あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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選挙後の新聞各社社説読み比べ

2007-07-31 01:54:07 | マスコミ・新聞
選挙が終わった。
前回、新聞はもっと偏向すべしと書いたが、今日の新聞の社説を読み比べてみたらなかなか面白かった。

ということで、私の意訳と寸評を載せたい。
意訳ということで少々品を缺いた文章になっていることについてはあらかじめ御寛恕を乞う次第である。


まづは朝日新聞
「自民党が惨敗した!でも、安倍は続投するという。バカじゃねーの?早くやめてしまえ。それにしても凄まじい負け方だよね。もう、こんなの初めて。度を越えている。与野党が逆転した参院を抱えてこりゃ混乱は避けられないね(ワクテカ)。
負けた原因は年金問題や閣僚のたびかさなる不祥事。運が悪いとも云えるけど、傷口を広げたのは自分だし自業自得。とにかく対応が悪すぎ。そもそも身内に甘すぎるよ。あと、強行採決しまくったし。
第一、格差問題が重要なのに「美しい国」とか「戦後レジームからの脱却」とか云って。それは優先課題じゃないだろ。輿論調査見てないのかね。「基本路線には(国民の)ご理解をいただいている」とか云って、理解出来ん。
これから激動の時代だね。民主も自民の足引っ張ってばかりじゃ駄目よ。
しかし、もう安倍はうんざりだ。一日も早くやめてくれ。」

朝日はよほど嬉しいのか前半は感情的な表現が目立った。
全体的には負けた原因を詳しく分析していた。
民主党に対する提言は申し訳程度。


讀賣新聞
「えらいこっちゃ!民主党が参院で第一党になっちゃった!政治の混乱は避けられないよ。年金問題とか閣僚の不祥事とか、民主党にとって追風が吹いていたからなぁ・・・。あと、小沢の選挙戦術が上手いんだもん。
民主党は勝ったけど、責任重大なんだからな!反対ばかりじゃ駄目。あと、安全保障やテロの問題とかも忘れんなよ。
そうそう、自民党が負けたのは安倍さんのせいじゃなくて小泉時代の負の遺産。竹中の極端な市場原理主義も敗因。安倍ちゃんは悪くない。とにかくね、安倍さんには憲法と教育基本法の改正をやってもらいたいんだから、やめてもらっちゃ困る。」

自民敗北によほど堪えたらしい。
「民主党は責任重大」との主張を強調していた。
自民の敗因について「竹中平蔵・経済財政相が主導した極端な市場原理主義にも原因がある」と市場原理主義を批判していたのは興味深い。


毎日新聞
「え?自民惨敗なのに安倍続投?冗談じゃないよ。空気読めないの?少しは反省しろよ。安倍は基本路線は支持されているといっているけど、その根拠が「(街頭演説などでの)聴衆の反応で感じた」って・・・。選挙の意味わかってんの?馬鹿?
憲法問題でも「選挙戦では詳しく話す時間がなかった」とか都合のいい解釈してんじゃねーよ。ま、どっちにしろ憲法改正は困難になったね(・∀・)ニヤニヤ!」

安倍首相の空気の読めなさ具合を詳しく指摘していた。
また、憲法改正が困難になったことを指摘。


産経新聞
「安倍首相の続投は素晴らしい決意の表れ。でも、まずは反省しなきゃね。憲法改正や教育再生をやろうとしたことはよかったんだけど態勢が万全じゃなかったんだよなぁ。負けた理由は年金と閣僚の不祥事は去ることながら格差問題を蔑ろにしたんじゃない?民主はそこを上手くついたよね。首相は地方の不満をもっと聴かないと。
それよりも民主党は責任の重大さを知るべし。国益考えて自民と協力するところはしないと駄目だよ。いままでと同じだと国民からしっぺ返しをくらうね。民主党が現実的な対応をとれるかどうかはテロ特措法が試金石。あと、憲法9条や集団的自衛権問題についてもちゃんと見解を示めすべし。自民と民主の二大政党制になるのは許してやるけど今までみたいに政局本位で対決路線を続けるのは許せん。」

意外にも(?)、思ったより冷静な分析が出来ていた。
産経らしく民主党に安全保障問題を真剣に考えるべきとの主張を強調。


日本経済新聞
「安倍首相は続投を表明したが、続投するにしてももっと謙虚になるべし。参院で民主が第一党になったから政局が不安定になるけど、経済に影響を及ぼすのだけは勘弁な。いや、マジで。
与党の敗因はいわずもがな。年金と閣僚の不祥事。あとね、民主党が農民に金をばらまくって云ったでしょ?これ、効果あったんじゃないかな。やっぱ、小沢は選挙に強いね。
日経的には安倍さん辞めなくていいよ。どうせ、自民党のなかでたらい回しだろうし。てゆーか、参院っていらないくない?この機に議論した方がいいね。
まぁ、とにかくね、日本経済の為には構造改革って絶対必要だし、民主党は政局を混乱させるのだけはやめてね。ほんと。」

特筆すべきは民主の農民支援を指摘していること。
また、参院不要論や構造改革支持の姿勢を示していることも興味深い。
今回読んだ社説でも最も多くの事柄を述べていた。


西日本新聞
「やー、惨敗だね。自民。今思い出すと2005年の衆院選挙が信じられない。安倍首相続投とかいってるけど、早く辞めろって。
敗因は年金と閣僚不祥事。亥年のジンクスに低投票率ってのがあったけど、今回は当たらなかったね。
あ、そうそう、民主党だけどさ、勝ったからっていって勘違いすんなよ。お前らが良かったんじゃなくて自民が勝手にこけただけだから。民主党のマニフェスト読んだけど年金財源がはっきりしないし。
ま、早晩、衆院解散・総選挙があるだろうね。衆院選挙しても野党に地力がなかったら自民が勝つかもしれない。」

我が福岡の地元紙。
自民批判に終始すると見せかけて自民以上に民主党を批判。驚いた。マニュフェストの内容まで指摘している。
また、衆院解散を示唆。自民が勝つかもしれないとの予測も提示。
何故か亥年のジンクスに触れているのは謎。
今回読んだ社説で最も面白かった。


元ネタ(本物の社説)はこちらから御覧ください。
読み比べると楽しさ倍増!(笑)

「新聞コラム社説リンク」
http://www.ne.jp/asahi/sec/eto/NewsPaperLink.html

参議院選挙と新聞

2007-07-29 16:19:26 | マスコミ・新聞
さて、参議院選挙である。
今しがた投票に行って来た。
今回は自民の敗北でしょうね。
かねがね小沢一郎は選挙に強いと言われるが、このジンクス今回も当たりそうだ。
もう一つジンクス(?)があって亥年は自民が敗北するというもの。
これは朝日新聞の石川真澄記者が言い出した説で、統一地方選挙と参院選が重なる亥年において地方議員たちは春の統一地方選挙の活動をするため、夏の参院選選挙に注げる力が減ってしまい結果、自民が苦戦を強いられるというもの。
名附けてこれを亥年現象という。

