思うのだけど。


▼5位 東京・秋葉原で無差別7人殺害

新自由主義を推し進めた政治家の誰それ、経団連の誰それを殺害さいたというならまだしもなんの罪も無い一般市民を殺害しているのにもかかわらず、一部に犯人を英雄視する声があるのは暗澹たる思いがする。
恐慌で社会が不安定化するとこういう事件はますます増えることが予想される。
こういう不安定要素を掬い取るのが本来政治の役割で、政治がその役割を果たせない時、戦前のように右翼と左翼が隆興する。
もう、その予兆がありはしないか。


▼4位 北京五輪で日本は「金」9個、競泳・北島選手ら連覇

ありましたね、北京五輪。
そうですか、日本は金メダルを九個も(?)獲ったのですか。
私は非国民だからちっとも存じ上げませんでした。
北島も好きか嫌いかで云うと嫌いだし。


▼3位 ノーベル物理学賞に南部、小林、益川氏、化学賞には下村氏

国内十大ニュースで唯一、明るい話題。
益川さんのツンデレっぷりはいかしていました。


▼2位 福田首相が突然の退陣表明、後継は麻生首相

麻生総理が批判されている内容をみると、失言とか漢字が読めないとか。
政策面での批判が出せないということはけっこういい総理なんじゃないの。


▼1位 中国製ギョーザで中毒、中国産食品のトラブル相次ぐ

これが一位になるというのは2008年はなんだったんだろうと思う。
毒ギョーザ事件は結局未解決。
日本でも食品の偽装は相次いだが、食べて死に至るというケースは皆無。
改めて中華帝国の素晴らしさを思い知った。
そろそろ日本人もかの国との附き合い方がわかってきたようで、これについてはめでたい。


お次は海外編。

▼10位 インドネシアで鳥インフルエンザの死者100人超す

海の向こうのことに興味の無い日本人の一人だからこのニュース知らなかった。
こわいね。


▼9位 北京五輪の聖火リレー、世界各地で混乱

日本人は忘れっぽいから五輪の前後、中共のチベット侵掠に反対するデモが各地で起きたことや五輪の最中も中共はチベット人を殺していたことなんてすぐに忘れちゃうんだろうな。
歴史を振り返るとベルリン五輪の九年後にナチスドイツが崩壊し、モスクワ五輪の十一年後には旧ソ連が解体する。
さて、中華人民共和国はどうなりますやら。


▼8位 チベットで大規模暴動

二十一世紀になっても中共だけは二十世紀前半の感覚でいるようで、チベットへの侵掠を現在進行形で続けている。
ところで、日本の平和団体はなぜこの現実から目をそらすのだろう。
日本の過去の侵略とかアメリカのイラク侵攻には敏感なのに中共が同じこと、いやそれ以上のことをしているのに知らん顔。
このダブルスタンダードっぷりというか、神経の図太さには敬服の至りです、はい。


▼7位 インドの商都ムンバイで同時テロ、邦人1人含む163人死亡

こういうテロの歴史的背景をさぐっていくと行き着くところは嘗ての欧米列強だ。
そうインドの場合はかつてここを植民地にしていたイギリス。
世界中にある紛争ってほとんどは二十世紀以前の負の遺産。


▼6位 ミャンマーでサイクロン被害、死者・行方不明者13万人超す

ミャンマーの混迷も先程のイギリスが無関係ではない。
意固地になってしまった現軍事政権に民主化への道を歩ませるにははてどうしたらよいものか。


▼5位 NY原油、最高値147.27ドルを記録

一時はどうなることかと思った。
ガソリン一リットル180円台になったときはもうどうしようかと。
今回の原油高の主因は原油先物取引への投機だった。
原油とかそういう生活必需品をバクチの道具に使うのはやはり狂ってるよなあ。


▼4位 北京で五輪開催

今年はなにかと中国ネタが多かった。
領海侵犯とかもしっかりやってくれたし。
一方で『ストライク・ウィッチーズ』に支那人のヲタたちが感動するなんていうニュースもあった。
こういう心温まる(?)ニュースももっと取り上げるべきだろうと思うが如何。


