あび卯月☆ぶろぐ

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『ガールズ&パンツァー 劇場版』感想

2016-02-01 23:08:03 | 映画・ドラマ
昨年の天長節。
早起きして、皇居の一般参賀の列・・・ではなく、映画館のチケット売り場の列に並んでいた。
午前八時五十分から上映される『ガールズ&パンツァー 劇場版』(以下、ガルパン劇場版)を観るためである。
休日に早起きするのは何年ぶりだろう。
もともと、映画館にはほとんど足を運ばない。
観たい映画は旧作になったときにDVDで借りて家でゆっくり観る。
ガルパン劇場版もDVD化されたときに見ればいいやと思っていた。
が、映画のパンフレットを手に入れたくなって、それならついでにと映画館で観ることにした。
アニメの映画を自分でお金を出して観るのは生まれて初めてだ。
果たして、映画館でガルパン劇場版を観たのは大正解だった。

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映画館で観て良かったと思えた理由。
ベタなんだが、まづ音が凄い。
映画通の人でなくても「映画は劇場で観るに限る。音が違うから」などと言っているのをよく耳にする。
確かにそうなのだけど、これまで劇場で映画を観るたびにそれほどでもないと思っていた。
画面は大きいが音はDVDで観るとのそんな大差はないと。(註1)
しかし、このガルパン劇場版は違っていた。素人でもわかるくらい音圧が普通の映画と違う。
戦車から砲弾が放たれるたびに、音が体に響いてくる。
ツイッター上で、映画に詳しい人だろうか「音響的に言うと、これだけ音圧の高い日本映画は今まで無いんじゃないかと思います」(註2)という感想を目にしたが、砲弾が本当に飛んで来やしないかと焦るくらい音圧が凄かった。
戦車のエンジン音もリアル。それも戦車ごとにエンジン音が違う。
また、履帯のたわみもリアルに表現されていた。
本当に近くに戦車があるようで、のっけから作品に引き込まれた。
水島努監督が「『ガールズ&パンツァー』には映画の大画面と音響がよく似合う、とTVシリーズをつくっている当時から感じていました」と述べていたが、正にガルパンは映画に似合う作品だということを終始実感できた。

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(以下、ネタバレ含みます)

ガルパンをTVシリーズで初めて観たときから「なんて荒唐無稽な設定だろう」と思っていた。
乙女の嗜み戦車道なんてツッコミどころ満載である。設定を聞いただけで笑ってしまいそうになるのだけども、一度、慣れると何も感じなくなるから不思議だ。
映画の冒頭にSD風の西住みほたちが登場し、初めて観る人のために「戦車道とは何か?」とTV版のストーリーを三分程度で説明するのだけど、本当に初めて観る人は面喰うんじゃないだろうか。(劇場で初めてガルパンを観る人は少ないと思うけどね)

しかし、ガルパンが凄いのは、設定こそ荒唐無稽で現実にはあり得ないのだが、内容は実に正攻法だということだ。
SFチックな展開があるわけでもなく、いたずらに萌えに頼るわけでもなく、セカイ系のように複雑な精神面を描いたり、裏設定があるわけでもなく、実に直球なスポ根友情モノだ。
飛び道具を使わず裏技を使わず、直球勝負。それゆえにストレートに感動してしまう。
いや、戦車なので飛び道具を使うといえば使っているんだけど。

よく、ガルパンはミリオタ向けのアニメとかキャラクターの造形から萌えアニメだと勘違いされがちだが、違う。
ドイツのアニメ雑誌『アニマニア』の『ガルパン』に対する有識者のコメントで「正直、人間ドラマとしての深みは無い。しかし、みほの可愛さは【萌え】的に必見だよ!」(註3)というものがあったそうだが、お前は一体何を観たんだと云いたくなる。

