あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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たかじん委員会を見ながら今年一年を振り返る

2012-12-09 17:28:07 | 社会・世相
今週のたかじん委員会は今年一年起こったことを振り返るという特集だった。
時間も30分拡大して2時間スペシャル。
平成24年を振り返る意味でも、久々にたかじん委員会で議論されたことについて雑感などを述べてみたりしたい。(敬称は原則的に略。御諒承の程を)


■大津いじめ問題

田嶋陽子が「殺人など学校内の犯罪行為は警察が対応すべき」と。ここまでは良かったが、「いじめている生徒が一番不幸」という論理を展開。
ちょっとまて。それは違うだろう。いじめられている生徒が一番不幸に決まっている。
無論、いじめる生徒が不幸な家庭環境におかれているケースはままある。
が、恵まれた家庭環境で決して不幸な身の上と思えないような奴がいじめる側に回るケースも少なくない。
そういう奴は成長しても過去にいじめっ子だったことなんて忘れて笑顔で暮らしていたりする。
こういう奴は不幸なのか。哲学的な文脈で論うなら不幸といえるのかもしれないが、一般人の感覚からすると不幸とはいえないだろう。
よく、犯罪者が一番不幸、殺人者が一番不幸などと加害者の方こそ不幸なのだと逆説的な論を展開する手合いがいるが、私には理解できない。
加害者の身の上がどうであれ、加害責任は免罪されないはずである。


■ロンドンオリンピック

津川雅彦が「ビデオ判定は反対。遊びなんだから・・・」と。それに対して、田嶋陽子が「一人の選手に国が何億も掛けているので、遊びのレベルじゃない」と。
これについては、田嶋センセの意見に同感。
オリンピックは遊びではなくて世界の国々が参加する商行為だ。ついでに、ナショナリズムのぶつかり合いだったり、その次ぐらいにスポーツマンシップ云々があるんじゃないだろうか。
というと、スポーツマンから怒られるか。


■スギちゃんの来年の芸能活動

桂ざこばが「勝手にやったらよろしい」、津川雅彦も「どうせすぐ消えるんだから、問題ない」と。
いや、その通りなんだが、それを云っちゃあおしまいよ感が(笑)
確かに、スギちゃんは他の芸(トークとか)も磨かないと短命になるだろう。
人柄は好きなのであまり早く消えて欲しくないのだが。
老婆心ながらスギちゃんにアドバイスすると、いまの稼ぎはいまだけのことだがら、無駄遣いせずにきちんと貯金することだ。
って、生々しすぎてすみません。
なお、勝谷誠彦が「(スギちゃんの芸は)いじめにつながらないからいい」と。
これも同感だ。


■尖閣諸島国有化

津川雅彦が「国有化にも問題ないと思うが、東アジアサミットがカンボジアのブノペンで開催された。ここに温家宝も野田首相も出席したが、カンボジアは中国派なので日本に発言を指名しない。野田が途中で退席した後、温家宝が南シナ海の領有権を主張。残った外務省の斎木外務審議官が猛反論した。つまり、国有化しておきならが、(首相が)先に帰ったりしてこういうことに関心を示さないことが問題」と。
そういうことがあったのか。野田佳彦という人は・・・。
竹田恒泰「まづは都が所有すべきだった。国有化してしまうとその後のカードがない。都に集まった15億円の行き場もなくなった。」
宮崎哲弥「7月-9月期の実質GDPが凄く落ちている。年率に換算すると3.5%。ひとつの要因は中国の輸出が鈍っている新聞はすぐ「尖閣問題が原因だ」と書くが、不買運動が起きたのは9月の後半からなので7-9月期のデータには反映されていない。では、なぜかというと中国の経済がもの凄い勢いで縮小している。欧州の需要が縮小して、中国の輸出が鈍化し、中国で作る製品の部品を輸出している日本の経済が悪化した。やはり日本経済が中国に一辺倒に頼る事は間違い。もっと東南アジアやインドやバングラディッシュ、オーストラリア等に市場を求めていくべきだという教訓を残した。」


■オスプレイの普天間配備
 
VTRで「オスプレイの事故率は海兵隊の全航空機平均より低いというデータもある」と。「も」というのはどういうことなのだろうか。
データによって危険だったり危険でなかったりするなら、一体、どのデータを信用すればいいのか。
加藤清隆はオスプレイは事故率は低いと。
また、勝谷誠彦は「沖縄のメディアがおかしい。中国の言論的な工作はある。動員もある。」と。
これが本当だとしたら由々しき問題だけれども、中国がそういうことをやるのは当たり前というくらいの意識を日本人には持ってほしい。
また勝谷氏によると、アメリカはオスプレイをグアムに持っていこうとしている。沖縄には司令部機能しかなくなる。だとすると、自衛隊がオスプレイを持つことも議論しないといけなくなる、とのこと。


■金正恩体制

竹田恒泰「正恩ではなくて、嫡男である正男が継ぐべきだった。私は彼をけっこういい奴だと思っている。核開発に反対しているし、改革開放路線を支持している。クーデターを起こすとしたら正男しかいない。正男はディスニーランドが好きなんだから日本政府は浦安の近くに住まわせるべき」
私も正男はけっこういい奴だと思っている。少なくとも正恩よりはいいだろう。
竹田さんの意見の後半はSFチックだが、楽しい筋書きではある。
勝谷誠彦は「正恩の母の高英姫(大阪出身)の父はプロレスラーだとされていたが、デイリーコリアの記者が大阪の旧日本軍の軍需工場で日本軍の為の衣服を作っていた人物であるとスクープした。これがバレると正恩は飛ぶ。日本の拉致担当者はこういうことを知らない」と発言。
ところで、今週あたり、北朝鮮はミサイルがミサイルを東シナ海方面に発射させようとしている。
これは日本が選挙中であることを考慮すると、どう考えても自民党、なかんづく安倍晋三への援護射撃としか思えない。
と、昨日いーじすさんと話したところだ。
安倍晋三は岸信介の時代から朝鮮半島とは繋がりが深い。(こういう事情は最近のネトウヨは知らないので笑える)
私はむしろ、そういう朝鮮とのパイプがあることは安倍晋三へのプラス評価になっているけどね。


■「マルちゃん正麺」バカ売れ!

宮崎哲弥が「私は袋麺の新製品が出ると、ほとんどすべて試食している。「マルちゃん正麺」が出てきたときに驚いた。本当に生めんに近い。乾麺なのに茹でてこんな麺になるとは想像できない」と感動を語ったが、他のパネリストで「マルちゃん正麺」を食べたことのある人は皆無であった。
みなさん、庶民じゃないですなあ。
宮崎哲っちゃんのあらたなる一面を見て高感度アップ。
私もマルちゃん正麺を初めて食べたときは驚いた。
よくもまあ袋麺でこれだけ生麺の食感を出すことが出来たものだと東洋水産さんに敬意を表した次第。
が、最近はあまり食べていない。袋麺を作るのが大儀に感じるからだ。って、どれだけ物ぐさなんだ。近いうちにまた食べてみよう。「近いうち」にね(笑)


■ネット殺人予告誤認逮捕

無実の人たちが次々に逮捕されるという事態に怒りを感じている。
サイバー捜査の杜撰さ、サイバー対策の脆弱さ、取り調べの杜撰さ。
警察も検察も猛省すべし。


■高速ツアーバス事故

規制緩和とデフレが引き起こした事故だと私はみている。
津川雅彦が「安いものは危険」、宮崎哲弥も「デフレが日本の構造を壊している」と。
同感だ。
ところで、あのバス事故を起こした運転手は日本語がほとんど話せない中国人だった。
なぜ、日本語を話せない人間が運転免許を取得できたのか。
実はあの後、中国人同士のマフィアが無線を使って試験を合格させるブローカーが摘発されている。
マスコミはこの二つの事件を関連付けさせないが、ここを追求するのがマスコミの仕事だろう、と勝谷誠彦。
また、関係ないが、田嶋陽子が「一時間頑張って、一時間半運転すると必ず事故を起こす」「私、スピード好きなの」とスピード狂発言。
怖すぎる(笑)


■生活保護不正受給問題

大阪市では月の最低賃金と生活保護費の逆転現象が起きている。
どこの国も「最低賃金>年金>生活保護費」となっている。
日本だけ、生活保護費が一番高くなっていると、辛坊治郎。
こういう、正直者が馬鹿をみる制度はどう考えてもおかしい。
河本の問題について繰り返し言いたくないが、ああいう例が続発すると、生活保護制度自体が危うくなる。
河本を擁護する人たちは、とりもなおさず、生活保護制度の崩壊を促進させていることを自覚するべきだ。


■NHK平清盛視聴率低迷

桂ざこば「NHKはなぜ視聴率を気にしないといけないのか」
まったく同感だ。NHKは視聴率を気にするべきではない。
放送局で唯一、視聴率を気にしないで本当に良質な冒険的な挑戦的な学術的な・・・そいういう番組を作るべき局がNHKだろう。
公共放送である以上、制約はあろうが、NHKには視聴率にしばられることなく攻めの姿勢で挑んで欲しいと願っている。
ま、あまりにも独善的だったり捏造や歪曲は勘弁だけどね(笑)