▼3位 米証券大手リーマンが破綻(はたん)、米国発の金融危機が世界に波及

米国式の経済はいつか破綻すると謂われていたが、案外早かった。
お金ってなんなんだろう経済ってなんなんだろう。


▼2位 中国・四川大地震発生、被災者1000万人超の未曽有の大災害

被災者の方々に心より御見舞いを申し上げます。
私の知人の支那人も被災者の一人で、実家が揺れたという。
一時、被災地に自衛隊が派遣されるという話があったが、流れてしまい残念だった。
日本軍へのイメージを好転させる好機だったのに。


▼1位 米大統領選でオバマ氏勝利、米史上初の黒人大統領誕生へ

小浜市や小浜温泉がこれに便乗したのはさすが商人国家だとむしろ微笑ましく思った。
一つ、水を指すことをいえば、オバマ氏は黒人とはいえ、白人の血も入っている。
だから、純粋(というと語弊があるかもしれないが)な黒人ではない。
あと百年すれば純粋な黒人大統領も誕生するだろうか。
それと、オバマというか民主党が政権を獲ったのだから、日本政府及び日本企業は相当の覚悟をしておいた方がいい。



まとめに「毎年暗いニュースばかり続く」なんて書こうとしたが、よく考えてみると暗い話題だからこそニュースになるんであって、「今年の漢字」候補に毎年「乱」がノミネートされる如く乱れていない年なんてない。
要はそういう世の中をどう生きるかで、高杉晋作が云ったとされる「面白き事なき世を面白く」という言葉の深さを改めて感じ入る年の瀬だ。
来年こそは面白く生きたいものですね。

天皇陛下からのお電話

2008-12-24 23:46:21 | 歴史・人物
―田中君、ちかごろよく天皇から電話がかかってくるんだよ、さびしいって。
天皇はぼくよりちょっと年上だからね。江上、ちょっと話をしたいんだがと。そうすると宮内庁から車が迎えに来て行くんだよ。
―はあ、どんな話をなさるんですか。
―それは騎馬民族説でね。天皇家は馬に乗って朝鮮半島を通って日本にやってきた、って申し上げるんだ。すると天皇はとても興味をもってきいてくれるんだ。


以上は高島俊男さんの『お言葉ですが・・・』八巻で紹介されている田中克彦さんの「騎馬民族説と江上波夫の思い出」(『図書』2003年七月号)の一節だ。
ここでの天皇は昭和天皇を指す。
高島さんは「小生たまげた。雑誌の記事でこんなにびっくりしたのははじめてだ」と感想を述べている。
つまり、普通の人間とはまったくことなる方というイメージの昭和天皇が臣民にジーコジーコ電話をかけて「もしもし」なんてとても想像できない、と。
私もそう思う。
昭和天皇御自身が自ら電話をかける姿は想像できない。

そこで、高島さんは「電話をかけてきたのはおつきの人」、「皇居へむかう車のなかで先生(あび註:江上波夫)が「突然のお召しで驚きました」と言うと、おつきの人が「陛下もおさびしいのでしょう」と頬笑んだ」のではないかと類推されている。
そして、
「あのかたが臣民にむかって「ぼくはさびしい」なんぞ仰せになるはずがない。威厳にかかわる。やっぱり「朕」でないとね」
とも書いている。

これ、実際のところどうなのだろう。
まず、江上波夫さんが田中克彦さんにこの話をしたのは二十年前。
2003年から遡れば1973年頃になる。
戦前は言わずもがな、戦後とはいえ天皇陛下が一国民に直接電話を掛けることはありえるのだろうか。

