あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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花粉症とサナダ虫

2006-10-30 00:58:08 | 雑記
花粉症が発症してしまいました。
秋なのに花粉症?と思われる方があるかもしれませんが、
秋でもセイタカアワダチソウという草が原因で花粉症になる人が居るのです。
不幸なことに私はその「なる人」のようで、今日の昼くらいから鼻水が止まりません。
ティッシュ箱まるごと一箱以上消費してしまいました。
とにかく水のような鼻水が出て頭痛はするし、体はだるいし、
こんなことでは風邪の方がまだマシです。
風邪は薬を飲んで営養を摂って寝ていれば治りますが、
花粉症はアレルギーが原因なので、薬で抑えるしかない。
本当に厄介な病であります。

ところで、寄生虫博士で有名な東京歯科大学の藤田紘一郎教授はアレルギーと寄生虫の関係についてなかなか興味深い指摘をしています。
曰く、腹中でサナダ虫を飼うと(つまり、寄生虫に感染すると)花粉症やアトピーは起こらないというのです。
その仕組みを簡単に説明しますと、
花粉に反応するアレルギー抗体(IgE抗体)が寄生虫に気を取られるので花粉やアトピーに反応する余裕がなくなるから、だそうです。
このことは実験でもすでに証明されていて、
じじつ、藤田教授も花粉症だったのですが、
サナダ虫の卵を飲み込んで腹中でサナダ虫を飼った時、
花粉症の症状がピタリと止まったのだそうです。

寄生虫というとすべて悪モノだと思っている方が殆どだと思いますが、
人間にとってよい働きをする寄生虫も存在するのです。
その代表が、サナダ虫の日本海頭裂条虫とよばれるもので、
この虫はたまに下痢を起すくらいで、それ以外は前述したように花粉症やアトピーなどアレルギーが原因の病気を抑えてくれるし、
ヒトの体内の脂肪分や営養を取ってくれるので太り気味の人にはダイエットにもってこいなのだとか。

藤田教授によるとかつて日本人のほとんどの人がこのサナダ虫に感染していて、
お互い、うまく共生したいたのだそうです。
しかし、特に戦後、寄生虫はすべて悪だということで排除され、
今では、サナダ虫を飼っている人はほとんど居なくなった。
戦後、日本人の花粉症患者が激増した一因はここにあるのだそうです。
詳しくは藤田先生の御著書を参考にされてください。
どれも、エッセイ風に書かれているので読みやすくて楽しい。
機会があったら今後このブログでも色々と紹介したいと思います。

さて、翻って私の花粉症ですが、なかなか治る気配はありません。
花粉症は一度罹ると絶対に治ることがないので、
兎に角、花粉がなくなるのを待つしかないのです。
こうなったら、いっそのこと腹中にサナダ虫を飼いたいと思っているのですが、
今や、サナダ虫に感染したいと思っても簡単に感染しないのだそうです。

やはり、現代日本において、花粉症は西洋医学の薬で抑える他ないようであります。

ダムが怖い

2006-10-29 00:23:24 | 雑記
世の中には高所恐怖症をはじめ、閉所恐怖症、尖端恐怖症、など様々な恐怖症がありますが、私は「ダム恐怖症」なのです。
「ダム恐怖症」は私が勝手に作った言葉で元々こんな言葉はありません。
もう少し詳しく説明いたしますと、ダムや水門など水を堰き止める施設・設備が怖いのです。
最近は随分馴れてきましたが、ダムや水門に近づくと背筋に悪寒が走ります。
特に水門の鉄の板の部分が上下し、水が移動する光景は血の気が引く程、恐ろしい。
想像しただけでゾッとします。
私の地元、福岡には遠賀川河口堰という巨大な水門がありますが、私にとっては福岡一の恐怖スポットです。
(今、リンク先の写真を見ましたがやはりゾッとしました。)

しかし、なぜダムや水門が怖いのか自分でも論理的に説明できません。
ただ、少なくともそこに死の恐怖を感じることは確実にいえます。
私はダムや水門を見ると生命の危機を感じるのです。

実は私の近所に住む友人もこの「ダム恐怖症」でダムや水門の恐怖について何度か語り合ったことがあります。
こんな身近にダム恐怖症者が居るので、私は「ダム恐怖症」の人は多く存在するものだと思っておりました。
が、今まで生きてきて出逢ったダム恐怖症患者はこの友人ただひとりで、
私の家族はもちろんのこと、友人知人にこの話をしても、皆、理解してくれません。
私にしてみれば、ダムや水門が怖くないということの方が不思議なのですが、
皆、不思議そうな顔を私を見つめます。

残りの人生(まだ、二十一だからたっぷりあるはず)であと一人くらいは「ダム恐怖症」の人を見つけたいと思っています。

『ゴー宣・暫』第六場「安倍総理は闘う政治家か?」

2006-10-28 01:06:18 | 書評・雑誌
今号のゴー宣は安倍首相批判の内容。
冒頭で村山談話、河野談話、東京裁判史観を踏襲した安倍首相について、

なんじゃこりゃー!
闘う政治家と行ったくせに全然、闘わん!
クソサヨク政権やないかーっ!


と怒りをあらわにしていました。この怒りには私もまったく同意。
今週の内容はほとんど小林さんと同意見でした。

北朝鮮の核実験が差し迫っているという時期に、国会では60数年前の歴史認識の質問ばかり!

