あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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加藤千洋の「聾桟敷」発言

2007-01-30 22:55:40 | マスコミ・新聞
ついさっき、報道ステーションのコメンテーター加藤千洋が六カ国協議における日本に立場について
「聾桟敷(つんぼさじき)に置かれているのでは・・・」と発言した。
加藤さんは直ぐに聾桟敷が所謂「差別語」「放送禁止用語」と気づいたのか「言葉は悪いですが・・・」と云った。
解説を終えて、古舘伊知朗が「今、加藤さんが深い解説をしてくれたのですが、一部に不適当な表現がありましたことをお詫びします(要旨)」と述べた。

さっきまで柳沢大臣の「女性は子供を産む機械」発言を批判していたら今度は自分が問題発言をしてしまった加藤さん。
なんだかとても愉快だった。
私は柳沢大臣の発言も加藤さんの発言も適当ではないにしろ、さほど目くじらを立てることはないと思う。
特に「聾桟敷」と云った加藤さんに聾者を差別する意図はなかったと思う。
それにしても、言葉狩りが大好きそうな朝日新聞の編集委員である加藤さんが所謂「差別語」を使うとは意外だった。
この人は言葉狩りする気は無いのだなと、加藤さんの好感度が上がった。
しかし、これ以上、加藤さんが柳沢大臣は辞任するべしと主張するならば自らも編集委員を辞任するべきだろう。
無論、私はどちらも辞任の必要無しと思っている。

歴史の捏造は赦されるのか

2007-01-29 23:30:55 | マスコミ・新聞
<番組改編>NHKに2百万円賠償命令 「政治家発言」認定

 戦時下の性暴力に関するNHKの番組を巡り、取材協力した市民団体が「政治的圧力で事前説明と異なる内容で放映された」として、番組を改変(判決では改編)したNHKと制作会社2社に4000万円の賠償を求めた訴訟の控訴審判決が29日、東京高裁であった。南敏文裁判長は、NHK幹部が放映前に安倍晋三首相(当時は官房副長官)らに面談し「相手の発言を必要以上に重く受け止め、その意図をそんたくして改編した」と初めて認定し、NHKなど3社に200万円の支払いを命じた。NHKは即日上告した。
 1審・東京地裁判決(04年3月)は、取材を担当した制作会社ドキュメンタリー・ジャパンのみに100万円の賠償を命じ、NHKとNHKエンタープライズの責任は認めていなかった。
 問題とされたのは01年1月30日に教育テレビで放映された「ETV2001 問われる戦時性暴力」。「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)が00年12月に開いた「女性国際戦犯法廷」を取り上げたが、「ありのまま伝える」との事前説明と異なり旧日本軍の性暴力被害者の証言や判決がカットされたとして同ネットが訴えた。

1月29日21時4分配信 毎日新聞



あの番組の件で裁判なんかやっていたとは知らなかった。
あの番組の本来の内容は戦争責任(主に慰安婦問題)について被告側に弁護士無しの事後裁判を行って「天皇裕仁(昭和天皇)を婦女暴行と性奴隷制についての責任で有罪と認定する」と結論をくだす内容である。
品性下劣な左翼の幼稚な自己満足の代物で批判する気も起きない。
そういう輩が裁判を起してしかも勝ったのだから驚いた。
彼らが昭和天皇についてどうのこうの云うのは私にとっては不快なことであるけれど、そんなこと一々相手にしない。
しかし、私が看過できないのは彼らが平然と歴史を捏造していることだ。
従軍慰安婦の強制連行が捏造であること今更私が説明するまでもない。
未だに信じている人は関連書籍のニ三冊でも読んで下さい。
(私は従軍慰安婦問題の研究を専門にやった某教授からも直接話を聴いた。
その方は当時の資料にもすべて目を通している。)

さて、あるあるの捏造がそれほど悪だというのなら、この「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)なる極左団体の捏造も赦してはならぬはずである。
この件の問題点は政治家がHNKに圧力を掛けたことでも、HNKが内容を改竄したことでもなくて、そもそも、あのような内容の番組を放送しようとしたことである。
なにしろ番組内で語られる歴史が捏造なのだから今のマスコミ各社に言わせれば問題無いはずがない。
筑紫哲也のニュース23はこの裁判の勝訴を嬉々として伝えていたが、バウネットと同じ穴の狢だから喜んでいるのだろう。
ニュース23に限らない。
マスコミ各社に問う。
あるあるの捏造だけをあげつらうのは片手落ちだと思うが如何。