■全原発停止&大飯原発再稼働

まづ確認しておきたいのは原発は動いていても止めていても安全ではないということだ。
動いていても止めていても燃料がある以上、冷却し続けておかなければならない。
止めておいた方が比較安全という程度の話だ。
原発を安全化するには廃炉しないといけない。
問題はそこであって、停止したのちに廃炉にもってゆかねばならない。
その道筋をどうつけるのか。
また、加藤氏が指摘するように原発を全停止すると一日100億の燃料費がかかる。
年間で3兆円の費用がかかる。このことをどう考えるのかと。
しかし、脱原発穏健派の私としては、竹田氏が指摘するようにとっとと原発をやめることを決定すれば、原発にかかる費用は浮く(廃炉費用はかかるとしても)と思うし、
また、ウランもタダではなく、また可採年月も100年ほどだと考えると、原発は果たして経済的なのか、未来を託せるエネルギーなのかというと多いに疑問がある。
まぁ、この問題は稿を改めて書くべきだろうね。


以上、ざっくりと今年のトピックを振り返ってみた。
今年はブログをほとんど更新しなかったが、来年もこの調子だろう。

「大津いじめ事件」について一言

2012-07-26 21:58:21 | 社会・世相
昨年十月、滋賀県大津市の中学校でいじめによって男子生徒が自殺した。
いまになって明るみになり、連日メディアが騒いでいる。
いじめの内容は凄惨を極めるもので、「いじめ」というより殺人未遂、傷害、暴行、恐喝、窃盗・・・と云った方がいい。

「いじめという言葉をもうやめよう。傷害、暴行、恐喝、窃盗ときちんと実態にあった名称で呼ぶべきだろう。そして、そのような刑法犯はとっ捕まえて少年院にでも放り込めばいい。」
とツイッターでつぶやいたが、改めて強調しておきたい。

この事件で一番悪いのいじめた生徒だ。
二番目がそれを知っていて無視した教師。あとは教育員会が続くか。

いじめた生徒を難じるのはここではしない。
他の正義漢たちにお任せしよう。
ここでは学校について一言いいたい。

なぜ学校はいじめについてほとんど有効な対応ができないのか。

全国の小中学校は文部科学省の学校評価制度によって評価される。
いじめや不登校という問題が明るみにでると、学校や校長の評価が下がる。
それで、学校はいじめを明るみにしない。あっても隠蔽する。

古谷実に『僕といっしょ』という漫画があるが、作中に主人公の知人の小学生が学校でいじめを受けているシーンがある。
突然、校長室の絵になり、校長が一言「いじめはありません」。
この漫画はギャグ漫画だが、そういうギャグのような実情が現実にある。

実際にこの大津の事件でも校長は「学校は気づいてなかったんですわ」とのたまっている。
自殺した生徒は担任の教師にいじめについて相談したが、教師は「そんなんどうでもいいから」「君が我慢したら丸く収まるから」と対応した。

鳥取県の中学でも似た話がある。
いじめを目撃した女子生徒が教師に訴えると
「いじめた側には家庭問題でいろいろ大変なことがあるのでそれくらい赦してやれ」と対応されたという。
悪いのはいじめを受けた側で、いじめた方は何も悪くないような言い草だ。

こういう学校側の対応を知って、私は漱石の『坊つちやん』を思い出した。

主人公の「坊っちゃん」は新任教師として松山の中学校に赴く。
そこで生徒から連日いやがらせに遭うのだが、宿直の夜には蚊帳の中にバッタを入れられ、二階からは騒ぎたてられた。

その処分についての職員会議が開かれる。
そこで教頭の「赤シャツ」は、事件を起こした生徒たちに「厳重な制裁を加えるのはかえって未来のためによくない」といい、
「少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯をやる事はないとも限らん」と生徒を擁護し、「なるべく寛大なお取り計らいを願いたい」と締める。
他の教師たちも、みな賛同する。

事件を起こした生徒には悪気があったわけではないから、まぁ、穏便に済ませましょうと。
小説の中の話とはいえ、明治の昔から教育現場では似たようなことが繰り返されてきたのかと肩を落としたくなる。

しかし、このあと数学教師の「山嵐」がその場の空気を打ち破り反論する。
長くなるが引用する。

「私は教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。
というのもはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新米の教師某氏を軽侮してこれを翻弄しようとした所為とより外には認められんのであります。
教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。(略)
軽侮されるべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌を加える理由もありましょうが、なんらの源因もないのに新米の先生を愚弄するような軽薄な生徒を寛仮(かんか)しては学校の威信に関わる事と思います。
教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにあると思います。
もし反動が恐ろしいの、騒動が大きくなるのと姑息な事を云った日にはこの弊風はいつ矯正出来るか知れません。
かかる弊風を杜絶するためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃すくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。・・・」

武士的な元気を鼓吹とは若干時代的ではあるものの、感動的な反論だ。
特に最後のくだりは教師ではない身にも万感迫るものがある。
そう、いじめを見逃すくらいなら始めから教師にならん方がいいのである。

大津の中学校には「山嵐」が居なかったのだろう。
それが悲劇を生んだ一因であることは間違いない。

いじめ事件は大津だけの問題ではない。
全国津々浦々で似たような事例があろう。
教師はいまからでも遅くない、「山嵐」の演説を一回でも朗読するべきだ。

生活保護制度についてちょっとだけ考えてみた

2012-06-20 00:02:30 | 社会・世相
テンプレートが勝手に変わっていると思ったら、「60日間投稿が無いためテンプレートを切り替えております。ブログを更新いただくと元のデザインに戻ります。」とあった。
なにそれこわい。

ということで、ツイッターでのつぶやきを再録。
一昨日(6月17日)にやっていた「池上彰の学べるニュース」の「生活保護」についての箇所の概要をかいつまんで記す。
何かの参考になれば。
なお、下記「*」の内側の記述は私の意見を記したのではなく、番組でなされた解説やゲストのコメントを記したまでなので、御留意いただきたい。

**********************

受給者が過去最多210万人を突破した生活保護。
国家予算、約90兆円のうち3兆7,000億円が使われている。
いま問題になっているのは不正受給だけではなく受け取る側にも行政にも難題が山積みしている。

生活保護は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(憲法25条)に基づいて、最低限度の生活を自力で確保できない人に対し、国や地方自治体が面倒をみる制度。
では、「最低限度の生活」とはなにか?

父33歳、母29歳、子4歳で東京23区在住のモデルケースなら、最低生活費:17万2170円、住宅扶助:6万9800円。
最大で24万1970円が扶助される。さらに、医療費や税金は免除される。

六角精児「うちの劇団員よりもらっている」 
高畑淳子「私たちの周りの売れない役者はこんなにもらっていない」 
つるの剛士「下手にバイトするよりもいい」 
土田晃之「下手に働くより全然いい」 
池上彰「そこが問題になっているということなんです」

生活保護受給者は冷蔵庫、洗濯機、炊飯器等を購入するとき補助金が支給される。
テレビ、パソコン、エアコン、ケータイは保護費の中からやりくりすれば購入可。
国民の7割以上が持っているものは基本的に持って良い。
貴金属や株券など資産価値の高いものは売却を指導される。

【生活保護の問題点1】
最低賃金837円で一月に22日間働いて、14万7312円。夫婦二人で月に約29万円。
税金等を引かれて実際の手取りは二十数万円になる。
働いて稼ぐより生活保護の方が手取りが多い場合があるため、不公平感が生まれる。

池上彰「一度生活保護を受けると働こうとしなくなる人がいる」 
高畑淳子「私の世代は生活保護は貰いたくないというか、死んでも貰わんぞという意識があった」 
中村橋之助「こんなに貰えるなら、普通の精神をもっていても気持ちが萎える。人間は楽な方楽な方に行きたい生き物」
つるの「もう少し生活保護の支給額を下げたらどうなのか?」 
池上彰「今まさにそれが議論になっている。今回、芸人さんの話(河本の件)が大きなニュースになったのも生活保護の支給額を減らそうという動きの中で格好の話題として国会で取り上げているという部分がある」

【生活保護の問題点2】
偽装離婚して母子家庭を装ったり、仮病を使い生活保護費を不正受給する例がある。
厚労省の調べでは生活保護の不正受給は2010年度で129億円にのぼっている。

【生活保護の問題点3】
不公平感や不正受給を踏まえ、受給を厳しくすると本当に必要な人に生活保護が行き渡らなくなるという問題がある。
2007年、北九州市で生活保護を打ち切られた男子が餓死した例もある。

【生活保護の問題点4】
ケースワーカー(行政の生活保護担当者)が人手不足で現場が混乱している。
受給資格の調査での親族への確認に強制力がなく、確認が取れないことも多い。
一人のケースワーカーが150世帯を担当している場合もある。

土田「行政のケースワーカーが足りないのなら、民間でケースワーカーの会社を作ればいいのではないか。雇用不足も解消される。」 
池上「なるほどね。」

フランスでは生活保護受給者に対し、雇用支援として、簡単・短時間の仕事を紹介し、少しでもお金が稼げるようにやっていく。
やがて、きちんと仕事をできるようになったら保護から卒業してゆくプログラムを組んでいる。
日本の場合は稼いだ分だけ保護費が減ってしまう。

アメリカでは食料品だけが買えるクレジットカードを渡される。
これなら、パンチコ代に使われることもなくなる。

池上彰
「働くことの喜びを味わってもらうような仕組みづくりは大事」
「特定の個人をケシカランと云っているだけでは済まない」
「これからの日本がどうあるべきかというときに社会保障全体の中での生活保護を考えるいい機会になると思う」 (終)

