あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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毎日新聞のあまりにも酷い記事

2008-06-29 23:39:25 | マスコミ・新聞
◆ 思春期の受験生の集中力を増すために母親はフェラチオで息子の性的欲望を解消する。
◆ 24時間オルガズムが止まらない病気で苦しむ日本人女性の数が増えている
◆ 日本人は食事の前にその材料となる動物と獣姦する
◆ 日本古来の米祭りはアダルトビデオ業界が「顔射」と呼ぶものに非常によく似ている
◆ 日本人の若い女性はファーストフードを食べると性的狂乱状態になる
◆ 日本人主婦は皆コインランドリーに附属のコインシャワーで売春している
◆ 日本のティーンたちはバイアグラを使ってウサギのようにセックスをする
◆ 日本の最新の流行 : 70歳の売春婦
◆ 老人の売春婦の人気にもかかわらず、日本では小学生の売春婦にも仕事がある
◆ 屋外でセックスをすれば、犬の散歩がもっと楽しいものになる
◆ 日本の女子高生は、刺激のためにノーブラ・ノーパンになる
◆ 日本人女性の55%は、出会ったその日に男と寝る
◆ 日本の看護婦は仕事場にバイブレーターを持参し、日常的にアナル研修に興ずる

詳しくは、こちらのまとめサイトをご覧ください。
 http://www9.atwiki.jp/mainichiwaiwai/



以上、毎日新聞の英語版に掲載された記事だ。
あまりにも下品な内容で紹介するのもためらうほどだ。
これらはほんの一部でまだまだ酷い記事がたくさんある。
さすがの朝日新聞だってこんな捏造記事は書かない。
書いてももっと巧みにやる。
だから余計にたちが悪いともいえるが、毎日新聞の記事の内容はちょっと酷すぎる。

これらの捏造記事を書いたのはライアン・コネルというオーストラリア人で2001年に毎日新聞社に特別嘱託社員待遇で入社したとのこと。
なるほど、記事を書いたのはオーストラリア人だったか。

あまり知られていないが、オーストラリアは反日の傾向が強い。
オーストラリアは大東亜戦争のとき連合国の一員として日本と戦って二万七千七十三人の死傷者と二万二千三百六人の捕虜を出している。
ろくに戦争に参加したことのない国だからこの経験は愛国心鼓舞のために最大限に利用され、八月十五日の終戦記念日には日本刀を振り上げた日本兵がオーストラリア兵の捕虜のクビを今まさに切り落とそうとしている写真が各社新聞紙面を飾る。
それも飽きることなく毎年毎年同じ写真が掲載されるという。
(かつて、オーストラリアに住んでいた日本人の話だから現在はどうかわからない)
言わば中国と同じで反日が愛国心のために利用されているわけだ。
そして、もともとある人種偏見も手伝って日本に対しての風当たりは結構強い。
最近では捕鯨問題でグリーンピースと連帯して官民共々反日の活動を展開している。
少し前に『プリンセス・マサコ』という皇室に対する偏見と日本に対する蔑視の目線で書かれた本を書いたのも元東京特派員のオーストラリア人記者ベン・ヒルズだった。

そんななか、毎日新聞の英語版の一連の俗悪記事が天下に知られた。
またオーストラリア人かと思った。
あの国の人たちは日本人を蔑視し、不当に陥れることが出来ればそれで満足なのだろうか。
いや、オーストラリア叩きをするのはお門違いかもしれない。
オーストラリア人が皆そうだというわけでもないだろうし。
が、あまりオーストラリア人記者について触れることがないようなのでちょっと指摘しておきたかった。

云うまでもなく、最終的な責任は毎日新聞にある。
特に海外に向けて誤った、それも品性下劣極まりない内容の記事を発信した罪は重い。
外国人が本気にしたらどうするんだ。
そう思っていたらやはり記事の内容を信用した外国人も大勢いるようで、そういう人たちからも抗議の声が挙がっている。
まさか、日本の四大紙の一つである毎日が嘘を書くとは思わなかったろう。
毎日新聞は一応、公式に謝罪したようだが「内容についてのチェックが甘かった」(社長室広報担当)って、そんな言い訳が通るのだろうか。
ネット上では毎日新聞とそのスポンサー企業の商品の不買運動が起きている。
ただでさえ、新聞業界でハブられ気味の毎日新聞。
行く末は大丈夫だろうか。