お金があれば幸せか

2007-01-29 03:43:43 | 雑記
今日、友人が尋ねてきた。

別段用があったわけではなくて雑談など。
始めプレステ3は値段が高いだのあるある大事典の捏造がどうのと他愛の無い話をしていた。
途中、なぜかエビちゃんこと蛯原友里の話になって、
友人が「エビちゃんも金持ちの男と結婚して幸せになるだろう」と言ったので、
「何故、金持ちじゃないと幸せになれない?」と問い返したら
「だって、当り前じゃないか。女はみんなそう考えている」と云う。

ここから口論になった。

「別に金があれば幸せとは限らない」
「でも、金持ちの方がいいじゃないか。結婚するなら金持ちだ」
「何故、金さえあれば幸せになれると断言する?」
「現実はそうだ」
以下省く。

女性が皆、男を金持ちかどうかの価値基準で判断しているとは女性に対する侮辱でると思う。
女性の考えがどうのという問題はとりあえずおくとして、
友人の考えによると「金さえあれば幸せ」ということらしい。
こんな堀江貴文のような考えを持っているとは驚いた。
私は金は手段であって目的だとは思わない。
お金を稼ぐことが悪だとも思わない。
それに、金は無いよりあった方がいいに決まっている。
しかし、「金があればすべて幸せ」という人生観などとてもじゃないが持てやしない。
私は人生を語ることが嫌いである。
そもそも、人生を語りうる歳ではない。
しかし、私が何を以って幸せと感じるか。
それは、金だけに左右される問題ではない。

例えば、
美しい自然を見てそれを美しいと感じる。
美しい音楽を聴いて素晴らしいと感じる。
冬に家族乃至は朋友と鍋を囲みながら熱燗をいっぱいやる。
妹と冗談を言い合いながらゲラゲラ笑う。
本を読んで知的昂奮を得たり楽しんだりする。
古本屋を巡って探していた本が見つかる。
冬の寒さに凍えながら、大好きな夏が来るのを待ちわびる。
夏、朝早く起きてじんべえに着替え庭の植物に水をやる。

・・・等々。
一々、列挙するのは恥ずかしいが、
私はこういう日常の些細な喜びに幸せをみいだしている。
そして、こういう小さな幸こそより大切だと思いながら、その幸せを噛みしめつつ生きている。
生きていると嫌なことばかりだが、嫌なことがあればかならず良い事があると信じているし、
(というか、そう思わないとやっていけない)
この世は浮世で日本の行く末を考えると暗澹たる気持ちになるけれど、私はおおむね、幸せである。
勿論、私は金に困ってもいないが金持ちでもない。
むしろ、学生の身分だから金が無いのが常である。
しかし、住む所に困らず、三食きちんと食うことが出来、それに加え、多少なりとも本やCDを買える余裕もある。
パソコンもあってインターネットに繋がってブログなどやっている。
これ以上なにを望むのだろう。
余分な金がなくとも十分豊かである。
というより、世界に目を向ければ私のような暮らしは豊かどころが恵まれすぎているだろう。
なにせ家に冷蔵庫があって開けると食べ物が入っているのだから。
私はこれ以上、贅沢をすると目が潰れると思っている。

誤解の無いように書いておくが、これはフリーター讃美の文ではない。
お金があれば幸せとは限らないけれど、生活に最低限必要なお金は要る。
したがって、「フリーターの男とは結婚しない」というのなら話はわかる。
そこは現実問題としてあると思う。
私が言いたいのはそんなに余分に金があって幸せか?ということ。
実際、「金があった方が幸せに決まっている!金がすべて!」
という人が居るのは知っているし、相手が金持ちだからという理由で結婚する女性も居るだろう。
それはそれでいい。
価値観は人それぞれだから私はとやかく言わない。
しかし、私はそういう価値観を持った人間とは絶対に相容れないし、まして結婚することがあろう筈が無い。
なぜなら、金は必要な分だけあればよくてそれからあとは如何に精神的に豊かに生きてゆくかが私の幸福の価値基準だからである。