**********************

以下は私見。

次長課長の河本の生活保護「不正受給」問題でにわかに注目をあびるようになった感がある生活保護制度だが、現状で種々問題があるのは事実だろう。

ところで、河本の件では「河本を叩いている人は自分も将来親を養う立場になるという想像力に欠けている」という意見が散見されたが、推定で五千万以上の年収があり、自分と奥さんのために158万円と42万円の腕時計をポンと買えるような立場でかつ親を扶養しないという状況は想像し辛いのではないか。
どのような立場であれ親は必ず扶養するものだという考えには与しないが、これだけの稼ぎがあって、親をまったく扶養せず生活保護を受給させるというのは社会通念に照らしても、批判されても仕方ないのではないかと思う。

したがって、それ自体が目的化したような河本叩きには与したくないのだが、ヒステリックな程に河本を擁護する人が居たことはそれはそれで意外であった。
本来、このような「不正受給」は生活保護制度の健全な運用において、あってはならず、むしろ、福祉国家を是とする立場の人間こそ、難じるべき問題であるのに、どういうわけかそのような立場の人たちが河本を擁護する光景は理解に苦しむものがあった。
いぢわるな云い方をすれば、河本を擁護すればするほど社会一般の生活保護制度に対する風当たりが強くなり、福祉国家派にとってはマイナスの効果しか齎さないと思うのだが。
ひょっとして、河本擁護派は実は生活保護制度を廃止させたい勢力なのかもしれない。

さて憎まれ口はこのくらいにして。
私は福祉国家を標榜する立場であって、生活保護が本当に必要な人に必要な分だけ、保護がなされるべきだと考えている。
よって、不正受給には怒りを覚えるし、あってはならないことだと考えている。
番組でも指摘されていたが、それによって制度に対する輿論の風当たりが強くなり、生活保護の受給基準が厳密化されると、本来、保護が必要な人たちにゆきわたらなくなる懸念もある。

いづれにしても生活保護制度のあるべき姿について、税と社会保障の一体改革の中でも国民が真剣に考えてゆかねばならない問題であることは間違いないだろう。

(最後はあたりさわりのない感じでまとめてみました)

昔の経済人と今の経済人

2012-02-29 23:13:21 | 社会・世相
【ワタミ労災認定】元店員が語るブラックな労働環境
http://nikkan-spa.jp/157052

この話題に関連して、またもや某掲示板でみつけた書き込みを転載したい。

*******************

【参考資料:昔の経済人の言葉】

岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)
「およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず後に大きな利益をもたらすからである」

本田宗一郎(本田技研工業創業者)
「社長なんて偉くもなんともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ」

土光敏夫(旧経済団体連合会第4代会長)
「社員諸君にはこれから3倍働いてもらう。役員は10倍働け。俺はそれ以上に働く」

ヘンリー・フォード (フォード・モーター創業者)
「奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える」
「ほかの要因はさておき、我々の売上は、ある程度賃金に依存しているのだ。より高い賃金を出せば、
その金はどこかで使われ、ほかの分野の商店主や卸売り業者や製造業者、それに労働者の繁栄につながり、
それがまた我々の売上に反映される。全国規模の高賃金は全国規模の繁栄をもたらす」

松下幸之助(旧松下電器産業創業者)
「産業人の使命は、水道の水のごとく物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価値で提供することにある。
それによって人生に幸福をもたらし、この世に楽土を建設する」

渋沢栄一(実業家)
「その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない」

早川徳次(シャープ創業者)
「一.近所をよくする。近所を儲けさせる。二.信用、資本、奉仕、人、取引先、この五つの蓄積を行え。
三.よい人をつかんだら、決して放すな。四.儲けようとする人は、儲けさえあればいいんだ。何事にも真心がこもらない。
五.人によくすることは、自分にもよくするのと同じだ。人を愛することは、自分を愛するのと同じだ。
事業の道も処世の道も、これ以外のものはない。」


【参考資料:イマドキの経済人の"言葉"1】

奥田 碩(日本経団連名誉会長、トヨタ自動車相談役、パチンコ店善都監査役)
「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」
「マスコミの厚労省叩きは異常。報復しようかと。スポンサー引くとか」
「人間の国際化しないと日本ダメになる。第2の大和民族を作ってもよいから若い外国人に来て貰い少子化対策を」

宮内義彦(オリックス会長 元規制改革・民間開放推進会議議長)
「パートタイマーと無職のどちらがいいか、ということ」

奥谷禮子(人材派遣会社ザ・アール社長 日本郵政株式会社社外取締役 アムウェイ諮問委員)
「格差論は甘えです」「過労死は自己管理の問題。他人の責任にするのは問題」
「競争はしんどい。だから甘えが出ている。個人の甘えがこのままだと社会の甘えになる」

篠原欣子(人材派遣会社テンプスタッフ社長)
「格差は能力の差」

南部靖之(人材派遣会社パソナ社長)
「フリーターこそ終身雇用」

林 純一(人材派遣会社クリスタル社長)
「業界ナンバー1になるには違法行為が許される」

渡邉美樹(ワタミ社長) ←この外道
「24時間仕事のことだけを考えて生きろ」「人間はなにも食べなくても[感動]を食べれば生きていけるんです」

箕浦輝幸(ダイハツ工業社長)
「最近は若者があんまりお金を持ってないと、いうのがあって若者が少し車離れしてるんですね、
それで(聞き取れない)お金がないって事でそういう『連中』が少し安い車という流れも少しある」

鈴木修(スズキ会長)
「土曜休んで日曜も休む奴は要らない。8時間働けばそれでいいなど通用しない。成果で報酬がでるんだ」

【参考資料:イマドキの経済人の"言葉"2】

秋草直之(富士通代表取締役会長)
「業績が悪いのは従業員が働かないからだ」

御手洗冨士夫(キヤノン会長、第2代日本経団連会長)
「偽装請負は法律が悪い」 「新卒社員は学生時代の成績で初任給に格差をつけろ」
「派遣労働が低賃金なのは当たり前。気ままに生活して賃金も社員並みというのは理解できない」

猿橋 望(NOVA創業者)
「労働基準法なんておかしい。今は24時間働かないといけない時代なのに」

折口雅博(日雇い派遣グッドウィル・グループ会長)
「日本で払う給料は、間違いなく中国で払うより高い。労働者が、もの凄く安いコストで働いているというようには私は思っていません」

大島健伸(SFCG/旧商工ファンド創業者)
「金儲けるのは金持ちから儲けるのは大変なんだよ。貧乏人から儲ける方が楽なんだ」
「おい、いいか。俺の『バカ』と言うのを、100万回テープに吹き込んでおけ。毎日聞いとけ! バカバカバカ! バカッ!!!」

カルロス・ゴーン(日産自動車社長)
「日本の報酬体系では、外国人を抱えられない」

米倉弘昌(第3代日本経団連会長、住友化学代表取締役会長)
「日本経済は中国頼み?そんなことはない。日本はもっと中国に投資していい」
「(尖閣諸島付近における中国"漁船"衝突事件)はもう済んだこと。追及するな。だが日中関係を悪化させたビデオ流出は徹底的に追及せよ!」

鷲澤正一(長野市長、信越放送取締役)
「(俺自身は就活したことないけど)就職が内定してない学生は反省しろ! コネを使って何が悪い?」

ハワード・ストリンガー(ソニー会長兼社長)
「(プレイステーションなどオンラインサービスの)個人情報流出など大したダメージではない。利用者はゲームが出来ないことに怒ったのだ」

*******************


昔の経済人、経営者がみな良かったとは云わないが、いま目立つのはかつていた立派な経済人、経営者のそれとは違い、社員を人と思っていないような人間だったり、米倉(現・経団連会長)のように売国奴だったり・・・。
どうしてこうなったのか、他人事でなく日本人一人ひとりが胸に手を当てて考えてみるべき事柄かもしれない。

今までニートとか、派遣とか馬鹿にして笑い者にして

2012-02-24 22:45:01 | 社会・世相
「22歳女性の苦悩「『生活保護もらってる』というと面接で落とされる」より
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-21889.html


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59 :名無しさん@12周年:2012/02/09(木) 18:12:51.85 ID:BOYSqRGu0
今までニートとか、派遣とか馬鹿にして笑い者にして、自己責任だの、甘えだの、
クズだのゴミだのと叩いて、
勝手に飢え死にさせとけとか残酷なことばかり吐き捨ててたけど、
それらの行為の報いは全部自国、ひいては自分の企業、自分の生活に跳ね返ってくるんだよね。
それに国民はおろか、為政者すら気付いてない。

本来なら、「お願いしてでも」20~40代なんて安定雇用で「全員」が働いて「頂いて」、
結婚してもらって子供最低2人以上、出来れば3人、4人と産んでもらわないと困るのに、
その現役世代が、最初の就職ごときですら悲壮感漂わせながら必死に
求職活動しないといけなくて、つまずくような社会にしてしまった。
そして一度つまずいたら二度と戻れない社会を、弱者を馬鹿にしてそのまま放置してきた。
現役世代に金の不安を与えたら、それが非婚化・少子化に直結するのは当たり前のこと。
本当にバカだよ。