作家の牛島秀彦は宮内庁の侍従に「天皇、皇后、それに皇太子などに、直通電話はないんですか?」と質問したエピソードを『昭和天皇と日本人』(河出文庫)に書いている。
この質問に侍従は
「御居間に、直通電話はございません。ただ侍従などの連絡用のインターホーンがあるだけです。お住まいになっている吹上御所には、方々に直通電話がありますから、そこへ行かれれば、技術的にできないことはございませんが、陛下が直接電話口に出られたり、ダイヤルをまわされることは、ないんです……。すべて用件は侍従を通してなされるわけです。ええ、直接陛下宛にかかってくることもありません。いえ、いろんな電話がかかってくることは、もちろんありますが、直接おつなぎなどはしないわけです」
と答えた、とある。

このことから、江上さんが言った「ちかごろよく天皇から電話がかかってくるんだよ」というのは天皇陛下から直接というのではなく、高島さんの推理どおり侍従などおつきの人からの電話と考える方がよさそうだ。

ただ、昭和天皇が一般国民と直接電話した例が二つほどある。

一つは二・二六事件のとき。
事件発生の翌日夜八時、昭和天皇は事態の状況を把握するため麹町署に直接電話をお掛けになっている。
電話に出たのは当時二十八歳の大串宗次巡査。
電話口から「ヒロヒト、ヒロヒト・・・」と声がする。
大串巡査はピンと来ず、電話は一旦切れてしまった。
今度は別の声で「いま、日本でいちばん偉いお方がお出になる。失礼のないように」とおごそかにいう。
この非常事態のときになにをタワケたことをと大串巡査は少しムッとしたという。
すると、先刻の「ヒロヒト」の声。
大串巡査はわけがわからぬまま、「ヒロヒト」の質問に答えた。
「鈴木侍従長は生きているか」
「はい、生きております」
「それはよかった。間違いはないか……」
「昼間、確認してきました。(略)」
「総理はどうか」
「たぶん生きているでしょう」
「証拠はあるのか……」
「かねてより、非常事態にそなえての避難所が設けてあります」
「それだけでは、難をのがれたかわからんではないか」
「それ以上の情報はとれません」
「それではチンの命令を伝える。総理の消息をはじめ状況をよく知りたい。見てくれぬか。……名前はなんていうか」

ここにきて大串巡査は戦慄を覚える。
「チン(朕)」の一言に声の主は天皇陛下だと気づいた。
巡査はできる限り状況を見てくる旨を伝え、自分の名前は緊張のあまり、「麹町の交通です、麹町の交通でございます」とだけ答えた。
電話はそれで切れ、大串巡査はその後、天皇に報告する機会はなかったが、戦後の昭和二十五年、警部に昇進した大串氏は皇居拝謁の栄に浴する。
その際、昭和天皇は侍従を通じて「この中にコウジマチコウツウはいないか」とお尋ねになったという。

もう一つの例は戦後の御巡幸のとき。
昭和二十二年六月六日、朝日新聞大阪本社にて朝日新聞東京本社の長谷部重役と通話されている。
翌日の朝日新聞の記事はこの模様を次のように伝えている。

長距離電話は初めてなのか、受話器を強くおつけになったり離されたり、お額にはじっとりと玉のような汗、このとき東京本社の長谷部重役は陛下がおききだとのことに電話口に出て「天皇陛下でいらっしゃいますか」陛下は前かがみにお体を起こして目をパチパチとされる。
「こちらは東京代表の長谷部でございます。おきこえになりますか」
「…………」
「もし、もし、おきこえになりますか」
「ウーン、いまきこえる」
とお答えになった。
「先日は東京の美術展覧会にお出でをいただき、今日はまた大阪本社に行幸いただきまして有りがとうございます。新聞社の御印象はいかがでございましょうか」
陛下「大変に――ずいぶんいそがしいように思った。はじめてみて大変によい印象をえた」


この記事からは昭和天皇が電話に不慣れであることが読み取れる。
それにしても、陛下が朝日新聞社の重役と電話され、新聞社の印象を述べられるというのも興味深い。

他にも昭和天皇が一般国民と電話をされた例はあるのかもしれないが、私が知っているのはこの二例のみ。
(他に御存知の方がおられたら是非お教えください)