落書きされたイタリア大聖堂のコメント

2008-06-28 02:18:40 | 社会・世相
京都産業大学と岐阜市立女子短大の学生がイタリアの大聖堂に落書きしたとかで騒ぎになっている。
つい先日、日本が世界でもっとも良き旅行者として認定された(註1)矢先にこのニュースだったから些か落胆させられた。

日本人の特質なのか知らないが、日本人はやたらと観光地に落書きをする。
落書きといっても不良のアートのようなものではなく、決まって名前と日付を入れる。
いわば、自分がここに来たという証と記念の意味でやるのだろうが、全く誉められたものではない。
これを海外に行ってもやるのだから、旅の恥は掻き捨てでは済まされない。
その恥は長いあいだ刻まれて日本の恥をばらまき続けることになる。

今回の件はたまたま犯人がバレて騒動になっただけでこのたぐいの落書きは日本中、世界中あるだろう。
こう言っちゃなんだが、学生らは丁寧に大学名まで書いたりして頭と運が悪かったとも云える。

さて、私が興味深かったのは大聖堂側の対応だ。
昨日の夕方のニュース(たしかテレ朝系だったと思う)でやっていたのだが、
大聖堂はテレビ局の取材に対して以下のように述べた。

「岐阜市立女子短大と落書きをした本人たちから、手紙やメールで謝罪をうけました。とても誠意のこもった内容でした」
「落書きは後を絶ちません。世界各国の誰もがやってしまう。
しかし、こうした丁寧な謝罪を受けるのは初めてです。日本人とは文化意識の高い、礼節の国民だと感心しました」(註2)

まったく驚いた。
寛大と言うか、心が広いと言うか・・・。
確かに、映像でも見たが大聖堂には至る所に落書きがあり、はっきり言って落書きだらけだった。
勿論、世界各国の言語の落書きがある。
だから、大聖堂にとってみれば落書きは慣れっこで、大したことではなかったのだろう。
それなのに、犯人が謝罪してくるという嘗てないことが起こって逆に感心してしまったわけだ。
なんだか、悪戯が周りにばれて正直に謝ったら逆に誉められた、みたいな。
怪我の功名じゃないが、結果的に(大聖堂にとっては)日本人全体の評価を高めることになったのは一安心だが皮肉な話である。

ところで、上記の大聖堂のコメント、他局ではほとんど報道されていないようだ。


*************

(註1)オンライン旅行販売会社の米エクスペディアが、欧州や米国を中心とする4004軒のホテルのマネージャーを対象に、国別の観光客のイメージ調査を行った結果による。
http://www.newsclip.be/news/20061005_007073.html

(註2)
以下のサイト参照。
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=367193&start_range=367191&end_range=367206

「ザ☆ネットスター」が凄すぎる

2008-06-22 23:45:10 | テレビ・芸能
四月からNHKではじまった「ザ☆ネットスター」という番組がある。
ネット上で流行っている様々なことを紹介するという番組で、毎月一回放送されていてる。
去年の十一月に漫画で言うところの読切版が放送されて、四月から連載が始まったかたちだ。
私は六月号を見逃してしまったのだが、公式ホームページでハイライトやおまけ映像が視聴できるので六月号の雰囲気はつかめた。

なんというかこの番組、凄すぎる。
まず、スタジオのセットからして『涼宮ハルヒの憂鬱』のSOS団の部室をモチーフしたもので、「団長」と書かれた三角錐やみくるがコスプレさせられていたカエルの頭部まである。
公式サイトもギャルゲーのそれのようなつくりで、ネット住人からは「それなんてエロゲ?」なんて云われていた。
創刊号である四月号のゲストには朋先生こと声優の金田朋子さんが出演していたが、相変わらずの奇妙奇天烈発言で出演者を異次元空間へといざなっていた。
しかもネットを主題にした番組なのにキーボードという言葉を知らず、「あのAとかBとかのやつ」と云っていたのにはさすが朋先生といったところか。
また、同じ号では児童ポルノ法に反対されている白田准教授も出演されていた。