社会全体でニートだ派遣だと弱い男性を笑い者にして、クズ扱いして、
「こんな人間誰が採るよw」とかいって余裕ぶっこいてた会社員様が、
超少子高齢化・人口減少による内需の縮小で
自分の所属してる企業が大赤字で潰れる。そして年金も破たんし国ごと崩壊。
今自分がこの日本と言う豊かな国で、豊かなインフラで、幸せに生活で来てるのは、
「どこかの他人が子供を作ってくれて、その国力によって維持されてる」ものなのに。
昔の為政者はそれが分かってた。
「全員揃って豊かにならないと、国は決して繁栄しない」ことを知ってた。だから底辺を見捨てなかった。

「自分だけ金持ちでいられる」なんてそんな虫のいい話はないんだよね。
金持ちになるには、庶民に自分とこの商品を買ってもらってなんぼなんだから。
その庶民をないがしろにして、子供産めないような状況になっても「自己責任」「努力不足」と吐き捨ててたら、
自分とこの商品買ってくれる人がいなくなるのは当たり前のこと。
それで今、超一流企業様の自動車産業すら危機に貧してるからね。

安泰と思ってた自分の企業が、その報いを一身に受けて潰れる日が来るなんて夢にも思ってないんだろうね。
人を大事にしなかった国は滅びる。弱者を馬鹿にして見捨てた報いは全て自分に返ってくる。
因果応報。


**********************



なかなか示唆に富む文章だったので思わず転載。
自由主義の行き着く先は全員が貧乏になるということだ。

にわか反原発のヤな感じ

2011-04-18 01:54:22 | 社会・世相
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タバコの害についてこのごろ威丈高に言うものが増えたのは不愉快である。
いまタバコの害を言うものは、以前言わなかったものである。
いま言う害は全部以前からあったものである。
それなら少しはそのころ言うがいい。

当時何も言わないで、いま声高にいうのは便乗である。
人は便乗に際して言うときは声を大にする。
ことは正義は自分にあって相手にはないと思うと威丈高になる。
これはタバコの害の如きでさえ一人では言えないものが、いかに多いかを物語るものである。
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震災以来、雨後の竹の子のように原発の害を口にする輩が出始めた。
以前から反原発を訴えていた者をそれまで誰も注目しなかったのに、二流雑誌はこぞってそういう者を使うようになった。

上に掲げたのは稀代の名コラムニストだった山本夏彦さんの文章だが、文中の「タバコ」を「原発」に換えるとそっくりそのまま今の私の気持ちになる。
いま、反原発を叫ぶ人の何割が震災前から原発の害を訴えていたのだろうか。
震災が起きてはじめて害を叫ぶ人はかつての反原発運動のように時が経てば言わなくなるだろう。

思い返せば、チェルノブイリの時もそうだった。
日本のパンク・ロックシーンも反原発一色だった時期がある。
そのとき、ブルーハーツも「チェルノブイリには行きたくねえ!」(チェルノブイリ)と歌っていた。
その数年後には「どっかの坊主が親のスネかじりながら『原発はいらねぇ』ってよ どうやらそれが新しいハヤリなんだな 明日は一体何が流行るんだろう」(イメージ)と自らを戯画するように歌ったところがいかにもブルーハーツらしくて好きだった。
その他、反原発を歌っていたバンドやそのファンたちは時が経てばすっかり原発の害を口にしなくなった。
一過性のブームだったことが知れる。

例えば今回、斉藤和義が『ずっとウソだった』を歌った。

自身の曲である『ずっと好きだった』の替え歌で「この国を歩けば、原発が54基」と始まり、 「教科書もCMも言ってたよ、安全です。 俺たちを騙して、言い訳は「想定外」 懐かしいあの空、くすぐったい黒い雨」と続く反原発ソングだ。

いきものがかりの水野良樹さんは「斉藤和義さんの音楽が大好きだけど、「ずっとウソだった」は大嫌いだよ。」とツイッターに書いたが、私は水野さんに深く共感する。
というのも、以前から、核の害を歌っていた斉藤和義が歌う分はまだいいが、斉藤和義もロクに聴いていなかったのに『ずっとウソだった』を諸手を挙げて褒めそやす手合が大勢いる現状にウンザリするからだ。

こういう連中は反自民党・民主党ブームの時流に乗って民主党に票を入れ鳩山由紀夫、菅直人の醜態を見るにつけ、自らが票を入れたことを棚に上げ、これまた時流に乗って民主党の悪口を云っている連中と同一人物だろう。
終戦後に生きていたなら「聖戦なんてウソだった」「国に騙された」と云って共産党あたりに入党する人物だろう。

畢竟、騙されたとか平気で言える人は自分の頭で考えることが出来ない以上、一生騙され続ける。
少しでも自分の頭でモノを考える人は「騙された」なんて、ことは恥ずかしくて言えやしない。
百歩譲って恥を忍んでいっているならまだマシだが、いま騙されたと云っている人は寸毫も恥じることなく被害者ヅラして、怒りに任せて自らが正義になったと勘違いしている。

ブルーハーツは反原発ソングを歌った照れ隠しに『イメージ』を歌った。
あるいは、自らを客観視することができたから、『イメージ』を歌うことができた。
にわか反原発の連中はそれが出来ない人たちだ。

極端な話、時流に乗って、あるいは時流に乗らなければ声高に主張できない日本人の宿痾とも云うべきこの性質が結局は今回の事故を引き起こしたのではないか。

詰まりは、あんな不完全な原発を作らせたのもやはり同じ人なのだ。
いま、にわかに反原発を叫ぶ人たちがあの原発を作らせたのだ。
その自覚や自戒なくして反原発を訴えても片腹痛いと云う外ない。

ついでに云うと、「ロック=反体制、反権力、反核、反原発」なんて思っている者があるが、一体そんなこと誰が決めたんだ。
そもそも、ロックはそんな薄っぺらいものではない。
ロックをそんな枠に嵌めようとする者こそ、もっともロックから遠い思想の持ち主だ。
しいていうなら、ロックは反体制ならぬ反「大勢」であるべきで、今、大勢が反原発なら、いまこそ「原発推進」を歌うべきだ。

太宰治は終戦直後に「天皇陛下萬歳!この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ」と書いた。
この言葉の意味を『ずっとウソだった』に感動している人はじっくり考えてみるといい。

若者を見殺しにする国

2010-08-14 00:30:48 | 社会・世相
福岡県が「70歳現役特区」構想を打ち出した、と今夕の読売新聞が伝えていた。
団塊の世代の大量退職を機に、高齢者が当り前に働ける地域社会のモデル事例になるよう国と連携して実施するという。

70歳以上の起業や職場作りに助成するという内容で、具体的には個人事業でも補助金を支給したり、収入が多くても年金を受給できたり、66歳以上でも雇用保険に加入できたりする条件緩和を検討するという。

一読、良いことのように思える。
が、私がこの記事を読んで抱いたのは怒りだった。

今春の新卒大学生の就職率は60.8%。
実に四割近くの新卒生が就職できずに路頭に迷っている。
就職できなかった大学生の中には「新卒生」のカードを得る為に留年の手段を取るケースも少なくない。
あるいは就職浪人するわけだが、一般的な企業は新卒生しか採用しないので、一度大学を卒業してしまうと極端に就活が困難になる。
就職できなかった卒業生に待つのはまさに地獄の道だ。

実は私もそのクチで、大学院に一年余計に通ったのはまさに前者の例。
大学院は留年とは言わないが、それでもかなりの辛酸を舐めさせられた。
就活でどんな目に遭わされたかは私事になるので省くが、就活生の辛さは私も経験してきたから良く解る。

だから、いま支援すべきは老人ではなく若者であるはずだ。
いま述べたように、新卒生の四割が職が無いと喘いでいる。
それなのに老人の就職を支援してどうする。
しかも、団塊の世代の多くはいままでバリバリ働いてきて、貯金もたっぷりとある所謂勝ち組み世代だ。
高齢層(60歳以上)の1世帯当たり平均貯蓄額は若年・中年層世帯のほぼ2倍の2424万円であるというデータがそれを裏づけている。(2003年の統計による)

そういう老人に対して、収入が多くても年金を受給できるようにするだと。
ちょっと感覚がおかしいのではないかと言いたくなる。

マスコミは日本は老人に冷たい国なんていうが、とんでもない。
老人は弱者だというのはもはや過去の話。
国の政策はいつも老年者偏重で、若年層との受益格差は実に四千万円と言われている。
若者から搾取した税金が年金が老人に注がれるという構図だ。
経済的には若者の方が社会的弱者とみるべきだろう。

ではなぜ、こんなに老人優遇の国なのかというと答えはカンタン。
若者が選挙に行かないからだ。
ただでさえ、老人は数が多いのに投票率も高い。
反対に若者は数が少ないうえに投票率も低い。
あなたが政治家だったらどちらの利益を優先するだろうか。

実際に、後期高齢者医療制度にしてももみじマークにしても老人が文句を言ったものはすぐに廃止。
老人の意見はすぐに政治に反映されるのだ。

誤解しないで欲しいが、私はいたずらに若年層と老年層の対立を煽りたいわけではないし、まして、老人を大切にするなと言っているわけではない。
やたら老人と若者の対立を煽る言論も目に付くがわたしはそういう議論に与したくない。
それに何歳であろうと弱者を支援することは当り前のことだ。
私が述べたいのは、行政は支援する相手を間違っていないかということだ。
あるいは、優先順位を間違えているということだ。