私はこの選挙ののちかつての自社さ連合のような現象が再び繰り返されるのではないかと睨んでいる。
いづれにしても民主党は躍進するだろう。

ところで、今日の讀賣新聞の朝刊の一面に「拝啓 有権者の皆さんへ」と題した橋本五郎編輯委員長の文章が掲載されていた。

曰く、野党が勝ったならば「国政が停滞することはある程度覚悟しなければならないでしょう。」
「どの道を選ぶかの大事な尺度になるのが、安倍内閣の10ヵ月をどう評価するかですこれまでともすれば、年金の記録漏れの対応や事務所費問題にばかりに光が当てられてきました。しかし、59年ぶりの教育基本法改正、自衛隊が発足して50年以上たっての防衛庁の省昇格、憲法改正のための国民投票法の制定、公務員制度改革なども踏まえて、きちんと評価を下すべきです。」


遠まわしに(あからさまに?)、自民党に入れろと云ってる。
それに、「拝啓 有権者の皆さんへ」とタイトルを附けるなんて朝日新聞みたいだ。
いや、これを批判したいわけではない。
私はこの讀賣の態度と同じように新聞各社はもっと偏向すべきだと思う。
公正中立なんてハナから嘘なのだから、公正中立を装ってこっそり偏向しているより、初めから「ウチは自分の意見を書きます」という態度の方がはるかに潔いし信頼できる。
だから、朝日も讀賣も自分の意見をもっと前面に出すべきなのだ。
読者はそれを認識した上で新聞を選べばいいのだし、読み比べる楽しみも増える。
どの新聞も同じことしか書かない方が恐ろしい。
むしろ、いまはそれに近い。
新聞がこれ以上偏向したら読者が困るという方もあるかもしれないが、
今でも新聞は公正中立で真実を伝えるなんて思っている読者はどの道騙され続けるだけである。

最近、朝日も保守的になってきた。
私はどの社のものでももっとパンチの効いた社説が読みたい。

酒は気狂い水である

2007-07-29 14:39:11 | 言葉・国語
先ほど、たかじん委員会を見ていて思い出したが、麻生外務大臣が「酒は気狂い水」と発言して問題になっていた。
たしか、先週ラーメン屋のスポーツ紙で読んだ。
たかじん委員会によると、気狂い(キチガイ)は放送禁止用語だから新聞では報じられたがテレビニュースでは放送されてないという。
あははは。面白いね。(←小林チヨジ)

しかし、解せないのは酒を気狂い水と云って問題になることだ。
別に麻生氏だけが云っているわけでなく、古来より「気狂い水」は酒の異称である。
だから、いくら放送禁止だなんだと云おうとも酒は気狂い水なのである。

いや、なぜ問題になったのか実はわかっている。
「気狂い」という言葉がまづかったのだろう。
しかし、私は「気狂い」がそんなに目くじらを立てるほど悪い言葉とは思わない。
気狂い即ち統合失調症などの精神病者を指すとも考えない。

我が国は喋れない言葉がまことに多い国である。

夏の魅力

2007-07-28 15:01:07 | 雑記
夏である。暑い。
私は夏が異常なほど好きなのでこの暑さも不快ながら「あはは暑いよ。夏だね、こりゃどうも。」
なんて云いながら過ごしている。
夏の魅力とはなんだろう。

空が青い。雲が白い。セミが鳴いている。風鈴の音が聴こえる。
朝顔が咲く。緑が深くなる。林に森に木が生い茂る。
薄着でいられる。浴衣が着られる。
冷たいものをたべても熱いものを食べても美味い。
冷房の効いた部屋に居ると涼しい。(この涼しいという感覚は夏でないと味わえない。)
水風呂に入ると気持ちよい。
海に行くと楽しい。
炎天下ににわか雨が降ると快感。(真夏の雨ほど魅力的なものはない)
麦藁帽子をかぶった少年などが蟲取りに熱中している光景などに出くわす。
等々・・・
この一つひとつが私を恍惚とさせる。
夏ってホントにいいなぁー。
蚊に刺されるのは勘弁だけど。

町田康、布袋に殴られる

2007-07-27 01:39:00 | テレビ・芸能
布袋、町田康さん殴る 

人気ギタリストの布袋寅泰(45)が芥川賞作家でロック歌手の町田康さん(45)の顔などを殴り、けがを負わせていたことが25日、分かった。町田さんが千葉県警君津署に被害届を提出した。
 関係者によると、2人は先月中旬、同県内にある布袋の別荘から、車で同乗して東京に帰る途中に布袋が町田さんを殴ったという。町田さんは全治約2週間のけがを負った内容の診断書とともに、被害届を提出した。
 布袋と町田さんは旧知の仲で、布袋の曲の作詞を町田さんが手がけたり、布袋が昨年発売したコラボレーション・アルバムにも町田さんは参加している。趣味でともにバンド活動を行ったりもしているが、音楽活動を巡り双方の意見に食い違いが生まれ、トラブルとなったようだ。
 町田さんは自身のHPの6月14日付の日記から「午前、病院。午後、病院」などと何日間か通院を告白。同25日付では「うそつき野郎を滅ぼしたい」と布袋との“ケンカ”を暗示するコメントを残している。布袋の所属レコード会社は「事務所からの報告を受けていない」としている。

(2007年7月26日06時06分 スポーツ報知)



ステフ再婚に驚いていたら、今度は町田康が殴られた。
いま日米の芸能界が熱い。
この報、讀賣新聞の朝刊で知った。
昨日は学校が休みだったので昼のワイドショーを注視していたら、
日本テレビの「THE ワイド」では画面の上のテロップにずっと
「布袋寅泰(45)に暴行された芥川賞作家(45)が被害届」と表示されていた。
芥川賞作家に思わず笑ってしまった。
作家に暴行というと何やらとんでもない悪いことに感じる。
「町田康」と書いても誰もわからないということか。
町蔵(町田康の昔の芸名)って知名度が低いのだなと知れた。
もっともあまり有名になって欲しくはない。

ところで、「THEワイド」ではコメンテーターがかなり布袋寄りのコメントを述べていた。
詳しい事情はよくわかないが、完全に町蔵派の私としては「布袋、よくも町蔵をなぐりやがったな」という心持ちである。
しかし、パンク歌手出身の町蔵とロック歌手の布袋の喧嘩とは面白い。
そして殴ったのが布袋の方という事実も大変興味深い。
このことについて的確な解説をしていたのがTBS系の「2時っチャオ!」のコメンテーター山田五郎さん。

山田「町田さんもねぇ、町田町蔵って云ってかつてはパンクをやっていたかなり無頼派で」
恵「ま、芥川賞作家として有名ですけれど・・・」
山田「元々はパンクミュージシャンですからねぇ。
   で、布袋さんはBOØWYでいまでいうビジュアル系みたいな。
   どっちかっていうと町田さんの方が殴りそうなんだけど。
   意外にパンクって文化系ですからね。逆にビジュアル系の方が体育会系で。
   心のロック対、体のロックみたいな。そういう噛み合わなさもあったのかもしれない。」
(書き起こし:あび卯月)


