あび卯月☆ぶろぐ

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廣田弘毅は善人か

2009-03-20 01:24:06 | 歴史・人物
先日、テレビ朝日で廣田弘毅を主人公としたドラマ『落日燃ゆ』をやっていた。
原作は城山三郎の同名小説。

ドラマの中で登場人物はみな中華民国のことを「支那」と呼んでいた。(註1)
NHKのドラマ『白洲次郎』では戦前なのに「中国」と言っていて違和感があったが、こちらの方は自然。
また軍部は概して悪として描かれているが、二・二六事件については青年将校を単なる暴徒と描くのではなく、彼らなりに叛乱を起こす理由があったという視点を取り入れていたことは意外だった。

疑問が残ったのは主人公、廣田弘毅の描き方だ。
いや、原作が廣田を美化して描かれた『落日燃ゆ』だし、ドラマの主人公なのだからそりゃあ美しく描かれるのは当然なのだが、歴史学の視点から見ればツッコミどころが多くある。

まづは個人的な感想として北大路欣也は廣田弘毅のイメージとかけ離れている。
もう少し地味な感じの人がいいと思った。
(北大路さん好きですけどね。ソフトバンク犬の声もこの人)

そして、廣田弘毅が近衛首相や軍部と対立してでも支那事変に一貫して反対の立場をとっていたかのように描かれていたが事実は多少異なる。
確かに、廣田は支那事変に反対の立場であったが、閣議の席ではほとんど反対らしい立場をとっていない。

支那事変の発端となった盧溝橋事件が起きたとき、外務省は事変の拡大に大反対だった。
そこで、外務省の石射猪太郎東亜局長(註)は七月十一日の閣議に向かう外相廣田弘毅に陸軍大臣が主張する五個師団出兵案に反対するよう要請した。
ところが、この案は閣議であっさりと可決される。
閣議から戻って来た廣田に「万一に備えて……ということだから、その程度ならよかろうと同意した」と聞かされた石射は「野獣に生肉を投じたも同然」と落胆した。

その後も事変の拡大と不拡大で陸軍と外務省との駆け引きは続くが、やはり廣田は閣議で発言せず、馬場内相からも「ちっとも発言しない。自分のような素人が見ておっても甚だはがゆい」と嘆かれている。
一向に収拾しない事態にたまりかねた石射ら外務省高官は廣田に辞表を突きつけるが、廣田は一喝してこれを退けた。
無論、石射らが辞めても事態が収拾するわけではなかったからだが、石射はよほど肚に据えかねたのだろう、日記に
「廣田外務大臣がこれ程御都合主義な、無定見な人物であるとは思はなかつた」
「今度のような事変に、彼の如きを外務大臣に頂いたのは日本の不幸であるとつくづく思ふのである」
(註3)と綴った。
その後も彼の日記には廣田に対する酷評が並んでいる。
その中の一つ紹介すると、

廣田外相は時局に対する定見も政策もなく、全く其日暮し、イクラ策を説いても、それが自分の責任になり相だとなるとニゲを張る。
頭がよくてズルク立ちまわると云ふ事以外にメリットを見出し得ない。それが国士型に見られて居るのは不思議だ。
(註4)

と書いている箇所がある。
これはあくまでも石射の見方ではあるが、『落日燃ゆ』で描かれているものとは随分かけ離れた廣田像がここにある。

ドラマで廣田が軍部の拡大方針に流される近衛に軍紀粛清を訴え事変の収拾を詰め寄るシーンがあった。
でも、それはフィクションだと思う。(少なくとも私の手元にある資料では廣田のそういった行動は確認できない)
それどころか、廣田はまったく逆の行動をとっている。
南京陥落後の昭和十三年一月十五日に開かれた大本営政府連絡会議で国民政府(中国)との和平交渉継続を主張する陸軍参謀本部に対して内閣は和平交渉打ち切りを主張した。
業を煮やした多田駿参謀次長が「政府はいざとなれば総辞職すればいいが、軍部に辞職はなく陛下にも御辞職はない」とまで云ったがこれに対して廣田は「長い外交官経験に照らして中国に誠意が無いのは明らかだ。参謀本部は外相を信用しないのか」と反論し、結局、悪名高き「国民政府は対手とせず」声明に至っている。
勿論、廣田が主張したように、支那側に和平を受け入れる意思があったのかは疑わしいが、交戦相手を無視して戦争は終結できない。
この声明はその後の支那事変の泥沼化を決定づけたと言っていい。