これも全くもって同意です。
歴史認識など国会で質問する事柄なのでしょうか。
マスコミも野党も所謂「自虐史観」でないと総理の資格は無いと思っているのでしょう。
私はむしろ逆だと思います。
自虐史観という言葉はあまり好きではないので言い換えますが、
自国の歴史を意図的に捻じ曲げ、支那や朝鮮、米国に都合の良い歴史認識を持っている者こそ総理になる資格どころか政治家になる資格もないと思っています。
自虐でも讃美でもどちらでも結構ですが、政治家は自国の歴史をもう一度史実に沿ったかたちで見直していただきたい。
例えば、河野談話にしろ、少しでも調べれば従軍慰安婦の強制連行がでっち上げの嘘であることなどすぐにわかるはずです。

そして次の指摘がなかなか面白い。

いいかげんに安倍首相もキレたらどうなんだーっ!!
世間をぶっ壊して自説を貫けば、マスコミはいっせいに叩いて、
党内からも反発を招き、野党からもここぞと襲いかかってくるだろうが、
それら全部を「抵抗勢力」と言ってしまえばいじゃないか!
国民は逆に大きな期待を寄せて支持するのに!
総理が狂気じみた信念を示せば、信念の内容など吟味せずに、
国民はマスコミを無視して総理を支持するというのが、
小泉から得た教訓だったはずだ。

(太文字、あび卯月)

「総理が狂気じみた信念を示せば、信念の内容など吟味せずに、国民はマスコミを無視して総理を支持する」
という指摘は実に的を得ていますね。
その通りなんです。安倍首相が信念を貫いて、
「私の歴史認識こそ正しい!サヨク的な歴史認識を持つ野党は皆抵抗勢力だ!!」
と叫べば、国民はきっと中身を吟味せずに安倍首相を支持しますよ。
それとも、賢い国民は先の総裁選の時に学習したので、そんなものに騙されないでしょうか。
いやいや、私はそんな期待は持てないと思います。

田原総一朗に至っては、GHQが「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」遂行のために新聞連載させた「太平洋戦史」まで持ち出して、
この歴史観を日本人は受け入れたんだと言っていた。


田原さんがそんなこと云っていたとは知りませんでした。
ゴー宣には書いていませんでしたが、
『太平洋戦史』はアメリカの国務省の編纂文書『平和と戦争』(1943年)などに基づいて書かれており、
『平和と戦争』はアメリカが敵国に対していかに対処するかという目的の為に書かれた云わばプロパガンダ文書です。
プロパガンダというのは言い過ぎにしても、米国史観に基づいて書かれた文書であることは間違いありません。
ちなみに、『戦争と平和』の序言にはハルノートでおなじみのハル国務長官の文章が載っています。

ところで、今号のゴー宣の最後のページには当ブログでも紹介した小林秀雄さんの文が紹介されていました。
ゴー宣に小林秀雄さんの文が載るのってなんだかなぁ・・・(笑)

履修不足問題に見るホンネとタテマエ

2006-10-27 01:35:52 | 社会・世相
今日、ニュースを聞いて驚きました。
世界史履修の不正は私の母校でも行われていたようです。
なぜか大笑いしてしまったのですけども。
詳しく説明しますと、世界史を履修していなかったのは理数科の三十数名で、
世界史の時間に地理の授業をしていたそうです。
普通科の生徒は大丈夫のようです。
不幸中の幸いでしたね。(多分)

で、なぜ思わず笑ってしまったかというと、
私はこの高校に今年の初夏、教育実習生として二年生に地理を教えたのでした。
(私の専門は日本史なのに・・・)
勿論、理数科の生徒にも教えました。
つまり、私もこの不正の片棒を担いだ恰好です。
なんだか、こそばゆいですね。
全国的なニュースの当事者になったような心持ちです。
しかし、それはちょっと自意識過剰ですね。

それにしても改めて色々考えさせられました。
先生もよかれと思ってやったんでしょうが、やはり不正は不正でよくありません。
しかし、私は自分の母校もやっていたことがわかったからこれを擁護するわけではありませんが、
本質的な問題は理想と現実の間にあると思います。
崇高な理念を優先するか、受験を優先するか。
特に田舎の進学校では大きな課題だといえます。

そして、もう一つの大きな問題はホンネとタテマエということです。
我が国にはホンネとタテマエが実に多い。
法律よりももっと優先されるものがあるのです。
違反とわかっていてやっているということがままあって、
警察も黙認しているケースが山程あるということです。
例えば、道路標識の制限時速なんて誰も守ってやいません。
飲酒運転も近頃は「飲酒運転撲滅」がブームになっているので、
覚醒剤撲滅のようにマスコミもこぞって「飲酒運転撲滅」を叫んでいますが、
飲酒運転は今に始まったことではなくて昔からあったわけで、
結局、今になって騒いでいるのは「ブーム」になっているからに他なりません。
拉致問題だってそうです。
随分前からわかっていたのにブームになってから騒ぎ出す。
アスベストの問題もそうでした。
アスベスト問題は面白いことに今はブームが去ってしまったので誰も騒がなくなりました。
しかし、アスベストの脅威がなくなったわけではありません。

さてさて、ホンネとタテマエですが、まだまだあります。
産業界ではパチンコも玉を換金するのは違法ですが、皆、わかってやっているし、警察も黙認している。(まぁ、これはいろいろ裏事情もあるのですが)
性風俗産業にしても同じことです。
他にも著作権の問題も挙げられるでしょう。
皆、ホンネとタテマエの論理で動いています。
国民も法律は万能ではないことを知っているし、警察もそう思っている。

あえて言いますが、ホンネとタテマエはあって良いと思います。
すべてホンネだけで動く社会ほど息苦しいものはありません。
かといって、不正を良しとするわけではありません。
この辺が矛盾するようで難しいのですが、
世の中には白か黒かはっきりわけられなかったり、
わけない方が良いことがあるということでしょうか。
微妙な利害関係や善悪の間で動いているのだと思います。

翻って、高校の履修不足問題ですが、
これも今に始まったことではなくて長い間行われてきたことのようです。
つまり、構造は飲酒運転やパチンコなんかと同じで
皆、不正だと知りながらも「まぁ、これくらいイイだろう」「生徒の為だし」といってやってきたわけです。
ところが、飲酒運転が急に極悪の犯罪になったように、
履修の不正も急に犯罪のように祭り上げられてしまった。(じじつ、悪いことなのですが)
結局、この一連の騒動も「ブーム」に過ぎないということです。
ただ、この件に関しては今後はもう二度と不正は出来なくなるでしょう。

この履修不足問題を鬼の首を取ったように糾弾する動きもあるようですが、
そういう自分自身もホンネとタテマエの世界に生きていないか、
批判する前にもう一度考えてみるべき事柄ではないでしょうか。