シリーズ構成の吉田玲子さん「道を見失った人が、再び自分の道を歩き出す。その過程をきちんと描きたいと思っていました」と述べておられるように、TV版は戦車や萌えよりもそういった人間ドラマに感動できる。
ミリオタでも萌え豚でもない私は、初めてTV版のガルパンを観たとき、少女が戦車に乗っている時点でマジキチアニメだと思っていたけれど、熱い友情や人間ドラマに感動したクチだ。
特に主要メンンバーはそれぞれのキャラクターの背景が描かれていて物語に深みを持させてくれている。
(あ、ミリオタでないのは本当だけど、萌え豚ではないってのはちょっと嘘つきました)

無論、細かい書き込みや作りこみがなされた映像の素晴らしさも多くのファンを惹きつける要因であることは云うまでもない。
TV版からそれは顕著だったが、劇場版では更に上をいくクオリティで圧倒された。
いま云ったことを否定するようだが、劇場版は映像と音を見聞きするだけでも十分楽しい。
誰かが云っていたが電子ドラックのようなもんである。

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この映画、ざっくりいうと三部構成になっている。
一部はこれまでTVシリーズで闘ってきた高校との親善試合。
二部は大洗女子生徒による小学校の廃校舎での共同生活。
三部は大学選抜チームとの闘い。

一部の時点でこれまでのメンバーが勢ぞろい出てくる。まさに劇場版という感じでこの豪華さにそれだけで感動してしまう。
秋山優花里役の中上育美さんが、本来泣くような場面ではないのに各校の登場シーンで泣いてしまったと述べておられたが、この気持ち本当に良く分かる。
かくいう私も泣きそうになった。
特にプラウダ高校の登場シーンは音楽の効果と相まって無性に目頭が熱くなった。敵なのにね。
泣きそうになった理由を何度も自問自答するのだけども情けないことにちょっと説明がつかない。
甲本ヒロトの言葉を借りるなら「いまにも目からこぼれ落ちそうな涙のわけが言えません」(『僕の右手』より)となろうか。

この親善試合は、はじめゴルフ場が舞台なのだが、その後、大洗町へ移動。
TVシリーズでも破壊された肴屋本店が今回はもっと派手に破壊されるし、大洗町役場も砲撃を受け、破壊されていた。
プロデューサーの杉山潔さんの話によると、役場を壊すのは、「さすがにここまでやっていいの?」という不安もあったので、町長に直談判に行ったが、わりとあっさり「いいですよ」みたいな感じだったという。
行政と作品とが良好な関係を築いていることが伺える。
また、その他の施設については「うちに一発ください」という依頼が多くあったとか。
そのこともあってか、劇場版では前述の肴屋本店や役場のほか多くのお店や施設が派手に「一発」もらっていた。
TVシリーズよりも明らかに火薬の量が多い感じで、なかなか楽しかった。

三部はTVシリーズで戦ってきた各学校とタッグを組んで大学選抜チームと闘う。
なにやら週間少年ジャンプあたりの漫画によくある、これまで敵だった者同士が協力し合って強大に敵に挑むというような展開で、なんとも感動的ではないか。

はじめ大学選抜チームと闘うのは大洗女子のみだった。ところが、急遽、各高校が応援に駆けつけてくれたのだ。(しかも、大洗女子の制服を着て!)
そのときの各高校の頼もしさといったら無い。涙なくして観られないシーンである。 

で、なぜ大学選抜チームと闘うことになるかというと、勝たないと大洗女子学園が廃校になるから。
私だけでなく多くの皆さんも「えー!また廃校!?」と思ったはずだ。
戦う理由はまたもやTV版と同じ。廃校免れたんちゃうんかいと関西弁でツッコミそうになるんだけども、戦う目的の設定はこれでいいかとも思う。
あまり深い理由を組み込まれるとかえって物語に集中できなくなるからね。

そういうわけで、二部で失意のどん底に落とされる大洗戦車道チームだが、そこで腐るわけではなく、各々自分が出来ることをしっかりやろうとしている姿勢が良かった。(一部例外あり)
特にアリクイさんチーム(ネトゲ女子ども)はこの機会にと体を鍛え始め、その効果が大学選抜チームとの戦いの折に遺憾無く発揮されていた。
ウサギさんチームはやたらと釣りが上手くなっていた。(戦車道とは関係泣けどね)