廣田は自身のこのような行動について戦後、巣鴨での尋問の際、「あのような戦争には反対だったが、陸軍が状況を左右していたのでやりようがなかった」と弁明している。
だからと言つて廣田は自分が無罪だとは主張しなかった。
裁判の手続き上、無罪と云わされはしたが彼は自己弁護に固執することなくすべてを受け入れた。
このような潔さが彼の人気の要因になっているのだろう。
それにしても、臼井勝美が言うように廣田のような「実務的な外交官」があの非常時に外相に居たことは一種の悲劇だった。
それは廣田自身にとってもだし、日本国民にとってもだ。
石射は廣田をけちょんけちょんに貶しているが、私は彼は善人だったと思う。
そして、善人だったからこそ時代の空気に翻弄され、A級戦犯として文民として唯一死刑の罪を被ったのではないだろうか。
いづれにしても悲劇の人に映る。

なお、死刑執行直前のシーンで原作の描写通り廣田のみ万歳をしていなかったが、これもフィクション。
死刑執行に立ち会った教誨師、花山信勝が廣田も万歳したことを自身の著書に書き残している。
歴史家の秦郁彦氏によると花山師は晩年になっても廣田が板垣征四郎、木村平太郎とともに両手をあげ、もろともに万歳を唱えたのをはっきりと記憶していたという。


******
註1:ただし、廣田は「中国」と呼んでいた。
註2:東亜局長は現在のアジア大洋州局長にあたる。
註3:『石射猪太郎日記』167-8頁(昭和十二年七月十七日の段)。
註4:同、182頁(同八月十八日の段)。

丸岡アナの「御心ずかい」

2009-03-18 02:55:56 | マスコミ・新聞
日本テレビの丸岡いずみアナが「おもいッきりイイ!!テレビ」で麻生首相の誤字を指摘して、反対にそれは間違いではないのではとの批判を受けている。
丸岡アナが誤字を指摘したのは麻生首相が女性記者らに送った礼状の文面。
そこに「御心ずかい」とあったのを「御心づかい」が正しいとやった。

確かに現代表記でも「心遣い」は「こころづかい」が正しい。
今現在ウィキペディアの丸岡いずみの項には「旧仮名遣いでは「御心ずかい」の方が正しく」とあるが、これは間違い。
旧仮名遣いでも「づかい」が正しい。
じゃあ、麻生首相の表記は間違いだったのかというとこれは少し難しい問題になる。
というのも、終戦後の昭和二十一年に示された内閣告示(第三十三号)で現代仮名遣いでは「づ」は基本的に廃止して「ず」を用いると定められ、これが廃止される昭和六十一年まで「遣い」の正式表記(註)は「ずかい」だったのだ。
当時の広辞苑を開いても「心ずかい」とある。
つまり、麻生首相の世代は「ずかい」で習ったことになる。
まとめると、今現在の内閣告示によると「遣い」は「づかい」が正式とされているが世代によっては「ずかい」と表記する場合もあるといったところだろうか。
それに、私信の文面で仮名遣いが正式でないことなど、旧仮名遣いを用いていた戦前でもよくあったことだ。
だから、「ずかい」を誤りとするのは少々微妙な問題になる。
まぁ、正假名(歴史的假名遣ひ)派の私にとっては「遣い」の仮名表記は断然「づかひ」で、それ以外の表記は誤りだなんて言いたいところであるが。

そもそもこの件については前段があって、バレンタインデーに首相番の八人の女性記者が麻生首相にチョコをプレゼントしたことに始る。
麻生首相はホワイトデーのお返しにICレコーダーをプレゼントして、これには「これで発言を録音して正確な報道を心掛けてください」との皮肉がこめられていた。
良く言えばエスプリをきかしたともいえる。
皮肉で返された記者は我慢ならない。
そこで、添えられていた首相直筆の礼状に目をつけた。
みると、「ずかい」とある。
さっそく、日刊スポーツにリークして「麻生首相の無知が久々に炸裂!「ずかい」」という記事を書かせた。(※現在はネット上から削除されている)
それを受けてか丸岡アナもいっちょう麻生首相を叩いてやれと「ずかい」は間違いとやったわけだ。