高校における歴史教育

2006-10-25 23:56:13 | 社会・世相
<単位不足>10県65校、生徒数は1万2000人に

 富山県立高岡南高校で発覚した履修単位不足問題で、新たに青森、岩手、山形、福島、石川、福井、愛媛、広島、栃木の各県の公私立高校でも必修科目を履修せず同様の単位不足になっていることが分かった。単位不足はこれで10県65校、生徒数は約1万2000人に上った。中には、履修を装った報告書を教育委員会に提出する「架空履修」もあった。各県教委や学校は単位不足の3年生が卒業できなくなるおそれもあるとして、3年生への補習授業を検討するなど対応に追われ、文部科学省も全国調査を行う。(中略)
 単位不足の生徒がいる学校は、冬休みなどを利用して補習授業を行い、足りない時数を補うとみられる。
 文科省教育課程課は「必履修教科・科目が履修されていると思っていた。ありえない話だ。学習指導要領を守らなければ、理科でも同様の問題が起きる可能性もある」と話している。
 こうした事態について、大手予備校の関係者は「週5日制になり授業時間数が減る中で、何とか大学受験の水準に合わせて、効率的な授業の進め方を各学校で行っている。高校での土曜日の午前中の授業がなくなった影響は大きい」と指摘。「現場の立場に立てば『苦肉の策』だったのだろう。現行の教育課程の内容と受験の現状との食い違いから生まれた問題」と分析している。
(毎日新聞) - 10月25日22時50分更新



こういうニュースが飛び込んできました。
はじめは酷い話だと感じていたのですが、Senshuさんのブログで、

これの何が問題なのだ?っつーかそれって普通じゃないの?僕も地理と世界史なんて履修してないんだけど。世界史なんて教科書配られただけで大してやってないし。

という一文を拝見して驚きました。
どうやらこれは氷山の一角のようですね。
今後も多くの学校で履修単位不足が発覚するでしょう。
それにしても歴史教育について改めて考えさせられました。
高校の歴史教育など所詮、受験の為の教育であり、
よく云われる「歴史に学ぶ」とか「過去との対話」などという崇高な理念はおよそ無視されているのが現状です。
仮に、理念があっても日本の歴史教科書は質が悪いですし、
教科書の質が良くなっても教師の質が悪いとどうしようもありません。
逆に云うと教科書がいくら悪くても教師の質が良ければ申し分ないでしょう。
教科書を良くする前に教師を良くする方が先決だと思います。

さて、私は自国の歴史である日本史を必須科目にすべきだと思っていますが、
先に述べたように日本史を必須にしたところで受験用の歴史しか学べないと思うので
あまり力強く日本史の必修化を叫ぶ気持ちにはなれません。
今の現状からいうと生徒は歴史を学びたいのではなくて
受験に必要な知識を知りたいのだろうと思います。
歴史好きな先生が歴史について熱く語っても
生徒は「そんなことより、テストで重要なポイントはどこですか?」
と訊いてくるのが実情ではないでしょうか。
といっても、社会の構造として大学受験を蔑ろにするわけにはゆきませんし、
どうしても受験の知識は必要になってきます。
受験の為の勉強だけでよいのかというテーマは
歴史の教師に限らず、高校教師に託された大きな課題とも云えます。
特に熱心な先生ほど理想と現実の間に悩むそうです。
ただ、そういう先生は一握りで、大部分の先生のホンネは「受験の為の知識だけ与えればよい」というものでしょう。
つまり殆どの場合において教師と生徒の利害は一致しているといえます。
今回の事件はその教師のホンネを象徴的に表しています。
世界史は受験に必要ないから教えなくて良いという判断です。
実に合理的ですね。
結局、本当に歴史を学びたいのなら大学で学んだり、自分で勉強するのが一番のようです。
しかし、綺麗事を云うようですが、高校での学習は受験の為だけではありません。
月並みですが、やはり歴史教育は高校でなされるべきだという結論を出しておきます。

というのも、日本人ほど自国の歴史を知らない国民は居ないということを
心から痛感させられることが多いからです。
よく、外国に留学したり研修に行った人が現地の人から日本の歴史や文化について尋ねられてちっとも答えられなかったという話を聞きます。
オーストラリアにホームステイした私の同級生もそういう話をしていました。
そういえば、日本赤軍の重信房子もパレスチナ人から日本について色々訊かれ、
何も答えられなかったそうです。自信の手記にも
「私はアジア人、日本人なのだということを逆に知らされると同時に、日本アジアについてまったくしらないことに気づかされました」
という言葉を残しています。
日本のことについてなにも知らないのに反日武装戦線を繰り広げていたのですから、なんとも笑えない話ですが、
考えようによっては日本を知らなかったからこそ過激な共産主義思想に染まってしまったのかもしれません。

話を元に戻します。

日本人は自国の歴史を知らないという話でしたが、
仮に自国の歴史を知っていても世界史を知らない。
例えば、大東亜戦争を例にとってみても当時の世界情勢を理解しなければ客観的に判断でるはずがないのです。
世界史を知らないから「日本は明治以降一貫して侵掠国家だった」などとムチャクチャな歴史認識がまかり通るのです。

と偉そうなことを書いていますが、私も歴史を詳しく知っているかというと自信がありません。
日本史は小学生の頃から好きだったのですが、高校の頃、世界史が大嫌いでした。
私はどうもカタカナが覚えられませんでした。
ナントカ朝とかが沢山あってもうなにがなんだか。
第一、あの教科書を読んでも歴史の流れがさっぱりわからない。
わざとわかりにくく書いているのかと疑いたくなるほどです。
単に私の頭が悪いだけかもしれませんが、教科書はわかりにくいというのが実感です。
それゆえ、今、必死になって(というのは嘘ですが)世界史を勉強しています。
これは歴史に限りませんが自分で勉強したほうが頭に入りますし、
学校の教科書で学ぶよりもずっと理解できます。

また話がそれました。

タイトルは「高校における歴史教育」でしたね。
結論をいうと高校にはあまり期待できないけれど、歴史はきちんと教えるべきというところでしょうか。
例えば、英語教育にしても日本人の英語力を鑑みれば問題点が無いと云えません。
かといって、英語も歴史も教えなくて良いかというと別問題です。
少なくとも総合的な学習の時間などという無意味どころか害悪しかもたらさない科目をやる時間があるのなら歴史を学ばせて欲しいと思います。