そうなのだ。
日本のパンクシーンにはやたらと文系が多い。
やけに文学的だったり、インテリの匂いがしたりする。
このことはUKパンクやアメリカのパンクにはあまりみられない傾向でジャパニーズパンクの特徴である。
海外のパンクスは本当に怖い。
UKやUSAでは文系はむしろロックシーンに流れているように思う。
例えば、スターリンの遠藤ミチロウもマルクスや吉本隆明を愛する左派系文学青年だった。
言わばちょっとしたインテリ青年である。
しかし、日本にも本物の不良パンクスはごく一部いて、その代表的なバンドがアナーキー(亞無亞危異)だ。
このアナーキーのメンバーから遠藤ミチロウが殴られた事があったが、
ヤンキーパンクスであるアナーキーにとっては文系のミチロウはいけ好かない存在だったのだろう。
町蔵の小説にも以下のようなくだりがある。

「大丈夫だよ。だいたい君はパンクロッカーだから喧嘩慣れしているだろう」
「パンクロッカーってのは喧嘩が弱い奴がなるんだよ。本当に強いのはヤンキーになる」


これを読んだ時、自分自身のことを言っているのだなと思った。
本当に喧嘩が出来る奴はパンク歌手になんかならない。
どちらかというと、ロックに流れる。
ロックの中でもハードロックやビジュアル系などにだ。
なんてことを書くとビジュアル系バンドのファンの皆様からお叱りを受けそうだが、別にビジュアル系=不良と言いたいわけではない。
率が高いというだけで、ロックをやっている人のほとんどは普通の人だろう。
それに九十年代に入って日本のパンクシーンはかなり変節を遂げていまやほとんど絶滅したといっても良い。
そもそもロックやパンクがJ-POPと結びついてしまいなにがなにやらわからなくなってしまった。
少し前に青春パンクという奇妙なパンクが流行ったことはそれを象徴している。
それゆえ、ロック界のジャンル分けも非常に困難な時代だといえる。
ただ、指摘しておきたいのは一般にパンクの方が過激に見えるが、文系度数では明らかにパンクスの方が高くてロックやビジュアル系の方が体育会系であるということである。
それでも見た目は当然パンクの方が過激で、町蔵の若い頃のライヴなどでは常に客を怒鳴り散らしていた。
しかし、その実、文系で喧嘩が弱いというこのギャップがたまらなく良い。

町蔵が警察に被害届を出した事について、一部に「それでもパンクスか」という意見が上がっている。
なに、日本のパンクスなんてそんなものだ。
町蔵に何を求めているのだか。
そんな手合にはロックの方を聴く事をおすすめする。

ステフが再婚とは驚いた

2007-07-25 22:50:27 | 映画・ドラマ
昨日、ミクシィの速報に「「フルハウス」のステフが再婚 」とあったので驚いた。
フルハウスのステファニーことジョディ・スウィーティンが再婚したという。
ステフが一度結婚したことすらしらなかった。
二度驚いた次第である。

フルハウスを知らない人は少ないだろう。
私の一番好きなアメリカンコメディドラマである。
本国アメリカでは1987年から1995年にかけて全192話が放送され、
日本ではNHK教育で1993年から1997年まで放送された。
のち、何度も再放送され今現在も火曜の19時から放送されている。

私はフルハウスのメンバーは全員好きなのだけど、特にステフが好きだ。
というのも、リアルタイムで見ていたとき同い年だと思っていたし、なにより吹き替えの声が大谷育江さんだからだ。
大谷さんの声はなんとも形容がし難い良さがある。
いや大谷さんだけではない。
フルハウスメンバーの声優は全員、声質・演技共に申し分がない。
ダニーの大塚芳忠さん、ジェシーの堀内賢雄さん、ジョーイの山ちゃん(山寺宏一)、DJの坂本千夏さん(となりのトトロのメイなど)、ミシェルの川田妙子さん(旧姓・山田)。
まったくもって豪華なキャストである。
あと、別の意味で大好きなのはDJの友人のキミー。
キミーはいつもフランクで一つひとつの受け答えが抜群に面白い。
私なんぞ彼女が登場するだけで大笑いしてしまう。

この機に色々調べてみたら、ステフ(ジョディー)は1983年生れだった。
本国と日本で放送された時期にずれがあるのを知らなかったので私とほぼ同じ歳だと思っていたが二歳も年上だった。
もう一つ驚いたことは設定上の主役はジェシーだということ。
てっきり、ステフたちの父親のダニーだと思っていた。
また、これは先週くらいに知ったのだけども、ミシェル役の子は双子なのだという。
きちんとキャストにも二人の名前があるのに今までちっとも気づかなかった。

ウィキペディアによると、ステフ役のジョディさんは2004年頃、薬物依存症になり、そこからの復帰を手助けしたのはフルハウスのタナー家の人びとだったという。



2006年2月1日、アメリカABCテレビ「Good Morning America」のインタビューに出演した際、2004年に解雇による喪失感などから塩酸メタンフェタミンの依存症になり毎日常用していたことを告白。
(略)
『フルハウス』の主演で叔父のジェシー役を演じたジョン・ステイモス、父親のダニー役を演じたボブ・サゲット、妹のミシェル役を演じたオルセン姉妹らの激励もあって、リハビリ施設に入所し6週間の集中治療を受けた。2005年3月には依存症を克服、現在は女優業への復帰を望んでいる。
(略)
ジョディにとってフルハウスの共演者は非常に大きな存在である。ABCのインタビューでは「本当の家族のように、一緒に笑い、一緒に遊ぶなど今でもお互いを愛し合っている。」と話した。依存症克服にはタナー・ファミリーの存在が大きかったという。ジョディの結婚式には、D.J.役のキャンディス・キャメロン・ブレとその家族が出席するなど、フルハウス放送終了後から約10年が経過した今でも親交が深いという。
(フリー百科事典『ウィキペディア』より)



フルハウスメンバーはいまでも厚い親交があるようである。
これは大変嬉しいことだ。
今でもサンフランシスコのあの家に行くとタナー家の皆が笑顔で暮らしているような気がした。
もっともDJとステフは結婚してたまにしか戻って来ないのかもしれないが。

共産党と社民党

2007-07-19 01:02:46 | 政治・経済
共産党と社民党はどちらも日本の左派政党だが、微妙に立場が異なる。
個人的にどちらが好きかと問われれば私は迷わず共産党と答える。

というのも、先月、長野県の御代田町で茂木町長が「同和事業を完全廃止」を宣言したが、これは共産党の尽力なしには実現できなかった。
こんなこと自民も民主も社民も出来なかったろう。
じじつ、町民のある女性は「待ちに待った宣言です。御代田にもやっと夜明けがきました。共産党だからこそできたことだと、私は思います」と述べていた。
出典が「しんぶん赤旗」だから少しプロパガンダ臭いが、女性の発言に私も同意する。
つまり、社民はこういう筋の通らない利権など見てみぬふりをするが、共産党は駄目なものはだろうがなんだろうが駄目という骨のある態度を取る。
ここに違いがあると思う。
少し褒めすぎだろうか。