例えば今回、福岡県の「70歳現役特区」構想が出た。
「働く意欲や能力がある高齢者が当り前に働ける仕組み」作る必要があるとのことだが、内容をみてもとても支援が必要な老人を対象にしているとは思えない。
しかも、老人の雇用を創出したらますます若者の雇用がなくなるのではないか。

敢えて語弊のある言い方をするが、老人には未来はなく、死が近くに迫っている。
一方、若者には未来がある。
そして、これからの日本を背負ってゆく責務がある。
そんな若者を見殺しにして、やたらと老人ばかりに優しい国はおそらく滅びる。
若者はまづ選挙に行くことから始めたい。

女学生がいい

2010-04-18 01:58:44 | 社会・世相
かつては「女は大学に行かなくてもいい」という風潮があった。
いまそんなことを云うとフェミニストやジェンダーフリーの人から糾弾されるだろう。
ちなみに私は大学削減論者なので、男女問わず大学に行くのは一部のエリートだけでいいと思っている。

それはともかく、昨今では高校卒業後、半分近くが大学に行く時代となり、男女比もだいたい同じくらい。
これを男女同権が進んだ証とみるか、単に女子も大学に行かなければならなくなっただけとみるかは意見が分かれるところだろうが、私がかつて所属していた学部でも男女比はだいたい同じ。
他の学部と比べて多い方だったのでよく他学部の男子学生から「いいですねぇ、あびさんの学部は、女子が多くて」なんて云われていたが女学生が多くていいなと思った記憶は無い。

それよりも、女学生が多くていいと思っていたのは教授たちのようだ。
なぜなら、教授たちは声をそろえて「最近の学生は男よりも女の方がまじめだね」と云う。
男子学生は授業中に寝るわ、ゼミはサボるわ、レポートを書かせてもインターネット上にある文章をそのままコピペしてくるわで本当に質が悪いのが多いと。
比べて女子学生は授業中きちんとノートを取っている、ゼミにもきちんと出席する、レポートはつたないながらも一応、図書館で文献を調べて書く・・・。

確かに私も思い当たるフシがある。
長い長い就活をしていて多くの就活学生と知り合ったが、就活に挑む態度についても女学生の方が男子学生よりもより真摯だったように思う。
例えば、企業説明会等で質問の時間がある。
そういう場で積極的に手が上がるのは決まって女学生だった。

さらに遡ってみると高校の生徒会長選挙の時、私の学年で立候補した二人の生徒はどちらも女子生徒だった。
男ばかりだった応援団も男が入らないものだから、女子が入団していた。
これら男の消極性を示すエピソードはそのまま昨今の草食男子の増加にも繋がっているように思う。

男が女らしく女が男らしくなっているこの傾向はジェンダーフリー教育がゆき届いた結果なのか、はたまた生物学的な要因があるのか知らないが、もともと日本は女性の国。
天照大御神が女神なように、日本では女性が主役なのだ。
その証拠に(これは何度か云っていることだが)日本のおじさんはみな疲れた顔をしているが、おばさんは総じて元気だ。
いや中年に限らず若年層でも男がますます元気をなくしている一方で女子はますます元気にみえる。

太宰治は「男女同権とは男の地位が、女の地位にまであがったことなのです」と云ったそうだが、それが男女同権の正しい意味とするなら、まだまだ男女同権は進んでいないようだ。

2010年代はじまる

2010-01-05 01:57:21 | 社会・世相
気がつけばゼロ年代が終わっていた。

いま、普通に「ゼロ年代」という言葉を使ったが、これは2000年から2009年までの期間を指す。
数字の始まりは1なので私なんぞは2001年から2010年までの期間を指すものだと思っていたが違っていた。
21世紀は2001年からなのに数字の決まり事はかくもややこしい。

1990年代は略して「きゅうじゅうねんだい」と読んでいた。
ところが困るのは2000年代。
私の記憶によると2000年代が始まった当初は多くの人が「にせんねんだい」と読んでいた。
ところが、「にせんねんだい」だと2000年から2999年の期間を指すとも思える。
そこで2000年代の後半からは「ゼロねんだい」という読みが主流になった。
じっさい、いまはなき『論座』でも「ゼロ年代の言論」といったタイトルの特集が組まれたりしていた。

ということで以下、00年代と表記しますが、「ゼロ年代」とお読みください。

振り返ってみれば00年代は我々に何を残してくれただろうか。
90年代にどっぷり浸かった1985年生れの私にとって00年代の愛着は薄い。
なにせ、5歳から15歳までの期間が90年代だった私にとって、懐かしさや親しみを感じるのは圧倒的に90年代の方だ。

90年代と聴いて連想する単語を挙げろと云われれば思いつくだけでも

平成、湾岸戦争、佐川急便、ウォーリーを探せ!、ばざ~るでござ~る、反省だけならサルでも出来る、具が大きい、バーコードバトラー、ポケベル、KAN、愛は勝つ、スーパーファミコン、マリオワールド、ストⅡ、ダービースタリオン、シムシティ、ポケモン、ホラーブーム、このまちだいすき、きんさんぎんさん、米不足、宮路社長、水不足、コギャル、ルーズソックス、プリクラ、ウィンドウズ95、PHS、村山政権、阪神大震災、オウム真理教、たまごっち、ショーバイショーバイ、マジカル頭脳パワー、やるならやらねば、なるほど!ザ・ワールド、ものまね王座、ごっつええ感じ、ポンキッキーズ、ラララむじんくん♪、電波少年、クマのプー太郎、地獄先生ぬ~べ~、マキバオー、幕張、すごいよ!マサルさん、ワンダフル、GTO、セガサターン、ドリームキャスト、湯川専務、プレステ、古畑任三郎、小室ファミリー、アムロ、アムラー、シノラー、スピッツ、ミスチル、ジュディマリ、シャズナ・・・

と、キリが無いほど挙げる事が出来る。
これらをみて目頭が熱くなった方は私と同世代かあるいはそれより上の世代と思われる。
一方、00年代はどうだろう。

小渕恵三、森喜朗、IT革命、神の国、新しい歴史教科書、小泉純一郎、靖国神社、反日デモ、拉致問題、9.11テロ、イラク戦争、郵政民営化、ゴー宣、愛子さま、プレステ2、プレステ3、DS、爆笑オンエアバトル、M-1グランプリ、笑いの金メダル、お笑いブーム、2ちゃんねる、ウィンドウズXP、ビスタ、ネットカフェ、ブログ、浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、新札、年金問題、平成大合併、禁煙ブーム、ライブドア、ホリエモン、TOB、リーマンブラザーズ、悠仁さま、タマちゃん、毒ギョーザ、チベット、アキバ系、メイドカフェ、しょこたん、でじこ、ハルヒ、iPod、ブルーレイ、品格、ユーチューブ、ニコニコ動画・・・

と、あまり数多く思いつかない。
あるいは、あっても現在も続いているようなものもあるのでそれらは割愛した。
ざっとみる限り、00年代のキーワードは政治に関するものが多いようだが、これは私の個人的な嗜好によることを差し引いても00年代は90年代に比べるとずっと政治的であったことを示す。
それは、小泉訪朝によって北朝鮮による拉致が正式に認められたことと無関係ではない。
北朝鮮による不法行為が明るみにでて、日本国民にいくばくかのナショナリズムを目ざめさせた。
また、小泉首相の靖国神社参拝に関し、中国、韓国そして左派系メディアが反撥し、それにさらに右派が反撥するという現象が見られた。
これは、「新しい歴史教科書」や小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』シリーズ、安倍内閣などに対する対応でも同じ。
冷戦終結後、曖昧になっていた右派と左派の対立構造が目に見える形で見えてきたのが00年代といえる。
いいかえれば、右派が勢力を増してきたともいえるが、これは右派の手柄ではなくひとえに日本に脅威や嫌悪を与えつづけてくれた北朝鮮、中国、韓国さんの御蔭である。

一方で、文化に関するキーワードは少なめだ。
これは私が00年代において大衆文化に比較的背を向けて生きてきたということだろうが、考えようによってはそれほど魅力的な文化が生れなかったともいえる。
90年代というと数多くの名曲が思いつくが、00年代というと首を捻ってしまう。
00年代の音楽シーンの記憶といえば前半に青春パンクブームが起こったことくらいか。
あとは、あまり記憶に無い。
それほど魅力的な作品がなかったのか、あるいはやはり私の個人的な嗜好によるものなのか、答えは皆様にゆだねたい。
ただ、00年代はお笑いブームが起き、平成のお笑い文化が確立された。
私自身も00年代を振り返ってみると多くのお笑い番組を見てきた。
お笑いが進化成長した点は00年代文化の特徴といえるだろう。
また、ゲームも大きく進化した。
私は00年代、ゲーム文化にほとんど触れず過ごしてきたが、ゲーム好きにとってはおそらくたまらない時代だったのではなかろうか。