以上のことを云いたくて口論したけれど、友人にはよく伝わらなかったようだ。
「話が噛み合わない」といわれた挙げ句、帰り際に「これ以上やると喧嘩になるから」と云われた。

私の考えの方が今の日本では古いのだろうか。
だとしたら、ますますこの国に未練は無い。
いやいや、「あなたの考えは古いですよ」と云われるのであれば、古さを是として生きている私にとってこれほど幸せなことはない。

テレビゲームブーム来たる

2007-01-26 03:29:54 | 雑記
昨年末から私の中でテレビゲームブームが到来している。
(「おいおい、あなたテレビゲームやってる場合かね?」という突っ込みは受け付けません)
冬休みやら春休みやらで時間が多くあるのです。はい。

テレビゲームと言っても私がやるのはほとんどスーパーファミコンのことである。
何度も書いてきたことだけれど、昨今のテレビゲームの3Dやらリアルな映像やら複雑な設定やらにはついていけない。

まづ、スーパーストリートファイターⅡとストリートファイターⅡ、ストリートファイターⅡターボ(この3作だいたい同時期にやった)に始まって、
それに飽きるとか『まいたちの夜』を少しやって(『かまいたちの夜』は妹の方が良くやった)、
スーパーマリオワールドを二日で全クリしたあと、桃太郎電鉄ブームがやってきた。
はじめに、桃太郎電鉄HAPPYをやり、次にスーパー桃太郎電鉄Ⅱ。
一昨日、中古で桃太郎電鉄7を買って大体今日までやっていた。
明日からやりたいと思っているのはシムシティー。

というものこんなサイトを発見したから。

悠久のシムシティー100万人計画

私はシムシティーマニアを自称していたのだけど、上のとしあきさんという方のサイトを見て愕然とした。
もう、絶対勝てない。
いや、勝ち負けの基準じゃなく、としあきさんはシムシティーの神様だと思う。
あくなき探究心と根気にただただ脱帽するのみです。
このサイト見ていると無性にシムシティーをやりたくなった。
しかし、私は100万人を目指さない。
ただ、としあきさんの理論を元にいろいろ実験してみたいと思う。

そうそう、それにしても、テレビゲームのやりすぎは体に良くない。
ゲーム脳云々はエセ科学だと思うけど、テレビゲームは体に害悪を及ぼすというのは確実に言える。
私も先日、桃鉄のやりすぎで左半身が痺れてきて閉口した。
もしかしたら軽い脳梗塞になっていたのかも。(だとしたらシャレになってないよね)
みなさんもテレビゲームのやりすぎには気をつけましょう。

そのまんま東が宮崎県知事に

2007-01-22 22:22:13 | 政治・経済
昨夜、そのまんま東が宮崎県知事に当選したという速報が入った。
HNKのまじめそうなアナウンサーが「そのまんま東氏が・・・」と言うのが可笑しくて可笑しくてしょうがなかった。
そのまんま東氏て。
本名は東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)というらしい。
長ったらしいので本人も「東氏とか東知事と呼んでください」と言っていた。

県政を改革するにはそのまんま東のようにしがらみの無い人が知事になるのがいいだろう。
しかし、県議会の激しい抵抗が予想される。
田中康夫・元長野県知事が受けた抵抗が良い例だ。
東氏は果たして本当にひるまず恐れず改革に着手することが出来るだろうか。
東氏はフライデー事件の時、ずいぶんひるんでいたらしいからなぁ。
私はあまり期待していない。
けれど、まぁ、がんばって欲しいね。
ところで、東氏はビートたけしに応援を頼んだけれど
「東は過去に色々不祥事を起している」「芸人は政治家になるべきではない」という理由から拒否されたらしい。
エールを送った後にこう言うのはなんだけど、私はビートたけしの考え方に賛同するものである。

今は不二家の叩き時

2007-01-22 01:02:04 | 社会・世相
不二家が期限切れの牛乳を使っていたことが発覚して大騒動になっている。
テレビも新聞も雑誌もここぞとばかりに不二家を叩いている。
期限切れ牛乳を使っていることを会社の上層部も把握していて、なお改善しなかったことや発覚後の対応のまづさ等を見るにつけ叩かれるのも無理は無いと思う。