稲泉連のゴーマンな書評

2006-10-20 23:22:30 | 歴史・人物
私は「ダ・カーポ」をよく読む。
お手軽な情報誌という趣のこの雑誌だが、左派系言論人の連載や寄稿が多いことが特徴。
斎藤貴男氏のコラムも隔週で掲載されている。

その中で稲泉連なる人物の書評が掲載されていた。
私は書評を読むのが好きなのだが、稲泉氏の書評を読んでなんだこりゃと思った。

加藤淑子さんの『ハルビンの詩がきこえる』という作品の書評だったのだけれど、
後半に以下のようなことが書かれていた。

しかし、現在からみれば、満州国は中国侵略のための傀儡国家であり、そこで過ごしたことについて(娘の加藤登紀子があとがきで少し触れているが)、なにか一言あってしかるべきだと思った。

なんと傲慢な書評だろう。
「満州国が中国侵略のための傀儡国家」という歴史認識については敢えて問わない。
私が傲慢だと思ったのは自分の歴史認識、政治主義を加藤淑子さんに押し附けようとしている点だ。
『ハルビンの詩がきこえる』が歴史問題をテーマとした内容であれば、
自己の歴史認識と照らし合わせ、それについての批評も当然ありうる。
が、本作は純粋に満洲での思い出を綴った内容である。
満洲国についての歴史的な意味附けを問う必要は無い。

例えば、稲泉連氏がチベットを旅した紀行文を書いたとしよう。
その内容は純粋にチベットの文化や気候、人々に接して感じた文であるとする。
そして私がその本の書評を書いたとして、

「かつて、チベットは独立国家であった。ところが、中国によって侵略され国は消滅し、多くのチベット人が虐殺された。現在でも弾圧は続いており、そこで過ごしたことについて、なにか一言あってしかるべきだと思った。」

などという一文を書いたとしたらどうだろうか。
氏は自分のしたことを忘れて「それは、別の問題じゃないか」と思うのではなかろうか。

稲泉連の哀しさはどのような本も政治主義抜きに読むことが出来ないということである。

『井沢式「日本史入門」講座』一巻

2006-10-18 22:46:20 | 書評・雑誌
井沢元彦さんの『井沢式「日本史入門」講座』第一巻(和とケガレの巻)を読んだ。
最近読んだ日本史を扱った本の中で最も面白かった。
本を読むのが遅い私が昨日買って今日読み終えたのだから余程のことだ。
と書いても「お前の読むスピードなんて知らないよ」と云われますね。失礼。

本書では日本人固有の思想である「和」と「ケガレ」について解り易く書かれている。
日本で「談合」が何故無くならないか、差別が何故起こったのか。
この「和」と「ケガレ」の問題を理解しなければそれは説明できない。

少し前に『教科書が教えない歴史』という本が流行ったが、
あれは「日本にはこんなに素晴らしい人物が居ました」とか
「日本は台湾や朝鮮に対してこんな良いことをしました」、「あの戦争は正しかった」など
要は日本民族と日本史を讃美する本だった。
私はそれまで散々、日本人を貶めて、日本史を歪曲して否定するという時代があったから、
『教科書が~』のように日本人と日本史を肯定的に捉える本があって良いと思うし、
日本を讃美すること自体は(事実に反していない限り)なにも悪いことはないと思う。
ただ、それだけで終わってしまえば日本史と日本人の本質は見えてこない。

そこでお薦めしたいのがこの『井沢式「日本史入門」講座』である。
井沢元彦さんと云えばよく右翼呼ばわりされるけれども、
決して、只管自国を讃美し他国を罵る類の右派ではない。
むしろ、日本史を通して我々日本人の特質、場合によっては宿痾となりうる問題点を痛烈に指摘している。

例えば、日本に於いてもっとも重要視されるのが、
この本の副題にもあるように「和」である。
これは十七条憲法の昔から日本人にとってもっとも大切にしなければならないものと考えられている。
日本でもっとも嫌われる人間とは集団の和を乱す者だ。
また、なにごとも話し合いで決めることが良しとされている。
独裁者はいつの時代でも嫌われるのだ。
そしてみんなで決めたことには従わなければならない。

ちょっと話がそれるかもしれないが、
日本人に「なぜ人を殺してはいけないのですか?」と訊いて、
明確な答えを即答できる人はあまり居ない。
藤原正彦さんが言うように「駄目なものは駄目だから」というような答えくらいしか出てこない。
(勿論、これはこれでよい答えだと思う)
同じ質問を、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の信者にしてみると明解な答えが返ってくる。
「神が人を殺すなと言ったからだ」
この一言で済む。
ところが、日本には八百万の神がおわす多神教で唯一絶対神を戴いたことはないし、
口やかましく人間に命令する神も居ない。
結局、日本に於いて、何故人を殺してはいけないのかという答えは
「和を乱すから」と言う事になる。

一見、和を大切にすることは良いことだと思える。
じじつ、私も和を重んじるのは「日本人の良いところだ」と思っていた。

しかし、逆に云えば「和を乱さなければ何をしても良い」と言う事になるのだ。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉があるように
悪いことでもみんなでやれば怖くないのだ。
この「赤信号~」という言葉はビートたけしさんが作った言葉だが、
これほど日本人の特徴を表している言葉は無い。
しかも、クスリと笑える形で表しているのだからビートたけしは凄いと思う。

教科書で学ぶ日本史は個々の事象を羅列しているだけで、有機的な繋がりが見えにくい。
解り易くしようという姿勢は見えるのだけど、日本人にとって重要な「和」や「ケガレ」の問題を無視している点で致命的だ。
この『井沢式「日本史入門」講座』こそ「教科書が教えない歴史」を書いていると云える。

私が書いた詩

2006-10-17 00:51:11 | 雑記
小学三年の夏休みに詩を作成する宿題があった。

今の小学生もそうだと思うけれど、夏休みには「夏休みの友」と言う名の
国語算数理科社会の内容を網羅した問題集を渡される。
誰かが書いていたが、こんなものは「友」どころか「夏休みの敵」なのだが、
宿題だからしょうがない。日々コツコツとこなすしかないのだ。