ところで、高島さんは天皇の一人称について「やっぱり「朕」でないとね」と書いている。
じじつ、大串巡査に対しても「朕」と述べておられる。
が、普段、人とお話になるとき昭和天皇は御自身のことを「私」と述べておられた。
これは戦前でも周囲の人にはそうだった。
所謂、終戦の御聖断を決せられた御前会議でも閣僚の前で「外に別段意見の発言がなければ私の意見を述べる」と一人称に「私」を使われている。
戦後、細川隆元と語られたときもやはり「私」でとおされている。(細川隆元『天皇陛下と語る』参照)
大串巡査に「朕」と云ったのは天皇が臣下に対し、命令を伝えるという特殊な状況だったからだろう。
いわば、個人的に会話をしたのではなく、勅語や詔勅に近いかたちだ。
むろん、戦前の勅語や詔勅のなかではすべて「朕」が使用されている。

さて、以上は昭和天皇のお話。
昭和天皇の時代は基本的にまず侍従が相手に電話を掛けてから天皇に取り次いでいた。
ところが、皇室ジャーナリストの松崎敏弥さん監修の本(『皇室 素朴な大疑問』雄鶏社)によるといまの陛下の時代になってからはすべて自分からかけられるようになったという。
だから、江上さんが言ったように「ちょっと話をしたいんだが」ということもあるかもしれない。
それでも、天皇陛下から直接お電話をいただくことは考えにくい。
あっても、御学友など古くからの友人に限られるのではないか。
いや、もしかすると、なんらかの方法で陛下と懇意になれば、陛下から電話が掛かってくる日がくるのかも。


*****
参考文献:
高島俊男『お言葉ですが・・・9 芭蕉のガールフレンド』(文春文庫)
黒田勝弘、畑好秀・編『昭和天皇語録』(講談社学術文庫)
松崎敏弥[監修]『皇室 素朴な大疑問』(雄鶏社)
牛島秀彦『昭和天皇と日本人』(河出文庫)
『グラフィックカラー昭和史 14 昭和史と天皇』(研秀出版)
細川隆元『天皇陛下と語る』(山手書房)

M-1グランプリ2008

2008-12-22 00:15:08 | テレビ・芸能
もうM-1の季節か。
毎年、M-1が来るスピードが早くなっている気がするのは歳をとったからか。
毎年恒例、M-1の感想などを。


▼ダイアン
去年よりずっとよかった。
サンタを知らないという設定で結構イイ線いっていた。
西澤のゆったりとしたボケ、嫌いじゃない。
ただ、やはり、M-1向きじゃないのかも。


▼笑い飯
もう、なんというか不遇だなぁこの二人(笑)
今年は自分たちの芸風を茶化したりと余裕が感じられた。
牛の鼻が片方つまるなど、笑い飯節も冴えていて安定感もあった。
なんで、決勝戦に進出できないんだろう。


▼モンスターエンジン
「よってここに表彰します」のくだりは面白かった。
あのネタにスピード感があればもっと高評価だったかも。


▼ナイツ
いつもの、言葉間違いネタ。
なんどか見たネタだからそれ自体特に笑えなかったが、
眼鏡を掛けているのがツボで必ず笑ってしまうというのは良かった。
一本目の後半、下に走ったのが気になった。
私が談志師匠なら「下ネタ嫌いなんですよ」といって低い得点をつけていたと思う。
二本目のスマップネタは結構笑えた。
どの曲も「ガラスの十代」だったところは爆笑。


▼U字工事
かなり笑えた。
「磯山・・・ あの女、茨城の女だからな!」
「栃木テレビだと放送禁止」「妹は俺が茨城にスパイとして送り込んだだけ」
「栃木県警に通報されたらどうするんだオメー!」
こういう御当地ネタは個人的に大好き。
栃木弁っていいね。
本当に栃木と茨城は仲悪いんだろうか(笑)