もう一つ、00年代に欠かせないキーワードは「IT革命」だろう。
はじめこの単語を聞いたとき、なにが革命なんだ、インターネットが普及するだけだろうと思っていた。
ところが、蓋をあけてみれば本当に革命に近い出来事が起きた。
いまや、国内の離れた距離に住む人ともこうやってやり取りが出来るし、ブログに各々の日記や言論を綴ることも出来るようになった。
買い物もマウス一つで済む。
例えばアマゾンを利用すれば、早ければ翌日に商品が届く。
私のような本好きにとっては古本を探す時も大変ありがたい時代になった。
かつては、それこそ古本屋をめぐり意中の書籍を何年もかけて探すのが当り前だった。
それがいまや、検索サイト(たとえば「日本の古本屋」)などを使えば加盟店の在庫が瞬時に検索でき、何年探しても手に入らなかった古書なども簡単に手に入るようになった。
(もっとも、貴重な本はそれなりの金額が附くので手軽に・・・とはいかないが)
巨大掲示板が2ちゃんねるがネット界に君臨するようになったのも00年代だ。
00年代はそのまま2ちゃんねるの歩みとも言える。
2ちゃんねるはアメーバのごとく成長拡大し、ネットユーザーの中でこれを利用したことの無い人の方が稀だ。
便所の落書きとも揶揄される2ちゃんだが、時折貴重な書き込みも散見され、情報ツールとして欠かせないものとなった。
ユーチューブやニコニコ動画の登場も見逃せない。
これらのサイトにより、見逃した番組も容易に視聴できるようになり、また、個人が自ら動画を発信することを可能にした。

以下、語りたいことは数多あるけれど、この辺で。

今年は2010年代最初の年となる。
冒頭で述べたように気がつけば00年代が終わり、10年代がはじまっていたというのが正直な感想だ。
90年代、00年代に育った若者もいまや文化、政治、経済の担い手となった。
2010年代は我々にどんな文化を与えてくれるだろうか。

護衛艦と韓国船の衝突事故

2009-10-29 01:25:08 | 社会・世相
関門海峡は下関と門司の間の海峡で、福岡と山口の境であると同時に九州と本州の境でもある。
かつては馬間海峡といわれていたが、これは下関の旧称が馬間だったことによる。

関門海峡にはよく行く。
門司側の関門橋附近には地元で有名な若松屋という旨いおでん屋があって、門司に行くときは必ずといっていいほどここで昼食をとる。
以前は二階建ての店舗だったが、数年前の台風で倒潰してしまい今では平屋のこじんまりとした店舗になっている。
ここのおでんはだしが甘辛く、一般に出回っているおでんとは異なった何ともいえない旨さがある。
サイドメニューのちゃんぽん、カツ丼、親子丼などもどれも旨い。
店舗縮小に伴い、焼きめしが廃止されたのは残念だが、いまでも人気のある店だ。

この店で食事をすると窓から関門海峡がよく見える。
関門海峡は壇ノ浦の戦いの舞台で、安徳天皇が入水されたことでも有名だが、波が荒いことでも知られる。
潮の流れが速い上に、一日に何度も潮流が東西に変わる難所で平家物語にも潮の流れが変わる記述がある。
加えて、この海峡は極めて狭い海峡で最も狭い関門橋附近の幅は約500メートルしかない。
殆んど川の下流程度の広さだ。
この狭い海峡を一日に大小あわせて七百隻近い船舶が行き来する。
若松屋の窓から眺めていても常に多くの船が行ったり来たりしていて、よくぶつからないなあと感心していた。

そんな海峡で護衛艦と韓国籍の貨物船が衝突する事故が起こった。
貨物船が前の船を追い越そうとして左舷に舵をきったところ、前から来た護衛艦にぶつかった恰好だ。
護衛艦の方は航海のルールである右側航行を遵守していた。
護衛艦からしたら、追い越し禁止車線を走っていたら対向車が突っ込んできたようなものだ。
だいたい、難所中の難所とも謂われるあの狭い海峡で前の船を追い越そうだなんて狂気の沙汰に近い。
この海域を良く知る人物も「無謀としか言えない」(西部海難防止協会専務理事)と話す。

どう考えても貨物船の方が悪いが、昨日の報道ステーションでは古舘が「あたごの事故を思い出す」とか「気の緩みがあったのでは」などと云って、自衛隊批判に持っていこうとしていた。
相変らずの歪曲ぶりに頭の下がる思いだが、ついでにいうとあたごのケースも2:8くらいで漁船の方が悪い。
日教組で自衛隊嫌いの私の父でさえ、「常識で考えて漁船と護衛艦が衝突するなんてあり得ない」と言っていた。
父は太公望でよくモーターボートを操り海釣りに行く。
起きて運転している限り、あんな大きな船にぶつかるはずはない、と。
早い話あの漁船の船乗りは居眠りしていた。
被害者側とされた漁民の方が補償補償とあまり騒がなかったのはそういう事情による。
ところが、マスコミにとっては自衛隊批判の格好の材料で、イージス艦が絶対悪にされ、自殺者まで出した。

今回、事故の二日目の今日にはすっかり報道が沈静化してしまったのは、貨物船の方が悪いとわかり、自衛隊批判に使えないからか、あるいは政権担当政党が民主党だからか。
日頃のマスコミの姿勢をみればそんな風に穿ってみたくもなる。

原爆の日に考えるべきこと

2009-08-07 02:00:43 | 社会・世相
六十四年目の原爆の日を迎えた広島で平和記念式典が行われた。
式典で秋葉忠利・広島市長は

「私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を『オバマジョリティー』と呼び、力を合わせて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます」
「We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajority. Together, we can abolish nuclearweapons. Yes, we can.(私たちには力がある。私たちには責任がある。そして、わたしたちはオバマジョリティだ。共に、核兵器を廃絶しよう。イエス、ウィ キャン)」


などと述べた。
この人、よほどオバマに心酔しているらしいが、「Yes, we can」まで真似てノッチじゃあるまいし。
それに、日本人なら日本語で言えばいい。
「オバマジョリティー」という珍語に至っては少し恥ずかしくもある。

秋葉市長は郵政解散後の保守分裂によって漁夫の利的に当選したともっぱらの評判だが、社会党出身者を市長にした弊害は早速出た。
秋葉市長は広島平和文化センターの新理事長に原爆投下肯定論者の米国人スティーブン・リーパーを据えて、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と語らせ、大陸と半島出身者を起用する方針も公言させた。
平和センターを反日活動の場にしたいのかと疑いたくなる。

最近でも広島で講演を予定していた田母神俊雄氏に「被爆者ら市民の心情に配慮して日程変更を検討してもらいたい」との申し入れを行っている。

田母神氏は、「唯一の被爆国として、3度目の核攻撃を受けないために核武装すべきだ」と主張している。
これが被爆者の心情を傷つけるというのだろうか。
確かに、被爆者にとっては核という字すらみたくないものかもしれない。
かくいう、被爆者でもない私も原爆や核兵器といった文字を見るだけで嫌悪感を抱く。
しかしながら、常識的かつ論理的に考えると日本が核を持つ場合と持たない場合で格段に核攻撃を受けるリスクは変わってくる。
いうまでもなく、核兵器を持たない現状の方が核攻撃を受けるリスクは高いのだ。
これは説明しなくてもわかる道理だろう。
どこの国が核武装国に核攻撃を仕掛けるか。

勿論、日本が核武装するには困難な道のりがある。
まづもって米国が許さないだろうし、日本人の間にもまだまだ核アレルギーは強い。
国民輿論が核武装賛成に傾かない現状では議論もままならない。
マスコミや左派も一斉に中国や南北朝鮮が警戒するとかいろいろ理由をつけて反対するだろう。
経済界も日本は孤立してしまうなどと反対すると思う。

いまに挙げた中でとりわけ困難な壁はやはりアメリカだろう。
日本が核武装するとなると日米安保に重大な変革が迫られるからだ。
日本を役に立つ飼い犬にしておきたいアメリカが日本の核武装を許すはずがない。
保守派でも親米派は核武装の議論となると非現実的だと鼻で笑う理由はここにある。
つくづく、日本はアメリカの植民地だなと思うが、それならそれで、アメリカに米国の核を日本と共有すると宣言させるとか(あくまで例えばの話しだが)、我が国がもう二度と核攻撃をされない保障をより一層磐石にする必要がある。

私は広島と長崎が体験した地獄を幼い頃から繰り返し胸に刻んできた。
核兵器をなにより恐れるからこそ、核武装の議論をすべきだと思う。
心情的に核はいやだと言っているだけでは、再びあの惨禍を体験することになる。
マスコミ、言論人は原爆の日に原爆の悲惨さを訴えても、二度とそのようなことが起きないためにどうするべきかという具体的な議論は避けたがる。
しかし、これほど無責任なことがあろうか。

六十四回目の原爆の日。
哀悼の念を抱くと同時に、日本人として考えるべき事がたくさんある。

もう一つの足利事件

2009-06-19 21:54:44 | 社会・世相
足利事件の犯人とされた菅谷利和さんの冤罪が確定し、十七年間ぶりに釈放されたニュースは他人事ならぬ恐ろしさを感じさせるものがあった。
警察権力がその気になれば人一人の自由を簡単に奪う事ができる。
戦後あれだけ、民主警察とか云っていた警察だが、取り調べにおける自白強要など戦前の警察と大して変わらない実態をまたもや浮き彫りにしたといえる。

この足利事件はマスメディアも大々的に取り上げ輿論を喚起し、栃木県警本部長が直接、菅谷さんに謝罪するに至ったが、実はあまり注目されていないが同様の例が現在進行形で存在する。