冒頭で述べた詩を書く課題はこの「夏休みの友」に収録されていた。

当時、私は詩というものがよくわからなかった。
詩と作文はどう違うのか理解できなかったのだ。
課題の説明には「普段の生活で感じたことや不思議に思ったことを書いてみよう」というようなことが書かれていた。

私は「不思議に思ったことを書けば良いのだな」と承知した。
そして以下のような詩を作り上げた。
(原文がないので記憶を元に復元しました)

このまえ、家の二階にお茶を持っていこうとして
とりあえず階段の下にお茶を置いて僕はトイレに行きました。
トイレを終えてお茶を二階に上げようとしたらお茶を入れていたコップが見つかりません。
二階に行ってみるとコップがありました。
僕はお父さんかお母さんがこのコップを二階に上げたのだろうと思い、
「お茶上げてくれたと?」とききました。
ところが、二人とも「ちがう」と言いました。
妹にもきいてみましたが、「知らない」と言いました。
みんなウソをついているようには思えないし、ウソをつく必要もありません。
お茶を二階に上げたのはだれだったのだろう?



私が生まれて初めて書いた詩だ。
と言っても私は今を以って詩を書く趣味など無いので「初めて書いた」という表現は語弊があるかもしれない。
それにしてもこれは詩でもなんでもなく怪奇現象の体験報告に過ぎず、今、思い返してみても苦笑してしまう。

ところで、担任の先生からはこの詩について「怖かった」というお言葉を頂戴した。
何故か嬉しかった記憶がある。

映画『太陽』感想

2006-10-15 22:09:34 | 映画・ドラマ
昭和天皇を主人公したロシヤ映画『太陽』を観に行って来た。

この作品はストーリーらしいストーリーは無く、人間と神との間でただただ苦悩する天皇が淡々と描かれている。
以前、あまカラさんが「退屈だった」と書かれていたが、その指摘は正しい。
私も、ああこういうことか、と思った。
特に昭和天皇に興味が無い人はなんのことだかさっぱりわからないと思う。
ゆえにこの映画にはエンターテイメント性は無い。
むしろ、主人公(昭和天皇)の細やかな心理描写をしみじみと愉しむ映画であろう。
いうなればこの作品はわびさびの映画である。
喉が渇いたから飲むお茶ではなく、嗜む為に飲む抹茶のような感じ。
(わかりにくいかな?)

この映画の最大の見どころはイッセー尾形の演技だ。
細やかな仕草や昭和天皇の独特の話し方を真似ていたのは見事だった。
多分、イッセーさんは随分昭和天皇の実際の映像を観るなどして研究したのだろう。
ネット上では「演技過剰だった」とか、「昭和天皇に対して失礼だ」という意見もあるようだが、私はなかなか良い演技だったと思う。
というより、私はイッセー尾形の演技を見るためにこの映画を観たと云っても過言ではない。
それほど、イッセーさんの演技は好きだし、その期待は裏切られなかった。
ついでに言うと、木戸幸一も米内光政も阿南惟幾も平沼騏一郎も顔がそっくりで可笑しかった。
(阿南惟幾のキャラはあんな感じでは無いと思うが)

ただ、この映画を観るにあたって気をつけなければならないことは
個々の事象が史実と懸け離れているということだ。
私は映画だからフィクションがあっても一向に構わないと思うが、
やはり実在した人物を主人公にした映画だから多くの人はあの内容を史実として認識してしまうのではないだろうか。

この映画の主題である人間と神との間で苦悩する天皇という内容さえ、私は史実でないと思う。
昭和天皇は戦争末期に戦火に斃れゆく国民を思い、また、結果的に戦争を止めることの出来なかった責任やその他諸々の事で大いに苦悩されていたことはあった。
が、人間と神との間で苦悩されるとうことは果たしてあったのかどうか疑わしい。
昭和天皇は昭和二十一年元日に出された詔勅(いわゆる「人間宣言」)について、
昭和五十二年八月二十三日の記者会見で
「じつは、あの詔勅の一番の目的は五箇条の御誓文でした。神格(の否定)とかは二の問題でありました」と述べている。
戦中の過剰な神格化に戸惑われたこともあったかもしれないが、それを主題にしたのはやはり西洋人と日本人の「神」に対する認識の違いだろうか。

また、御前会議での昭和天皇のお言葉や、マッカッーサーとのやり取りも殆ど創作だ。
勿論、事実の部分もあるがかなり脚色されている。
他にも、酒と煙草を嗜まれない昭和天皇がワインやコニャックを飲み、
葉巻まで呑んだことにはちょっと苦笑せざるを得なかった。
ついでに揚げ足を取るならば皇太子に手紙を書くシーンで昭和天皇は現代仮名遣いを用いていたが、これもあり得ない。

昭和天皇の苦悩を描くのであれば、神と人間という問題よりも、
立憲君主としての天皇という立場に苦悩するひとりの人間としての姿を描けば良かったと思う。
(戦争を止めたいがそれを立場上、それを口に出せないことなど)
それならばかなり史実に近い形で作品に出来る。

ところで、物語の前半、
主人公が研究所でヘイケガニの標本を見ながら何かに取り憑かれたようにこのカニについての知識を饒舌に喋るシーンがある。
次第にその内容は大東亜戦争の原因についての話に変わってゆき、
さらに、話は支離滅裂な内容になってゆく。
研究所には光が差し不気味に明るく美しい。
私はこのシーンが好きだ。
この辺の描写は妙にリアリティがあって本当にこういうことがあったようにも思える。

じじつ、昭和天皇は戦争末期、心労からすっかり憔悴され、しばしば独り言を言われていたという。
吹上御所の庭を散歩される時などは時折、大声で繰り返し独り言を言われることもあったようだ。
他にもこんなエピソードがある。
『昭和史と天皇』から少し引用する。

植える種や草があると、子どもが砂遊びに使えるような小さなスコップを持って出られた。
そして、警護の内舎人に向かって叫ばれた。
「御警護!水を持て!」
すると警護の内舎人は、御文庫の入口の近くにある水道まで行って、ブリキのジョウロに水を汲んで持ってきた。
しかし、天皇はしばし放心され、ジョウロで水を撒いていても、立ちすくんで植えた草とはまったくちがう方向に水を注いでいることがあった。