しかし、期限切れ牛乳とまるで関係のないフランチャイズ店が閉鎖されたり、不二家商品を店頭からすべて撤去するなどはやりすぎである。
なぜ、誰一人「賞味期限切れの物なんて皆、結構食べているだろうに」と言わないのか。
いや、今、そんなこと言ったら袋叩きに遭うことをよく知っているからだ。

最近、つとに思うのは日本人は何事もやりすぎるということである。
これは国民性なのだろう。
戦前戦後を通じて日本人の宿痾と言うべきものである。
一度、良いと言われたらトコトン持ち上げて、悪いと言われたら徹底的に叩く。
それでいて、しばらくするとそのことなんかすっかり忘れている。
ライブドア騒動が正にそうだった。
持ち上げるだけ持ち上げて逮捕された途端、一斉に叩き始めた。
私は堀江貴文を知ってから以後、一貫して叩いている。
今、世間は私と同じように叩くようになったが、ほとぼりが冷めればまた持ち上げ始めると確信している。

他にもみのもんたが「コレ、体にいいですよ」と言った食品が次の日店頭から消えたこと、一度や二度ではない。
あるある大事典で「やせる」と言われた納豆も店頭から姿を消したという。
それで、今度、検証がVTRが捏造だったとかで納豆ならぬ番組が一斉に叩かれている。
他者の不祥事は蜜の味。
今日の読売新聞には「でたらめ大事典」という中見出しが嬉々として紙面に踊っていた。
私は関西テレビも読売の日本テレビも同じ穴の狢だと思っている。

話を戻す。
戦後日本は衛生概念が浸透した。
しかし、今度はそれもやりすぎてなんでも殺菌殺菌とやってしまった。
賞味期限も目安なのに店では期限が一秒でも過ぎれば捨てるようになった。
不二家の衛生観念は確かに欠如していたが、マスコミ・世間の騒ぎ方は行き過ぎと思うものである。
北方領土で邦人が殺された時よりも騒ぐというのはどういうことかしら。
いづれにしても、半年も経てばこの事みな忘れているだろう。

私と「モーニング娘。」

2007-01-18 21:57:47 | テレビ・芸能
先日、新聞にモーニング娘。十周年記念云々と見開きの全面広告が載っていた。
モーニング娘。(以下、「モー娘。」)も結成されて十年経つかと感心した。

十年前、私は中学生一年生だった。
結成当時から私はモー娘。について「あんな素人の寄せ集めのようなグループのどこが良いのだ」と世間を敵に回すようなことを言っていた。
教室の後ろの壁にモー娘。のポスターを貼る不良を苦々しく見た記憶もある。
モー娘。メンバーを一人として可愛いと思わなかったし、音楽性も私の肌に合わなかった。
モー娘。などはやく消えて欲しいと願っていた。
早い話が大嫌いだったのである。
しかし、モー娘。は消えるどころか時間の経過と共に人気も上昇し一躍、日本のトップアイドルグループへと成長した。
タンポポやプッチモニ、ミニモニなど関連ユニットも続々誕生した。

高校に入っても、無論、嫌いだった。
嫌いだからメンバーの名前も殆ど知らなかった。
いつだったか、友人からモー娘。の話題を振られて私がメンバーの名前を知らないと知るや「モー娘。メンバーの名前も知らないのか」と随分馬鹿にされた覚えがある。
「そんな奴らの名前なんか知るものか」と返しても応じてくれなかった。
この一件で私のモー娘。嫌いに拍車が掛かった。
メンバーの名前全員言える方がどうかしていると考えたし、モー娘。やその関連ユニットがオリコンの上位を賑わすたび、つんく♂が日本の音楽業界を駄目にしている元兇だと何度もくだをまいたものである。
そんな具合だから、私はモー娘。にギャーギャー騒ぐ連中をほとんど軽蔑していたし、モー娘。と和解することはないだろうと思っていた。

今年でモー娘。結成から十年が経った。
するとどうだろう、今や「モー娘。モー娘。」と騒ぐ者は「モーヲタ」などと呼ばれ逆に軽蔑されているし、メンバーの名前全員言える者の方が少なくなった。
十年経ってやっと我が方が与党と相成ったわけだ。
私はやっとモー娘。と和解した。
モー娘。に対して別になんとも思わなくなった。
つんく♂は今後もモー娘。を続けてゆくという。
物事には潮時がある。
潮時を誤まるとろくな結末は待っていない。
しかし、モー娘。の結末はそれでいいと思う。