で、一番驚くのが番組内で「天の声」を担当している柚木涼香さんのはじけっぷりだ。
「天の声」とはスタジオ内にいる出演者に別のブースから声で指示をする役割をもつ。
その指示の仕方や独り言が凄い。

四月号での名言を拾ってみると
「ウッウーウマウマー!!」
「ドアラ先生に中の人というのは存在しません」
「激しくしたら壊れちゃうから! 優しくおねがい・・・」
「なんだかんだいって白田先生、お好きなんでしょ?初音ミクのこと」

五月号では
「さぁ、次は可愛らしいアニマルビデオ。略してAV(はぁと」
「今日の談笑さんの部屋着みたいな衣装も素敵ですけどね」(談笑さんは「失礼だな!」と苦笑い)
「もっと右ぃ。あん、そこ、そこがいいのぉ!」(東浩紀にセレクタンの移動を命じた時)

六月号
「らんらんるー♪」
「僕アルバイトォォ!!」
「談笑さん。でも、そんな私のことを可愛いと思ってるんですね。わかります。」(天の声にあきれ気味の立川談笑に対して)
「ところで、事務員Gさん。生はお好きですか?」(特別ゲストの事務員Gさんに対して)
「私を食べてもいいんですよ?(はぁと)」(同上)
「さぁ、ゆんゆん行きますよ」
「この豚野郎!」(このあとスタッフから駄目出し)
「どっち曲がりが好きですか?」(ゲストの声優、野中藍に対して)

以上、あまりにも酷いのは放送されていないが、それらは公式サイトの動画で視聴できる。
いづれにしても、HNKとは思えないはっちゃけっぷりだ。
少し解説すると、「ウッウーウマウマー♪」とか「らんらんるー♪」はネット上で流行っている歌などから。
「この豚野郎!」は柚木涼香さんが声を担当した『武装錬金』の津村斗貴子さんのセリフが元ネタとなっている。
とにかく、ネット住人やヲタならニヤリとさせられるネタのオンパレードで、
公式サイトでの「無茶しやがって・・・」「え?ギャルゲ(ry に似ている??」「中の人」などという言葉遣いをみてもスタッフが正真正銘のヲタであることが知れる。

この番組、悪ふざけばかりしているわけではない。
五月号では東浩紀がネット上のMAD動画(既存作品の素材を使ってさまざまな加工を施した動画)と著作権についての深い考察をしていたし、四月号でも白田先生が初音ミクと著作権の話をしていた。
東浩紀については今まであまり良い印象を持っていなくてむしろ嫌いな評論家だったのだけど、MAD動画をはじめネット文化についての考察は的を得たもので大変共感した。
著作権については「MADとアニメ業界は共存してゆくべきで、そのために著作権法の運用あるいは法そのものを変えてゆくべきではないか」(要旨)という刺激的な提言もしていたし、アニメ作品本編だけを見る楽しみ方ではなくそれを元にMADを作るなど、作品から派生した周辺の楽しみ方についての積極的な評価をしていた。
私なりにまとめると、作品をそれだけで楽しむのではなく、それ自体を楽しむと同時に作品を料理して(パロディやMADや同人誌や評論など)楽しむことがネットの普及でより促進された。
そして、それが業界と消費者のお互いの利益になる、というところだろうか。
(ネットと著作権の問題についてはまた稿を改めて書きたいと思う)

あび卯月は「ザ☆ネットスター」を応援しています。

朝日新聞、鳩山法相を「死に神」呼ばわり

2008-06-21 03:47:09 | マスコミ・新聞
朝日新聞が夕刊の素粒子でこれまで十三人の死刑執行を行った鳩山法務大臣を
「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」(六月十八日付朝日新聞夕刊)
などと表現した。

朝日の記者は刑事訴訟法を御存知ないのか。
刑事訴訟法475条では、死刑は判決確定後、法務大臣の命令により6か月以内に執行することが定められている。
実際にはこの規定は守られておらず、死刑執行まで平均で七年以上を要するが、鳩山法相はその法に従って死刑を執行させているだけにすぎない。
そもそも死刑執行にサインするのが法務大臣のなすべき当然の職務で今までの法相は職務怠慢だったわけだ。