そうそう、あのポンコツでおなじみの桃ちゃんが他の誰よりも気丈に振る舞っていて、目頭が熱くなった。
桃ちゃんもTV版を通して生徒会役員として成長したことがうかがい知れる。

そして、会長がやはり立派だった。その理由として、下記のような意見を目にしたが、こういう上司にはついて行けるよね。

ガルパン劇場版、角谷生徒会長は実に指揮官として立派だったなと。
・常に自分から余裕を失わない(外見上)
・常に生徒たちに当面の目標と希望を与え、自暴自棄と堕落を避ける
・正論のみを叫ぶのはなく、他人を頼り、自分の足で外交的寝技に駆け回る
・実戦では口を出さず、責任だけを引き受ける
https://twitter.com/uchidahiroki/status/676945540920295425より

例外は、あの風紀委員の面々。すっかりやる気をなくしてやさぐれてしまっていた。
あのそど子が寝坊するわ、買い食いするわ、挙句の果てには他校の生徒と喧嘩をするわで(田舎のヤンキーか!)、完全に自堕落な人間になってしまい、冷泉麻子から叱責されていた。
いつもと立場が逆である。
ふだん、硬い人間ほど折れやすいというが、風紀委員の面々はまさにそんな感じ。
気持ちはわかるけどね。

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それにしても、文科省の役人、実に嫌な奴ですね。
七三に眼鏡という如何にも役人の風貌で言葉遣いや態度も冷徹。
上からの指示なのだろうが、大洗女子を廃校にするため細かい画策をする。
なんというか、世間一般の役人の負のイメージを具現化したようなキャラクターだ。
ガルパンは反官僚映画である。
いま内務省が存在していたら多分、検閲が入ったろうね。(ないない)

一方で、戦車道連盟の理事長はどうも頼りない。
見た目は「一人一殺」で有名な井上日召のように厳つく、黒幕然とした風貌なのに。
文科省の役人に毅然と意見する西住しほの方がよほど男らしかった。
秋山夫妻にしてもそうだが、この作品では、男より女の方が強い。
ま、あまり男が登場しない作品ではあるが。

余談だが、戦車道連盟の事務局をしほたちが訪れたとき、お茶受けとしてシベリアがだされていて、『風立ちぬ』を思い出した。

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劇場版では初登場する高校がある。

一つは知波単学園。
これまでも設定資料等では言及があったようだが、実際に描かれるのは初めて。
この学園はその名のとおり、九七式中戦車(チハ)を使用する。
九七式中戦車とは1930年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の中戦車だ。(ミリタリー知識がないので、ウィキからの受け売りである)
それゆえか、生徒の気風も旧帝国陸軍のそれに近く、なにかとすぐに突撃したがる。
それも状況や跡先を深く考えずに特攻したがるので、突撃という名の玉砕だ。
だいたい、有利な戦況なのに「突撃して潔く散りましょうぞ!」って、それは、土壇場に追いつめられた側が云うセリフだ。
他の場面でも、福田が突撃を止めようとしても上官ならぬ先輩から「突撃は我が校の伝統だ!」と反論される。
合理性を無視して伝統を墨守する感じとかも、まさに旧軍の悪弊を象徴するような気風をもっているのが妙に可笑しい。
戦闘は頭脳と精神のバランスが大切。西住みほも「精神“は”参考になった」みたいなことを云っていたが、精神だけでは戦闘に勝てないという反面教師のような学園だ。
でも、日本をモチーフにした学園とあってどうも憎めないのが憎いところだ。(?)
退却を「転進」「後退的前進」「退却的前進」などと言い換えるところもまさに旧軍のそれで、もはや微笑ましくもあった。