しかし、今日の報道ステーションを見たが、
社民党の福島代表は選挙の争点は憲法にあると認識しているようで、
相変わらず、「ゴケンゴケン」と唱えるばかりで、格差や年金は二の次だった。
挙げ句、脱原発を主張する始末。
この現状認識の乏しさが社民党の弱点であり、いつまでも議席が増えない所以である。
いや、現状認識の乏しさは共産党やその他の政党も似たようなものだが、社民よりも共産の方が支持を集めている現状をどう分析するか。

私はオバサンとオジサンの違いだと睨んでいる。
社民党はオバサンで共産党はオジサンなのだ。
オバサンといっても社民党はPTAのオバサン。
で、共産党は純粋に共産主義を信じている運動家のオジサン。
運動家のオジサンは教条主義をまくしたてるけど、結構本気で骨がある。
PTAのオバサンはこちらも教条主義でいつもキーキー言っているけど、ここぞという時に逃げる。
「私は知らないザマス。関係ないザマス。」という具合。
言葉狩りやジェンダーフリーとか女権とかがより好きなのもオバサンの方だよね。
このニュアンスわかりますか?(笑)
伝わる人に伝わればいいや。
で、庶民に人気があるのはどちらかというと運動家のオジサンの方だと思うのだ。
かつての社会党は労働者の党でむしろこちらの方が労組のオジサンという感じがしたが、いまやすっかりオバサンの党になってしまった。

さて、私はどちらの党が良いとか悪いとか言いたいのではない。(選挙法対策)
好きか嫌いかでいうと別にどっちも好きじゃないし。(ついでに言うと、自民も民主も好きじゃない)
ただ、やるなら本気でやって欲しいと思うのだ。
だから、どの党であれ、戦争問題とか慰安婦の問題を言うのなら、
「我が国は侵掠戦争をして多くの国々に多大なる損害を与えました。ついては、戦争被害に遭われた国家と個人に賠償するため、税金を上げ、さらに消費税も二十パーセントに上げ、その金を賠償に当てます。もちろん、何度謝っても、いくら賠償しても被害者の傷は癒えませんので日本国および日本人は極悪非道な犯罪国家・犯罪者としてとして未来永劫、謝り続けますし、賠償もしてゆきます」
とこれくらい言ってほしい。
言えたらアッパレなのに。
いや、本当は言いたいのだけどそれをいうと日本人の為の政党でないことがバレるから言わないのだろう。

最後にかねがね疑問に思っていることがある。
共産党や社民党は軍国主義反対の姿勢を強調している。
なのに、本当に軍国主義の支那や北朝鮮に対して糾弾しない。
アメリカには言うのにかの二国には言わない。
特に社民党は人権擁護を主張しているはずである。
だったら、なおさら人権蹂躙国家である支那や北朝鮮を批判したり、批判的であるはずなのにむしろ友好的だ。
平和主義を唱えるのも人権擁護を叫ぶのも方便なのだろうか。
私は馬鹿だからこの謎が一向に解けないのである。

宮本顕治は二度死んだ

2007-07-18 23:28:58 | 歴史・人物
かつて共産党の委員長だった宮本顕治が死去したという。
恥ずかしながら私は宮本顕治がつい昨日まで生きていたことに驚いた。
もう死んでいる人だと思っていたのだ。
かつて、山本夏彦さんは

・・・社会的名士は社会的生命が終れば死んだとみなされる。
そして改めて生理的に死んだときに、ああまだ生きていたのかと思いだされる。
すなわち二度死ぬのである。
(『おじゃま虫』より)


と書いたが、宮本顕治は私にとってまさに二度死んだ人といえよう。
宮本顕治といえば、昭和六十三年にハマコー(浜田幸一)が予算委員会で「我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者であるミヤザワケンジ君を国政の中に参加せしめるような状況を作り出し・・・」と発言して問題になったことを思い出す。
ミヤザワケンジは宮本顕治の言い間違いである。
この発言に共産党は猛抗議し、結果ハマコーは予算委員長を辞任することになった。
この発言の根拠は昭和八年に起きた日本共産党内のリンチ事件に由来する。
この事件は当時、日本共産党中央委員だった宮本顕治ら四名が党員の大泉兼蔵と小畑達夫を監禁して暴行を加え、小畑を死に至らしめその死体を床下に埋めたというもの。
暴行には焼けた火鉢や硫酸が使われたという。
この事件は命からがら逃亡した大泉によって発覚し、宮本らは治安維持法違反、殺人、殺人未遂、死体遺棄の容疑で起訴され、宮本氏は無期懲役に処せられた。
宮本氏が実際に手を下したかは議論が分かれるところだが、事件が起こったことは事実であろう。
共産党は戦時中も一貫して戦争に反対したと今でも誇らしげに言っているが、なに戦争には反対しても人殺しはやっていたのである。

中曽根康弘はこの度の訃報に際し「(宮本氏は)論理で攻めてくる人で敵ながらあっぱれだった」という旨のことを言っていた。
確かに宮本顕治は毛沢東とケンカするなど気骨のある人だった。
いまの志位和夫委員長は品はあるけど、胡錦濤に文句を言うガラじゃないやね。

最近、昭和を生きた政治家が次々とこの世を去る。
改めて「昭和は遠くなりにけり」を実感した。

小林よしのりとか格差とか戦争論とか

2007-07-17 23:02:35 | 政治・経済
今号のSAPIOを立ち読みした。
ゴー宣が可笑しくって可笑しくって。
なんだか、「反米だと小林よしのりと一緒になってしまう!」と苦悩する親米保守のおじさんが出てくる話。(このおじさんは架空の人物)
反米だろうが親米だろうが小林よしのりと一緒になろうがなるまいが、自分の思うことを主張すればいいのに。
私は以前、ゴー宣に批判的なことを書いていたが、近頃は大変評価している。
「評価」というと偉そうだが、最近のゴー宣は読む価値あり。
あのこと書こうかなと思っているとゴー宣に描かれてしまって、じゃあ、私は書かないでいいやと思うことしばしば。
格差問題はゴー宣を読めばよし。

ところで、今号のゴー宣の欄外では長崎の本島元市長が久間前防衛相と同じく「原爆しょうがない」発言をしていることを指摘していた。(このことは以前このブログでも指摘した)
全く正しい指摘で久間が糾弾されるなら本島も糾弾されるべきなのに久間批判をする同じ口で本島批判はしないのは片手落ちだと思う。
右翼のテロに遭った人は何を言っても赦されるのだろうか。

小林よしのりといえば先月号(七月号)の『論座』でも編輯部と格差を論じたり、雨宮処凛とネットカフェに行ってネットカフェ難民を案じていた。
このことについて、格差の問題や小林よしのりの『戦争論』以後についていろいろ書きたいことがあったが書けずじまいだった。
とりあえず、私の述べたかったことを簡単に書く。

私は格差問題で国家社会主義者、つまり労働右派が擡頭してくると思う。
本来なら左派こそが、いまこそ貧困層や労働者と団結すべきなのに相変わらず人権やら戦争責任やら反日やらやっている。
戦争を欲する若者(「論座」に論文を寄稿した赤木智弘さんなど)が出てきてもその不満をちっとも掬っていない。
戦争は良くないの一点張り。
そんなことはあたりまえで、なぜ赤木氏が戦争を欲しているのか、そしてその救済法を考えなければならないのにちっともわかっていない。
挙げ句、赤木氏から「結局、自己責任ですか」と反論されてしまう。
自己責任なんていうのは体制側の論理ではないか。
このままでは労働問題のお株も右翼にそっくり奪われてしまう。
小林よしのりあたりもますます人気が出るだろう。
(最近じゃ、一部の左派からも支持をあつめているようだし)