それに不可解なのは死刑にされた者はみな兇悪な殺人他を犯したもので、それゆえに死刑に処せられるわけだ。
いわば、死に神は彼ら死刑囚であり、その罪を差し置いて執行する者に対して「死に神」とはどういう料簡だろう。
それとも、朝日新聞は兇悪犯罪者が大好きで共感しているから、極刑に処せられるのが我慢ならないのだろうか。
それならば、素直にそう書いてくれ。

これらのことを度外視して法相を「死に神」呼ばわりするのは、無知か品性下劣かのどちらかだ。
いや、新聞が品の無い表現をすることはあっていい。
新聞が政治家を揶揄したり、悪口を云うことはあるべきだし、むしろ物足りないくらいだ。
だから、大臣を揶揄したこと自体をとやかく言う気は無い。
問題は妥当性があるか、そして朝日新聞が他者を「死に神」呼ばわりする資格があるかどうかだ。

よく知られているように朝日新聞はかつて北朝鮮を地上の楽園と称して、大勢の在日朝鮮人を北朝鮮に送り、多くの人々を死に至らしめた。
地獄への切符をばら撒いたという点で朝日新聞は名実ともに死に神と言える。
大量虐殺を行った中共の毛沢東やカンボジアのポルポトを賞賛していたのも朝日だ。
曰く、ポルポトは「アジア的な優しさをもつ」(昭和50年4月19日付の夕刊)のだと。
三百万人を虐殺したポルポトを優しいとは恐れ入る。
そうそう、紅衛兵も「目はどれも皆澄んでいた」なんて書いて誉めていた。
そして、戦時中は玉砕を美化して沖縄戦における住民の玉砕の遠因を作ったのもこの新聞だ。

「死に神」という言葉は朝日新聞にこそよく似合う。

秋葉原通り魔殺人事件について

2008-06-18 23:26:30 | 社会・世相
悲惨な事件から十日が経とうとしている。
秋葉原で七人もの命を奪い、十人に重軽傷を負わせた秋葉原の無差別殺傷事件は国内に大きな衝撃を与え、日々様々な情報と議論が交わされている。
宮城県内陸地震によってすこし沈静化したが、まだまだ事件の余波は続いている。

私は第一報から今までの多くの報道、情報を通してさまざまな思いをめぐらせた。
とりあへずは私見というより現在の言論空間の状況を書きたい。

最も喧しい議論としては加藤容疑者(明らかに彼が犯人なのだから容疑者ってヘンですね)を犯行に駆り立てた要因として、派遣労働の過酷な労働環境が指摘されていることだ。
特に普段からそういう問題に取り組んでいる識者は派遣労働に代表される雇用問題を引き合いにだす。
例えば、東浩紀もその一人で氏は朝日新聞のインタビューに対し、

「未熟なオタク青年が「逆ギレ」を起こし刃物を振り回したといった単純な話ではなく、むしろ、社会全体に対する空恐ろしいまでの絶望と怒りである。不安定な雇用に悩んでいたという報道もある 」
「もし彼が首相官邸や経団連本部に突っ込んでいたら、だれもがそれをテロと見なし、怒りの実質に関心を向けただろう」


と述べている。
後半の指摘は少し間違っている。
というのは、今回の犯行で十分に加藤容疑者の「怒りに実質」に関心が向けれられているからだ。
具体的には識者の間やネット上で派遣労働の問題点が次々に指摘されていること。
政府の動きとしては舛添厚生大臣が日雇い派遣の原則禁止を提案し、臨時国会で改正案が提出されることとなった。
今日も、讀賣新聞に日本人材派遣協会が「派遣労働者の権利を守ります!」という内容の全面広告が掲載されていた。

加藤があの事件を起こさなかったら舛添大臣が日雇い派遣禁止を言い出すことも無く、派遣協会が上のような全面広告を出すこともなかったろう。
輿論は過酷な派遣労働許すまじに動いている。
そして、ネット上には加藤容疑者を英雄だとして彼を讃える歌が発表されるに至った。

流石に讃歌の例は極端にしても、彼に半ば共感する人たちが確実に一定数いるということだ。
ならば、彼が本当に、派遣労働者をはじめとした労働者の権利を著しく下落させた経団連や新自由主義を推し進めた政治家を次々に刺殺していたなら、
そして、犯行後に彼らを刺殺せざる得なかった理由を理路整然と述べたなら・・・
加藤容疑者は真の意味で労働者の英雄になりえたのではないだろうか。