ところで、前述の福田は知波単学園に在籍するおさげ髪の眼鏡のかけた小さな生徒なのだが、モデルは司馬遼太郎(本名:福田定一)なのだという。
司馬遼太郎もまさか死後に女子高生として描かれるとは夢にも思ってみ無かっただろう。
泉下で司馬大先生がどのような顔をしているか想像すると楽しい。
なお、作中に福田が戦車をヤスリで削るシーンはない(笑)
(意味が分からない人はぐぐってみましょう)

また、隊長の西絹代はバロン西がモデルと云われている。
黒髪ロングの和風美人で明るく素直で快活な性格なのだが、どうやらアホの娘らしく、「退却」を「突撃」と聞き間違えたり、3部の戦いに参戦するときも持ってくる戦車の数を間違えてダージリンに叱られていた。
これも、兵隊の士気は高いが、参謀がアレだった旧軍を想起させる。
なお、入浴シーンでかんざしをしていたり、紅茶を呑んだことなかったりと、古風な女子を通り越しておばあちゃんのような娘である。(私は好きですが)

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もう一つは継続高校。

知波単と同じく名前からして変わっているのだが、これはフィンランドが祖国防衛のためソ連と戦った「継続戦争」が由来になる。
つまり、高校のモチーフはフィンランド。
生徒が三人登場するが、どこか飄々としている。
特にチューリップハットをかぶったアキは浮世離れしているというか悟っているような雰囲気でしばしば哲学的なことばを口にする。
どこかで見たことあると思ったら、このキャラ、『ムーミン』のスナフキンなんですね。
よって、あとの二人はムーミンとミィがモデル。ミィの子は名前も「ミッコ」だし。
『ムーミン』がフィンランドの作品ということで生徒もムーミン一味になったのだろう。
それにしても、この高校の戦いっぷりのカッコよさは何だ?
とにかく圧倒的な強さと個性的な戦車の動かし方に圧倒される。
アキが奏でるカンテレからつむぎ出される音楽の効果もあいまって、特に印象に残るシーンだ。
履帯が外れて戦闘不能かと思いきやここからも強かった。
「天下のクリスティー式をなっめんなよー!」と操縦主のミッコが叫び、ハンドルを差し込むシーンが抜群にカッコいい。
なお、「思想脳労」子の解説によると、クリスティー式が採用された戦車は履帯装着時は左右のブレーキレバーで操作し、履帯撤去時はハンドルで操作するので、ハンドルを差し込んだ演出は事故で外れたのではなく、履帯なしで走るために操縦系統を切り替えた演出であるとのことだ。(註4)

さて、作中に一瞬だけ映し出される戦車道ニュースWEB版の記事見出しに「継続高校保有のKV1にプラウダ高校が異議申し立て」というものがあった。
このネタは、継続戦争において、ソ連軍の戦車をフィンランドが鹵獲して自国の戦車として使ったことによる。
記事本文には「昔から因縁のある両校にまた新たな火種が生まれた」とあって、やはり、プラウダと継続にはソ連とフィンランド同様に因縁があるようで思わずニヤリとさせられる。
こういう小ネタを挟んでくるところが、ガルパンの魅力の一つである。

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三部の大学選抜チームと大洗連合軍との戦いは正にこの作品の一番の見せ場なのだが、火薬の量が多くてほとんど戦争のような光景だった。
カール自走臼砲による攻撃なんて、確実に死者が出る規模だよ。
カール自走臼砲は大会直前になって使用を許可したらしく、明らかに文科省官僚の工作なのだが、あんなの戦車として許可しちゃ駄目でしょ。
ガルパンのツッコミどころとして、結構、ルールがざっくりしているところがある。
戦車の数も上限だけ決められていて、同数でなくてもOKだったり、あまり公平や平等は重視されていない模様。

三部では、大洗女子の面々もそれぞれ活躍するのだが、二部の逆境を乗り越え、少し成長した姿を見せてくれた。
アリクイさんチームのももがーは片手で砲弾を装填するし(どんだけ鍛えたんだ)、そど子は「ルールは破るためにあるのよ」と風紀委員らしからぬ発言をする。
大人の発言ですね。一度、苦境を味わい、視野が広くなった証拠だろう。