『戦争論』以後について。
私は小林よしのりの功績をもっと評価すべきだと思う。
小林氏はバカウヨクやネットウヨクを作り出してしまった張本人として批判されることが多い。
あの本を大東亜戦争を考える一つの材料としてではなく、自分にカタルシスや癒しを与える書として読んだ若者も多かった。
雨宮処凛などはまさにその典型で、そういう手合には別に右翼でも左翼でも宗教でも自分が陶酔出来るものが欲しかったのだろう。
しかし、そういった悪弊はあったものの慰安婦問題など堂々と議論できるようになったのはやはり小林氏の尽力が大きいと思う。
私も氏の主張にすべて賛同す立場ではないが、戦争問題について一石を投じた功績はもっと評価されてよいと思う。


おまけ:
今号(八月号)の『WILL』に屋山太郎の「社保庁労使国賊論」が掲載されていた。
このブログで少し前、社保庁の労組は酷いとか、「いまの年金問題が明るみにでたのは社保庁の自爆テロ」と書いたが屋山さんがさらに詳しく書いてくれたかたち。
私は別の方から聴いたが、社保庁自爆テロ説は屋山氏も採用しているようだ。
社保庁労組のことを詳しく知りたい方は御一読あれ。

私の声優史 第二回

2007-07-12 23:25:23 | 漫画・アニメ
声優は大きく分けて二つに分けられる。
アイドル声優と非アイドル声優である。
アイドル声優は声優雑誌ではよく見かけるが、どちらかというと普通のアニメで見かけることは少なく、オタクアニメでしか見かけない人もいる。
非アイドル声優は普通のアニメや洋画の吹き替え、テレビのナレーションなどで活躍している。

九十年代後半の第四次声優ブームはこのアイドル声優が多く登場した時代だった。
以前、女子アナの話をした時にも書いたが、声優の過剰なアイドル化は演技力の低下を招いた。
しかし、演技力あってこその声優である。
アイドル性だけで売っていた声優は今はすっかり消えてしまった。
長い目で見ればやはり実力主義なのだ。

二十一世紀になって一時ブームは冷めた。
2000年の末に「アニラジグランプリ」が休刊になり、2002年の二月には「ボイスアニメージュ」(徳間書店)が休刊になった。
ただし、2002年の五月にはボイスアニメージュと入れ替わるように角川書店から「VOICE Newtype」が創刊された。
言い換えればこの時期はアイドル声優の世代交代の時期であった。
象徴的だったのは丹下桜の引退だ。
つまり、2001年から2002年の間に第四次声優ブームを担ってきたアイドルの一部が消え、それを補うように新人のアイドル声優が参入してきたということである。
したがって、世代交代とはいえ緩やかなものであった。
そういえば、声優雑誌の大御所「声優グランプリ」がリニューアルされたのもこの時期だ。
2003年以降、声優業界は再び活気を見せはじめた。
これが「第五次声優ブーム」と謂われる潮流だ。
いまでもそれは続いていて、去年の「涼宮ハルヒブーム」はそれに拍車をかけたかたちになる。
第五次声優ブームを担う声優たちの名前を挙げるならば、

堀江由衣、新谷良子、能登麻美子、水樹奈々、野川さくら、中原麻衣、小清水亜美・・・
特に近年人気がめざましいのは平野綾、釘宮理恵、田村ゆかり、井上麻里奈、杉田智和あたりだろうか。
私の独断と偏見なので御意見のある方はどしどし書き込みされてください。
特に最近は声優雑誌を講読していないので新興のアイドル声優はちっともわからない。
第一、声の区別が付かない。

ところで、男性のアイドル声優は女性のそれと事情が少し異なっていて、多くの人は第四次声優ブームからずっと活躍している。
つまり、人気の息が長い。(石田彰、保志総一朗、緑川光、子安武人、三木眞一郎、阪口大助・・・等々)
これは絶対数が少ないことに加え、新規参入の男性声優が女性声優に比べ圧倒的に少ないからであろう。

以上、アイドル声優の事情について述べてきたが、非アイドル声優にとっては第四次声優ブームや、第五次声優ブームの潮流など殆ど関係のない話であった。
非アイドル声優にはベテラン声優が多い。
お笑い業界に譬えるならば、お笑いブームが起ころうとも大御所芸人にはあまり関係ないのと似ている。

私はあからさまなアイドル声優を好まない。
声優としての優劣は第一に声、第二に演技力だと思うので、アイドル声優をその基準で判断するならばどうしても非アイドル声優に劣ってしまう場合が多い。
じじつ、オタクアニメでは信じられないような演技をする声優が散見される。
洋画などを見ていてベテラン声優の声や演技にはほれぼれすることがしばしばだが、アイドル声優ではそういう経験が少ない。
とはいえ、一般にアイドル声優といわれる人たちにもしっかり演技できる人も居るし、アイドル声優が全員演技ができないというわけではない。
(それにしても『GAる~ん』の声優はもっとどうにかならなかったのか)
また、声優という職業は専業で生計を立ててゆくのが難しいという事情もあり、一概に声優のアイドル化を非難できない面もある。
アイドルとして売り出さなければどうにもやってゆけないという側面もあるのだ。
しかし、それは声優の出演料の安さに問題があり、その点を改善するのが先であると思う。
同時にアイドル声優は居ても良いと思う。
需要がある以上、双方に利益をもたらすからだ。
(私もアイドル声優と呼ばれる人で応援している人が多く居る)
ただ、本業を蔑ろにしてアイドル化ばかりが先行しないことを願っている。


つづく

福田恆存さんと私のアメリカ観

2007-07-11 22:24:35 | 政治・経済
今日、月刊『WILL』の六月号を手に入れて蒟蒻問答を読んでみて驚いた。
(註:蒟蒻問答というのは堤堯と久保絋之の対談ページ)
所々に、福田恆存さんの言葉が引用されている。
以下、その箇所を掲載。


久保:福田恆存が「(アメリカ人は)全てが文明の高度化と文化の未成熟という矛盾に基づくインファンテリズム(子どもっぽい行動・幼児性)から説明できる」と言ったことがあります。文化の蓄積によるデリカシーというものがまったくないでしょう。・・・

久保:そもそもパワーポリティックス(権力政治)の世界では、それが当り前なんですよ。福田恆存は「日本のインテリは政治を道徳的に見るので、国際政治の冷酷さに無知だ」と言っていましたがね。

久保:ガリバー帝国アメリカに戦争を仕掛けて敵うわけがない。それよりはアメリカの情けにすがろう、などといった小泉流のメカケ根性を捨て、短期戦であろうが「アメリカと戦って限定的な勝利を得る秘策」を練ることで日米安保という鏡をぶち割るべきじゃありませんか。これはことさらアメリカと事を構えようというのではない。しかし、そういう気概が日本になければ、アメリカだって日本を一人前と見なさないし、日米同盟なんて成立しようもないのです。福田恆存が「アメリカと仲良く付き合っていくための前提として、日本人の国家意識を取り戻せ」と言ったのはそういった意味からです。