最後にトリビア。
「モーニング娘。」に「。」を附けると決めたのはナインティナインの矢部浩之である。

朝日新聞が「朝日字体」を廃止

2007-01-16 03:20:04 | マスコミ・新聞
今日(十五日)の朝日新聞の朝刊を見て仰天した。
朝日新聞が「朝日字体」を廃止するという。

「朝日字体」というのは朝日新聞が作った独自の漢字字体。
「朝日文字」とも言われるもので、「鴎」(正しくは「區+鳥」)、「涜」(正しくは「シ+賣」)、などが有名。

終戦後、間もない頃、政府の国語審議会はいづれ漢字は廃止しようと考えて漢字の簡略化や使用制限を取り決め、公官庁や新聞社各社等に通達した。
普段、国のすることは何でも反対の新聞社がここでは利害が一致して全社右へならえでそれに従った。
とりわけ、朝日新聞は簡略化をまぬかれた表外文字も簡略化した。
それが正字正假名派から悪名高い「朝日字体」である。
以来、朝日新聞は率先して漢字制限を行ってきた。

が、ここへきて大転換をはかるという。
これには驚いた。
私は朝日新聞は今後も漢字制限を推進するものと思っていた。
それが、今までの方針を百八十度変えて、朝日字体を廃止して約九百字について字体を改めるという。
これ、驚いているのは私などの一部の人間だけだろうか。
朝日新聞がなにかやるたび大騒ぎする2ちゃんねるあたりでも全くと言っていいほど話題になっていない。
私の驚きを伝えるために譬え話をするならば、
朝日新聞が社説で「卒業式では国旗を掲揚し、国歌を斉唱すべきだ」とか、「大東亜戦争は侵掠戦争ではなかった」と主張し始めるようなものだ。

朝日新聞によると「朝日字体」廃止の理由として、

一、印刷物の字体を統一するため。
二、国語審議会の平成十二年の「表外漢字字体表」答申(康煕字典体を標準と位置づけた)を尊重。

の二点を挙げていた。
「朝日はやはり時局迎合新聞か」と批判する向きもあるかもしれないが私は素直に朝日新聞の姿勢を評価したいと思う。
このブログで朝日を褒めるなんて初めてかも(笑)
時局迎合なんて朝日に限ったことではないですしね。

それよりもっと批判されてしかるべきなのは国語審議会だ。
なぜ、国民共有の財産である言葉や文字をどこの馬の骨が集まったかわからないような会によって漢字を制限されたり、あるいは「やっぱりこの漢字使っていいよ」といわれたり、正しい送り仮名の振り方はこうですよなどと指示されなければならないのか。
また、漢字に限らず戦後は「正しい仮名遣いはこうですよ」と新仮名遣いを強制させられた。
国語審議会や内閣は、あれは規範を示しただけで強制ではないと言ったがそれは嘘八百で公文書は新字新仮名しか認められず、出版会もそれにならった為、今では正字・正仮名遣い(旧字・歴史的仮名遣い)は認められなくなった。

私は私的文書はすべて正字正仮名で文を綴っていて、大学論文も正字正仮名で綴ろうと思ったらある教授からたしなめられた。
やはり、公的には正字正仮名は使ってはいけない文字であるらしい。
すべて、国語審議会という名の文化破壊集団のせいである。

私は生があるかぎりこの“国家権力の横暴”に抗し、せめて私的文書だけでも正字正仮名で文を綴ることにする。

バラバラ殺人事件とコメンテーター

2007-01-12 01:06:56 | 社会・世相
先日、妹が私に「私には夢があるが、あなたには夢が無い」と言ってきた。
一体どういう料簡だろうと怪しんでいると「なんだ、事件のこと知らないのか」と残念がられた。
話によると、渋谷のとある家庭で兄が妹から「夢がない」と云われた事をきっかけに妹を殺す事件が起きたという。
私はようやく理解した。