アヒルさんチーム(バレー部)が「本家参上!」と云って、知波単学園の戦車を率いて戦っていたが、「本家参上!」というのはアヒルさんチームが乗る八九式中戦車が国産初の戦車であることにちなむのだろう。(言うまでもなく、知波単が使う戦車はその後の日本国産戦車)
八九式が九七式を率いる光景は親鴨とそれに附いてゆく小鴨の行進のようで可愛くもあった。

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さて、秋山殿である。
TV版ではミリオタでみほの忠実な犬であり、スパイもやってのける秋山殿だが、劇場版では大活躍・・・!というより、一人超然と各状況を楽しんでいた印象。

冒頭の知波単学園が無暗に突撃するシーンからして他の大洗勢は「おいおい・・・」と呆れた表情をしていたのに、秋山殿だけは「わはー」と明るい顔で嬉しそうにしていた。
試合の結果そっちのけで戦車の突撃を喜ぶあたり実にミリオタの秋山殿らしい。

その試合中に華さんが「お茶でも飲みましょうか」と云い、麻子は「ミルクセーキがいい」という。
試合中にんなもん、あるか!と思いそうになったところで、「クーラーボックスに玉子を入れてきましたので、作れますよミルクセーキ」と秋山殿。
遠足でもなかなか持ってこないよ、玉子。相変わらず用意が良すぎる。

大洗女子学園が廃校になるという事実に直面し、一同、沈み込んでいる時も秋山殿は、いつも持ち歩いているサバイバル道具を駆使して、迷彩柄のエプロンまで附けて料理を始めていた。
普段より活き活きとしていないか、秋山殿。
同じことをみほだか沙織につっこまれていた。

活き活きしているといえば、3部の戦いで大学選抜チームがカール自走臼砲を使用している事実が判明した時も、焦るのが普通だと思うのだが、秋山殿は眼を輝かせていて、死者が出るんじゃないかという状況なのに、ミリオタの鏡のようであった。

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この劇場版の感想としてよく目にするのが「プラウダ高校のシーンが泣けた」というもの。
大学選抜チームとの戦いで、プラウダ高校のクラーラやノンナたちがカチューシャのために捨て身戦術をとる場面がある。
隊長のために自らが犠牲になるその崇高な精神には敬服するほかないが、これには伏線がある。
戦いの序盤でみほの作戦に対して疑問を持つまほに対し、カチューシャはノンナも巻き込み次のようなやり取りをする。

カチューシャ「あなた自分の妹を信頼してないのね。私が雪が黒いといえばノンナも黒って言うのよ!ね、ノンナ!」
ノンナ「はい」
まほ「信頼と崇拝は違う」
カチューシャ「(ぐぬぬ)」

このやりとりで、まほはノンナのカチューシャに対する態度は信頼ではなく崇拝であり、加えて、暗に戦車道に必要なことは崇拝ではなく信頼であることを指摘しており、カチューシャはそれ以上反論できなかった。
しかし、その後、ノンナたちはまほの後半部分の指摘に対し、言葉では反論できなかったカチューシャに代わって行動をもって反論したのではないか。
崇拝は決して信頼に劣るものではないと。あるいは、これが我々のカチューシャへの信頼の証であると云いたかったのかもしれない。
ノンナ以下数台の戦車が犠牲になったときの今までに見せたことのないカチューシャの表情は実際に崇拝を行動で示されたとき、喜びよりも苦しみの方が強いことを物語っている。
そして、自らの発言の重みを省みているようにも思える。
信頼も崇拝も言葉でいうのは簡単だが、行動で示した時にはなかなか重いものになる。

まほに対する反論を行動で示したノンナたちの痛快さ、崇拝による犠牲の精神の崇高さと悲しさ。
多くの人が感動したという所以はこのあたりにあるのかもしれない。

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この劇場版で描かれていたものとして、西住姉妹の和解がある。
TV版でも最終話でちらっと描かれていたが、本作ではその後の姉妹の関係性を補完してくれた恰好だ。