(註:原文では「福田恒存」となっていましたが、ここでは「福田恆存」に改めました)


ちかごろ雑誌や書籍などで福田先生のお名前を見かけることが多くなったが、『WILL』にも登場するとは。
そういえば、久保さんはかつて産経新聞の「久保紘之の天下不穏」というコラムで何度も福田先生の言葉を引用していた。
久保紘之さんは福田先生と直接関係があったのだろうか。
私はその辺の事情をよく知らない。
ところで、上記三つの福田先生の言葉は何処からの引用なのだろう。
一番下は「久保紘之の天下不穏」でも引用されていた。
二つ目はどこかでみたことがある気がするが、一番上のものは記憶にない。
いづれも出典がわからない。『日米兩國民に訴へる』だろうか。
あるいは、久保さんが個人的に聴いたものだろうか。
御存知の方御教示いただけると幸いです。

さて、福田先生の御意見にはまったく同意の至りである。
「日本のインテリは政治を道徳的に見るので、国際政治の冷酷さに無知だ」という言葉は今も全く通用する。
日本の評論家に是非とも聴かせたい言葉だ。
アメリカの幼児性についても鋭い指摘だと思う。

ところで、私は反米主義者ではないが親米でもない。
ただし、最近は政治的に観るとアメリカには腹が立つ事が多々ある。
私だけではなく最近では保守派言論人からもアメリカを批判する声があがっている。
でも、そういう人でもハンバーガーは好きだのスターバックスにも良く行くだとの言っている。
ここに私とそれらの人との間に意識の乖離がある。
というのも、私が生まれたのは昭和六十年で幼年期にジャパン・アズ・ナンバーワンと謂われる時代を過ごした。
生まれながらに周りにモノはあふれていたし、日本製品の品質は世界一だと謂われていた。(今でもそうだろうが)
食べ物も日本のものが一番美味しいと言われて育ってきた。
じじつ、アメリカのドラマや映画で見る食べ物は不味そうだった。
何が言いたいかというと、私には生れながらにしてアメリカに対する幻想や憧れがまったくといっていいほど無いということだ。
そもそも憧れる理由がなかった。
女性だって今も昔も日本女性がもっとも美しいと思う。(これは好みの問題であろうが)

一方、私の親の世代はアメリカに憧れを持ってそだってきた世代だと思う。
私の母などは「子供の頃映画といえばアメリカ映画でなんて素敵な国なのだろうと思った。日本映画などダサくて見れなかった」と当時を回想する。
高度経済成長期はアメリカに追いつけ追い越せの時代だったから、アメリカが様々な意味でお手本だったし、じじつ物資は溢れ、音楽や映画などの文化も盛んだったアメリカに憧れるのは当然のことだったのだろう。
そういう時代を生きた人がいま社会の中核にいるので日本は今だにアメリカに対する幻想や憧れが抜けきっていない。
アメリカを批判する人も憧れをまだまだ捨てきれないとみえる。

いま「私の親の世代」と言ったが、私の世代にもアメリカに憧れを抱いている人もいると思う。
日本人が西欧に憧れを抱くのは明治以降ずっとそうであるし、ついでに言えば明治以前のそれは支那だった。
それでも少なからず、私の上の世代と私より下の世代ではアメリカ観に相違があると思う。
私が単に「国粋主義者」だから他国に憧れを抱かないというわけではなかろう。
日本の経済成長が大きく関連していると思う。
この辺、若い人にいろいろ尋ねてみたい。

だから、実は反米だの親米だのという括りもあまりよく理解出来ない。
初めから殊更アメリカに興味があるわけではないからだ。
アメリカだろうが支那だろうが朝鮮だろうがロシヤだろうが筋の通っていないことには反撥するだけで、
それを反米だの反中だの嫌韓だのと言われるのは心外である。

とまれ、日本人はなんでもアメリカの真似ばかりしているように思う。
ナイナイの岡村隆史もラジオでことあるごとに「日本人はなんでもアメリカの真似ばっかりですよ!」と言っている。
先日も日本の禁煙が強化されたのもアメリカの真似だと怒りをぶつけていた。
禁煙の話はアメリカの真似なのか知らないが、「アメリカの真似ばかり」というのは我が意を得たりといったところだ。

私はどの国とも基本的に仲良くやってゆきたいと思う。
民間レヴェルでは尚更だ。
だからこそ、福田恆存先生が仰ったように「アメリカと仲良く付き合っていくための前提として、日本人の国家意識を取り戻」すことが大切だと思うのである。

(なんか、無理矢理まとめたね。)

乱用的買収者とブルドック

2007-07-09 22:14:47 | 政治・経済
ブルドックの買収防衛策は「適法」…東京高裁が決定

 米系投資ファンドのスティール・パートナーズ・ジャパンがソース最大手ブルドックソースによる買収防衛策発動の差し止めを求めた仮処分申請で、東京高裁(藤村啓裁判長)は9日、スティールの抗告を棄却し、ブルドックの防衛策発動を適法とする決定をした。

 決定では、企業価値について「多様な利害関係人(ステークホルダー)を視野に高めるべきで、株主利益のみを考慮する考えは採用できない」と規定。投資ファンド全般について「短中期的な売却益を獲得しようとし、自らの利益のみを追求している存在」と踏み込み、スティールを「乱用的買収者」と認定した。

 ブルドックは計画通り11日、株主に新株予約権を発行する。早ければ今月27日にもスティール以外の株主に普通株を交付して、スティールの株式保有比率を現在の10・52%から2・86%へ強制的に引き下げる。日本企業が買収防衛を目的に新株予約権を発行する初のケースとなる。

(讀賣新聞 最終更新:7月9日20時52分)



東京高裁が意外にもまともな判決を下した。
なるほど、「乱用的買収者」とは言いえて妙である。
禿鷹ファンドを翻訳したものだろう。
爾後、私も禿鷹ファンドを乱用的買収者と呼びたい。

マスコミは赤木農水大臣の経費問題をトップニュースとして扱っているが、私はこちらの方が国家の一大事だと思う。
乱用的買収者は買収先の企業の繁栄を願って買うのでなく、濡れ手に粟で金を得るがために買収する。
企業の経営に参加する意思は無く、株価を上昇させてから関係者に株式を高値で売りつけるという手法である。
特にスティール・パートナーズはその手のやり方で悪名が高い。

今回の判決でブルドック側が勝ったようだがそうではない。
防衛策の資金の為にブルドックは四年分の赤字になるという。
結局、乱用的買収者に狙われたために大損害を蒙った。
もっと小さな企業だと潰れていたかもしれない。