表記が間違いかどうかという議論はさておき、批判のために礼状を晒すという神経を私は疑う。
そしてそれを嬉々として論う丸岡アナ他の精神構造も。
丸岡アナ個人の意思ではなく台本があったのかも知れないが、いづれにしても“心ずかい”がない話だ。
だいたい、漢字や仮名の間違い以外に首相を叩く手段はないのか。
きけば、丸岡アナは報道記者だという。
一体、ジャーナリズムとはなんだ。

TBSではアナウンサーがストラキをやった。
日本テレビも真似してストライキをやればいい。
そう、永久に。


******
註:「正式表記」とはあくまでも政府が定めているもので、論理的に考えたらおかしなものも沢山ある。
特に現代假名遣いは日本語のロゴスをかなり無視して定めているものが多く、私はこれを正しい表記だとは認めていない。
だから、丸岡アナの「いずみ」という表記も「泉」をもとにしているとすれば誤りだともいえる。
というのも、「泉」は現代表記では確かに「いずみ」だが、語源を遡れば、水が出るところ、つまり「出づる」「水(み)」が合わさって「いづみ」になっている。
旧仮名遣いでも勿論「いづみ」と表記した。
それが、戦後になって「づ」が追放されて「いずみ」になった。
このとき「遣い」も「ずかい」にされたが、これはオカシイという人が多かったのだろう、のちに「づかい」に戻された。
ところが、「いずみ」はそのまま。
政府が仮名遣いを勝手に定めるとこういうややこしいことが起こる。
政府の気分次第でいつ「いづみ」が正式になるかもしれない。
そのとき、丸岡さんは子供から「あんたの名前は間違いだ」なんて言われたいだろうか。

煙草を呑んで早く死のう:補足

2009-03-13 01:21:59 | 社会・世相
なお、私は禁煙ファッショには反対。
煙草そのものを無くしてしまえという暴論をいう人があるが、それは文化の喪失であり、私はその意見には与しない。

その上で、煙草は大人のものだと思っている。
逆に言えば、大人以外は呑んではならない。
ここでいう大人とは、自己で責任を持てる、マナーを守れる(他人に迷惑掛けない、ポイ捨てしないとかね)、煙草を呑む姿が樣になる・・・これらの条件を満たした人。
コドモ(つまり上記の大人ではない人)が煙草呑んでる姿は傍から見ても不快極まりない。

反対に大人が煙草を呑んでいる姿はまことにカッコいい。
『男はつらいよ』で吉永小百合の父親を演じた宮口精二が煙草を呑む姿はいつ思い出しても痺れてしまう。

さて、いまの日本に煙草が似合う大人がどれほど居るだろうか。

煙草を呑んで早く死のう

2009-03-13 00:56:59 | 社会・世相
たばこ:「どんどん吸って、早く死んで」 川崎の男性医師、講演会で
http://mainichi.jp/life/health/news/20090312ddm041040143000c.html


福岡のアナウンサーに中村基樹という人が居る。
かつて夕方のニュース番組のメインキャスターをやっていた。
いま「中村もときの通勤ラジオ」というラジオ番組のパーソナリティを務めているが、この人、福岡版の久米宏といった感じの人物。
つまり、薄っぺらサヨクのノリで政権与党を批判していればいいという“大勢派”の人だ。
この人の出身大学は西南学院大学で、この大学は左翼教授の溜まり場のようなところ。
北朝鮮をひたすら讃美したり、マルクス経済学を信奉していたり、講師には「憲法9条を世界へ!」なんて言っている活動家も居る。
そうそう、「原爆投下は日本が悪かったので仕方なかった」と本島元長崎市長に講演させたのもこの大学だ。
こんなことだから学生も自然と左翼ならぬサヨクくずれになる。
中村基樹もその一人。