▼ザ・パンチ
やはり、M-1のタマじゃなかったか。
嫌いじゃないんだけどなぁ。
松尾さんは「細かすぎて伝わらないモノマネ」で、モー娘ファンのモノマネをやっていた人。
私はツッコミ役の松尾さんよりああいうマニアックなネタの方が好きだ。


▼NON STYLE
うあー、このコンビが優勝か。
私はそんなに笑えなかった。
なんだろう、面白くないとは思わないけど、私の好みではなかった。
非マニアックなベタな小ネタの繰り返しや若者感が受け付けなかった。
(街灯のネタは面白かった)
島田伸介が云っていたが今年のM-1は好みの問題だった気がする。
ところで、左のボケの人の名前がイシダアキラ(石田明)だって。
これに反応した人は声優ヲタ確定。


▼キングコング
どうしちゃったんだろうね、キングコング。
実力が去年の半分くらいしか発揮できていなかったように思う。
今年は笑い飯とキンコンの勝負になると予想していたのだけど、まったく外れしてしまった。
にしても、キンコンはレギュラー番組も持っているし、もう十分売れているから別にM-1チャンピョンの称号は必要ないのではないだろうか。


▼オードリー
春日は見ているだけで面白い。
「駄目だコイツ会話できねぇなぁ」。
これ、春日のネタ中のキャラを的確に評した言葉だ。
ダムのところはまったくツボに入らなかったりとか、あぶない感じがしてとっても面白い。
噛んでも面白いというのはやはり、キャラのなせる技。
二本目のネタの手で声を表すというのは兄妹揃ってツボに入ってずっと笑ってしまった。
私としては彼らが優勝。


今年のM-1は全体的にレヴェルが下がった感があった。
というより、M-1向きじゃないコンビが多かったように思う。
去年のサンドウィッチマンのような終始大笑いしてしまうというコンビは見当たらなかった。
NON STYLEが優勝してしまったことはやはり解せない。
来年には期待したい。

益川節、本日も健在なり

2008-12-11 23:13:38 | 歴史・人物
少し前、忌野清志郎が「なぜ悲しいニュースばかりテレビは言いつづける?」と歌っていた。
この歌、筑紫哲也も好んだらしいが、それはさて置き本当に日々嫌なニュースが続く。

例えば改正国籍法。
この法律が通って早速フィリピン人の母親とその子供10組がマニラの日本大使館に国籍取得申請を提出した。
日本人を父親とし、フィリピン人の母親と同国で暮らす子供は推定数万人とも云われ、これからますます新日本人が増えるだろう。
事実上、誰でも日本人になれる法律を作って一体この国は何を考えているのだろう。
新たに日本人になった外国人を養ってゆくだけの財力と土壌がこの国にあるのだろうか。
一部メディアはこの国籍法に反対する人たちに外国人差別主義者のレッテルを貼っている。
もうなにも云うことは無い。
「この国を見限ってやるのは俺の方だ」と今度は中島みゆきの歌の一節が頭に流れた。


さて、以上は前起き。
こんな嫌なニュースばかりの時節にあって、ノーベル賞授賞式のニュースは明るい話題だった。
中でも益川さんは期待どおりといおうか、お馴染みの益川節で私たち(少なくとも私は)をまた楽しませてくれた。

御存知のように英語嫌いの益川さん。
授賞式前の記念講演も「I am sorry.I can not speak English.( すみません。私は英語が話せません)」と前置きをした上で、日本語でスピーチをおこなった。
授賞式前の記念講演を日本語でやったのは川端康成以来、二人目。
スピーチ終了後、益川さんは「恥ずかしかったね。こんな世界中の人が注目してるところで『わたしは英語 がしゃべれません』と(云うのは)」と照れてみせた。

また、記者の「これから英語の勉強は?」という問いに、
「しません。日本語で論文を書いて世界中の連中に読ませてやると、そう思っていました」
と痛快な答えも。

理系の論文というのは英語で書くという暗黙の諒解がある。
日本人をはじめ世界中の科学者がそれにしたがっているが、「いや俺は日本語で書いて世界中の連中に日本語で読ませてやる」というのはいかにも益川さんらしい。
報道ステーションを見ていたら朝日新聞の解説委員様もこの発言を「いいですね」と褒めていた。意外。