スティール社のリヒテンシュタイン代表は今回の判決について「外国なら違法行為だ」などと述べているそうだ。
彼には盗人猛々しいという言葉を進呈したい。
乱用的買収者たちは日本企業が長年かけてコツコツと培ってきた企業の技術、品質、伝統、信用など気にもかけない。
ブルドックソース(株)は百年以上の伝統を持つ老舗の企業だ。
奴らのやりかたはアリがせっせと働いて貯めた財をそっくりもってゆくキリギリスのようだ。
働かないキリギリスばかりが得をして、まじめなアリが損をするという世の中は狂っていると思うが乱用的買収者たちは思わない。

被買収者たる日本人の中にもそう思わない者がいる。
「グローバル化だから仕方が無い」とか「いままでノホホンとしていた日本企業の方が悪い」という者もある。
他人事だと思っているのである。
彼らは自分たちにも被害が及ぶと気付いてはじめて反対するだろう。
なぜ、政府はもっと早く日本企業を守る法を講じなかったのか、
なぜ、あの時政府は乱用的買収者に都合の悪い規制を撤廃したのか、
為に我々の会社は買収されてしまったではないか、為に我々は給料を減らされた、為に我々は会社をクビになった、為に我々の会社は潰れた、云々。
日本人はいつも取り返しがつかないところまできてはじめて寝耳に水だと口々に言うのである。

今後、こういうケースがますます増えるだろう。
私には攘夷の嵐が吹き荒れている未来の日本が見える。

私の声優史 第一回

2007-07-06 02:27:44 | 漫画・アニメ
最近、私の中で大谷育江ブームが到来している。
「大谷育江」という字面を見てピンと来たあなたは多分声優ヲタ。
少なくともアニメに詳しい方でありましょう。
もったいぶらないで言うと、大谷育江さんはポケットモスンターのピカチュウの声を担当している声優さんだ。

私は声優ヲタを公言しているが今までブログでは声優の記事を書いた事がなかった。
いい機会だから自分の経験を交えて九十年代後半からの声優史を書いてみようと思う。

私はものごころついた時から、アニメ、テレビのナレーション、洋画の吹き替えなどの声に興味があった。
つねにこの声は誰々だと意識しながら見ていた。
大体、幼稚園に通っていた頃からそうだった。
声フェチというとニュアンスが違う気がするがそれに近いものとみていい。
はじめは声だけを確認していたが、じきに声優の名前も覚えてゆく。
そんな私が声優に興味をもったのは自然な流れであった。

本格的に声優ヲタクになったのは中学三年ごろ。
当時は横山智佐に嵌っていた。
きっかけは横山智佐が週刊少年ジャンプの投稿ページ「ジャンプ放送局」のアシスタントだったこと。
それを発端に声優関連の雑誌などを買うようになり、果てはCDやビデオまで買うようになった。
アニラジと呼ばれる声優のラジオも聴くようになった。
私が聞いていたのは「広井王子のマルチ天国」(横山智佐が出ていた)、「國府田マリ子のGM」、「林原めぐみのハートフルナイト」、「mamiのRADIかるコミュニケーション」、「瞳と光央の爆発ラジオ」、「平成アニメっ娘倶楽部」(なんて恥ずかしいタイトル・・・)、などなど。
ファンだから聞いていたのは「広井王子のマルチ天国」くらいであとは別段ファンでなくても声優ラジオということで聴いていた。

横山智佐は完全にアイドルとして好きだった。
モー娘ヲタはよくイタいと言われるが当時の私はそんな感じだった。
かなりイタい子だったと思う。
いま思い返してみると恥ずかしい限りだ。
横山智佐のファンだったことは私の黒歴史であるが、この時期、相当多くの声優を知った。
九十年代後半というと第四次声優ブームといわれる時代で、アイドル声優が跋扈していたし、声優関連の雑誌も多く出版されていた。
いま声優雑誌の数は全盛期の半分くらいである。
「アニラジグランプリ」という声優ラジオの専門誌も今は休刊となっている。

当時アイドル声優として人気のあった声優は林原めぐみ、宮村優子、丹下桜、椎名へきる、國府田マリ子、井上喜久子、氷上恭子、岩男潤子、飯塚真弓、桑島法子、豊島真千子、三重野瞳あたりである。
この中でいまも人気を保っているのは林原めぐみと井上喜久子くらいのものであろう。
私は声優、ことにアイドル声優の多くを知ったが、声を知らない人も多かった。
というのも、アイドル声優はいわゆるオタク系のアニメに多く出る。
意外かもしれないが、私はオタク系のアニメをほとんど見なかった。
今ではさほど抵抗は無くなったが、中高生の時分はオタク系アニメを殆ど嫌悪していた。
だから、今でも声優を知っている割にアニメを知らないのでアニメオタクからは馬鹿にされることがある。

横山智佐を卒業した後、好きになったのは宮村優子だった。
(横山智佐を卒業したのは自分のイタさが嫌になったからだと思う)
宮村優子といえばエヴァンゲリオンのアスカが有名だが、私はエヴァなんてオタクがみるアニメだと思っていたので興味すらなかった。
私が宮村優子を好きになったきっかけは、「宮村優子の直球でいこう!」というラジオ番組を聞いたことと、決定的だったのはある雑誌に載ったラジオメンバーとの座談会記事を読んだことによる。
その座談会で宮村は岩田光央とトークを繰り広げるのだが、下ネタやオヤジ発言のオンパレードで私はこんな声優が居たのかと衝撃を受けた。
元来、ギャップに弱い私は見た目が好みだということもありすっかり好きになった。
CDを買って聞いてみるとますます好きになり、ほとんど“みやむーキチガイ”になった。(「みやむー」は宮村優子の愛称。)
みやむーの歌の魅力はここではなんとも語り尽くしがたいが一言で言うと唯一無比なのである。
他の声優ソングに無いものをみやむーは持っていた。
わかりやすくいうとぶっ飛んでいた。
作曲者陣を見てみればわかる。
関口和之(サザンオールスターズ)、大槻ケンヂ、戸川純、平沢進、高浪慶太郎(元・ピチカートファイブ)、ジッタリンジン・・・。
この濃さは他の声優ソングにはなかった。
ラジオでのみやむーも凄かった。
下ネタ、オヤジギャグ、シュールのオンパレードだった。
下ネタはここに書くのを憚られるような内容も多々あり、今考えてみるとよく放送できていたなと思う。
事務所もよく許したものだ。
本人も自分のことを「企画モノ声優」と言っていたので、イロモノと自覚して色々やっていのだろう。
こんなアイドルの規格から随分外れた宮村優子もデビュー当時はきちんとアイドルをやっていた。
1995~96年頃のことである。
もともと、エヴァの御蔭でブームに火がついたのでアイドルをやらざるを得なかったのだろう。
むろん、私はこの頃の宮村優子を知らない。
97年頃から次第にどんどんやさぐれて、私が知る頃にはすっかり下ネタ声優となっていた。

宮村優子ファンだった時期は横山時代と違って、私は宮村優子をアイドルとは思わなかった。
いわば、パンクロック歌手みたいに捉えていた。
だから、人が宮村優子の悪口を言ってもむしろ嬉しかったし、AV出演疑惑騒動が起きた時も「みやむーならありえるかもしれない」とむしろニヤニヤしていた。(なんて酷いファンだろう)
私にとって宮村優子はそんな存在だったのだ。