そんな人物だから、私と馬が合うはずなく、ラジオを耳にするたびに朝から愚にもつかないこと言ってるよと暗澹とさせらていたのだが、今日は珍しく意見が合った。
そう、この「禁煙が進むと医療費がかさむことは明らか。どんどん吸って早く死んでもらった方がいい」と言った医師についての評価だ。
私はこんな面白いことをいう医者がいるのかと感心したのだが、どうも世間では評判がよろしくない。
中村基樹のラジオでもアシスタントの女性が「許せません」と気勢をあげていた。
中村基樹もこれに乗るかと思いきや「いや、私は普段から「私は命を掛けて煙草の税を払っている」なんてブラックジョークを言っているんでそんなに気になりませんけどね」と反対意見を述べた。
正にそのとおりだ。

煙草を呑む人はどんどん呑んで早く死ねばいい。
というと、やはり煙草呑みは怒るだろうか。
いや、そう云われて共に笑うくらいの諧謔心を煙草呑みの皆さんには持ってもらいたいものだ。
私が煙草呑みなら共に笑う。
「うん。こんな没義道に陥りたる世の中らから早くおさらばしたいから煙草呑んでるんだよ」くらい言う。

しかし、日本人ってやはり真面目な人が多いのでこういうブラックジョークは案外通用しない。
医者が言ったというところが面白いのに「医者が言うとはトンデモナイ」と逆に批判の口実になる。
ふだん嫌煙権云々とうるさい人も一緒になって批判しているようだ。

私の祖父は大の煙草好きで、それがたたって肺癌で亡くなった。
晩年は酸素ボンベを手放せなくなり、普段の生活をするときもいつも鼻からチューブが伸びていた。
それでもいつもゼーゼー言って苦しそうだった。
体中に酸素が行き渡らず、爪は真っ白になっていた。
元気な頃は暴君だった祖父が日に日に弱っていく姿は今思い出しても悲しい。

そういう悲惨な肺癌患者の実態を見てきたのでこの医者の言葉は却って深く響くものがある。
早い話、医師の発言は鋭い喫煙批判が含まれているのだが、今回は禁煙推進委員会が率先して批判しているようだ。
やはり真意が伝わっていないということだろう。
私もこの記事について「なぜあなたは祖父を肺癌で亡くしているのに、医師の発言を支持するのか」なんて的外れな批判を受けそうだ。
身内を肺癌で亡くしているからこそ支持しているのに。

この記事のタイトルだって文面どおり受け取ればトンデモない意味になる。
でも、人並みの諧謔心のある方ならそうは受け取らないはずだ。
とすれば、誰かさんと一緒になって医師を叩いている人はその前に身につけるべきものがある。

あび放言 その九(WBC、有吉弘行、強制退去問題)

2009-03-10 02:38:13 | 時事放言
・WBC
今日、韓国に負けたそうですね。
私は非国民なので野球でどの国に負けても悔しくない。
それ以前に野球に興味がないんだけどね。
仄聞したところによると、今回のメンバーは足並みが揃っていないようで、当初打席で三番にされたイチローが一番になっても不機嫌とか。
なんだか、大東亜戦争のときの陸軍と海軍のいがみ合いみたいだ。
あと、「侍ジャパン」という呼び名に違和感。


・有吉弘行
彼が附けるあだ名のネーミングセンスはもはや尊敬の域。
だが、もう一つ彼の隠れた才野は「優れた分析力」だ。
以前、アメトークに出演したとき、一発屋にならない為にはどうすればいいかという講義を披露していた。
それが、「手広くやらない」とか「これぞ!というものを作らない」とか意表をつく内容ながら的確な指摘だった。
先日は「ブレイクするっていうのはバカに見つかること」。
だから、あまりゴールデンに出ない方がいい、自分は深夜番組が一番輝くと分析していた。
その通りだと思う。
ブレイクしたらそれは既に衰退に入ったということなのだ。


・フィリピン人強制退去問題
この問題に対して、テレビで強制退去やむなしという意見はほとんど見かけない。
みんな口々に可哀想だと。
確かに映像だけ観れば可哀想と思うのもわかる。
しかし、前提として不法滞在は犯罪であり本来、強制退去させられるのは当然の措置。
それを不当だというなら、そういう人にピッタリの言葉があるが書かない。
可哀想だからという理由で両親の滞在が許可されたのなら以後、日本は法治国家ではなく人治国家を名乗るべきだ。(いまでも十分怪しいですけどね)
いや、それとも、国籍法よろしく法を改正して当局の眼を巧く逃れて、十年間住めば滞在許可が与えられるようにするか。
国家規模のかくれんぼ。これはなかなかスリルがありそうだ。
ただ、その時点でこの国を主権国家と呼んでいいのかどうかという疑問は残るが。