この事件が起きた家庭は一族が全員歯科医という環境で、妹を殺害した兄は次男で某歯科大を目指して三浪中だった。
一方、長男は今年から歯科医になることが決まっていた。
殺された妹は芸能人を目指して芸能事務所に所属していたが、昨年末、事務所を辞めている。
妹はグラビアアイドルを目指していたが親から許可を得ておらず、そのことで家庭内に不和があったらしい。
事件直前も妹は友人に「家庭内で大きなトラブルがあった」と漏らしていた。
このトラブルとは次男とのトラブルではなくむしろ芸能界入りを反対する両親とのトラブルと見るのが妥当らしい。
次男と妹はこの一族の中ではお互い肩身の狭い思いをしていたのだろう。
次男は一応、歯科医を目指していたわけで家族の目からは妹の方が異端と見られていたようだ。
次男と妹はもともと大の仲良しだった。
それが、いつの間にやら互いを嫌悪するようになり、次男はたびたび妹に暴力を振るうようになる。
日頃から不和が絶えなかったのだろう。
そして、先に挙げた妹の言葉が引き金になり殺害に至る。


私が得た情報はこれだけだ。
あとの詳しい事情は知らない。
今日また、殺害時の新たな情報が報道されたが大筋は変わらない。

ニュースを見ていると殺害後、妹の体をバラバラにしたことについて、
「余程の恨みがあったのでしょうか」
「次男の部屋からホラービデオ等は見つかっていないようです」
などとコメントしている人があった。
いづれもコメンテーターと呼ばれる人たちだ。
死体をバラバラにしたのは恨みがあったらかではなく、死体を効率良く処理する為だと思うが如何。
決して猟奇的な理由からではないと思う。
ホラービデオが見つからないのも当り前のことだ。
それにしてもホラービデオを見たから猟奇殺人に走るのかねぇ?
私はホラービデオの類は持っていないが丸尾末広や古屋兎丸の猟奇的なテーマを扱った作品が収録された本なら持っている。
私は猟奇殺人に興味がなければ猟奇的なことも好まない。
丸尾末広に惹かれるのは私が持ち得ないそのアングラさゆえだ。
私がもし妹を殺した挙げ句死体の処理に困ってバラバラにしたならば、
きっと、私の所持品を吟味されそこから様々な関連附けがなされることだろう。
嗚呼、恐ろしや。

次男は死体が自分の部屋にあることを両親に悟られない為に
「サメの解剖をして臭いから自分の部屋に近づかないように」
と言っていた。
これについてある女性コメンテーターが
「このサメというのは妹から噛み附かれたという意識からサメという言葉が出たのでしょう」
などとコメントしていた。
出鱈目もここまでくれば立派だ。
この女性コメンテーターの実名を挙げるとジャーナリストで元法務省東京少年鑑別所法務教官の草薙厚子という人。
コメンテーターやジャーナリストはこのような出鱈目を言っても許されるのだから気楽なショーバイである。
他にもこの事件について動機などもあたかも次男本人であるかのように知ったような口をきいていた。
知ったような口をきくな!と思わず口に出していた。
この草薙氏に限らず、事件が起こると必ずこういうエセジャーナリストだかなんだかが出てきて事件当事者の如くわかったような振りをして偉そうに評論する人がある。
しかし、殺人の本当の理由なんて本人にしか解らないのである。
いや、本人すら解らない場合も多いだろうに。

ところで、この草薙氏「ゲーム脳に犯される子供達」なんて講演をやっている。
エセジャーナリストはエセ科学も大好きらしい。

『お言葉ですが・・・』再開!?

2007-01-10 01:54:29 | 書評・雑誌
私はミクシィの高島俊男さんのコミュニティに参加しているのですが、そこの情報によると『お言葉ですが・・・』が再開されるのだそうです。

情報提供者さんのお話によると高島俊男先生から直接、連載を再開する旨の連絡があったとのこと。

連載を再開する媒体は「Web草思」。(http://web.soshisha.com/
「Web草思」上にはまだその告知はされていないようです。
おそらく、ネット上で読めるかたちになるのだろうと思います。

私も『お言葉ですが・・・』というより高島俊男さんの一ファンとしてこの知らせに歓喜しています。

思えば『週刊文春』での連載が突然終わった時、あまりの不自然さにはじめ高島さんの体調のこともあったのかなと察していたのですが、『お言葉ですが・・・』第11巻を買って驚きました。
高島さん御自身があとがきに
「突然中止の通告を受けた。」
「「なんでやめさせられたのだろう?」と以後考えつづけている。」
と書かれていたからです。
どうも『週刊文春』に怒りを感じざるを得ませんでした。
文春編輯部は『お言葉ですが・・・』が終了した明確な理由を提示して欲しいものです。