益川さんの発言をうけてか、昨日の授賞式では三人の日本人受賞者に対し、史上初めて日本語で謝辞が送られた。
授賞式後の晩餐会ではスウェーデンのビクトリア王女の前に坐った益川さん。
「女性皇太子?の前で大変光栄だった」と仰っていたが、王女を「女性皇太子」と表現するところもなんだか可愛くてよかった。

文系の私が云うのもなんだが、日本人四人がノーベル物理学賞、化学賞を受賞したことで少しでも若い世代の理系離れにストップが掛かれば幸いだと思う。
ところで、下村脩さんは日本人というよりドイツ人に見えるのは私だけではないはずだ。

三億円事件の真相

2008-12-11 02:28:40 | 歴史・人物
三億円事件の犯人は女子高生だった、という内容の映画が宮崎あおい主演で作られているという。
その宣伝を兼ねて今日のミヤネ屋で三億円事件の特集をやっていた。
事件の真相を詳しく解説してくれるのかと期待して見たら真相は謎のままというような中途半端な締め方でがっかりした。

三億円事件は事件発生からすでに四十年が経ち、およその真相が確定している。
詳細は以前、スーパーモーニングで放映されたが、ウィキペディアにも記されていない箇所があるので、以下、三億円事件の真相について書いておく。


結論から先に述べるならば、三億円事件の犯人は事件があった府中市に近い立川市に住んでいた当時十九歳の少年Sだった。
少年Sは立川市で車両窃盗を繰り返した非行少年グループのリーダー格。
そして、彼の父は現職の白バイ警官だった。
捜査一課も当初からこの少年をマークしていた。

というのも少年がそれまでやっていた窃盗の手口が三億円事件のそれと酷似していて、
例えば、少年が車を盗む手口は車の三角窓を割ってロックを解除し、エンジンとスターターを直結させるというもの。
これは三億円事件の時に使用した車を盗んだ手口とまったく同じ。
また、少年のグループは発炎筒をダイナマイトと見せかけてスーパーマーケットを襲撃するということもやっている。
地元出身で土地勘があり車やバイクの運転技術が巧みだったことに加え、刑事の聞き込みによって少年たちのグループは東芝か日立の金庫を狙う計画があったことも判明。
少年のアリバイについても事件当日はもちろんのこと、犯行に使われたオートバイや逃走用のカローラが盗まれた日のアイバイも確認できなかった。

三億円事件の五日後、警察は父親に少年を出頭させるように要請した。
その夜、少年宅附近で聞き込みをしていた刑事が少年と父親が激しく言い争う声を聞いている。
その騒動から四時間後、少年は青酸カリを飲み救急車で病院に運ばれ、そのまま深夜一時頃に死亡、帰らぬ人となった。
早速、極秘裏に現金輸送車に乗っていた銀行員が死亡した少年の面通しをした。
顔の輪郭、目、鼻、口など詳細に分類された項目があったが、結果はよく似ているが大半だった。

これで、少年Sが犯人だったとほぼ確定したといってよい。
しかし、第一の被疑者が死亡し、またその父親が現職の警官ということもあり、事件の真相は長い間闇の中に葬られることになった。

ところで、少年の死因について青酸カリによる自殺だとされているが、その青酸カリは父親が知り合いの板金工から譲りうけたものであり、その青酸カリを入れたビンの包みから少年の指紋は発見できなかった。
早い話が、少年は自殺ではなく父親から殺されたあるいは、自殺を強要されたということになる。
少年の仲間(死の前日にも会っている)も少年について絶対に自殺するような奴ではなかったと振りかえる。