この光景は作中で主人公が速記者(書記?)に「書き続けて!書き続けて!」と云いながら支離滅裂なことを云うシーンと重なる。

先に述べたようにドキュメンタリー映画を除いて映画はフィクションを描くものだから、
天皇がワインを呑もうが宇宙に行こうが本来ならば構わないし、あって良いことだ。
しかし、やはり主人公が主人公なだけにどうしても史実との整合性を考えてしまうし、ワインや煙草を呑んだら変な感じがする。
そこが、天皇を作品の主題とする難しさだと感じた。

最後に。
映画館には『太陽』のパンフレットが売っていたが、つくりが大変良かった。
特に田原総一朗の解説が載っていてとても楽しく読んだ。
巻末にはほとんど全てのセリフを記載したシナリオも掲載されているので、内容を思い返す時にも役に立つ。(一緒に簡単な解説も載っている)
他にも色々と解説が載っているのでこの映画を観て興味を持った人や
内容がよく解らなかったという人に是非お薦めしたい。

日本の国策と官僚と

2006-10-13 18:56:03 | 政治・経済
デジタル放送になつて、色々な事がアナログ放送よりも不明朗になつてゐる。調べれば調べるほど、デジタル放送で行はれてゐるいんちきが明かになつて來る。「アナログの方が良かつた」と云ふ事は既に一部で囁かれるやうになつてゐる。
けれども、「ゴーストがない」と云ふ「メリット」を強調して、國は放送のデジタル化を強行しようとしてゐる。既成事實化によつて強引に目的を達成しようと云ふ、日本政府得意のやり方だ。
同時に、「ワンセグ」の存在を國は頻りに強調してゐる。デジタル放送は「便利」と云ふ宣傳だ。デジタル放送に反對する人間を、「便利」と云ふ事に反對してゐる反動と極附け、反論を封殺してしまはうと云ふ、惡質な戰術である。實際には、コピー制限の存在が極めて重大な問題であり、コピーワンスのフラグを設定されたデジタル放送の信號はデジタルの便利さを完全に喪失してゐるのだが、國はデジタル放送の宣傳でコピー制限の事を全く言はない。これは國家が「詐欺行爲をやつてゐる」のだと言つて良い。
そんな訣で、俺はデジタル放送が轉ける事を希望してゐるのだが、しかし俺は既に諦めてゐる。我が日本國民は、嘗て國字問題で全くの無能を露呈した。今度も過ちを平氣で見過ごすだらう。
(野嵜健秀さん『闇黒日記』より)



以前、このブログで述べたように私も地上波アナログ反対派です。
その時、反対の理由として
「視聴者のコスト負担」と「放送局のコスト負担の問題」を挙げましたが
コピー制限の問題もあることを挙げなくてはならなかったようです。
ちなみにイギリスではこの地上波デジタル化に失敗しています。
おそらく日本はそれの二の舞になるでしょう。

それにしても日本政府が国策でやることにろくなことはありません。
野嵜さんは國字問題を挙げていますが私はゆとり教育のことも挙げたい。
ゆとり教育も文部省と日教組が組んで国策でやったものでした。
そして、今、取り返しがつかない一歩手前まできてやっと見直されています。
何もかもが遅いんです。

私は客観的に見ても日本人は優秀な人材が多いと思います。
それはひとえに江戸時代から脈々とつづく教育の成果だと思っていますが、
官僚や政治家は本当に無能な人が多い。
無能と云っても日本の官僚は処理能力は高い。
しかし、戦略が無く無策で国を誤らせる策ばかり講じる。

戦後、GHQが日本を占領した時、アメリカは日本の弱体化をはかる為に
様々な日本の制度を改革しました。
教育制度を変え、法律を変え、挙げ句、憲法まで変えてしまったわけですが、
唯一といって良いほど手をつけなかった機構がある。
それが、まさに日本の官僚機構でした。
マッカーサーは日本の官僚はこのままにしておけば必ずこの国を悪い方向に持ってゆくと確信していました。
つまり、日本の官僚機構こそこの国を悪くする元凶だと見抜いていたのです。
ちなみに、GHQが改革しなかった組織をもう一つ挙げるならば日本のマスコミです。
GHQはマスコミに対して規制は掛けましたが、組織自体には一切手をつけていません。
いやはや、マッカーサーの卓見には驚くばかりです。

私はすべて官僚が悪いなどと官僚悪玉史観を述べたいわけではありません。
かといって、官僚機構の問題点に目をつぶるわけにはゆきません。
また、「国策だからせむかたなし」「お上のやることだから」と
唯々諾々と従う大衆の方にも問題があるのかもしれません。

そういえば、大東亜戦争で無策な作戦を立てこの国を滅亡に追いやったのも
大本営の高級参謀と言う名の軍人「官僚」ではなかったか。
と、こう書けば少々筆が滑りすぎでありましょうか。

「あび卯月☆ぶろぐ」一周年

2006-10-10 21:09:48 | 雑記
先程、気づいたのですが当ブログも昨日で一周年を迎えました。

当初は日々、感じたことをつれづれと書いてゆこうと考えていました。
ブログのタイトルが「あび卯月☆ぶろぐ」なのも
しょこたんこと中川翔子の「しょこたん☆ぶろぐ」にあやかったものです。

しょこたんのようにオタク趣味のことばかり書けばよかったのですが、
実際は政治主義に淫した内容になってしまいました。
そう考えると、私はオタクはオタクでも政治オタクなのかもしれません。
いえ、そうでなければ、こんな内容になっていないはずです。

しかし、私はどうも政治オタクとういう存在が好きになれないのです。
特に若者の政治オタクは左右を問わず知的に怠惰な手合が多いように感じます。
ひたすら他国を罵ったり、あるいは自国を罵ったり、
そういう下品な言論に終始し、自己だけが肥大している。
私も含めネットで偉そうに政治を語っている者は所詮、
暖衣飽食の日本人であり誰も本気になって政治を考えてなどいやしないのです。
いえ、本気に考えている気になっているだけとでも申しましょうか、
結局、政治趣味にすぎないということです。
(勿論、立派なブログも沢山あります。)