それはさておき、やはり、連載再開は嬉しいことです。
再開がいつ頃になるのか待ち遠しい限りです。
まだまだ詳しいことは私もよく解りません。

詳細はわかり次第追って報告いたします。

成人だから覚悟しろ

2007-01-07 23:10:56 | 社会・世相
そういえば、明日は成人の日だった。
成人の日は明日なのに今日の夜のニュースでは今年も成人式が荒れたと言っていた。
式は日曜にやるのが都合がいいということで一日前倒しでやったのだろう。
街によっては明日、式をやるところがあるかもしれない。

それにしても、成人式が荒れるようになって久しい。
成人式が荒れるのは戦前からかと考えて、成人の日は戦後に出来たのだから荒れる道理が無いと気づいた。
では、戦後のどの時期から荒れ始めたのか。
私の記憶では五年前にはもう荒れていたように思う。
それより前は知らない。

式をやっても荒れるのだからいっそのこと成人式などやめてしまえと云う人がある。
だが、私はこの意見に与しない。
私は田舎に住んでいるので成人式は町内単位でやった。
私の町に中学校は一つしかないので成人式は中学時代の友人との同窓会になった。
こういう田舎の町にとって成人式は行政が主催してくれる同窓会である。
中学当時の不良も多く参加していたが不思議と式は荒れず、楽しい式になった。
成人式はあった方が良いという所以である。

しかし、成人式が荒れる地方ではやめたくなる気持ちもわかる。
「スタ☆メン」という番組で萩本欽一が成人式で「おめでとう」というから荒れるのだ、成人になると責任がついてくるのだから「きみたちは成人になったから覚悟しろ」と言えばいいと語っていた。
なかなか良いことを云うと萩本欽一を見直した。
なるほど、成人式ではおめでとうなどと生ぬるいことを云わず「覚悟しやがれ」と云う方がいい。
そして暴れる成人は片っ端から捕まえて社会の厳しさを教えるのが良いだろう。
半分は冗談で半分は本気でそう思っている。

余談だが、同じ番組で新成人に夢はなに?とインタビューしていて、
中に外人になりたいと答える者があった。
毛唐に憧れて毛唐になろうと努力しても所詮はにせ毛唐。
本物の毛唐に及ばないに決まっている。

今、二十歳といっても大人は居ない。
皆、子供である。
私と同世代(私、今二十一)で大人だと感じる人はついぞ見かけない。
無論、私も子供である。青二才のお子ちゃまだ。
そんなお子ちゃまからみて若者が大人に見えないのだから余程だろう。
考えてみれば、今、日本に大人と言える人がどれほどいるか。
尊敬に足る大人がどれほど居るだろう。
考えても暗い気持ちになるばかりだからやめにした。

差別語含む魚30種を改名へ

2007-01-06 18:22:32 | 言葉・国語
「バカジャコ」はダメ、差別語含む魚30種を改名へ

 日本魚類学会(松浦啓一会長)は、「バカジャコ」「イザリウオ」など差別的な言葉を含んだ魚の標準和名を改名する。
 見聞きした人を精神的に傷つけたり、不快感を与えたりすることがある上、博物館や水族館などが別名への言い換えをバラバラに行う例も多く、混乱を解消すべきだと判断した。今月中に正式決定する。動植物や昆虫などにも差別語を含んだ標準和名が多いだけに、他学会にも影響を与えそうだ。
 改名するのは、日本魚類学会標準和名検討委員会が差別的と判断した「メクラ」「オシ」「ミツクチ」など九つの語を含む魚で、日本産の魚類約3900種のうち30種が対象。同様の言葉が「種」より上位の「属」や「科」などの分類単位に使われている例もあるため、計49の標準和名を同時に改名する。

1月6日16時9分配信 読売新聞



新年はじまって嫌なニュースが続く。
北九州市と下関市を福岡県、山口県から分離独立させて関門特別市を作る計画があるという気の滅入るニュースの次はこれだった。
魚名を変える理由として