日本はテロに弱い。
というより、テロを容認する文化があると云ってよい。
具体的にいえば、括弧たる理由があればテロは容認されるのである。
忠臣蔵の志士や二・二六事件の将校たちがそう。
二・二六の方は一部だが、彼らは今だ一定の評価をされつづけている。
こんなことだから、今後、新自由主義がますます促進され、格差が拡大するならば、
第二第三の加藤は必ずや出現するだろう。

最後に私見でまとめ。
まづ、いかなる理由があったにせよ無辜の民を殺害することは寸毫も赦されないことである。
この点において、私は加藤を英雄視する気にはまったくなれないし、共感もできない。
ただし、この事件が派遣労働の問題点、ひいては新自由主義の危険性に光を当てたという側面は否定しえず、
むしろ、それゆえに、加藤容疑者が怒りの矛先を罪の無い人々に向けたという事実は返す返すも残念でならない。
これは問題発言かもしれないが、加藤が括弧たる信念を持つ者であり、その信念にしたがい小泉以下新自由主義推進者の政治家や経団連幹部を刺殺していたなら私は条件附きで一定の評価をしたかもしれない。
少なくとも政治家はいつでも殺される覚悟を必要とする職業だと思うからだ。
だが、加藤がそれをなす可能性は無かったろう。
彼を犯行に駆り立てた原因の一つに過酷な労働環境があったにせよ、
彼の動機の要因は極めて自己中心的なふてくされ乃至やつあたりに他ならないと思うからだ。
それゆえ、これを機に労働問題他を論じるのは結構だが、彼をいたずらに英雄視するのは安易なテロ容認、無差別殺人容認になりえず、危険である。

物価の上昇と労働問題と格差問題とで日本はますます昭和初期に似てきた。
さすがに、今の日本には「軍部」が存在しないから第二の満洲事変は起こらないだろうが、国内において事変が起こらない保証は無い。
少なくとも、これからの日本はますます国家社会主義者や本来の意味の左翼が増えてゆくと予想しておく。

相変わらず、太田総理はおかしい

2008-06-13 21:47:10 | テレビ・芸能
今週の太田総理の発言。
「スタンダードがこれだと決められるほど酷なことは無い」

一般論として太田総理の仰る通りだ。
誰かのスタンダードを押し付けられることほど酷なことは無い。
国家レヴェルでもそう、グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードを押し付けられている日本が如何にもがき苦しんでいることか。

でも、上の発言は学校給食の是非について論戦が行われてる中でなされたもので、
決められた時間に決められた食事を「強制」されることに対する反撥の意味を含んでいる。
ならば、この発言はおかしい。
教育、殊に学校教育というものはスタンダードの押し付けであり、柳田國男が正しく指摘したように「教育は平凡への強制」なのである。
基礎無くして個性も異端も生まれ得ない。
教育はすべからく価値観の押し付けであるべしで、またそうならざるを得ないのである。

太田は上の発言に象徴されるように他者からなんらかの価値を強要されることを極端に嫌う傾向がある。
言わば、自由主義者とも云い得るのだが、彼はその考えを普遍的なものに昇華させようとする点でファッショ的とも言える。

彼のおかしな発言はこれに限ったことではなく、むしろ今週はマトモなくらいで、毎週いくらでも首を捻ることがある。
彼の考えはつまり突拍子が無いというか、発想の面白さとか、独創的であるという点にのみ評価されるうるものであって、現実問題としてその考えに基づいた施政を行おうとしたら普通の混乱では済まされないだろう。
早い話が、現実問題からかけ離れたデタラメなことしか云っていないということだ。

この太田光が毎回、「総理大臣にしたい芸能人」の上位に食い込む現状をみるたびに私は日本では絶対に直接民主制を採用してはならないと深く心に思うのである。

未来小説の予言は当たるか

2008-06-09 00:03:52 | 雑記
少し前、2ちゃんねるのオカルト板にこんな書き込みがあったらしい。
私は普段そんな板に行かないので、某ブログでこの書き込みを知った。
興味深い書き込みなので長くなるけど転載。
(改行等は原文ママ)