しかし、まだ謎が残る。
一つは少年の血液型はA型で脅迫状の切手のB型と異なり、筆跡も異なったということ。
もう一つは三億円はどこへ消えたのかということだ。

私なりに答えを出せば、脅迫状については少年のグループの別の人物が書いたことが充分にありえる。
よって、脅迫状の切手の血液型と少年Sの血液型が異なることはなんら不思議なことではない。
三億円のゆくへについては当時、産経新聞の記者だった高山正之氏によると「少年宅の庭で焼かれた」(高山正之『世界は腹黒い』まえがきより)のだという。
少年自身が焼いたのか父親が焼いたのか、また日時は不明だが、少年の家の庭から三億円分の札束を焼いていたらしき煙が上がっている目撃談もあった。
しかし、このことも結局、新聞社と警察との「しがらみ」で書けなかった。

いま、四十年の時を経てやっと真相が明るみになってきた。
ミヤネ屋ではまだ「しがらみ」があるのかどうか知らないが、謎のままとしていた。
もはや知っている人は知っているんだからそろそろ、誰か真相を伝える本でも出したらどうか。
いっそ、映画にでもすれば客も入るだろう。
犯人はあこがれの大学生に誘われて犯行に加担した女子高生だった、なんて陳腐な映画よりずっと観てみたい。

アメリカ人が称賛する日本の倹約社長

2008-12-04 19:25:41 | 社会・世相
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081203-00000002-jct-bus_all
http://news.livedoor.com/article/detail/3923658/


経営再建中のJAL、西松遥社長の倹約ぶりがネット上で反響をよんでいる。
というのも、この西松社長、市営バスで通勤し、昼食は一般社員と一緒に社員食堂に並ぶ。
社長室も廃止して、給料はパイロットより低い年収九百万。

この模様をアメリカのCNNが取材し、記者が
「世界でトップ10に入る航空会社のCEOの生活としては奇妙なのでは」
と問うと、社長は
「そんなおかしいですかね? I don't think so strange.(そんなにおかしいとは思わない) だと思うんですけど」
とさらりと語った。

その映像がユーチューブに投稿されるやいなや、米国で大反響を呼んだ。

「米国のCEOは彼を見習うべきだ」
「金融危機の時代にあって、経営者のモデルとなりえる」
「この人はすごい」
「米国では、このような強欲と富にまみれていないCEOは珍しい」

など好意的な意見が大半だ。

「日本ではCEOは、それほど価値あるものだとは認識されていないので、今回の件も、それほど驚かない」

という日本の企業の実情を良く知っている人と思われるコメントもみられる。
この意見はまったくその通りで、アメリカでは一般社員と経営者の給与の差は日本のそれとは比べものにならない。
資本家と労働者という区別が歴然とあるといっていい。
一方、日本には本当の意味の資本家はいない。(最近はあやしいですけどね)
日本の企業経営者のほとんどは一般社員出身だ。
それに、日本の倹約の美徳も相俟ってアメリカとは異なる社長像がそこにある。
その辺の事情を知らないアメリカ人が驚くのはもっともなことだ。

ちなみに、日本から資本家が姿を消したのは戦後になってからのこと。
戦前は資本家も地主もいて、いまよりずっと格差があった。
これが近衛内閣以後の経済体制改革によって姿を消し始め、戦後の農地改革とインフレによってほとんど消滅した。
近衛文麿は支那事変以後の処理を誤ったため、右からも左からも評判が悪いが戦前の格差社会の解消に一役買ったことはもっと評価されていい。

近年では小泉純一郎が登場して再び戦前並の資本主義をやろうという方向づけがされているが、同じ道を辿っても結局また荒廃した国土を見るハメになるのではないかと危惧している。

JALの社長は戦前の経営者ではなく、戦後日本の経営者だ。
アメリカはまだまだ日本でいうと戦前の経済をやっている。
最近はサブプライム問題で痛い目をみてやっと目が醒めかけているが、まだまだ懲りていないと思う。
アメリカは倹約の思想は見習わなくてよいけど(註)、戦後日本の経済システムの良いところは是非見習って欲しいと思う。


*****
註:質素倹約は美徳であるけども、経済のためには良くないので見習わなくていい。