一、見聞きした人を精神的に傷つけたり、不快感を与えたりすることがある。
二、博物館や水族館などが別名への言い換えをバラバラに行う例も多く、混乱を解消すべき。

の二点が挙げられている。
私が特に批判したいのは一の理由だ。
早い話が、バカやメクラ、イザリ、オシ、ミツクチなどの言葉が差別語だから変えるということだ。
魚名の改名を提案した者もそれに賛同する人たちも良心の塊である。
差別をなくそうという良心である。
しかし、この種の人々が犯している誤りは差別語を無くせば差別が無くなると思っていることだ。
差別が無くなると信じていないにしても、差別語を滅ぼすことは正義だと信じているのだろう。
良心や正義は時として厄介なものである。

無論、私は所謂差別語と呼ばれる言葉をみだりに使うべきではないと思う。
それでは、差別語を駆逐すべきかというとそれは別問題だ。
差別語を無くすことが差別を無くすことに繋がらないこと、
差別の実態を教えなければ差別が無くなるわけではいことと同様である。
差別語を駆逐することは差別の実態から目を覆うことになると同時に、
過去の文学作品、映像作品にも弊害をもたらす。
『男はつらいよ』を観ていたら、寅次郎が発した唖(おし)という言葉がブチッと切られていた。
これでは寅次郎が何を言いたかったのかわからない。
差別語は使うべきでないが、過去の作品の中の差別語まで消すべきではない。
そんなことは当り前のことだと思うのだが、
過去の映画作品を観ていると音声が途切れること枚挙に暇がない。
藝術作品を後世の人間よって改竄されることほど不快な事はない。
私一人が不快になるだけならそれで済む話だが、
言葉狩りによって過去の作品が闇に葬られることもある。
『ちびくろサンボ』が良い例だ。
良心は藝術作品、文学作品に死を宣告させる。
これが私が言葉狩りに反対する最大の理由である。

魚の話に戻す。

躄(いざり)とは尻を地につけたまま進むことである。
イザリウオがどのような魚か名前を聞いただけで想像がつく。
イザリウオとは絶妙なネーミングなのだが、イザリは差別語だから名前を変えるという。
メクラウナギも同様でじじつ、メクラウナギに視力はほとんどない。
これも変えられる。
しかし、一体、どのように変えるのだろうか。
メクラウナギはモウモクウナギとでもするのだろうか。
それともメノフジユウナウナギか。
イザリウオに至っては予想がつかない。

バカジャコも変えられる。
とすれば、バカも差別語だったのか。
バカはもっとも普通に使われる罵倒語である。
いづれにしても、それほど人に不快感を与える言葉だとは思えない。
では、バカが駄目だとなると、『天才バカボン』も題名を変えなければならない。
『釣りバカ日誌』も同様だ。
きっと、「阿呆」も駄目だろうから芥川龍之介の『或る阿呆の一生』も変えた方が良い。
変えるとしても「バカ」や「アホウ」どう言い換えればよいのだろう。
「頭の不自由な方」とでもするか。
『天才頭の不自由な方ボン』『釣り頭の不自由な方日誌』『或る頭の不自由な方の一生』・・・
少々冗談が過ぎたが、一々人が不快に思う言葉を変えていたらキリがないということだ。
第一、人によって不快に思う言葉は異なる。
私など、不快に思う言葉を今思いつくだけでも、

看護師、エロかわいい、福北ゆたか線、セレブ、キモイ、ウザイ、自分探し、さいたま市、ジェンダーフリー、人権、十五年戦争、マニフェスト、イノベーション、オンブズマン、ヤフードーム・・・

など、数多く存在する。
「人権」を不快に思うなどとんでもない人間だと怪しむ人があるかもしれない。
私は人権を否定しないが人権という言葉は特定勢力によって濫用されて私にとってほとんど良いイメージは無い。
今回の言葉狩りに賛同する人たちもこの人権ということばが大好きな人たちだろう。
私が「人権」という言葉は不快だから無くしてしまえというと、この人たちはなんと答えるだろう。
無論、「人権」は必要な言葉だから無くした方が良いとは思わない。

果たして魚名を変えたがる良心的な人々は反対意見を聴く良心がありますかどうか。

恭賀新年

2007-01-01 00:43:45 | 雑記
新年あけましておめでたうございます。

謹んで新年のお慶びを申し上げ、弊ブログ読者の皆様の御多幸を御祈りいたします。
何卒、本年も宜しく御愛顧のほどお願ひ申し上げます。


 平成十九年一月一日 あび卯月