それが、今月号の月刊『WILL』でも取り上げられていた「高知白バイ事故」偽装工作疑惑だ。

この事故は2006年3月3日に起きた。
スクールバスの運転手だった片岡晴彦(55歳)さんはその日、高知県・仁淀川町立仁淀中学三年生の教員三人と生徒二十二人を乗せたバスを運転していた。
その日は三年生のお別れ遠足会で生徒たちが昼食をとった店の駐車場から国道に入る前、バスは一旦停止し、ゆっくり前進して再度停止し、右折の機をうかがっていた。
そこに、右側から白バイが猛スピードで突っ込んでくる。
バスには衝撃が走り、右側前部には破損した白バイが倒れ、運転していた交通機動隊員のY巡査長も横向きにたおれていた。

その後、Y隊員は死亡し、片岡さんは業務上過失致死容疑で逮捕され、取り調べもないまま八ヶ月が過ぎる。

逮捕されて八ヵ月後、高知地検で検事から
「急ブレーキをかけたバスが、一メートル近く白バイを引きずった。お前が右側を確認せずにバスを動かしたからや」
と無茶苦茶なことを告げられる。
片岡さんは「冗談じゃない。バスは完全に停まっていた」と反論。
無論、これが事実だ。
証言者もいる。
なによりバスに乗っていた全員が知っている事だし、その内の一人の女性教諭は
「バスの運転席の真後ろにいましたが、バスはまったく動いていなかった」
と証言している。
バスの真後ろに乗用車に乗り停止していた仁淀中学校長も
「停車居時間が長いので私はハンドブレーキも引いていた。バスはまったく動いていなかった。突然、前方右からすごい勢いで物体がバスの前に突っ込んだ」
と述べる。

ところが、検事は証拠写真を突き出してくる。
その写真にはバスの前輪の後ろにのびる黒いスリップ痕が写っていた。
動いていないのにスリップ痕がつくものか。絶対におかしい。
結論を先に書けばこれは完全なる捏造写真だった。
写真を分析した自動車事故鑑定人の石川和夫氏は
「タイヤ痕ならあるはずの溝の跡が一本もない。スリップ痕は路面の凸面だけに付くのに、へこんだ乙面にも染みわたるように色が付いている。液体を塗ったからです」
と警察の偽装工作と断定した。
だいたい、検察はバスは時速十キロで走っていたと主張していて、仮にそのスピードで急ブレーキをかけてもスリップ痕は残らない。

ところが、この警察の捏造を裁判所は「野次馬やマスコミがいる中での証拠偽装は不可能」(片多裁判官)として否定。
バスは停まっていたとの多くの証言も無視し、片岡さんに禁固一年四ヶ月の実刑判決を下した。
裁判所と警察がぐるであることが実によくわかる。

しかし、なぜ、警察はこのような事件をでっち上げたのか。
実はこの事故があった附近では以前から白バイの暴走が問題視されていた。
公道なのにサイレンも鳴らさず、百キロくらいで走り、たまにミニバイクなんかを捕まえて遊んでいる。(附近のガソリンスタンド店員の証言)
青信号で横断中に白バイにはねられそうになった人もいた。

今回のこの事故も白バイによる暴走運転の結果だったわけだが、この事故をじっくり検証すれば白バイが普段から暴走行為をやっていたことが明るみに出る。
ならば、と偽装工作をしてまで片岡さんを犯罪者にしてしまったわけだ。
こんな出鱈目な冤罪が通って、現在も片岡さんは刑務所に服役させられている。

足利事件は警察による過失の面が強いが、こちらの方は初めから冤罪を作ろうとして作った分、より悪質だ。
近代国家において絶対にあってはならないことで、こんなことなら中国を笑えない。
しかも、この重大冤罪事件を中央紙はほとんど報じていない。
地元紙、高知新聞も警察べったりの報道。
マスコミの体質がここにもよく出ている。
それが、左派に比べ警察に甘いと思われがちの右派の雑誌『WILL』が取り上げたことは心強い。

左派の雑誌やジャーナリズムももっとこの事件を取り上げて欲しい。
日本が軍国主義化しているとか自衛隊の暴走なんていう幻想よりも警察の暴走という現実の方がずっと怖い。

日本人の愛国心

2009-06-06 13:13:05 | 社会・世相
私はかつて(2007年02月18日)、某コミュニティサイトで

愛国心の問題にしても、今後、グローバル化に対抗してゆく為には世界標準並の愛国心が必要になります。
それに気づかず単純に愛国心を否定しても、結局は偏狭なナショナリズムしか育たないでしょう。


と書いたことがある。これに対してある方から、

あび卯月さんがおっしゃった「世界標準並の愛国心」という意味がわかりません。どこの国を指して言っているのでしょうか。

という御質問を承り、それに対して返答するというかたちで私が日頃抱いていた日本人の愛国心について述べた。
今と多少意見が異なる箇所もあるが、当時私が考えていてた愛国心についての覚書としてここに転載しておきたい。


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>あび卯月さんがおっしゃった「世界標準並の愛国心」という意味がわかりません。
>どこの国を指して言っているのでしょうか。

御質問にお答えいたします。

世界標準というのはここでは今後、国際社会で政治・経済の主導権を握ってゆく国々を標準と捉えてください。
実際に国名を挙げるならば米・英・中・露・仏の常任理事国をはじめとして、インド、ブラジル、オーストラリア、ドイツ、韓国、中東諸国などを挙げます。

「世界標準並の愛国心」と言っても愛国心は数値化できるものではないので、数字によって捉えることは出来ません。
但し、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」、「自国民であることの誇り」という質問に対する各国のデータがありまして、これが一つの参考になると思います。

http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5223.html
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9465.html

この二つの調査結果を御覧になるとお解りになるように日本は前者は最下位。後者の質問には六十ヶ国中、五十七位です。

私は日本は今後、世界標準並の愛国心が必要だと述べました。
しかし、私は日本人に世界並の愛国心を持たせることは殆ど不可能だと思っています。(少なくとも今の状態では。)

以下、ちょっと込み入った説明をいたします。

国家とは本来、人工的なもので相対的なものです。
御存知のように国家という概念が生れ、それが欧州各国で形となったのは人類の歴史から見ればつい最近のことです。
日本に国家の概念が生れたのは明治以降です。
いえ、生れたのではなく欧米列強の外圧によって作らざるを得なくなっただけです。
それまでは日本人は国家という概念を持っていなかった(少なくとも国民は)し、無論、「愛国心」なる概念も持っていませんでした。
かやさんは

>陸続きの国の歴史の教科書をごらんになったことがあるでしょうか?
>年代によって国の大きさが変わり、時には他民族がその国の王になる。
>それに比べ、日本は沖縄などの島を除き、1000年以上も日本列島と日本人の歴史を学べばいい、そのような環境は決して当然のことではないのです。
>私はこの地理的条件が、日本人特有の文化を生み出し、アイデンティティの乏しい国民性を作ったのだと思っています。

と述べられていましたがこの指摘はまさに仰るとおりで、有史以来、まともな侵掠を受けることも侵掠を行うことも無かった日本が国家という概念を生み出すことはあり得ませんでした。
一口に愛国心と言ってもそれぞれの国の歴史や文化が違うように愛国心にも違いがあります。
しかし、どの国の愛国心にも根本には同質の要素を持っています。
それは、多民族に対する嫉妬、憎悪、恨み、不信などで本来、愛国心とは洵に排他的なものであります。
殊に発展途上の国家では国民に他民族への憎悪を忘れさせない為、常々細心のマインドコントロールを怠りません。
グローバルの視点ではこれを否定的に捉えてはなりません。
なぜなら、他国への憎悪が国家サバイバルのエネルギー源であるからです。(全く以って嫌なことなのですが)
例えば、オーストラリア人は比較的愛国心の稀薄な国民だと言われています。
それは国家の形成過程にその原因があるのですがその説明は省きます。
そのオーストラリア人でも愛国心を生み出す装置として第一次大戦と第二次大戦の戦争体験(他国への憎悪)を最大限に利用しています。
例えば、四月二十五日は、第一次大戦時にイギリス軍にいいように利用されほぼ全滅したガリポリの戦闘を記念とする日として毎年愛国心を鼓舞する盛大なパレードが行われています。
似たような例が世界各国で見いだされるはずです。

中国や韓国も日本に対する憎悪を決して忘れようとしませんが、それは強力な国家を維持してゆく為の装置です。
アメリカもイラク戦争をする時、9・11テロの憎悪を最大限に活用しました。

翻って日本人には憎悪と憎しみの歴史は極めて稀薄です。
大東亜戦争でアメリカからあれだけ受けた仕打ちもみんな忘れてアメリカ大好きな日本人ばかりです。
そもそもこの国の民は憎悪や憎しみ、恨みを継続して持つ事の出来ない民族なのかもしれません。
ですから、そんな日本人に世界並の愛国心が持てるはずないと踏んでいます。
明治以降に日本人が持った愛国心も必要にせまられて持ったと言って良いでしょう。
他国から侵略されない強い「国家」を作るにはどうしても欧米のような愛国心が必要でした。
「国家」も「愛国心」も近代の世界で生きてゆく為に必要だったのです。
では、日本人には古来から「愛国心」は無かったかというとそれも少し違います。
日本人にも自分の属する共同体に対する愛着や郷土愛はありました。
『古事記』にも『萬葉集』にも日本の古典には一種の愛国心が歌われています。