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652 :本当にあった怖い名無し:2007/12/12(水) 22:16:47 ID:UNHvfv9pO
予知夢とは違うんだけど今から10数年前に小説を書いていたんだ
コミケに出したりするつもりもなく友達に見せるだけの作品で
内容もファンタジーのラノベっぽいやつ
なんかその時って神懸かっていたというか勝手に手が動いて
自動速記みたいに考えも無しに文章が出来上がっていったんだけど
その内容通りに時代が動き始めているような気がするんだよね
当時はPCなんて持ってなくてインターネットという物も普及してなかったのに
中国のやばさについて触れていたり
アメリカが思い上がってキリスト原理主義を翳して
正義の名の元に世界大戦を起こそうとして世界から総スカンをくらい
空振りすることなんかも書いてた
アラブの情勢にも触れていてユダヤが影で世界の資本を牛耳っているとかも書いてた
当時の自分にそんな知識は全く無しで新聞すらも取ってなかったのに
その小説に書いたことで今実現しかけているのがゴミから作るバイオ燃料と
世界の天候がおかしくなり日本でも食糧難の時代がくる
あと細胞からのクローン技術発展で体の部位取り替え手術が出来るようになる
まだ起きてなくて気配もないのが資本主義の崩壊と世界の通貨が変わることとサッカーワールドカップの終了
小説は20世紀末から2039年くらいまでの世界を書いてる
ワールドカップ終了は最後の章に書いてた
2040年以降のことを書きたかったけど筆が止まってしまったので続きは書いてない
小説の通りに進むなら中国は益々やばくなってくよ

654 :本当にあった怖い名無し:2007/12/13(木) 00:24:01 ID:9wtodEEtO
>>653
残念ながら自分女で既に奥さんになってる
小説は友達が持って行ったまま消息を断ったので一部行方知れず

他には多機能な携帯出来る電話が登場して一人一台持ってるのが当たり前の世の中になってた

当時携帯と言えば肩から下げるごついのや車についてるのくらいで一般普及はしてなかったしネットやメールも出来なかったのに
物語の中では携帯でメールやチャットもしてた
テレビも壁に掛けられる薄型になっててテレビでメール使ったりや新聞読んだりもしてた
車はナビ付きが標準装備の丸っこいデザインのが増えていってた
自動操縦に近い装備もついていく
食糧難の時代の年代まではハッキリ覚えてない
数回米不足になる年があって一度目のはあのタイ米騒ぎの時が該当していると思う
二度目はもっと深刻な米不足になるから備蓄米を増やしておかないと乗り切れないという話しだった
他の国も援助が出来る余裕はないようだ
小説の舞台が日本ではないので日本についての記述で出てくるのは食糧難と皇室存続問題と
雇用問題からの外国人流入くらいしかない
天皇家は存続する
今の皇太子が即位するがその後のことは分からない

資本主義が崩壊する前に朝鮮半島は統一されている
中国当局は締め付けが厳しくなっていくがその後政府が倒され崩壊する
バチカンについても触れていたが詳しくは覚えていない
アメリカの暴走は暫く止まらない
その後衰退していく
アメリカの代わりに台頭してくるのが中国


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私はジョセリーノだとかノストラなんちゃらだとかそういうたぐいの予言はちっとも信じないクチだけど、
この予言ばかりはやけにリアルで信じる信じないは別としてなんだか気味悪いものを感じた。
少なくとも、これまでなされてきた予言ことごとく的中しているわけで
この予言を書いたノートが実在するなら、ちょっと凄い。

例えば、移民について昨日、自民党議連が
「日本の総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を今後50年間で目指す」
と明記された提案書を作成したことが報じられたし、
食糧危機も昨今の食料品高騰を顧みればこのままあれよあれよと食糧難の時代に突入するかもしれない。

で、資本主義が崩壊したら次はどんな世界が出現するんだろう?
まさか共産主義ではあるまいし。
皇室も存続とあるが今の皇太子のあとがわからないのなら不安だ。
朝鮮半島は統一されて、中共政府は崩壊するという。
それでも支那(そのあと出来た政府は一つか?)はアメリカの代わりに擡頭するそうだ。
支那大陸に一朝一夕で民主的な政府が誕生するとは思えないからどの道、好ましいことではないだろう。