みやむーは2004年に結婚して今は第一線を退いているが、私はいまでも密かに応援している。


つづく

久間発言と「戦後レジームからの脱却」

2007-07-04 23:34:51 | 政治・経済
発言の背景に戦後体制脱却 安倍政権の雰囲気反映か

 原爆投下を「しょうがない」と発言し、三日辞任に追い込まれた久間章生防衛相。発言の背景には「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱え、核武装論ですらタブーではなくなった安倍政権の雰囲気が色濃く漂う。安倍晋三首相の発言が問題視された従軍慰安婦問題、沖縄戦の集団自決の強制記述に修正を求めた教科書検定。「根底には共通の空気が流れている」と専門家は指摘する。

 政権発足直後の昨年十月、北朝鮮の核実験をきっかけに、自民党の中川昭一政調会長はテレビ番組で「核があることで、攻められる可能性が低くなる」などと述べ、日本の核保有をめぐる議論の必要性を訴えた。麻生太郎外相も「議論まで封殺するのはいかがか」と発言。党内からは非核三原則見直し論も飛び出した。

 「久間発言は核武装論や従軍慰安婦、集団自決などの問題と同様に『戦後レジームからの脱却』を象徴する発言だ」。大東文化大の井口秀作教授(憲法)は、こう分析する。

 従軍慰安婦問題について安倍首相は「狭義の強制性」はなかったと発言し、米下院では日本政府に謝罪を求める決議が可決された。
 教科書検定では、沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述が修正を求められ、沖縄県ではすべての市町村議会と県議会で、検定意見の撤回を求める意見書が可決された。

 井口教授は「自民党議員はこれまで、国民やアジアの国々の反発を意識して発言を抑制してきた。口に出せるようになったことが、まさに『戦後レジームからの脱却』だ」と指摘する。

 「久間発言は、国民の核への感情が薄れてきた表れではないのか」と危惧(きぐ)するのは広島市立大広島平和研究所の浅井基文所長。

 「国民は、非核三原則と核の傘の両方をいつの間にか受け入れている。国民保護計画も核攻撃を前提にしており、このままでは戦争をする国に進んでしまう」

 浅井所長は「単なる大臣の失言問題として矮小(わいしょう)化する話ではない」と指摘している。
(平成十九年七月三日 中國新聞)



久間章生防衛大臣は前々から無責任な発言が多く、
今度の「原爆しょうがない」発言をした時もあの人なら言いかねないと思った。
言うまでもなくこの発言は無神経極まりない発言で日本の政治家としての資質を疑う。
安倍首相も少しは学習したとみえて今度は更迭させるに至った。(正確には辞任を受け入れた形)
松岡大臣も早々と更迭させてあげれば死なずに済んだろうに。
安倍さん、幹事長時代の勇姿はどこへやら、河野談話や村山談話を継承してみたり、慰安婦問題で謝罪してみたり、大臣の首を切れなかったりへなちょこぶりをあらわにしている。
ブルーハーツに「期待はずれの人」という妙曲があるが、安倍さんを見ているとこの歌を口ずさみたくなる。

さて、久間発言は「戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げる安倍政権の雰囲気に起因するものだと中國新聞は言う。
(中國新聞は支那の新聞にあらず、日本の中國地方の新聞です。念のため)
正確に言うと、中國新聞が言いたいことを別の評論家に言わせている。
「専門家は指摘する」と書いているがなんのことはない、自分達と同じ意見だから載せているにすぎない。
大東文化大の井口秀作教授曰く、「久間発言は核武装論や従軍慰安婦、集団自決などの問題と同様に『戦後レジームからの脱却』を象徴する発言だ」と。
私は井上教授の言っていることが理解出来ない。
というのも、久間発言は戦後レジームからの脱却どころか、全く逆で、戦後レジームから脱却できていないことを端的に表しているからだ。
戦後体制は言い換えればアメリカの統治下に置かれた体制である。
ゆえに、日本政府がアメリカの悪口を言うことなどありえなかった。
以前の教科書に原爆投下が何と書かれていたか。
「原爆が落ちた」と書かれていた。
原爆は落とされたものなのに自然と落ちた如くである。
そこにアメリカという原爆を落とした張本人の姿はなかった。
戦後体制は左翼が教育を乗っ取った体制でもあった。
歴史教科書は階級闘争史観に基づいて書かれていた。
曰く、日本は有史以来、為政者が下層階級を支配してきた、と。
曰く、日本は有史以来侵略国家である、と。

はっきり言わせてもらうが、原爆投下がしょうがなかったといっていたのは左翼の側である。
日本がはじめに他国を侵略したのだから原爆を落とされてもしょうがなかったと言っていたではないか。
この言を私は何度も聞いた。
十年前に聞いた、五年前にも聞いた。最近では本島・元長崎市長が云っていた。
左翼ばかりを責める訳にはいかない、戦後右翼は親米も多くなったから米国に向かって原爆投下を批難する者はまれだった。
この状態がまさに戦後レジームだった。
だとするならば、大臣が米国の原爆投下を厳しく批判してはじめて戦後レジームからの脱却である。

井上教授は安婦問題や沖縄の集団自決問題も併せて
「自民党議員はこれまで、国民やアジアの国々の反発を意識して発言を抑制してきた。口に出せるようになったことが、まさに『戦後レジームからの脱却』だ」
と述べている。
これも違う、ちっとも口に出せてなどいない。
言っても右顧左眄しながらビクビクして言っている。
その証拠に慰安婦問題はいまだに強制があっただの言われているし、国家としてはっきりと否定できていない。
要はちっとも戦後レジームから脱却などできていないのである。
なのに、「戦後レジームからの脱却」のせいだと言うのは憎き安倍政権の言うことならなんでも反対で冷静な判断が出来なくなったということか。
吉田茂ならこの井上教授に「曲学阿世の徒」と言っただろう。
反体制はまことに結構だが(私だってある意味反体制である)、出鱈目な論理でもって政治批判をするのは大学教授の評判がますます下がるのでやめてもらいたい。

ところで、広島市立大広島平和研究所の浅井基文所長はさらに敷衍して、
「国民は、非核三原則と核の傘の両方をいつの間にか受け入れている。国民保護計画も核攻撃を前提にしており、このままでは戦争をする国に進んでしまう」
と言っている。
国が核攻撃を想定してそれに対処する方針を打ち出してなにが気に食わないのだろう。
この人、一体、どこの国の味方かわからない。
日本が核攻撃時の対処法や核武装の是非を論議するのも第二第三のヒロシマ、ナガサキを生まない為なのにそういう道理は御理解いただけないらしい。

しかし、皆様御安心なされよ。
日本は戦後レジームからの脱却など出来やしない。
今だ、支那、朝鮮に反論するのは軍国主義者・右翼などのレッテルを貼られるし、米国は批判できているように見えても所詮は植民地の立場、本気で反抗できやしない。
そもそも、支那、朝鮮にだって政府として面と向かって反論出来ていない。
そんな状態で「戦後レジームからの脱却」といって何ができようか。
せいぜい憲法九条を改正するくらいのことだろう。
本気でやるな一から憲法を作り直せ。
そんなこと、私の目に黒い内には叶わぬ夢であろう。