みほが保護者から転入届の書類を貰う為、熊本の実家に帰省したおり、犬を散歩して家に帰宅するところの姉まほに会う。
このときの姉の表情は以前のそれとは違う柔らかいものになっていて、過去のわだかまりが解けていることを示している。
そして、まだ母とは完全に和解できていない妹のために、母の代わりに転入届にサインと判子を捺印するまほ。
普段、クールなだけに余計にこの優しさが泣ける。(公文書偽造ですけどね)

その後、大学選抜チームの試合にもみほの為に駆けつけてくれるし、ここではすっかり妹思いのお姉ちゃんになっている。
ところで、作戦名を決める時、「ビーフストロガノフ作戦」(カチューシャ)、「フィッシュ&チップス&ビネガー作戦」(ダージリン)、「フライドチキンステーキwithグレイビーソース作戦」(ケイ)、「すき焼き作戦」(西)、「アンコウ干し芋蛤作戦」(杏)、などとボケをかます他校にまじって、まほも「ニュルンベルクとマイスタージンガー作戦」としっかりボケていたくだりを見て、意外と妹と一緒で天然なところがあるのではと思った。

みほが天然?と思われるかも知れないが、みほも戦車道以外では通学中によそ見して電柱に頭をぶつけたり、机から落ちたものを拾おうとして、机の下にもぐったら机の上のものを全部ぶちまけたりと、結構抜けているところがあるし、フツーの人が見たら悪趣味ともいえるボコを偏愛するところなんかもちょっとメンヘラの匂いがする。
あの母親に育てられたんだから、姉妹揃ってフツーでないことは確かだろう。

とまれ、戦いの最後も姉妹の協力で幕を閉じる。
そしてエンドロールでもまほがみほに何か語りかけている。
しほ(母)がこの試合のために裏で工作したことやそれを踏まえて一度実家に帰って母にお礼を云ったらどうか?なんて言っているんじゃないかとあれこれ想像出来るが、実際はどんな会話を交わしていたのだろうか。
次回作があるとすれば、みほとしほの和解が描かれることを期待したい。

大学選抜チームとの戦いを終えたシーンで、あんこうチームの戦車にペイントされたあんこうの絵がアップになる。
激しい戦闘を物語るかのように、ひどく擦れている。これが実に良い味を出していた。
TVシリーズを含め、これまでの彼女たち、そして水島努監督をはじめ関係者の努力の跡がここに結集されている気がした。

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(最後に蛇足)

なんだかんだで、初見から一ヶ月以上が経った。
その間、さらに二回劇場に足を運んだ。
アニメの映画を自分でお金を出して観るのは生まれて初めてだ、と冒頭に書いたが、同じ映画を二回以上劇場で観るのも初めてである。

本日(2月1日)、本作の興行収入が10億円を突破したことが公式に発表された。
深夜アニメの劇場版としては異例のロングランとなっているが、本作の中毒性ゆえかリピーターとなっている人も多いのだろう。
リピーターもいいが、本作は是非とも多くの方々に御覧になっていただきたい作品だと心から思う。
興行収入がいい映画が良作であるとは限らないが、ガルパン劇場版は多くの人を惹きよせる確かな理由がある。

なお、2月20日からは「4DX」での上映も決定している。
いまから楽しみである。

よし、“あの言葉”を使わずに、感想を書き終えた(笑)

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註1:ただし、『マッドマックス 怒りのデスロード』は例外で、この迫力は映画館でないと味わえないと思った。
もっといえば、他の作品でも確かに劇場で観るのとDVDで観るのは音も当然違うし、雰囲気など、そういう点が違うのも理解できる。理解できるのだが、1,800円も払っても・・・というのが正直な感想である。
註2:https://twitter.com/namisuke1073/status/666692882833670144
註3:https://twitter.com/marei_de_pon/status/680591449180794881より
註4:思想脳労『全話解説本シリーズ VOL.XX ガールズ&パンツァー劇場版 解説本』(2015年12月29日)8頁