さて、世界がこの通りになったら私は予言というものを信じることにする。

あび放言 其の六(原油高騰、後席シートベルト義務化)

2008-06-03 02:23:01 | 時事放言
・原油価格高騰、ガソリン170円台に

原油価格が相変わらず高騰している。
いま、原油1バレル130ドルくらいで、100ドルの大台に乗ったとき大騒ぎしていたのが嘘のような値段。
もっと、嘘のような話をすれば、第一次オイルショック前は1バレル3ドルだったのだから、もう夢のような世界だ。

原油が値上がりすれば当然の如く、ガソリンが値上がりするわけで、
ガソリンが値上がりすれば、相乗効果で各種価格が値上がりする。
ただでさえ、世界的な穀物不足で小麦をはじめとした穀物の値段が上がっているのに、こんどの原油価格高騰は泣きっ面に蜂といったところだ。

で、この原油高騰の原因の三分の一が投機、三分の一が需要増、三分の一が供給側の問題だという。
この際、需要増は仕方ないのだから、私の怒りは投資ファンドに向けられる。
なんとかして、原油の先物取引を規制できないものか。
なにゆえ、投資ファンドという名の資本家というか金持ちというか、不労収入を得ている奴等のために我々庶民が泣かなければならないのか理解に苦しむ。
資本主義なんて大嫌いだ!
私は戦後の日本がずっとそうであったように社会主義が良い。
そう、あびの正体は国家社会主義者である。
と、これは半分冗談にしても。
ゆめゆめ、忘れなさるな。
投資ファンドは庶民、労働者の敵ですぞ!


・後部座席シートベルト義務化

いつの間に決まったのだろう、これ。
決まったのは以前から知っていたけれど、これは悪法だと思う。
飲酒運転は他人に迷惑をかけるから、法で規制するのは当り前だとしても、後部座席のシートベルトを締めるか締めないかは自己責任だろう。
こういう自己責任の範疇に収めるべき事柄を刑法で規定すべきではない。
バスガイドさんが立って観光案内できなくなると聞いて「オイオイ」と思った。
健康増進法にしてもそうだけど、最近、国が個人に介入しすぎる。
物価高騰と併せて昭和十二年頃を思い出す。

夕方のニュース番組で原油の価格高騰とこのシートベルトの件を街行く人に尋ねていたが、多くの人は「仕方ない」と云っていた。
日本人は本当に怒るべきことには仕方ないと諦観主義になり、どうでも良いことにばかり腹を立てている気がする。

もっと、きちんと怒れ日本人!

こんなところに福田恆存先生

2008-06-01 00:49:45 | 歴史・人物
本や雑誌を読んでいると思わぬところで福田恆存先生に出逢うことがある。
出逢うと言っても先生の名前が文章を目にしたり、あるいは似顔絵を目にしたりすることだが、それでも結構驚かされるときがある。

たとえば、勢古浩爾『この俗物が!』(洋泉社)という新書本を本屋でめくっていたら福田先生の文章に出くわした。
ただし、この場合は本のタイトルからして「俗物」を扱ったものであり、かつて「俗物論」を書いた福田先生の文が引用されていてもおかしくなく、それほど驚かなかった。
そもそも、この本をめくってみたのもそういう淡い期待があってのことだった。

雑誌だと最近では頻繁に目にするようになったので一々例をあげないが、
少し前に養老孟司さんが『諸君!』(平成十六年三月号)に寄稿した文のなかで「私は最近、福田恆存を読み直している」と書いていたのには驚いた。
私の中で養老さんと福田先生が繋がらなかったからだ。

同文のなかで、養老さんは福田先生の「当用憲法論」の中に現行憲法は改正できない仕組みになっているという面白い指摘があると述べた上で、「とにかく戦後、六十年、国のあり方すべてをひん曲げてきた元凶は憲法九条です」なんて書いてらっしゃる。
養老先生が改憲派だったとは、と二重に驚いたものだ。
たしか、このあたりからいままで養老さんを持ち上げてきた左派メディアは軌道修正をしたように思う。
(おっと話がそれてきたので養老さんの話はこの辺で)