大和には 群山(むらやま)あれど
とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ちたつ
海原は 鴎立ちたつ
うまし国ぞ あきつしま 大和の国は



有名な『萬葉集』の舒明天皇の歌です。
涙ぐましいほどの情緒的な歌で、そこには理論性も他国との比較性もなくただ「大和の国はいい」と云っているに過ぎません。
例えば、フランス国歌「ル・マルセイエーズ」に歌われている生々しい愛国の情とはあまりにも異質なもので、情緒性に頼った自国の讃美です。
世界の国歌を調べればお解りのようにフランスのように憎悪と憎しみで固めた生々しい愛国心を歌った歌が圧倒的に多い。
なにより具体的でリアルです。
再び翻って日本の国歌『君が代』はどうか。


君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで



なんと曖昧で、情緒しかなく、小石が岩になるなどと非科学的で、理論もなく、説得力もない歌詞なのでしょう。
因みに君が代の「君」=「天皇」というのも明治以降、そう定義されるようになっただけで、本来「君」に天皇の意味はありません。
天皇を国家の最高機関にしてしまったのも近代の宿命だったといえましょう。
これはまた別の話になりますのでここではこれ以上詳しく述べません。

さて、縷々、日本人とその他の国との愛国心の違いなどについて述べてきました。
無論、私は日本人ですから日本人の考え方のほうに共感を覚えます。
『君が代』に対しても「なんと曖昧で・・・云々」と否定的なことを書いたようですが、それは世界の特に欧米人から見たら否定的に捉えられるだろうということで、日本人の私としては世界各国の歌詞と比べてなんと情緒的で非戦闘的でアジテーション的でなく侵掠的でなく排他的な愛国心を鼓舞するものでもない歌詞なのだろう!と感動すら覚えます。

そんな日本人が初めてグローバル化の波に晒されたのは何度も述べてきたように明治以降です。
そこから日本人の苦悩が始まりました。
欧米人の真似をしなくてはならなくなった。
日本人の不幸の始まりだと思っています。
そして現代に至るまでそれは続いているのですが、戦後の日本はアメリカの保護の元(支配下の元?)まぁ、なんとなく豊かさを感受していましたが、今からはそれさえも危うくなってきます。
再び、グローバル化の荒波に投げ出されようとしています。
だとするならば、やはり、排他的な愛国心も必要となってくるだろうと考えています。
安倍首相をはじめとして、「国民はもっと愛国心をもつべきだ」と主張する人たちの云う愛国心も所詮排他的なものではなく、せいぜい舒明天皇が歌ったような内向きの愛国心です。
左派の人たちは「軍国主義になる」云々と批判していますが、日本人が本来持つ内向きの愛国心は恐るるに足りません。
そういう愛国心すら否定する人の考えがよくわかりません。
歴史を振り返っても日本人が外向きの愛国心を持つのは外圧があった時です。
近年、日本は右傾化しているといわれていますが、それは日本人が自発的にそうなったのではなく中国や北朝鮮の「外圧」によるものです。
(私は本当の意味で右傾化しているとは思いませんが)
そして、今後私が危惧するのはアメリカをはじめとしたハゲタカファンドなどと呼ばれる企業やファンドが日本に対して本格的な経済的侵掠を行った場合、日本人が外向きの愛国心を爆発させるのではないかということです。
そうならない為にはやはり、対抗措置が必要ですし、爆発しない程度の愛国心が必要だと思うわけです。
(そうでないにしろ、今は近代以後なのですから、国家は必要ですし愛国心も必要なわけですが)

それが考えすぎであることを望むと同時に私は今後起こり得るだろうことをあまり楽観視出来ないでいます。
さて、どうなりますやら。。

(平成十九年二月二十一日)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=349047963&owner_id=95567

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もともと、この議論はグローバル化する世界において日本は如何にあるべきかというものであり、私はグローバル化という名の世界のアメリカ化を日本は無批判に受け入れて、自らも旗振り役となってグローバル化を推し進めている感があるが、経済問題一つとってもグローバル化は果たして日本人を幸せにするのであろうかということを述べた。
その上で、グローバル化が世界の潮流として日本として抗しえないものだとするならば、日本人は世界並の愛国心を身につけるべきではないのかということを云いたかったわけだ。

奇しくも、このあと世界恐慌が訪れて、日本人はグローバル化という幻影から目が醒めたようである。
ならば、もはや「排他的な愛国心」は必要ない。
いま日本人に必要なのは冷静に現状を分析する事だと思う。

煙草を呑んで早く死のう:補足

2009-03-13 01:21:59 | 社会・世相
なお、私は禁煙ファッショには反対。
煙草そのものを無くしてしまえという暴論をいう人があるが、それは文化の喪失であり、私はその意見には与しない。

その上で、煙草は大人のものだと思っている。
逆に言えば、大人以外は呑んではならない。
ここでいう大人とは、自己で責任を持てる、マナーを守れる(他人に迷惑掛けない、ポイ捨てしないとかね)、煙草を呑む姿が樣になる・・・これらの条件を満たした人。
コドモ(つまり上記の大人ではない人)が煙草呑んでる姿は傍から見ても不快極まりない。

反対に大人が煙草を呑んでいる姿はまことにカッコいい。
『男はつらいよ』で吉永小百合の父親を演じた宮口精二が煙草を呑む姿はいつ思い出しても痺れてしまう。

さて、いまの日本に煙草が似合う大人がどれほど居るだろうか。

煙草を呑んで早く死のう

2009-03-13 00:56:59 | 社会・世相
たばこ:「どんどん吸って、早く死んで」 川崎の男性医師、講演会で
http://mainichi.jp/life/health/news/20090312ddm041040143000c.html


福岡のアナウンサーに中村基樹という人が居る。
かつて夕方のニュース番組のメインキャスターをやっていた。
いま「中村もときの通勤ラジオ」というラジオ番組のパーソナリティを務めているが、この人、福岡版の久米宏といった感じの人物。
つまり、薄っぺらサヨクのノリで政権与党を批判していればいいという“大勢派”の人だ。
この人の出身大学は西南学院大学で、この大学は左翼教授の溜まり場のようなところ。
北朝鮮をひたすら讃美したり、マルクス経済学を信奉していたり、講師には「憲法9条を世界へ!」なんて言っている活動家も居る。
そうそう、「原爆投下は日本が悪かったので仕方なかった」と本島元長崎市長に講演させたのもこの大学だ。
こんなことだから学生も自然と左翼ならぬサヨクくずれになる。
中村基樹もその一人。

そんな人物だから、私と馬が合うはずなく、ラジオを耳にするたびに朝から愚にもつかないこと言ってるよと暗澹とさせらていたのだが、今日は珍しく意見が合った。
そう、この「禁煙が進むと医療費がかさむことは明らか。どんどん吸って早く死んでもらった方がいい」と言った医師についての評価だ。
私はこんな面白いことをいう医者がいるのかと感心したのだが、どうも世間では評判がよろしくない。
中村基樹のラジオでもアシスタントの女性が「許せません」と気勢をあげていた。
中村基樹もこれに乗るかと思いきや「いや、私は普段から「私は命を掛けて煙草の税を払っている」なんてブラックジョークを言っているんでそんなに気になりませんけどね」と反対意見を述べた。
正にそのとおりだ。

煙草を呑む人はどんどん呑んで早く死ねばいい。
というと、やはり煙草呑みは怒るだろうか。
いや、そう云われて共に笑うくらいの諧謔心を煙草呑みの皆さんには持ってもらいたいものだ。
私が煙草呑みなら共に笑う。
「うん。こんな没義道に陥りたる世の中らから早くおさらばしたいから煙草呑んでるんだよ」くらい言う。

しかし、日本人ってやはり真面目な人が多いのでこういうブラックジョークは案外通用しない。
医者が言ったというところが面白いのに「医者が言うとはトンデモナイ」と逆に批判の口実になる。
ふだん嫌煙権云々とうるさい人も一緒になって批判しているようだ。

私の祖父は大の煙草好きで、それがたたって肺癌で亡くなった。
晩年は酸素ボンベを手放せなくなり、普段の生活をするときもいつも鼻からチューブが伸びていた。
それでもいつもゼーゼー言って苦しそうだった。
体中に酸素が行き渡らず、爪は真っ白になっていた。
元気な頃は暴君だった祖父が日に日に弱っていく姿は今思い出しても悲しい。

そういう悲惨な肺癌患者の実態を見てきたのでこの医者の言葉は却って深く響くものがある。
早い話、医師の発言は鋭い喫煙批判が含まれているのだが、今回は禁煙推進委員会が率先して批判しているようだ。
やはり真意が伝わっていないということだろう。
私もこの記事について「なぜあなたは祖父を肺癌で亡くしているのに、医師の発言を支持するのか」なんて的外れな批判を受けそうだ。
身内を肺癌で亡くしているからこそ支持しているのに。

この記事のタイトルだって文面どおり受け取ればトンデモない意味になる。
でも、人並みの諧謔心のある方ならそうは受け取らないはずだ。
とすれば、誰かさんと一緒になって医師を叩いている人はその前に身につけるべきものがある。