敢えて小沢一郎を擁護する

2009-03-04 22:53:19 | 政治・経済
始めに書いておくけれど、私は小沢一郎を好きではない。
かつては、新自由主義者で、いまでは転向したのか「国民の生活が第一」なんて言っている。
が、本性は構造改革派であること、民主党の公式サイトにある基本政策理念を読んでもわかる。
それでいて、自治労ともズブズブで屋山太郎氏からは「小沢自治労」と揶揄されていた。
こんなことでは、民主党が政権を取っても公務員改革はままならないだろう。
ついでに在日外国人への参政権付与に積極的だったり、一体何を考えているのかわからない。

ただ、あの悪人面は結構好きだ。
今の政治家の顔はみんなへなちょこで貫禄がない。
そこへいくと、小沢の顔はいかにも悪いことをしていそうでいい。
かつて、映画監督の伊丹十三はどんな悪人面の役者でも本物の政治家の顔の悪さには絶対に敵わないと云ったらしいが、いまの政治家の役ならどんな役者にでもつとまりそうだ。

ともあれ。
その小沢一郎の公設秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕された。
詳細は省くが、早い話、違法に献金を受け取った(要求していた)というわけだ。
こういう黒い噂は小沢には常について回っていた。
今回の西松建設の件もかねてから方々で言われていたことだ。
民主党の山岡国対委員長や鳩山氏は「陰謀だ」なんて云っているがちゃんちゃら可笑しい。
スーパーモーニングでも落合恵子あたりが自民党と検察の陰謀を匂わせていたが、これは流石に女子アナから「しかし、献金リストには自民党議員の名前もあります」とたしなめられていた。

この国の民は陰謀論が好きであることよ。
私も陰謀論のたぐいは大概好きだがそれはあくまでもファンタジーとして楽しいからだ。
真顔で「~の陰謀」だなんて云われたら笑ってしまう。

その上で言いたいのだが、政治家が金に汚くて何が悪いのか、ということだ。
たしかに小沢氏の場合、北朝鮮からの金の流れも噂されていて、それが事実だとすれば問題だが、それでも本来、政治家が金に汚くてなんの問題があるというのだろう。
政治家は多少ずるいこと汚いことをしても国民にとって国にとって益となる政治をしてくれたらそれでいい。

早い話がクリーンな売国政治家とダーティーな愛国政治家のどちらが良いかということだ。
無論、ダーティーでも愛国心のある政治家の方がいいに決まっている。
(「愛国心」とはここでは国家、国民の利益のために尽くそうとする心とでも解釈してください)

いい例が、小泉純一郎。
彼は金に潔癖で、ほとんど黒い噂を聞かなかった。
もっとも、変人で「派閥なんてカンケーネー!」という人だったから金集めをする必要がなかったわけだが。
いづれにしても、小泉はクリーンな政治家だった。
その小泉が日本になにをもたらしたか。
新自由主義むきだしの構造改革をやって国力、国益を著しく損ねいまもその修正におわれている。
歴史の教科書からもう一人例を上げればヒトラーだろうか。
彼は小泉以上に精錬潔白な政治家だった。
酒も呑まなければ、肉も食わない。
エヴァという愛人はいたものの女性関係も綺麗なものだった。
その彼がヨーロッパにユダヤ民族に何をもたらしたか、あえて言うまでもないだろう。

つまり、金に潔癖であるかどうか、いわんや女性関係だとか私生活における振る舞いでその政治家の政治家としての資質を量ってはならない。
だから、私はこの件をもって小沢一郎を叩こうという気にはさらさらなれない。
もっとも、他党の政治家も脛に傷を持つ人ばかりだろうから小沢を叩く資格はなかろう。

しかしながら、日本では政治を道徳的に見がちなので、結局、無能でも売国でもクリーンな政治家が尊ばれる。
マスコミもその思想の枠内にいるから、小沢擁護のために陰謀論をまくし立てる。
いうまでもないことだが、小沢一郎の場合、ダーティーで且つ売国だから最悪なわけだ。
あ、これじゃあ擁護にならないか。