そうそう、何号だったか忘れたが「サイゾー」に福田先生の書翰がオークションで取引されているだのなんだのという記事もあった。


似顔絵だとこういう例がある。

赤瀬川原平『桜画報大全』(新潮文庫)に『現代の眼』1973年1月号附録の絵が収録されている。
これは「皇紀二千六百三十二年大日本民主帝國論壇地圖」と題された大変大きな絵で、当時の論壇でどのような論争がなされていたが一目でわかるというもの。
大絵の一番上には天皇陛下と皇太子夫妻(いづれも当時)が書かれており、徳仁親王(現・皇太子殿下)が美智子妃(現・皇后陛下)を背負いながら「啄木のお母さんとどちらが軽いかナ?」なんて仰っている。
これ、本当に徳仁親王が母親である美智子妃を背負った時に述べた言葉で、さすが赤瀬川先生だよと感銘を受けた次第。(註1)
以下、当時の言論人、政治家、文化人らが百人近く(いやそれ以上か?)描かれていてとても一人ひとり紹介しきれない。
ただ、絵の真ん中にはあさま山荘の絵と共に連合赤軍と機動隊が描かれていて当時の時代背景を感じさせられる。

で、問題の福田先生のイラストは右下方に描かれていて、なんと、直ぐ右にいる羽仁五郎と論戦を繰り広げている。
羽仁五郎氏曰く「警察力に頼るから学生は非常手段に訴えるのだ」と。
それに対して福田先生は反論される。
「学生がおとなしく勉強している所へ警察が乗り込んだ例がありますか」
ごもっとも!と思わず拍手したくなる。
これも実際に福田先生が羽仁五郎の意見に対して述べられたもので、
福田恆存・著『言論の自由といふこと』(新潮社)の154ページに収められている。(註2)

もう一つだけ紹介。
最近、山藤章二『世相あぶり出し 1』(新潮文庫)を読んでいる(というより見ている)と、福田先生の似顔絵が載っていた。
「世相あぶり出し」は山藤章二お得意の世相諷刺イラストで、かつて月刊雑誌『オール讀物』に連載されていた。
本書はその文庫版。
連載が始まったのが昭和四十五年十一月から。
この第一巻に収められた「1970年12月筆」の段には『「三島事件」人と意見総決算』と題して、当時の各界著名人の似顔絵が三ページにわたって描かれている。
絵の上には三島事件(三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺した事件)に対する意見が載っており、「上のセリフ、下の誰がいったものかわかりますか?」とある。

残念ながら、福田先生の意見は載っていないが、三ページにわたるイラストの最後のページに「福田恆存」という文字と共に先生の似顔絵が描かれていたのには驚いた。
同段には石原慎太郎、丸山明宏(いま美輪明宏)、北杜夫、大岡昇平、中曽根康弘、横尾忠則、永六輔、藤圭子、開口健、黛俊郎、なだいなだ、松村剛、野坂昭如、山口瞳、吉行淳之介、五木寛之、松本清張などが名を連ねている。
時代を感じさせる人物も多いが、それよりも興味深いことは現在でも活躍している人が多いことだ。
特に石原慎太郎、美輪明宏は第一線で活躍しているし、永六輔、五木寛之、藤圭子などもまだまだ元気に活躍している。
昭和四十五年はあまり遠い昔のことではない。

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註1:赤瀬川原平先生はイラストレーターであり漫画家であり作家としては尾辻克彦の名でも活躍している。
中でも新明解国語辞典の語釈の面白さを紹介した『新解さんの謎』では新明解ブームの火付け役となった。
あと、「トマソン」(※詳しくはググってね)という芸術の新たなる観念を提唱したのも赤瀬川先生であびは中二の頃、これを知って以来トマソンを見つけるたびに喜んでいる。
また、漫画家、イラストレーターとしての才能も豊富で特に『桜画報大全』の時代諷刺絵は秀逸。
他にもつげ義春の『ねじ式』を元にしたパロディ『おざ式』などがあり、あびをますます痺れさせた。

註2:初出は『諸君!』昭和四十七年六月号に載ったインタビュー記事「當世書生氣質」。
なお、羽仁五郎氏の意見は『諸君!』昭和四十七年五月号のインタビュー記事「真理は少数にある」より。
五月号に載った羽仁氏の意見に対し福田先生が翌月号で反論したかたち。
つまり、『諸君!』内で繰り広げられた論争であった。