政治オタクを批判しつつ、そして、政治主義に堕した文章を綴ることの虚しさも実感しながら、
それでもなお、私は今後も政治に纏わる駄文を綴るでしょう。
実は私がもっとも知的にも道徳的にも怠惰な者なのかもしれません。

以前、このブログで紹介した福田恆存先生の文章をいま一度引きます。

批評の専門家になるということはこのうえない不幸だ。
健全な批評は副業でなければならない。(中略)
ゆめゆめ批評を本業とするなかれ。


今後もこの言葉を肝に銘じてブログを続けてゆきたいと思います。

飽きっぽい私が一年もの間、ブログを続けて来られたのも、ひとえに読者の皆様の御蔭です。
温かいコメント、また時には御批判も受けたからこそ続けられたのだと思います。
ありがとうございました。
今後とも御指導御鞭撻いただけたら幸いに存じます。

「あまカラ雑記」閉鎖を思ふ

2006-10-07 22:54:08 | 雑記
あまカラさんのブログサイト「あまカラ雑記」が閉鎖した。
親サイトであった「あまカラ備忘録」も同時に閉鎖されたようだ。

原因はあまカラさんの個人情報をネット上で晒した馬鹿が居たから。
こういうことで閉鎖になろうとは当のあまカラさん自身が最も予想していなかったのではなかろうか。
他人の個人情報をネットで晒すなど明らかに犯罪行為だ。
仮にあまカラさんが訴えたなら確実に勝訴すると思う。
それにしても何の目的であのようなことをしたのか理解に苦しむ。
「あまカラ雑記」を閉鎖に追い込むためにおこなったのだろうか。
いづれの理由があるにせよ卑劣極まりないやり方だ。
話が野暮になってくるので閉鎖の原因云々についてはこのへんで已めにしよう。

それにしても残念だ。
私は毎回、あまカラ雑記を楽しく拝見していた。
あまカラさんの意見が興味深いのはすべて私と同じくする意見を書いていたからではない。
むしろ、私の考えと異なる主張を提示されることが多々あった。
だからこそ、いつもなるほどと考えさせられたのだ。
読んで共感することもあり、また、なるほどこういう考え方もあるのか、と自己の意見と照らし合わせその問題について更に深く考えられることが出来た。
こういうブログは貴重だった。

大抵、ブログというものは私のブログも含めくだらない内容が多いし、
特に政治主義に堕したブログにはバカウヨクかバカサヨクのブログが多い。
私の目からはあまカラさんのブログはそのどちらにも与せず独自の視点で、
且つ、切れ味のある内容に映った。
いや、私だけでなく多くの人も同じ感想を抱いていただろう。
(ことわっておくが、あまカラさんのブログは決して政治主義に堕したブログではなかった)

さて、私は今回この記事を書こうか書くまいか迷った。
あまカラさんに対して失礼になりはしないかと。
あまカラさんは最後の記事に「本当に涙が出るような思いである」と書かれていた。
今、閉鎖について触れて欲しくないかもしれない。
(もし、お気持ちを害したようでしたらこの記事はすぐに削除いたします。)
今度はもうブログの再開はないだろう。
最後にお礼を申し上げたい。

あまカラさん本当にありがとうございました。

安倍晋三は村山富市か

2006-10-05 23:41:46 | 政治・経済
<衆院予算委>開戦決断めぐり指導者の責任認める 安倍首相

 安倍晋三首相は5日の衆院予算委員会の基本的質疑で、先の大戦の開戦決断をめぐり、祖父の岸信介元首相も含めた指導者の責任を認めた。また、戦争・植民地支配を謝罪した村山富市首相談話(95年)と従軍慰安婦問題でのおわびと反省を表明した河野洋平官房長官談話(93年)について「私を含めて政府として受け継いでいる」などと述べ、首相個人としても継承する見解を明確にした。民主党の菅直人代表代行の質問に答えた。
 首相は、岸元首相が東条内閣の商工相時代(41年)に日米開戦詔書に署名したことについて「開戦で多くの日本人は命を失い、家族を失った。アジアの人たちに大きなつめ跡を残した。指導者は、私の祖父も含め、責任があったと思う」と指摘。「政治は結果責任だから、祖父の判断は間違っていた」と述べ、岸氏ら戦争指導者の責任を認めた。その上で「責任の取り方はいろいろあった。だからこそ、命をかけて日米安保条約改定に取り組んだのだろう」とも述べた。
 首相は2日の代表質問で、A級戦犯の戦争責任について「具体的に断定することは適当でない」と答弁していた。岸氏は戦前、満州国の経営に関与し、開戦時には商工相。戦後はA級戦犯の容疑者となった。
 また、さきの大戦について「村山談話」にある「国策を誤り」の表現を菅氏が指摘し「個人としても(そう)考えているか」とただしたのに対しても首相は「侵略、植民地支配された方々には談話で示した通りだ」と答弁。「河野談話」とともに「私の内閣で変更するものではない」と述べ、両談話を維持する考えを明確にした。8、9日に日中、日韓両首脳会談が控えていることもあり、外交的配慮を優先したとみられる。【中澤雄大】
(毎日新聞) - 10月5日23時16分更新



安倍首相の答弁を聴いて呆れ返りました。

菅直人から歴史観について問い質され、
大東亜戦争を日本の一方的な侵掠とする村山談話を踏襲すると云い、
岸信介が商工大臣として日米開戦の詔書に署名したことも誤りだったとし、
満洲事変も侵掠であるとし、従軍慰安婦問題についても曖昧な答弁に終始していました。

安倍さんの正体は戦後民主主義者、乃至はリベラルサヨクだったと言う事でしょうか。
あの杜撰な歴史認識に基づく村山談話を安倍晋三個人としても受け継ぐとは一体どういった料簡なのでしょう。
日韓両首脳会談を控えての外交的配慮の可能性を考慮してもあまりにも酷い。

菅直人も言っていましたが、内閣が変われば総理も変わるわけで、
以前の内閣の考えを全て踏襲する必要はどこにもありません。

あのような東京裁判史観に基づいた歴史観の答弁を繰り返すようでは、
憲法改正はおろか教育基本法改正も無理でありましょう。
第一、そんなことならば改正しても意味がありません。
左派はもう安倍さんを怖がることはありません。
安倍さんは左派の考えに近いのですから。

そういえば、村山内閣が発足したとき、左派は期待していました。
念願の社会党政権が発足した。これから、日本は変わってゆくだろう、と。
ところが、村山富市は自衛隊は認めるし、国旗国歌も容認した。
村山さんは今まで云ってきたこととまるで逆のことをやったわけです。
その時の左派の落胆たるや相当のものがあったと聞いています。
社会党(現・社民党)が今のような弱小政党になったのはこの村山政権のせいだと云われているくらいです。

今、私はその当時の左派の気持ちが良く解る。
「あなた、今まで言っていたことと違うじゃないか」
この一言に尽きます。

小室哲哉は元祖アキバ系?

