あび卯月☆ぶろぐ

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南原繁は「曲学阿世の徒」だったか

2006-09-02 19:45:36 | 歴史・人物
NHKBS2のBSフォーラムという番組で元・東大総長、南原繁についての特集をやっていました。
南原繁といえばサンフランシスコ平和条約の時に全面講和を主張し、
吉田茂から「曲学阿世の徒」と呼ばれたことで有名。

番組の内容は特集と言うよりは今年の八月十五日に
東大の講堂で行われた南原繁をテーマとしたシンポジウムの録画という具合。
司会は立花隆。

シンポジウムという形なので多くの南原繁に関わる人たち(多くは東大関係者)が
出てきて様々な講演をしていました。


中でも興味深かったのは堤清二さんの話。

堤清二さんは西武グループの創業者堤康次郎氏の次男で、
辻井喬という名前で詩人・小説家としても有名。

昭和二十二年、東京帝国大学は東京大学に改称されました。
堤さんはこの年に東大に入学したのですが、入学してすぐに先輩学生から
「優秀な学生は共産党に入るものだ」と共産党への入党をすすめられたという。
堤さんが「そんな話は聴いたことないですが・・・」と言うと、
先輩は「いやいや、そんなもんなんだ」と答えるのみ。
堤さんは「そんなものなのかなぁ。」と思いつつ、共産党へ入党したのだそうです。

ここまでは、なんとも無い話なのですが、この入党を勧めた先輩こそが、
現・讀賣新聞社会長、渡邉恒雄氏と日本テレビの代表取締役取締役会議長、氏家齋一郎氏だったとのことでした。
渡邉さんが共産党員だったことは有名ですが、氏家氏と共に堤清二氏に入党を勧めたことは存じませんでした。

堤さんは後に、この二人(あるいはどちらかの人)にこの話をしたら、
「私はそんなこと覚えとらん」と答えたとか。
堤さんは「でも、被害者は忘れないもので・・・(笑)」と述べていました。


さて、その後の講演は姜尚中や高橋哲哉、挙げ句、大江健三郎が出てきて、
皆声を揃え、憲法九条が危ういという内容の講演を始める始末。
南原繁の話をすればいいのになんで自分達の主張をはじめちゃうのかねぇ。

気になったのは高橋哲哉が「南原さんは英霊という言葉を使っていて、やはり、明治の人だなぁと思いました」と述べていたこと。
高橋哲哉といえば『靖国問題』という中立を装って完全に左翼の視点から靖国神社を論じた本を書いていますが、
左翼の高橋氏にとっては「英霊」という言葉を使うこと自体「気に喰わぬ」ことなのでしょうか。
そもそも、明治人のみが英霊という言葉を使うわけではありませんし、
昭和生まれの私だって、靖国神社に祀られている方々のことを英霊と呼びます。
第一、「自分はノンポリだ」と言いつつピースボートの水先案内人をしたり、
左翼的言動を繰り返していて、なにがノンポリなのでしょう。
自分は中立だとかいう人に限って右翼だったり左翼だったりする良い例です。


さて、南原繁さんの話をいたしましょう。

南原さんは上に書いたように吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた人です。
南原さんが全面講和を主張した理由は、米国に追随していては真の平和は得られないという考えから。
他にも日本国憲法の擁護をうったえるなど一貫して、平和主義の立場をとっていたため、今でも左派から絶大な人気を得ています。
講演のメンバーが皆、左派の立場の人だったことも偶然ではありません。

が、私は南原繁さんは一概に左翼だったとは思いません。

例えば、「歴史は科学的に検証すべきものであるが、神話など民族の文化を否定すべきではない」という発言や、
紀元節の日には日の丸をかかげ、日本精神そのものの革命を通じての「新日本文化の創造」を説いていたという話からも
所謂、戦後進歩主義者と呼ばれた人たちとは一線を画していると思います。
憲法改正については
「憲法を変えるのであれば、日本が真に独立してからだ」と述べています。
つまり、独立国としての気概がないのに憲法を変えても意味がないということでしょう。
私も同意です。
また、「戦後日本の復興は教育によってなる」とも。
現在の日本教育の荒廃をみて泉下の南原さんは何を思うでしょうか。

全面講和などの主張は今から顧みれば、曲学阿世の主張に見えるでしょう。
が、南原さんの平和を願う気持ちに欺瞞は無かったと思う。
欺瞞にまみれた高橋哲哉や大江健三郎らは自己の主張をする前に、
南原さんの真摯な姿勢を見習って欲しいと思った次第でした。