2006-10-03 21:27:16 | 歴史・人物
細木数子の「ズバリ言うわよ!」に小室哲哉が出ていた。

その中で小室は「自分は元祖アキバ系だと思う」と述べていた。
アニメが大好きなのだという。
初めはヲタクに媚びを売る気なのかなと思っていたが、
ケロロ軍曹が大好きだと熱く語っていたのでこれは本物だなと思った。
さらに、TMNは元来、YMOのようなバンドを目指して活動していたのだという。
これは初耳だった。
小室哲哉はテクノが好きだったのか。
(私にとってテクノはP-MODELと電気グルーヴだ)

私は小室哲哉はどちらかというと嫌いだった。
「流行を無視して喜ぶ方の俗物」だった私は最も流行っていた時期にもほとんど無視していた。
が、ケロロ軍曹という単語を聞いて急に親近感が生まれた。
いや、小室にとっては迷惑な話だろうが。
私もケロロ軍曹は好きである。
私は無論「アキバ系」だが、所謂「萌えアニメ」はあまり好きではない。
萌えというものは用意された物に萌えるのではなく、自分で見いだすものだと思っている。
あからさまに萌えを意識した作品は言わば「萌えの押し附け」であり、むしろ不快である。
また、設定が難解で複雑な作品も観る気が起きない。
それゆえ、SFチックな作品や現実世界を逸脱した作品も観ない。
どちらかというと、ケロロ軍曹やクレヨンしんちゃんなどチビッ子向けだが良作という作品が好きだ。
早い話がわかりやすい作品が好きなのだ。
もしくは『妄想代理人』のような「ブンガク的」な作品が。
閑話休題。

それにしても、小室が細木さんにケロロ軍曹を説明する際に
「のらくろ軍曹って御存知ですよね?あれの、今版です」
と説明していたのには可笑しかったのと同時に思わず唸ってしまった。
なるほど、『ケロロ軍曹』は平成版の『のらくろ』だったのか。(細木さんも納得していた)
田河水泡先生も草葉の陰で苦笑されていることだろう。

二・二六事件について

2006-10-03 01:18:26 | 歴史・人物
FC2のホリデーさんの日記で二・二六事件のことを書き込ませていただき、
そのことについてある方からメッセージにて御質問を頂戴しました。
それについての私の返信です。
二・二六事件についての概説を述べました。
せっかくなので公表しようということで、ここに註釈を加え掲載いたします。
(「註:」の部分が追加した箇所です。)

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> 226事件は天皇を取り巻く
> 年寄りの排除、天皇による政治を取り戻そうと
> 決起したという説もあるようですがどうなのでしょう。

仰る通りです。
私もその説は通説になっていると思います。
二・二六の時、蹶起した青年将校の目的は正にそこにありました。
青年将校は「今、日本が不況にあえいでいるのは政党政治が悪い」
そして「天皇の側近らは皆、奸臣だ」と考えたのでした。
そこで、昭和維新を唱え天皇親政の政治を行おうとしたのです。

註1:当時、徴兵されていた兵は農家の次男、三男が多く、
特に蹶起した青年将校らは農村出身の者が多かった。
(長男は徴兵されなかった)
この当時、もっとも恐慌に喘いでいたのは東北の農村で、
青年将校にとっては不況と政党政治の腐敗はまさに身内(家族)の問題であった。

つまりは国家社会主義の実現を目指したのです。
この思想的支柱となったのは北一輝や大川周明。
彼らは、皆「国家社会主義」を標榜していました。
今の資本主義じゃいかん、これからは社会主義だと。
ですから、青年将校らは右翼的ではありますが、実質的には社会主義者なのです。
天皇の元に国民皆平等を目指したわけです。

註2:もっと乱暴な言い方をすれば、北一輝、大川周明ら右翼社会主義者は「天皇を戴く共産主義国家」を目指していた。
それに共鳴したのが陸軍皇道派の青年将校。

もちろん、天皇自身はこういうやり方(クーデター)は立憲政治に反するものですし、
なにより、最も信頼している近臣が何人も殺されたこともあり、激怒されたのでした。

註3:この時、石原莞爾も陸軍のクーデターに激怒し、
皇道派の親分で青年将校らに同情を示した真崎甚三郎に対し
「あなたのようなバカ大将がおだてるから、部下が勝手な真似を平気でするようになる」と言った。
これを聴いた真崎も激怒し、
「上官に対しバカ大将とは何ごとか。軍紀を何と心得るか」と反論したが、石原は
「あなたが軍紀を問題とするならば、単なる上官に対する無礼な発言よりも、それらの人々を殺害した者たちを、真っ先に糾弾すべきではないですか」と答え、
真崎は言葉を返せずその場を後にしたという。

> 226事件の鎮圧から
> ずるずると戦争に向かって行ったような気もします。

確かに、二・二六事件を歴史の転換点とする学説はわかりやすいのですが、
あの事件の結果、皇道派(陸軍の右派)は衰退してしまい、
翌年の選挙では左派である社会大衆党が躍進します。
また、昭和十一年九月号の『中央公論』を見ても「日本人民戦線の胎動」という特集記事が組まれていることからも、
言論の自由が保障されていたことがわかります。
日本がずるずる戦争へと向かうのは支那事変以後を検証しなけらばならないようです。


主要参考文献:
渡部昇一『年表で読む日本近現代史』(海竜社)
坂野潤治・田原総一朗『大日本帝国の民主主義』(小学館)
新井喜美夫『「名将」「愚将」大逆転の太平洋戦史』(講談社+α新書)